第一節 キリスト教の崩壊から進歩主義創出までの時期 (2022年10月5日)
第一項 中心理念としての進歩主義
第二項 ルネサンス期
世俗的なものへの関心
ルネサンス期の時期
第三項 源初の肯定性の表現としての神と楽園
神
楽園
第四項 千年王国主義と自由心霊派
千年王国主義
自由心霊派
第五項 魔術
第六項 宇宙と無限
形而上学的無限と数学的無限
現実的無限と可能的無限
最大有限数性
無限と矛盾
ゼノンの逆理
無限に関する思考のパラドックス
無限の宇宙
ト・アペイロン
ジョルダーノ・ブルーノ
コペルニクス
デカルトとヘンリ・モア
第二節 進歩主義の創出 (2022年10月5日)
第一項 進歩主義
第二項 科学と魔術
第三項 科学と無限の宇宙
第四項 聖俗革命
第五項 無限の進歩
第六項 科学への熱狂
第三節 進歩主義における基本理念と中心理念の矛盾 (2022年10月10日)
第一項 進歩主義における基本理念と中心理念の矛盾
第二項 進歩主義と保守主義
第三項 進歩的保守主義と質的完成・量的発展
第四項 保守的進歩主義と国家共同体主義
第五項 進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義
第四節 進歩主義と経済 (2022年10月5日)
第一項 新しい進歩の推進力としての経済
第二項 物質的財と進歩主義
第三項 進歩主義経済における平等
第四項 現在と未来を繋ぐもの
第五項 自由経済と計画経済
第六項 進歩主義と資本主義
第七項 進歩主義・資本主義と利己主義
第八項 質的完成と自己調整的市場
第五節 アナーキズム (2022年10月5日)
第一項 存在即肯定と自由
第二項 基本理念主義と純正無政府主義
第三項 アナーキズムの揺動性
第四項 反国家・反権力と純正無政府主義
第五項 純正無政府主義と純化
第六節 マルクス主義 (2022年10月5日)
第一項 共産主義の曖昧性
第二項 マルクス主義における革命と独裁
第七節 アナーキスト独立 (2022年10月5日)
第一項 純正無政府主義とアナーキスト独立
第二項 アナーキスト独立共同体における排斥
第一項 中心理念としての進歩主義
ヨーロッパ近代は自己放棄の弁証法的展開の第五段階と考えられる。第五段階というためには、単に第四段階としてのキリスト教の崩壊過程が見られるだけではなく、新しい中心理念の創出がなければならない。そして、新しい中心理念は此岸的理念であり、源初の肯定性と結びつくものということになる。ヨーロッパ近代の自己放棄の第五段階の中心理念として本論では進歩主義を考えている。基本理念については自己放棄の弁証法的展開として法則的なことはいえるかもしれないが、その基本理念と結びつく中心理念については創出されるものであり、法則的なものによって導き出されるものではない。すなわち、中心理念については後付け的説明しかできないということである。ただ、此岸的な中心理念についてはある側面が言え、それは此岸的基本理念に対する否定的な側面があるということである。何故なら、中心理念の前提には基本理念が幻想でしかないことがあるのであるから、その基本理念が幻想でしかないという事の反映が何らかの形で中心理念に見られるはずなのである。もしそのような基本理念に対する否定的な側面が中心理念に一切見られないなら、中心理念の必要性を中心理念そのものが否定しているということにもなり、そもそも基本理念だけでいいはずということにもなるであろう。また、中心理念が基本理念の否定という側面をその内部に有するということは、矛盾を含むということであるが、他方基本理念が幻想である以上それは中心理念に真理性を付与するということにもなる。
新しい中心理念は近代ヨーロッパを規定するものであり、近代ヨーロッパを規定するものとして考えられるものとしては進歩主義の他に、民主主義、理性主義、科学主義、技術主義、経済主義、資本主義、唯物論、無神論などが考えられる。これらのうち、資本主義は国家共同体主義が共同体成員全員に原初の肯定性をもたらす中心理念であり、新しい中心理念も同じような性格をもとめられるているのだとすると、勝者と敗者が必然的に生じる資本主義を中心理念とすることはできないであろう。せいぜい国家共同体主義の中から権力や支配が発生してきたように、新しい中心理念の中から発生して来たものとして考えることができるかもしれないということである。またもし資本主義が近代の中心理念であるとすると、資本主義は近代以前から存在していたのであるから、古くからの資本主義と近代の資本主義では何が違うのかということも問題となってくるであろう。唯物論は此岸的な思想とはいえるかもしれないが、単にすべては物質で出来ているというだけの話であるから、別に源初の肯定性が結びついているわけではなく、すべての物の無価値性・無意味性と結びついているとさえいえる。唯物論が此岸的中心理念と結びつくとすれば、彼岸性あるいはキリスト教の否定という点にしかないであろう。さらにいえば、唯物論には創造の情熱の否定という、それ自身の中に彼岸性が潜んでいるともいえる。同様に、無神論も神のいない世界は此岸的な世界かもしれないが、唯物論と同じようにキリスト教の否定という意味はあるとしても、即源初の肯定性と結びつくわけではない。唯物論も無神論もそれが直接中心理念になるわけではないといえる。
理性主義と科学主義、科学主義と技術主義は密接に関係しているし、ここでの経済主義とは物質的豊かさの追求ということであり、科学主義、技術主義と密接に関係している。これらのうち、理性主義、科学主義、技術主義は進歩主義と結びつくとき、それらが源初の肯定性をもたらすと初めていえるのかもしれない。十八世紀には理性や科学・技術は進歩主義と深く結びついていた。そういう意味では、十八世紀においては進歩の中には物質的豊かさも含まれていたのであり、経済主義も進歩主義と結び付くことによって、物質的豊かさが源初の肯定性をもたらすということになるのだともいえる。また、経済主義は資本主義と密接に関係しているが、資本主義についても、進歩主義と結びつけて捉える主張もある。シドニー・ポラードは「一八世紀の進歩のヴィジョンは、本質的に進歩のブルジョア的ヴィジョンである。」(『進歩の思想』)という。しかし、中心理念として進歩主義を考えるとき、それは自己放棄共同体員とてのヨーロッパ人全体と関係するものであって、その意味ではブルジョア階級とも関係することになるが、単なる一階級と結びつける理念ではないし、逆に進歩主義がブルジョア階級の理念でしかないとすれば、それは中心理念とは看做せないことになる。ただ、物質的豊かさをもたらしたという点で資本主義を考えれば、それは進歩主義の中で考えることができるであろう。
民主主義については少し複雑かもしれない。民主主義も国家共同体主義的な君主の支配する社会の否定という意味だけでは、それ自体が源初の肯定性をもたらすものとはいえないであろう。あるいはそれは前本質期における社会の在り方に根ざしており、それゆえ過渡期における源初の肯定性としての前本質の肯定に通じるものがあるとしても、もしそれだけであるとすれば、それはやはりすでに崩壊した源初の肯定性ということにもなるわけであり、中心理念とはなり得ない。また前本質の肯定としての源初の肯定性の希求というだけでは、それもまた単なる基本理念の追求以上のものとはなり得ないということにもなるわけである。
こう考えると、近代ヨーロッパにおける中心理念は、やはり進歩主義ということになるであろう。此岸的中心理念は此岸的基本理念をそのまま直接的に定立するのでは、その幻想性によってすぐさま自己崩壊していくから、基本理念を間接化するものだともいえる。国家共同体主義では神である最高権威者を媒介にすることによって間接化したわけであるが、進歩主義は基本理念が存在即肯定として現在的に人間を源初の肯定性状態に在るとするのを、将来的に源初の肯定性を実現されるものとして、時間を媒介に間接化するわけである。
経済主義については進歩主義を離れて源初の肯定性との結びつきを語ることができるともいえる。経済主義については、中心理念以前に源初の肯定性との関係において考えなければならない点がある。クロマニヨン人における装飾された衣服や道具、装飾品、あるいは非実用的な石器などの道具などから道具の自立化というものを考えた。そして道具の自立化に人間が前本質から新たしい創造的無を本質とする存在へと変化したことの一つの証を見たわけであるが、道具の自立化は単にそれだけのものではない。道具は前本質段階の人間にとって肯定的なものであったろうし、それ故過渡期においては、前本質が肯定するものの肯定として道具は源初の肯定性と結びつていたといえる。その道具が自立化するとは、一種の源初の肯定性の外化ともいえるわけである。その源初の肯定性の外化とともに過剰性・自立化が生じるわけである。ただ、同じ源初の肯定性の外化でも神と違うのは、神のような彼岸的な存在ではなく、またどこか彼等取って外界ともいえる場所から持ち込まれたものでもなく、彼等自身が作り出したものとして此岸的な存在でもあったということである。元々過渡期においては道具そのものが源初の肯定性と結びついていた。そして道具の自立化と共に、過剰なあるいは自立化した衣服・装飾品・道具と実用的な物との間にある種の区別があったかもしれないが、この此岸性からいって、過剰で自立化した物だけではなく、実用的な物を含めて、それらは原初の肯定性と結びつくものだったのだといえる。そのことは、実用的な投げ槍などに装飾が施されていたことからもいえよう。それらは、実用的な道具であると同時に自立化した道具でもあり、それが一体化していたわけであり、装飾部分だけを切り離して源初の肯定性の外化と結びつけることはできないであろう。ただ、時代と共に非実用的なもとの実用的な日常品との間に区別が生じてきたことはいえる。道具の自立化が外化でもあるとすれば、非実用的なもとの実用的な日常品とを区別する力も存在していたわけである。そして、国家共同体主義がこの非実用品と実用品との区別、あるいは外化すなわち彼岸的なものとしての物質と此岸的な物としての物資の区別をさらに強めたともいえる。神である王は、神のままに此岸化しなければならなかったといえるが、源初の肯定性の外化でもありながら此岸的な物でもある自立化した物質が、その此岸的な神としての王を補強するだろうからである。
