心霊無政府主義探究  唯一者  純正無政府主義論

第三章 第三段階と国家共同体主義

第一節 未開社会にみる第二段階の崩壊 (2021年3月24日)

   第一項 天空神の後退
   第二項 天空神に代わる神
   第三項 死に行く神

第二節 国家共同体主義 (2021年3月24日)

  第一項 中心理念は物質的豊かさか不平等か
  第二項 中心理念としての国家共同体主義
  第三項 人類における平等と不平等
  第四項 未開社会における動的均質性
  第五項 未開社会の不平等における経済の二次性

第三節 最高権威者と源初の肯定性 (2021年3月24日)

  第一項 神・聖性
  第二項 二極対立性
  第三項 聖物・神器

第四節 最高権威者と一般国家共同体成員との同質性 (2021年3月24日)

  第一項 最高権威者と国家共同体の一体性
  第二項 王の下での人々の聖化
  第三項 平等性と首長制

第五節 即位式と成人式儀礼 (2021年3月24日)

第六節 首長制・王制に見られる国家共同体主義と整合する側面 (2021年3月24日)

  第一項 首長・王という存在への同意
  第二項 統治者と被統治者の補完性
  第三項 平等規範
  第四項 未開社会の単一的全体性
  第五項 首長制・王制社会における民衆の価値化
  第六項 支配者・権力者ではない首長

第七節 最高権威者と一般構成員の統合方法 (2021年3月24日)

  第一項 再分配
  第二項 外部招聘
  第三項 対立の儀式化

第八節 中央権力と支配者 (2021年3月24日)

  第一項 国家共同体主義内部における支配者・権力者化への契機
  第二項 最高権威者の自己肯定化における相対的自立性
  第三項 中央権力成立についての諸説

第九節 未開社会における国家共同体主義の内部崩壊性 (2021年3月24日)

第十節 国家共同体主義を否定するかもしれない諸例 (2021年3月24日)

  第一項 ビッグマン
  第二項 ナンビクワラ族
  第三項 西スーダンの古王国
  第四項 メソポタミアの王
  第五項 アテネの王制

 

第一節 未開社会にみる第二段階の崩壊

第一項 天空神の後退

 エリアーデは天空神が極めて古いものであることを指摘して、こうした天空神への信仰を、それ以前の別の信仰から派生させることはむずかしいであろうという。そして、オーストラリア宗教のもっとも古層であり、加入儀礼の盛んなオーストラリア東南部では、天空神は中心的な存在であったが、中央オーストラリアのアルンタ族やロリチャ族のように比較的発展している社会においては、秘教は消滅しつつあり、天空神はその宗教的価値を喪失しているという。天空神が加入式で重要性を失っていく一方、加入式において太陽崇拝と、太陽神と加入者との親密な関係が生じてくる。例えば、オーストラリア原住民のアルンタ族、ロリチャ族やオーストラリア東南部の部族において太陽との親族関係がみられる。エリアーデによれば、太陽崇拝そのものが歴史的に後から生じてきたものである。ウィラドジュリ族もアルンタ族やロリチャ族よりずっと遅れており、成人式儀礼における至上神の役割はウィラドジュリ族においてもたいへん重要であるが、ただ、儀礼の志願者は頭を赤く塗り、髪の毛やひげをむしり取って、象徴的に「死」に、翌日、太陽とともに甦るが、この成人式儀礼のドラマは、創造神の息子である太陽英雄グロゴラガリーに、志願者を同化させるものであるとされる。ウィラドジュリ族において天空神はバイアメであるが、成人式儀礼の志願者と同一視される太陽は、天空神のバイアメではなく、創造神の息子であり、人間に恵みを与えるグロゴラガリー自身なのである。ウィラドジュリ族において、男性成人は確かに神と同一視されるかもしれないが、しかしその神は最高神とは区別される、その下に位置づけられる神なのだといえよう。
 ヒエロファニーとはギリシャ語の「聖」と「顕わす」の合成語で、「聖を顕わすもの」という意味にもなるが、エリアーデがとりあげる太陽ヒエロファニーの形態論における主要なテーマは、至高存在者の太陽化、太陽と至上権、加入儀礼、選ばれた者との関連、太陽のアンビヴァレンス、太陽と死者や豊饒との関係などである。至高存在者の太陽化について言えば、天空神が大気と繁殖の神々に変貌する過程と照応しているという。また、太陽崇拝的要素は世界各地に確認されているが、太陽崇拝がエジプトにおけるように真に優越した地位を占めるようになるのは、エジプト・アジア・古代ヨーロッパだけであり、南北アメリカに関していえば太陽崇拝が発達したのはペルーとメキシコだけ、つまり、真に政治的に組織化された水準に達した、アメリカの「文明化」した民族だけであることを考えてみるとき、太陽崇拝が支配権を握ることと、「歴史の」必然性との間に、何らかの一致を認めないわけにはいかないという。また、君主であれ、加入儀礼を受けた者であれ、あるいは英雄や哲学者であれ、選ばれた者と太陽神学との類縁性は強調されなければならず、太陽のヒエロファニーは他の宇宙的ヒエロファニーと違って、ある閉鎖的な集団や、「選ばれた」少数者の特権となりがちであるという。

第二項 天空神に代わる神

 エリアーデによれば、神話も極めて少なく、宗教生活にほとんど役割を演じない、隠れた神といわれる一群の神が存在しており、一般にかなり単純なそれらの至高神にみられる特徴は、①神は世界と人間を創造し、それから空に引退した、②神の引退に続いて天地間の交流断絶または距離の大隔絶がもたらされる場合がある、③隠れた神の地位は人間に身近で、きわめて直接的に、絶えず人間を助けたり迫害したりする諸神にとって代わられる、などである。至高の天空神にとって代わるのはトーテミスム、多神教、マナ信仰、祖先崇拝、精霊信仰やアニミズム、シャーマニズム、呪物崇拝、豊饒神、大女神などであるが、こうした交代が、ほとんど常に、もっと具体的で、動的で、多産な宗教的諸力や神々(たとえば、太陽神、大母性神、男性神など)へとおこなわれるのは、注目に値するといい、勝利した神は常に、豊饒の代弁者または分配者であり、換言すれば、結局は「生命」の代表者であり分配者なのである。
 天空神にとって代わる神々は、しばしば農耕と結びついているのであり、豊饒儀礼・農耕儀礼において主要な役割を果たすのは大女神か、周期的に死に、そして蘇える植物神であるその息子のいずれかである。エリアーデによれば、おそらく農業や農耕宗教の出現によって、天空神は大気や暴風の神として再び現実性を獲得することがあるが、もはや天空神的自律性も絶対主権も失っており、大女神に伴われた、しばしばその大女神に支配された存在でしかない。天空神はもはや宇宙の創造者でもなく全能でもなく、力動的で強力ではあるが専門化されており、創造者から繁殖者へと移行している。彼が述べる天空神の進化の路線は、①天空神→世界の主→絶対主権者(専制君主)→法の守護者、②天空神→創造者→大地母神の夫→雨の分配者、という二つのものがあり、第一の型は北極や中央アジアの民族にみられる「天」、インドのディアウスに代わったヴァルナなどであり、第二型は形態的に豊富であるが、地母神との聖婚、雷と嵐と雨、牡牛との儀礼的・神話的関係といった不変項があり、これら二つの発展路線は並行しているのではなく、むしろたえず交叉しあっている。

 至高の天空神の後退とそれに代わる神々の登場に、人間がより人間的なもの、地上的なものに関心を移している変化を見ることができるであろう。至高神の後退とともに富・豊饒といった地上的価値が優位を占めるのであり、エリアーデに言わせれば、新しい神々は「生物的生を聖別する手段」としてあるのである。この天空神の変遷は、至高の天空神が自己放棄の第二段階の中心理念かそれに深く関わっており、天空神の後退は第二段階の崩壊の結果であって、また天空神に代わって登場してくる神々は第三段階の中心理念の創出、あるいは再定立された第二段階の中心理念と関係しているということであろう(また、再定立された第二段階の中心理念そのものが、地上的性格を帯びた神として、第三段階的影響を帯びていることにも注目される)。
 もっとも、エリアーデは天空神信仰が原始人の唯一で最初の信仰と断定しているわけではない。それはもっとも古代的なピグミー族・オーストラリア原住民・フェゴ島人などに見出せる一方、同じくらい古代的なタスマニア人・ウェッダ族・クブ族などには欠けているのである。

第三項 死に行く神

 第二段階の中心理念の崩壊ということは、死んでしまった神において、より明確に示されているのかもしれない。北米インディアンにおいて善悪を超え、世界を創った偉大な精霊のなかには、すでに死んでしまったとされているものがある。エジプトやバビロンの大神たちも死という運命をのがれることはできなかったし、ギリシャではゼウスやディオニューソスの墓というものが存在している。そこに人間が神に対してもさえも、人間的なものを強調している宗教状態をみるべきであろう。それがさらに進めば、インドにみられるように悟りとは神ではなく人間のみが到達できる世界ということになる。エリアーデによれば、ヴェーダにおけるデーヴァとアスラは神と悪魔、光と闇として時の始めに交戦を余儀なくされているけれど、創造以前には彼らは一体であり、ミラトとヴァルナは世界と人間の存在様式の弁証法的構造を解明するに当って範例的モデルを提供する。さらに彼によれば、こうした分極性の幾つかのものは、反対の一致、矛盾する単一性=全体性、根源のうちに自己を解消しようとするのであり、インド精神は「絶対」につきまとわれてきたが、「絶対」とは対立するものと分極性の彼方でのみ認知可能であった。絶対、究極の解放、自由、解脱、涅槃は対立するものの対、分極性をのり越えなかった者には近づくことのできぬものであった。悟りとは、それは神にあっても等しく知られていないものであり、人間の創り出すものにほかならず、したがって人間にのみ接近可能なものなのである。対立・分極性を超えたところにある悟りの状態とは、対立や分極性によって示される源初の肯定性が、自己放棄の第二段階以降においては幻想でしかないのであるから、その幻想を超えるということであり、幻想であるとともに実体でもあった源初の肯定性ということであろう。そして、源初の肯定性の外化が神であるとすれば、存在即肯定という過渡期の状態は、神には知ることのできない状態なのである。すなわち、インドにおける悟りの人間性は、改めて過渡期的源初の肯定性が前面に出てくるということであり、それは自己放棄の第三段階における此岸性、源初の肯定性の回復というその基本理念の顕れとして理解出来る。
 神々は単に死ぬばかりでなく、人間によって殺されもする。イェンゼンはこのような神話を初期栽培民の世界像と結びつけている。ただ、神の殺害神話はオーストラリアやアフリカの狩猟民にも見られ、エスキモーにも見られる(イェンゼンはエスキモーにおけるそれらの神話を外部からの影響と想定している)。このような神の殺害神話が第三段階と結びつくとすれば、それらの神の殺害がまた、しばしば楽園の終りでもあることと矛盾するように見える。南カルフォルニア・インディアンにおいて、最初人間は死も有用食物も野獣も存在しない楽園生活をおくっているが、人間によるウィヨット殺害の結果、人間は死ぬべき存在となってしまう。しかし、そこにおいて問題になっているのは楽園そのものの否定ではなく、理想化された楽園、それゆえありのままの人生の肯定という源初の肯定性の否定としての楽園の否定なのだと考えるべきであろう。その楽園の否定は決して人間的なもの、地上的なものの肯定を否定しているのではなく、逆に生きそして死んでいく人間そのものの肯定を意味しているのである。そのことは、「人間、動物、植物における死と増殖がこの世界像の中心観念であった。地上の最初の死は殺害であった。そしてこの運命を最初に蒙らざるをえず、ほとんど何処でも月と同一視される神的存在は、人間に植物と生殖を贈った。果して殺害もしくは最初の生殖過程が、それに引続いて罰としての人間の死すべき運命がやって来る罪であったか否かという問題は、未決のままにしておいて、今日の人間の運命がここに論じている文化の中では、いずれにせよ、現実として受けとめられ、現実として肯定されたことだけを確認しておこう。」(『殺された女神』)というイェンゼン の言葉からもいえるであろう。

 未開宗教における自己放棄の第三段階的なものは、結局は第二段階内における最初の第三段階的徴候、あるいは第二段階の崩壊から第三段階の創出へと向かう過程の形態にすぎない不安定なものだといえる。それはあまりにも聖なるものと結びつけられ、第二段階的構造の中に閉じ込められるか、直接源初の肯定性そのものへ復帰しようとしして、たちまち崩壊してしまうかなのである。グァラニ族は海の彼方にある楽園に向けて旅立ったが、数世紀にわたるさすらいと舞踏のはてに、楽園を見出すことのできなかった人々である。海岸に辿りついて何十年も前にそのさすらいを止めた彼らは、もはや楽園が大洋の反対側にあるなどと信じてはおらず、楽園は天にあるもので、死の前には至りつくことのできぬものと考えている。このようなグァラニ族を襲った運命が源初の肯定性そのものへ復帰しようとする者にも待ち受けているであろう。中央アルゴンキン族における加入儀式の小舎に対して、エリアーデはオジブワ族の四元的シンボリズムから、メノミニ族の二元的シンボリズムへの発展を見ている。オジブワ族において加入儀式に登場するのは大神であるのに、メノミニ族ではより人間に近い文化英雄がいるのみである。そして大神は死後の永遠の生を授けるのに対し、文化英雄は健康と長寿(そしておそらくは死後の新しき存在)をもたらす。オジブワ族からメノミニ族への発展は、第三段階なものへの移行を示しているといえよう。しかし、エリアーデによれば、オジブワの小舎の四元的シンボリズムはそのリズムが大神の統御のもとに正確に脈動しつづける均衡のとれた世界を反映しているのに対し、メノミニ族の小舎の二元的なシンボリズムも、宇宙全体と人間存在における対立的なものの統合を表わすものであるが、ただこの場合の統合は、世界をその最終的な破壊から救い、生の持続を確かなものとし、とりわけ人間存在のあやふやさと矛盾にひとつの意味を見出そうとする絶望的な努力を表わすものであるという。

引用・参考文献
 『太陽と天空神』 ミルチャ・エリアーデ
 『生と再生』 ミルチャ・エリアーデ
 『太陽と天空神』 ミルチャ・エリアーデ
 『宗教の歴史と意味』 ミルチャ・エリアーデ
 『殺された女神』 アードルフ・E・イェンゼン
 (頁先頭)

 

第二節 国家共同体主義

第一項 中心理念は物質的豊かさか不平等か

 自己放棄の第三段階であるが、狩猟採集民の社会を見ると、神概念が存在している一方、その社会は単純であり、自己放棄の第二段階にあるか、あるいは第二段階の崩壊過程にあるものの、新しい中心理念はまだ創出されていない状態にあると考えられる。一方、ヨーロッパ中世は、キリスト教を中心理念とする彼岸的・外世界的・受動的基本理念の段階と考えられ、第二段階とヨーロッパ中世との間には、少なくとも一つの此岸的・内世界的基本理念の段階があったと思われる。人類史では旧石器時代からヨーロッパ中世までの間に、新石器革命や都市革命、土器や金属、農耕牧畜といった革命的ともいわれる物質的豊かさの急激な増大、あるいは王や階級の発生といった社会的分化・不平等化があった。それらのどれかは、第三段階の中心理念と密接な関係があったと考えるべきであろう。
 もし、物質的豊かさが第三段階の中心理念の核だったとすれば、不平等はその中から生じたということになる。しかし物質的豊かさが第三段階の中心理念だとすれば、そこから不平等が出現することはないであろう。何故なら、此岸的基本理念とは源初の肯定性であり存在即肯定であったが、物質的豊かさが存在即肯定を実現するということを考えたとき、存在即肯定は存在のみを条件としているのであるから存在している人間は総てその条件を満たしていることになり、存在即肯定は総ての人間にいえなければなないということになる。物質的豊かさが第三段階の中心理念であるとき、物質的豊かさは総ての人間に源初の肯定性をもたらすものとしてあるということになり、そこに不平等が必要不可欠な条件として入り込む必要はないし、ひとたび平等主義的な中心理念が創出されたなら、そこから不平等が出現することは不必要なこととなるわけである。
 不平等が現実に出現したのだとすると、不平等こそが第三段階の中心理念の核心部分にあるということなのではないだろうか。しかし、不平等こそが第三段階の中心理念の核心部分にあるとすれば、そこでも不平等と存在即肯定がどうして結びつくことができるのかという疑問が生ずる。いえることは、もともと存在即肯定は幻想なのであるから、あたかも実体的な存在即肯定をもたらすとされる中心理念の創出には矛盾が伴うということであり、矛盾が必要ともいえることである。その矛盾が第三段階の中心理念において不平等という形で現れたということではないだろうか。勿論、物質的豊かさが第三段階の中心理念の核だったとしても、そこには矛盾が伴っているということになるが、その矛盾は不平等という形では現れないだろうということであり、もし不平等と結びついて現れるとしたら、それは物質的豊かさが中心理念の核というより、他に中心理念の核があって、物質的豊かさはその中心理念の核に付随して現れるにすぎないのではないかということである。

 レヴィ=ストロースはブラジルのナンビクワラ族の社会を、最も単純な表現にまで還元された社会とみなしている。雨季には簡単な農耕をし、乾季には狩猟採集生活に入る彼らは、ブッシュマンと同様、物質的にもきわめて貧しい社会といえよう。そのようなナンビクワラ族にも首長といわれる人がいる。物質的豊かさ以前に、すでに不平等が出現しているわけである。このことも、第三段階の中心理念が物質的豊さよりも不平等と関係するものであることを示しているのではないだろうか。さらに、レヴィ=ストロースはナンビクワラ族のような単純な社会に首長制があるということから、総ての社会に首長制があると考えているようでもあり、山口昌男もナンビクワラ族とレヴィ=ストロースを取り上げるなかで、総ての社会に首長制があるというレヴィ=ストロースの見解に同意している。レヴィ=ストロースや、山口昌男の見解通りなら、首長制のような不平等は第三段階の中心理念と結びつくものとして創出されたものではないということになる。しかし、総ての社会に首長制があるという見解には、市川光雄がピグミー族の研究から反論している。「どのような人間集団においても、仲間とはちがって、特権そのものを愛好し、責任をもつということにひきつけられ、そして公の仕事そのものが報酬であるような人間がいる」として、このような資質をもつ個人にリーダーとしての権力を与えるものは、リーダーと集団の成員との間の「同意」であるとレヴィ=ストロースは言っているが、ムブティ・ピグミーの社会では、少なくとも特定の個人やその意見を特に権威あるものとするような「同意」は、どのような形にせよ存在していないという。例えば、ムブティは一人で象の下に入り込み、槍で象の腹を突き刺してしとめるが、そのようなことができるのは一つのバンドに二、三人いるだけで、男たちが平等な役割を果たすネット・ハンティングとは対照的に、一人の名人によって主導される象狩りなどでは、集中的権威が発生しやすい状況にあるといえる。しかし、象を倒した時でもその名人の行動は驚くほど目立たないものであり、意気揚揚とそれを誇示するよう態度は微塵もみられず、他の人々も大量の肉が舞い込んできたことに狂喜するが、誰一人としてその名人の力や勇気を賞めたたえる者はおらず、名人の控え目な態度こそ、人々が期待するものだというのである。ムブティは肉を得るために象を狩るのであり、何も男の度胸や力の証として象狩りをするわけではないし、現実的なムブティにとってそんなものは何の価値もないという。彼らは象を倒した男に感謝するだろう。しかしそれは、彼が大量の肉をもたらしてくれたからであり、たとえ象に接近する勇気をもった男でも、失敗ばかりしていたのでは、キャンプでゴロゴロしている者同様つまらぬ存在なのである。市川光雄はムブティ・ピグミー族の社会を首長制で捉えることに反対しているといえる。セントラル・カラハリのブッシュマンのグイやガナを調査した田中二郎は、その社会をリーダーもいなければこれといった政治機構ももたず、親族の組織化も未発達な社会としている。もっとも、狩猟・病気を治すまじない、道具製作・話術の巧みなものなど、生活の諸局面において主導的な役割を果たす熟練者や、情況に応じて集団をまとめたり、物事の決定や解決をはかったりする中心人物がいて、彼らは社会の運営にあたって重要な役割を果たしているのであるが、それはあくまでも情況に応じたその場限りのリーダーであって、けっして社会全体を統率していくリーダー、すなわち首長ではないという。ピグミー族やブッシュマンのグイやガナは、すべての社会が首長制であることを否定しているとともに、前本質が平等性とも結びついていることを示しているのだといえる。

第二項 中心理念としての国家共同体主義

 王や階級の発生といった、社会的分化・不平等化が第三段階の中心理念と関係しているとすれば、社会あるいは共同体における不平等という人間の二分化が、どのようにして第三段階の中心理念になるのであろうか。存在即肯定は平等性と結びついているし、前本質もその社会生活における平等性と結びついているのである。第三段階の中心理念は源初の肯定性を再び人間に回復するものでなければならないし、さらにいえばその人間に回復される源初の肯定性は、過渡期における源初の肯定性が実体的でもあったのであるから、あたかも実体的であるようなものでなければならない。そためには、第二段階では源初の肯定性は外化しているのであるから、外化した源初の肯定性を再び人間の手に取り戻すということであろう。外化した源初の肯定性は自立化した道具の他に、神あるいは霊的なものが考えられる。神が源初の肯定性の外化されたものだとすれば、人間に源初の肯定性を回復するということは、人間が神になるということである。しかし、神はあくまでも人間を超越した存在であることによって源初の肯定性を自分自身の本質として保持できるのであって、もし人間と神が等しいなら、神はその本質としての源初の肯定性を即座に失うことになるし、神と等しくなった人間もまた同時にせっかく取り戻した源初の肯定性を失うということになるわけである。神から源初の肯定性を取り戻すにしても、工夫が必要であり、媒介が必要だということである。その媒介としては、源初の肯定性の存在即肯定ということからは、人間以外のものよりは人間そのものが媒介の方がよいであろう。そこで考えられるのは、人間を二分し、ある部分の人間を神と等しい選ばれた存在とし、残りの人間をその神と等しいとされた人間と等しいが、神はその人間たちを超越した存在だとすることである。選ばれた人間が神と等しく源初の肯定性を取り戻した存在だとすれば、その選ばれた人間と等しい普通の人間も自動的に源初の肯定性を手にしていることになるし、自動的に得られる肯定性とは、存在即肯定的であるともいえる。一方、神はその普通の人間に対し超越する存在としてありつづけることにより、外化された源初の肯定性というその性格を維持することができる。基本理念が此岸的なものであれば、そこにおいては人間を実体的に創造的有とすることは幻想という問題が生じ、基本理念が彼岸的なものとしても、そこでは人間を創造的無に固定することは不可能という問題が生じてくるから、何時までも源初の肯定性を彼岸に置いておくことも不可能ということになる。此岸的なものであれ彼岸的なものであれ、基本理念を実現する中心理念は不完全で矛盾を含んだものとならざるをえないともいえるわけである。
 共同体の構成員が選ばれた人間、すなわち神(神と同様源初の肯定性と結びついた存在でもかまわないが)と何らかの形で同質的とされた人間とその他の人間の二つに分化し、一方その両者の同質性も主張されるという共同体は、平等性によって特徴付けられる狩猟採集民のバンドや、おそらく第二段階における共同体とは異なるものであろう。L・クレーダーは統治形態といった文化の側面は普遍的であるが、国家のような文化的側面は普遍的ではなく、国家を形成させた社会組織の特徴があるかどうかによって、人間社会を二つのカテゴリーに分けることができるという。神と一体視される人間が存在する社会は、一種の国家ともいえよう。ただ、国家という言葉が中央権力やさらにその権力が下位の機関に委譲された複雑な統治形態と結びつけて語られたり、国家の共同体性を否定する見解もあるのに対して、本論では統治や秩序が問題になっているのではなく、社会の構成員全体に源初の肯定性をもたらす共同体が問題になっているのであるから、国家でもその共同体的側面を強調するために、とりあえず国家ではなく国家共同体という言葉を使用することにする。共同行為をする共同体としての国家というような言い方もあるが、行為が問題になっているわけでもない。第三段階の中心理念は、その国家共同体内部で選ばれた人間が源初の肯定性と同一視され、さらに選ばれた人間と一般の人間の同質性により、一般の人間も原初の肯定的存在となるという、二段階の手続きによる共同体全員の肯定化ということである。この自己放棄の第三段階の中心理念を国家共同体主義という言葉で表現するなら、国家共同体主義を実現する場が国家共同体ということになる。
 国家共同体主義は基本的に存在的であり、一次的に源初の肯定性を体現する人間も、そのような存在として存在していればよいのであるから、支配や権力と結びつく必要はないという意味で、最高権威者という言葉を使うことにする。権威という言葉を、規範違背に対する反応が特別の権利、ならびに特別の義務として確定されているような個人、もしくは個人の集合(委員会)とし、その中でも身体の毀損や殺人、禁固などの物理的制裁と心理的諸制裁・疎遠的制裁・物質的制裁などの非物理的制裁との違いから中央権威を他の権威と区別するような立場からは、権威という言葉を使うこと自体が問題かもしれないが、その場合でも権威は一般成員から区別される存在とされているのであり、一般成員から区別された特別な存在という広い意味で権威という言葉を使うことも問題ではないであろう。国家共同体は、それが基盤とする共同体性を維持しつつ、区別され差異かされた最高権威者を許容するために、その平等性・平等規範を緩めなければならない。他方、水増しされ薄められた平等性や構成員の二分化による同質性の弱化を補うために、過剰な団結の強化ということも必要になり、それは最高権威者の下での構成員の結集が強調されたり、他集団との緊張関係や蔑視という手段で行われたり、さらにはそれを内部化する形で奴隷や賤民のような、共同体員に属さない人間を国家共同体内部に含むというようなことも行われるであろう。また、最高権威者が特別な存在であるとともに一般共同体成員と同質性の存在であるという国家共同体主義は、最高権威者そのものが国家共同体であるというような意識を生み出すであろう。それは一般共同体成員を最高権威者に吸収合体していると同時に、一般共同体成員と最高権威者の同質性を意味しているのである。

 自立した道具や装飾が源初の肯定性の外化したものであるとすれば、物質的なものが中心理念の核とはなりえなくても、最高権威者の源初の肯定性を補強するものとして、あるいは国家共同体構成員の源初の肯定性を補強するものとして、物質的なものを活用するということはあるかもしれない。神と直接結びつくのが最高権威者のみであるとすれば、源初の肯定性の外化としての物質は、最高権威者以外の成員にも直接外化した源初の肯定性との関係性をもたらすものともいえる。ただ、同じ物質でも最高権威者とのみ結びつき、所有されるものと、その他の成員も所有できるものとの間に区別がつけられるかもしれない。同様に、源初の肯定性を補強するものとして、二極対立性のようなものが最高権威者と結びつけられるかもしれない。

 

第三項 人類における平等と不平等

 国家共同体主義は平等性と不平等性という相矛盾する二つの要素に立脚する。そのうちの平等性は、源初の肯定性としての存在即肯定と不可分であった。同時に平等は狩猟採集民の社会などから前本質期の社会とも結びつくと考えたが、人類と平等・不平等については、もう少し見ておく必要があるであろう。
 寺嶋秀明によれば、ルソー以来の始原的平等という仮説の妥当性があらためて検討に付されるようになるのは、二十世紀もおしまい近くになってからであって、それに大きく貢献したのは狩猟採集民研究と霊長類学で、その中から伊谷純一郎やJ・フラナガンらの不平等から出発する立場が出てきたという。フラナガンと伊谷の方向はけっして同じではないが、平等そのものを問わなければならないという点では一致しており、1960~70年代の人類学では不平等にのみ構造的位置があたえられていたのに対し、社会構造と平等・不平等のかかわりに注目する。特に伊谷は、霊長類の系統群は固有の社会構造をもち、一定の方向への進化を示しているなかで、共存原理としての平等・不平等を考える。原猿類については、交渉を通じての平等・不平等発生以前の社会であるが、次に霊長類の各系統群に普遍的で、オスとメスの性差もごく小さく両性間に平等が保たれているように見える、オスとメスのペアを基本的単位集団とする社会があり、その社会はいろいろな方向へと許容性の幅を広げ、構造変化を遂げていく。、その一つの方向が、多個体の共存を許すより大きな社会への進化で、そのためには唯一の異性との相互容認を前提とした平等的結合ではなく、共存のためのより高次の原理が必要であり、それが不平等原理による共存という結合のメカニズムを発生させるという。不平等原則とは、二者が平等ではないこと、その優劣の関係が安定した持続性をみせることによって成り立っているものであり、強者(優位者)と弱者(劣位者)という相互関係が、両者の行動をしっかりと規制しており、この二者の関係は多個体間の関係へと拡張され、多個体間の直線的な序列、順位制が形成される。ニホンザルはメスだけが群に残り、母系集団をつくるが、各家系間には明確な順位が存在し、他の集団に出自をもつオスも彼らの間に一直線のきわめて安定した順位関係ができている。さまざまな社会交渉の局面において、順位の低いものは高いものに対して徹底的に自制的に振舞い、個体間の争いは極力避けられる。一方、そのような不平等原則とはまったく異なった、平等原則に基づくと考えられる行動も、すでにニホンザルにおいて出現するとされ、これは、不平等原則のルールを否定することによって成り立っているものであり、不平等原則に律せられた社会において、それをないものとして繰り広げられるのが平等原則に基づく交渉なのであり、ペア社会における平等原則とは次元を異にするものである。伊谷はそれを条件的平等と名付けるが、この条件的平等は明らかに後の人間社会に通ずるきわめて重要な原理とされる。もっとも、ニホンザルでは、このような平等性の多くの萌芽を内包しつつも、不平等原則の方が基本で、平等原則はそれを調整し、あるいは補うものとして機能しているにすぎない。それに対し、チンパンジーやピグミーチンパンジー(ボノボ)の社会では、ニホンザルのような母系血縁集団に胚胎する堅牢な順位制の基盤はなく、オス間の順位はかなり不安定であり、共存を支える先験的不平等の基盤が失われている。その集団の共存のための支柱こそ、条件的平等原則に支えられたさまざまな行動でなければならないし、ニホンザルよりはるかに複雑な内容をもった遊びや、挨拶行動、宥和行動、毛づくろいなどが発達しており、なかでも注目すべき点として、彼らの間でときどきみられる物乞いと、それに対応した食物の分与がある。そして、この流れが狩猟採集民などにみられる平等主義へといたったという。ただ、狩猟採集民において、共存のための集団の成員間の平等性への要求は生活のあらゆる面に浸透し、さまざまな領域において平等原則が立ち現われ、ルソーのいう人間は、だれもが認めるとおり、本来相互に平等である」という命題そのまま遵守しているかのような社会であるが、そういった人間社会における平等原理の卓越は、さまざまな行動の自制や物に対する執着の放棄など、社会的不平等への恐れを背景として維持されており、それは社会の素朴さゆえの原初的平等性ではなく、社会的不平等の存在を前提にした条件的平等性であるとされる。平等とは、不平等を前提にしているということになるが、ここで注目すべきは進化の方向としては不平等から平等へと向かっているということであろう。前本質の中には、この不平等から平等へと向かう方向性も含まれるかもしれないということである。
 田中二郎も、ブッシュマンは平等主義の原則を達成するために、気前のよさと控えめであることが最高の美徳とされ、食べ物を分け与え、品物を貸し与え、もつ者ともたざる者の差を最小限に抑制し、ものや権利の力の偏在を防ぎ、人類がその誕生以来、宿命的に付与されてきた不平等の芽を必死になって摘みとり、平等主義の原則を達成するために、なみなみならぬ努力をはらっているのが実情だという。狩には上手下手の差が歴然と現れるが、矢を作るだけなら誰でも出来るので、獲物の所有権は射とめた人ではなく、狩猟具の提供者に帰属するといったルールをつくったり、狩に成功した人は、内心では得意になっているに違いないのだが、表向きは決してそれを誇示したりすることはない。ブッシュマンは単純に平等そのものを追求しているというわけではないことになる。ブッシュマン社会の気前のよさの裏には、他人の嫉妬や恨みに対する恐れがあることは研究者の間で見解が一致しているようである。内心では独占したい気持ちはやまやまであるが、他人の不満や羨望の眼差しが恐ろしいので、たとえ死ぬほど欲しい上等のナイフでも、あまり永く手元にとどめておかないよう誰もが留意するのである。結局、自分の利益ということも考えないわけではないないが、自分の利益のみを考えるよりも平等原則の下で生きるほうが、自分にとっても有利だったということであろう。

 分節社会においても、何故に中央権威がある時期まで分節社会において発生しなかったのかという問題への諸仮説の中でも重要なものとして、ジークリストは均質性仮説と心性仮説があるという。彼が取り上げる他の説は、征服論、土着民の無能力論、機能主義的必要理論である。征服論は征服重層の欠如によって無頭制を説明する。土着民の無能力論は、支配の諸制度についての情報の欠如と組織的無能力のどちらかに基づく。征服論と土着民の無能力論は、一般的な仮説としては誤りなことが判っているという。機能主義的必要理論は、社会における秩序への要求が他の機構によって満たされてるので社会がそれを要しないとするものであるが、たびたび使用されるものの、単に空虚な定式として登場しているにすぎないという。
 均質性仮説は分節社会における非政治的諸領域もまた均質的な社会的場であり、政治的特殊化の欠如は経済的分業の貧弱さと社会的階層化の欠如の現れでしかないとするものである。均質仮設については、ジークリストは諸種の不平等が隠蔽される一方で、すべての同等的な、仲間意識的な要素が一面的に強調されることによって、均質性の印象が生じているのではないかという、ジョン・W・ベネットの批判も考慮しなければならないという。均質仮説では、均質性の内実が問題になる訳である。ジ―クリストはディルケムは分節社会の静的な均質性から出発して均質性仮説の妥当性を証明しようと試み、フォーテスはタレンシ族を経済的な観点から均質的な、定住性の、平等主義的な農民として特徴づけているが、既存の研究からはより差異を含んだ一つの像が現れてくるという。それ故、静的均質仮説は、分節社会において諸個人は繰り返し他人より多くの物質的財貨を集め、より多くの労役遂行を要求し、より多くの妻と子供を持つのだが、長期的にみれば、遅くとも相続において、この不平等は再び解消されるといった、不均衡が社会的諸過程によって常に回復されるような動的均質性によって修正されなければならないとする。そして、そのような動態の認識において、分配強制と相続における平等という平準化メカニズムは、分節社会における経済的均質性の決定素として分析できるという。ある意味、ディルケムの静的均質性はルソー以来の始原的平等に対応するともいえ、フォーテスの動的均質性は社会的不平等を前提にした条件的平等性に対応するともいえる。心性仮説は、文献上二つの変形態において登場し、一つはすべての個人は民主的な、平等な諸価値に則して自らを方向づけ、中央権威が発生していないのは、いかなる個人もそのような支配者の役割を得ようと努力しないからだというものであり、もう一つは分節社会にも権力欲をもった諸個人は存在するが、彼らの野心は平等性への規範と衝突するというものである。これもまた、前者は始原的平等に対応し、後者は社会的不平等を前提にした条件的平等性に対応するといえる。
 ジ―クリストは経済的均質性は無頭制にとってわずかの説明価値しか持たないのであり、均質性を反復的に生み出す社会的諸過程の動態は、心性仮説の権力欲をもった諸個人と平等性規範の衝突という仮説を確認するような観察を媒介としてのみ叙述され得るといい、分配強制と相続の平等といった平準メカニズムを、平等意識として特徴づけられる心性の現象形態として解釈することが重要であるという。相続の平等においては一般的な態度に還元できような一つのメカニズムが問題なのであり、分配強制においては連帯性の規範などに還元可能である。その際、それに対応する諸個人の行為が平準化や差別の阻止に向けられている必要もないので、社会的地位の平等を意識的に目ざした行動から独立しても作用するこの平準化メカニズムとならんで、心性仮説では社会的不平等に対する特別な反動が分節社会の中に存在するかどうかも問題になるという。ジ―クリストによれば、社会的不平等に対する特別な反動としては、お偉方への反動、命令に対する嫌悪,嫉みによる嫌疑とその呪術的投射、反支配運動などがある。
 お偉方に対しては分節社会には両価的な態度があって、この態度は彼等の機能を他集団にたいする代表機能に制限する傾向をもっていて、彼等の優越性は、他集団に対して自集団の威信を高めるはずのものであるが、自集団の内部では、すべての成員の水準より上昇させないように試みるという。一つの分節の代表者が同時に並列する分節の代表者としても承認されようと企てるときには、邪推や嫉みが増大する。平等意識は対等なものの不遜な態度に特に敏感に反応し、外部の人間による不当な扱いよりも、内部の人間による不当な扱いにより我慢ができない。分節社会における支配形成への萌芽の弱さと直接に関係しているのは、進んで服従する心構えの少なさであり、これは、例えば命令に対する嫌悪として現われ、仕事の遂行は親族関係を引き合いに出してのみ要求され得る。富者、権力者、お偉方に対する反作用の中心的動機は嫉みであり、嫉みの感情は呪術的な攻撃に転化され、ジ―クリストによれば、妖術は恵まれた者に対するうまくいかなかった者の攻撃的反応である。社会的不平等が強すぎると感じられるときには、特に老人達の世代の重圧が重苦しく感じられるときには、集団的な防御ならびに追及の反作用が起こり得る。ティヴランドの年齢階梯が存在していた地域では、病気とか死といった不幸が頻発すればホヨを惹き起こし、若い年齢階梯の成員により、ムバツァヴ達には乱暴が加えられ、しばしば死に至ることがあり、権利請求を縮小するように脅され、その際には財産侵害にまで至り、その結果、経済的格差が再び調整された。平準化効果をもったそのような追及行動は呪術的秘密支配に対する反撃の中で、ハーカーのような祭儀的性格を受け取った。ジークリストによれば、支配の拒否は内面化された社会的態度として解釈すべきではなく、平等規範の上に立った方向付けは、主として利他主義的動機付けに起因するのではなく、社会的圧力によって強制されるのであり、傑出するための努力は制裁に対する恐れによって限界付けられる。「私は権力の上に更に権力を求める永久の休みない欲望、死においてのみ止むようなこの欲望を全人類の一般的性向と考える」というホッブスの一般的言明を、すべての人間社会には権力を志向する諸個人が存在するというように理解するならば、社会的平等、そして特殊に無頭制についてのこれまでの説明はホッブスのこの言明に調和するとする。
 社会的圧力としての平等規範は、社会的不平等を前提にした条件的平等性を基盤として存在しているといえよう。個人は誰も支配者・権力者になろうなどという欲望を持っていないのかどうなのかという問題については、もし諸個人には支配者志向・権力者志向があったとしても、その強度については狩猟採集民より分節社会の方が強いということはいえるのではないだろうか。狩猟採集民には支配者志向・権力者志向の強い人間に対する呪術的な攻撃がみられず、老人達に対する攻撃が引き起こされることもないということは、支配者志向・権力者志向がそれだけ弱いということであろう。分節社会でどうして個人の支配欲・権力欲が強まったのかが問題になるわけである。寺嶋秀明はリーにおいて、ブッシュマン社会の政治的レベルにおける平等主義的な社会関係がたいへん強調されており、「平等主義は単に首長などの権力者の不在を意味するだけではなく、すべての人間の本質的平等の主張であり、権力への服従の拒否であり、自分が自分に対する首長なのだという感情である。リーダーはいるが、その影響は微小かつ非直接的である。他人に命令したり要求したりすることではなく、物質的な蓄積も同じキャンプの人々をしのぐどころか、多くの場合はそれ以下でしかない」という言葉を引用している。ブッシュマン社会はホッブスを持ち出すよりは、アナーキーを「各人による各人の統治」と定義したプルードンを持ち出すほうがふさわしいであろう。確かに、上等のナイフをブッシュマンも内心では独占したい気持ちはやまやまかもしれない。しかし、それは他人が持っていないものを持ち、持たないもに優越したいということなのかといえば、少し違うであろう。そこにあるのはおそらくその上等のナイフに対する自分の欲望だけであり、ブッシュマンにおける持っている者と持っていない者との間の不平等は、二人の人間が同時に一つの物を持つことができない、という論理的な意味以上の意味はないように思える。少なくとも、ブッシュマンも内心では独占したいという気持ちはあるかもしれないが、それが所有権につながっていくとは単純に考えられないわけであり、私有権が社会を支配するまで大きくなるには、何か別の契機が作用しなければならないであろう。ムブティでは、自分が採集した蜂蜜を全部他人に与えるということがあったが、人間は独占したいという気持ちだけではなく、積極的に人に何かを与えたいという気持もあるようである。伊藤幹治によれば、互酬性の観念と直接関係なく、ものが一方的に贈られる慣行は、ポリネシアのティコピアではソリ・モリとかソリ・モレと呼ばれ、ナイジェリアの農耕民のイボ族は、社会関係をもつ人びとに贈りものをする義務があると信じているが、これは、いわゆる異人歓待とよばれる慣習で、食物が贈りものの基本になっているという。北アメリカの狩猟採集民パイユート族は、クリスマスやイースター、新年、誕生日に、親族間で食物を主とした贈りものをするが、この贈りものにはお返しが期待されていないといい、また、ナヴァホ族は誕生や卒業、結婚、祭りの機会に贈りものの交換をするが、病気や怪我の見舞いには返済の義務が課せられていないといい、こうした諸民族の慣行は、贈与が本来、返済と範疇を異にしていることを示唆している点で興味をひくという。サーリンズによれば、富が蓄積されても、ほとんど間をおかずに放出されるという事実があれこれの民族のもとで観察されてきたし、実際、富はしばしば贈与が目的で集められているし、また均衡の取れた互酬性とは別に変則的な贈与があって、「その誘因は、主として感情的なもので、愛他的な贈与が与えられている。ここから、ただゆずりたいために、財を手に入れようという欲求が、どうやらおこってくるものらしい」というシャープの言葉を引用している。ただ、このような贈与は親族関係の近さと密接に関係しているようである。
 あるいは逆に分節社会に見られる呪術的な攻撃や長老達への暴力は、実は条件的平等性そのものが弱体化した結果、そのような過激な行動によってしか平等性が維持できなくなったということなら、分節社会における条件的平等性の弱体化がどうして起こったかが問題になる。狩猟採集民における平等は社会の素朴さゆえの原初的平等性ではなく、社会的不平等の存在を前提にした条件的平等性であるとされた。分節社会も社会的不平等と平等性規範の対立する社会といえる。ただ、分節社会は、そこでは平等規範がまだ大きな力を持っいるが、平等性規範にとって不平等性が新たな力として立ち現れだした社会といえる。分節社会における不平等性は、狩猟採集民社会における前提としての社会的不平等とは区別すべき不平等性志向として考えるべきではないだろうか。不平等性に新たな意味・価値が与えられだしているのではないかということである。ジークリストは動態的モデルを利用する理論は、差別化する過程と平準化する過程との間の動的均衡が破られ、前者の過程を利するような変異が生ずる諸条件を分析することができるとするが、重要なことはそのような諸条件がどのようにして生じてきたのか、そのような諸条件を生じさせた条件とは何かを明らかにすることであろう。すべての人間社会には権力を志向する諸個人が存在するとしても、それをどの程度重視すべきなのであろうか。チンパンジーの中にもボスの地位を野心的に求める個体が観察されている。本論的には、そのような野心が抑圧され、平等主義的な傾向へと人類は向かってきたはずであり、その平等化へと向かう傾向こそ重視すべきではないかかということである。そのうえで、何万年あるいは何十万年、何百万年の間人類において権力欲に対し平等主義的な傾向が勝利してきたはずなのに、どうして逆転が起こったのか、平等化へと向かう傾向が源初の肯定性とも結びついていたとするなら、その源初の肯定性を回復しようとする自己放棄の第三段階の中心理念の中に、何故不平等が登場するのかが問題になるわけである。
 分節社会には動的均質性の範疇にはいらない不平等もある。例えば、男女の性別による不平等である。これは男女が交互に優位性を持つということではない。いえることは、例えば労働をとれば、女は何も労働しない社会もあれば、畑仕事も含め殆どの労働が女に押しつけられている社会もあるということである。一夫多妻制も、すべての男がやがては多数の妻を持つわけではないから、動的均質性がいえない。ただ、一夫多妻制はブッシュマンにも広く見られるものであり、そのことが直接中央権威の発生に繋がっていくとはいえないのではないだろうか。鍛冶屋といった技術的専門分化も、動的均質性とはいえないであろう。ジ―クリストは総括的にいえることは、分節社会では手工業的専門分化の発展が弱いために、それによって経済的階層分化が基礎づけられていないということであるというから、手工業的専門家がいたとしても、そのことによって均質仮説が成り立たないような不均質な社会であると分節社会をいうことはできないということであろう。ジ―クリストは分節社会において鍛冶屋は他の男達より経済的にいくらか有利な状態にあるというが、多少の有利さでは、ビックマンや首長に求められる気前のよさに応えるには不十分であろう。