第二項 ルネサンス期
ルネサンス期の時期
彼岸的中心理念としてのキリスト教と此岸的中心理念としての進歩主義の間に、キリスト教の崩壊から新しい中心理念の創出の間の時期というものが考えられるわけであるが、その中間の時期を取り敢えずルネサンス期という言葉で表すことにする。といって、その時期を厳密にルネサンスに結びつけているわけではなく、二つの中心理念の間の時期に新しいヨーロッパの誕生を感じさせるルネサンスもあるから、取り敢えずその時期をルネサンス期という言葉で言い表しているわけである。その期間としては大雑把に、進歩の観念が進歩主義として中心理念的性格を持ち出したのが十八世紀とするなら、グレゴリウス改革がキリスト教の自己崩壊に対するキリスト教再強化という意味を持っているとも考えられるとして、十二世紀ぐらいから十七世紀までの時期が考えられる。パウル・オスカー・クリステラーは「ルネサンス」とはだいたい一三〇〇年から一六〇〇年にわたる西欧の歴史の期間を意味すると解釈しているとし、この時代でも、キリスト教の宗教的確信は保持されるか少し変化するかどちらかで、真に疑われることはなかったから、ルネサンスは基本的にはキリスト教的時代であった、とするのがより妥当であると思われるとする。しかし、その間にも中心理念としてのキリスト教の崩壊は進むと同時に、新しい中心理念の創出への努力――それは必ずしも成功するとは限らないものとして――が為される時期であり、その新しい中心理念を創出しようという力は、まさにそれは創出であって決定論的な方向に沿ってなされる訳ではない以上、様々な方向に向かうであろうし、またその狭間でキリスト教や国家共同体主義という古い中心理念の再強化といった動きも生ずるであろう。国家共同体主義の再強化についていえば、中心理念としてのキリスト教の崩壊は自己放棄の体系の中で対立すると同時に相互依存的でもあった、再定立された国家共同体主義の崩壊をももたらすといえ、それは王権や皇帝権の衰退をもたらし封建制を完成させていくが、国家共同体主義の再強化は単なる再定立された国家共同体主義の強化ではなく、国家共同体主義そのものの強化という意味合いをもつことになるであろうし、それが王権の強化と国家共同体の再強化をもたらし、さらに王と神との直接的な結合、即ち神としての王の復権として絶対王政につながっていくわけである。
一般的な歴史認識としての古代―中世―近代という三分法に対して、まず偉大な古典古代のギリシャ文明とそれを復活したルネサンス以後の近代の間に、中間の時代としてもっぱら消極的・否定的に把えられた中世があるという、ルネサンス人の中世蔑視の偏見をそのまま固定してしまった歴史図式で、西欧文明を正確に把えるうえに妥当な枠組みとは言ず、それに対してヨーロッパ人が中世とか近代とか言ってきたものをひと続きのものとして一括してヨーロッパ文明とし、中世と近代を一貫して把えることはきわめて重要であるという指摘がある。本論は此岸的理念の時代の近代と彼岸的理念の時代の中世に、明確な切断線を引くわけであり、その意味では一般的な歴史認識と同じということになる。ただ古代については、古代を民主制アテネに代表されるギリシャ文明と結びつけるなら、その時代は国家共同体主義が崩壊した時代と看做せるから、古代―中世という区分は本論では成立しない。古代の代わりに国家共同体主義の時代を入れなければならないわけである。ルネッサンス期が中世と近代を分ける分割線の時期とすれば、古代は国家共同体主義の時代と中世を分ける分割線の時期ということになる。
中世と近代を分けるべきか一体のものとして理解すべきかという問題については、二つのことがいえる。一つは、自己放棄の弁証法的展開がなされる自己放棄共同体という観点からみると、ローマとゲルマンが融合して一つの自己放棄共同体となった中世のヨーロッパとそれ以前のローマ帝国を自己放棄共同体とする時代とは区別され、中世に形成された自己放棄共同体が近代においても持続しているという意味では、中世と近代を一つのものとして捉えることができるということである。もう一つは、中世と近代を一体化するといっても、その中世とは中世全体のことではなく、中世後半と近代が一体化して捉えられるのではないかということである。西ヨーロッパでは九世紀以来の「農業革命」が三圃農法の導入や農業技術の改良を通して十二世紀に完成され、生産が飛躍的に増大し、それにもとなって十世紀以来の商業の復活に伴って「都市の勃興」がもたらされた。同時に十二世紀から十三世紀にかけて、ギリシャの遺産を含めたアラビアの知的遺産が西欧世界へと入ってきた。西欧を西欧たらしめた「革新の十二世紀」、西欧世界の「離陸の世紀」とも言われるわけである。すなわち、そこにおける一貫性は科学史・経済史的な視点からくるものであり、中世といっても十二世紀ルネサンスといわれる十二世紀以降の中世、アリストテレスが西欧に知られるようになり、アリストテレスをキリスト教に融合したスコラ哲学以降の中世を意味しており、それ以前のキリスト教が中心理念として確固として在った中世を含めることはできないのではないかということである。本論的にはそれは中心理念としてのキリスト教が崩壊し始めた中世であり、そこにおける中世と近代の連続性とは、本論でルネサンス期として捉える時期と近代との連続性ともいえるわけである。ただ、当然ながら中間時期としてのルネッサンス期と此岸的中心理念が創出された近・現代の間には連続性が見られても不思議ではないわけであるが、同時にキリスト教が確固として中心理念の地位にあった時期と中間時期としてのルネッサンス期にも連続性があるとこになるが、しかしそのことから中世全体と近代との間に連続性があるとみなすことには問題があるであろう。
古代―中世―近代という三分法では中世と近代分ける分割線はルネサンスということになるが、中世を二つに分ける場合はその分割線は十二世紀頃ということになる。本論的立場からいえば、十二世紀はグレゴリウス七世の改革が崩壊しつつあるキリスト教の再強化という側面があったとしても、中心理念としてのキリスト教が崩壊し始めた時期といえる。ただ、反キリスト教的な動きが出てきた時期とみなすには早すぎるであろう。それに対して、ルネッサンスこそ崩壊する中心理念としてのキリスト教に対して、魔術のようなそれに対抗するものとしての此岸的基本理念へと向かう力が表面に出てきた時期といえる。もっとも、ルネサンスは文芸という意味では素晴らしいものを生み出したものの、科学技術や生産という点では十二世紀ルネサンスの時期に劣っていたといえる。
世俗的なものへの関心
澤井繁男によれば十三世紀の終りごろに編纂された『ノヴェッリーノ』(百種古話)を読むと、時代や世相の移り変わりが手に取るように分かり、知識人層はもとより庶民層に至るまで、世俗的生活へと確実に推移している様子が読み取れるという。ウォルタ・ウルマンによれば、十三世紀ともなると、市民の間に、世俗的文化と雰囲気が急速に拡がる。絵画において十三世紀になると自然を素材とする風景画が芸術的創作の完全な固有のジャンルとして登場してくるし、文学においても俗語文学が飛躍的に増加する。そのような作品の中には、禁欲的瞑想生活と市民の活動的性格を対比し、人間の精神の高貴さは瞑想的な生活よりも共同体の大義に身をささげる方にあると主張するものもあったし、中世盛期には、お前は「いずれ死ぬことを忘れるな」という暗い思潮が文学の主調をなしていたのに、十二世紀も後半になると、「今生きていることを忘れるな」が主調となっていき、諦めとこの世から永遠の世界への逃避という調子の文学が、生きる喜びや楽天主義、この世で生を充実させようとする人間能力への賛美にかわっていく。俗語の詩がはっきりさせたものは、キリスト教的な価値と純粋に世俗的な価値との峻別を意識させたことであり、時には、それは後者の讃美・肯定にまで至らせたのである。歴史叙述においても、十二世紀ともなると、歴史過程において人間自身が演ずる役割がはっきりと肯定されるものが現れる。そのような歴史家の一人のオットにとって、歴史の発展とは、常に変化し、成長していく人類の発展であった。
ウルマンによれば、このような精神活動の一つ一つが、中世ヨーロッパに新しいアリストテレスの諸理論が導入されやすいような土壌を作り出していったのである。そして伊東俊太郎によれば、アリストテレス主義は、正統キリスト教神学の立場からすれば異端の疑いをもつ危険思想という面をもっていた。それにもかかわらずトマス・アクィナスがキリスト教とアリストテレス主義の統合を目指したということは、キリスト教を巻き込む形で彼岸的なものから此岸的なものへと向かう動きが生じてきていたということではないだろうか。もっとも、アリストテレスの天上界と月下界としての地上を分ける考えは、古代ギリシアが此岸的理念から彼岸的理念へと向う中で現われてきたものともいえるから、その意味ではキリスト教とアリストテレス主義は同じ基盤にあるのであり、キリスト教とアリストテレス主義の違いは、本論的には枝葉的な問題だともいえる。しかし、キリスト教教義にとってはその違いは重要だったとはいえるから、やはりキリスト教がアリストテレス主義を受け入れるのは伝統的キリスト教では考えられないことといえるであろう。またアリストテレスの経験主義的傾向は、キリスト教に比べれば此岸的であるともいえる。アクィナスの死後から三年たって、アリストテレス主義はタンピエによって異端断罪されたが、デュエムはこのタンピエの告発こそ、アリストテレス主義の桎梏から離脱して、キリスト教西欧世界が、近代科学への途を準備することになった記念すべき事件であったともされる。ただ、それは理念をめぐる次元の話というよりは、科学理論の次元の話といえる。十七世紀の「科学革命」にまでつらなるアリストテレス主義の批判は、まず「運動論」の領域でなされたのである。
現世の利益重視の風潮は、イタリアでは十四世紀後半から十五世紀前半にかけて主流となった地上での理想的市民生活を達成せんとする人文主義を生み、それを実現すべき法治的な理想的市民社会・市民生活の追究を主眼とする、詩人ペトラルカやフィレンツェ書記官長コルッチョ・サルターティなどによる古典研究が台頭してくる。この市民的人文主義ともいわれる流れの後に、新プラトン主義やヘルメス文書の研究が現れてくるのであるが、それはまったく世俗的なものと無関係なものでもなかった。澤井繁男によれば、カルダーノには生きにくい世をなんとか生き抜いていこうとする世事に長けたモラリストの面と、自然を微細、鋭利に見つめて分析、分類しようとする科学者の面が窺えるが、この二つの面を精神的に支えていた彼の理念が、市民的人文主義のあとに起こったフィチーノやピコによる新プラトン主義という第二の知の在り方と深く関わっているという。また、神的啓示的知とでも名づけ得るこの知に政治的意識は稀薄であり、そういう意味で保守化はまぬがれず、文人的人文主義の名があたられているといい、これはひとえにローディの和約(一四五四年)以後都市国家間に平和がつづいていたからだと考えられると澤井はいうが、単にそのような政治状況だけではなく、新プラトン主義やヘルメス文書そのものの持つ意味を考えるとき、彼岸的理念から此岸的理念へという流れの中で捉える必要があるのではないだろうか。十五世紀の所謂「人本主義」と総称されるような知的、思想的運動は啓蒙近代が期待するような「合理」的、「理想主義」的なものではなく、魔術的なものに関わっているともされ、それは単なる政治状況というより、もっと根源的な所から来ていると考えられるのである。そして、村上陽一郎は啓蒙主義的な発想によれば、ルネサンス期に生まれた人本主義こそ、理性の時代としての近代を切り拓く突破口となったと考えられてきたけれども、もし人本主義が近代へと繋がるのであれば、その人本主義的思想運動のなかに含まれる非合理的、神秘主義的な傾向は、一体どう位置付けるべきなのかが、まったく不明のまま残されるから、そうした考え方は成り立たなくなっていることも明らかであるという。
第三項 源初の肯定性の表現としての神と楽園
神
ルネサンス期において、源初の肯定性はどのような形で表現されていたのであろうか。まず挙げられるのは源初の肯定性の外化としての神であろう。神が源初の肯定性の外化とすれば、その意味ではキリスト教の神も源初の肯定性の一つの表現ともいえる。また、此岸的中心理念が必ずしも神を排除しないことは、国家共同体主義を見れば分かる。ただ、キリスト教の神がそのままに此岸的中心理念に組み込むことができるかといえば、キリスト教の神の性格をより此岸的なものに変える必要があるであろう。どちらにしても、キリスト教の神が源初の肯定性の一つの表現であるということはいえるであろう。
中世において神とはキリスト教の神であり、異教の神は弾圧・抹殺されていったわけであるが、ルネサンス期に特徴的なことは、オリンポスの神が復活してきたことである。神とは源初の肯定性の外化であるとするなら、異教の神であるかどうかはどうでもいいことであり、その神が唯一神か多神か、創造神かそうではないかというような違いは本質的な違いではない。どちらにしろ、神は源初の肯定性の外化なのである。また、此岸的理念に神を組み込む場合には、人間の祖先としての神であろうと、人間が神に成った神であろうと、どちらでもいいということになる。オリンポスの神は特に十五世紀に極めて強い関心を集め始めていたのであり、さらにオリンポスの神ばかりでなく、エジプトやアラビアやペルシャといったさまざまな異教的な神々がヨーロッパに移入されたオリンポスの神については、ゼウスに地上神から天空神への変化が見られるとしたが、ジョン・パスモアによれば、古代ギリシアの人々にとって、オリンポスの神は形而上学的に見てもまた道徳的に見ても完全なものではなかったという。形而上学的完成に関して、神々が不滅であり偉大であることは確かだったが、永遠なるものでは決してなかったし、全能であったわけではなかった。そして、前六世紀以前にはそのようなオリンポスの神々に対する信仰に対し不満が増してきて、それと同時に、無限なるもの、永遠なるもの、不変なるものに関する新しい観念が現れてきたという。その最初の現われがアナクシマンドロスの「ト・アペイロン」であり、クセノパネスの風刺詩の中には、オリンポス宗教の諸観念に対する新しい宇宙論の影響が明確に展開されおり、神人同形論が放棄され、どの点においても神は人間と似ていなかった。アリストテレスは、クセノパネスのことをパルメニデスの師と記していることに対し、その見解は一般に否定されているが、クセノパネスの「形而上学的に完成された」神のことをより詳細に伝えたのはやはりパルメニデスであり、彼の一なる「存在」は、一見したところ宗教上の神、つまり人間が祈ることのできる神とは明らかに異なっていたにもかかわらず、これら二つの神は同一視されるようになる。少なくとも、パルメニデスが「存在」に特有のものだとした属性は神的なものの属性であるとみなされた。そして、「存在」としての神の理論がそのような「存在」と一般の人間との間に絶対的な相違を設定しているように見えるとしても、それは同時に、そのような絶対的存在を正確に模倣することによって、あるいはそれと合一することによって、あるいはそれを観想することによって、人間が自己を完成しうる、完成するはずだと論ずることにもなる。即ち、人間は力の及ぶ限り日常生活との関係を断つことによって、自己を完成しうるというのであって、ギリシア思想とはこのようなものであったという。パルメニデスの一なる「存在」は、神学に、そして神学を通して人間完成の概念に深い影響を与えたが、パスモアによれば、完成可能性が人間の属性となる前に、まず神が完成されなければならなかったのである。古代ギリシアにおいて、ゼウスの天空神化は此岸的理念から彼岸的理念への転換を意味したとしても、ただゼウスにしても、彼岸的性格を強めたとはいえ、もともとは国家共同体主義に結びつく古い神であり、その意味では此岸性と結びつく神ともいえ、それゆえ古代ギリシアではより彼岸的な神あるいは神性が求められて行くことにもなったわけである。このように多分に此岸性と結びつくオリンポスの神のルネサンス期における復活は、キリスト教の神と比較するとき、彼岸的理念から此岸的理念への転換を意味するともいえるわけである。ただ、オリンポスの神々はルネサンス期においてキリスト教の神と対立する神として意識されたわけではなく、村上陽一郎によれば十五世紀を中心とするルネサンスは、ギリシアやエジプトの神々とキリスト教とをいかに混淆するかという課題を追究していたのであって、多くの場合、異教の神々はキリスト教徒の間に何らかの混合主義を示しながら受け容れられたという。
村上陽一郎によれば、アウグスティヌスはアプレイウスの精霊に対する考え方が、本来はプラトンに根差すものであることを指摘しつつ、人間と神との間をとりもつ存在として精霊を理解するという立場に陥っていることを非難すし、実はアウグスティヌスの魔術に対する有名な反論は、この点を出発点として展開されることになったという。神と人間の中間物を考えると、その中間物は相対的位置によって真逆な意味を持つといえよう。神と人間の断絶性が強調されている中での中間物は神と人間を結びつけるものとして此岸性と結びつくであろうし、国家共同体主義のように神と人間の一致を主張する中では神と人間の断絶性を意味し彼岸性と結びつくでであろう。
ルネサンス期における源初の肯定性の外化としての神ではなく、より直接的に源初の肯定性と結びつく神は、ニコラウス・クザーヌスにみられる。クザーヌスの神学は、神秘主義の神学すなわち神は有限な差別の否定という道を通じて直観されると考える「否定神学」とされる。クザーヌスにとって、神とはそれ以上に大きなものがないようなもの、極大者である。そして、クザーヌスによれば、神は絶対的な極大者であり、絶対的な極大者としての神において大小の有限な相対的な差別は消えていき、神は「絶対的な極大者」であって、「極小者」に対立する「相対的な極大者」ではなく、同時に「極小」であるところの「極大」である。神は「極大者と極小者との統一」であり、神はこのように大小の対立のみならず、およそあらゆる対立を超えたものとして、すべての対立、矛盾も反対も差別も、神において一つであり、神は「対立(反対)の一致」である。始原の時の肯定的世界はしばしば矛盾によって表現されてきたし、その根拠は過渡期におる二つの本質の並立というところにあった。矛盾・対立・対極性は源初の肯定性の表現でもあったわけである。