 前本質期は平等性しかない社会ではなく、何らかの不平等性を含んだ社会だったと考えるべきである。ただ、人類社会はその内部に不平等をもたらす個人の利己主義を内在させながらも、基本的には平等へと向かう方向で進化してきたのであり、順位制社会というよりは平等社会として表現されるような社会を形成してきたということもできるわけである。進化の過程で獲得した平等性については、寺嶋秀明は共存のための平等性への要は、生活のあらゆる面に浸透し、さまざまな領域において平等原則が立ち現れるとするが、進化の過程で獲得した平等性が、生存の保障のための平等性だとすれば、基本的には生存―共存領域において生じるもので、生存―共存領域から遠く離れた事柄においても、平等規範が作用するとは限らないわけである。一方、逆にいえばある領域で不平等が生じたとしても、その不平等が生存―共存領域にまで作用してくるということもないはずであり、もしそのような現象がみられるとしたら、やはり人類に何か質的変化があったということであろう。
 平等性については、進化の過程で獲得した平等性の他に、存在即肯定では自己の肯定性の条件としては存在しているということだけが求められているだけであるから、そこには条件をめぐる不平等はなく、存在即肯定から生じる平等性がある。この二つの平等性は異なるものであるとともに、密接な関係性の中にある。進化の過程で獲得した平等性が生存―共存領域において規範的力が成立するとすれば、存在即肯定は源初の肯定性と結びつく領域において平等性を要求するといえるであろう。そして、前本質が生存―共存領域と結びついているなら、源初の肯定性は存在即肯定であると共に前本質の肯定でもあるから、進化の過程で獲得した平等性と存在即肯定から生じる平等性は、源初の肯定性の領域で密接に結びつくわけである。しかし、源初の肯定性は実体的であると共に幻想でもあリ、幻想ということは自己放棄的であるということでもあった。実体性という面では、進化の過程で獲得した平等性と源初の肯定性の平等性は密接不可分であるが、幻想・自己放棄の面では不平等が入り込んでくる余地が出てくるとも考えられるわけである。
 存在即肯定と平等性が密接不可分な関係にある以上、平等性は各人にとっても積極的な意味を持っていたと考えられるし、存在即肯定を志向する限り、平等性は権力欲以上に人間にとって根源的なものだということになる。このような本論の立場は、生物学的にいっても、必ずしも否定されるべき考えではないであろう。進化という立場からいって、平等性は権力欲と同じぐらい、あるいはそれ以上に内面化されていたとしても不思議ではないのではないだろうか。相互扶助が生存に関して単なる順位制社会より、より有利な戦略であったとするなら、各メンバーの平等意識こそ、もっとも相互扶助という戦略を有効に機能させるであろう。もしそうなら、人類は平等性を積極的に志向する存在になってもいいということになる。人類に平等規範が発達するだけではなく、さらにそれを有効に働かせるために、利己性と同じぐらい平等志向の内面化ということが起こってもよさそうなのである。

第四項 未開社会における動的均質性

 寺嶋秀明は一般に非階層社会においても、年齢による社会的差異は事実として存在し、たとえば、東アフリカの牧畜民社会における年令階梯制度があり、そのような年令階梯的システムは男性に限っての話しであるが、システム全体を長期的視野から眺めるならば、みな等しく年令を重ね、それなりの地位につくことができるから、見方によっては平等なシステムであるという。しかし、ある時点におけるある個人の立場から考えるならば、このシステムの平等性は外見的なものでしかなく、フラナガンによれば、当事者の観点からいえば、そのシステムは、性と年令、そして年功に基盤を置く、ヒエラルキカルに組織された一連のカテゴリーによってできあがっていることは紛うことなき事実なのであり、こういった性や年令による差異をどう取り扱い、どのように位置付けるのかは、まだこれからの課題であるという。国家共同体主義において重要なことは差別性と同質性という矛盾する二つの側面が併存差・統合されているということであった。動的均質性は平等性という側面があると同時に、そこには差別性もある。では、動的均質性そのものが国家共同体主義として機能することはないのであろうか。
 動的・可変的・循環的な均質性・平等性は、無頭制社会において年令階梯制度以外にも、妻や子供の数、牛や土地などの財産がある。また、その動的均質性のなかで、牛や土地、妻や子供の数は密接に関係している。ジークリストによれば、息子の多いことは小さな地域分節内での争いにおいて後ろ楯になるし、死後にはより多くの後裔たちによって供犠が彼になされ、彼が一つの単系出自集団の名祖になる機会をより多く与える。子供は本来的富として通用するものであり、子供のない男は同情されることになる。また、子供の数と息子と娘の比率は、彼の裕福さにも関係してくる。息子より娘が多ければ、出て行く婚資より入ってくる婚資のほうが多くなり、息子の方が多ければその逆になる。一方、相続において息子の数が多いということは、分節社会においてはたとえば長子といった一人の息子を優遇するということもないので、息子達にとっては自分の取り分がそれだけ少なくなるということであり、ある男にとって裕福さの象徴でもある子供の数が多いということが、息子達には逆に自分達の貧しさを意味することになる。これらのことは、これといった相続する財産もなく、婚資というよな制度も無い社会においては、子供の数が彼や彼の子供の豊かさに結びつくことは無いから、ある程度豊になった社会にいえることであろう。集団内での紛争についても、例えば狩猟採集民においてはそれを引き起こすこと自体が批判されることであったろうから、集団内の評判の前では味方となる息子の数はあまり意味を持たなかったであろし、息子の数を頼んで相手に勝っても、相手は他の集団に移っていき、その分自分の集団が少数化するだけのことであっただろうから、結局総合的にみれば得したのか損したのか分からない話になっていくともいえる。ジークリストは一夫多妻について、分節社会においては一時的な社会的差異は存在するが、これは世代内ではないにしても世代間では相殺されるという。子供の数については、妻の数と結びつくかぎりではあるが、妻の数が世代間で相殺されるなら、子供の数も相殺されるということになり、やはり何世代の間の動的均質性がいえることになる。
 もっとも、次の世代まで考えれば、財産的には動的均質性が成立するかもしれないが、子供を多く持つ男は子だくさんの男として、子供のない男は子どもを持たなかった男として生涯を終えるであろうから、個々の男だけを取り上げれば、そこに動的均質性は存在していないともいえる。その不平等は直接的なものであり、もし子供の数が多いということが源初の肯定性と結びつくとしても、その不平等性においては、それが他の成員にも源初の肯定性をもたらすという国家共同体主義の働きが成立しないともいえるわけである。しかし、妻の数については少し違ってくる。妻は労働力でもあり、妻が多ければそれだけ多くの生産物を手に入れることができるし、特にアフリカでは一般に酒を造るのは女達の仕事であり、多くの酒を手に入れることができる男はより大きな宴会を催すことができ、またたびたび酒を振舞うことができるので、彼の影響力や政治的威信を高めることができる。そこには酒を振舞う人間と振舞われる人間の両者に利益が生じてくる。
 複数の妻を持つ男がいるからといって、多くの男が独身のまま生涯を終えるというような極端な不平等が生じるわけでもないようである。ジークリストによれば、分節社会では多妻者の割合が高く、また高齢の独身女性が多いにもかかわらず、男性の終身独身者の数は全く微々たるものであるという。独身者は経済的に強制されてそうなるのではなく、素質とか個人的運命によってそうなるのである。アンバ族の一例では、144人の既婚者のうち約三割、47人が多妻者であり、13人が3人の妻を、4人が4人の妻を、1人が7人の妻を持っていた。このように、終身の独身者の数が少ないことと、多妻者が多いことが共存しているのは、離婚率が高いことによって成り立っているという。ブッシュマン社会での数字では、田中二郎によれば、44組の夫婦のうちの約18%、八組が二人の妻がおり、離婚の手続きは簡単で配偶者の一方が他方を残したまま出て行きさえすれば成立するので、かなり高率の離婚率を示すようであり、東アフリカのハッザでは1000離婚年に対して49、アンバ族では31.5であるが、ブッシュマンでも20は越えるのではないかと推定されるという。1949~51までの米国で10.4、1950~52までの英国で2.8であった。共時的一妻多夫は禁止されているが、アンバの女達は高い割合で継時的多夫者である。また、一夫多妻制によって生じる女性の欠乏は、結婚年令の差によって調節される。ヌエル族では娘達は十七、八で結婚するのに男は二十五から三十歳で結婚する。また、ブッシュマンも田中二郎によれば、結婚年齢はヌエル族とほぼ同じで、男が25歳ぐらい、女が18歳ぐらいのときであるという。ただ、ヌエル族では一夫多妻はないわけではないが、アンバ族のように多くはないようである。サーヴィスによれば、ヌエル族でもときおり男は複数の妻を持つが、それは夫が死んで妻子があとに残された場合、一種のレヴィレート婚として、通常死者の弟がその妻に小屋を与え、子供の後見人になる。ただ、それは厳密には結婚ではないので、儀式は行われず、未亡人は死者の妻として、もとの名前を保つ。一夫多妻婚が行われる他の原因は、男性が男の跡とりを残さず死んだ場合である。男の名前はその血統に続かねばならず、万一そうならないと死者の幽霊が怒るとされているので、死者の弟や近親者が死者の名前で妻をむかえるのである。死者の幽霊は法律上の夫とみなされ、子供はその名をつけられる。結婚生活もアンバ族に比べ安定しているようである。結婚の成立まで非常に時間をかけ、多くの段階を踏むが、それははっきり結婚してしまう前に、その結婚が安定したものであるように念には念をいれるからである。妻の家族は、彼女を夫のもとにとどまらせようと極力これつとめる。というのも、夫の家族から支払われた牛を返さなければならないが、支払われた牛は自分だけではなく、親類の所にもいっていて、結婚を解消するということは複雑で困難な問題を生じさせるからである。婚資で得た牛は親類と分け合い、親類の誰かが花嫁の代価を支払わなければならなくなると親類中が寄付する。
 国家共同体主義との関連で無頭制社会の動的均質性が問題になるのは、それが不平等と平等の両方を兼ねそなえているからであった。もっとも、人間の平等が先験的不平等の存在を前提にした条件的平等性であるとすれば、国家共同体主義以前の段階においても、何らかの差異性・区別性があったということになる。また、自己放棄の第二段階を考えても、源初の肯定性の外化としての神的なもの・聖なるものに対して、再定立されたものとしての此岸的・俗的なものがあり、それは社会に聖なる部分を担う部分と、俗なる部分を担う人間との二分化をもたらすかもしれないし、その場合は、聖なるものと結びついた差異化された人間がその社会に存在していたとしても、それだけではその社会が国家共同体主義的社会とはいえないわけである。そういう意味では、国家共同体主義における源初の肯定性を体現する人間は、基本的に俗なる存在でありながら、聖なるものとも結びつく人間でなければならないともいえるかもしれない。その場合、それ以前の社会との相対的関係が問題であり、第二段階の自己放棄の体系の自己崩壊過程の有無が問題になるわけである。さらにいえば、国家共同体主義は一種の法則性・必然性の中で生じるものではなく、様々な動きの中から創出されてくるものであるから、その様々な動きの中で、ここから国家共同体主義社会に突入したなどと確定することはなかなか難しいことであろう。
 問題にしている動的均質性において、妻や子供の数、牛や土地、年齢などは基本的には俗なるものに属しているといえよう。それ故、それらの動的均質性が国家共同体主義を形成していたとするなら、それらが神性・聖性あるいは源初の肯定性と結びつく必要がある。土地などは地母神信仰などと結びつけば、それを所有する人間に神性・聖性を付与することは可能かもしれない。牛については、旧石器時代の洞窟に描かれた動物は異界のいわば聖なる動物であるという説もあるから、牛をそれらの聖なる動物と結びつける回路があれば、聖なる動物として、やはりそれを所有する人間を聖なる存在とするかもしれない。ヌエル族にとって牛は特別な価値をもっていたようである。サーヴィスはヌエル族の話題は家畜のことばかりで、若者の話しも家畜と女の子のことばかりであるが、女の子の話もいきつくところは牛の話になるというエヴァンス=プリチャードの言葉を引用している。サーヴィスによれば、ヌエル族の男は一日中献身的に牛の世話をするが、その間、牛をほめたたえる自作の歌を口ずさみ、夜にはダニをとったり灰で背中をこすったりする他、角をふさ上のもので飾ってやったりする。ただこれらのエピソードからは、ヌエル族にとって牛が特別な価値を持っているとしても、彼らにとって牛が聖なる動物だったのか、その意味で源初の肯定性と結びつくような要素を持っていたのかはよく分からない。またジークリストによると、エヴァンス=プリチャードは彼らの長期的にみれば均斉のとれたものになる家畜所有の分配により、富の不均衡が人々の民主的感情を害することはないといっているという。逆にいえば、多くの牛を所有することがその人物を特別な存在とし、その人物に対する両面的な感情が生じるといった最高権威者的性格を、ヌエル族では牛を多く所有するだけでは持ちえないということになる。土地についても同じようなことが言えるかもしれない。中林伸浩によれば、イスハ人はかつて氏族または大きなリネージはリタラという地理景観と大体において重なる領地を占拠し、地縁的な単位と大体一致していたという。氏族全体はよそからの侵入者に対して一致して防衛したと思われるが、氏族は組合のように結束して土地を管理したり、分配することはなく、土地の利用はリネージあるいはその下にあたる所帯の占有の問題であった。子供数が多ければ、土地は細分化されて相続されるなど、各自が占有する土地の広さにはバラツキがある。しかし、占有する土地をめぐる「ねたみ」はかつてはなかったようである。人々は、土地が次第に不足しはじめたことで、「ねたみ」が生まれたと表現するという。その意味するところは、単に土地が不足するということではなく、登記制度によって土地の所有権が固定化され、かつては一時的所有が前提で、状況が変われば分配しなおされることを予想できたのを、登記による固定化がその期待を裏切ることになり、土地を減らした段階でその状態を固定化されてしまった人々の不満となったと考えられるという。イスハ人において、もともとは土地の広さの違いが関心を引くということはなかったということであろう。牛と違って、土地はその広さに比例して労働量が必要であるから、広すぎる土地は逆に意味がなかったともいえる。
 動的均質性の中で問題になっている事柄の肯定性については、自己放棄の第二段階が崩壊する中で何が起こったかも考えなければならないであろう。彼岸的なものが否定されていき、相対的に此岸的なものが肯定性を帯びていく過程で、それが人類の進化の過程では否定されていくものだとしても、もしその時点で日常的な生活の一部として、すなわち此岸的なもとのして存在していたのだとしたら、日常的なもの・此岸的なもの全てが嵩上げされ、そのようなものも此岸的なものとして一定の嵩上げされた肯定性を帯びていくということもあったかもしれない。第二段階の彼岸性による此岸的なものの否定は、それが此岸的世界のなかで否定的なものか肯定的なものかということとは関係なく、一括して此岸性が否定されるのだといえるから、第二段階から第三段階に向かう過程では、一括して此岸的なものが肯定性を帯びるともいえるわけである。さらにいえば、第三段階に向かう過程では、古い肯定的な此岸的事柄は、すでに第二段階に向かう過程でその肯定性が崩壊していっているのであるから、第三段階に向かう過程では何か新しい此岸性が求められているともいえる。すなわち、第二段階に向かう中で否定化されたもの、前自立期において肯定的であったものによって否定的な立場に置かれていたものが、否定の否定としての肯定としてその新しい此岸的な肯定性として浮かび上がってくるということもありえるのではないだろうか。その意味で、順位制やボスザル的なものが人類進化で否定されていったとしても、第二段階から第三段階に向かう過程で、順位制やボスザルとも関係する個人の影響力とか指導力とか、あるいは複数の妻を持つということが、あくまでも相対的なものであるが、一定の肯定性を帯びてしまうということが起こり得るかもしれないわけである。もっとも動的均質性のもとで不平等をもたらすものは、相対的に肯定性を増したとしても、源初の肯定性との結びつきが弱いことには変わりはない。

第五項 未開社会の不平等における経済の二次性

 ジ―クリストによれば、単系出自集団によって組織される無頭制社会の存在に関して、一定の経済段階と単系出自出自原理としての父系性という二つの必要条件があげられているが、このうち経済段階については、例えばワースリーの仮説では分節的単系出自集団は、地片ないしは畜群などの相続の形をとった生産手段の分配によって成立するとされ、従って野生物獲得民社会には存在しないとされるが、他方では全体としては何らの所有物を持たない大規模の単系出自集団が存在することを説明し得ないのであり、野生物獲得民が分節的単系出自集団を持たないという事実は、この経済段階では避け難い人口密度の希薄さ、特に移動してまわる諸集団の間に横たわる大きな距離によって、もっと簡単に説明できるという。経済段階が狩猟採集民と単系出自集団としての分節的無頭制社会の違いをもたらすわけではないわけである。また、無頭制を生産水準の低さから説明することは再吟味に耐え得ないという。分節社会とルアンダ王国との比較から示されることは、僅かな余剰しか達成できない土着住民も、苛酷な政治的圧力によって強制すれば、農産物を十分なだけ支配者に納めさせることができ、経済的下部構造と政治組織との間には何ら明白な相関関係が存しないということである。
 ジ―クリストによれば、均質性仮説の社会経済的変形の中で最も古いばかりか最も強く認められている理論は、政治的支配の成立を富から説明し、その反対に支配の欠如を経済的平等から導くというものである。この説明図式はマルクス主義的下部構造=上部構造理論によって議論の前景に押し出されはしたが、すでに古典理論家達のところにあったことが証明できるという。ただ、ジ―クリストは自分が知るかぎりでは未だ観察されていないし、稀な場合には、富が中央権威生成の際の決定的要因であったという可能性は除外され得ないとしても、これまで述べてきた様々な考察は、政治的支配を経済的分化から無思慮に導出することを禁じているという。経済力の政治的支配権への変換は、他の種類の内生的支配権創設ほど容易には進行しないし、一人の富者が経済的依存関係を政治的従属関係に改鋳しようとする場合には、正統性の難点は、より強度だとは言わないまでも、少なくとも同じぐらいな程度には存在しているのである。ルーシー・メイアは、伝統的かつ中央集権的なガンダ族において貧富の差がいかに掠奪物、奴隷とか家畜とかの掠奪物の集積に帰因するかを示しており、経済的集積は経済的交換や競争によっては生じえないという。したがって、経済的財貨の示差的分配は経済的行為によってではなく、支配組織への関与によって生じたのである。
サーリンズも、自分も含めて人類学者はこれまで機械的に、首長の出現を余剰生産に起因させてきたが、より単純な社会では経済的なものは必ずしも権威の主要な土台ではなく、世代的な社会地位や個人的属性・資質(神秘的なものから雄弁にいたるまでの)と比べると、政治的に等閑視してもよいとする。そうすると、最初は聖なる存在だったかどうかは別にして、物質的・経済的優位と結びつく王権は後から形成されていったものだということになる。

 もっとも、サーリンズは首長の出現を余剰生産に起因させてはいないが、生産力を増大させるための契機としての首長の出現は考えている。そして、彼にとって真に重要なのは生産力の増大なのである。サーリンズは未開経済の過少生産性を指摘している。世界のいくつかのことなる区域(土着民保護地はのぞく)での、数多くの共同体の調査研究によると、農業システムは、その技術能力よりも下のところで作動しており、アフリカ、東南アジア、南アメリカなど、焼畑耕作民がすんでいる広範囲な区域は、過少開発だと、権威をもって判断できるのであり、未開共同体では労働力もまた過少使用されていることは、多くの民族誌学者の注目をひいたおかげで、資源の過少利用よりもずっとたやくす証拠がそろえられるという。農業経済であれ、前農業経済であれ、未開経済はその可能な経済能力を実現していないし、労働力は過小使用され、テクノロジー手段は完全に利用されず、自然資源は全部とりつくされてはいず、それは未開社会の産出量が低いという単純なことではなく、現存する可能性との関連で生産がなお低いというのである。クゥイクル村には一四五人いるが、これは耕作可能な土地からみた最大限計量可能人口の、わずか七%にすぎないし、その労働時間も四時間ほどにすぎない。
 そして、サーリンズは未開社会の過少生産性に一つの矛盾をみている。サーリンズはこの未開社会の過少生産性を家族制生産様式にむすびつけているが、この家族制生産様式の特性は使用価値生産だということであり、何よりも大事なのは、世帯経済は、自ら決定した目的、つまり生計だけで満足してしまう、本来的に反余剰のシステムだということである。さらにいえば、それは余剰を生み出さないばかりでなく、生活に必要な物さえも満足に生産しないという。家族制経済はみかけのうえでは機能的だが、また同じくらい信頼できないのであり、家族制集団のかなりの部分がきまって生産にくりかえし失敗する。世帯は、規模と構成に大きな落差があり、就労者とそれに依存する多くは子供と老人からなる非生産者の比率が不利な構成になっている世帯は、悲惨な災厄にみまわれやすくなる。 幸運にもずっとバランスのとれている世帯もあるが、どの家族も時の推移につれ、家族の成長サイクルにつれて、この種の変動をこうむらざるをえず、こうして、どんな時にも経済的困難に直面しなければならない一定の家族がまさに存在することとなり、かなりの割合の世帯が、自分たちの普通の生計をたててゆくのに周期的に失敗する、ということが起こってくるわけである。相当程度の家族制経済の失敗をふくめたこの変動こそが、未開経済の構成要件にほかならず、家族制集団が生産を組織しているかぎり、基盤がもろく傷つきやすい。しかしサーリンズによれば、家族制生産様式は、生産が生計に合わせておこなわれているので、この目標地点にたっすると、おのずから停止する傾向をもっているわけであり、使用のための生産構造の内部には、それ自身を乗り越えさせる原動力が何もないのであり、全社会がこの頑固な経済的土台の上に構築されていて、家族制経済が、自らの乗り越えを強制されるのでなければ、全社会は生きのびてはゆけないだろうから、矛盾のうえに構築されているという。もちろん、世帯の必要以上のものを生産する世帯もあるわけであるが、例えばサーリンズが取り上げるマズルー村では、全耕作エーカー面積が、村落必要量をほんのかすかに下廻っていて、いくつかの家族制集団が、正常強度以上に機能すると、他の集団は、正常強度以下しかはたらかず、村落の産出高は、かすかすに負のバランスになるところで留まっているという。
 家族制生産様式は、サーリンズによれば協働的ではないという技術的な理由からだけではなく、信頼できないものであるから乗り越えなければならないものとしてある。そして、より大きな親族制システムこそ、それをうちひしぐ最大の武器であろうという。さらに、メラネシアにひろくみられるような、社会的身分をめぐって競合する、開かれたシステムでは、ビックマンであろうと熱望する人々の野心が、まず経済的発展の堰をきっておとし、労働の強化は、ビックマン熱望者自身とその世帯においてまず出現する。サーリンズによれば、親族制、首長制、その他何であれ、祭礼の儀式といったものまでが、未開社会では、経済力としてあらわれ、経済を強化させるためには、家族をこえた社会構造、生産活動をこえた文化的な上部構造が戦略的に動員される。とりわけ政治が重要であり、ポリネシア社会、とりわけハワイでは、首長の統治の庇護のもとで、旧=辺境地帯まで、その利用と改良を達成したのであり、この過程にしばしば決定的な原動力ともなったのは、近隣首長国のあいだの、慢性的な争いだった。おそらく、この競合こそが、自然の生態系を文化によってなぜあれほどまでにすばらしく逆転させることができたのかを、説明してくれるものだろうという。事実、ポリネシア高地諸島の多くのより貧しい地域では、メラネシアでよりもはるかに集約的に開発がおこなわれていた。未開社会が進化してゆくと、その過程で、それまで家族制経済を主として統制していたのが親族制構造にもとづく形式的な連帯性であったのが、政治的な側面に統制権が移行していき、構造が政治化されるにつれ、とりわけ、首長の支配に集中化されるにつれて、世帯経済は、より大きな社会的大義のために動員されていく。政治形態が生産に波及させるこの推進力は、これまでもしばしば、民族誌的にたしかめられてきたが、未開の長ないし首長は、個人的野心にかられておこなうのだとはいえ、また集団の究極目的をも体現しているのであり、彼は世帯経済の私的目的やちっぽけな自己本位制に対立して、公共の経済原則を人格化するという。共同体の福祉をささえ、共同の活動を組織することで、首長は、この社会の家族制集団がばらばらに構想していてはとても不可能な、集団的な財を創出するにいたるのであり、社会を構成する各世帯という部分を総計したよりも、いっそう大きな公共経済を制度化しているのである。

 サーリンズは未開社会の過少生産性に矛盾を見ているが、それを矛盾とみる見方は正しいのであろうか。確かに、一定の余剰があれば、生存は安定するといえるかもしれない。しかし、サーリンズのように未開社会の過少生産の下では、全社会は生きのびてはゆけないというのは、言い過ぎであろう。マズルー村のように、その生産が絶えず、ほんの僅かであっても全体の必要量を下廻るのが常態とすれば、とっくに人類は絶滅していたであろう。未開社会の過少生産といっても、生存に必要な量は生産していたとみるべきなのである。未開社会にサーリンズのいう過少生産があるということは、前本質期にもそれがいえるということではないだろうか。しかし、それは過少生産や矛盾でも何でもなくて、単にそういうものであり、それで十分だったということであろう。別の言葉でいえば自然な状態だったということである。サーリンズはより慎重に、家族制生産様式というこの経済の深層構造は、自然状態に似ているという言いる方をするが、それはサーリンズ的にいえば、自ら決定した目的である生計だけで満足してしまう状態であり、きわめてつつましい満足の観念が地域的にすぐれて流布していると、労働も資源も、全面的に開発される必要がないからにほかならないということである。サーリンズは未開の農民ばかりでなく狩猟採集民を含めた生産の過少性をいうのであるが、それは人類の長い期間にあってそれは標準的な生産の在り方であって、それを過少生産とするのは後の世の人間の、特に近代ヨーロッパの視点から見た言い方かもしれないわけである。少なくとも、サーリンズが考える生産力の増大が第三段階の中心理念と直接関係するものであるとすれば、生産力を刺激するための契機としての首長のような存在を必要としないであろう。どちらにしても、生産力の増大はビッグマンや首長が出現する以前の社会においては、重要な価値を持っていなかったし、求められてもいなかったということである。それ故、サーリンズにおいて説明されるべきものは、ビッグマンや首長の出現によって生産力が刺激されたということではなく、何故生産力の増大が求められるようになったかであろう。ある変化があって、その変化とともに生産力の増大があったからといって、その変化は生産力を増大させたかもしれないが、生産力を増大させるための変化だったとは限らない。あるいはある目的があって、その手段として生産力の増大があるということもあるであろう。ビックマンは生産力を増大させるのが目的で長時間の労働に励むなわけでなく、それを手段として、それで得た富を元手に気前よくそれを分与し、その結果得られる名声を求めるわけである。ビッグマンを見る限り、彼の目的は社会的名声とでもいえるものであり、過剰な生産はそのための手段としてあくまでもあるように見える。
 マルクス主義の上部産構造・下部構造では下部構造が上部構造を作っていく、発展した生産力が新しい上部構造を作っていくのに対して、サーリンズでは上部構造が下部構造を作っていくとされているといえよう。その意味では、サーリンズは全社会がこの頑固な経済的土台の上に構築されているというのであるが、その場合の土台とは建築における土台と同じものとして理解すべきであろう。建物は土台の上に建てられるが、土台そのものは上に建てようと思う建て物に合うように造られるのであって、土台がまず先にあって、その土台がその上の建物を決定するわけではない。もっとも、マルクス主義でも新しい生産関係のもとで生産力は発展するのであるから、その意味では新しい生産諸関係が生産力を発展させるともいえ、サーリンズとそんなに違ったことをいっているわけではないことになるが、問題は家族制生産様式においてもマルクス主義的には生産力の増大がなければならないのに対して、サーリンズは家族制生産における過少生産とその状態への生産力の停滞を指摘していることである。ただ、サーリンズも、生産力の発展こそ人類にとて最も重要な目的的なものである、あるいは人類における根底的な原動力としていることでは、マルクス主義と違いはない。未開社会における生産についての可能性と現実との間に矛盾を見ようとし、家族制システムが求める家族制生産という土台と、生産諸力の発展との本源的な対立が存在しており、家族制集団によっておこなわれる統制は、生産手段の発展に障害となるとするサーリンズの立場は、生産力の増大に向かう傾向こそ人間の最も根底的なものでるあるとすることからしか出てこないであろう。

 首長制が生産力の増大を目的としていないことは、トロブリアンド諸島における過剰な食料生産が逆説的に示しているのではないだろうか。首飾りと腕飾りという二種類の貴重品が贈与=交換によってそれぞれ反対廻に廻るクラはマリノフスキーの研究で有名となったが、そのクラの輪をつくる幾つかの島々の中で、トロブリアンド諸島は唯一首長制を持つ。マリノフスキー()によれば、トロブリアンド諸島では人々はよき耕作者、よき働き手として勤勉に働き、実際に必要とするより以上に生産し、平作の年でも、食べうる量のおそらく二倍も作るという。マリノフスキーが研究した当時は、生じた余剰はヨーロッパ人によってニュー・ギニアの各地に送られ、そこの農園の労働者の食料とされたが、昔は腐るにまかせたものだったというが、原住民にとって、どんな時でも食物の量の多いことが一番重大であり、それは小屋に貯蔵されたヤム芋が腐るということを考えて愉快に感ずるほどなのだという。人類が目的的に生産力の増大を求めているとしても、そこにみられるのはあまりにも過剰性と結びついた生産力の増大なのではないだろうか。過剰な生産が、何かの手段になっていると考えるべきであろう。有り余って腐るほど生産するトロブリアンド諸島民の心性と対比されるのは、サーリンズの『石器時代の経済学』に見える、政治的野心のある連中をのぞいて、自分たちの当面の個人的必要消費量を見積もって、ちょうどそれを充足させるのに十分なだけタロイモを生産できる才能を誇りにしていたシウアイ族であろう。人類にとって何時の時代も、何よりも生産力の増大が重要だったとすれば、個人的必要消費量に見合った生産を誇りにするような心性は生じようがないのではないだろうか。
 トロブリアンド諸島民は生存に必要な以上の食糧を得るために、その意味では過剰な労働をして、このような余剰をつくりだすのであるが、かれらの過剰労働はそれだけではない。マリノフスキーによれば、あらゆる小石を取りさって、きれいなこざっぱりした畑を作り、みごとで頑丈な垣根を結い、ヤム芋用の強く大きな柱を立てるなど、審美的な目的に、たくさんの時間と労働を捧げるのであり、これらの仕事は、あるていど植物の成育のために必要であるが、原住民が純粋に必要性の限度以上に、良心的にやることは疑いないという。このような労働は、必ずしも生産力の増大を求めた結果生じたとはいえないであろう。マリノフスキーによれば、原住民は食料品を単に栄養源としてみなしているのではなく、またそれが有用であるからといって価値をおくのでもなく、彼らがこれを蓄積するのは、ヤム芋は蓄積されうるし、将来利用されうるからばかりではなく、彼らが食料を所有しているのをみせびらかすのが好きだからである。儀式生活の多くの面で、食物を大々的に展示することがその中心になっているし、収穫時に二つの村のあいだで行われる食物のコンテストは、昔はそのあとで実際に戦争が起こったことがよくあったほどであるという。逆に高位の首長が住む村では、普通の村民の倉庫は、すきまをココナッツの葉でふさいで、首長と競争しないようにしてある。マリノフスキーによれば、トロブリアンド諸島で人々が畑仕事に励むのは、第一に、欲求を満たしたいという願望に導かれて働くのではなくて、伝統の力、義務、呪術信仰、社会的野望、虚栄などの複雑な要因の組合せに導かれて働くのであり、多分に仕事自体のために働き、畑の外観や体裁が美的にみえるようにとずいぶん工夫するのも、それは社的栄誉を手に入れたいからなのである。トロブリアンド島人の心や慣習に、社会的行為としての食事とそれにともなう懇親というようなものは存在しないという。それに代わって、豊富でみごとな食物をみんなで眺め、食物が豊富にあると知って、彼らは社会的に楽しむのである。マリノフスキーによれば、文明人だろうと、人間は他の動物と変わらず、食事を人生の主要な喜びの一つとして楽しむのは当然であり、トロブリアンド島人についても同じことがいえ、原住民の目に食物が価値あるものと映るのは、もちろん、現実には食べる喜びに根ざすこの間接的感情のためである。この価値がさらに、蓄積された食物を一つのシンボルに変え、権力の媒介物とする。そこで、食物を貯蔵したり、展示したりする必要が出てくるのだという。
 ジョルジュ・バランディエも政治的なものの発動力に関し、個人間に身分に応じて存在する境遇の違い、および、集団間に樹立される社会的距離とによって生み出されるエネルギーを用いることによって始めて機能するとし、それは系譜・儀式・経済的性格の不平等によって生み出される潜勢力の差を利用するのであるが、この場合、技術的・経済発展水準のために、経済的不平等よりも系譜的不平等と儀式上の不平等の方がよく使われるとする。バランディエの場合、技術的・経済発展水準が高まるということは、自動的に系譜的・儀式的不平等から経済的不平等に重心が移っていくのか、経済的不平等が中心になるには技術的・経済発展以外にも他の条件も必要なのかが問題になる。技術的・経済発展水準が低いから系譜的不平等と儀式上の不平等がよく使われるのではなく、系譜や儀式が主に使われるのは、例えば系譜では差別化と同時に共同体成員を親族とすることによりその一体性を与えるからであり、儀式も共同体成員の一体性を与えると同時に聖なるものと直接的に結びつくからであるとすれば、単純に技術的・経済発展水準が高まれば自動的に経済的不平等に移行するとはいえないであろう。その為には、本論的には経済発展と聖なるものとの結びつき、経済的不平等に対する共同体成員間の同質性の強化が同時に必要であろう。

引用・参考文献
 『悲しき熱帯』 クロード・レヴィ=ストロース
 『政治の象徴人類学へ向けて』 山口昌男
 『森の狩猟民』 市川光雄
 「ブッシュマンの歴史と現在」 田中二郎 田中二郎編『カラハリ狩猟採集民』
 『ブッシュマン』 田中二郎
 『国家の形成』現代文化人類学3  ローレンス・クレーダー
 『支配の発生』 クリスチアン・ジ―クリスト
 「人はなぜ、平等にこだわるのか」 寺嶋秀明 寺嶋秀明編『平等と不平等をめぐる人類学的研究』
 『砂漠の狩人』 田中二郎
 『贈与交換の人類学』 伊藤幹治
 『民族の世界』 エルマン・R・サーヴィス
 『国家を生きる社会』 中林伸浩
 『西太平洋の遠洋航海者』 ブロニスロー・カスパー・マリノフスキー
 『石器時代の経済学』 マーシャル・D・サーリンズ
 『政治人類学』 ジョルジュ・バランディエ
 (頁先頭)

第三節 最高権威者と源初の肯定性

第一項 神・聖性

 王や首長とは一般成員にとってどういう存在なのであろうか。山口昌男はナイジェリアのジュクン族のある地方首長の支配する村に滞在していたときの情景を短く記している。この首長は、かつては半ば独立した国の長であったが、イスラムを中心に構成されたより上位の行政体系のうちに組み込まれ、弱体化した権力しか行使し得なくなっている村の小宇宙の中心的存在であった。山口は、村の住民達が朝な夕なに首長の邸の前に集まって、首長に頭を土に着けんばかりの姿勢で平伏して恭敬の意を表するのを見て、この人達には、自分に等身大の日常生活を克服するための「中心」の象徴が必要であることを痛感したという。首長や王は住民達を何らかの意味で価値付けるために存在しているともいえるわけである。
 王や首長と源初の肯定性との結びつきは、自己放棄の第二段階の中心理念が神あるいは霊的なものであるとすれば、王や首長の神性・神聖性として現われるであろう。バランディエによれば、アフリカでの諸研究が示すところによると、権力の実体を形容するための諸概念は、単に政治用語に属するだけでなく、宗教用語にも属しているのであって、いずれも神聖なものや例外的なものの領域に帰するものである。ホカートによれば、インドの最も初期の記録であるヴェーダには、聖なる王権の痕跡がないと学者は言っているが、聖なる王権が知られていなかったということにはならず、その中で王は「二重の意味でインドラである。何故なら、彼は貴族であり、供儀を捧げる者であるからである」といわれており、それは一つにはインドラは至上権を表わし、王家の貴族も至上権を表わしているからであり、もう一つの供儀を捧げる者については、供儀者は人間から神へと移行するからであるという。また、ポリネシア人の飲み物であるカヴァの儀礼についても、昔は首長だけが飲んだもので、また神への献酒としてカヴァが使われていて、昔は首長は神であり、この両者はまつたく同じものであった。また、カヴァ儀礼は首長の即位式の主要な要素だったばかりでなく、司祭の即位式にも使われ、司祭たちは神ゆえに尊敬され、首長でもあったという。そこでは神・首長・司祭が一体化している。国家共同体主義からいえば、王が神そのものであるか、あるいは神と人間を媒介する者であるかという違いは、たいした問題とはならないであろう。何故なら、王と神は同じものであり、異なる存在であるからである。王は単なる神ではなく俗人でもなければならない。国家共同体主義が此岸的中心理念であることを考えると、王や首長は基本的には俗なる存在でなければならないともいえるし、俗なる存在として源初の肯定性を体現する者であり、王と神の同一視は王に源初の肯定性をもたらすための方法にすぎないともいえる。それ故、エジプトのファラオのように王が神とされることも、メソポタミアのように神と人間を媒介する神官という形になることもあるわけである。

第二項 二極対立性

 さらにいえば、国家共同体における源初の肯定性の表現は、神や聖なる存在のみによって与えられるとは限らないであろう。源初の肯定性は存在即肯定であり、前本質の肯定であり、前本質が肯定するものの肯定であった。神そのものは存在即肯定との結びつきが強いとしても、前本質の肯定や前本質の肯定するものの肯定は、神の属性として表現されるかもしれないし、前本質の肯定するものの肯定は共同体の法として外化し絶対化するかもしれない。また、源初の肯定性は対立性・二極性・矛盾を通しても表現されるし、自立化した物質・聖物によっても表現される。前本質の肯定は、前本質が肯定するものばかりでなく、否定するものを含めての肯定即ち矛盾を含み、その意味でも対立性・二極性・矛盾性は過渡期と結びつくとともに前本質の肯定に結びつく。王や首長と源初の肯定性との結びつきは幻想であるから、その幻想を維持するためには多重の装置が必要であり、王や首長はそれらの源初の肯定性の表現と複雑に絡み合うであろう。
 実際、対立性・二極性は王や首長とも深く結びついているのである。山口昌男によると、ヨセリン・デ・ヨングはインドネシアの王朝の歴史で繰り返されているモデルと、国の創設者である王や、新たな時代を切り開いた人々の一般的なイメージと結びつけて分析し、また、創設者である王に起こった出来事の構造と、王朝をまったく知らない社会におけるイニシエーションの儀式のあいだに存在する類似を明らかにした。その議論は即位とイニシエーションを結びつけたA・M・ホカートの『王権』を想起させるが、ヨセリン・デ・ヨングによって提示された事例は、さらに興味深い内容を含んでおり、何故なら、それらは儀式および神話的な対立における否定的な要素の、肯定的な役割を扱っているからであるとする。
 王権と源初の肯定性を結びつけるためには、さまざまな装置が必要であり、そのような装置の一つとして王位継承をめぐる空位期間が考えられる。山口昌男によると、王の資格を持つ王子達が王位継承をめぐり内戦を始め、空位期間が無政府状態になるという現象は、アフリカのほとんどすべての伝統的な国々で確認することのできる慣習である。アフリカ東南部のロヴェドウ族では、王が空位のあいだに行われる罪は罰せられることがなかったという。空位期間は年と年の間の正月・新年の祭りの時期と同じような二極性の間の、二極性の交差する期間ということもできる。空位期間そのものが、源初の肯定性と結びつくのであり、この空位期間の内戦で勝利した王子は、この空位期間のもつ源初の肯定性をも獲得した存在ということになる。その期間の犯罪が許されるということは、源初の肯定性は存在即肯定として、あるいは前本質そのものの肯定として、前本質期的社会規範を超えた肯定でもあるのであるから、空位期間は存在即肯定性の表現としてあるということになる。それはまた、王という存在そのものが平等性に対する犯罪なのであるから、その犯罪性を共同体に許容させていく機能とも考えられる。犯罪という社会的規範を超えて肯定的な存在となった王は、その肯定性をもって、平等性への侵犯者としての犯罪性をも超えていくわけである。同じことは、王権としばしば結びついている近親相姦についてもいえるであろう。おそらく、近親相姦は前本質期に起源をもつ禁忌の一つと考えられるが、そのような禁忌を超えた存在としての王は、そのことによって源初の肯定性と結びつくわけである。無頭制的分節社会では近親相姦はしばしば妖術師と結び付けられている。妖術師と正しい呪術師との境界は曖昧で、しばしば正しい呪術師は妖術師の嫌疑をかけられる。そこでは、善悪を超えた一つの力が問題になっているのだともいえよう。存在即肯定としての源初の肯定性あるいは前本質そのものの肯定は、前本質期における社会的規範から生じる善悪を超えた全的肯定性としてあることを考えると、その妖術・呪術の善悪を超えた力は源初の肯定性に通じる力だと考えられる。王は近親相姦を行うことによって、そのような善悪を超えた源初の肯定性と結びついた存在となっているということであろう。

第三項 聖物・神器

 マリノフスキーは、エディンバラ城でみた戴冠式用の宝石とトロブリアンドのクラにおけるヴァイグア(財宝)との間にみられる類似性を述べている。戴冠式用の宝石をはじめ、佩用するにはあまりに貴重で扱いにくい家宝というものは、ただ所有せんがために所有されるという点、およびそれらを所有していることが代々評判であったという点で、トロブリアンドのヴァイグアと同じタイプに属する。家宝とヴァイグアはともに、醜く、ものの役にたたず、現代の標準からいえば無価値であっても、それにまつわる歴史的感傷のゆえに大切にされ貴重なのである。また、戴冠式の宝石と家宝は、それぞれ高位の印であり、富のシンボルであり、昔のヨーロッパでも、数年前のニュー・ギニアでも、身分と富とは相ともなっていた。おもな相違点は、クラの財貨がほんの一時的に所有されたのに、ヨーロッパの宝物が完全な価値をもつためには、永久に所有されねばならないという点であるという。もっとも、トロブリアンド諸島全体で、一つか二つの特別に美しい腕輪と首飾りがあって、家宝として永久に所有されており、これは特別な種類であり、クラから永劫に除外されている。モーリス・ゴドリエによれば交換・流通をめぐっては、聖物と貴重物はまったく逆の性格を持っており、貴重物が贈与・交換されるのに対し、霊ないし神によって氏族の祖先あるいは英雄的創始者に与えられ、代々引き継がれてきた聖物は、贈与・交換不能なものとして存在している。贈与・交換があるためには、それを起点に人間・財・サービスなどの残りのモノが回転し、流通する固定点としての聖物の存在が必要であり、贈与・交換で貴重物が流通しうるのは、ただ聖物の代用だからである。貨幣が支払手段としてないし富として流通するのは、それ自体流通せず、交換の外にあり、交換価値の源泉である聖物と結びつき、正当化されねばならず、そのような聖物の存在をトロプリアンド社会の研究を土台に、モースの中に再発見したのは、アネット・ワイナーの功績であった。
 実用品の中でも、使おう思えば使えるが、あえて使おうとしない物は、ある意味非実用品といえるかもしれない。原人段階のオルドワイⅡ~Ⅳにおいて、使用した跡の少しもない石器が見つかっており、みごとな出来映えで使う気がおこらなかったか、少なくとも誇らしげに見せびらかすのが目的だったのではないかともいわれる。その延長線上に、ロージエリ・オートの使えば折れてしまうであろう本当に実用的ではない石槍があるとすれば、使おう思えば使えるが、あえて使われない実用品と、使っても何の役にも立たない非実用品の間には繋がりもあるのではないだろうか。マリノフスキーによれば、トロブリアンド島人にとって、役にたち、不可欠でさえある物が、手に入れにくいから価値があるのではない。価値のあるものとは、職人が特別にみごとな、あるいは奇妙な素材を見つけ、これに魅せられて不相応に大きな労力を費やして作った品物である。原住民の芸術家は、特別によい材料を見つけると、これに魅せられて、惜しみなく労力をかけ、あまりに優れていて使えないようなもの、しかし、そのためにますます所有したくなるものを作るのである。そしてクラの主たる目的は、「実用性のない品物を交換することに在るのだから、必要に迫られて行うものではない。…結局、これはがんらい装飾用に作られながら、けっして日常の装飾としては用いられない二つの品物を、無限にくりかえして交換することにつきる。」(『西太平洋の遠洋航海者』)という。装飾品自体が非実用的なものだとすれば、クラにおけるヴァイグアは二重に非実用的なものだといえる。クラのヴァイグアのうち、首飾りは実際に使われることは稀だという。また、腕輪の大部分、おそらく九割以上は、小さな少年少女がつけるにも、サイズが小さすぎるという。これはそもそも使おうとても使えない実用品といえよう。それに対し、若干の腕輪はあまりに大きく、貴重であり、十年に一度くらい、きわめて重要な人物が、きわめて壮大な祝祭のときにつける以外は用いられない。また、すべての貝の首飾りは、首につけることができるけれども、そのなかには、やはりあまりに貴重であるとみなされ、終始使うのはもったいないので、ごくまれにしか使われないと思われるものもあるという。これらは、使おうとすれば使えるが、あえて使おうとしない非実用品といえよう。そして、この二つの型の非実用品は、ヴァイグアとして等価であるということは、非実用品という意味での違いはないということである。
 ゴドリエによれば、モースは貨幣観念と呪術観念の結びつきに注目したが、未開社会の研究から貨幣と貴重物、さらには聖物との共通性が明らかとなってきており、貨幣とは商品関係が拡大し、複雑な物々交換形態があまりにも狭い枠内にもはや抑え込めなくなるにつれ、商品交換の中に滑り込んでいった貴重物にほかならならず、富と力を具象化する貴重物は、日々の生存と生活行動では無用なもの、ないし役に立たないものでなければならず、多くの社会や文化で金銀が貨幣の役目を果していることは何ら驚くことではないという。マリノフスキーも、クラの財宝は、正確な狭い意味での儀式用品であり、多くの「儀式用」の宝物――装飾や彫刻のある大きな武器や石器、自家製ないしは工場製の品物で、あまりに装飾的なため実用に向かないもの――の一つに分類できるとする。もっともサーリンズによれば、トンガの首長は貨幣が有用でないがゆえに貨幣に価値を置くことは馬鹿げたこととし、貨幣に対し有用なものどうしの交換、例えばヤムイモと 豚肉やクナトー(樹皮の布)との交換を対比させたという。この場合、あるいはトンガの首長は西欧人の貨幣を貴重物と認識できなかっただけなのかもしれない。貴重物は貴重物どうし、有用物は有用物どうし交換されるという決まりにおいて、貨幣を貴重物から除外すれば、有用物と交換さる貨幣は有用物でなければならないということになり、有用物という視点から貨幣を見ると全く使用価値のない無価値なものとなるわけである。
 未開社会においては物品は聖物と一般物に分けられ、されに細かく見れば、聖物・貴重物・(貨幣)・一般物に階層化されているということができる。それは過渡期においては、日常生活がそのまま肯定的なものであったのに対して、日常性から源初の肯定性が失われ、源初の肯定性が外化することによって、日常生活と源初の肯定性の一体性が崩れ、分離していったことに対応するものであろう。外化した源初の肯定性と人間が分離したように、物も聖物と一般物とに分離していったわけである。このことからも、聖物は日常必需品から区別されたものでなければならないであろうし、日常生活では無用なものでなければならないということもいえるわけである。神は源初の肯定性、特に存在即肯定の外化であるとした。その他に旧石器時代のロージエリ・オート遺跡から出土した実用品とは考えられない石槍や装飾された道具、あるいは装飾品といった、過剰性と結びついて自立化した物質も、源初の肯定性の外化と結び付くのではないかとした。無用で役に立たない貴重物とは、旧石器時代のロージエリ・オートの実用品とは考えられない石槍に結びついていくのかもしれない。そうすると、聖物さらには貴重物は源初の肯定性とも結びつくわけである。
 聖物・貴重物には非実用品とは別に、遠隔地からもたらされる物も聖物・貴重物となる資格があるのではないだろうか。西村正雄は「長距離交易モデル」という論文で、メゾアメリカ、特にパナマの複合社会の研究を、考古学的及び民族史学的に研究してきたメアリー・ヘムズの、長距離交易と複合社会―文化システムとの相互作用に関する議論の要約を紹介している。それによれば、メゾアメリカの首長は、首長自らが活発に長距離交易に従事していたが、こうした活動は厳密に経済的というより、政治―観念的性格を持っていた。彼女の言葉によれば、高いエリートにとって、遠隔地超自然との儀礼的接触をしようとする試みは、長距離交易と本質的に同じ度合いをもつものであり、同じぐらい意義のある活動だったという。従って、首長といった高い位のエリートにとって、単に経済的ばかりでなく観念的領域でもまた首長の影響力の及ぶ範囲を拡大するために、長距離交易を通した奥義的知識の追求はきわめて重要であった。首長たちにとって空間と距離は物理的なものではなく、文化的産物であり、活動、人々、場所、物が外国の異質なものによって意義、価値が与えられていく。この意味で、地理的距離は超自然的距離と相関関係をもってくるのであり、地理的距離は天国と地獄の存在といった宇宙観に従った脈略と解釈により、超自然的領界と結びつき、実際の地理的空間への旅が、観念的な天国、あるいはあの世への魂の旅と結び付けられ、相互関係をもって解釈されてくるという。この意味で地理的距離と旅行、あるいは、異質な物との接触のコントロールは、そのまま、人間による超自然のコントロールとも結びついてくる。だから、交易を通して多くの外の世界、外国人の行動様式、外の世界の条件を経験した者、外の世界の知識を蓄積することが、多くの名誉ある長老、シャーマン、部族リーダー、首長、王といった社会―文化システムの制御にたずさわる者の条件となってくる。遠隔地との交易が超自然的なものとの接触でもあるとすると、当然遠隔地貿易でもたらされる物には超自然的な性質が含まれるということであり、聖物・貴重物的性格を帯びるということにもなるわけである。遠隔地とは死後の世界が現世=生活空間の外化であるように、遠隔地も生活空間の外化としての世界であり、源初の肯定性と結びつく空間なのかもしれない。

 王権はしばしば神器と結びついているが、神器も貴重物・聖物であり、神器は王に原初の肯定性を与えるのだということになる。神と物質の関係を考えると、自己放棄の第二段階から第三段階への移行とともに、神が地上的な性質を帯びてくることから、神は物質化していく傾向があったということがいえるであろう。その意味では神が神像のような偶像や神の依代となる物と結びつくということは、自己放棄の第三段階における神の在り方ともいえるわけである。そうすると、神=神像、神=王とすれば、王=神像ということにもなるわけであるが、王が神像と結びつくということは殆ど見られないのではないだろうか。その代り、王権が神器と結びつく例はしばしば見られる。これは、王は神であるが人間でもある、その意味では神ではないということと関係するのかもしれない。自立化した道具としての物質は、神ではないが神と同じように源初の肯定性の外化したものであり、その点で王と神との関係と同じである。王が神と結びつき、また神器と結びつくことは、王の求められている有様をそのまま表現しているともいえるわけである。
 神器の場合、完全に非実用的な物とはいえない場合がある。日本の天皇の三種の神器は鏡、剣、勾玉であるが、勾玉は装飾品であり、鏡と剣とは神社の奥深くに隠されていてはっきり言えないが、多少の過剰な装飾は見られるとしても剣は実用性のあるものと思われる。ただ、鏡は測量などの道具として使われることがあったかもしれないが、ある意味装飾品と同様のものともみなせるであろう。あるいは、その中に装飾品である勾玉があるということは、剣あるいは鏡も勾玉と同様のものとして意識されているともいえるかもしれない。三種の神器と天皇の神性の関係であるが、それらの鏡や剣や勾玉は神話で神と結びつけられており、鏡は天照大神のご神体ともされるが、天皇はそれらの三種の神器によってというよりは、天照大神の子孫という神話そのものによって神格化されているといえる。もっとも、天照大神の子孫なら誰でも神なのかといえば、天皇だけが神なのである。別の言い方をすれば、天照大神の子孫の中で天皇位についたものが神となるわけであり、その人間が天皇位についていることを示すものが三種の神器を所有していことなわけである。三種の神器を所有する人間が天皇になり、天皇位についたものは神となるとするなら、三種の神器が結果としてその人間を神とするかもしれないが、あくまでも三種の神器そのものが天皇を神にするわけではないわけである。勿論、三種の神器が非実用的な自立化した道具と結びつくなら、それ自身も源初の肯定性を帯びているということになり、外化した源初の肯定性である神と自立化した非実用的な道具と結びつくことによって、天皇は源初の肯定性を体現する存在となるともいえる。

 アヌアク族の村長は、一般の成員とは特権と権能によってはっきり区別され、ジークリストによれば権威の支配要求権は、外面的には服従のしぐさによって最も明瞭にあらわれる。村人は村長の屋敷に入るときは履物を脱ぎ、村長の視野に入っているときは背をかがめた姿勢をとらなくてはならない。村長は太鼓とビーズの紐の神器を持つ。村民に村長への不満が高まると、村長を村から追放する結果となったが、村長が村から出て行くのを拒否すると、彼に残された従者群と反対者となった従者群の間に争いが生じ、反対者達の勝利は太鼓を征服することで決せられた。アヌアク族には村長地域の他に王(貴族)地域というものがある。アヌアク族よってニイイェ(単数ニイニャ)と呼ばれた王の標章の持ち主は、文献では貴族と記されているが、本論では分かりやすくするために王(貴族)と記す。ニイイェの位も神器(ビーズの頸飾りの鎖五個、槍四本、椅子二脚、太鼓一個)の所有に結びついている。ニイイェ称号売買の制度への移行以来、主として,彼らの位が認められている領域がより広いという点で、村長とは区別されるが、村長とニイイェの役割の等価性は、ニイイェが村長を押しのけたこと、村においてニイイェを承認することは大体伝統的権威の排除を意味したことにも表れているという。この位は称号保持者の息子だけが獲得でき、候補者たちは位を獲得するため(以前には維持するためにも)従者群の支持に頼らざるを得ない。この称号については、エヴァンス=プリチャードの滞在当時以前に三つの段階があったといい、第一の段階では、神器は父から彼の息子の一人に伝授され、権威の在職期間は長く、称号保持者の変更頻度は少なかった。第二の段階では、シルック型の範型が実行に移され、神器と王(貴族)の称号をめぐっての争いは弑逆あるいは王位請求者の死をもって決せられた。在職期間は短くなり、ジ―クリストによればこの二つの段階においては、そのつど文化英雄ウキロの子孫である王(貴族)単系出自集団に属する者の一人だけが、この位を所有したので、王位を云々することができるという。第三の段階においては、候補者の負担する危険が減った一方、称号保持者の変更頻度は高まった。争いにおいて殺されたのは従者ばかりとなり、今までの「王」の生命は助かるようになり、しまいには、敵対する従者群間の争いも、戦士的な腕前の単なる表示になってしまい、位の請求者の従者群が充分強力であると思われると、神器が請求者に引き渡された。位の請求者は相変わらず称号保持者だった者の息子でならなければならなかったが、彼は従者群に依存しており、従者群は神器の譲渡のために支払うべき代価の相当の部分を集めた。その結果、同一の領域に何人かのかつての神器保持者と、一人の現在保持者が存在することになったという。
 ジ―クリストの本からは、アヌアク族の王(貴族)が神聖・聖性を帯びた存在だったかはよく分からない。神器であるビーズの頸飾、槍、椅子、太鼓を所持することによて王(貴族)になることができるということだけである。ただ、ジークリストによれば、エヴァンス・プリチャードが、彼のアヌアク論文の終わりごろに示すように、王以前の時代との比較においては、アヌアク族の政治単位がより大きくなったことは、第一に王の神器の認知に存していたのであって、これら神器を得ようと、繰返し新しい候補者が努めたのである。ここにおいて、一政治制度の発生が、政治的あるいはその他の要求に呼応する必然性が何もないことがことに明瞭となり、目的志向的な解釈に反対して、エヴァンス・プリチャードはアヌアク族の王位の自己価値性を強調するといい、「王位は儀礼的義務を伴った官職ではなく、それ自体が儀礼的対象なのである。」というエヴァンス・プリチャードの言葉を引用する。王(貴族)がそれ自体儀礼的対象であるということは、王(貴族)が神性・聖性を帯びた存在ということなのかもしれない。アヌアク族では「聖婚」への萌芽や官職と個人の区別もみられるという。村長の第一夫人は特別の地位であって、彼女は村に属するものであり、村長が村から退去、すなわち村長の座を追われた後も、村にとどまる。これは、あるいは村長の聖性が第一夫人との結婚によっても与えられているということを意味しているのかもしれない。国家共同体主義が最高権威者の神性・聖性を必要とするものだとすると、最高権威者に聖性を付与する第一夫人の地位は、村長という地位を超えた官職ともなりえるわけである。神器とされるビーズの頸飾り、槍、椅子、太鼓と王(貴族)の神性・聖性との関係であるが、村長の場合は太鼓とビーズが神器とされるから、槍と椅子は後から付け加えられたものといえる(あるいは、槍と椅子は村長位に対して王(貴族)位がその上位に位置することを誇示するために付け加えられたのかもしれない)。基本は太鼓とビーズであり、この場合太鼓はビーズと同類のものとみなされていたとすれば、神器は貴重物としてそれを所有する村長あるいは王(貴族)に源初の肯定性を付与していたのかもしれない。アヌアク族の神器の場合、非実用品が神器になるというよりは、神器になることにより非実用品になるという方が当たっているのかもしれない。
 十九世紀の末には王(貴族)たちは貢租納付と引き替えにエチオピア当局から銃を受け取り、この技術的改新によって何人かの王(貴族)は若干の対抗者を駆逐して、以前一人の王(貴族)が制御していた以上に広い支配領域を手に入れた。同時に彼らは鉄砲を贈与することにより、王(貴族)に敵対的だった諸村でも承認を得た。しまいには、一人の王(貴族)は彼の領分においてより大きな権限を貫徹させ、彼の息子を後継者として確保することにより、世襲王国を建設することに成功したという。最もこの発展は、政庁の介入によって1920年代に頓挫した。ただ、アヌアク族は王制・首長制ともいえる社会が必ずしも無頭制社会に対して軍事的優越性を持つとは限らないことも示している。ジ―クリストによれば、アヌアク族はヌエル族の軍事的優越を、鉄砲の輸入をまって初めて帳消しにできたという。

 アヌアク族の南、かつてのウガンダ保護領の西の国境沿いに南北に並ぶ小王国の一つであるアンコーレ王国にもバジェンダンワと呼ばれる太鼓とルタレと呼ばれるビーズで飾ったベールの二つの神器がある。K・オバーグによれば、王はアバヒンダ王朝の始祖であるルヒンダの血を引く故に、また二つの神器を所有している故に、その地位が是認されるという。そして、その血統も神器も半ば神話化されたアバチウェジの王たちの時代以来のものとされ、そのアバチウェジの伝説は王制に神聖さと専制政治の基礎と永続性を付与しているという。アンコーレ王国は支配階級であるバヒマと呼ばれる牛を飼う牧畜民とバイルと呼ばれる農奴階級からなるが、アバチウェジはやはり牧畜民であるがバヒマと違う民族であり、バヒマに似ていたがもっと輝かしい人々であり、さその美しさや豊富な牛の群れ、超人的な武勲や自分自身を見えなくしてしまう能力、また被征服者に対する呵責ない支配等によって伝説的に語られる人々であった。彼らは優れた狩猟者でもあり呪術者でもあり、伝説によれば北から来た少数の征服者であったが、やがて人々の反抗や不運に見舞われ、さらに南下していって遂に湖や火口に消えていったという。伝承ではアバチウェジが去っていくとき、若いアバチウェジの一人ルヒンダと母親は、ムウィルの首長カトゥクの勧めで、王家の太鼓バジェンダンワと共にアンコーレに戻り、バヒマとバイルの支配者としての地位を確立し、アバヒンダ王朝の創立者になった。 アンコーレの王は肉体的・呪術的・宗教的な諸力が授けられており、歌や詩文では「ライオン」、「指導牛」、即位の時に牧草地を喰い外敵からそれを守ることから「アンコーレの土地」、太鼓のごとくその輩下の者の統一を保つことから「太鼓」、月を通じて悪を追い払って部族に幸運をもたらす力を得るので「月」と呼ばれた。「アンコーレの土地」と呼ばれたことから、アンコーレの王はその王国と一体視されていたといえるであろう。そして、王の肉体的な力が衰えると王としての力も衰えると考えられており、病気や老齢で身体が弱まった時には、王は呪術師の用意した毒を飲んで死んだ。王の呪術師のほとんどはバイルであるという。これは王は結局バイルによって殺されるとも考えられるし、王殺しの罪は結局バイルに押し付けられるとも考えられる。あるいは両方の意味が込められているのかもしれない。宗教者としての王は、祖先とエマンドゥウに供物を捧げなければならなかった。アンコーレではアバチウェジは死んだのではなく再び帰ってきて彼らを支配するとかたく信じており、その間もアバチウェジの霊はなおもこの土地を支配しており、エマンドゥウ祭式においてアバチウェジの霊に定期的に供物が捧げられた。アバチウェジであるルヒンダの血を引くアンコーレの王はアバチウェジであり、伝説のアバチウェジは人間でありながら人間を超えた能力を持つ神的な存在ともいえる存在であり、したがってアンコーレの王は神的な存在ということにもなっていくであろう。アバチウェジの霊がアンコーレ王国を支配しているという信仰は、アバチウェジは霊的な存在でもあり、アンコーレの王が神的な存在であるということを補強する装置となっているともいえる。
 アバチウェジの子孫であるということが、アンコーレの王に神格を与えているとして、神器はどうなのであろうか。K・オバーグはルタレにつては単にそのような神器があるということしか述べていないが、太鼓のバジェンダンワについては詳しく記述している。それによれば、バジェンダンワは一つの神的ともいえる存在といえる。王家の囲いの中にはバジェンダンワの社があり、祭壇の上には沢山の太鼓があり、その一部は樹皮の布で覆われている。彼らはこの太鼓が人間のように魂を持っているという事は否定するが、この太鼓は見ることも聞くこともできるし、アンコーレで起こっている事はすべて知っていると言う。バジェンダンワは悪事を行う者を罰し、罪悪に対して復讐するとも信じられている。バジェンダンワは人間や精霊の悪だくみや、この世にあると信じ、様々な前兆やしるしによって人々に現わされると考えている邪悪な力に対して、保護を求めて太鼓に供物を捧げる。バジェンダンワは不妊の婦人に多産をもたらし、結婚に祝福を与える。K・オバーグによれば、このバジェンダンワの神的な性格も、アバチウェジに源をもっている。継承の儀式においては王に任ずるのは太鼓であり、太鼓が最終的な認可を与えるのである。それが王位継承の戦いとはこの王室の太鼓をわが物とするための戦いである。では、バジェンダンワがアンコーレの王を神的な存在にするのであろうか。
 バジェンダンワについては二つのことがいえる。ひとつは、バジェンダンワは王に優越し、さらにいえばバジェンダンワは理想の王なのだということである。もうひとつは、それに対応しているのかもしれないが、国家共同体主義にいえば国家共同体としてのアンコーレ王国はバヒマだけでなくバイルも含むか微妙であるが、理想の王としてのバジェンダンワのもとでの国家共同体にはバイルも含まれことがより明確なことである。
 バジェンダンワの王に対する優越性であるが、K・オバーグによれば、「バジェンダンワはムガベ(王)に似ているが、ただ、もっと偉大なのだ。アンコーレはバジェンダンワの国であり、われわれはバジェンダンワの民なのだ。ムガベ(王)は彼(バジェンダンワ)の召使である」と言われており、一人の王の一時的な性格に対して太鼓の永続性も強調されているという。また、もし他国の王がこの王室の太鼓を手に入れるような事があれば、その王は自動的にアンコーレの王になるのだといわれており、同じアバチウェジに起源をもつ存在であるが、血統より太鼓の方が優越性をもつているのである。さらにK・オバーグによれば、、太鼓は王の理想像の行動を実行するのであり、指導者としての義務を達成するほかに、王は人々を悪から守る呪術的な能力をもっているが、太鼓もまたこの同じ能力をより高い程度に備えているというのである。バジェンダンワが理想の王であるということは、逆にいえば王は太鼓と同一視される存在でもあるということであろう。その意味では、太鼓が神性を持てば王も神性を持つということで、アンコーレの王は太鼓によってもその神性・聖性を与えられているともいえるわけである。
 アンコーレの王は太鼓のごとくその輩下の者の統一を保つことから「太鼓」ともよばれた。この輩下の者とはバヒマのことかもしれないが、太鼓がその統一を保つとは、太鼓には統一された共同体としてのアンコーレ王国そのものと同一視される性格があるということではないだろうか。バジェンダンワは王国のお守りであり、アンコーレにバジェンダンワが存在する限り、この国と人々は栄えるだろうと言われる。K・オバーグによれば、バジェンダンワの祭式はアンコーレの政治組織を統合する役割を果たしたといい、バジェンダンワはアンコーレ統一の抽象的なシンボルではなく、必要な際に人々を助けることのできる具体的な力でもある。太鼓のアンコーレの住民の幸福をもたらす呪術的な力は、個々には他の精霊や呪術的存在によってももたらされるのであり、したがってバジェンダンワの力というものは太鼓が為した事にあるというよりむしろ、太鼓がこれらのことを単独でなし、また部族全体のためにしたという事実にあるという。そして、部族を神秘的な起源に結びつけることによってグループの統一を強調する部族の儀式はアフリカの至る所にみられるが、しかしバジェンダンワによって代表される統一はこうした一般的な性格のものではないという。太鼓の祭式は独特の王の祭式であり、アンコーレに存在した政治的関係の独特の性質を、彼らの伝説的な起源すなわちアバチウェジと関連づけることによって是認しようとするものなのである。バジェンダンワはアバチウェジの太鼓であり、これこそアバチウェジがかつてこの土地に住みアンコーレ王国を築いたことの具体的な証拠なのである。バジェンダンワはアバチウェジを象徴し、アバチウェジはまたアンコーレ王朝に固有の価値と信念とを象徴するのである。ただ、バジェンダンワはあまり重要視されてはいないがルタレと呼ばれるビーズで飾ったベールも神器とされていることは、バジェンダンワもまた装飾品という性格をもっているということであり、アバチウェジに起源をもつというだけではなく、自立化した道具が持つ源初の肯定性とも結びつくことによって、それ自身が聖物でもあったいうことでもあろう。奴隷はこの王室の太鼓に礼拝することは禁じられているが、バジェンダンワはバヒマとバイルに対して公平さを持っていて、平等に祝福をもたらすとされている。牛や食料の供え物はバジェンダンワの社に蓄積され、太鼓の世話係の長が困窮している人の事情を聴取し、その人が援助されるべき正当な理由を有している否かを決定すると、牛を失ったバヒマには牛を、作物の収穫に失敗したバイルには食料というように、その大部分はアンコーレの人々へと還元されていった。バイルは王よりもしばしば太鼓に対して正義を訴えたと言われる。ただ、両者は区別もされており、「バヒマはバジェンダンワの牛であり、バイルはその山羊である」と言われるが、バジェンダンワにおいてバヒマとバイルを含んだ一つの国家共同体が成立しているともいえるのではないだろうか。

引用・参考文献
 『政治の象徴人類学に向けて』 山口昌男
 『政治人類学』 ジョルジュ・バランディエ
 『王権』 A・M・ホカート
 『神話システムとしての王権』 山口昌男
 『西太平洋の遠洋航海者』 ブロニスロー・カスパー・マリノフスキー
 『贈与の謎』 モーリス・ゴドリエ
 「長距離交易モデル」 西村正雄 植木武編著『国家の形成』
 『支配の発生』 クリスチアン・ジ―クリスト
 「ウガンダのアンコーレ王国」 K・オバーグ フォーテス、エヴァンス=プリッチャード編『アフリカの伝統的政治体系』
 (頁先頭)

 

第四節 最高権威者と一般国家共同体成員との同質性

 最高権威者と一般成員との同質性は、一体性と平等性によって与えられるであろう。最高権威者と一般成員の一体性は、両者が同質な存在だから可能であろうし、両者の同質性を端的に示しているともいえる。一体性は論理的には最高権威者と一般人を直接一体化するものと、共同体を媒介にする間接的なもの、すなわち最高権威者と一般成員をそれぞれを共同体と一体化することによって、最高権威者と一般成員の一体性を導く二つの方法が考えられる。最高権威者と一般成員が同質な存在なら、両者の間には同質な存在どうしとして平等性がなければならないであろうし、平等性のもとでは基本的に両者は同質な存在とみなせるであろう。平等性については、直接的な平等性は最高権威者と一般構成員との分離・差別化ということと直接対立するのであるから、何らかの形で間接的に作用していると考えられる。

第一項 最高権威者と国家共同体の一体性

   最高権威者と国家共同体の一体化は、神聖王に最もよく表れている。クレーダーによればシルック族の王は国民を象徴的に統合するもので、王の死はシルック族全体の消滅に関連すると考えられていた。王の身体的な健康状態と王国の福祉とを同一視する考え方は、シルック王制の神秘的価値に由来しており、もし王が弱ければ王国も弱く、王が老衰すれば王国も衰微するので、滅びぬうちに王国を救うために、王は年老いたり病気になる前に殺されたという。もっとも、クレーダーはシルック族の王殺しが国民全体によって行われたことは否定している。シルックでは王個人を王位から区別していたように、王族を国民から区別しており、王殺しは王位を対象にするものではなく、王個人に関するものであったし、国民を対象にするものではなく、王族に関するものであり、したがって王殺しは国民全体を含む規模の儀礼的行為ではなかったというのである。それに対して、新しい王の選出は全首長が参与し、首長を通して全シルック族が参与したという意味で、国家的行事であった。クレーダーは、王殺しはきわめて限られた活動範囲しかもたない王室内の、王位をめぐる内的緊張であり、儀礼的王殺しというのは単なる作り話と考えているようである。しかし、これはクレーダーが国家共同体主義の意味することをまったく捉えることができなかったことによる結論のように思える。クレーダーは、シルック族は高度に発達した一民族としての明確な意識はもっているが、王制に内在する力を現実の世俗的世界を支配するところまで伸ばせなかったことだけが国家への発展を妨げた原因ではなく、経済的基礎も欠けていたのであり、王権はシルック族の統一を象徴するものであり、王位に付随した神秘的性格があるにもかかわらず、象徴的統一は国家の経済的関係や政治的行為にとって、さほどの重要性をもっていなかったとする。クレーダーにおいては、国家にとって経済や統治こそ重要だという立場が窺われるが、それに対して国家共同体主義において重要なことは、経済でも支配・統治でもなく、源初の肯定性に結びつく王が単に存在することである。基本的に統治は王や首長という存在において重要なことではなく、王や首長は神や神聖なる存在として存在すればいいのである。
王殺しが国民全体が参加する行為ではなく、それに対して新しい王の選出が全国民的行事でるあというのは、ことの性質によると考えるべきではないだろうか。王殺しがもし全国民的関心事であるとしても、事の性質上密かに行われるべきものであろう。あるいは、王は他者に殺されたかもしれないが、その意味するところは王が王自身を殺すということだったのかもしれない。もしそうなら、王が自己自身を殺せないとすれば、王を殺すのは王族以外にはありえないであろう。国家共同体主義からいえば、その目的は共同体成員を神=源初の肯定性とすることであるから、国民が王を殺すのは神=源初の肯定性である国民の自己否定ということになり、国民が王を殺すのはその目的と反することとしてありえないことであろう。老衰した自己を殺すのは王自身の責任であり、それを王族が代行しているということかもしれない。王殺しと新しい王の選出が一体的なものであるとすれば、一方を王族内の事とし、他方を全国民的な事とすることはできないであろう。国家共同体主義的に考えれば、年老いた王はその力の衰えとともに、その源初の肯定性も失うのであり、その王殺しは王そのものを殺すというよりは、王の老化とともに生ずる源初の肯定性喪失を否定するという積極的な意味があると考えられる。いわばそれは否定の否定であり、その結果肯定が生じるとすれば、それが新しい王の即位ということであろう。
 ホカートによれば、バビロニア人は王の公正さが繁栄の原因になると信じていたし、ホメロスは王の臣下の繁栄は彼が正義を行った結果であることを強調しているという。ホカートが想定する戴冠式の数多くの儀礼の中においても、王は正しく統治するように戒められ、彼はそうすることを約束する。ホカートは、このような部族の存続や幸福が王に依存しているのは、フレイザーの言う神聖王の範疇に属しているという。王と正義が結びつくのは、王とその王国が一体化していることの間接的な表現といえる。さらにホカートによれば、王が正義と結びつくのは、王は神とりわけ太陽王であることから、王の奇跡的力が生じ、その力が正義と密接に結びついているからである。ただ、フィジーでも島が繁栄しているのは、首長が臣下に労働を課する権利と初穂を受ける権利を放棄したからだと信じられていたが、正義による統治の痕跡は太平洋ではかすかにしか見られないという。ホカートによれば、これは不思議なことではなく、そもそもそこでは王は統治する存在ではなく、従って正義とも無関係で、国家的な儀礼を指導するだけの存在、フィジー人なら「王はただいるだけ」だけと言うであろう存在なのである。そのただ存在しているだけの王とは、善悪を超えた存在として存在しているだけなわけであり、源初の肯定性は善悪を超えた肯定性でもあった。ホカートによれば、自分の手では何もせず、ただ単に存在するだけで離れた所から自分の環境に力を及ぼす、そういういわば太陽の如き人物を考え出したことは、人類の歴史の中でももっとも重要なことの一つであり、「それは統治者の発明したものに他ならない。太陽=人間という教義が君主制に与えた形態の科学的な正当性がいまだに見出せないなら、これらの形態とそれらの驚くべき生命力の異常なる存続自体が、責められるべきはむしろその原因を解明できぬわれわれの道徳科学の未熟さであり、また君主制にはわれわれがいまだに理解できぬ心理学的価値があることを示唆している」(『王権』)のである。国家共同体主義的にいえば、王は神として存在していればいいのであって、そのことが国家共同体の中では共同体成員をも神とするのである。王の正義により家畜が増え、収穫も豊かになるという考えは、この神としての王の存在そのものが人々を神とするという国家共同体主義が、より身近な例に転化して表現されていると考えるべきであろう。