ただ、クザーヌスの神は単に矛盾・対立するだけの神ではなく、矛盾・対立の統一、「対立(反対)の一致」の神であり、矛盾・対立を超越した神ともいえる。一方、源初の肯定性はあくまでも過渡期における二つの本質の並存性の中で存在するわけであり、その意味ではあくまでも源初の肯定性は矛盾・対立の中に在り、矛盾・対立の中に留まっているともいえる。では、源初の肯定性が矛盾・対立の統一だとか、「対立(反対)の一致」であるとか、矛盾・対立の超越だとか言ってしまうと、それは単なる原初の肯定性ではなく、その源初の肯定性が外化することをも意味してしまうということなのであろうか。しかし、もし過渡期における源初の肯定性の中に、すでに単に矛盾・対立性だけではなく、矛盾・対立の統一や超越的性格があるとすれば、矛盾・対立の統一や超越を言ったとしても、それだけでは源初の肯定性の彼岸化とはいえないであろう。
では過渡期における源初の肯定性の中に、矛盾・対立の統一や超越的性格がすでにあるのであろうか。源初の肯定性であり得るのはあくまで過渡期における二つの本質の並存性の中、矛盾・対立の中においてであった。矛盾・対立が源初の肯定性なのではなく、矛盾・対立の中で源初の肯定性があるということは、源初の肯定性は矛盾・対立を前提としながら、その矛盾・対立の先に在るものだともいえるわけであり、その意味では源初の肯定性は矛盾・対立の超越であるといえるし、それは過渡期における源初の肯定性についていえることである。また、過渡期における源初の肯定性は前本質の肯定であるから、前本質の肯定とは創造の情熱から見れば否定する相手の肯定ということであり、それは対立する相手の肯定ともいえる。対立する相手を肯定するとは、そこでは対立が解消されているともいえ、矛盾・対立が止揚・統一されているともいえるわけである。といって、源初の肯定性はあくまでも矛盾・対立の中で源初の肯定性なわけであり、そういう意味では、源初の肯定性は矛盾・対立であり、かつ矛盾・対立の統一・超越ということになる。すなわち、過渡期における源初の肯定性は矛盾・対立の中にあると同時にその統一・超越ということになり、矛盾の統一とか、「対立(反対)の一致」、対立の超越というだけでは、それは源初の肯定性の彼岸化とはいえないわけである。
存在即肯定においては、存在のみを条件とするのであるから、そこにおいては存在の様々な属性、例えば大きいとか小さいとかいう区別は何ら必要な条件ではなく、その意味でそれらの属性は消えていくともいえるし、単に有限な区別だけでなく、有限か無限かというよな区別、あるいは無限内の区別も消えていくわけである。源初の肯定性は矛盾・対立の中にあるといえるが、一方存在即肯定の中でそれらの矛盾・対立が消えていくのだとすれば、源初の肯定性は矛盾・対立の中に在りながら同時に矛盾・対立を超越しているともいえる。ただこの場合は、過渡期における存在即肯定についてもっと考えなければならないであろう。
過渡期における存在即肯定においては、存在するということは過渡期に存在するということであり、過渡期とは創造的無と前本質という二つの本質の並存であり、その並存が自動的に源初の肯定性をもたらすということから、存在即肯定が導き出されたわけである。すなわち、存在即肯定は実は単に存在しているということではなく、過渡期に存在しているということが条件となるわけであるが、過渡期においては過渡期に存在するということはその存在することに自動的に組み込まれているから、源初の肯定性は存在することのみを条件とするともいえるわけである。では、過渡期が自動的に組み込まれているということは、様々な属性が源初の肯定性の条件として消えていくということなのであろうか。過渡期における源初の肯定性の条件は過渡期であるということであるが、過渡期であることは過渡期においては自動的なことであり、その意味でそれはもはや源初の肯定性の条件ではないというなら、当然それは存在についてのあらゆる属性が無くなるということであろう。
存在即肯定における存在には自動的に過渡期が組み込まれているということは、矛盾・対立するものの並存ということが自動的に組み込まれているということにもなる。では、自動的に組み込まれているというこことが、矛盾・対立の超越ということになるのであろうか。別の言い方をすれば、過渡期が自動的に組み込まれているということが、存在についてのあらゆる属性が無くなるということであれば、そのことによって矛盾・対立が消滅するということにもなるわけであり、そしてそのことが矛盾・対立の超越ということになるなら、当然存在に自動的に過渡期が含まれているということは、矛盾・対立の超越ということにもなるわけである。同時に、過渡期の源初の肯定性の中に、すなわち此岸的理念の中に矛盾・対立が含まれているということは、矛盾・対立の超越がそのまま彼岸化を意味するわけでもないということになる。
また、存在即肯定における存在の無条件性は、自立期になると過渡期が存在に自動的に組み込まれているという条件さえなくなり、完全な無条件性、即ち存在のみを条件とするということになるであろう。何故なら、過渡期から新しい自立期になると、存在に自動的に過渡期が組み込まれているということにはならなくなる。すなわち、新しい自立期において存在即肯定がいえないということになるが、それにもかかわらず自立期において存在即肯定を言うとすれば、幻想でありかつ実体的である肯定性ではなく、肯定性は単なる幻想となるが、それとともに存在即肯定における存在性は過渡期との密接不可分性を離れ、過渡期が他の諸条件と同じ意味での存在の属性となるということである。それは過渡期というものが他の諸条件と同じように存在即肯定においては無意味な条件ということになり、そのことによって存在即肯定における存在とは、何らかの状況とは関係ない単なる存在になって行くのだといえる。肯定化の条件は単に存在すること、存在していることとされていくわけである。
楽園
エデンの楽園は神がアダムとイヴに与えたと聖書ではなっているが、神が源初の肯定性の外化であるとすれば、それは転倒した話であって、エデンの楽園とは転倒した形とはいえ、神が創出される以前の始原の時、即ち過渡期における原初の肯定性を表現しているといえるであろう。楽園は自己放棄の第二段階に再定立された源初の肯定性と結びつくものであり、再定立された原初の肯定性は第二段階のものではあるがそれ自身は神とは結びつかないのであるから、楽園における源初の肯定性は神を媒介にしなくても保証されているといえる。エデンの園の中央にある知恵の樹と生命の樹のうち、神が禁じた知恵の樹の実を食べて楽園を追放されたアダムとイヴは、さらに生命の樹の実を食べて永遠に生きられないように楽園に戻れないようにされた。その結果、人間は必ず死ぬようになり、男には労働の苦役が、女には出産の苦しみがもたらされるようになった。追放により労働の苦役がもたらされたということは楽園においては努力というものが必要ではなかったということで、それは楽園が存在即肯定の世界であることを暗に示しているといえる。また、楽園を追放された人間が死ぬようになったということは、楽園では死ななかったということであろう。神が食べるのを禁じたのは知恵の樹の実だけであり、ということはアダムとイヴは生命の樹の実は食べていたことを想定させる。不死は時間の流れの持つ意味、時間の流れがもたらすものを無化するともいえるし、ある意味時間の長さが一瞬と同じものになるともいえ、それは不死における肯定性はその肯定性と結びついた属性が全て取り払われた、いわば存在即肯定なのだといえる。
ではアダムとイヴに神は永遠の生を許したのに、知恵の樹の実を食べることだけは禁じたのであろうか。そこで問題になっているのは源初の肯定性の外化としての神なのだと考えられる。すなわち、原初の肯定性の表現としての神と、源初の肯定性の外化としての神を考えると、不死であるアダムとイヴが神に等しい存在であるという場合の神とは原初の肯定性の表現としての神ということができる。それに対して、生命の樹の実と知恵の樹の実の両方を食べたアダムとイヴが神と等しい存在になるという場合の神は、単に原初の肯定性の表現としての神ではない神、すなわち源初の肯定性の外化としての神ということになるのではないだろうか。知恵の樹の実を食べてアダムとイヴが善悪を知ったという場合の善悪とは、人間から自立して人間がそれに従わなければならない道徳的規範としての善悪ということである。源初の肯定性とは存在即肯定・前本質の肯定・前本質の肯定するものの肯定であったが、過渡期における源初の肯定性が崩壊して源初の肯定性の外化として神が創出されるとき、前本質の肯定するものの肯定も自立化し、人間の外部から人間がそれに従わなければならない規範となっていくであろう。彼岸的理念における神は人間が神であることを否定する神であるから、アダムとイヴが二つの樹の実の両方を食べることを禁じる神とならざるを得ないわけである。
1381年のイギリス農民一揆でジョン・ポールは「アダムが耕し、イヴが紡いでいたとき、誰がジェントルマンであったか。」と演説したとされる。それはノーマン・コーンによれば当時すでに古い諺となっていた文句であったといい、1180年代にフランス中部の大工職人から始まった「平和の十字軍」は、白い頭布のある制服を着ていたことからカプティアティ党と呼ばれていたが、万人平等を唱え、すべての人間はアダムとイヴから受け継いだ自由を享受する権利があると主張していたという。
エデンの楽園は下層民衆にのみ意味を持っていたわけではない。早くは九世紀初頭から、より本格的には十世紀後半から十三世紀半ばまで、西欧各国の皇帝や王たちは、外国の珍獣の収集に意欲を燃やし、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ二世の時、王宮付属動物園設営の頂点を迎える。それは、海外から使節を受け入れたとき、土産物の贈答品の中で、動物が象徴的価値を持つものとしてあったということであり、それはキリスト教世界以外と何らかの交流があるということが支配者の威光を高めるものであったということもあるが、それ以上に動物たちが皇帝理念を象徴するもので、キリスト教世界における皇帝(王)の世俗支配とは、ありとあらゆる種類の鳥獣が人間と分け隔てなく暮らしていたエデンの園の平和を再び地上に実現することであり、珍獣を収集した王宮付属の動物園は地上の楽園の雛形であり、帝権(王権)がキリスト教的理念と不可分にあることを内外に示すためであったという。もっとも、動物園設営にフリードリヒ二世が最も熱心であったということは、彼がキリスト教の枠に収まらない、ある意味非キリスト教的皇帝であったとされていることを考えると、エデンの園の実現と皇帝理念の結びつきは、皇帝がキリスト教の枠組みを超え、本来の自分の立場、すなわち此岸的理念との結びつきを再び主張しだしたことの表れとも理解できる。