 最高権威者と国家共同体の一体視が最高権威者と一般構成員の一体性を意味するためには、他方では一般構成員と国家共同体の一体化もなければならない。共同体はその成員なしには成立しないし、一般成員を排除した共同体など成り立たないのであるから、一般成員と共同体の一体性は既に前提として成立しているともいえるが、共同体成員と共同体の一体性は祭りにおいて特に強調されているともいえるであろう。祭りはさらに一般人と首長の一体性が強調される場でもある。サーリンズは、ティコピアの一首長が催す祭りであるアナに参加する人は誰でも、さしあたり個人的な利害や家族の利害をすてて、共同体全体の立場にたって、ともに協力しなければならず、別のときにはお互いに非難したり、中傷したりして対立している、首長たちとその氏族の人々が、こうした祭りでは、一緒になって集うのであり、見たところ、ここでは皆、とても仲よく集っているという。さらにサーリンズによれば、こうした意図的行為は、いっそうひろい社会的な目的達成にも役立っており、すべての人々、あるいはほとんどすべての人々が、知ってか知らずか、この目的を促進しようとする方向では一致している。例えば、アナに出席したり、寄付して経済的に参加することは、事実上ティコピアの権威システムの支持に力を貸していることになるという、ファースの言葉をとりあげている。またサーア族においても、小規模な再分配システムという型で一般化された相互性の原則がみられるが、立派な首長と庶民はお互いに相互依存しあっていると考えられており、だから祭りを催して、当地に栄誉をもたらすような首長は、人々から愛されているという。祭りの場においては首長も一般人も同じ共同体に属するということが強調されているともいえるが、これもまた首長と一般人を共同体と結びつけ、それを媒介にして首長と一般人の一体化が図られているということができるであろう。
 最高権威者と国家共同体の一体性とそれを通じた最高権威者と一般民衆の一体性は、対外関係においてよく現れる。タレンシ族には称号首長であるナーバと土地の主であるテンダーナが存在するが、両者は支配の役割を何らもっていないが、最も重要な政治的機能は、リニージないしは居住集団を対外的に代表することであった。ジークリストによれば、お偉方に対しては分節社会には両価的な態度があって、この態度は彼等の機能を代表機能に制限する傾向をもっていた。自集団の内部では人々は代表者を狭い集団のすべての成員の水準より上昇させないように試みるが、彼等の優越性は他集団に対して自集団の威信を高めるはずのものなのである。対外関係の中で、最高権威者と一般成員は一体化するのだといえよう。
 王と一般人と賤民の関係では、しばしば賤民的な立場の人間が王ときわめて近い存在とされるのであるが、賤民が国家共同体の成員とみなされていない場合には、王は賤民がそうであるように、国家共同体やその成員とも異質な存在ということになる。王や首長は一般成員と同質な存在であると同時に差別化された存在でもあるから、一方では賤民と王の近親関係ということもありえるわけである。その場合、賤民が共同体の成員でないにもかかわらず、国家共同体内部に属しているという両義的性格が、王の源初の肯定性としての王と結びつきやすいということもあるかもしれない。

第二項 王の下での人々の聖化

 国王の結婚と即位式の間には密接な関係があるとホカートはいうが、さらに彼が扱った地域の結婚式のもっとも顕著な特徴は、花嫁と花婿に国王のような地位が与えられるということであるという。花嫁と花婿の王的な地位は、インドほどはっきりと現れている所は何処にもなく、インド人は若い夫婦を神と女神だと主張するし、さらに王よりも更に完全に神となるといい、「マライの結婚式では、もっとも貧しい階級どうしの場合でさえ、結婚で結ばれる二つの集団は王族として、すなわち聖なる人間として扱われる。」というW・W・スキートの言葉も引用している。すなわち、王が神であるとは彼の妻も神であり、さらにはすべての夫婦が神であり、子供も神であるということになる。
 首長と成員の同質性は、ポリネシアのように首長と一般人がしばしば親族とみなされていることによっても与えられていおり、そこにおける地位の差は、首長は始祖の長男の系統とされるように、系譜上の位置によって与えられる。同じ始祖の子孫である以上、首長が神なら他の成員も当然神となる。ただ、国家共同体主義においては首長と一般成員は差別されるべき関係にもあるから、首長の神性はより強調されていても当然である。マリオ族では家族において長兄の血筋にあたるものは、その分家にとっては父親である。本家の長子はアリキとなり、アリキは全家族の主であり、すべての祖先の霊を体現しており、祖先と話ができるとされる。首長も一般民衆も親族の紐帯によって結ばれているということは、一種の過剰性であり、その過剰性が差別的分裂に耐ええる共同性をもたらしているといえるであろう。
 アフリカのモシ王国は騎馬戦士を中心とした武力支配国家で、その王は神聖王とはいえないが、その王権に聖なる性格がないわけでもない。川田順造によれば、モシ王国には「人々がナームだ」という諺がある。モシにおいて王の優越原理が、被支配者たちにも承認された形で概念化されたもの、つまり王権は「ナーム」と「パンガ」という二種類の言葉で表わされる。新しく即位した王は、ナーム・ティーボ(王権の象徴物)を先王から受け継ぎ、先住民の長老である土地の主による認証を含む一定の儀礼上の手続きを済ませることによって、ナームを「食べる」、つまり身につける。ナームは、その王朝の合法的な王であること、正統性を表わしているが、万物の根源的な原理であり、太陽も同じ言葉で呼ばれ、日本語で「神」とでも訳せる「ウェンデ」と重ね合わせて考えられており、ナームはいわば世界を支配する秩序を支える力であるという。それに対して「パンガ」は実質的に王が具えている力、より具体的には武力であり、暴力とされる。モシ王国の王は、その起源伝承からしても、また王を支える諸役の構成、王をめぐる儀礼などからしても、軍事支配者、経済的優位者、社会内紛争の調停者など「現実的」首長としての性格が強く、アフリカの諸王のなかでは聖性、いわゆる「聖なる王」の性格が希薄であるが、それでも王の「ナーム」は「ウェンデ」と重ね合わされ絶対視されているという。さらに、ナームを身につけた者が「ナーバ」であるが、その言葉は王を含む首長一般を指す言葉であり、「ナーバはウェンデだ」というナーバの絶対視は、モシ語のさまざまな日常表現にみられる。王は即位儀礼などを通じて特別に聖別された存在といえるが、「人々がナームだ」という諺は、文字通り理解するなら、聖別された王と一般人を同等視していることになるわけであり、王がナームであることによって人々もナームたりえるともいえるわけである。ただ、川田順造はこれを「治められる人々がいて、ナームが成り立つ」「民あってのナーム」という意味に解釈しているが、その場合は国家共同体主義的な意味はないということになる。

第三項 平等性と首長制

 平等性については、そもそもビッグマンや首長という存在が、平等原理が作用する中で成立していることが指摘されている。サーリンズによれば、ランク序列が完全に確立された共同体では、すでに公認の構造が、一般化された相互性を強要するが、ランクとリーダー制が完全にはまだ完成されていない多数の社会では、相互性が多かれ少なかれランクそのものの形成者として作動する。贈与は返済されねばならず、負債となり、解消されるまで、まきこまれた個人間の関係は、不均衡の状態におかれている。気前のよい人は一方的に尊敬がはらわれ、追従関係をつくりだす。メラネシアのビッグマンや平原アメリカ原住民のチーフが、個人的に配下を集め、名声の頂点にのぼっていく過程は、真の共感とはいわないまでも、一般化された相互性が多かれ少なかれ、起動装置として機能するという。サーリンズはさらに、一般化された相互性が、さまざまの仕方でこの共同体のランク序列と連動しており、首長制の経済を別の互換活動の用語である再分配として特徴づけている。そして、ではいったいいつ相互性が再分配に道を譲るのかという疑問がおこってくるが、首長による再分配は、親族制=ランクにもとづく相互性と、原則的に違ったものではないから、この問いは誤解をまねきやすいという。再分配は、むしろ相互性の原理、高度に組織化された形態での相互性の原理に基礎をおいているのであり、首長による再分配とは、親族制のランクにもとづく相互性が集中的、公的に組織化されたもの、リーダー制の権利と義務がひろく社会的に統合されたものに他ならない。ランクにもとづく相互性と首長による再分配システムを、集中化過程における形態的差異として特徴づけることが、明らかに分別ある仕方であり、こうして、進化論的な問題も解けるとする。親族制のランクにもとづく相互性が公的、政治的な布置に従属し、媒介的な職分の制で特異化したところでは、相互性はこれまでとは異なる性格にかかわるのであり、この別個の性格を首長制再分配と名づけるなら、相互性の組織化の決定的段階として認めることができる。さらに、首長制再分配経済における、祭式の時など特別な機会以外はごく些細な富財を転がしつづけているにすぎない首長制もあれば、他方では莫大な蓄積とそれに劣らず莫大な施し物、ときには平民から搾り取った大規模な蓄蔵を手中にして、威光をとどかせている首長もあるという別の構造、異なった中心性の問題があり、首長制再分配が広大な、分散し、分離化された政治体制のなかで行われると、古典古代の貯蔵経済にも似た、高度の中心性と遭遇することになるという。一般化された相互性とは、平等性とも深く結びついているから、ランク制・首長制は平等性を下敷きにして成立していくものだといえるわけである。平等性の中で差異化されたのが最高権威者であるとするなら、最高権威者と一般成員の間には差異性があると同時に、平等性もあるわけである。

引用・参考文献
 『国家の形成』現代文化人類学3 ローレンス・クレーダー
 『王権』 A・M・ホカート
 『石器時代の経済学』 マーシャル・D・サーリンズ
 『アフリカの声』 川田順造
 (頁先頭)

 

第五節 即位式と成人式儀礼

 ホカ―トによれば、世界の各地で王とは神(太陽神)であり、即位式は王になる儀礼であるとともに、王になる人間が神になる儀礼でもあった。ところで、エリアーデによれば、オーストラリアのウィラドジュリ族の成人儀礼において、太陽は創造神の息子で人間に恵みを与えるグロゴラガリー自身であるとみなされ、成人儀礼のドラマは、創造神の息子である太陽英雄グロゴラガリーに、志願者を同化させるものであるとされた。ホカート自身も、東南オーストラリアのクルナイ族の成人儀礼から、新成人が神であるということを導き出している。そこでは王という最高権威者のみが神とみなされるのではなく、すくなくとも成人の男はすべて神とみなされているといえる。
 ホカートは王の即位式とイニシエーションには多くの共通点があり、即位式とイニシエーションは同一範疇の変種であり、即位式からイニシエーションが生じてきたとする。ホカートのいうように即位式からイニシエーションが生じてきたのだとすると、国家共同体主義は最終的には共同体成員全体を神とすることであるから、即位式から生じてきた成人式儀礼において新成人の男が神となり、すでに神と一体化している成人の男の仲間入りしたとしても、そこには国家共同体主義にとってそんなに問題はないかもしれない。しかし、逆にイニシエーションから即位式が生じてきたとすれば問題が生じてくる。成人儀礼において少なくとも成人の男全体は神となっているのに、その後何故王のみ一人神とされなければならないのかという問題である。さらにクルナイ族については、 エリアーデの『生と再生』には首長とか族長という言葉が出てくるので、首長がいるのに何故成人式儀礼でも新成人が神とされるのかという問題もある。ウィラドジュリ族に首長がいたのかどうかわからないが、エリアーデはオーストラリアの成人式では一般に主催部族の首長が使者を他部族の首長に派遣して、儀典執行の決定を伝える(『死と再生』)というので、ウィラドジュリ族も首長制社会なのかもしれない。
 即位式からイニシエーションが生じてきたのか、イニシエーションから即位式が生じてきたのかということであるが、もし即位式からイニシエーションが生じてきたのだとすると、イニシエーション儀礼がある未開社会は、同時に王制あるいは首長制も受け入れるのではないだろうか。王の即位式は王がまず在っての儀式であるから、そこから王を切り離して即位式だけを受け入れるというのは難しい作業であろう。王や首長が存在せず、人間を神とするイニシエーション儀礼がある社会があれば、事実はホカートの主張とは逆という可能性が大きいといえる。ニューギニアのバルヤ族は、モーリス・ゴドリエによれば、トロブリアンドでのような最高族長も、メルバ族でのような富と女性を蓄積し、ポトラッチ型の贈与と反対贈与を用いて競い合うビクッグマンといった中央権威も無い社会であるが、アプムヴェナンガロつまりグレートマンと呼ばれる他よりも重要な人物をもつ。その重要人物は男性ないしシャーマンのイニシエーションの指導者のようにその権威を相続する者と、大戦士・ヒクイドリの大狩人・偉大な農耕者・最良の製塩者のように功績による者がいる。前者は常にある氏族の者であるのに対し、後者はどの氏族に属していてもなれた。イニシエーション儀礼の指導者はクワイマトニエと呼ばれる聖物を保持しており、儀礼の指導者はそれを天空の太陽に掲げた後、それで新成人の胸を叩いて、その聖物の持つ力を新成人の身体に浸透させる。太陽に掲げられるということは、新成人が獲得するクワイマトニエの力とは太陽の力なのだと言えよう。クワイマトニエの中には太陽や月から先祖に与えられたものがあり、その時指導者は、女性が知らない太陽の秘密の名前と、クワイマトニエと共に伝わった呪文を無言で唱える。オーストラリアの成人儀礼ほど明確ではないが、バルヤ族の成人式も太陽から与えられた聖物を使って、新成人を太陽神にする儀礼だと理解できるし、それは首長制以前の成人式におけることであり、バルヤ族の例はイニシエーションから即位式が生じてきた可能性を示しているともいえよう。バルヤ族においても、この成人儀礼は女子供には秘密にされている。さらに一般人には秘密にされていることがあり、太陽と月の関係も誰もが知っている関係では太陽が男性、月がその妻とされているが、イニシエーションの指導者と大シャーマンしか知らない秘儀的な伝承では、月は太陽の弟とされている。

 オーストラリアの原住民やバルヤ族の成人儀礼と王の即位式の違いとして、成人儀礼においては成人男子のすべてが神とされるのに対して、即位式では神になるのは王一人であるということがあった。しかし、ホカートによれば、即位式において別の形で神になる人間の範囲が拡大されている。戴冠式において女王が王とともに聖別されるというのである。即ち、王が神になるということは女王も神になるということであり、王=神=空=エーテル=精神=魂であるのに対して、女王=女神=大地=物質=肉体という関係にあるという。成人儀礼では一般に神と同一視されるのは成人の男だけで女子供は排除されており、成人儀礼も女子供には秘密にされているが、即位式では女性もまた神になるわけである。さらには、バビロニアの古代の王たちは自らを母なる女神の夫であると主張し、国王はそれ故女神の彫像と結婚したし、またギリシャのオデッセイの物語などからも男は女王なしには王にはなれず、古代インドでは王は女王ぬきにしては聖職に就くことはできなかったのではないかという。 成人儀礼において女子供が一つの集団として排除されていたことを考えると、国家共同体主義では王が神であることによって、共同体成員すべてが神になるということでもあるわけであり、そこにイニシエーションから即位式への発展があるともいえる。また、成人男子だけが神となることと、全共同体成員が神となることでは、単なる量的拡大ではなく質的変化があるともいえる。成人式儀礼を考えると、いえることは神になるのは成人男性だけであり、また神になる場所は生活空間の外部においてである。すなわち、成人男性が神になるといっても、それは彼岸においてであり、あくまでも外化された神としてであるともいえる。成人式儀礼で行われることが秘密にされるということは、結局生活空間=此岸においては人間は神ではないということであろう。それに対して、国家共同体主義においては人間が神になるのは生活空間=国家共同体内部においてであり、それは此岸において人間が神ななるということなわけである。また成人式儀礼を自己放棄の弁証法的展開で考えると、彼岸であれ男が神となり、女が神になれないとすると、それは女が再定立された源初の肯定性を意味し、男が神となるということは彼岸的基本理念の段階における前段階の基本理念である此岸的源初の肯定性の否定という意味を持っているということであろう。女あるいは子供は源初の肯定性の象徴であり、それ故国家共同体主義においては王は女王抜きには王や聖職につけないということにもなるし、女神の夫であることが必要だったともいえるわけである。それは王が神であるということが、国家共同体成員全員が神になることであり、そして国家共同体成員が神であるということが成員に源初の肯定性をもたらすことを保証するということにもなるわけである。

 もっとも、話はそう簡単でもない。男だけでなく女の成人式もあり、エリアーデによれば、①男の成人式ほどには広く分布してはいない、②男の成人式ほど発達していない、③成女式は初潮とともに始まるという事実から個人的なものである。そして、女の成人式もその教育は一般的なものだが、エッセンスは宗教的なものであり、女たちの聖性を啓示することであるという。男と女の成人儀礼は社会からの隔離を伴うが、男と女では社会との関わり方が少し違うようである。エリアーデによれば、女の成人儀礼において隔離と同じぐらい本質的なものは、この過程を終了する祭儀である。北部オーストラリアの沿岸部族では、小屋に一人置かれた少女は、最後に白い顔料で彩色され、濃厚に飾り立てられ、全女性が護衛して儀礼的沐浴のために新鮮な水の流れか礁湖に連れて行き、沐浴を済ませると、大喝采のうちに基地のキャンプへの行列の中に入れられる。本質的儀礼はその娘を社会全体におごそかに披露することであり、それは秘儀の完了したことを儀式的に宣告することである。それは聖の現存を宣告し、聖の出現の奇蹟を歓呼をもって迎えることであり、この聖女式をうけた少女を儀式的に公衆に紹介することは、この儀式のもっとも古い段階を表わしているのではないかという。隔離期間中、修練者は歌と踊り、それに女性特有の特技、ことに紡織のわざを習得する。紡織技術の象徴するところは非常に重要であり、文化の窮極面で、それは宇宙原理にまで高められる。ただ、それは男の成人儀礼ほど社会に秘密にされていることではない。紡織は一種の秘儀として一定の家だけで、一定の期間、一定の時間までに行われるかもしれないが、それはある意味では男にも開放された空間であり、娘たちはある種の婚前性交を若者と糸つむぎに集まっている小屋で行う。エリアーデによれば、それもまた偉大なる秘儀で、生命と豊穣の源泉にあずかることであり、女性の聖化とみなすことができるという。
 男女の成人式儀礼があり、そのどちらにおいても、男も女も神と同一化・聖化するということもあるかもしれないわけである。その場合、成人式儀礼によって男女が神となることと、国家共同体主義によって共同体成員が神になることとの間には、子供が除かれるか含まれるかというだけの違いであって、量的にはたいして違いはないともいえるわけである。もっとも、子供が除外されるということは大きな違いを生じさせるともいえるが、そうでなければ、成人式儀礼で男女が神になるのだから、わざわざ国家共同体主義を創出することもないということになるわけである。もちろん、女の成人式儀礼がない共同体においては、国家共同体主義の創出は意味があるし、そのような共同体の方が多いともいえる。また、男女がその成人式儀礼で神になるとしても、そこに違いがあるということも考えられる。例えば、男の成人式儀礼とそこにおいて男が神になることは女たちには秘密にされなければならないのが普通といえるが、女の成人式はエリアーデによれば社会に開放されているといえる。そして、王の即位式もその中に秘儀的な部分があるとしても、王が神であることは社会に開放されたものとしてあるといえる。自己放棄の第三段階の中心理念が源初の肯定性の回復をもたらすものとされる以上、そこに男女の区別があってはならないだけではなく、源初の肯定性が回復されていることこそが主張されなければならないことなのだから、社会的に隠されたものであってはいけないであろう。

 ブッシュマンのグイにも男女の成人式がある。男性の成人式では魔神ともいえるガマとの接触が重要な意味を持っていたが、それは新成人をガマに同化することではない。それに対し、女性の成人式にはガマとの同化があるといえるかもしれない。すくなくとも、グイの女性にはガマと同一化される側面がある。ブッシュマンのグイでも男の成人式儀礼は女に秘密にされ、教えると殺すと脅かされる。それに対し、女の成人儀礼は初潮儀礼ともいえるものであり、それは個人的な契機によって行われるが、制度としては男の成人儀礼より社会的な制度となっていて、女の成人儀礼の方が、男の成人儀礼より盛大である。男の成人儀礼はそれを通過することによって子供が大人の一員として認められていくといったものでもなく、またすべての男が参加するわけでもない。今村薫によると、聞き取り調査した年輩男性19人のうち参加したのは11人で、半数を少し超える人数でしかない。参加しなかったからといって社会生活に不都合が生じるわけではない。
グイの女の成人儀礼は初潮とともに行われる。その意味では、何人かの青年を集めて行う男の成人儀礼とは違って個人的なものであるが、男の成人儀礼に半数強の青年しか参加しないことからいえば、はるかに社会的な制度といえる。それは近隣のキャンプの女も参加する大掛かりなものである。少女も小屋に隔離されるという意味では、初潮儀礼も彼岸的なものといえるが、男の儀礼地が日常生活のキャンプから離れているのに対してキャンプ付近に作られるということは、男と比べれば日常空間に含まれた此岸的なものともいえる。少女が小屋を出るのが朝で満月のころが望ましいとされるのにたいして、男の成人儀礼が終わるのは夕方で新月からはじまり次の新月まで続くのも、男女の成人儀礼が対極的に捉えられていることを示している。また、グイの男が成人儀礼のガマとの接触儀礼で矛盾葛藤状態に置かれるのに対して、グイの女は彼岸的でもあり此岸的でもあるという儀礼小屋の中で、対極性・矛盾性の中に置かれるわけである。また、男の成人儀礼が女を排除したものであるのに対して、初潮儀礼は必ずしも男を排除したものではない。というよりも、ブッシュマンの少女たちには親などが決めた許嫁がいることも多く、かつては少女が小屋に籠っている間に結婚式があげられたという。
 このグイの成人儀礼と結婚式の結びつきは、ホカートが王の即位式には女王との結婚式が組み込まれていることを指摘していることからも興味深い。王の戴冠式では、ホカートは王が玉座に坐った後に太陽が登るのを真似て、儀礼的に散歩進こと、即位式の最後に自分の住居を回り、臣下から忠誠の誓いを受けることをあげているが、グイの初潮儀礼でも小屋を出ると、少女は若い女性に手を引かれてもこの日のために集まってきた女性たちの間を通って、頼りなげに小屋から三方に歩く。生れてはじめて行うかのように歩き、翌日、少女は女性たちに連れられて人々の小屋を訪問する。
 初潮儀礼の中で少女が直接ガマと直面させられるということはないし、少女と神の一体性といったことが強調されることもないようである。ただ、男が強制的に矛盾葛藤状態に置かれるのに対して、少女は単に小屋に籠るだけであるが、その小屋自身に対極・対立性がいえるということは、その小屋に籠る少女の状態は、ある意味過渡期の中の人間の状態に近いといえる。また、初潮儀礼がガマとまったく無関係でもない。菅原和孝によれば、グイやガナにおいてツォイ(呪詛)や殆ど同じものとされるキマは、その力を持つのは女性だけで、男のそれは役立たずで何の効力ももたない。それらが力を持つのはガマが同意するからであり、そして女性のそれらの力は女性に月経があることと結びついている。グイの超自然的な世界観の中心をなす概念で、名詞は「治療ダンス」「儀礼」、動詞は「妖術をかける」「神秘の力を揮う」などと訳することのできる語ツィーは「月経をもつ」ことも意味し、偶発的に生まれた同音異義語であるとは、とうてい考えられないという。そうすると初潮儀礼の中で女性はガマと密接な関係を持つだけでなく、ある意味同一化するのだともいえるわけである。
 もっとも、女性がガマと同一化しするといい男はしないといっても、他の局面では男は悪霊より強い存在でもある。ブッシュマンでは男は悪霊に打ち勝つ力を持つのに対して、女はそのような力をもたない。大型獣の肉が手に入った時や充分な食物が得られる季節などに、ブッシュマンはキャンプぐるみでダンスを踊る。ダンスは彼等の数少ない娯楽であるとともに、宗教的儀式の一つとされる。ダンスは病気だけでなく、ガマがもたらす一切の邪悪なものを取り除き、社会に平安と救済をもたらす。小さな焚火を取り囲むように輪になっている歌い手の女や病人の外側を、男達は踊りながら回り、女や病人のからだにさわり続けることによって、徐々に悪霊を女や病人のからだから自分たちのからだに吸収し、のりうつらせる。やがて、踊りがはずんでたけなわになると、踊り手たちの数人のものは、次々とに トランス状態に陥って失神する。やがて、男がすっかり意識を回復すると、男のからだからは悪霊が追い払われると同時に、キャンプ中から悪いものがすべてとりはらわれると信じられている。グイの女は男よりより日常的な空間で成人式を行い、そこでガマと同一化するともいえるが、他方男は単に人間として超自然的な存在である悪霊に打ち勝つという、多重構造になっているわけである。
 男女の成人式の違いであるが、エリアーデは「女性とは違って、男性は成人式の訓練期間中、「見えざる」実在者を意識させられ、あきらかならざる、すなわち直接経験として与えられない、聖なる歴史を習得する。修練者は起源神話を教えられて、はじめて割礼の意味を理解する。イニシエーションの間におこることがらはすべて、神話時代におこり、基本的に人間の状態を変革したのである。少年にとって成人式は直接でない世界――精霊と文化の世界に導き入れられることである。それに対し少女にとっての成女式は、表面的には自然な現象――性的成熟のあらわなしるし――の秘儀に関する一連の啓示を含む。」(『死と再生』)という。男と女の成人式を比べると、男より女の方がより此岸的といえる。それはブッシュマンのグイにおいて、成人式の小屋が男の場合はキャンプから離れた所に設けられるのに、女の小屋はキャンプのすぐ近くに設けられるということからもいえる。成人式儀礼で男女が神あるいは聖なるものと同化するといっても、彼岸性・此岸性において違いが出てくるわけであり、その違いがあるということが、国家共同体主義と区別されるべき点なのかもしれないし、王の即位式はこの男女の成人式儀礼を統合する形で新しい中心理念としての国家共同体主義を支える一部となっているのかもしれない。
 未開社会では、何故男女は区別されるのであろうか。自己放棄の弁証法的展開においては、中心理念と再定立された前中心理念があり、その二つの中心理念は対立すると同時に統合もされている。自己放棄の第二段階において、中心理念の対立は彼岸性と此岸性、神と人間の対比と神の人間に対する超越性としてあるであろう。では中心理念と再定立された中心理念の統合はどのように表現されたのかを考えると、その表現の一つとして男女の区別を使った表現があったのではないだろうか。ブッシュマンでは原則として、男は狩猟とその道具製作、女は採集と料理というように分業化されているが、前自立期においても似たような一種の男女の分業は存在していたであろう。この男女の区別を使って、中心理念と再定立された中心理念がそれぞれ男女に振り分けられたのではないだろうか。男女が対極化されても、一方では共に人間であることには変わりがないから、その対極性は対極性のままに統合もされているわけである。中心理念と再定立された中心理念が男女に振り分けられるといっても、第二段階の中心理念は神で人間と区別された存在なのであるから、直接中心理念が振り分けられるというわけではない。より神に近い存在と神から遠い存在、神から遠い日常性に留まる存在と、神の世界あるいは神と人間世界の中間にまで行くことができる存在というような違いとなるであろう。この場合、此岸性・日常性は女に割り当てられ、神とより密接に交流する、その意味では神に力い存在の役割は男に割り当てられたのではないだろうか。その痕跡が、成人式儀礼における男女の違いになって表れるとも考えられるのである。その意味では、源初の肯定性そのものは女と結びついているということができる。そうすると、自己放棄の第三段階の此岸的中心理念は女性とこそ結びついてもいいはずであるが、そうすると源初の肯定性の幻想性と直接ぶつかり合うことになるから、そこに源初の肯定性の間接化が必要となり、神は間接化された源初の肯定性であり、そして人間が神とされるならより彼岸的な存在である男性の方が相応しいということにもなるわけである。ただ、源初の肯定性が女とこそ結びついていたとするなら、女を無視することができないし、そこから女王と結婚することによって王が神になるということにもなっていくのではないだろうか。女性が此岸的な中心理念と結びついているなら、神と人間との中間である男が、神となる、あるいは神であると同時に神と人間を媒介する存在になるということは、神として外化した源初の肯定性が人間に戻ってくるということであるが、女性によって神になるとなれば、神としての王の源初の肯定性の此岸性はさらに強まることにもなる。

 ブッシュマンのグイの成人式儀礼は、最初は女が神と同一化していたのが、やがて男が神と同一化し、そのことが一般化していったということなのであろうか。バルア族においてもクワイマトニエは男性・女性という対になっており、この場合一番強力で「熱い」のは女性のクワイマトニエで、それを保持するのはそのクワイマトニエと結びつく係族を代表する男だけで、もう一つの男物は実の兄弟ないしは儀礼的職務で臨席する類別的兄弟に委ねられていたという。またその神話でも、ゴドリエによれば男性の力を表わす聖物の中には女性の権力があり、男性は女性から笛を奪うことによってその横領に成功したのであって、そこにはバルヤ族の最高の秘められた秘密が隠されているという。この女から男へという神話も、あるいは神との同一化が女から男へと移っていったことの痕跡なのかもしれない。
 エリアーデによれば、成女式は文化の古い層(オーストラリア、ティエラ・デル・フェゴ島)にも記録されおり、クルナイ族の成人式はどんな種類の手術も切断もなく、宗教的・倫理的・社会的教育に限られた、オーストラリアで一番単純なだけでなく、一番古い型のものとされているが、さらに男は古老から、女は老女から教訓を受けるティエラ・デル・フェゴ島のヤマナ族やハラクゥルフ族の成人式に対して、シュミットはその成人式がオーストラリアのクルナイ族の成人儀礼より一段と古い形態を表わしているのは、両性を区別しない事実からも知られると主張しているという。あるいは、最初は男女に教育的な成人式があったが、それが様々な形に分化していったということなのかもしれない。どちらにしても、最終的には男が神と同一化することが強調化されていったということであり、さらに王が神とされていったということである。

引用・参考文献
 『死と再生』 ミルチャ・エリアーデ
 『王権』 A・M・ホカート
 『贈与の謎』 モーリス・ゴドリエ
 「砂漠の水――ブッシュマンの儀礼と生命観」 今村薫 田中二郎編『カラハリ狩猟採集民』講座生態人類学1
 『狩り狩られる――経験の現象学』 菅原和孝
 『ブッシュマン』 田中二郎
 (頁先頭)

 

第六節 首長制・王制に見られる国家共同体主義と整合する側面

 国家共同体主義とは、最高権威者を媒介として国家共同体成員に源初の肯定性をもたらすものであった。国家共同体とはそれ故その成員が積極的な価値をもつ社会であるといえる。そのためには、最高権威者が聖性を持つ神的・超自然的存在として他の成員と差別される一方、最高権威者と一般成員の同質性がなければならなかった。そこには当然他の成員による最高権威者が存在することへの同意があり、最高権威者と一般成員の二重構造の中で最高権威者と一般成員よりなる国家共同体全体に源初の肯定性がもたらされるのであるから、最高権威者と一般成員は補完し合っているといえる。また、最高権威者が最高権威者たり得るのは一般成員が最高権威者に押し上げるからであり、また最高権威者を媒介として一般成員にも源初の肯定性がもたらされるのであるから、その意味でも両者は補完し合っているといえる。そして、最高権威者と一般成員の同質性をもたらすために両者の差別性とは別に平等性もなければならないということになる。国家共同体とはその差別性と平等性が最高権威者と一般成員の間に分裂をもたらす対立社会ではなく、差別性と平等性が統合され、最高権威者と一般成員が一体化した全的単一社会ということになる。それゆえ、首長や王の存在する社会に、首長や王という存在への同意、首長や王と一般成員の間の補完性、平等意識、全的単一性、一般民衆の価値化というようなものが見られるとすると、それらは首長制・王制の国家共同体主義的側面を示しているといえるかもしれないわけである。

第一項 首長・王という存在への同意

 首長あるいは王という存在への一般民衆による同意であるが、レヴィ=ストロースはナンビクワラ族の首長制の基盤に同意を見ている。乾季の遊動生活のあいだ、首長は、彼の群れの指導の全責任を負うことになる。しかし、首長はこうした多様な職務を遂行するにあたって、ある明確に定められた権限も、公に認められた権威ももっていないのであり、同意が権力の根源であり、彼が首長の地位にあることの正当さを保っているのも、この同意である。レヴィ=ストロースによれば、この権力の最も原始的な形態の基底に、私たちは生物としての現象に新しい一要素を導入するような、ある決定的な歩みを識別したのであり、その決定的な歩みは、すなわち同意のなかに存在しており、同意は、権力の源であると同時に、権力を制限するものであるという。これは、首長の権力は他の人たちが同意することにのみ力を持つというだけでなく、首長という存在そのものが他の人達において同意されているということであろう。
 アヌアク族の村長の屋敷の広場は舞踊場や集会場でもあり、そこでは訴訟の解決も行われる。もっとも、村長は正規の裁判権を行使したものではないとみられている。権威に対する屈従のしぐさは、権威に対する批判的態度を排除するものではなく、村長の諸機能の行使は、村の同感、ことに若者組の同意に縛られ、村長は、気前の良さの期待にそおうとしなかったり、応えられなくなった場合や、従者達の奉仕を肉の御馳走で酬いることが出来なくなった場合、彼の従者群を失うことになる。村長はその地位を村民の同意、特に若者組の同意に依存しているわけであり、このようなアヌアク族の村長という存在は、村人の同意があってはじめて成立するものだといえよう。
 ティコピアでは、1952年と1953年のハリケーンの後のひどい飢饉の時、食料不足がそれほどひどくない時には、親縁の家族が食物を持ち寄り暮らしていたが、危機が深刻になるにつれ食料は親族のものにも隠されるようになり、分与の減少と盗みの増大という動向が生じてきた。首長たちのもとからも多くの食物が盗まれたけれど、サーリンズによると、ティコピアの人達はたとえ他の誰が死ぬはめになろうと、首長たちは生き残る特権が伝統的にあることを、誰しも最後まで認めていたという。これもまた、ティコピアの首長が、他の人びとの同意のもとにあったということを示している。
 同意は、王や首長が畏敬される存在としてある一方、王や首長に対する反感や反乱がしばしばみられるが、その反乱が首長制や王制の廃止そのものをめざしているものではないことにも現れている。クレーダーによれば、シルック族の思想には、疫病とか敗戦など、国難に際しては、君臨する王に対して謀叛を起こす可能性も含まれていたが、シルック族において王個人と王位との区別ははっきりなされており、そこで個々の王に対しては反乱を起こすことは時にはあったが、王制はもとのままに保ち続けられた。この同意は王が支配者・権力者となった中央集権的社会にも見られる。ゴドリエによれば、ファラオの神的本質から逢着する根本的事実の一つは、一切を、自分たちの存在自体や子孫のそれまでをこうした支配者に負うている人々は、その権威に自発的に同意していることであるといい、この同意が、権威の行使、権力の行使において暴力よりもはるかに重要であり、抑圧的な暴力はエジプトでも存在し、不断の重苦しい脅威だったことは確かだが、何千年もの間、エジプト帝国では強制されていた賦役や貢納に対する農民、職人の抵抗を示す内乱はきわめて稀だったという。山口昌男によれば、アフリカの王は常に宇宙的中心であったが、共同体的制約から飛躍する機会を持ちえなかった。彼には常に忠実な儀礼の執行者としての期待が寄せられ、彼がこの期待に添えないとすれば、ただちに評議会を通じて時には罷免にいたる制裁やあるいは王族による反乱が彼をまっていたが、この反乱がエジプトにおけると同様に体制を変革するものではなく、かえって王制の原理を強化する儀礼的な作用をなしており、このことは、アフリカの「聖なる王」とエジプトの王制の観念が基本的に同一のパターンの上に成立していることを示すものではないかとする。

第二項 統治者と被統治者の補完性

 首長や王と一般民衆の補完性であるが、バランディエによれば、主権者と人民の間、統治者全体と被統治者全体との間に、補完性の関係が定立されており、古代中国の「君主は陽であり、群集は陰である」という公式は、王とその臣下の全体との間にある補完的二元主義を示しているという。また、神聖なものと政治的なものは、共同して既存秩序の維持に貢献する。人間たちが神聖なものの守護者たちと権力の管理者たちを通じて尊ぶものは、ひとつの有機的全体、ひとつの文化、そしてひとつの社会を構成する可能性である。すなわち、支配と服従の弁証法は、より本質的な弁証法、すべての生きているシステムが存在するために内包している弁証法の社会言語として現われており、人間たちが神々と王たちを通じて敬うのは、存在すること、一緒に存在することの可能性である。バランディエは自己放棄の弁証法的展開における諸理念間の対立と相互依存ということと、国家共同体主義における神と王、王と一般人の対立と補完性を同一平面上で捉えているとはいえ、国家共同体主義において王と一般人を含めた共同体的全体性が第一義的な意味をもっていることを述べているとも理解できるであろう。この場合、国家共同体主義において、王や首長と一般人が区別されものであるとともに同質的なものであること、王や首長が源初の肯定性の外化としての聖なるものと一体化され、俗なる存在であるとともに聖なる存在ともなること、自己放棄の弁証法的構造において、新しい理念は前理念と対立するとともに依存していること等々、重層的に理解されなければならない。

第三項 平等規範

 首長や王という存在への同意とは別に、民衆にとって首長や王は平等規範の中にもなければならない存在である。ジークリストは中央権力を含め支配者のいる社会にも平等規範が見られるといい、支配者に対する平等規範を制限効果(抵抗と支配制限)、縮小効果(退行)、昇華効果(正統性信仰)、投射効果(賤民集団)にみている。制限効果とは、反支配的な感情、あるいは中央権威に対する実際の抵抗、お偉方には呪力があるという嫌疑などであり、また後継を決める際の単系出自集団の協議権や貴族従者群が打ち出す共同決定とか支配の物質成果の分配にあずかることとかの要求などといった紛争儀礼は、中央集権化の初期の段階において支配行使の制限が設けられていたことを示すものであるとする。これは平等意識の一般成員側での現れといえ、また中央集権化された社会ばかりでなく、首長制社会や無頭制社会のお偉方などにもみられるものである。縮小効果(退行)とは、被征服者集団と支配者集団との間で制限効果でみた対決がなされると、支配の落差が退行しうるというものである。退行の概念はリヒアルト・トゥルンヴァルトが政治民族学に導入したものであるという。それによれば、しばしば権威ある首長の地位の残滓や個別氏族の特権化をともないながらも、人種的混合と文化的同化によって成層やその他の民族的異質性が退行し、相対的な同質化が進む、というもので、ジークリストによればタレンシ族などにあてはまるという。また、ガーナ北部地区に関するラットレーの概観のなかには、騎士戦士が侵入する辺境地帯においては、侵入者は数の上で劣っているため土着文化に同化し自分たちの支配要求権を退行させざるをえず、その結果ごく小さな威信上の差異しか残されなかったという。また、通婚による同化において、その結果民族的差異が払拭された場合も、顕著な支配組織が存在し続けることがブグンダの例が示しているという。退行の重要な一形態は、君主制組織の無頭制組織への逆行であり、ヒンドゥークシュの一「共和国」チラスの伝説によると、昔はチャチャイという名のヒンドゥの王がチラスからシンハリを支配していたが、子供のなかったこの王が没したあとでその支配領域は個々のシン共和国にばらばらに分かれてしまったという。
昇華効果(正統性信仰)については、正統性表象は一般に反支配的態度に対抗する正当化として存在すると説明することができるといい、正統性信仰は特定の個人の特殊的地位を正当化するだけではなく、まず何よりも支配そのものを正当化するものである。これは平等意識の権力者側の反応といえる。 投射効果(賤民集団)であるが、平等意識の毒性に対する中央権威や支配者層の免疫性は、正統性表象によるほかに、平等規範の妥当する範囲をいつも制限しておくことと、もう一つは平等規範の違反がもたらす情動の昂ぶりを逸らせて限界集団の方に向けさせてしまうということであるという。中央集権化された社会は、支配層と平民層と下層の三層からなるヒエラルヒー的社会構造を明瞭に示す傾向があるとされるが、平等規範の妥当範囲を各層ごとにその層内に制限するわけである。さらに、一般自由民の下に位置する諸層の形成も中央集権化に帰することができ、中央権威は限界諸集団の成員を強制幹部として利用するが、反支配的感情を強制幹部会の成員の方にふりむけるようにするという。