ピューリタン革命をクロムウェル側に立って戦ったジョン・ミルトンの『失楽園』は、いよいよこれから楽園を追われるというアダムの絶望から沸々と湧き上がる希望について語っている。そのアダムとはミルトン自身あるいは彼と同時代の人々のことであろう。それは人類の未来に対しての希望であリ、再び楽園を取り戻すことへの希望である。この人類の救済を、ミルトンはキリスト教の語り口で詩っていくのであるが、それはキリスト教的な枠組みに収まらないものを含んでいる。ミルトンにおいても人類の救済は神の恩寵によるのであり、救済されるのは神とイエス・キリストへの信仰を持つ者だけである。ただ、「人類は、やがていろんな段階の功績を積むことによって順次高められ、従順な心を久しきにわたって試みられたのち、ついにはこの天国に昇る道を自ら開くようになろう。そうなれば地は一変して天となり、天は地になり、そこに一つの王国が、限りなき喜びと和合の世界が、生じよう。」と語られるとき、「自ら開く」という言い方には、人類は自分の力で楽園を再び回復するのだという意味合いが含まれているといえる。その未来の楽園についてミルトンは地は天となり天は地となるという。そしてその楽園はエデンの園よりさらに幸福な場所となり、さらに幸福な日々が続く、エデンの園を超えた楽園なのである。エデンの園の楽園とはどのようなものなのであろうか。ミルトンは神によって造られたアダムが始めて眼を覚ました時のことをアダムに語らせている。アダムは「私がこうやって動き、生き、恐らく自分でもよく分からないくらい幸福に違いないと感じているのも、その創造主のおかげだと思う」のだが、確かにアダムは存在し始めた最初から肯定的状態にあったが、しかしその肯定性は神によって与えられた、神という条件付きの肯定性なのである。では、そのエデンの園を超えた楽園とはどのようなものかといえば、もはや神という条件も付かない、存在そのものを条件とする肯定性、存在即肯定ということになる。
第四項 千年王国主義と自由心霊派
千年王国主義
ルネッサンス期の源初の肯定性の表現としては終末論的千年王国論がある。ユダヤ教的・キリスト教的時間は円環的ではなく直線的と言われるが、正確には地球を一周した人工衛星がそのまま円周軌道をとるのではなく、そこらか円周軌道を外れ遠心力で宇宙の彼方へと飛び立っていくようなものなのではなだろうか。円環的な時間では始源の時が繰り返し訪れるが、ユダヤ教やキリスト教では始源の時は一度しか再現されないのであり、それが終末の時なのである。つまり、終末とは円環的な時間の終りということであり、単純にユダヤ教的・キリスト教的時間は円環的ではなく直線的とはいえないわけである。終末の時とは円環する時間でいえば始源の時であり、すなわち源初の肯定性と結びつく時なのである。キリスト教的千年王国論は再臨したイエス・キリストが王として支配するのであるから、その構造からいえば国家共同体主義であるが、それが終末論と結びつくとき源初の肯定性の表現ともなるといえる。終末論的千年王国論はそれだけで源初の肯定性の表現といえるが、さらにその源初の肯定性は終末論的千年王国が楽園とも結びつくことによってさらに強化される。
本論で問題にするのはキリスト教的千年王国主義であるが、ノーマン・コーンは近年その言葉はより広い範囲で使われるようになっており、千年王国主義の宗派や運動が常に描くところの救世観は、信者たちが共同体として享有するものという意味で共同体的であり、彼岸の天国ではなく地上において実現されるものという意味で現世的であり、まもなく忽然と現れるという意味で緊迫的であり、単なる現状の改善ではなく完璧そのものとなるという意味で絶対的であり、超自然的力を必要とするという意味で奇蹟的である、というものである。キリスト教的千年王国主義はその初期では最後の審判が行われる前にキリストが再臨し、蘇った殉教の聖者と共に千年の間王国を支配するという前千年王国説であった。ヨハネの黙示録では、悪霊の住処であり、あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった大バビロンの都に仕返しがされ、さまざまの災い、死と悲しみと飢えとが襲い、裁かれ、サタンはその千年の間縛られて底なしの淵に投げ入れられ、封印された鍵をかけられる。最後の審判の時、蘇ったサタンは再び火と硫黄の池に投げ入れられ、残った獣と偽予言者は昼も夜も世々限りなく責めさいなまれ、死者たちは各々その行いに応じて裁かれ、その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれる。それが終わると聖なる都、新しいエルサレムが、神のもとを離れ、天から下って来る。コーンによればこのようなキリスト教の預言書は、ユダヤ教の預言書がそうだったように、外的脅威と抑圧に直面したとき、自らを慰め、結束を固め、自己主張するための手段であった。
ヨハネの黙示録に書かれていることの多くがユダヤ教の預言書に見られ、イザヤ書では、自分に伴わなかった諸国民を、自分で心に定めた報復の日、贖いの年に怒りと憤りをもって踏みにじり、彼らの血を大地に流れさせた、エドムとボツラから赤い衣をまとって来る者が語られている。ダニエル書では革命的終末論の中心幻想のあるべき典型が認められるといい、四匹の獣が次々に起こる四つのこの世の権力である、バビロニア人、メデア人、ペルシャ人、ギリシア人を象徴し、この最後の帝国が倒される時が来ると、「人の子」という呼称で人格化されたイスラエルが天の雲に乗って来て、彼に主権と栄光の国が授けられ、諸民、諸族、諸国語の者が彼に使えさせられ、全天下の国々の権威はいと高き者の聖徒たる民に与えられるのである。ダニエル書で最後の帝国としてギリシア人が現れるのは、ダニエル書がセレウコス朝のアンティオコス四世が親ギリシア派に肩入れして、ユダヤの一切の宗教行事を禁止したことから起こったアカベアの反乱のさなかに書かれたからである。初期のキリスト教はユダヤ人と同じように、メシアの輝かしい到来の前と後の時代とに歴史を二期に分けて考えており、彼等が「終りの日」と呼んだのは、文字通りの終わりの日を意味していたのではなく、前期の終りということであった。そして、その前期と後期の間にキリストの再臨によって、この地上にメシアの王国が打ち建てられると考えたのであり、圧政に苦しみながら不法が正され、敵が倒されるメシアの時代が切迫していることを信じていたのである。ユダヤの終末論と初期キリスト教の千年王国論には共通の性格があるとも考えられるわけであるが、それはコーンがいうような外的脅威と抑圧に直面したとき、自らを慰め、結束を固め、自己主張するための手段というだけのものだったのであろうか。
コーンによれば、ユダヤの預言者にとって終末の時に選ばれた民の上に君臨するメシアはヤハウェ自身であったが、それに対して一般民衆にとってはダビデの末裔の特に賢く正しい力ある王であった。メシアがヤハウェ自身であろうとダビデの末裔の王であろうと、ユダヤ人にとっての終末論は、とりわけ民衆にとってはそうだったといえるが、ユダヤ人における国家共同体と国家共同体主義の再建という意味を持っていたといえる。預言書の中にはヤハウェが復興したエルサレム、世界の霊的中心であり、すべての民びとが陸続と集まるシオンの山から治めることになっているものもある。そしてその世は、貧しき者たちの護られる義の世界、危険な獣たちもおとなしく無害な、調和と平和の世界となり、砂漠や荒地は美しい沃土と化し、家畜の群れには豊かな水と飼料が、人には豊かな穀物、酒、魚、果実が恵まれる。あらゆる病気や悲しみから解放され、もはや悪を行なうことなく、今や人の胸に銘記されたヤハウェの掟に従って生きるため、選ばれた民は喜びの日々を送ることになる。コーンによれば、それは壮大な宇宙的破局のそなかから、新しきエデン、復楽園ともいうべきパレスチナの国が現前するさまを預言するものであるというが、ユダヤ人の下層階級に宛てて一種の国粋主義的プロパガンダとして書かれたものであり、この生硬で誇大な特徴はユダヤ史上特に危機的であった前165年に書かれたダニエル書の「幻」や「夢」に顕著にみられるものである。そこで実現されるのは理想的な国家共同体主義といえるもので、預言における国家共同体主義は観念的なものであり、その分理想化されたものとなり、その再建された国家共同体は中心理念としての国家共同体主義が目指すものとしての此岸的基本理念、源初の肯定性がより前面に出てくるともいえるが、危機の時代にはその傾向がより強まり、新しきエデン、楽園の復活ともなるのだといえよう。楽園としてのエルサレムの復活には、その前にヤハウェをないがしろにした選ばれた民への飢饉・悪疫・戦争・捕囚の罰があり、罪深き過去から浄化されつくすほどの厳しい天与の裁き、日月星は光を失い、点は傾き地は揺れるヤハウェの「怒りの日」が必ず訪れなければならない。異教徒ばかりでなくイスラエルの不信の徒への審判の日からから救われた生き残りはさらにこれらの懲らしめに耐えて生き延び、悔い改め再生した暁に、ヤハウェ神は復讐をやめて救い主になるのである。この心義しき残存者は再びパレスチナに相会し、ヤハウェは支配者、裁き主として彼らの間に住まうことになるが、後代の考えによればこの時死者たちの中より蘇った心義しきものたちも含まれるという。死者の復活という考えはキリスト教の千年王国論と共通するものであり、キリスト教の千年王国論が下層ユダヤ人の終末論と結びつくものであることを示しているともいえよう。ユダヤ人の終末論が国家共同体主義であったように、初期キリスト教徒の千年王国主義も国家共同体主義的なものだったと考えられるのである。ローマ帝国とユダヤ人の戦いの中で、ユダヤ人のメシアの出現と終末論的救いが強調されたとすると、ほぼ同時に起こったといえるローマ帝国によるキリスト教への迫害の中で、ユダヤ的終末論がキリスト教徒を惹きつけたということは当然考えられることである。