 ジークリストは支配者と被支配者の両方を規制する平等意識のようなものは認めず、単に対立する反支配の立場と支配を要求するものとの間の均衡をしか見ない立場もあげる。例えば、支配の制限が行われるのは、権力保持者がまったく自発的に自己制限することによってではなく、支配の要求と反支配の抵抗との間の対決によってであり、つまり支配者の力と被支配者の抵抗力との関係の均衡状態を反映しているにすぎないとするテオドーア・ガイガー説である。もっとも、ガイガーは民族的重層化のもとで被征服民が上層の要求に対してそれを耐えがたく感じて抵抗を展開するという状況を出発点としているといい、また、内生的形式の一変種として一定の人間ないし集団がうまい状況が重なったおかげで、不意の攻撃によって支配を獲得し、中央権力の担い手を僭称することができた場合においても力と力の対決の状態が生じるとするという。征服者と被征服者との関係でいえば、両者の法状態は、最初は強制的性格をもっていた力関係が次第に合法的になっていくというのがガイガー説であるが、それも一種の縮小効果(退行)といえるかもしれない。

第四項 未開社会の単一的全体性

 国家共同体とは最高権威者と一般成員がその場で原初の肯定化される閉じた共同体であり、また自己放棄の弁証法的展開がその共同体の内部的展開としてあるという意味でも閉じた共同体である。また、最高権威者と一般成員には同質性もなければならないという意味では、社会は最高権威者と一般成員の間に分化・差別化があると同時に、単一性・平等性がなければならない。
 クラストルは未開の共同体は、全体性であると同時に単一性であるという。全体性であるとは、この共同体が完成された集合であり、自律的で、絶えずその自律性を注意深く保持しようとしている社会だからであり、単一性であるというのは、その等質な存在が頑として社会の分化を拒否し、不平等を排除し、疎外を禁じ続けているからである。未開社会は、その単一性の原理がこの社会の外部にはないという点で、唯一不可分の全体性である。何らかの〈一者〉の形象が社会から分離して、それが未開社会を代表するようになり、そしてそれが単一性として未開社会を具現するようになるなどということを決して許さない。クラストルによればこのような未開社会の本質的あり方が戦争の存在理由を規定し、戦争を理解可能にする原理を規定しており、戦争は細分化に対する共同体の全体性を保持するための手段である。そして、クラストルによれば共同体はそれが結集させているさまざまな集団の総和以上のものであり、この過剰が、共同体をまさに政治的単位として規定しているという。注意すべきことは、クラストルが未開の共同体というとき、必ずしも首長のような存在がいない社会を意味しているわけではないということである。クラストルが調査した南アメリカの社会は、完全な平等社会ではなく、首長や戦士集団という区別された者が存在している。そのような首長のいる社会においてさえ、クラストルは共同体の全体性と単一性を強調しているわけである。

 

第五項 首長制・王制社会における民衆の価値化

 首長制や王制の中でいかに民衆が価値化されているかであるが、山口昌男によると、存在に関する劇的な方法論を内包する王権の性質と、共同体のメンバーである見物人が体験する人間経験の凝縮された表現を説明しながら、ケネス・バークは『文学形式の哲学』で、そこに示されるのはもはや王個人の人生ではなく、見物人らが追体験する彼ら自身の生なのであり、彼らの生は、王権の諸特性に精錬されなおすことによって受け入れられ、「価値あるもの」に変容するという。それゆえ、王権は個人の内面を表現する象徴的な世界として、人々の想像力に安定して存在することのできる劇的な空間となるのであり、ある意味で、王権は共同体にとっての見世物なのであり、その成員の生体験の深い部分をハレの場に再現するステージ・ショーでもある。これらのことは、王制が政治制度としては他の現象によってすでにとって代わられた社会においてさえ、なぜ王権が儀式の政治的かつ神話的な超越モデルとしてもっとも広く使われているかの理由となるという。そして、狩猟採集民の社会を除いて、ほとんどすべての文化は中心化された王権のシステムを体験していると言うことができるが、もし王権がこのように普遍的なものだとしたら、それは慣習となる以前および以後において、ともに文化と人間の想像力の層の奥深くと結びついているからであると考えられ、政治機構としての王権のシステムは捨てられてきたが、王権と形態論的に等価なものが雲散霧消してしまったことを意味するわけではなく、国の運命を体現するすべての価値の根源にある中心的な象徴の発現を求める大衆の欲望を、どうしても削除することができないということに、民主的な社会におけるもっとも深刻な欠陥をみる。山口昌男は王権の下で人々がどのような存在として存在しているかを問題にて、王権の全体性、王権のもたらす一般人の価値化、王と一般人の一体性を語っているといえよう。そこにおける価値化は、国家共同体主義がもたらす源初の肯定性とみなすこともできる。ただ、民主的社会における問題は、本論的にいえば源初の肯定性を象徴するものの欠如が直接問題なのではなく、近代における自己放棄の体系に固有な構造のなかでの国家共同体主義の持つ意味を考えなければならない。

 クラストルが共同体を諸集団の総和以上のもの、過剰なものというとき、国家共同体において構成員が無ではなくたとえ幻想であれ原初の肯定化されるという、自己放棄的過剰性が根底にあるとみるべきである。国家共同体の単一的全体性は、最高権威者と一般人の同質性という側面から導き出されるものと、国家共同体主義とは最高権威者と一般人の両方を原初の肯定化するという全体的利害、最高権威者と一般人は分離し対立する一方で補完的であり相互依存的であるという側面での単一的全体性が考えられる。ただ、同質性によって全体の源初の肯定性も可能になるのであるから、その二つの側面を明確に分離することは難しいであろう。ティコピアの首長についていえば、サーリンズのいうように相互扶助的共同性が失われ、利己主義が支配するようになっても、首長がティコピアの人達に最後まで生き残れる特権が認められていたということは、首長制が単なる利己主義がもたらす不平等ではなく、共同性の上に成立している制度ともいえる。そして、首長が最後まで生き残る権利を認められているということは、首長が自分たちの生存を超えた存在だということであり、その意味することは、首長制がティコピアの人達にとって、自分達の単なる生存以上の意味を持つことも示しているともいえる。

第六項 支配者・権力者ではない首長

 国家共同体主義からいえば、最高権威者と国家共同体成員は対立する関係にあるというよりは共通利害のもとにあり、それ故、最高権威者の存在は国家共同体成員によって同意され、支持される存在ということになる。その場合、国家共同体にとって最高権威者は神あるいは神のごとき存在として存在していればいいのであって、支配者や権力者としての最高権威者が求められているわけではない。逆に、支配者や権力者は国家共同体主義のもう一つの構成要素である最高権威者と一般成員の同質性・平等性を破壊するものとして排斥されるべき存在ともいえる。それ故、単に神あるいは聖なる存在として存在している首長や王が存在しておらず、支配者や権力者としての王や首長しかいなかったのだとすれば、国家共同体主義という考えは否定されなければならないわけである。
 クラストルは未開の共同体を全体性と単一性で規定するが、単一性という言葉で示しているのは、社会の分化が拒否されているということであった。もっとも、その場合クラストルにとって彼らが権力者ではないということが重要であり、野生の首長が権力なしに存在しているのは、権力が社会の存在から分離し、命令する者と服従する者たちとの分化が生じることを社会が受け入れないということを意味している。そしてまたそれゆえに未開社会においては、まさに首長に対して、社会の名において語ることが委ねられているのである。クラストルにおいて、権力者のいる社会が国家であり、それに対して未開社会の首長は単なる最高権威者ということになるであろう。クラストルの未開社会は、一方では首長や戦士集団という権威あるいは賞賛に包まれた存在を作り出そうとし、他方では彼らが権力者になることを妨げ平等性・均質性を求めようとする。このような未開社会の矛盾した性格は、国家共同体主義によっても説明することができるであろう。『暴力の考古学』の毬藻充による解説によれば、クラストルは『国家に抗する社会』において、「未開社会は、威信への欲望を権力への意志に代えることを許さない社会である」、「未開社会は、首長が専制君主に転化することをゆるさないのである」と断言しているという。さらに彼はインタビューでいくつかの例を語っているといい、ベネズエラのヤノマミ(ヤノアマ)族の一首長は偉大で勇敢な首長であったが、少しずつ部族が望むような戦争を望む代わりに、自分自身にだけ都合のよい個人的な思惑で戦争を望むようになり、部族をその戦争に引き込もうとしたが、人々は彼を見捨て、戦士である彼は一人で攻撃に行かざるをえず、それは自殺行為であるが、戦争を望んでいない社会に対して戦争を強いようとした彼は死刑宣告を受けていたのであり、当然ながら殺されてしまった。別の集団のやはり戦士の首長は、自らの威光とその暴力性のために、自分の暴力を自分がリーダーを務めている集団の人々に向け始めた結果、人々は村の中央にある広場の真ん中で彼を殺してしまった。三〇本ほどの矢が突き刺さっていて、全員によって殺されたのだという。南アメリカの多くの種族が、内部に戦士集団を持っている。彼らはその武勲によって部族から賞賛される威光に充ちた存在である。それは、軍隊的な規律によって統制された集団ではないが、権力を持った集団になる危険性をもった存在でもある。しかし、彼らは社会からの賞賛を得続けるためには、より賞賛される武勲をたてなければならない。その究極的武勲は一人で勇猛に圧倒的敵と戦い勝利することである。しかし、彼は武勲と交換で栄光を与えられるが、そのような武勇は結局その戦士に死をもたらすであろう。このようにして、彼らが権力者になることを社会は防衛しているという。

 単に権威者として存在している首長は、より複雑化した首長にも見られる。ジークリストによるとエコンダ族の神聖村長ンクムは、高度に形式化した権威と強制力の欠如との奇妙な結合を示していた。彼は、多くのタブーにつつまれているため、矮人の狩猟民カーストであるトゥワ族に切実に頼らざるをえず、トゥワ族の家長達から労働力を徴発することができるだけである。ンクムをとりまく複雑な儀礼と高度の制度化と強制権力の欠如との乖離は、エコンダ族の訴訟組織を考察するときにも再びみられるという。ンクムのエバンガで行われる訴訟もきちんと定まった儀式にのっとって行われる。ンクムの宣言した判決は拘束力をもつ。判決に従うことを拒否することは村落内部に敵対関係を勃発させることもありえたので、それを避けるために、札付きの規範違背者は自身の親族集団の手で奴隷に売られ、悪評のため買い手がつかない場合には殺された。ンクムは事件を長老会議に差し戻すこともできる。また、判決をあっさり無視して自らの決定を布告することもできる。この判決は他のあらゆる判決と同様の拘束力をもつ。しかし、ンクムは自らの強制機関を持たないため、速やかに執行できる判決を望む場合には、長老達の同意に頼らざるを得ないので、長老会議に反する判決を下すケースは稀にしかないし、そのようなことをすると評判が悪くなり、ンクムは自らの威信をすべて犠牲にすることもありえる。さっぱり人望のなかったあるンクムは、彼の居住地の何処に行っても承認されず、彼の位への同意が得られなかったので死んでいったという。この最後の例は、首長になるということが、生存といったものを超えたところにあるということを示しているともいえる。ジークリストによれば、ンクムが選ばれる過程においては、ライバル間での呪術的決闘が行われるのであり、それ故、ンクムの役割の獲得には族員の死が結びついていた。強制力の欠如は裁判強制が存在しないことの中にも示され、ンクムは誰に対しても暴力によってエバンガに召喚させることはできない。ンクムを無視することが出来たが、それはンクムに対する重要な挑戦を意味することでもあった。ジークリストによればンクムはその就任と結びついた儀礼的入社式、神器、就任にともなって建てられる彼の屋敷が村の外に建てられること、彼に対する一般人が服する特別のタブーと彼自身のタブー、およびそのタブーによるトゥワ族との「奇妙な」結びつき、特別な婚姻規制、最近でも信頼すべきものとして報告されているンクムの儀礼的殺害とその埋葬に際しての人身供犠等、ンクムの帰属する集団がかなり小さいことを除けば「神聖王」についてのおなじみの像と適合する。しかし、ンクムのエコボが近年になってはじめて、ボリア族の地方王侯から購入された事実は、神聖王の概念の訂正を迫るものであるという。ただ、複雑な儀礼と高度の制度化と強制権力の欠如によって特徴づけられるエコンダ族の神聖村長ンクムは権力者というよりは単に存在する最高権威者に近いかもしれない。

 モシ王国とも近縁関係にあるタレンシ族にもナアムという称号だけの首長がいるが、タレンシ族には、首長職は我々すべての者のものであるという言葉がある。M・フォーテスによればその考えが、集団成員全体のナームとの一体化、およびナームに対する彼らの忠誠と誇りとを表し、首長の道徳的・政治的権威の基盤となっているという。そこには、モシ王国の「人々がナームだ」という諺と共通するものがあるといえよう。タレンシ族はナアムは購入(ジークリストによれば牛によって)するものといい、マンブルグの大首長の副首長(クナアバ)によって選任される。すべてのナアムの原型にして元祖であるのは、マンプルグの大首長であり、ナアムが正統性を得るためには、ナアムの本質を構成する神秘的諸属性が儀礼を通じて、大首長自身によって、あるいは大首長からナアムを付与された者によってナアムの掌握者の体内に付与されなくてはならない。首長職はすべての構造において縮図化されているが、元祖ナアムと同一であり、その神秘的な効能を分与されている。ある特定の首長職という特権をもつ最大リネージの男性成員なら、老若を問わず首長になる資格があるが、現実には地位の低い男性は不適当だと考えられており、以前は多数の従属者の奉仕を得ることのできる長老達のみが、自分自身の資産と、より多くはクラン成員および親族から借財することにより、首長職購入をめぐる競争に参加することができた。彼らは税金や貢納や奉仕を要求する権利も持たなかった。ジークリストによれば、タレンシ族では予防的行為を除けば殺人者に対する物質的ないしは物理的制裁は、殺人者が犠牲者の緊密な集団に属している場合はみられず、治安集団の内部には賠償も刑罰もないため、首長には司法機能はなく、仲裁調停の機能があるだけで、彼等の任務は長老達と協力して、贖罪和解の儀礼を執り行うことである。これは、タレンシ族のもう一つの重要な役職であるテンダーナ(土地の主)についてもあてはまる。タレンシ族の人口は三万五千で、「本物のタリス」と称するもともとからの住人と(以下単にタリスと表記する)、マンブルグからやってきたという伝承をもつナモースと称される人々がおり、タリスとナモースの間の争いのみが戦争とみなされる。ただ、両者は明確に分かれているわけではなく、またそれ以外にも系譜的にタリスとは別個であるにもかかわらず、大地崇拝に関連した特典や儀礼的しきたりが類似していることを根拠に、原住民としてタリスと姻戚関係にあると主張する人々たちがおり、それらの人たちが一部分で重なり合いながら、フォーテスによれば同一の言語を話し、共通の文化的色彩をもち、互いに社会的紐帯を持つ諸コミュニティの集合体をつくっている。ナアム(称号首長)とテンダーナ(土地の主)という二つの役職があり、ナアムは主としてナモースの持つ特権であり、テンダーナは本物のタリスおよびその同族者たちの特権であるが、いくつかのクランは両方のタイプの役職をもったり、役職のなかには両方の属性をもつものがある。ナアムとテンダーナは相互補足的であり、両者は多くの点で一致するがまた対立しており、それでいて分かちがたく相互に結びついた両極の機能とされる。ナアムもテンダーナもコミュニティを繁栄させることに責任があり、それは彼らの持つ宗教的・神秘的力によって行われるが、ナアムの神秘的な力は大地の祝福がなければ無力なのであり、彼の就任式の最終局面において、テンダーナはナアムを大地の社に連れて行って、大地がその首長に祝福を与えてくれるように祈願する。一方、降雨を調整する力はナアムしか持たず、雨乞いのためにはテンダーナはナアムの力を必要とする。ナアムが持つ力のうち最も重要であるのは降雨を調節する力である。
 首長あるいはテンダーナの世俗的権威は、一方では彼らの儀礼上の地位から生じたものであり、他方、リネージの諸長老のヒエラルキーの中で彼らが占める最高の地位から生じたものである。彼はナアムの永続性を象徴する神聖な物品の守護者であり、長老達は自然の災害が生じそうなときには祖先に対する取りなしを彼に求める。自分のクランあるいは隣住者たちとの緊密なコミュニティが成員の殺人や妻が誘拐されたといった共通利益が侵害されたならば、首長かテンダーナを議長とした長老秘密会議によって、対応が決定され、その決定が実行されることもたびたびであったという。ただ、首長あるいはテンダーナにとって戦争を煽動することは重大な罪であった。フォーテスによれば、このようにして首長とテンダーナは、クランの事柄に関して常にかなりの権限を行使してきたとするが、彼らは権力者というよりはどちらかといえば儀礼的・神秘的なものと結びついた単に存在するだけの首長という性格が強いであろう。
 ナアムとテンダーナはいくつかの経済的特権をもつが、それらは彼に課せられたタブーや呪術的責任がともなっている。それらの権利や責任は、原住民達がそれを通じて首長職の最高目標である「コミュニテイを繁栄されること」を達成するのだと考えているところの権利・義務のこみ入った複合構成の指標となるものであり、多産や豊作といった共通の利害を確実にするために、タレランドの宗教の中に概念化された神秘的な力を動員するための手段である。タレンシ族では年長であるということは社会構造全般にわたって権威をもつということであった。タレンシ族は先祖を恐れ敬い、健康・豊作・繁栄が得られるよう犠牲を捧げて祖先の霊を慰めかつ強要しようとするタレンシ族内では、特定の一首長がいかに好ましくなかろうとも、その首長を追放することはできなかった。それに対して、ジークリストによればテンダーナはその土地が栄えないと、占い師が媒介した集団世論によって物質的罰に処せられ、あるいは神器を没収されて罷免される。ただ、これはテンダーナに対する両価的態度ではなく、その能力不足が理由ということになる。称号首長に対する否定的反応は、称号首長自身に向けられるというよりは、彼を任命したマンプルシ族の副首長に向けられたようである。フォーテスによればクナアバは愚弄の的であり、彼の部落は彼との間に首長職を通じての紐帯をもたないタレランドの諸クランによってしばしば略奪された。

引用・参考文献
 『悲しき熱帯』 レヴィ=ストロース
 『支配の発生』 クリスチアン・ジ―クリスト
 『石器時代の経済学』マーシャル・D・サーリンズ
 『国家の形成』現代文化人類学3 ローレンス・クレーダー
 『贈与の謎』 モーリス・ゴドリエ
 『アフリカにおける古代王国の諸類型』 山口昌男
 『政治人類学』 ジョルジュ・バランディエ
 『暴力の考古学――未開社会における戦争』 ピエール・クラストル
 『暴力の考古学』の解説 毬藻充
 「ゴールドコースト北部地域におけるタレンシ族の政治体系」 M・フォーテス フォーテス、エヴァンス=プリッチャード編『アフリカの伝統的政治体系』
 (頁先頭)

 

第七節 最高権威者と一般構成員の統合方法

 国家共同体主義が差別性と同質性・平等性という構造によってはじめて成立するからといって、差別性と同質性・平等性はそれ自体矛盾であるから、差別性と同質性・平等性との両立を図るための何らかの工夫、方法がなければならない。さらに、最高権威者が源初の肯定性を体現しているということは幻想でしかありえないのであるから、自己崩壊の脅威にたえずさらされているということであり、そのため最高権威者はたえず強化されなければならず、それに対応して差別性と同質性・平等性の矛盾も激化するということになるから、その矛盾の激化を緩和する方策も必要となる。

第一項 再分配

 サーリンズは物の交換を、一般化された互酬性、均衡のとれた互酬性、否定的互酬性に分ける。一般化された互酬性とは、財をうけとっても、贈り手が必要なとき、あるいは貰い手が可能なとき、返報すればよいという、ゆるやかな義務が課されるだけであり、一方通行の財の流れといえる。だから、すぐに返弁されることもあるが、決して返弁されないこともあるわけである。いわゆる愛他主義的な互換活動、惜しみなく与える援助の線にそっておこなわれる互換活動であり、「親族制にともなう責務」、「首長としての責務」や「高い身分にともなう義務」もそれに含まれる。ここでサーリンズは「親族制にともなう責務」の他に、「首長としての責務」や「高い身分にともなう義務」を加えているが、民族誌に記録された経済的な互換活動は、二種の配列に分類でき、第一は互換性として知られている二人の当事者間の可逆的な運動あり、第二は集中的な運動であって、ある集団の成員から、しばしば財がある一人の手元に集められ、ついで集団内にふたたび分配される運動で「共同寄託」ないし「再分配」とよばれるものである。もっとも、共同寄託は、相互性の組織化、相互性のシステムに他ならず、一般的な視座に立つとこの二つの類型は区別がなくなってしまうという。ただ、とはいえ、共同寄託と相互性は、正確には同一の社会関係ではなく、再分配・共同寄託は、社会的にいうと、内部関係、ある集団の共同行為であるが、これに対し、相互性は、あいだの関係、二人の当事者間の作用と反作用だからである。したがって、再分配・共同寄託は、社会的統一の補完物にほかならず、これに対して、相互性は、社会的二元性・対称性に他ならない。ただ、相互性が網の目状にある場合には、単純に相互性を二元性・対称性に還元することはできないという。均衡のとれた互酬性とは、直接的な交換を意味し、受け取ったものの慣行的な等価物が、遅滞なく返報されたとき、正確に均衡がとれているといいうる。完全に均衡のとれた相互性、つまり、同型、同量の財の同時的交換は、頭のなかで想像されうるだけではなく、ある種の婚姻互換、友人関係の契約、和平協定などで、民族誌的に実証されている。均衡のとれた互酬性には、あるきまった短い期間内に、同等の価値と効用をもった返礼を不可欠条件としているような互換活動も含まれる。多少とも正確な決済がおこなわれ、与えられた物は短期間のうちに相殺されねばならない。多くの「贈与交換」や「支払い」、民族誌で「交易」の部類にいれられている多くのもの、多くの「売り買い」と呼ばれているものや「未開貨幣」をふくむものが、均衡のとれた互酬性に属する。均衡のとれた互酬性は一般化された互酬性にくらべると「非人格的」であり、当事者たちは、互いに異なる経済的、社会的利害をもったものとして、対決する。否定的互酬性とは、関係者がお互いに対立する利害をもって対決し、他方を犠牲にして最大限効用をもとめようとする互換活動にほかならない。民族誌では、「値切り交渉」、「物物交換」「投機」「詐欺」「窃盗」、その他さまざまの種類の強奪、といった用語で指示されているという。均衡をもとめはするが、「やれるところまでやろう」という態度でおこなわれる、取引での値切り交渉が、そのもっとも社交的な形態の一つとなっている。物財の流れは、ここでもう一度、一方通行となり、返報もまた相殺圧力か奸計をつかって行われる。
 再分配は首長や王によっても行われる。サーリンズによれば、厳密に物質的な見地からいうと、ランク関係は同時に相互的でしかも気前よくあることはできず、交換は等価でもあるが等価以上のものであり、首長の気っぷのよさは、民衆から首長への逆の財の流れを無視しており、この逆の流れを視野にいれると、首長の気前のよさなどは相殺されてしまうという。それに加えてランク関係は、物質関係における物質的不均衡を偽りかくしているし、もっと抽象的なレベルで考えてみると、首長の職務には気前のよさと同時に相互的な義務が結びついているが、このイデオロギー的両義性は、未開貴族階級の権力と親族制のあいだの矛盾、親愛の社会のなかでの不平等という矛盾の中にくっきりとあらわれている。この矛盾を両立させる唯一の方法は、この不平等がみんなの利益になるようにすることであり、権力を正当化する唯一の方法は、その公平無私さにほかならないとサーリンズはいう。経済的にいうと、首長から民衆への財の分配がこれにあたるが、この分配は民衆の損失を相殺すると同時に、民衆の従属を強める結果となり、民衆から首長への分配をも、相互性のサイクルのなかの一契機としてしか解釈できないようにさせてしまう。サーリンズによれば、このイデオロギー的両義性はじつに実用的なものであり、一方では首長の気前のよさという倫理によって、不平等が聖別されるし、他方では、何らかの差別が生じても、相互性の理念が否定してくれる。首長や王による再分配は、社会的統一の補完物にほかならということになるわけである。サーリンズのいう実用的なイデオロギー的両義性、すなわち使い分けは、国家共同体主義においては、不平等が全員への源初の肯定性を保障するのであるから、不平等はみんなの利益であり、公平無私でもあるが、しかし避けがたい首長と一般人の差別性からくる対立、その対立と相互依存との矛盾を緩和し、国家共同体主義を受け入れやすくする手段の一つということができるであろう。

第二項 外部招聘

 ジークリストによれば、サウゾールは政治的支配の発生についての内的発生説対外的発生説を補うものとして、外来指導者の招聘とそれにつづく外来支配下における従属を通じての、より大きな政治的単位の発生という第三の説を展開している。アルール族とレンドゥ族の関係において、分節的に組織されたバンツー系のレンドゥ族の個々のリニージは、アルール族の首長の息子たちを紛争事件の仲裁者に立てたが、この仲裁者としての役割から、またそれに続いた確執の抑圧から、だんだんとアルール族権威者が恒常的な支配者として認められるようになったという。ただ、レンドゥ族の諸リニージ間の政治的競争は、従属化の連鎖反応を呼び起こしたが、新しい中央権威の秩序機能の利用というのは、結末として外来支配下での従属に至るような社会関係に入る一つの動機にしかすぎず、アルール首長の威信は第一に彼等の雨乞い術にかかつており、サウゾールは仲裁者の機能もこの威信によってはじめて可能になったと主張しているという。ジークリストはアルール族指導者の下における自発的服属の重要な動機は、他の移入アルール集団から身を護る必要ではなかったかどうか、また言い換えれば、先住民は保護者の仲間たちに脅かされてはじめて必要になった保護を、服従と引き換えに購ったのではないかどうか、問題が残るとする。ただ、たとえ外的脅威が、従属化を申し出ることの動機づけに影響を与えたかも知れないとはいえ、支配関係の自発性という要因が相変わらず認められるのであり、この解釈に有利なのは、とりわけ、支配を嫌う数多くのレンドゥ族リニージの分離が妨げられていないことであるという。
 自発的な支配関係にエコンダ族の村人も入ったが、それらの村は彼らのンクムをボリア族の土侯制から入手し、多くの場合は購入することによってであった。また、外来者仮説が適用される一つの重要な広い領域はアジア山地諸族で、パタン族の拡張の一部はアルール族の拡張と同様の仕方で進行した可能性があるという。サイドとして登場した外来者の、宗教的な寄進によって成立した土地所有権は、周期的分割を蒙らず、土地の指導者たちに可能であったよりも強大な従者群を形成するのに成功した。スワト全渓谷を中央集権化するのに始めて成功したスワト国家の建設者もサイドの家柄に属していた。カール・イェットマーによってヒンドゥークシュで集められた支配に関する諸伝説は、検証可能な諸報告と同様、ほとんど例外なしに、指導者たちが救いようのない競争状態に陥っていた結果、しまいには外来者が土地に招聘された多様な諸集団の姿を描き出しているという。アフリカの排外運動や土着主義運動のいつくかは、その部族にとっては外来者によって始められ指導されたが、ヌエル族の預言者運動は外来者仮説を高度に実証したものとされる。
 ジークリストによれば、外来者には平等性の障壁を跳び越えることが容易にできることは、マサイ族の預言者が、隣接のニロートハム系諸族で成功を収めたことによって示されている。平等意識はより身近な人に対して敏感になるようである。1950年当時、アンバ族の一人が他のアンバを労働力として手に入れることはほとんどありえないことであったが、トロ族はもともと文化的により高い集団として通っているので、アンバ族をや雇うことはいくらかやり易く、社会的競争の埒外にあるヨーロッパ人ならトロより少ない労賃で雇うことができたという。同じ共同体員どうしでは、それだけ強い平等意識と嫉妬心が働き、一般共同体員の上に立つ存在になるためにはそれだけ困難が伴うともいえるのである。ジークリストは外来者仮説は狭義に理解すべきであるとする。個々の外来者、せいぜいのところ外来者の小さ目の集団が特別のチャンスをもっているのであり、大き目の外来者集団は土着集団の領土主権の主張に抵触し、脅威として受け取られるために、防禦行動を惹き起こし、これが克服されるときには、重層となり外来者支配になるとする。レンドゥ族の例でいうと、アルール族の外来者は雨乞師として超自然的な力と結びついた人間であると同時に、外来者であることによって平等意識からくる権威者と一般人との間の対立性からある程度逃れているわけである。

第三項 対立の儀式化

 権力者と庶民の対立性を緩和する方法の一つは、権力者側がその対立性を儀式化することによって、対立を自己内部に取り込んで見せることであろう。庶民にとっても、根本的には権力者と利害が一致しているのであるから、権力者側が積極的に対立性を受け入れることは、都合のよいことである。バランディエによれば、スワジ族のインクワラという全国的性格の年次祭典では、初収穫のさいに行われることになっている集団的行事に転倒儀式を結びつけている。インクワラは二つの段階に分かれ、第一段階では、首都が象徴的掠奪にまかされ、王は憎悪的反応にさらされ、聖なる歌唱は王の「敵」たる人民が王を投げ棄てると断言する。しかし、王はこれらの試練のなかから強化されて立ち現れ、第二段階は初物の消費によって始まり、これは王の指揮のもとに行われ、さまざまな社会的身分と身分による序列を表示する席順方式に従う。そのさいに、社会秩序が提示され、自然および宇宙との紐帯が再強化され、社会秩序も再確立される。しかし、王者の二義性は存続し、主権者は依然として賛美と敬愛の対象であると同時に憎悪と反撥の対象であり、彼はそこで、国民の首位にたつ地位を再び占めることへの躊躇を装い、王族成員たちの要求と臣下の戦士たちの懇願に遂に屈するという形式をとる。この時、権力は復興され、統一が再現され、王と人民との一体化が再建されることになるという。
 対立の儀式化において、対立をさらに間接化したものが、偽王を作り出し、王と一般人の対立性を偽王と一般人の対立にすり替えるという方法である。バランディエによれば、主権者の機能の必要性・潔白性の確認に結びつき、さらに権力に対する強化効果は、「あべこべの行為」、転倒儀式あるいは劇化された反逆の儀式が行われる際にも現れるという。ギリシャのクロノス祭もローマのサトゥルヌス祭も、権威関係の転倒をひきおこし、社会秩序を刷新させ、バビロンもサセ祭のさいに、愚弄のための王をつくり、この祭りで王の役割をはたし、命令を下したり主権者の妾たちを抱いたり美酒美食にふけったりする奴隷は、絞首刑あるいは磔刑に処せられる。この虚偽の権力による混乱は、規範の復帰を待望させるものである。アフリカでも象牙海岸のアグニ族では、空位期間にベ・ディ・ムルアという社会的転倒の儀式があり、この期間中、自由人と宮廷の捕虜奴隷の関係は逆さまになる。王が死ぬと直ちに、奴隷たちは王居を占有し、ひとりが王様奴隷として権力のあらゆる標識を身につける。彼は一時的な宮廷と位階序列を樹立し、死去した王権者の座を占め、あらゆる王者特権を享受する。すべては、社会が社会そのものの戯画となったように生起し、王様奴隷は、人間たちにたいする支配権と世界にたいする支配力の強さを宣言する。自由人たちは、摂政が現下の事態を規制し新しい主権者の登場を準備しつつあることを知っているのだが、この見せかけの王に服従する。この偽王は、いわば既存の社会秩序には愚弄と混沌の危険の他には代替がないことを立証するものであり、死去した王の埋葬のその日に、虚偽の権力は廃棄され、奴隷たちは絹の腰巻を破り捨て、王様奴隷は殺される。各人と各事物はそれぞれの順位と地位を再び見出し、新しい主権者は秩序づけられた社会と組織された宇宙の支配権を掌握することができるのであり、かくして、儀式的形態の反逆は、権力が定期的に新しい力を獲得するのを可能にする諸戦略の領域にはいるという。バランディェによれば、王の即位は、その掌握権力の正統性を保証するだけでなく、王国の若返りをはかり、人民に一時的とはいえ「新規」発足の感情を与えるものである。新しい王の即位において、王国創立の事業、王権を樹立し正当化した諸底礎行為が象徴的に繰り返され、授権は、その手続きあるいは儀式によって、征服、武勲、王権を成立させるものとされる呪術的あるいは宗教的行為を想起させ、治世の変わり目ごとに真の「初源」復帰が行われる。

引用・参考文献
 『石器時代の経済学』 マーシャル・D・サーリンズ
 『支配の発生』 クリスチアン・ジ―クリスト>
 『政治人類学』 ジョルジュ・バランディエ
 (頁先頭)

 

第八節 中央権力と支配者

第一項 国家共同体主義内部における支配者・権力者化への契機

 ジークリストによれば、権威とは、規範違反に対する反応が特別の権利、ならびに特別の義務として確定しているような個人、もしくは個人の集合(委員会)である。中央権威とその他の権威の違いは物理的制裁と被物理的制裁の違いに従っており、中央権威は物理的制裁を布告し強制機関を通してこれを執行させる権限と定義でき、中央権威について云々できるのは、権威とその下に置かれた強制幹部会と、両者の反応行為を認知する集団との三者を区別しうる場合だけである。それに対して、ティヴ族の長老達が常習的な泥棒を殺すような場合もあるが、分節社会における世帯外の権威が物理的制裁を布告したり、執行することは、通常はむしろ禁止されているように思えるという。制裁については、心理的諸制裁、疎遠的制裁、物質的制裁、物理的制裁が考えられ、心理的諸制裁とは規範違反に対する非難、嘲り、呪いなどであり、疎遠的制裁とは例えば経済的交換関係などの互酬的関係の制限、もしくは断絶、回避、ボイコット、仲間外れ、追放などである。物理的制裁とは、身体の毀損、殺人、禁固刑などであり、物質的制裁は物理的制裁の変形で贖罪供儀、殺人賠償金などである。中央権威はその反応が集団の世論に逆らってもなされうる点で、まさに卓越しており、一つの権威の集中化の度合はそれが集団の世論に逆らってどれだけ反応することができかによって測定できるという。この場合、支配者の恣意的な物理力ではなく、規範違反に対するものであるが、中央権威の世論からの自立化が見られる。反応行為のより大なる不偏性は、非中央集権的社会の権威にも大いに必要とされており、権威の役割は調停への配慮と努力をその属性とする長老の役割との結びつきで現れることが多いという。

 クラストルは未開社会は首長が専制君主に転化することを許さないとするが、実際に専制君主が登場している。戦士としての首長は世論に逆らうと殺されとしまうが、支配者としての王においては、物理的力は逆方向に働き、殺されてしまうのは一般成員である。一般成員による首長殺しについては、国家共同体主義は平等規範にも依拠していることから説明できるが、国家共同体主義的にいえば王は神として存在していればいいだけであるから、支配者としての王の持つ権力は国家共同体主義的に説明できないようにも思える。さらにいえば、支配者・権力者は国家共同体主義に必要な同質性・平等性を毀損する可能性がある。中央権威・権力者・支配者としての首長や王の存在は国家共同体主義の否定という側面もあるが、しかし首長制や王制の国においても国家共同体主義と整合する側面があるということは、中央権威・権力者・支配者の出現は国家共同体主義内部における変化と捉えることの可能性も示している。では、国家共同体主義の下で支配者・権力者である王や首長の存在には必然性がないなかで、支配者としての首長や王の登場を、国家共同体主義は国家共同体主義内部における変化として説明できるのであろうか。
 支配者・権力者の発生に対する国家共同体主義内部の契機として考えられることは、国家共同体主義の自己崩壊性であろう。自己放棄の弁証法的展開からいえば、国家共同体主義の変化の動因としてまず考えなければならないのは、国家共同体主義の自己崩壊性ということである。国家共同体主義の自己崩壊性に対して国家共同体主義の強化を考える時、それは最高権威者の強化という形をとるかも知れないし、その最高権威者の強化が支配者・権力者への転化に通じていくかもしれない訳である。国家共同体主義の自己崩壊性で崩壊していくのは最高権威者の神性・聖性であろう。最高権威者が神であるというのは、最高権威者が源初の肯定状態にあるということであるから、それは幻想であり、絶えず崩壊にさらされているわけである。それ故、その崩壊性に対して最高権威者の神性・聖性は強化されなければならないし、それは一般成員との差異性が強調されていくということである。この場合、神とはどのような存在としてあったかも問題になるかもしれない。最高権威者は神であり人間であった。神が人間あるいは共同体の状況・運命を支配する存在として在った場合、神である最高権威者には一般成員の上に立ち、支配者を目指すという傾向がそもそもから存在していたともいえる。

 差異性が強調され、差別化が進めば進むほど最高権威者と一般成員との同質性は薄まり、平等規範も弱まっていくであろう。逆に一般成員との同質性が強ければそれだけ最高権威者の神性・聖性の強化には限界があるともいえる。最高権威者の神性・聖性の強化には平等規範の弱体化が必要であろう。専制君主化しようとする首長は、共同体から孤立するか最悪の場合は殺されてしまうことを考えるなら、その点でも支配者・権力者の発生の前提条件として、国家共同体内部の平等規範が弱体化する必要がある。最高権威者の創出それ自体に平等規範の弱体化が必要であったが、最高権威者が支配者・権力者になっていくためにはさらなる平等規範の弱体化が必要なわけである。同質性の希薄化は平等規範の弱体化にもつながるであろうし、平等規範の弱体化は同質性の希薄化につながる。同質性・平等性の弱化をもたらすものとして、国家共同体主義の自己崩壊性による最高権威者の神性・聖性の強化の必要の他に、国家共同体のさらなる拡大と多様化が考えられる。国家共同体は差異性と平等性を両立させるために平等規範を弱めなければならず、その為に共同体の範囲を拡大傾向がそもそもあったとしたが、支配者的最高権威者を国家共同体が受容するためには、さらなる拡大と平等規範の希薄化が必要であろう。国家共同体の拡大は個々の成員と最高権威者の関係の希薄化をもたらすであろうし、それは同質性の希薄化に通じていくであろう。
 一方、平等性・同質性の希薄化は国家共同体主義をそもそも成立させなくしてしまう。最高権威者の強化が同質性の希薄化の中で生じるのだとすれば、国家共同体主義的には同質性の強化も必要ということになる。平等規範・平等性・同質性の力とその弱体化・希薄化へ向かう力の間で均衡点が見出されなければならない訳である。例えば、人口の増大は内部の関係性を薄め、それは平等性・同質性の希薄化をもたらし、平等規範の拘束力を弱めて王や首長のような存在を生みだせる状況をつくりだすかもしないが、それが行き過ぎれば、今度は国家共同体主義の成立に必要な同質性さえ損なってしまうことになるであろう。フォーテスとエヴァンス=プリチャードによる『アフリカの伝統的政治体系』の「序論」では、人口規模を人口密度と混同してはならないといい、人口規模と政治的発展の程度とは多少なりとも関連があるが、人口密度が大きな社会に政治組織が見出されると予想するのは誤りであるという。一平方マイルあたりの人口密度は政府をもつ社会ではズールー3.5人、エングワト2.5人、ベンバ3.75人であるのに対して、政府をもたない社会ではヌエルの人口密度はこのどれよりも大きく、タレンシとロゴリではさらにいっそう大きいといい、「本書でとりあげた種族だけではなく、他のアフリカ社会の例から見て、政治集団の人口規模の大小は中央集権制度発達の程度に相応し、人口密度にはこのような相関が認められないことが明らかである。」という。しかし、80万人以上の人口をもったティヴ族やディンカ族が無頭制社会なのは、いわば過剰な人口は国家共同体に必要な同質性を毀損するという理由からかもしれない訳である。その場合、人口を調節することによって国家共同体主義の成立に必要な同質性を回復できるかもしれないが、それ以外にも、例えば外部との戦争・争いや競争といったようなものが生じた場合、団結心が高まり、その高まりが国家共同体主義の成立に必要な同質性を回復するということもありえるかもしれないし、最高権威者が支配者・権力者となることによって生じる平等性・同質性の毀損と相殺されるということもあるであろう。ただ、ティヴ族やディンカ族全体が一体となって対外戦争を戦うというようなことは、よほど特殊な状況でない限り考えられないであろう。