ただ、ユダヤ人の終末論とキリスト教の千年王国論には微妙な違いがある。ユダヤ人の預言者と民衆の間にメシア像についてのヤハウェ神かダビデの末裔かという分裂があったのに対して、初期のキリスト教徒にとってメシアとはイエス・キリストであり、ユダヤ人の預言者と民衆のメシア像を一つにしたのがイエス・キリストといえよう。一方、ユダヤ人にとっては終末の時があるだけだったのに、キリスト教では終末の時の前にキリストが再臨してそれまでの殉教した聖者と共に支配する千年間続く王国が置かれる。すなわち、ユダヤ人ではメシアについての分裂・二重構造があるのに対して、キリスト教では終末論が二つの時期に分けられ、二重構造となっているわけである。そして、ユダヤの終末論では、預言者の終末論ではアッシリアの例で示せば、現実の王が副王となり王は神となったその王としての神が再び地上に降り立って新しい国家共同体を作るということであり、神が王となるという彼岸性の中での国家共同体主義の再建であったのに対して、一般民衆の終末論はダビデの末裔という地上的な存在が王となるという意味でより此岸的な国家共同体主義といえる。それに対して、キリスト教の千年王国では神であるキリストが王として地上を支配するという点ではユダヤの預言者の終末論に近く、ユダヤの一般民衆の終末論に比べて彼岸性が強いといえるが、最後の審判後の世界は多分に天国的で彼岸的であるのに対して、それは地上の王国であるという意味では此岸的であるともいえる。全体的にいえば、ユダヤの終末論よりキリスト教の終末論の方がより彼岸的な性格が強いといえよう。より彼岸的ということは、ユダヤの終末論よりキリスト教の千年王国論の方がより観念的となり、観念的になった分より理想的な国家共同体主義、すなわちより此岸的基本理念直接的に結びつくような国家共同体主義となって行くということでもある。また、ローマ帝国によって迫害される頃の初期キリスト教徒にとっての国家共同体主義は、もはや彼らはユダヤ人という枠を超え出ており、ユダヤ国家を国家共同体とするものではありえなかったであろう。といって、ローマ帝国が彼等にとっての国家共同体主義における国家共同体でもなかったのではないだろうか。そういう意味では、彼らがかれらの宗教を自己放棄の弁証法的展開の中に置こうとする限り、自分達の国家共同体主義と国家共同体を自分達の内部に作り出す必要性があったともいえるわけである。その場合、それは彼らの眼前にある国家共同体ではないから、いわば彼らが勝利した後の再定立される国家共同体主義の国家共同体という意味合いの強いものとなるであろう。また、その国家共同体は観念的なものとして、ユダヤ人にとってメシアにより再建されるユダヤ王国と同じように、あるいはそれ以上に理想的な国家共同体主義、理想的な国家共同体ということにもなる。
千年王国論はその後霊的なもとの考えられるようになり、アウグスティヌスによって千年王国は既にキリスト教発生とともに始まっており、教会の中に完全に実現されているとされ、それがローマ・カトリックの正統的教理となった。しかし、コーンによれば1100年頃以降に徐々に形成された革命的終末論の母体となったのは、ユダヤやキリスト教初期の預言書であった。コーンは1096年の第一回と1146年の第二回の二つの十字軍が、貧民のメシア主義と呼ぶことの出来る運動の最初の騒乱を用意したという。十字軍の勧請は一般民衆に対してもなされたが、それを行った者の多くは奇蹟を行う苦行者のような予言者たちで、彼等に感化された貧しい民衆は、信仰と悔い改めによる救世集団となるとともに、生活の苦しい土地から脱出して、新しい土地を求めたのである。1085年からの十年間はフランス北東部とドイツ西部においては洪水、旱魃、飢饉に疫病といったひときわ生活が酷かった時期であり、彼等にとって、エルサレムとは今の生活から逃れることができるかもしれない希望の土地となった。しかも彼らにとって、エルサレムは単なる生活苦から逃れるための新しい移住地というだけではなかった。これら貧民にとっての十字軍とは教皇の意図したものとは異なるものであり、彼等にとって地上のエルサレムは天上のエルサレムと混同されており、彼らが向かっているエルサレムとは、物質的にも霊的にも恵み豊かな不思議の国だったのである。そして、彼等にとって自分達は貴族達とは違って神に選ばれた者であり、十字軍とは「十字架を負うて、われに従え」という集団的なキリストの模倣であり、エルサレムにおいて集団的に聖化される集団的犠牲行為であった。彼等にとってのエルサレムとは、バビロンの捕囚以後の預言と黙示文書の中でエルサレムを中心として再建されるメシア王国と結びついていたのである。
彼等は「タフル」と呼ばれ、王がいたと記録されているが、彼等の希望を実現するには自分達ばかりでなく、異教徒の大量虐殺を伴う人間の犠牲が必要であった。回教徒は彼等にとって売春婦の息子達であり、カインの一族として根絶やしにされなければならなかったのであり、実際エルサレムの陥落後、回教徒やユダヤ人の大殺戮が行われた。これらの虐殺に加わったのは貴族とその郎党からなる正規の十字軍ではなく、予言者に従っていた貧民達だったのである。エルサレムだけではなく、タフル達は攻略した都市で略奪し、回教徒の女性たちを犯し、無差別の殺戮を行っていたが、ユダヤ人の殺害については、十字軍がエルサレムへと出発する前の西ヨーロッパの各地で既に行われていた。西ヨーロッパのユダヤ人は、司教や大領主や富裕な市民は彼等を助けようとしたが、貧しい市民に支持された十字軍によって改宗か虐殺かの二者択一を迫られたのであり、大多数のユダヤ人は改宗を拒み、殺されるか自殺した。ユダヤ人の虐殺は騎士の十字軍とは別の民衆十字軍につきものの特色となっていき、彼等は殺したユダヤ人から略奪をほしいままにしたが、しかしコーンは戦利品が主目的ではなかったことは確かであり、彼等はユダヤ人の改宗を求めたのであり、改宗したユダヤ人は生命も財産も安全を保ちえたことは疑いようがなさそうであるという。異教徒はヨハネの黙示録で、復讐され、死と悲しみの裁きが与えられるバビロンの都のように、彼等が目指すエルサレムが彼等の望む天から下ってくるエルサレムである為に必要不可欠なものとして、その一掃がなされるべきものだったのである。その後も、ユダヤ人がサタンに仕える悪魔と目される傾向は強まり、サタン自身がユダヤ人の父と呼ばれるのが通例となっていき、それに対して千年王国の実現にはユダヤ人の改宗が必須のこととして強調されることも多かった。コーンによればユダヤ人に対する憎悪は彼等の金貸し業という仕事のせいとされることが多かったが、ユダヤ人の金貸し業は中世の経済生活に中ではごく一時的な重要性しか持たなかったのであり、現実的には金貸し業との関係はとるに足らないものであったという。
千年王国到来の前提条件である抹殺すべき反キリストの対象は、ユダヤ人ばかりでなく、やがて聖職者や富裕者、特に聖職者に向けられるようになる。コーンによれば、神殿に王座を構える反キリストはまさにローマの教皇その人であり、したがってローマ教会はサタンの教会であるとい考えはルターが最初ではなく、中世後期に終末意識をいだいていた人々の間では、この考えは既に常識になっていた。同時に、千年王国を支配するのは再臨したキリストではなく、王や皇帝であるという考えが起こってきた。すでに、1209年にパリで異端のかどで焚刑になった予言者にとって、教皇こそ反キリストであり、バビロンの都とはローマのことであり、猛火がローマ教会の高位聖職者を襲い、その大浄化が行われた後の聖書の知識と権能を備え聖霊の導きによって統治する終末の君主とは、当時皇太子であった未来のフランス王ルイ八世であった。コーンによれば、当時の教会は堕落した面もあったが、それは依然として、他の何にもまして人道的で公平無私な生き方をその実践面で表現する存在だったのであるが、キリストの再臨の緊迫性に心を奪われて、キリスト教の規準を一切の妥協も許さず、絶対の厳格で適用しようとした千年王国主義者達にとって、教会の経歴は全体が黒々と汚れたものであり、教会に代わる物欲や打算に恬淡な、肉体的欲望や要求から解脱した、純粋に霊的な人物であると見なしえる指導者を探し求めていたのである。フランスでは、メシア待望の中心はカペー王家であり、十二、三世紀の間、この王家は強烈な宗教的といっていい信望をあつめた。ドイツではカぺー王家に代わってフリードリヒ二世が終末論的待望の的となっていた。フリードリヒ二世が死ぬと、彼はまだ生きていて、いつの日か救世主となって帰還するであろうという噂が流れ、十四世紀になるとドイツの民民衆の終末論的希望は未来に復活する彼に集中していき、フリードリヒ二世の復活は十六世紀初頭になっても語られていたという。