第二項 最高権威者の自己肯定化における相対的自立性

 最高権威者は一般成員から区別され、一般成員との関係が薄れていく中で自立化していく契機が国家共同体主義にはあるかもしれない。支配者・権力者としての王や首長と一般国家共同体成員との関係を支配―被支配関係という観点から見ると、同質性というよりは溝、断絶性があるともいえる。一方、源初の肯定性についても首長・王と一般成員との間で違いがある。首長・王は神と同一視されることによって源初の肯定性を獲得するのであって、首長・王と神の同一性という構造においては、神は必要とするかもしれないが、一般成員を必要としない。それに対して、一般成員は首長・王を媒介にして源初の肯定性を獲得するのであって、首長なり王なりを必要とするのである。首長や王が自己の原初の肯定化に一般成員を必要としないということは、国家共同体主義には王や首長が一般成員から自立化していく契機が含まれているともいえよう。王や首長が自己の神性・聖性化に一般成員を必要としないのだとすれば、王は自己肯定化のためには自分だけが存在していればいいということにもなる。もちろん、首長や王も神や神的なものを必要とし、その神や神的なものは一般成員が神や神的なものとして認めるから存在しえるともいえる。ただ、神的なものや聖なるものが源初の肯定性の外化に基盤を持っているのだとするなら、神や神的なものの存在はそれ自身に人間、この場合では一般成員を超えた、自己の自立性を強調する性格があるともいえる。その意味で、神や聖なるものにも一般成員からの自立化の要素があるといえるわけである。最高権威者にも神や聖なるものにも、一般成員からの自立という要素があるとすれば、最高権威者が支配者・権力者化する過程において平等規範が弱体化し、王や首長と一般成員との結合が弱まるとすれば、その過程が王や首長を一般成員から自立化させる契機となっていく可能性もあるわけである。国家共同体主義の自己崩壊性がもたらす最高権威者の神性・聖性の強化と神・聖なるものが持つ外化からくる自立的性格が相乗的に作用して、最高権威者が一般成員から自立化し、一般成員への依存が無くなれば平等規範からも解放され、何か一押しあれば王や首長が支配者・権力者になっていくということもあり得る訳である。もっとも、最高権威者が一般構成員から自立化しようとする場合、彼が一体化している神的なもの・聖なるものは、一般成員にその基盤を持っている以上、その神性・聖性が一定程度損なわれることはいえるわけであるから、その失われたものを補強するものが必要ともいえる。もちろん、最高権威者と神との同一性そのものが、一般成員の承認に依拠しているのであるから、最高権威者が一般成員から自立していくためには、その問題も処理していく必要がある。

 また、存在即肯定性そのものが存在のみを条件としているのであるから、基本的に他者は関係しないともいえ、その意味でも自立化という契機がそもそも含まれているともいえる。そして神とは存在即肯定・源初の肯定の外化であり、彼岸的中心理念として人間との間に隔絶があるのであるから、神である最高権威者も人間としての一般成員との間の乖離を求めるであろうし、それが自立化として現れるともいえる。ただ、存在即肯定からくる自立化は文字通りの自立化であり、そもそも他者を必要としない自立化であるから、そこに支配といった要素は入り込む余地はないし、他者への優越といったものが強調されるとすれば、それは存在即肯定の否定になっているわけである。
 最高権威者の支配者・権力者化には唯一者性・エゴイスト性も関係しているかもしれない。創造的無という新しい人間の本質は、人間の唯一者化・エゴイスト化とも結びついている。そして、自己放棄の体系の崩壊をもたらすのは創造的無という人間の本質であり、そこにおいて自我の唯一者性・エゴイスト性が顕在化するのだともいえる。ただ、過渡期には前本質の肯定化によって自我の唯一者性・エゴイスト性は覆い隠されている。過渡期から新しい自立期への移行は、その覆い隠されていた唯一者性・エゴイスト性が顕になってくる第一歩であり、自己放棄の弁証法的展開につれて、自己放棄の体系内においても唯一者性・エゴイスト性が何らかの形で表面に顕われてくるといえよう。それは唯一者そのものとしての唯一者性・エゴイスト性ではなく、自己放棄者としての唯一者性・エゴイスト性である。最高権威者の支配者・権力者化にはそのような自己放棄の体系内の唯一者性・エゴイスト性が関係しているかもしれない。自己放棄者としてのエゴイストとして、最高権威者は自己の源初の肯定性が国家共同体内において一般構成員に依拠するということは煩わしいことかもしれないし、一般構成員から自立化しようという力が働いているともいえるわけである。
 狩猟採集民においては不平等原理に対して平等原理が優越してくるが、寺嶋秀明によればその平等原理はあくまでも社会的不平等の存在を前提にした条件的平等性であり、狩猟採集民の平等社会とは平等性と不平等性が混在している社会である。自己放棄者としてのエゴイスト性が社会の中にある不平等性を刺激・強化するということもあるかもしれない。不平等性より平等性を優越させるであろう前本質とその肯定化の源初の肯定性も、またそもそも不平等性の強調を否定している存在即肯定も幻想化しているのである。最高権威者と一般構成員という国家共同体主義的構造そのものが、狩猟採集民社会にあった潜在的不平等性を利用することによってその創出が可能だったかもしれない。また、国家共同体主義の基本理念は此岸的なものとして、再び源初の肯定性を実現することであるから、それは否定的存在としての自分を肯定的な存在にするということであった。しかし、その自己肯定性は幻想であったから、自己価値化とその結果の自己肯定性を自己内部でのみ実感しようとしてもどこか曖昧模糊とした感じがともなうであろう。その意味では、もともと否定的自分自身に対する自己価値化を、自己の他者への優越性に転化することによって、自己の肯定性をより具体的に実感することができるともいえる。しかし、その実感もまた幻想であったから、実感性を維持するためには他者への優越性を絶えず強化しなければならないともいえる。その場合、最高権威者はその優越性を他のすべての国家共同体構成員によって認められているのであるから、その優越性の強化はできるだけ多くの人間に対する優越性という量的優越性ではなく、質的な優越性とならざるをえない。すなわち、最高権威者は他者への優越性の強化として支配者・権力者へ向かう力が潜在的に働いているともいえる。

 最高権威者が一般構成員から自立化しようとする場合、彼が一体化している神的なもの・聖なるものは、一般成員にその基盤を持っている以上、その神性・聖性が一定程度損なわれることから、その分を何かで補強しなければならないのではないかとした。最高権威者に源初の肯定性をもたらすものは幻想であるから、その意味でも最高権威者に源初の肯定性をもたらすものは多ければ多いほどいいともいえる。神以外に源初の肯定性と結びつくものとしては、例えば過剰な食料やその他の物質的豊かさ、特に大きな家や聖物・貴重物が重要と言えるのではないだろうか。神は純粋に彼岸的な存在であるとすれば、神でありかつ人間である最高権威者は彼岸的な存在であるとともに此岸的な存在でもあった。そのような彼岸的でありかつ此岸的な存在としては、聖物・貴重物もいえるかもしれない。神が基本的に彼岸的な存在であるのに対して、聖物・貴重物は此岸的なものでも聖性を帯びることができることを示している。その意味では、最高権威者と聖物・貴重物の親和性は高いし、最高権威者は自己の神性を聖物・貴重物によって補強するということにもなるであろう。この場合、最高権威者が多くの物を所有し、それをたえず自己確認することが重要であるとすれば、それを再分配するのではなく、自己の手元に貯め込んでおくということになる。王位のように彼の地位が確立されたものであればあるほど、自己の地位を保つために一般成員の同意もそれほど必要としなくなるであろうから、その意味でも同意を得るための再分配は少なくなり、手元に置かれた富は彼の源初の肯定性を誇示するための道具となっていくであろう。
 聖物・貴重物がそれを所有することだけでその所有者を価値化する例として、サーリンズは威信が専ら、中国の陶器や真鍮製のドラなどの、外部からもたらされるエキゾティックな品物によって得られている、東南アジアの内陸部族を紹介している。その社会は、小市場交易そしておそらく政治支配を通じて、ずっと複雑な文化の中心地と結びつけられた内陸地域である。彼等は、基本食糧である米と現金、鉄製の道具、あるいはきわめて高価な威信財を市場で交換する。手に入れた威信財は、共同体内部で儀式のとき、また結婚給付にさいして、これみよがしに誇示され、社会的地位と結びついている。サーリンズによれば、ビックマンのように仲間に気前よく援助するやり方から威信がでてくるわけではなく、また明らかにでてくることもできないという。市場での交易に米を廻すため、村落ないし部族内での分与は極端に低く、世帯間の基本的な相互関係は、もっぱら労働サーヴィスによる均衡のとれた交換の形で、きっちりと計算され、内部的にも対外的にも均衡のとれた互酬性が並はずれて突出している。共同体の構造が原子化し、断片化され、他の世帯にたいする利己的構えが不可避的にあらわれてくるからである。大きな地域的出自集団が消滅し、不必要となり、かわって、小家族自体の内部にだけ、連帯関係があらわれる。誰も他の人々に恩義をほどこそうとしないし、配下を作ろうともしないし、その結果、強力なリーダーもいない。このようなサーリンズの記述する東南アジアの内陸部族においても、威信は求められているわけである。しかし、その威信は国家共同体主義のように他の共同体成員に分与されるわけではないといえる。あるいはかつてはビックマンなり首長なりを持った、国家共同体社会だったのかもしれない。どちらにしても、威信を誇示する相手を必要としているという点では自立的とはいえないかもしれないが、威信の獲得そのものは共同の利益のためというより自分だけの利益のためであり、そこには最高権威者の自立化と似た構造が見られるわけである。そして、そのことを可能にしているのが、市場で手にいれた外部からもたらされた威信財であり、威信財にはそのような共同体から半ば自立させる力があるともいえるわけである。

第三項 中央権力成立についての諸説

 平等主義的な狩猟採集民の社会と首長や王を持った社会の間には、狩猟採集民よりは組織化された無頭制の社会があり、その多くは共通の祖先をいただく単系出自集団やその複合体の分節社会を作っている。ジークリストによれば、狩猟採集民が分節的単系出自集団をもたないという事実は、この経済段階では避けがたい人口密度の希薄さ、特に移動してまわる諸集団の間に横たわる大きな距離によって説明できる。それに対して、単系出自集団によって組織される無頭制社会については、優勢出自原理としての父系性と一定の経済段階とが必要条件としてあげられているという。父系性については、母系的出自集団は父系社会とは同程度の政治的統合の規模に、また父系社会のような高レベルの戦闘行為にまで及ぶ状態にはないという仮説を定式化でき、それは大きな母系社会が大きな権力集団を出自原理だけに従って形成することは不可能なことに帰因すると説明されており、母系社会がそのようなことをなし得るのは中央集権が存在する場合だけであるという。経済段階については、ワースリーが分節的単系出自集団は地片ないしは畜群の相続が可能な社会にのみ存在するという仮説を提出しているが、その仮説では全体としてはなんらの所有物を持たない大規模の単系出自集団の存在することを説明し得えないという。
 ジ―クリストによれば、中央権力・中央権威の発生には、内的発生説と外的発生説の大きく二つの考えがある。それぞれの代表的な考えは、内的発生説では社会的分化・分業にその原因を求めるものであり、外的発生説では征服にその原因を求めるものである。その他、ジ―クリストはルーシー・メイアの従属被保護民仮説、サウゾールの外来指導者の招聘とつづく外来支配者下における従属を通じてのより大きな政治単位の発生という招聘説、外圧への抵抗説をとりあげる。
 社会的分化・分業にその原因を求める内的発生説は、社会的に分化した社会では社会が複雑化し、その分より高度の統治形態が必用とされ、そのために中央権威・中央権力が必要とされるようになったと考えるからである。ここでは高度に発達した社会的分化・分業が前提になっていといえよう。問題はもともと首長制は内部的には分業を誘発する契機に乏しいのではないかということである。また、この政治権力の集中のような複雑な政治組織が一般的な社会的分化の結果として生ずるという主張は、ジ―クリストによれば多くの社会においては分化した社会秩序が、政治的役割の分化に存するか、あるいはそれから生まれたことを隠蔽しているという。首長制内部で分業が発達する原因が究明されなければならないし、それとも関連してそもそも中央権威・中央権力の発生が複雑な社会的分業をもたらしたかもしれないわけである。また社会的分化に原因を求める考えは、社会的必要性という機能主義的考えとも共通するものがあるが、ジ―クリストがすでに指摘していたが、エヴァンス=プリチャードは一政治制度の発生が、政治的あるいはその他の要求に呼応する必然性が何もないことがアヌアク族において明瞭であり、目的志向的な解釈に反対して、アヌアク族の貴族(王位)の自己価値性を強調していた。
 征服行動は、征服しようとする側にも、守ろうとする側にも団結心の高まりをもたらすであろう。また、その最中には指導者には普段以上の優越性が許容されるであろう。ただ、それまではそのような状態においても指導者が中央権威化していくことは防がれていたのである。征服説では何故今度はそのような防御装置が働かなかったのか、どのような変化が起こっていたのかかが問題になる。それは内部発生説的な問題であろう。征服行動の中には、そもそも首長に中央権威化しようとする動きがあり、その野心がもたらす軋轢を征服行動によって克服しようとするなかで行われる場合もあるかもしれない。その場合は、征服がそのまま中央権威の発生へと繋がっていくが、その場合も、首長が何故中央権威化しようとしたのかが問題になり、それは内部発生説的問題となる。また別の意味でも、征服説は内部発生説の特殊な例と考えることができる。何故なら、まず征服する側が中央権威をもっているならそれは中央権威の生成を説明するものではないし、被征服民側がすでに中央権威をもっていた場合は、征服側に中央権威が出現したとしてもそれは非征服民から取り入れた、あるいは影響を受けたにすぎないということになり、そこで問われるべきは被征服民がどうして中央権威をもっていたかということであり、今だ中央権威をもたない部族・民族による、やはり中央権威をもたない部族・民族に対する征服が中央権威を発生された場合こそが、征服説の真の問題になる。例えば、征服は征服者と被征服者の間に社会的分化・分業を作り出すかもしれないが、その場合は内部的な分化・分業に基礎を置く内部発生説の特殊な例として考えることができるかもしれない。また、首長による被征服民への搾取を執行する強制執行機関というものが出来たとしても、それが征服者側の成員に対しても強制執行機関とならない場合は、そのことを以て中央権威の生成とはいえないであろう。勿論、被征服者への強制執行機関が征服者内部のへ強制執行機関へと発展していくということはあるかもしれないが、その場合は改めて征服者内部での強制執行機関が生成されることになったかが問われなければならないであろう。すなわち、その場合も基本的には内部発生説の枠内に入るのであり、その際征服がどのような役割を果たしたかが問題にされるということになる。結局、征服説は広い意味での内部発生説に還元される。国家共同体主義的にいえば、征服で問題になるのは、同一民族あるいは似たような文化をもつものに向けられるものと、異民族あるいは文化的に異質な部分に向けられる場合の違いであろう。どちらにしろ、それは外部への攻撃となる。ただ、征服後に辿る道は違うかもしれない。同一民族あるいは同質文化どうしの場合は、征服者・被征服者が融合して一つの国家共同体に向かう傾向性が強いかもしれない。それに対して、被征服者が異民族・文化的に違いがある場合には、征服者がきわめて少数の場合は結局被征服者に埋没していくということもあるかもしれないが、征服者・被征服者という関係が固定化され、被征服者側に国家共同体があったとしてもそれは破壊され、国家共同体主義は征服者側にのみ成立するかもしれないわけである。
 従属被保護民仮説については、ルーシー・メイアはグシイ族とマンダーリ族に見られる諸関係によって説明しているといい、従属保護の関係はおそらく国家権力が発現するための萌芽であろうとするものである。ルーシー・メイアによれば、マンダーリ族とデトゥト族の関係から、強制幹部会が従属被保護集団の存在を通じて容易に形成されるとし、さらに強制幹部会の形成は、親族集団に対してよりも指導者に対して非常に強固な連帯の結びつきをもつような諸個人に頼らざるを得ないという。従属被保護民や従者は王や首長が支配者・権力者になっていく際の一般成員との間の軋轢を覆い隠し、一般成員と王や首長との同質性を維持したまま、王や首長の平等規範への違反を許容しやすくする働きをする。征服においても、征服は被征服民を抱えることにより、征服者全体に生じる被征服者への優越意識が同じような働きをすることが考えられる。また、この場合は統治ということも大きな意味をもってくるかもしれない。
 中央権力とは首長や王が直接物理的強制をおこなうのではなく、代理である強制執行機関が成立していることであるとすると、そのような代理強制執行機関は従属被保護民だけが担っているわけではなく、首長や王の周りの従者がなる場合もある。アヌアク族の貴族は、原告の願いに応じて、規範違反者達に対する掠奪遠征に彼の従者達を派遣することによって超地域的な争いに介入し、平民が敬意を失した場合には、あらゆる機会をとらえて、平民の家屋敷を掠奪した。従者達はまた貴族の負担で豊かになる。新たに就任した貴族は、彼の富の大部分を贈りものとして彼の支持者達に分配しなければならない。従者群は彼等自身の利害において貴族につき従っているのであり、それによって彼に威信が与えられ、貴族の名によって時に暴力行為を行うことにできる。また、個々の従者でさえ、貴族に対して行動の自由を保っていた。しかし、政治的には親族関係よりも従者関係が優先した。貴族の方でも従者を解雇することができたが、この従者群の契約的性格は、支配契約についての古典的諸理論に一つの経験的基礎を与えているという。親族関係よりも従者関係が優先するということは、ビックマンにおいてもすでに見られる傾向であり、サーリンズによればビックマンの若い親類の者たちは、親類の長老よりむしろ彼の方を管財人として、自分たちの富を委託しようとだんだん思うようになってくる。このような傾向は、国家共同体主義的に解釈するなら、国家共同体主義は最高権威者と国家共同体成員を同一化することによって成員に源初の肯定性を回復するということであったが、一たび最高権威者の権威が確立されるなら、その後は個々の成員にとっては単に自分ひとりと最高権威者の同一化がいえればいいということにもなり、最高権威者とのより密接な関係を求める従者心性とでもいえるものも生じてくということになる。その場合、従者が強制執行機関となることは、最高権威者と従者の同一化をもたらすであろう。そのような最高権威者と従者・強制幹部会から成る部分が、国家共同体内部における第二の国家共同体を形成するということも考えられてくるわけである。
 外部招聘については、内部におけるよりも外部に対する時のほうが平等規範が弱まるという傾向があり、それを利用して支配者への平等規範を弱めているといえよう。すでに述べたように、ジークリストによれば、外来者には平等性の障壁を跳び越えることが容易にできた。ただ、首長の外部招聘による国家共同体主義の成立と、その首長が中央権威化することとは別問題として考えるべき問題である。
 確かに、外部の人間の方が平等規範の壁は低いかもしれないし、そのことが国家共同体主義の成立にも中央権威の成立にも有利に働くかもしれないが、そのことが中央権威の成立を必然的なものとするといえるわけではないのである。
 外圧への抵抗説でジ―クリストがとりあげるのは、近代アフリカでは植民地化という外圧への抵抗が宗教的形態をとった場合、その抵抗運動の中で宗教的指導者が中央権威となり、執行幹部会が作り出されることがあるということである。その反支配=排外運動の舞台の多くは、分節社会に分類されることは、他の諸説と異なる。単純な首長制から中央権威の発生を考えるべきであるが、分節社会から直接中央権威が発生する可能性がないわけではないということになる。ジ―クリストによれば、無頭制社会において服従への心構えができていない状態で、いかにして強制幹部会がつくられ得るかという問題は、一人のカリスマ的指導者と、血縁関係を超えた祭祀に基いた一般的同意とに結びつけられることによって解決されたという。ティヴ族は自分自身の集団内の簒奪者に対して自らを防衛したのに対し、ルグバラ族、キガ族、ディンカ族、ヌエル族は奴隷商人や植民諸集団、あるいは異民族の中央権威からの支配権請求に対して戦いを起こした。それは宗教的形態をとり、聖水を飲むことによって彼らは不可侵になり敵の弾丸を防ぐという、ディンカ族のヤカン祭祀に起源をもつ聖水信仰は、ルグバラ族、ヌエル族、マンダーリ族などに波及していった。この運動は外に向けては明確に反支配的であったが、その創始者達には、伝統的役割体系の中にはなかった権限を行使する可能性をあたえ、ヒエラルヒー形成への明瞭な傾向が認められる。ルグバラ族では、通常の構成員、聖水の分配者、聖水のもともとの所有者の三段階の身分が形成され、上位二階層の成員はヤカンの首長として認められた。ジ―クリストによれば、祭祀運動の内部での格付けがルグバラ族の社会総体の中での社会的役割と結びついていなかったということは、革新の度合いの高さを証拠づけており、一つの根本的な革新は、ルグバラ族に聖水をもたらした一人であるログウャォロの仮宮殿のまわりに二〇〇個の小屋が密集して建てられ、この集団内の秩序を維持するために彼は初歩的な行政幹部会を任命した。また、ルグバラ族のヤカン祭祀は、伝統的宗教の重点が祖先崇拝にあったのに対し、神に憑かれた者とみなされていたが、無数の伝統的規範に反するものであり、ジ―クリストは建築術上の革新と祭祀のための集会で近親相姦が起こったことなどをあげている。ただ、ルグバラ族では長老の葬儀の後でも近親相姦が起こった。ギガ族のニャビンギ祭祀もヤカン祭祀と類似して外部からの支配に対する反抗であったが、ギガ族にとってニャビンギ祭祀は受容された革新だったという。ギガ族のニャビンギ祭祀はルアンダ王国から来たといわれ、ルアンダの王の称号がムカマであるのに対し、最有力な祭祀をバカマというところに、ルアンダの影響が示されているという。ニャビンギの祭司達を通じてのみ信者たちは女神ニャビンギに犠牲を捧げることができ、彼等は青少年の信者から親衛隊を任用した。祭司達は家畜と女を要求し、それらのかわりの勤労奉仕も受け入れた。ヌエル族のデング祭祀もデンカ族起源のものであり、ヤカンやニャビンギと同様、デングも天の精霊であり、その預言者たちはこの精霊に憑かれてた者であり、預言者と豹皮祭司は外見と行状から区別され、豹皮祭司が人間の切望を諸霊にの前に述べ立て、彼の儀礼上の任務が大地のタブーによって規定されるのに対し、預言者は人間に諸霊の意志を告知した。もっとも、預言者の中にはそれ以前は豹皮祭司だった者もおり、エバァンス=プリチャードは豹皮祭司と預言者との間の対抗関係の発生を否定しているという。預言者たちはしばしばディンカ族への遠征を指揮した。たいていのルイク・ナード(民衆の代弁者)がアラビア人の奴隷捕獲者達と協力したのに対し、預言者達はこのようなアラビア人に対する反抗のおかげで、その力を手に入れた。預言者たちは大きな家畜群を手に入れていたが、彼等の力は全く従者群の同意に依存しており、勢力のあったグウェクでさえ、行政府に戦いにおいて彼の部族の全てから支持を得られたわけではなかった。預言者の呪いという聖なる制裁の効力は預言者の人格に強く依存しており、聖なる制裁の効力は行政府によって任命された首長たちが布告する制裁より弱かった。ヌエルの預言者達に仕える強制幹部会が存在したかどうかについてははっきりした報告はなが、アラビア人の奴隷狩達に協力したルイク・ナードを打ち負かし、彼の従者群に殺させたデング・リケアの場合には、強制幹部会が存在したという証明は可能であるという。外圧への抵抗と結びついた宗教運動がすべて中央権威といったものを生じる訳でもない。ヌエル族では曖昧であったが、ジ―クリストはアンバ族では外圧が高まってもカリスマ形成の潜勢力が高まらなかったという。アンバ族では長老制といっても弱いものであったことを考えると、それだけ平等規範が強かったのかもしれない。
 この反支配=排外運動と結びついた祭祀集団については、中央権威の生成の問題とは別に、国家共同体主義の創出との関係でも考えなければならないかもしれない。そのカリスマス指導者・祭司が、最高権威者が神性・聖性を帯びているという要件を満たしていることは問題がないであろう。問題は、その祭祀共同体において、宗教的権威者と一般信徒の間の同質性がいえるのかどうかであろう。もともと外圧にたいする抵抗であるから、そこにおいては団結心が高められていることが考えられ、それに宗教的共同意識が結びついているわけである。ただ、創始者や祭司と一般信徒との違いもまた強調されざるを得ないのではないだろうか。彼等が一般信徒から超絶しているからこそ、彼等が配る聖水も超自然的な力を持つことが出来るわけである。また脅しによって信者へ引き込むといったことも行われるわけであり、そのようにして生じた祭祀共同体が、本当に国家共同体たり得るのかという問題もある。また、伝統的な部族共同体とは切り離されたとすれば、そこには分節的社会が持っていた同質性もまた失われていたと考えるべきであろう。一方、国家共同体でもない祭祀共同体から中央権威が生成してきたとすれば、首長や王といった存在を国家共同体主義的に解釈することに問題を突き付けているということにもなる。

引用・参考文献
 『支配の発生』 クリスチアン・ジ―クリスト
 『暴力の考古学――未開社会における戦争』 ピエール・クラストル
 『アフリカの伝統的政治体系』「序論」 フォーテス、エヴァンス=プリチャード
 『石器時代の経済学』 マーシャル・D・サーリンズ
 (頁先頭)

 

第九節 未開社会における国家共同体主義の内部崩壊性

 国家共同体主義は差別性と同質性・平等性という内部矛盾とともに、中心理念としての国家共同体主義の自己崩壊性という、二つの自己破壊的要素を内包しているといえる。そして、その二つの内部的破壊要素に対する防禦は、未開社会において、しばしば同時に一体化して行われることがある。例えば、新しい王の即位に際しては、王と結びつく源初の肯定性の回復の他に、差別性と平等性という両義性がもつ矛盾・対立から差別性と平等性の相補性回復が図られる。
バランディエによれば、事物の秩序と人間の秩序は、これらの秩序が内部にかかえている諸破壊力によって、これらの秩序を維持しているメカニズムの摩滅によって、脅かされている。すべての社会は、最も凝固的にみえる社会でさえも、防禦不全感につきまとわれており、再創造と更新化の方式は、その多彩さを越えて、ひとつの共通な性格を持つ。すなわち、これらの方式は社会的宇宙と自然にたいし同時に働きかけるのであって、行為者としては人間たちおよび神々をもつ。祭典は、神聖なものの登場をもたらし、興奮と豊富のさなかに最初の創造の瞬間を復元する一種の初源的混沌を再現し、更新の企ての最も完全なもののひとつとして現れる。この不断修復の任務に貢献する過程は、数多く存在するのであり、結婚の式典、成人式、葬式といった人生の節目や、呪術も、社会はその加害者、呪術者あるいは過激な反対者を名示することによって社会の悪を固定し、その悪を中和することによって自らを再建しようとするし、秩序の再創造の企ては、必然的に権力の保有者たちを巻き込むが、ある種の企ては、そのことによって政治機構の維持に貢献する。バランディエはギヤールが「ほとんど宇宙的な責任」を担う者とするニュー・カレドニアの首長について、耕作周期への彼の実効的参加は、このような義務によって説明がつくが、彼の参加は、ある種のやり方で自然の更新と人間たちの強化とを結びつけるという。新しい首長が自己の権威を確立するのは、ピルピルという最も威信にとみ、最も全体的な儀式の際においてであるが、彼はこの儀式を司会し、この社会的儀式は全共同体を参加させるもので、祖先の宥和を求め、死者たちを敬い哀悼の達成を記し、新しい誕生を祝い、成人式をすませた若者たちの男性生活への参加を確保する。各範疇の参加者たちに対し、政治的過去を想起させる順序とこの過去が樹立した諸関係とに従って、特定の座席を与え、財貨の贈呈をおこなう。そして最後に、舞踏が宇宙と社会の活力を表現する壮大な行事において、人間たち、彼らの祖先と神々、彼らの財富と象徴的財を合同させる。この祭典は、基本的社会関係の真の演出をはかるものであって、そこでは敵対関係も対決の遊戯に変えられてしまう。この祭典を通じて、社会はその潜在的紛争を除去され、遠い氏族間の紐帯は強化される。社会が自己について、また自己を包摂する宇宙について完全な意識をいだくこれらの瞬間に、首長は中心人物として現れる。諸社会の勢力の結束が再構成されるのは、首長を中心としてであり、外部に向けられる一種の挑戦を契機としてである。この新規化は定期的に行われ、祭典は大量の財富の蓄財を必要とするが、祭典の周期は活力充満の周期と一致し、首長はこの充満のおかげで地位を争われることがなく、皆の目に「偉大な息子」オロ・カウとしてとどまることができることになる。以上のようなバランディエの議論を国家共同体主義的に理解するなら、国家共同体主義が必然的に持つ矛盾、すなわち首長と一般人の差別性と平等性の対立性が持つ破壊的な力と、国家共同体主義そのものの自己崩壊性に対する社会の防禦であり、時にはそれが一つの行為の中で行われるということである。  ただ、ギヤールはメラニシア首長制の構造の研究において、首長(オロカウ)と土地の主(カヴ)の間の任務の分割を規制する諸原則を明確にしているといい、オロカウは命令としての言葉によって行動し、カヴは事物の秩序の具としての儀式によって行動するが、この二人の間に存在する矛盾が社会の活力の大きな部分を成しており、この矛盾は、権力の戦略と神聖なものの戦略は常に合致するものではないことを示しているという。従って、伝統的王権の強化の企ては、しばしば王権の宗教に対する支配力の拡大に向かうというのであるが、このバランディエの言葉は、本論的には、自己放棄の弁証法的体系における現理念に対する前本質期の再定立と、その対立と相互依存、そしてその過程を通じて自己放棄の体系そのものが創出され維持されていくという問題と、現理念としての国家共同体主義の自己崩壊性に対する強化維持の問題を混同して捉えているといえる。王権は現理念を担う俗なる存在として聖なる権威に対する優越性を強調する必要があると同時に、その源初の肯定性を聖なるものとの結合に求めている以上、聖なるものは王権に優越するものとしてあるということである。幻想である自己の源初の肯定性の自己崩壊に対抗するために、ますます聖なるものにすがりつかなければならないともいえるのであり、聖なるものに対して自己の優越性を絶えず強化しなければならないということでもあり、それを聖なるものに対する支配力の拡大という転倒した形で行うということである。

 山口昌男は『神話システムとしての王権』で、王権の円環的構造を指摘している。精神的にも身体的にも充実していた王も、その振る舞いはやがては使い古されたモデルの繰り返しではないかと気づかれる日がやってくる。その時王は、日常的に次々と社会に出現する目新しい事象と、権力による使い古された反応の間にある矛盾を解決することができなくなる。こうして、王の体力の減退は、これまで神話的な空間を切り開いてきた精神的に崇高な力の衰退を引き起こす。彼の行動と思考は、ある時期を経て、あたかも鋳型のように固まってしまい衰退が始まる。このような状況は王の身体的な衰弱が招いた「時間の汚染」と考えられ、時がたち、権力が彼のもとを去ったときに王は死ななければならないのである。多くの古代社会では、「年老いた王」は事実上ほぼ例外なく死に追いやられることがわかつているという。王族の近親相姦や神話のなかの親殺しのように、王権を正統化しているシステムは、王が社会においてもっとも重大な罪を犯すことができるという隠された能力を示すことにあり、王権は、自然の力を社会に取り入れるという反文化的な側面にうったえることによってのみ存在している。そして、物理的自然のリズムと調和している文化の外側にあるという意味において、王族を正統化する原理が無時間の場に置かれているという事実のなかには矛盾が内在しており、その矛盾は、時間という物理的概念に刻まれた特定の人間において体現されるのであり、王権が二つの儀礼的な形象、すなわち年老いた王と若き王とに人格化され、時間的なディレンマを解消するのはこういう理由によるという。
 「年老いた王」が殺され、新しい王が即位するわけであるが、山口昌男『政治の象徴人類学へ向けて』によれば、人類学的所見の示すところでは、権力はつねに差異の強調、その差異の象徴化、そして差異の華麗な誇示という形をとる。王権の前提はこういう差異であり、差異の誇示は即位式において頂点に達するという。そうすると、国家共同体主義的にみれば、即位式で頂点に達した差異化された王の源初の肯定性は、国家共同体主義が一般人もその源初の肯定性を王との同質性によって獲得することにある以上、即位式の瞬間から差異性は失われていくという構造をもっているということになる。そして、王と一般人の差異性が無くなったとき、国家共同体主義も機能しなくなるということである。ある瞬間に王権はその差異性を再獲得しなければならないわけである。年老いた王の身体的衰退に、国家共同体主義の構造が持つ、王自身の源初の肯定性の自己崩壊性と、王と一般人の同質化による国家共同体主義の機能不全という、二つの国家共同体主義の崩壊過程が重なるわけである。というよりも、それは重ねあわされるというべきかもしれない。国家共同体主義の矛盾が、王の老化に摩り替えられ、その否定的な存在になった老王を否定する意味で王殺しが行われ、否定の否定としての肯定として、また空位期間の持つ源初の肯定性を吸収することにより、あらためて差異化された源初の肯定性を獲得した存在として新しい王が即位し、それが即位式という形で誇示されることになるわけである。
 王殺しが王と源初の肯定性を結びつけることは、フローレンス島のリオ族のジョカ・テウ(鼠追放)という儀礼の例からもいえるかもしれない。山口昌男によれば、リオ族の多くの村落は敵対関係にあるが、村落の規模は地域によって異なり、南海岸地帯では五百人を越す村も少なくないが、中央から北にかけては二百人はもう多い方に属する。山口は首長とも記すが、村落は基本的に世襲される七人の司祭によって宗教・政治的に管掌され、主司祭が中心的権威を帯び、これに続いて副司祭が軍事・渉外を担当するという形で主司祭を補佐する。大地と霊的な関係を保つのは地神司祭で、農作業の始まる播種の時期に土地の神に供物を捧げる。司祭たちは、農耕儀礼を中心とする一年の儀礼サイクルを司り、軍事・行政・司法的な機能を司るが、多くの事件は親族集団のレベルで解決される。リオ族では収穫の後に収穫祭が執り行われるが、収穫祭のあとの一日はジョカ・ジュ(悪霊追放)の儀礼が行われる。中央地帯では一週間ほど続く収穫の大祭の頂点は、村落の中心の儀礼的家屋のなかで深夜七人の司祭が参加して象徴的な死と再生の儀礼が行われるが、その神事はリオ族の起源神話の再現でもあり、リオ族の始祖であるアナ・カロ誕生以前の天地もまだ分離していない混沌の闇の状態に還るという形で行われる。この象徴的な死と再生の儀礼における再生とは、天地もまだ分離していない混沌で示される源初の肯定性として司祭たちが再生するということであろう。その翌々日にジョカ・ジュ(悪霊追放)の儀礼が行われるが、北部地帯ではこの儀礼は鼠を前年の災いの元兇として域外に追放するというスケープゴート追放の色彩を帯びる。南海岸地域ではその儀礼はジョカ・テウ(鼠追放)と呼ばれるが、この地域において鼠と同一視されるのは司祭であり、村落によって異なるが、行列を組んで行進する司祭達に悪罵が投げつけられたり、子供達が股ぐらを掴むことを許されたり、司祭の一人が災厄の根源としての鼠として手を縛られ、遠くからではあるが灰が投げつけられ、村境で追放され、後に密かに戻る。山口昌男によれば、この儀礼には二つの方向性が見られ、一つは内に向う方向性で、時間と歴史の始まりの彼方の混沌に帰一するというものであり、もう一つは、そうした混沌を外在化して放逐することによって時間・空間を蘇らせるという方向で、儀礼における過剰な求心化と過剰な遠心化が同質の対象(混沌)に向って動機づけられ、両極は一致する。ただ、北部ではジョカ・ジュ(悪霊追放)において司祭に対する遠心的な側面が見られないのに対して、南海岸地域でのジョカ・テウ(鼠追放)には遠心的性格が強く、北部のような求心的前半の部分は特に表面化していないという。このように中央・北部のジョカ・ジュ(悪霊追放)と南海岸地域でのジョカ・テウ(鼠追放)は方向性が違うかもしれないが、二つの方向性は時間と歴史の始まりの彼方の混沌に帰一するのだとすれば、二つの儀礼は同じ意味をもっているのかもしれない。中央・北部ではまず象徴的な死と再生の儀礼を通じて、司祭たちに源初の肯定性が回復し、さらに悪霊や鼠を追放することによってその源初の肯定性が村落全体にも回復されるというように理解できる。そうすると、南海岸のジョカ・テウ(鼠追放)もまた、司祭たちと村落に原初の肯定性を回復させる儀礼ということになる。そして、そこでは前半の儀礼的家屋のなかでの司祭たちの源初の肯定性の回復が見られないということは、司祭達(その代表者)の村落からの追放が司祭達の源初の肯定性の回復をもたらすのだということであろう。追放される司祭とは、その源初の肯定性が喪失しつつある司祭であり、追放されるのは司祭というよりその源初の肯定性の喪失性であるとするなら、喪失性が追放された後には原初の肯定性が再び甦るということにもなる。ジョカ・テウ(鼠追放)が司祭と村落に源初の肯定性をもたらす儀礼であるとすれば、すなわち王殺しも王権と共同体に源初の肯定性を回復する儀礼だった可能性もある。王殺しで殺されるのは、王そのものではなく、王の源初の肯定性を失いつつある側面なのだとすれば、王のその否定的な状態が王殺しによって王権から抹消された後には、王権には再び源初の肯定性が力強く甦るということになるわけである。
 南海岸地域でのジョカ・テウ(鼠追放)は首長である司祭に対する反抗儀礼ともとれる。その場合、南海岸地域では集落の人口が多いということは、それだけ同質性が弱まり、それを再強化するために平等性を強調する儀礼が必要になったのかもしれない。山口昌男はこのリオ族の例は、政治権力の二律背反性を考える上で極めて示唆的であると言えるかも知れないという。祝祭日以外の日々では、村落における宇宙の儀礼・法・軍事的指導者としての司祭達には、殆ど絶対的と言っていいほどの崇敬の念が捧げられている。ところがジョカ・テウ(鼠追放)の祝祭日には中心のなかの中心とも言うべき司祭が負性の極をいく鼠と同一視されて、非中心化が行われる。山口昌男によれば、権力に対する両義的なかかわり合い方は、多くのアフリカ社会で観察され、ジュクン族の例で示したような「王殺し」の伝説は、ある意味でこうした両義的な心理の表現形態になり得ているという。権力に対する両義性は、国家共同体主義が差異化と同時に平等性に依拠するという両義的性格を持つと同時に(それが反抗儀礼をもたらす)、王の差異性そのものが持つ矛盾をも表している。王は源初の肯定性を体現しなければならないが、源初の肯定性とは存在即肯定であるから、単に存在する者として王と一般人は何ら区別されない以上、差異性そのものが王が源初の肯定性を体現していることを否定している。王が源初の肯定性を体現するためには、それを否定するものをさらに何らかの形で否定する必要があるわけである。一般人の王に対する否定的な態度や反抗儀礼は、国家共同体主義における平等性の現れであるとともに、王自身の矛盾を王と一般人の差異性と平等性という矛盾に転化し、王自身の源初の肯定性に対する否定的側面を王から取り除くという意味もあったのではないだろうか。

引用・参考文献
 『政治人類学』 ジョルジュ・バランディエ
 『神話システムとしての王権』 山口昌男
 『政治の象徴人類学へ向けて』 山口昌男
 (頁先頭)

 