中世後期民衆の千年王国主義とは何だったのであろうか。コーンによれば、革命的千年王国主義の騒乱が発生した社会は著しく類似した型を持っていたという。終わりの日に関する往古の預言が新たな革命的意味と新たな起爆剤を持ちえた地域というのは、人口過剰が日毎に深刻の度を加え、目まぐるしい経済的・社会的変化の渦中に巻き込まれた地方であった。騒乱の発生した場所はどこでも、生活そのものが一千年に及ぶ中世の標準的生活であった農耕生活とはかけ離れたものとなっていた。中世の農民の生活が、貧困と苦労と過酷な隷属状態にあったとしても、中世ヨーロッパの農民達に革命的千年王国運動が激しく燃えさかったかといえば、実情はそうではなかったのであり、農民達は領主を含めた古くからの慣習と、血縁集団によつて基本的生活は保証されていたのである。しかし、商業が発展し、都市が形成され、その中に人々が流れ込んでくると、とりわけ都市化・工業化が進み人口過剰となった都市では、慢性化した生活不安におびえながら社会の末端で暮らす人々も多かった。これら農村での慣習と血縁集団による生活保障も存在せず、安心して生きていく環境を失って不安定化した貧民が、彼等に共通の窮境に処する一つの態度として、メシア的指導者のもで救世運動集団を形成したのだという。初代キリスト教のすでに忘れられた世界から継承した終末幻想の中に、これらの人々はその要求に最も完全に適合する社会神話を見い出したのであり、コーンによれば、どんな不穏な、恐ろしい、あるいは刺激的な事件、あらゆる種類の一揆や革命、十字軍への召集、帝王の空位、疫病や飢饉、その他社会生活の日常性を中断させるようなことならば何事も、これらの人々に特に敏感に作用し、強烈な反応を呼びさましたのである。そうだとすると、彼等はキリスト教を中心理念とするヨーロッパ中世的自己放棄の体系の崩壊の中で、そのことに最も敏感に反応する人達だったのではないだろうか。すなわち、貧民の千年王国主義運動の中に、彼岸的理念の崩壊と、崩壊の中での此岸的理念へと向う動きを見ることが出来るのではないかということである。
キリスト教の千年王国論は中世後期の貧民の千年王国主義において、その初期においてはメシアはキリストであったものが、次第にメシアを皇帝や王とする考えが強まっていった。つまり、ユダヤでいえば預言者ではなく一般民衆のメシア観に近づいて行くわけである。これは中世後期の千年王国がより国家共同体主義的性格を明確化すると同時に、此岸的理念へと向う動きの中に在ったことを示しているということではないだろうか。キリスト教初期の千年王国主義は、古代においてはユダヤ人からキリスト教徒への変化に見られるように、それは中心理念としての国家共同体主義の崩壊の中で彼岸的な方向へ向う中での国家共同体主義であった。それに対して、中世後期の貧民が求めた千年王国主義は彼岸的中心理念としてのキリスト教が崩壊する中で此岸的な方向へ向かう中での国家共同体主義ということになる。
中世後期の貧民の千年王国主義が国家共同体主義的であったことは、フランスではイギリスとの百年戦争によって一般庶民の忠誠心は現実の君主に注がれるようになり、百年戦争後のフランスは集権化された専制政治国家になっていったが、同時にもはやフランスではいかなる種類の民衆運動が起こる機会はほとんどなかったの対して、ドイツでは逆に王権は衰退を続け、国家が解体して群小公国の集合体化していく中で、ドイツが新しいメシア運動の舞台となっていったことからも言えるのではないだろうか。フランスでは国家共同体が機能し始める中で千年王国主義運動が衰退していったのに対し、ドイツでは国家共同体が喪失する中で千年王国主義運動が活発化したのだとも考えることができるのである。もっとも、コーンはフランスでは十四世紀末葉までに色々な原因があったが織物工業が壊滅状態になり、人口低下と余剰人口の都市への集中化が姿を消したのに対して、ドイツでは工業・商業が発展し人口が増大したことにその原因を求めている。ただ、フランスでは社会からの保証を自己確認できない層が減少していったばかりでなく、人々が国家共同体主義の中で与えられる自己肯定の保証が強化されていくことによって、千年王国主義的運動が衰退していったのではないだろうか。また、単に経済の発展とその結果の貧民層の増大のみが考えるべき条件であるあるとすれば、千年王国主義自体がドイツにおいて、キリスト教的なものから離れて民族主義的な傾向を帯びていったことを説明できないのではないだろうか。ドイツの十五世から十六世紀初頭の預言書では、フランス王国と教皇制を覆す未来のドイツ皇帝が語られ、彼によってあらゆる聖職者が殺され、フランスはもとよりハンガリー人やスラブ人は征服され、ユダヤ人は永遠に壊滅させられ、ドイツ人があらゆる国民の上に立つのであり、教皇に代わってドイツの司教がマインツで新教会を統括し、その司教は皇帝の下に従属すが、その日こそキリストの再臨と最後の審判に先立つ「終りの日」となるといった預言が現れる。また別の預言では、信仰心の厚い一般庶民や貧しき民からなる結社が作られ、やがて彼等はヨハネの黙示録のメシアを想起させる黒い森の皇帝フリードリッヒの下に結集し、精神的にも物質的にも必要なものは全て豊かに与えられる統治が一千年続く。ただ、その過程では殺戮と恐怖を通り抜けなければならない。神の目ざすものは罪から解き放された世界であるが、その為には罪が除去されなければならないのであり、その方法とは罪人を除去することであった。教皇から小さな学生に至る総ての聖職や金貸しや悪徳商人、その腰巾着のような悪徳弁護士を含めことごとく虐殺しなければならないのである。千年王国実現の直前には大量虐殺は欠くことの出来ない世界浄化であり、その後には私有財産が廃止されすべての物が万民共有となる。その社会は、王侯階級は廃止され、有産階級の財産は没収され、残るのは皇帝と一般民衆という、一人の羊飼いと一つの羊舎が実現する社会であり、それは一人の首長と一般成員という国家共同体主義初期の国家共同体の姿、国家共同体主義の基本的な姿であろう。そしてこの預言は誇大妄想的なドイツ・ナショナリズムと結びついていたのであり、その黒い森の皇帝フリードリッヒによって実現される基本財産の共同所有社会は、遠い昔のドイツ人の社会であった。そして、天地創造以来選民はユダヤ人ではなくドイツ人であり、最初の言葉はドイツ語でその他の言葉はバベルの塔の時に発生したのである。そして、ドイツ語を話すヤペテとその一族がヨーロッパにやってきて、トリーアを首都とする大帝国を築いたのである。それに対して、ラテン民族こそ諸悪の根源であり、黒い森の皇帝フリードリッヒがドイツ人の生活をラテン民族の腐敗から洗い清め、トリーア法典に基づく黄金時代を回復し、ドイツを神の意図する最高の地位に立ち直らせる。異教徒は洗礼を迫まられ、受けようとしないものは殺される。もっとも、そのキリスト教は、実際にはキリスト教らしい点が殆ど認められず、初代のキリスト教とはトリーア帝国の市民で、彼等が拝んでいた神はジュピターと同じもので、祭日は日曜日ではなく木曜日であったという。このようにこの預言における千年王国はキリスト教的千年王国の範疇を大きくはみ出しており、国家共同体主義への希求という性格が表面に出ているともいえるが、コーンによれば、この預言は必ずしも他から切り離されたものとしてあるのではなく、十六世紀にいたるまでドイツの一般民衆を農民から職人に至るまで魅了し興奮させて続けてきた未来のフリードリッヒに関する伝統的予言を膨らましたものなのである。
中世後期の貧民の千年王国主義は神ではなく人間が王となるより現実的な国家共同体主義を求めたとしても、それは実際には存在しないものであり、その意味では依然として理想的・観念的な国家共同体主義でもあった。そして此岸的であると同時に理想的な国家共同体主義とは、中心理念としての国家共同体主義の根底にある此岸的基本理念が前面に出てくるということであり、源初の肯定性が前面にでてくることであった。最高権威者としての王はキリストからより人間的な皇帝となる一方、実現される千年王国は始原の状態、エデンの楽園に近づけられていくのである。基本理念としての源初の肯定性が国家共同体主義的色彩を帯びて表現されることは、ギリシア・ローマ時代にも見られたものでもある。コーンによれば、ギリシア・ローマの文学に見られる自然状態とは、遠い昔に失わわれたサトゥルヌスの治世の黄金時代で示されるようなものであった。そこでは法律も無いのに人々の間には誠実と徳があり、大地は耕されなくても食べ物を産み出した。私有財産は無く、すべての物は共有されたのであるが、その社会は神であるサトゥルヌスに統治された国家共同体であり、そこで実現されているのは理想的な国家共同体主義だったのである。逆にいえば、理想的な国家共同体を求めるということの根底には、源初の肯定性すなわち此岸的基本理念そのものへの希求があるのだともいえ、その意味では中世後期の一般民衆の千年王国主義は此岸的基本理念の希求とみなすこともできるのである。自然状態が自由で平等主義的であったという観念は教会によっても滲透されていったのであり、中世後期になると世界の最初の社会状態は最高の状態であり、万物は共有され、私有財産がなかったことは教会法学者やスコラ哲学者の間では常識となっていたが、文学的にも中世文学全体としてこれほど広く読まれたフランス語の作品はないとされる十三世紀後半の『薔薇物語』でも、平等主義的自然状態が語れており、一般民衆にもひろがっていたのである。コーンによれば、1251年に羊飼いの十字軍として知られる最初の無政府主義的運動が発生している。そして、十四世紀も終わり近くになると、この失われた黄金時代としての自然状態が民衆の終末論幻想と融合して、自然状態としての黄金時代が近い未来に予定された社会であるという革命的神話となっていくのである。そして、ジョン・ポールで知られるイギリスの農民一揆、ボヘミアのタボル派、ドイツのベームを指導者とする新民衆十字軍、ミュンスターの再洗礼派など、各地で平等主義的な千年王国主義の社会運動が発生していくわけである。