第十節 国家共同体主義を否定するかもしれない諸例

 本論の国家共同体主義という考えを否定しているかもしれない事例として、二つの問題をとりあげる。一つは、首長や王に神性・聖性というものが無いように思われる例があることである。首長や王がいても彼らが源初の肯定性を体現していないなら、そこに国家共同体主義は成立しない。この例は、さらに首長や王といった差異性・不平等性の発生する初期、あるいはその萌芽ともいえる段階の例と、ある程度首長制や王制が確立された段階における例を区別すべきかもしれない。国家共同体主義が創出される前後の時期にはどのようなことが起こり、それがどのようにして国家共同体主義の創出に至ったかを考えると、そこには一定の多様な動きというものを想定しなければならないし、時には国家共同体主義的ではない差異性・不平等性が生じる可能性もあるわけである。その場合は、そのような例があったとしても、それが必ずしも国家共同体主義そのものの否定を意味するとは限らないことになる。ここでは初期の差異性・不平等性の例としてビッグマンとナンビクアラ族の首長をとりあげる。首長制・王制が確立された時期においても首長や王に神性・聖性が見られないとすれば、それは国家共同体主義にとっては不都合な事実ということになるであろう。ここでは、西スーダンの古王国とメソポタミアの例をとりあげる。もう一つは、国家共同体主義が崩壊する過程とみられる時期に、王がいなくなって共和制に移行してしまうという事例があげられる。自己放棄の弁証法的展開においては前中心理念は再定立されなければならないのであるから、当然王といった存在も存続しているはずである。王がいなくなるということは国家共同体主義が再定立されなかったということであり、中心理念としての国家共同体主義はなかったということにもなる。ここではアテネの例をとりあげる。

第一項 ビッグマン

 サーリンズによれば、首長あるいは首長制社会は、親族が王であり、王とは、上位の親類の者であるにすぎない社会であり、本当の王や国家ではない。そして、首長国と単純な狩猟=採集民の中間に、公職や称号、身についた特権、団体的な政治集団の支配権などはまだ保持していないが、とはいえ中軸となる地域リーダーが傑出した地位にある、そうした部族も多いという。そのリーダーは、メラニシアのビッグマンがその好例であり、平原アメリカ原住民のチーフもまた同様である。彼らは、いわゆる「名をあげる」人々、あるいは、一般庶民のうえにたち、追従者を集め、こうした権威をうちたてる「重要人物」「大物」に他ならない。本論的にはビックマンの登場も、国家共同体主義の創出過程の中で生じたと考えなければならないだろう。

 国家共同体主義は差異性と同質性という相反する二つの原理の上に成り立っていた。ビッグマンにおける差異性をみると、彼が他の成員に対して傑出した人間であろうとし、それを他の成員にも認めさせようとし、他の成員はそれを認めるところにあるといえよう。ピグミー族の像狩りの名人は傑出した人物といえるが、彼はそれを誇ろうとはしないし、他の成員も彼が像狩りの名人であることを重要視しないのとは正反対ともいえる。サーリンズによれば、ビックマンは気前のよさをつうじて社会的地位を上昇させ、その名声を獲得していく。気前のよい分与とは、まだ返弁されていない贈与であり、それは贈与を受けた方に負い目を負わせる。贈り手と受け手の間に不均衡な関係が生じ、人々はへりくだって、贈り手であるビックマンに尊敬と敬意をはらうようになり、その追従者になるというわけである。ビックマンになろうという野心をもった人間は、まずその為に必要な富を得るために、人より多く働く。西メラニシアのビッグマンの典型は、男たちの家のリーダーに他ならないが、ガワ(ブサマ)族の男たちの家のリーダーとは、彼の両手が土でよごれていないことはなく、その額から汗がしたたりおちていないことはなかった、といわれる男達のことであった。サーリンズによれば、ビッグマン志望者はヒトより多く働き、また妻をふやすことで、世帯の富を増やし、さらには自分の世帯ともっとも近い親戚から集める。彼は姻戚への義理をはたすための富をいつも準備していたり、たやすく自分ではこべる荷物なら何でもかついでやったりすることで、老若をとわず親類の者たちに魅力的な人物とみせことにより、若い親類の者たちは、彼の仕事を自発的に手伝ったり、働いてくれというよびかけに機嫌よく応じたりして、彼の支持をえようとつとめるようになり、彼らは、親類の長老よりむしろ彼の方を管財人として、自分たちの富を委託しようとだんだん思うようになってくる。そうやって、気前のよさの元手を増やしていくわけである。そうしをて増えた元手を、公的な大祭や、時にはガワ(ブサマ)族の野心的なビッグマンのように、大いに苦労して食物を無償譲渡する口実をひねりだしてまで、気前よく分与するわけである。しかし、ピグミー族の像狩りの名人も命の危険を冒してまで大量の肉をキャンプにもたらすのではないだろうか。しかし、そのことが贈与を受けた方に負い目を負わせ、贈り手と受け手の間に不均衡な関係が生じ、人々がへりくだった態度を示すわけではない。すなわち、気前のよさが自動的にその人間に名声を与えるわけでも、彼に対して人々がへりくだるわけでもなく、社会が自分たちとは違う傑出した人間を求めだしということが、ビックマンに名声を与えだしたといえるのではないだろうか。傑出した人間の存在の必要性が、一方ではビックマンに自己搾取とでもいえる過剰な労働をさせ、他方では他の人間にビックマンにへりくだろうとする態度をとらせるわけである。サーリンズによれば、ガワ(ブサマ)族では、野心家である村の首位のビッグマンは別にして、その他のビッグマンは、その仕事が大変なことから、たいていしぶしぶその地位についていた。必ずしもなりたいわけでもないのに、ビックマンになるのは、そのような存在を社会が必要としているからともいえるであろう。
 国家共同体主義的にはビックマンの神性・聖性も問題になる。別の言い方をすれば、ビッグマンは源初の肯定性を体現した存在でなければならないが、果たしてそのようなことがいえるのかということである。ビッグマンは大祭のような時に気前よく振舞うことによってその名声を高めるのであるが、しかしそのことによって彼が神性や聖性を帯びた人間として存在しているかは微妙である。
 もしピッグマンに神性や聖性との結びつきがあるとすれば、彼の気前のよさは主に食物贈与にあるということには注目すべきかもしれない。未開人の相互扶助は、一方的な物の分与の相互の積み重ねとして行なわれる。サーリンズは、ブッシュマンや他の食物採集民のように窮乏の可能性が極端にたかいと、豊かにもっているものを分け与える傾向が最善の法則となってくるのであって、地域共同体のなかで不断の分与を制度化しておけば、しばしば陥りやすい食物の欠乏をも、なんとかしのぐことができるだろうという。ここから、狩人が自分の倒した獲物を食べてはならないというタブーだとか、それほど極端ではないが、ずっと一般的な禁令としての、大型の動物は、キッャンプをとおして分与されなければならないといったことが、よく理解できるし、別のやり方では、食物分与に強い道徳的価値を負荷させて、個々の規則ではなく、規則一般にまで高めている場合も生じてくる。また、もしそうだとしたら、不況だけではなくて、とりわけ好況の時にも、分与はおこなわれるはずであり、思いがけない幸運にめぐまれたとき、一般化された相互性が、その絶頂に達する例として、大量のツイの木の実を集めたブッシュマンの例を取り上げている。その場に出くわした報告者によると、その大量の木の実をありったけの袋につめこみ、報告者のジープに積みこみはじめると、彼らははやくも、お互いのツイの実をやったり貰ったりの、きりのない仕事に大忙しで没頭し、贈物をすでに始め出し、その後も何日かの間、だんだん量は少なくなったが、小盛り一山とか、小袋一杯とか、さらに掌一杯というようにツイの実の分配は続き、とうとう最後には、ごく少量の調理したツイの実を分けあいながら、食べたという。そこでは同じものがやり取りされるわけであるから、物と物の交換といういみでは無意味な行為であり、交換自体が意味をもっているのだといえる。そして、「一般化された相互性は、その実際的な運用では、一貫した一方通行の財の流れとして表示するのがよいだろう。返報しなくても、与え手はものを与えることをやめたりはしない。」(『石器時代の経済学』)という。富はしばしば贈与が目的で、集められるのである。サーリンズは、イール=イロント族には主として感情的なもので、愛他的な贈与と考えられている変則的な贈与があって、 「ここから、ただゆずりたいために、財を手をいれいるようという欲求が、どうやらおこってくるものらしい。」というシャープの言葉を記している。
 未開民族の相互扶助の起源は、ネアンデルタール人に相互扶助的行動がすでに見られるのであるから、前本質期の人類にあるのではないだろうか。ただ、ビックマンの気前のよさには、一種の過剰な相互扶助という様相があるともいえる。もちろん、同じツイの実を交換し合う未開人にも過剰性がないとはいえないが、ビックマンの場合には、そこに自己搾取ともいえる過剰労働が加わってくるのである。首長制社会であるベンバ族やハワイ諸島民においても労働時間は四時間ほどであり、ビックマンは過剰な労働に従事しているのだといえる。そこまでしてのビックマンの気前のよさは、過剰な気前のよさ、過剰な相互扶助といえるだろう。そしてその過剰な相互扶助は、前本質の過剰な肯定性としての、源初の肯定性に結びつくのではないだろうか。そうすると、ビックマンとは源初の肯定性を体現する人間ということにもなる。肉、魚、その他が大量にとれると、パトウィン族は、村の首長のところへもっていって、もっとも困っている家族に分配してもらうという。どの家族も、幸運にありついた隣人に食物を要求してもさしつかえなかったのであるが、パトウィン族では積極的に他者の役に立とうという行為を首長に集中しようとする傾向があるのだといえよう。首長を気前のよい人間にするために、首長に多くの富が集まるようにするのは、首長を相互扶助の美徳をだれよりも持つ存在としていこうという、共同体全体の意思といものを感じる。何故そうするのかといえば、首長を源初の肯定性を体現する存在とするためなのではないだろうか。首長制社会の例ではあるが、ベンバ族ではほとんどのアフリカの部族と同じく、食物の分与は、その首長制の絶対的に本質的な属性となっているといい、調理された食物の分配が、権力者の属性でもあれば、威信にもほかならない。ベンバ族の考えでは、中心部で食糧供給がうまく組織されていることと、部族全体の安全と幸福とは、一つの事なのであり、自分たちの支配者が大きな穀倉を持ち、中心部に食物があると安心感、安堵感がえられ、自分たちは力強く、成功した人のために働いているのだという気持になるという。過剰な相互扶助がビックマンを源初の肯定性を体現する人間とし、その気前の良い分配が祭りの時に行われ、ビッグマンを他の人間から抜きんでた存在とするなら、あるいはその時ビックマンは軽いものかもしれないが、神聖・聖性を帯びている可能性もある。
 祭りとビッグマンによる食物贈与の関係を考える際、首長制の社会が参考となるかもしれない。サーリンズによればティコピアのようなごく小さな太平洋の島々や遊牧民の首長国では、首長と庶民とのあいだの平常の財の流れは個々別々に小規模なものであり、大規模な物資の放出は祭式のときに見られるのである。サーア族では祭のためにつかわれる二つの言葉があり、ンガウヘは「食べること」を意味し、フウラーアは「名声」をいみする。それは祭に食物を提供することにより名声が上がるということばかりでなく、それは祭りそのものだということにもなる。食物を提供することにより名声が上がるということが祭りだとすれば、その名声には当然神聖・聖性という属性が付加されているということになる。
 祭の場において、ビックマンは彼の過剰な労働によって得たともいえる食料を提供するわけであるが、祭りにおいて、食料自体が一種の過剰な意味を帯びてくるのかもしれない。マリノフスキーは、トロブリアンド諸島民にとって、どんなときでも食物の量の多いことがいちばん重大であり、「おれたちは食うだろう。吐くまで食うだろう」というのが、ごちそうのときの喜びを表わすきまり文句であるが、これは小屋に貯蔵されたヤム芋が腐るということを考えて愉快に感ずるのと対応する現象であるという。この食べ物の豊富さが祭りと結びつくことがある。ウォジェオの男は、祭りなしではあんなにクリの実をあつめたり、クリの木を沢山うえたりしないし、食べる分ぐらいは十分にあるが、たらふく御馳走にありつくことは決してないだろうという。たらふく食べるということは、単に食べることとは区別された、一種の過剰性なのだと考えられ、その過剰性は祭りと結びついているわけである。あるいは、この食糧と祭りの結びつきは、労働の聖化とも結びついているのかもしれない。ティコピア族やフィジー諸島民といった人々は、労働から祭礼へとなんのわだかまりもなく周期的に針路をふりかえるという。彼らの言語には両者を区別する分類区分がなく、「神々の仕業」といったような 共通の用語で表現すべき、大いに厳粛な活動といずれもみなされているからである。そして、サーリンズは労働と遊びのあいだになんの区別もない、あのオーストラリア原住民のイール・イロント族について、どう解釈したものだろうかとするが、そこで問題になっているのは存在、すなわち存在即肯定における存在なのかもしれない。

 ピッグマン社会における同質性であるが、サーリンズによれば、首長あるいは首長制社会は、親族が王であり、王とは上位の親類の者であるにすぎない社会であった。メラニシアのビックマン・システムではかすかに発生していた群小共同体の統合が、首長制のピラミッド型の社会ではより完成されているが、政治的骨組は親族制集団によって調達されている、親族制に基礎を置く社会であり、首長位とは親族体の政治的分化にほかならないし、その経済的役割は親族制道徳の分化にすぎない。リーダーシップとはここでは親族制のいっそう高い形態を意味し、したがって、相互性と気っぷのよさのより高い形態を意味するものにほかならないというが、ピッグマン社会の同質性も親族制によって与えられていると考えられる。
 食物贈与はまた人々の一体性を強化する働きがあるかもしれない。そうすると、ピッグマンは食物贈与することにより、自己の名声を高め、他者との差異化を図る一方、その社会の一体性、同質性も高めているということになる。サーリンズによれば、少なくとも友人や親戚のあいだでは、食物とそれ以外の物と直接に交換してはならないという原則が在し、利害を異による者の間でのみ食物は取引される。そして、未開人にとっては、非親族とは共同体(ないし部族主義)の否定という内包をもっており、しばしばそれは敵・異人の同義語であるという。一般化された互酬性の中でも食物贈与は特別な意味をもっており、それは親族あるいは親しい人間の間で行われるものであり、ピッグマンが食物贈与をするということは、彼が親族や親しい人間の範囲でそれを行っている、あるいはそれが社会的に容認されているとすれば、その贈与が行われる範囲は親族や親しい人間の範囲とみなされるということにもなるわけである。サーリンズによれば、食物にたいして直接に等価返礼することは、たいていの社会環境では、不穏当とされ、与え手と貰い手いずれの側にも、動機に不純なものがまじっているのではないかと疑われるのだという。ビックマン社会では食物の贈与に対して食物で返礼するかわりに、名声という形で返礼するわけである。ただ、それは食物とそれ以外のものとの「均衡のとれた互酬性」ということになるのではないだろうか。しかし、ビッグマンという存在が社会的に求められているのだとすると、その交換は当事者たちが、互いに異なる利害をもったものとして対決しているということにはならないであろう。ベンバ族でも、食糧は首長と他の成員とをより一体化させる効用があるのかもしれない。ウムラサ(貢納=労働)菜園とウムラサ穀倉は、人民に帰属するものとみなされており、首長の貢納菜園からなら盗んでもよいとされている。

 ビックマンによる食物贈与が国家共同体主義的には国家共同体内部で行われるのだとするなら、食物贈与はその国家共同体の範囲を拡げる働きもあるかもしれない。サーリンズによると、部族の見取図は、一連の親居住圏がいくえにもとり囲んでいる構図として描くことができ、 一番内側のせまい圏域では一般化された互酬性、一般化された様式が支配的だが、中間域では、均衡のとれた互酬性、一番周辺の部族間圏域では否定的互酬性というように、それぞれの圏域には、それ特有の支配的な相互性の様式が存在する。ただ、部族間圏域での否定的互酬性においても、暴力による横領は緊急の必要のばあいにかぎられた最終の手段で、平和共存こそ平常の姿である。境界での交換が双方にとって危機的な状態におちいるのを防ぐために、普通でも値切り交渉は現実に抑止されており、圏域的な距離が離れているにもかかわらず、交換は公平で均衡がとれている。
 国家共同体は共同体に差別化・差異化をもたらすことができるようにその平等規範が弱められていなければならない一方、他方では最高権威者との同質性が保証される程度には平等性・一体性が存在しなければならなかった。このうちの、平等規範の弱体化については、国家共同体における共同体の拡大という方法があるのではないかと考えてきた。この場合、一体性の弱体化もまた伴うであろう。ビックマンの場合、その名声の影響範囲の拡大への努力というものが見られる。ビックマンはその富を、例えば大きな祭りなどを通して 幅広い人たちに分与していくことによって、その影響力の範囲を拡大していく。サーリンズによれば、ビックマンとその法外な野心は、無首長的な、小さな自立的共同体に細分された分節社会が、その亀裂を一時的にせよ乗り越えて、よりひろい関係野とより高いレベルの協同をうちたてるための手段にほかならならず、自分自身の名声をたかめようという関心をとおして、メラネシアのビックマンは、部族構造のなかでの連節点となるという、政治的意義をもっているという。これを国家共同体という視点からみれば、ビックマンはその国家共同体をそれまでの共同体から拡げているのだといえよう。サーリンズによれば、食物は、必要不可欠な生命の綱であるから、一番すばやく、必要に応じて一般化された互酬性として分与されるのにたいし、樹皮の布やビーズ類は、均衡のとれた贈与にまわされやすいという。さらに、食物の一般化された交換域は、それ以外の物の一般化された交換よりも時として広いという。食物の贈与にはその一般化された交換域を親族の外に拡げる作用があるともいえるわけである。一方では、その広がった範囲を親族的一体性を持った範囲に親密化もしていくわけである。
 ビックマン社会ではないが、トロブリアンド諸島の首長制国家共同体がその意味で親族化していることは、トロブリアンド諸島に未開貨幣が見られないことからもいえるかもしれない。この首長国の島は、貨幣使用部族の島にとりかこまれているのに、貨幣をもっていない。サーリンズによれば、未開貨幣は周辺的な社会圏域で、均衡のとれた交換がきわめて効率に発生するような経済と結びついている。そして、首長国では周辺圏域を対外関係から対内関係に転換し、隣接する地域集団を政治的統一体のなかに包みこんでしまうことで、周辺圏域をついには解消し、排除してしまう。と同時に、交換関係の内部化と集権化によって、均衡のとれた相互性の発生率が低下する。サーリンズによれば、均衡のとれた交換は、だから、首長国の制度的レベルにまでくると、しだいに衰退して、一般化された交換に変わってくるのであり、未開貨幣にとって、このことが何をいみするかは、トロブリアンドに貨幣がないことから、たぶん例証されるという。トロブリアンド諸島において、均衡のとれた交換が衰退し、一般化された交換に変わっていったとすると、それはその首長国が大きな親族集団のようになっていったということであろう。ただ、マリノフスキーはトロブリアンド諸島の首長制について、部落の筆頭者あるいは権威者としての制度とトーテム的氏族の長としての制度という、二つの制度の結合したものであるという。その地縁性と血縁性が結合したトロブリアンド諸島の首長制社会が、一種の親族集団性を帯びているということである。
 もっとも、サーリンズによれば、均衡のとれた交換から一般化された交換への変化は、国家共同体主義が引き起こすともいえないようである。未開社会の大部分では、功利主義的でもあれば用具的でもある互換活動を直接考慮にいれても、均衡のとれた相互性が、一般におこなわれている交換形態ではないということから、均衡のとれた相互性が安定的かどうか、という疑問がうかび上がってくるが、均衡のとれた相互性は、どうやら自己解体の傾向をもっているらしいという。一方では、比較的遠くはなれた当事者間で高名な均衡のとれた取引が引き続きおこなわれると、信用と信頼がうちたてられ、その結果、社会的距離が縮まって、さらに将来ではもっと一般化された取引がおこなわれる機会が増大する。他方では、返礼の仕損じが交易パートナー制を破壊するように、背信行為が関係を打ち砕いてしまう。とすれば、均衡のとれた相互性は、もともと不完全なもの、あるいは多分、その永続のためには、特別な条件が必要だと結論でき、いずれにせよ、相互性は、社会的な断面からみると、たいていのばあい一般化された様態へと傾きがちだといえるのではないかとする。あるいは、この均衡のとれた互酬性は一般化された互酬性へと向かう傾向があるということを利用して、国家共同体は水増しされた国家共同体として平等規範を薄めながら拡大していくということなのかもしれない。

 ビックマンになるためには、富が必要であり、サーリンズによれば、経済的不均衡こそが、ランクとリーダー制の起動装置として、気前のよさ、一般化された相互性を発進させる鍵にほかならない。未開社会では、しばしば、圧倒的な気前のよさを示すのでなければ、高いランクは保証され支持されないとされ、首長制においても気前のよさから威信が生じるのであり、気前のよさが重要な点ではビックマンと変わりがない。ただ、首長とビックマンを比べると、ビッグマンという地位は不安定なものである。ビックマンがその名声を維持できるのは、彼が気前のいい間だけである。これはある種の首長にもいえることである。アヌアク族では村長が従者に十分な肉を与えることができなくなった時には、従者はその首長を見限ることになる。ただアヌアク族の村長とビッグマンの違いは、ビッグマンの場合は彼と他の共同体成員の関係であったものが、首長では彼と彼の従者である若者組との関係が重要になっていることである。そして、首長制もある程度進むと、首長制ではその資格が必然的に、集団の資源にたいする一定の権利を彼にあたえており、首長の個人的な請求権はすでに樹立されているので、自己搾取を起動させる必要がもともとない。権力は、職務のなかにはじめから賦与されており、権力はいまや、それを下でささえる民衆の財とサービスにたいする、特定の統制権を必然的にともなうことになる。人々ははじめから、その労働と生産物を首長に差し出さねばならない。そして、この権力のファンドでもって、サーリンズによれば、首長は個人的な援助から共同祭儀や経済的事業の広汎な支援にいたるまで、もったいぶったしぐさで気前のよさを思いのままに楽しむのである。ビックマンから制度化された首長まで、そこに貫かれているのが中心理念としての国家共同体主義の創出だとすれば、ビックマンのその地位の不安定性は、そのまま国家共同体主義の不安定さでもあるといえ、より安定した国家共同体主義を求めてビッグマンから首長への変化も必然的なものだったといえるわけである。源初の肯定性の外化である神という観念は、源初の肯定性でもこの存在即肯定と特に結びついているといえよう。国家共同体主義以前に神という観念があったとすれば、国家共同体主義は存在即肯定とも無関係ではなく、存在即肯定はその肯定性の条件を存在そのものにしかおいていないのであるから、理念的には極めて安定したものであるはずである。それ故、ビックマンの地位の不安定性は、存在即肯定と矛盾していることになる。

 サーリンズは生産力を問題にしている、それは生存のための生産ではなく、過剰生産のための生産力なのだといえよう。サーリンズによれば、その固有の状況で、生産構造として考察すると、家族制生産様式は、一種のアナーキー性をしめしている。原則的に、それぞれの家は、自分自身の利害だけではなく、自分たちの欲求充足に必要とされる一切の力もその手中にしている。生産の未開構造とは、本質的にこのようなものにほかならない。社会経済はせまくかぎられた生活に細分化され、おのおのの生活は相互に独立して作動するようになっており、ひたすら自分のためだけに専念する自家本位的な単位である。そして、政治的にみると、家族制生産様式は、一種の自然状態にあるという。いくつかの世帯集団が協定しあって、その自律性の一部をたがいに譲渡するように強制するなにものも、この生産の下部構造のなかにはみあたらないのであり、統治主権者なき社会という、あの未開社会の状況が政治的にはそこから出てくる。とはいえむろん、みかけはそうではない。外観からすると、未開社会は原始の支離滅裂状態とはほとんど似ていないのである。家族制生産の小規模なアナーキーがみられるところではどこででも、それに対抗して、いっそう大きな支配力や組織、つまり、家々をたがいに結びつけ、一般的利益に服従させるための、社会経済的な次元での諸制度が、対置されている。家族制様式は、分節的な解体の割れ目が社会のなかにひろがるのをふせぐために、わずかに無組織を制度化し、機械的な連帯性をつくりだしているにすぎない。最終的にはアナーキーが表層から払いのけられたように見えても、決定的に放逐されてしまったわけではない。世帯が生産をになっているかぎり、奥底では永続的な混乱がひそかにつづいているのである。だからこそ、ここでは、みかけの事実よりも、恒常的な事実を強調しておきたい。《奥底には》、力と利益の非連続があり、これがさらに人々の離散傾向に拍車をかけている。奥底には、自然状態があるのだ。サーリンズはこの「野蛮」な時代は、ルソーにとって、黄金時代にほかならなかったという。このルソー的な黄金時代を本論的にいうなら、そこに実体的ではなく、実体的でないわけでもない源初の肯定性があったからである。ただ、現在においては、源初の肯定性は単なる幻想にすぎない。
 サーリンズの主張に従えば、生産における矛盾は共産主義体制において無くなるということなのであろう。しかし、リニージをたんに大規模な世帯と思わせ、首長を人々の父と思わせる融和組織によって、この矛盾は普通わかりにくくされているのであるというとき、サーリンズはその矛盾は単に生産に関わるものとは見ていないともいえよう。共産主義体制においても、家族がある限り、その矛盾はなくならないわけである。単に生産における共産化だけでは不十分で、家族制度そのものが解体され、社会全体が共産主義化されなければならないということである。さらにいえば、個人の自由そのものが、社会を分裂に向かわせるものとして否定されなければならないということにもなる。もっとも、サーリンズは個人の自由さえ否定しているわけではない。彼は贈与に、平和と自由を犠牲にしない社会性を認めている。

第二項 ナンビクワラ族

 ブッシュマンのグイやガナとナンビクワラ族は物質的豊かさにおいては、ほとんど差が無いといえる。しかし、ブッシュマンのグイやガナには首長のような存在はいないのに対して、ナンビクワラ族には支配者でも権力者でもないが、特権を持った指導者としての首長が存在する。群れにはそれぞれ首長がおり、雨季に群れが集まって集団をつくるときには、その集団全体の首長がいる。乾季の遊動生活をする六、七ヶ月の間、首長は彼の群れの指導の全責任を負うことになり、流浪生活への出発のため、編成をととのえ、道程を選び、宿営地とそこでの停止期間を決め、狩りや漁や採集のための遠出を決定し、近隣の集団とのあいだに政治的なとりきめを結ぶ。首長は、彼の率いる集団や近隣の集団がひんぱんに訪れる地域について、精細な知識をもっていなければならない。狩りをする土地や、野生の果実のなる木が茂っている土地に通じていなければならず、それぞれについて最も好適な季節を知っていなければならないし、友好的なものであれ敵対的なものであれ、近隣の群れの移動する道順について、だいたいの見当がついていなければならない。首長はたえず偵察や踏査に出かけていき、群れを導くというより、むしろ群れの回りを駆け回っているようにみえるという。群れの受動性は、その指導者の積極的な働きぶりと奇妙な対照をなしており、レヴィ=ストロースによれば、まるで群れは、ある優越を首長にゆずった代わりに、首長が完全に群れの利益と安全を守ってくれることを、彼に期待しているようにみえるという。首長は、狩りや採集の新しい場所を発見したおかげでより豊富な食料をもっている、近隣の集団との交易によって装飾品や道具がたくさんある、遠征で勝利を得てより強大になっている、といったことによって評判が高まる。もし首長が過大な要求をしたり、彼自身のためにあまりに多くの妻を求めたり、あるいは、群れが窮乏しているときに、食料獲得の問題に十分な解決を与えることができなかったとすれば、不満が湧きあがり、一人一人、あるいは家族ぐるみが、その群れから離れて、もっと評判のいい群れに移っていく。山口昌男は、レヴィ=ストロースのあまり知られていない論文であるという「原始社会における首長制の社会・心理学的側面」をとりあげ、レヴィ=ストロースはそこでブラジルのナンビクワラ族の例をとって、首長制というものをもっとも初源的な形で示そうとしたという。そこでレヴィ=ストロースがナンビクワラ族をとりあげるのは、ナンビクワラ族が政治組織ではもっとも単純な形態を持っているからであり、より単純な社会は、人間の歴史に対してとまで言わないにしても、いつでもどこでも観察できるような社会の根源的ないくつかの形態について、人間社会の存在に不可欠であるような示唆を投げかけていると考えたからであるという。そして、極端に単純な物質生活をおくるナンビクワラ族の例は、物質的な差異が、政治的階層制を形成する主たる要因ではないことを示しているという。
 ナンビクワラ族は国家共同体主義の創出過程にも光を投げかけるかもしれないわけであるが、レヴィ=ストロースの本に表れるナンビクワラ族の首長は、国家共同体主義にとって都合の悪い存在といえるかもしれない。レヴィ=ストロースによれば、ナンビクワラ族においては、神秘的な事柄についての関心は常に表面から隠れていて、現れるにしても、それは首長の指揮力にとっては二次的な属性としての役割を与えられているに過ぎないという。レヴィ=ストロースの言い方からすると、ナンビクアラ族の首長に何らかの神秘的な性格が見られるとしても、それはナンビクアラ族の首長の本質と関わるものでなく、したがってナンビクアラ族の首長の本質を国家共同体主義における最高権威者として捉えることは出来ないということにもなる。あるいは、国家共同体主義の創出以前の過程で、ナンビクワラ族のような世俗的な面が前面に出ている首長、あるいはまったくの世俗的な存在かもしれないビッグマンのような存在が創出されるということがあったのかもしれない。王は神であり、かつ俗人でもなければならなかった。単なる聖なる存在だとすれば、俗的存在である一般共同体成員と最高権威者の同質性が成立しなくなるであろうし、まったくの俗なる存在であるとすれば、最高権威者と原初の肯定性との結びつきが成立しないことになってしまうであろう。また、国家共同体主義が此岸的中心理念であることを考えると、王や首長は基本的には俗なる存在でなければならないともいえた。そうすると、前段階として俗的な首長というものがあってもおかしくはないともいえるわけである。
 一方、国家共同体については、ナンビクワラ族の首長からは国家共同体としてのナンビクワラ社会が垣間見られるかもしれない。レヴィ=ストロースによれば、ナンビクワラ語で首長をさすのに用いられている「ウリカンデ」という言葉は、「統一するもの」または「いっしょにつなぎあわせるもの」を意味するように思われ、このような語源は、彼が強調した現象、つまり首長は、集団が集団として成り立ちたいという欲求の原因として現れてくるものであって、すでに形成された集団によって感じられる、集権的な権威の必要の結果から生まれるのではないという現象を、原住民の精神が意識していることを暗示しているという。「集団が集団として成り立ちたいという欲求」というが、それは単に集団を求めているというよりは、新たな統合水準の集団を求めているということであろう。そして、その「新しい集団」への欲求への原因として首長が現れてくるということは、その「新しい集団」とは国家共同体としての集団ではないかとも考えられるのである。

 レヴィ=ストロースによれば、ナンビクワラ族の首長の権力の武器として、まず第一に、そして最も重要であるのは、気前のよさであり、首長は、物質的に特別の地位を享受しているとは思えないが、他の成員に与えるために、いつも余分の食料や、道具や、武器や、装身具を持っていなければならないし、それらは、どれほどとるにたりないものであっても、一般の貧しさからみれば、やはりかなりの価値をもっている。巧妙な方法は知的な形で気前よくすることであり、矢毒をこしらえるのは首長であり、原住民がときたま行なう遊戯で使う、野生のゴムの球を作るのも、やはり首長である。ビックマンやトロブリアンド諸島の首長のところで考えたように、ナンビクワラ族の首長の気前のよさも、過剰な相互扶助、過剰な前本質性ということができ、その意味では源初の肯定性を体現しているともいえるかもしれない。
 山口昌男はナンビクワラ族の首長の条件としてレヴィ=ストロースがあげるのは気前よさと「のど自慢」であるという。「のど自慢」も直接神性や聖性と結びついているとはいえないであろう。ただ、「のど自慢」とは娯楽を与えるということであり、その意味では集団に肯定的なものをもたらすともいえる。しかし、ナンビクワラ族の首長が第三段階の中心理念と関係しているとすれば、共同体に源初の肯定性という肯定性をもたらす存在でなければならないのであり、「のど自慢」という娯楽がもたらす肯定性が源初の肯定性と結びつかないのであれば、ナンビクワラ族の首長が国家共同体主義的最高権威者であることにも疑問符が付くわけである。レヴィ=ストロースによれば、ナンビクワラ族の首長はいつでも、群れの人々の気晴らしになり、日々の生活の単調さを打ち壊すことができるように、上手に歌ったり踊ったりできる陽気な男でなければならないが、これらの機能は容易にシャーマニズムに繋がるもので、何人かの首長は同時に医療師で、また呪術師でもある。「のど自慢」にシャーマン的な性格があるとすれば、「のど自慢」にも何らかかの神性・聖性が結びついているのかもしれない。ナンビクワラ族で一夫多妻が認められているのは、首長と医療師・呪術師だけである。それは、ナンビクワラ族において首長と医療師・呪術師は同じ部類に属する存在とみなされていたことを示しているかもしれないわけである。ただレヴィ=ストロースによれば、彼らの北西の隣人、トゥピ=カワイブ族では、首長は同時にシャーマンであり、前兆の夢や、幻影や、忘我の状態や、人格の分裂などに関りをもっているのに対し、ナンビクワラ族では、世俗的な権力と宗教的な権力とは二人の人間に分かたれていることの方が多いという。ただ、ナンビクワラ族の首長はシャーマンとまったく世俗的な存在である一般成員の中間的な存在ということはいえるかもしれない。

 レヴィ=ストロースがナンビクワラ族の首長におけ神性・聖性的な側面を重要視しなかったのは、レヴィ=ストロースにはそのような要素を軽視しる傾向があったということなのかもしれない。川田順三は、フランスから持っていったガラス玉などとひきかえにブラジル奥地のインディオの民具と交換収集する旅で、ナンビクワラ族の首長がメモ帖を要求し、その上にうねうねとした線を書いてみせ、その意味を読み取るようにうながし、そしてすぐに自分から注釈をしてきかせ、やがて集まってきた部族民を前にして、首長は紙に書かれた曲線を、あたかも目録のように読み上げるふりをし、交換されるべき品目を部族民に伝える、という『悲しき熱帯』に記されているレヴィ=ストロースの経験を引用して、このナンビクワラ族の首長が文字を使い始める経験から、レヴィ=ストロースは文字というのは新石器文化が文字なしで達成されたことからもわかるように、人類の知識の蓄積に貢献したのではなく、権力による人間支配に役立ったという、自ら「文字の起源についてのマルクス主義的仮説」であり「弁証法的唯物論にもとづいた原住民文化の上部構造の解釈の試み」と称する理論を展開しているという。それに対し川田は、文字がごく少数の特定の人にしか知られていないという状態がつくり出す社会関係は、むしろ文字の秘儀性にもとづくものなのであるという。そして、ナンビクワラ族の首長の場合に似た例は、西アフリカのロダガー族の占師について、グッディによって報告されており、当時イギリス植民地だったゴールド・コーストの北部に住むこの占師は、学校で使う、ポンド、シリング、ペンスなどの足し算用の練習帳を、他のさまざまな呪具と一緒にもっていて、占いの過程で、開いたノートの数字の上にあたかも横に足し算をするかのように鉛筆を走らせ、数字のどれかを指し示しながら、占いを受けにきた人に向かつてことばを吐きあるいは質問を投げかけたという。グッディは、ここでは文字が超自然的な力と交わる手段として指摘しているが、川田によれば、このばあいもナンビクワラの首長の例と同じく、文字を用いる技術を、一人の特殊な人間だけがもっていて、他の者は知らないということが重要なのである。

 全てのビックマンが彼の野心に駆られてビックマンになるわけではないように、ナンビクワラ族の首長も皆がなりたがるというものではなかった。首長が年老いたり、病気になったりして、もうこれ以上彼の重い任務を負担することができないと自覚したときには、彼はみずからその後継者を選ぶ。指名される首長の後継者は、大多数の人々によってもまた最も好ましいとされた者であり、首長の権威は非常に弱いものであり、このばあいも、他のすべてのばあいと同様に、最終的には、公衆の意見をまえもって探ったうえでなされるらしいという。その場合、誰もが首長になりたいと思っているわけではないようであり、首長になることをすすめても、それがはげしい拒絶にあうことはまれではなく、そのようなばあいには、選定はやりなおしになる。レヴィ=ストロースによれば、権力は熱烈な競争の対象にはなっていないようであり、知っている首長たちはそれを誇るよりは、むしろ、彼らの重い任務とかずかずの責務を嘆いていたという。レヴィ=ストロースは、集団ではなく首長の立場でみると、一夫多妻の特権が、どれほど性的、情緒的、社会的にみて魅惑的なものであろうと、個人の満足という観点からすれば、それは、副次的な意味しかもちえないのであり、それだけでは、首長の仕事を志望する十分な動機にはならないという。ナンビクワラ族の群れの首長は、困難な役割が課せられたことを自覚しているし、たくさんの男たちが、権力を避けるのも、こうした理由によるのである。首長になりたがらない男がいるのに対し、他の男たちはそれを引きうけ、あるいはそれを求めさえするのであるが、レヴィ=ストロースによれば、その動機としては、ナンビクワラ族のさまざまな首長の精神的、心理的な特徴を思い出してみると、いやおうなしに、首長になる人間がいるのは、どのような人間集団においても、仲間とはちがって、特権そのものを愛好し、責任をもつということにひきつけられ、そして公の仕事の負担そのものが報酬であるような人間がいるからである、という結論に導かれるという。こうした個人的な差異は、さまざまな文化において、それぞれ異なった度合いで、発達し、作用してきたものであるに相違ないし、ナンビクワラ族の社会のように、競争意識による刺激がほとんどない社会にも、このような個人の差が存在するということは、この差異がすべての社会的なものからのみ生まれたものではないことを示唆している。この差異はむしろ、あらゆる社会がそれによって構築されているところの、人間の心理にかかわる、未加工の材料の一部をなしているのである。人間はみな同じようなものではなく、社会学者がなんでもかんでも「伝統」によって圧しつぶされたものとして描いてきた未開社会においてさえ、こうした個人の差異は、「個人主義的」といわれている私たちの文明におけるのと同じぐらいこまかく見分けられ、同じように入念に利用されているのだという。しかし、ボス猿の地位を狙うオスの野心を抑圧して平等を実現しようとした時期が人類にはあり、そこには特権といったようなこともなかったことを考えると、まったく個人の性格に話を持っていくのも間違いであろう。レヴィ=ストロースはナンビクワラ族の首長が社会的生成物であることには消極的な見解を示しているが、基底には首長を求める社会的要請があって、その要請の上で初めて抑圧されていた特別な地位を求める心性が解放されたのであり、かつては特権を求める心性と、責任をもつということにひきつけられ、そして公の仕事の負担そのものが報酬であるような心性とは、区別されるべきものであったのが、一つになるにあたっては、そこに共同体自体の事情が絡んでいるとみるべきであろう。

 レヴィ=ストロースにとっても、ナンビクワラ族において、同意は権力の心理学的基礎である。しかし、日常生活においては、同意は、首長とその仲間とのあいだに展開される給付と反対給付のゲームの形をとって現れるという。そして、このゲームが、相互交換の観念を、権力のもう一つの基本的な属性にしており、首長は権力をもっているが、しかし、彼は気まえよくしなければならない。彼は責務をもっているが、しかし、彼は多くの妻を迎えることができる。首長と集団とのあいだには、給付と特権、便益と義務の、はてしなく更新される均衡が成り立っているのである。しかし、結婚に関しては、それ以上のなにかが起こっているという。一夫多妻の特権を首長にゆずることによって、集団は、一夫一婦制によって保証されている「個人的な安全の要素」を、権威から期待されるところの「集団的な安全」と交換するのである。男はめいめい他の男から妻を受けとる。しかし、首長は集団から、何人もの妻を受けとるのであり、そのお返しに、首長は必要や危険にたいする保証を提供するが、それは、一つの全体として考えられた集団に向かつて提供される。なぜなら、首長のために通常の法を停止したのは、一つの全体として考えられた集団だからだというのである。
 それに対して、山口昌男は、ナンビクワラ族における首長と他の成員との間の交換について、首長に成員が与える特権とは、成員と違って首長には二人以上の妻帯を許されるという事実であるが、「物」のレベルでは首長から成員への一方的通行であり、「女性」のレベルでは成員から首長への一方通行という交換において、物質的な貧しさからいうと、「のど自慢」という首長の美声と引き換えに女性を交換のサイクルから引き出される成員側にとって、首長は不当の利益を得ていることになり、首長の特権は、社会の均衡が互酬性の上に成り立っている社会では、一種の均衡破壊というべき行為で、充分の条件を備えていない人間が犯すなら、社会の存在を脅かす重大な犯罪ととられかねない振る舞いであるという。そして、首長が持つ特権的な治外法権は、集団が一夫一婦制に基づく個人の安全という要因を、首長から供給される公的な安全と引き換えにした事実を示しているという、安全の保障というのを国家存立の根本的条件であるとするレヴィ=ストロースの考えに対して、政治的権威は往々にして共同体の安全を脅かすところに存在の根拠づけを考えていることから、ここから自分はレヴィ=ストロースと少し距離を置くことになるとする。レヴィ=ストロースも、この制度は結婚の規則正しい周期のなかから、定期的に若い女を引き抜くことによって、首長は適齢期の男女の数のあいだに、ある不均衡を生じさせ、集団の生活に重大な影響を与えることがあり、青年がこの状況のおもな犠牲者で、何年ものあいだ独身でいることをよぎなくされたり、寡婦や、夫に捨てられた年とった女と結婚しなければならなくなるということは認めている。そもそも、首長は集団から多くの女を与えるに足るだけの、集団の安全を与えていのかという疑問もある。首長の思惑が外れて、行った先に食料が無い時、首長だけが食料を求めて駆けずり廻り、他の集団の成員はいわばふて寝をして首長からの吉報を待つだけである。しかし、これは集団全員で食料を求めて駆けずり廻るほうが効率がいいし、集団の安全も与えられるのではないだろうか。そして、首長に多くの女を与える必要もないのである。
 ナンビクワラ族の首長の特権としての一夫多妻であるが、第一の妻は、普通の結婚で単婚の妻がもっている通常の役割を演ずる。第一の妻よりあとの結合も結婚として認められるが、レヴィ=ストロースによればそれとは別の種類のものであり、副妻たちは、より若い世代に属する、集団のなかの最も美しく、最も健康な娘のなかから選ばれるが、彼女たちは首長にとって、妻というよりは、むしろ愛人・情婦なのである。副妻たちは、性別の分業に従がわず、無差別に男の仕事にも女の仕事にも加わる。宿営では、彼女たちは日常生活のこまごまとした仕事を軽蔑し、彼女たちと同じ世代である子どもたちと遊んだり、第一の妻が、焚火のほとりで食事のしたくに追われているあいだ夫を愛撫したりして、気ままに過ごしている。しかし、首長が狩りや踏査のために遠出したり、あるいは、なにか他の男のする仕事のために出かけていくときには、首長の副妻たちは彼についていき、男の子のように振る舞い、首長に手を貸したり、励ましたりする。レヴィ=ストロースによれば、首長の実質的な特権である一夫多妻は、重い任務を負った彼を元気づけ、なぐさめるものであり、同時に、首長に、その重任を果たす手段を与えていて、それは、首長の指揮権の象徴として、心理的、経済的観点からみて、機能的価値をもっているという。副妻については、彼女が一般的な妻の役割を免除されている一方、狩りや踏査、あるいはなにか他の男のする仕事のために首長が出かけていくときには、彼についていき、男の子のようにふるまうということは、副妻は単なる愛人といった存在ではなく、女であり男であるという両義的な存在であるともいえる。あるいは、この両義的性格は副妻に源初の肯定性的性格を与えているのかもしれない。副妻がもしそういう存在なら、首長は副妻を持つことによって、自分自身も源初の肯定性を獲得するということにもなるし、他の男に多数の妻を持つことが禁止されているのは、原理的には神的存在が首長のみであることと同じことなのかもしれない。ただ、王は女王によって神になるとしたが、それからいえば第一夫人こそ、首長に神性・聖性を与える存在でなければならないはずであり、ナンビクワラ族では何故副妻なのかという問題がある。

 同じブッシュマンでもグイやガナと違って、クンの中にはヘッドマンと呼ばれる首長的な存在がいるようである。クンのヘッドマンの主な義務の一つは、資源や水との関係でバンドの移動を調整することであるという。そういう意味では、移動計画を立て、それを主導するナンビクワラ族の首長と似ている。グイやガナにも状況に応じて集団をまとめたり、物事の決定や解決をはかる中心人物がいたが、クンのヘッドマンの地位は父から長男へ移行するという意味では父系的な傾向をもっているといい、その点ではナンビクワラ族の首長より地位継承が形式化しているともいえる。ただ、いつも父親から息子に引き継がれるというわけではなく、そうすることが期待されているにすぎないし、他の男がその知恵と能力でヘッドマンになる場合もとくに争いが生じるということもない。ヘッドマンの地位もたいして重要な地位ではなく、彼は喧嘩の仲裁や裁決に関して、裁判官でもなければ処罰することもできない。世論に対して影響力をもっているかもしれないが、処罰をすることができるのは世論だけである。クンのヘッドマンもナンビクワラ族の首長と同じように、ほとんど何も持っていないが、たまたま手に入ったものはすべて他の人々にやってしまうという。彼のみに一夫多妻が認められているというわけでもないようであり、クンのヘッドマンはナンビクワラ族の首長より得るものは少ないともいえる。また、特に神性や聖性と結びつくような存在でもないようであり、グイやガナの中心人物より確立された地位にあるということは、やはり国家共同体主義にとって都合の悪い例ということになる。対外的交渉が必要な事態が生じた時、臨時に代表者的役割を果たす存在がいたとしても、国家共同体主義にとってそれほど不都合とはいえないが、もし常設的にそのような役割の人間がいたとすれば国家共同体主義的には不都合な存在ということになる。それは軍事的指導者についてもいえるであろう。戦争の時だけ臨時にその役職に就くという場合には、国家共同体主義にとって不都合な存在とはいえないが、それが常設の地位となる時、やはり国家共同体主義にとって不都合な存在ということになる。ただ、クンのヘッドマンに求められることは謙譲さであり、ブッシュマンは誰も目立つことを望まないが、特にヘッドマンのトマは誰よりもそれを避けたという。その意味では、クンのヘッドマンはピグミーの象狩の名人に通じるものがあるといえる。実際のところ、クンのヘッドマンを平等化に向かう人類社会に逆行する不平等化への動きとみなすべきかどうかは、微妙なところであろう。先験的な不平等と条件的平等の間で揺れ動きながら、全体としては平等化の方向へ人類が向かつていたとするなら、クンのヘッドマンはその先験的な不平等と条件的平等の振幅の間にあるともいえるかもしれないからである。
 ナンビクワラ族とブッシュマンを比べると、ブッシュマンでは一般的なものだったものがナンビクワラ族では首長に集中されているという現象が見られる。ナンビクワラ族の首長が他の成員に物質財を与えたり手伝ったりすることが強調されているが、それはブッシュマンでは誰もが行っているのに、ナンビクワラ族では首長のみが行っているということになる。それは相対的な意味で言えることで、ナンビクワラ族の一般成員どうしにも見られるのであろうが、首長のそのような行為が目立つものであるということは、他者への奉仕という美徳が、首長に集中化されているともいえるし、他の人間はその美徳から排除されているともいえるわけである。「のど自慢」についても、サーヴィスによれば、ブッシュマン社会にも他の人々より歌うのが上手な人はおり、そうした人々は大勢の聴衆を惹きつける。しかし、その能力によって首長になれるわけではないし、歌の上手いという評価は一般に解放されているともいえる。ナンビクワラ族で首長の「のど自慢」が強調されるとすれば、歌の上手さにおいても首長一人に集約され、他の人間は排除されているともいえる。別の言い方をすれば、首長の歌の上手さは過剰に評価されているともいえるし、歌の上手さというものが過剰に価値が与えらているともいえる。集団の安全もナンビクワラ族では首長のみがその責任を負うのであるが、ブッシュマンでは集団全体で担われているといえるのではないだろうか。各人は主体的に行動し、情報を交換し合うのである。ここにも、ナンビクワラ族では首長への集中がみられる。ブッシュマンでは一夫多妻はある特定の男だけに許されているわけではなく、普通に見られる。複数の妻を持つことは、一種の男の甲斐性とされているようである。ここでも、首長への集中が見られるわけである。

第三項 スーダンの古王国

 山口昌男の『アフリカにおける古代王国の諸類型』では、アフリカの王国が成立条件に規定された三つの基本的な型に大別されている。①商業交易の要路を中心とした古王国(西スーダン)、②牧畜民による農耕民の征服に由来するもの(東アフリカ)、③農耕民における宗教的性格の強い王制の原理支えられたもの(特に西アフリカのギニア湾から中央アフリカにかけて)である。このうち③の型の王国は、他の大陸の諸文化と直接的な関係をほとんどもたず、農耕経済の上に成立しており、物質文明的には極めて貧弱なものであり、王都といってもヨーロッパとの接触以前には、集落的規模を超えるものではなかった。これらの諸王国では「聖なる王」の制度が典型的な形で展開しており、その起源伝承には征服を伝えるものもあるが、文化的にはほとんど共通のパターンの上に成立していることは明確に指摘できる場合が多いという。②の牧畜民による農耕民の征服王朝も、例えばアンコーレの場合などをみると、王の権威は絶大なものであったが、王は決して物質的に圧倒的に臣下に優越した存在というわけではなく、臣下の牧畜民であるバヒマは王に牛を提供する義務があったが、掠奪や疫病などで牛を喪失した臣下には王から牛が与えられ、王は臣下より多数の牛やビールを持っていたが、彼の従者の維持や臣下の牛の保証を前提にすれば、決して多すぎることはなかった。その宮廷は臣下の円屋根構造の建物をいくらか多くしたにすぎず、食事・衣服についても、それにまつわる宗教的・象徴的な意義を除けば、臣下との間には決定的な差異はなかった。それにもかかわらず、アンコーレの王は他の人間と同じ存在ではなく、彼は神につながる始祖の系譜をひき、即位式により聖なる存在に転化し、農耕儀礼はほとんど執行しなかったが、牛に関する儀礼は日課であり、国家の儀礼的な中心であった。③については、国家共同体主義の典型ともいえるであろう。②の型についても、国家共同体主義の枠内で語ることは可能かもしれない。しかし、①の型であるが、それに属する十一世紀のガーナ王国についてのエル・ベクリの記述には、いわゆる聖なる王の性格を示す儀礼的な面についての記述がまったくなく、王の物質的な優越性を示すもので占められているという。ガーナ王国では、神的なもの・聖なるものと結びつく形での国家共同体的要素はまったく存在しなかったのかもしれない。
 山口昌男によれば、②と③ の型の諸王国の王が神聖性を帯びるのは、農耕あるいは牧畜における呪術からくるものであり、「聖なる王」にとって本来重要なことは農耕や牧畜ということになる。また、オリエントのデスポティズムとは異質の支配構造であり、デスポティズムに飛躍するための生産構造に対する無限の収奪体系は、王の権力の基礎とは無縁のものであった。山口昌男のこの最初期の論文では、王の出現ではないが、その発展においてオリエント的なディスポティズムを世界史的には必然的な発展とみなし、物質的生産構造や余剰生産を重要なものとして議論を展開しており、その視点からオリエント的なディスポティズムへの発展が出来なかったサハラ以南のアフリカの諸王国の限界性を論じている。しかし、本論において問題にするのは山口昌男のそのような視点ではなく、②と③の型の王が神聖性と結びついているのに対し、①の型の王制が自然に呪術的に働きかける儀礼的・イデオロギー的な体系の上に成立していたものではないとしていることである。この高度に発達したガーナ王国の王が、神的なものと無縁だったとすれば、それは国家共同体主義にとってやはり不都合なことであろう。少なくとも、王の神聖性が農耕や牧畜という経済的なものへの呪術から発してくるものだとする山口昌男の見解からすれば、何ら呪術的なものと結びついているとはみえない交易を経済的基盤とするガーナ王が、「聖なる王」となることはありえない。ただ、モシ王国はガーナ王国などの古スーダンの諸帝国と同じく騎馬戦士を中心とした武力支配国家であるが、その王が神とも訳することができるウェンデと同一視されているということからみて、古スーダンの諸帝国の王も何らかの神性・聖性と結びつく存在であった可能性はある。
 メアリー・ヘムズによれば、メゾアメリカの首長は、首長自らが活発に長距離交易に従事したが、地理的距離は天国と地獄の存在といった宇宙観に従った脈略と解釈により、超自然的領界と結びついてくるのであり、遠隔地超自然との儀礼的接触をしようとしたのだった。メゾアメリカの首長は遠隔地たとの交易に従事することによって、聖性と結びついていたのだともいえる。サハラ砂漠を越えて交易していた古スーダンの諸帝国の王も、そのような遠隔交易によって聖性と結びつく存在だったかもしれない。モシやマンブルシは商業交易の要路を中心とした古王国の型に属するといえるが、現地調査にもとづく最近の研究によると、少なくとも植民地以前のかなり長い時代にわたって、西アフリカ内陸部では、隊商は相当の自衛手段と独自の交易組織をもち、地方の軍事・政治勢力の消長とは独立に長距離交易をおこなってきたようである。地方の軍事・政治支配者が隊商から貢物を受け、隊商にいくばくかの援助を与えることがあったとしても、一般には、こうした介入は隊商にとって不要であり、わずらわしくさえあった。それで、政治支配者は過度の干渉は避け適当な距離を保ちながら、交易がもたらす利益を享受しようとした。マンブルシのアタビ王はそれまでの都だったガンバがイスラム化されたハウサ商人が多数定着し、その勢力があまりに強くなったのをみて、ガンバには商業中心として新しく任命したイスラムのイマームにゆだね、王自身は八キロほど離れたナレルグに移って政治の中心にしたといわれる。モシやマンブルシの王はメゾアメリカの首長のように自ら活発に長距離交易に従事していたわけではない。その意味では、モシやマンブルシモシの王に長距離交易による異界との接触をいうことは出来ないかもしれないが、少なくとも北アフリカや西アジアからもたらされた織物や銅製品・皮革細工が王の特権的な装置や王位の象徴となっていた。あるいは、それらのものが威信財になり得たのは、遠隔地からもたらされるものとして、超自然的なものが付着していたからということなのかもしれない。

第四項 メソポタミアの王

 エジプトの王は明確に神=太陽神であったということができるであろう。しかし、メソポタミアの王が神であったということはできるのであろうか。フレデリック・ルノワールによれば、メソポタミアでは、いかなる王といえども、自分が神であると声明する勇気を持たなかったという。メソポタミアの王は、自ら神であることを否定していたともいえる。メソポタミアの王が神ではないといっても、例外はあった。ハンムラビ王は自身を太陽神であると称したし、サルゴンの孫でアッカド第四代の王であるナラム・シンは自己を神格化して「アッカドの神」を名乗っている。ただ、後継者のシヤル・カリ・シヤツリは自己を神格化していない。また、シュメール人最後の統一国家であるウル第三王朝の二代目王であるシュルギも自らの神格化を行い、続く三代の王にも神をあらわす限定詞が付けられている。ただ、ホカートによれば、古代シュメールの都市国家の王は自分を神々の種を受けているとか、女神の子供であると主張したが、王は神が送ってきた救世主であり、神々の代理であると信じられていたにすぎず、当時の統治者は神聖視されることがなく、神として崇拝もされず供儀もうけていなかった。シュメールにおいて王は後になって崇拝されたという。しかし、初期においても神とされた王もいたようである。ジュリアン・ジェインズによれば、いくつかの楔形文字の粘土板に出てくる初期のメソポタミアの王は、その多くが名前の脇に、神を表す限定詞である中心から八本の線が放射状に広がる星形の印を付されており、神と見なされていたし、初期に記されたある文書の中で、ウルとイシンの多数の王のうち11人に神を表す別の限定詞がついているという。ただ、このような神の限定詞はたいていは王たちの治世の末期、いくつかの都市でのみ王に与えられていたのであり、メソポタミア全域を見れば、神聖な王と純粋な神々との間には重大な永続的違いがあるように思われるともいう。メソポタミアの王については、神とされる王にも神とはみなされていない王にも、その神性・聖性については問題があるということになるわけである。
 メソポタミアにおいて神とされる王も、純粋な神とはその神性において違いがあるとしても、国家共同体主義的にはあまり問題にはならない。王が神であるといっても、他方では王は人間でもなければならなかった。そういう意味では、神と神である王との間に、その神性に違いがあっても構わないし、そうでなければならないともいえるわけである。神である王は、神であると同時に人間でもある。問題は、神とされない王ということになるが、神である王と神でない王は王であることには変わりない。そして、神である王は王であることによって神にもなるのであるとすると、王位それ自身に何らかの神性・聖性が無ければ、神を称した王も神になれないということではないだろうか。神を自称するかしないかは別にして、神でない王も王である以上は何らかの神性・聖性を持っいるということもいえるかもしれないわけである。
 メソポタミアの王について、クレーダーは、エジプトの王は神王で自然、超自然二つの世界の秩序を結びつける存在であるのに対して、メソポタミアの王は司祭王で、その義務は三つあり、彼らの神の意志を解釈すること、神の前に国民を代表すること、そして神の命令により地上における神の領地を支配することであるという。ジェインズも、神政政治の二大形式として、神の管財人たる王による神政政治と神たる王による神政政治に分け、前者はメソポタミアに見られるもので、そこでは首長や王は、神々あるいはもっと一般には特定の都市の神の主席代理人、その神の土地の支配者・管理者で、最も広く行なわれた重要な神政政治の形式であり、後者はエジプトなどに見られる形式であったという。メソポタミアの王が司祭王であり、神の代理人であるとすれば、メソポタミアの王にも何らかの神性あるいは聖性が認められてもいいのではないだろうか。メソポタミアで王が神の意志を解釈できると考えられたのは、王にはそのようなことが可能な能力あるいは性質が備わっていたといたと見做されていたからであろう。シャーマンが神懸かりして神の言葉を伝えたとすれば、シャーマンが憑依状態にあったことが、それが神の言葉であるということを人々に納得させるといえる。それに対して王の解釈が神の意志の解釈であると人々に納得させるものは、メソポタミアの人びとにとって王は単なる人間ではなく、神そのものではないが神のような存在だったからからではないだろうか。ジュリアン・ジェインズもメソポタミアの王の神聖さは認めている。エジプトの王は神であり人間である中の神の部分が少し強調された存在であり、メソポタミアの王は人間の方が少し強調された存在ということなのかもしれないわけである。

第五項 アテネの王制

 ギリシャのアテネはもとは王制であったが、共和制に移行した。それは王の消滅ともいえ、国家共同体主義の中心に王が存在していたとすれば、国家共同体から王が存在しなくなるということは考えられないことである。前1400年頃にミケーネ文明は全盛期を迎え、前1184年頃にはトロイ戦争でトロイ第七A市を陥落させている。しかし、前1100年頃ドーリア人がペロポネソス半島に侵入し、ミケーネやピュロスなどの諸王国は滅ぼされてしまう。ミケーネ時代の王権は、ミケーネの巨石城壁やアトレウスの宝庫と伝えられる石造りの円頂大墳墓などの考古学的遺物から、後のギリシャの例えばスパルタ人の王などとは比べものにならない程に強いものだったと想像されており、アテネでもこの時代には同じような王国があり、王宮のあったアクロポリスは巨石の壁に護られている。2~300年間続いた大混乱の後、前八世紀の半ば頃になると、ギリシャではポリスとよばれる小国家が無数に生まれていた。ポリスは王を戴いているものもあるが、それは大勢の貴族のなかの第一人者にすぎず、やがて王に代わり貴族が支配するようになる。前800年から600年頃までが貴族支配の時代とされる。アテネでは、宮殿崩壊後アッティカに避難してきたピュロス王家の子といわれるコドロスが、前1100年頃、ポエオチアの進入に対しアテネ人の将としてこれを撃破、アテネの王位を簒奪してアテネの王となった。アテネではそれ以前、王たちのうちに軍事に耐えぬ柔弱な者が出た結果、ポレマスルコスの役職が加わっていたという。コドロスが王位を簒奪できたのは、当時のアテネ人が王に求めたものは神聖王的な存在ではなく、軍事的な能力だったともいえる。神的性格を持たない王の存在は国家共同体主義的に問題であるが、さらに問題はコドロスの子のメドンとネイレウスの間で王位継承の争いが生じ、ネイレウスはイオニアに移住し、王になったメドンは王位を放棄しアルゴンになったともいわれることである。王それ自身がいなくなったわけである。堀田彰はアリストテレスに依拠しながら、メドンあるいはその後継者のアカストスの時アルコンの役職ができ、これらの役職は最初終身、それから十年間勤めるようになったという。
 コドロスの例からアテネでは王は神的存在というより軍事的指揮者であったとも考えられるが、ミケーネ時代にはピュロスと同じようにアテネの王も神だったことは考えらることである。その王制も廃止され共和制に移行していったことは、国家共同体主義の崩壊過程で起こった可能性もと考えられる。自己放棄の体系の弁証法的展開からいえば、前中心理念は再定立されるのであるから、王が存在しなくなるということはやはり考えられないことなのである。当時のギリシャ社会が国家共同体主義の自己崩壊期に突入していたかどうかという問題に絡むかもしれないものとして、ゼウス神の性格の変化ということがある。ゼウスという言葉は、他のギリシャの神々の名前が語源的に意味を定めがたいのに対し、ゼウスだけは明確なギリシャ語名で、「輝く」ひいては「大空」を意味するという。ゼウスは天空神なわけである。ゼウスはミケーネ文化を築いた人々がギリシャ本土に持ち込み、さらにクレタに持ち込んだと考えられている。クレタ島にはミケーネ以前の洞窟聖地としてプシュクロのディクテ洞窟があり、ヘシオドスの『神統記』の中のゼウス誕生物語はこの洞窟に関連しているという。B文書に「デウキオスの月に、ディクテーのゼウスに十二立の油を」と記述されており、あきらかに印欧語と断定されるゼウスが先住民の聖所に結びつくようになったのは、この地の旧来の祭神の地位をゼウスが奪った結果であるとされる。このディクテーのゼウスの性格を知る資料として、クレタ東岸のバライカストロにゼウス誕生頌歌が伝わっており、そこではゼウスは若者であり、ダイモンの先頭に立って春になると来臨し、歌と踊りを伴う祭りによってその来臨が祝福される。欠損部分があるが、おそらくそこでは万物に生命を吹き込む、神の恵みを歌う部分だったと想像されている。クレタでは、ゼウスは天空神というより、毎年の春祭りに来臨し、恵みをたれ、毎年死んでいく地上神的性格が濃い。おそらく、クレタにはすでにそのような性格の神の息子があり、それがゼウスと呼ばれるようになったのではないかともいわれる。この時期のゼウスは豊饒祭に組み込まれた、きわめて低い地位の神で、王室ともあまり結びついていない。ピュロスの王宮において重要視されていたのは二女王(母女神。穀物神のデメテルとその娘のペルセプォネ)とその聖婚相手の王(ワクナス)の対と、ポセイドンとポチニア(=アルテミス)の対の四柱の神で、王は神として組み込まれていた。ワナサがギリシャ語で女王(母女神)の意味で、ワクナスはその女神の相手の若い男神である。もともとゼウスはギリシャ人における天空神だったのが、クレタ文明と接触するなかで、天空に引退するのではなく、逆に地上に降りてきたとも考えられるが、ホメロスにおいて、ゼウスは神々と人間の父として崇拝され、天空に住み、その本来の性格を復活させており、この変化は彼岸的なものから此岸的なものへの変化が逆転して、此岸的なものから彼岸的なものへという傾向が見られるともいえるわけである。もっとも、メソポタミアではその時々の覇権を握った都市の神が主神とされていくのに対し、ゼウスは特定の都市に結びついて主神の座についたわけではなく、後からきたドーリア人が本来の天空神としてのゼウス信仰を維持していて、彼らの信仰の影響でギリシャ本土でも本来のゼウスの神格が復活しただけなのかもしれない。ただ、ホメロスでは本来なら冥府や海に住むハデスやポセイドンも天空に住み、神々と天空の結びつきが強調されているといい、ホメロスのゼウスの天空神的性格はドーリア人がゼウスを天空神としていたことの影響だけともいえないわけである。ホメロスは前750年頃に実在したイオニアの詩人とされているが、イオニアはアテネを経てビュロスから避難民が移住した地であり、ホメロスの詩もミケーネ時代の伝承が物語りの素材になっているとされる。堀田彰によれば、ホメロスの宗教とミケーネ時代の宗教では、神と人間の関係がまったく違っており、ミケーネ時代の祭祀においては、オルギアを中心に神人一体感を経験することが重要であったのに、ホメロスの宗教では神と人とは完全に区別されていて、そこには神と人との断絶感がみられるという。また、デメテルはホメロスにも出てくるが、ホメロスはことさらこの女神に背を向け、オリンポスの神々に加えず、ホメロスには過去の自然宗教と意識的に決別しようとする態度が現れているという。ゼウスの性格の変化は、単にドーリア人の影響とはいえず、国家共同体主義から彼岸的理念の時代へ向かいつつあることを示しているとも考えられるわけである。一方、ゼウスはホメロス当時のバシレウスの実体を投影しているとも言われる。当時の王が絶対権力を持たないように、ゼウスも絶対的な存在ではない。このことは、ゼウスがまだまだ国家共同体主義の枠内にあることを示しているかもしれない。王位を簒奪したといわれるコドロスについていえば、彼が神的性格を色濃く有していたがビュロス王家の出身ということで、単に軍事的指導者的性格だけではなく、神的性格も持っていたのかもしれない。ただ、どちらにしてもアテネで王制から共和制に移行したということは、国家共同体主義には都合がわるいといえる。
 王の消滅と似た現象であるが、王や首長の権力の退行ということがあった。人種的混合と文化的同化によって、成層やその他の民族的異質性が退行して、相対的な同質化が進むというもので、ガーナ北部地区の騎馬戦士が侵入する辺境地帯においては、侵入者は数の上で劣っているため土着文化に同化し自分達の支配要求権を退行させざるをえず、その結果ごくごく小さな威信上の差異しか残されなかった。これは国家共同体主義の否定というより、国家共同体主義における差別性と同質性・平等性の問題として考えるべきであろうし、国家共同体の形成と、国家共同体における中央権力の強化という二つの段階が区別されなければならないともいえる。少なくとも征服者の数が少なく、彼らのみで国家共同体を形成することができないとき、被征服民をも含んだ国家共同体が形成される動きが出てきても不思議ではないし、その場合優先されるべきものは、支配者と被支配者の同質性であり、その同質性をもたらすための平等性ということであろうから、退行ということが起こりえるわけである。ただ、アテネでは一つの都市国家が王制から共和制へと移行しているわけであり、人種的混合や文化的同化ということは考えにくい。

 アテネにおいて国家共同体主義をあくまで擁護しようとすると、どのようなことが考えられるであろうか。考えられることの一つは、自己放棄の体系の弁証法的展開において、新しい彼岸的な中心理念の創出は前本質の否定という真理性に依拠してなされるとしたが、そこには新しい中心理念の創出の前に前本質の否定ということがなければならない。そして、新しい中心理念の創出の後に古い中心理念の再定立があるのだとすると、新しい中心理念の創出以前には古い中心理念の否定だけがあるともいえる。すなわち、国家共同体主義の自己崩壊の過程では国家共同体主義の否定だけがあるということであり、その否定が行き過ぎると、王という存在そのものの否定にまで至ることもあるかもしれない。しかし、その場合はもともとの形態とは何らかの繋がりを保ちながら、国家共同体主義が別の形態をとって再定立されなければならないということにもなるであろう。
 アテネの民主制と国家共同体主義の関係を考える場合、役職として残った王を意味するバシレウスが国家共同体主義的機能を果たしていたのかどうかも考えなければならない。王の持つ様々な権限・職能が奪われたバシレウスに、最後に残された機能は宗教的なものであった。あるいは、このことは王と神の結びつきこそ王にとっての本質であり、それ故最後まで神との関係が残ったということを示しているのかもしれない。もっとも、それはバシレウスの独占ではなく、他の役職もそれぞれ関係する祭りがあった。アリストテレスの『アテネ人の国制』によれば、アリストテレスの時代において、バシレウスの仕事は次のようなものであったという。まず第一に監督役たちとともに秘儀を監督する。次に、レナイオンのディオニュシア祭も監督し、また父祖伝来の供犠のすべてを管掌する。その他、?神に関する公訴、神官職に関する争い、殺人については彼の前に提起され、氏族や神官達に対して神事についてのすべての争いを調停する。これをみると、バシレウスの職務は政治的なものというより、宗教的なものだったといえる。国家共同体主義の根幹において、王と神との同質性は王の政治的側面よりも重要であるから、宗教的なものにその権限が限られたとはいえ、バシレウスの存続はアテネの国家共同体主義を考える際に無視できないであろう。ただ、当時のアテネ市民が単なる役職のバシレウスに神的なものをどの程度感じていたかということも問題になる。アリストテレスによれば、今日でもバシレウスの妻とディオニュソスの交わりと結婚の儀が行われているという。一方、王権から最初に軍事権や統治権が分離し、かつてのビュロスに成立していたような女神の相手の若い男神というワナクス的立場も消滅し、王の神聖性は剥奪され、祭司職に転落しているという指摘もある。バシレウスという言葉については、王という意味と同時に土地持ちという意味もあったといい、貴族的な意味もあったといえるわけであるが、当時の貴族はオリンポスの神々やホメロスの英雄達と結びつく系譜を作り上げていたから、それなりに神的・聖的な要素もあったといえる。バシレウスはミケーネ時代のダーモス(村落共同体)の首長をあらわすパシレウからきている。ピュロスにおいて村落共同体はかなりの自立性をもっていたことがはっきりしており、ポリス社会を成立させる根拠となったのではないかといわれる。一般にポリスの出現はミケーネ時代の諸王国の下に統一されていた小さな共同体が、その場で、あるいは移動して独立したり、侵入した方も征服地に落ち着くまでに、多くの小共同体に分裂した結果であると考えられているようである。また、ピュロスの王家はこのようなダーモスから成長したのではないかともいわれるが、ピュロスの王とダーモスの首長には厳然たる区別があったと考えるべきであろう。ただ、ピュロスの王ほどではないかもしれないが、ダーモスの首長であるパシレウにも神的性格は残っていた可能性はある。ピュロスにおいて、王はあくまで女神の夫であることによって神に列することが出来たといえる。アテネではバシレウスの妻はディオニュソスの妻でもあった。そのことによって、バシレウスの妻が神格を得るとすれば、神である妻の夫であるバシレウスもビュロス的にいえば、神格を帯びているということにもなる。
 国家共同体主義を王=神、王=国家共同体成員、ゆえに国家共同体成員=神という構造でみるのではなく、王=神、王=国家共同体、故に国家共同体=神、国家共同体=国家共同体成員、故に国家共同体成員=神という回路での一般民衆の神格化という構造も考えられるのではないだろうか。王とその国家あるいは共同体との一体視はしばしば見られるものであった。その構造からいえば、国家共同体=神がいえれば神としての王がいなくても、一般民衆を神格化できるわけである。アテネでは宮殿があったアクロポリスに神殿が建てられた。王宮跡のアクロポリスには前八世紀半ば頃からプロンズ製の鼎、種々のミニチュア製品、奉納板、陶器なのど奉納が始まっおり、前七世紀後半にはポリスの女神アテネのための最初の神殿が建てられている。あるいは、都市国家アテネの中心のアクロポリスが聖域化されたということは、それがアテネという都市国家そのものを神格化している役割を果たしていたのかもしれない。浦野聡によれば「都市のひとびとの関心が、それほどまでに強く聖域とそこでの祭儀に向かっていったのは、そもそも、地中海各地に集住や植民などを通じて作られていった都市というひとびとの容れ物そのものが、広い意味での聖域であったからだろう。」という。もしそうなら、王という存在は国家共同体主義的にも必ず必要とはいえないわけである。ただそれだけではやはり不十分だったので、バシレウスという役職が残り、それを残しつつ国家共同体=神という要素を強化していったのがアテネにおける国家共同体主義だったのかもしれない。エリアーデよれば世界の創造とは実在の横溢であり、聖なるものが世界に闖入することを意味し、世界の中心とは神による世界の創造と人間の創造がなされる場所であり、また神による創造直後の世界そのままの場所、太初宇宙が造物主の手を離れた時そのままに清浄神聖な場所である。すなわち、世界の中心に在るということは原初の肯定性の中に在るということである。エリアーデによれば、天界と地上と地下界を結ぶ、柱(宇宙の柱)、山、樹、蔓等などによって表現される世界軸は世界の中央・中心であり、また聖都と聖殿は世界の中心であり、寺院は宇宙の山の模型である。すなわち、ポリスの中に神殿を持ち、その神殿を中心にポリスがまとまるということは、神殿は世界の中心であり、また神殿を中核にして広がるポリスもまた世界の中心になるということになるわけである。世界の中心としてのポリスは、原初の肯定性の溢れる場所であり、そこに住まう人間は原初の肯定性の中に在るということになる。
 ただ、ジェインズによればメソポタミア全域で、シュメールやアッカドの両王朝の最初期から、すべての土地は神のものであり、人間は神の奴隷であったともいわれる。この場合、すべての土地は神のものであるということは彼らの都市や国が世界の中心であることと必ずしも矛盾しないであろう。それは総ての神の土地でも彼らの都市や国はより神に近い土地であるということを意味しているにすぎない。もっとも、人間が神の奴隷であるとすれば、神と人間の同一性など生じないし、国家共同体主義など存在できる環境ではないということにもなる。ジュリアン・ジェインズはこの人間が神の奴隷であるということを、彼の人間の心は命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていたという「二分心」説に引き寄せすぎているのかもしれない。メソポタミアの王は自己を神とすることを拒否していたかもしれないが、エリアーデによれば、シュメールにおいても君主は地上における神の子であり、代理人と考えられていたのであり、それ故アッカド時代から認められているアキーツ祭において君主は顕著な役割を果たしているのであり、正月儀式には王の上に時間の再生に関する責任もかかってくるのである。また、王が単なる神の奴隷であったとするなら、その名前に神の名が入ることもありえないであろう。
 王の神格化はイニシエーションにおける加入者の太陽神・太陽英雄との同化とは区別されなければならない。イニシエーションにおける太陽神との同化は、男性のみにいえることであるが、王の神格化は共同体構成員全体の神との同一性をもたらすのである。ホカートは王の即位式とイニシエーションとの類似性を指摘したが、イニシエーションにおける神との同化があったから、王の神格化も可能だったといえるであろう。それに対して、世界創造直後の世界としての世界の中心は、エリアーデのいう永遠回帰する時間、反復する時間の中に起源を持つといえる。例えば時間を年で区切るということは、エリアーデによればいずれの正月行事も、時間の初めからの再開始、即ち宇宙開闢のくり返しであり、ただ単に瞬間的にもせよ、神話的で、元始の時、「純粋」な時、天地創造の「瞬間」を復元しようとする試みである。この祖型を永遠にくり返す永遠回帰の反復は、しかし一年を俗なる時間と聖なる時間に分けているのであり、その意味ではイニシエーションにおける太陽神との同化と同じように差別的であり、存在即肯定の否定である。それに対して、世界の中心としての聖都=国家共同体=ポリスの場合は、そこにおいては聖なる時間・原初の肯定性のみが存在している。しかし、そうするとポリスにおける俗なる時間は何処にあるのかということにもなるのであるが。
 国家共同体を世界の中心にすることも、共同体構成員全体を原初の肯定化するということでは、国家共同体主義の一種ということができるかもしれない。では、王を神とする方法と、国家共同体を世界の中心にするという方法の、どちらが古いものなのであろうか。考古学的にみて、国家共同体を世界の中心とする方法も古い時代からのものであったといえるかもしれない。ジェインズによれば、ごくわずかな例外はあるものの、中石器時代末期から現代に比較的近い次代までの人間の集落は、神の家を人家が取り囲むという形をとってきた。その起源については、パレスチナの古都イェリコの前九〇〇〇年紀にあたる発掘層をみても、最初期の村落はそうした土地計画はあまりはっきりとは見られず、その存在に関しては議論の余地があるかもしれないが、しかし、同じイェリコの前七〇〇〇年紀にあたる発掘層には、小さな住居の遺跡に囲まれた大きな神の家があるという。注目すべきは、この時期のイェリコには城壁が作られていたということである。その城壁は略奪者や外的からの防御のためのもので、都市が城塞化されたと考えられてきたが、最近では武器として想定される尖頭器の出現頻度がきわめて低く、貯蔵庫や一般住居がほぼ同じ場所に建てられつづけ、ついには周壁を埋没させていることなどから、イェリコでの社会的緊張の証拠は弱く、軍事目的としての城塞とは考えにくいので、土砂・洪水防御壁説が有利とされている。メソポタミではウバイド期に先行する、前5500年以前のサマッラ期のソワンⅢ層で約2.5ヘクタールの範囲を囲む周壁が見つかっており、この周壁と外側に隣接する溝はメソポタミア最古の防御施設とされているが、小泉龍人によれば、壁も溝も集落全体を囲っているわけではなく、集落内には武器庫のような施設も認められないことから、周辺一帯が冠水したとき集落への浸水を防ぐ機能が想定されるという。壁より先に溝が掘られたが、溝はゴミ捨て場としても使われるようになり、やがて溝が埋まると浸水防止用として周壁が新たに築かれたと考えられている。ただ、城壁や濠はその実用的な性格の他に、カオスとコスモスを分ける境目の意味も存在している。ローマにおいて都市の建てられるべき土地のまわりに掘られる濠であるムスドゥスは地下界と地上界とのまじわる場所であった。オリエントでは天地創造以前のカオスは水と結びついていたのであるから、イェリコの城壁は単なる洪水対策用の壁ではなく、イェリコの城壁もカオスとコスモスの境の意味が与えられていた可能性も考えられるのではないだろうか。前七〇〇〇年紀のイェリコの人々にとって神の家は世界の中心で、イェリコの町もまた世界の中心であり、清浄なる宇宙創造の直後の状態そのままの町だったかもしれないわけである。一万二千年前の東アナトリアのギョベクリ・テペでは石を積み上げた囲いのある遺跡が出土しており、聖域であったとされる。それは農耕・牧畜の成立に先んじるもので、近隣に住居跡も発見されていないことから、定住以前の狩猟採集時代のものとされるが、イェリコの城壁はこのギョベクリ・テペの聖域の石壁が拡張され、住居まで飲み込んでしまったということなのかもしれない。ただそのことによって生じる石壁のもつ意味は正反対で、ギョベクリ・テペでは石壁が源初の肯定性が此岸である人間の生活空間とは区別された石壁内部の聖域にしか存在しないことが強調されているのに対して、イェリコの城壁は源初の肯定性が聖域をはみ出て、此岸である人間の居住空間まで原初の肯定性の世界であることを強調しているということになる。

引用・参考文献
 『石器時代の経済学』 マーシャル・D・サーリンズ
 『西太平洋の遠洋航海者』 ブロニスロー・カスパー・マリノフスキー
 『悲しき熱帯』 レヴィ=ストロース
 『政治の象徴人類学へ向けて』 山口昌男
 『無文字社会の歴史』 川田順三
 『民族の世界』 エルマン・R・サーヴィス
 『アフリカにおける古代王国の諸類型』 山口昌男
 『人類の宗教の歴史』 フレデリック・ルノワール
 『王権』 A・M・ホカート
 『世界史史料1 古代のオリエントと地中海世界』 歴史学研究会編
 『神々の沈黙――意識の誕生と文明の興亡』 ジュリアン・ジェインズ
 『国家の形成』現代文化人類学3 ローレンス・クレーダー
 『ギリシア社会の諸相とその価値観』 堀田彰  「奉納品からみた聖域と社会」 師尾晶子 浦野聡編『古代地中海の聖域と社会』
 「古代地中海聖域の精神的・身体的トポグラフィー」 浦野聡 浦野聡編『古代地中海の聖域と社会』
 『聖と俗』 ミルチャ・エリアーデ
 『永遠回帰の神話』 ミルチャ・エリアーデ
 『都市誕生の考古学』 小泉龍人
 (頁先頭)