自由心霊派
中世後期の千年王国主義は本来の此岸的な意味合いをより強めていき、此岸的中心理念としての国家共同体主義が目ざす此岸的基本理念が前面に出てくるようなものであった。そのような中でも、存在即肯定が前面に出てくる運動として自由心霊派がある。ただ、それは源初の肯定性の表現としての神を媒介にしてである。
ノーマン・コーンは革命的で平等主義的な千年王国論の先達として、『千年王国の追求』の中で、自由心霊派を大きく取り上げている。自由心霊派が中世後期の千年王国主義の中から出てきたことは、例えば初期の自由心霊派であるアモリ派では、終わりの日の皇帝を中心とする旧来の幻想が駆逐されることはなく、五年間の試練の間に人類の大半は滅び、その破局は教皇とローマ教会を意味する反キリストとその眷属の壊滅で最高潮に達するが、その後はフランス王の支配下に入ることになり、残りの救われた者のみが生き延びて神的法悦を味わうことができるとされていたことからもいえるであろう。コーンは、彼等は庶民の間に流れていた伝統的メシア幻想に浸っていたのであり、もしも潜在的に革命的な状況が発生すれば、容易に社会革命家に転じうるとする。
彼らの特徴は自己神格化であり、善悪の超越と道徳的規範からの解放であった。コーンによれば、その教理に形而上学的枠組を与えたのは新プラトン主義であるが、新プラトン主義をキリスト教信仰になじませようとする一切の努力は彼らには無視され、強調されたのは総てのものに神が宿るというプロティノスの汎神論であった。さらに彼らはプロティノス的汎神論を超えていったといえる。あらゆるものに神が宿るということと、あらゆるものが神であるということは違う。前者では、神はあくまでも自己の外部に存在するものであり、その外部存在が自己の中に入り込んでいるということにすぎないが、後者の自己自身を神とすることは神は自己の外部に存在するものではない。前者は彼岸的であり、後者は此岸的といえる。そして、自由心霊派の汎神論は後者の立場に立つものであった。自由心霊派の先達は単に神と結合したばかりでなく、神と同一になり、自分は神であると考えた。さらに彼らの中には自分が神をも超越したと主張する者、神より高き所まで登り、神性の絶頂を極めたとき、神を放棄したと語る者、自分はもはや神を必要としないと言い切る者もいたのである。彼らには、単なる自己神格化ではなく、存在即肯定的な匂いがするといえよう。少なくとも、彼等にとって永遠の本質とは始原的存在ということであり、彼らの一人によれば、始原的存在として永遠の本質の状態で暮らしていた時、神なるものは存在しなかったのである。また、彼らの自我は単に神と合一するだけではない能動的な自我ともいえる。彼らが始原的存在から脱け出して現在の自分となったのは、自分の自由意思によるものであり、それ故、自分がそれを欲すとすれば、一被造物として存在することもないし、自分は神と共に、自分自身を創造し、万物を創造したのである。
彼らと存在即肯定の関係は、彼らが善悪を超越しようとしたことからもいえる。コーンによれば、自由心霊派の先達たちを、他の中世諸教派の信徒たちすべてと分かつものは、彼らの全面的没倫理主義であり、彼等にとって救いの証とは良心の痛みや呵責を一切知らないことであったという。ケルンの自発的清貧の家に住んでいた先達、ブリュンのヨハンによれば、神は自由であり、それゆえに万物を万人共有のものとして創造したのである。その意味していることは、万物がそこに存在するのは、もし誰かがあり余るほどの食物を所有しているならば、それは自由心霊派兄弟団の需要に応えるためにあるのであり、霊において自由な者たちの間で頒かたれるものだということであった。また、先達に惜しみなくふるまわれた食物は永遠界に送られるのであるから、自由心霊派の先達は居酒屋の主人が代金を請求したなら、その者は打ちすえなければならないのであり、コーンによれば、このような考え方は自由心霊派兄弟団の中では一般的なものであった。そして、食物に関して言われていることは金銭に関しても同じであった。先達が路上でお金を見つけたら、それは神が彼にその金を同志たちと共に使って欲しいと願っている印であり、だからその持ち主が所有権を主張して暴力でその金を取り戻そうとしても、先達はそれを手放してはならなかった。もしその争いで持ち主か先達自身が死んでも、それは問題ではないのであり、なぜなら魂はその始源に帰るからである。しかしそのお金が相手に引き渡された時には、先達は永遠の世界からつかの間の俗世へ退去したことになる。慈善行為として先達が病人を助けてやった場合、彼は喜捨を求める。そしてもし喜捨を断られたなら、彼は力づくでも金を取ることができた。たとえ相手がその結果餓死することがあっても、良心の呵責を感じる必要はないのである。詐欺・窃盗・強奪は暴力とともにすべて正当化された。ヨハンは自分がそれらのすべてを行なったことを認め、彼の知人である約二百人のペギン派修道士の間ではそれらは日常事であると語ったといい、コーンはこうした行為が自由心霊派兄弟団の間では、事実日常事であった証拠は明白であるという。存在即肯定とは存在以外の何らかの条件を必要としなかったのであるから、そこでは善悪の違いは何の意味も持たない。善悪の違いが何の意味も持たないということからは、もし道徳が正当化されるなら反道徳も正当化されるであろう。彼らが詐欺・窃盗・強奪を正当化するとすれば、そのような意味での正当化と考えられるのである。
もっとも、存在即肯定からいえば、善悪は何の意味も持たないということなのであるから、正確に言えば道徳も反道徳も何ら正当化される、すなわちそのことに価値が認められるわけではない。だから、彼らが反道徳的行為を正当化し、意識的に反道徳的行為をしてそうすることに拘っていたとしたら、それは存在即肯定の否定であるともいえる。コーンによれば、彼らには一般に禁じられていることでも自分はそれを行うことが許されており、また行うことが義務づけられていると考える傾向があったという。
また、彼等の総てが反道徳的なものに拘っていたというわけでもなかった。それは、彼らがつぎはぎだらけの貧相な服装をするかと思えば貴族の服装をするというように、服装が社会身分を示すとした当時の社会通念に囚われない行動をしたことにも見ることができるであろう。中世の一先達の手になる唯一の完全な著作であるマルガレート・ポレートの『純なる魂の鏡』では、自由心霊派の先達が一般人には罪と見なされていた行為、たとえば窃盗や性的乱交に耽るべきだとも、耽る意志を持っているとも、どこにも示唆されていないし、また、財産の共有ということに関しても、含蓄としてはあるにしても、それ以外には何も語っていないという。
彼等にとって、魂は人間の限界性を超えて高揚すると、まったき無関心となり、他人のことはもちろん、神に対してさえ無関心となり、自己の救済に関してさえ無関心となる。そのような魂は自分自身を善とも悪とも見なすことができず、自分自身を意識することもなく、正道であるか邪道にあるかも判断できないし、そのようなことにかかづらうことは自己意志の中に逆行することになり、自己の自由を失うことになるのである。存在即肯定において存在のみが肯定の条件とすれば、自分が存在している、存在している自分以外のものは肯定にとって何の価値も無いし、自分が肯定的存在になる努力さえも不必要なのであるから、その意味でそれらに対する無関心をもたらすであろうし、善悪に拘ることは自己の自由を失うこと、すなわち存在即肯定の否定になるわけである。存在即肯定において善悪が何の価値も持たない以上、彼等にとって良心の痛みや呵責を一切知らないことが救いの証となるわけである。それ故、自分達は善悪を超えた存在として振舞ったし、彼等にとって、姦通は解放の確認という象徴的価値を持つということにもなるわけである。もちろん、姦通を解放の確認という象徴的価値にするというそのこと自体が、やはり反道徳的な事とされるものにより偏っていて存在即肯定から見れば問題ともなるともいえるが、そのことによって彼らは自分が罪を犯すことも出来ないほど完全な人間に成りきっていると信じたわけである。
コーンによれば、自由心霊派の隠修士の一人は「完全なる人とは、不動の〈原因〉である。」という一句で、絶対的受動と絶対的創造力との融合を要約しているというが、その意味していることからも、自由心霊派における自己肯定とは存在即肯定であるということがいえる。存在即肯定において、存在は肯定をもたらすという意味では創造力であり、また存在するものは無条件に存在しているのであるから、その意味では存在は受動的ともいえる。コーンは自由心霊派の先達たちの間にしばしばアダム崇拝が見られ、「人祖の堕落」以前に存在した無垢の状態に戻ると主張していたことは確かであるという。彼らが私有財産を否定し、総ての物の共有を語るとき、彼らは始源の状態について語っているのである。そして、彼らは始源の状態を考えながら、源初の肯定性に触れていたと考えられるのである。すべての物に無関心になることは、純然たる自己放棄、即ち創造の情熱としての自己の放棄と紙一重ともいえるが、彼らがそのことによって自己の完全性を求めたのだとすると、やはり彼らは存在即肯定としての自己放棄を求めたのだといえよう。
反道徳的行為への拘りという点だけではなく、その他にも自由心霊派には存在即肯定にそぐわない面がある。存在のみを肯定の条件とするということは、より正確に言えば現に存在していることのみを条件としているということであり、現に存在しているということは存在の継続性・永遠性とは無関係であるから、永遠性は肯定の条件とは無関係であり、その意味では自由心霊派がつかの間と永遠を区別することは存在即肯定の否定ともいえる。また、彼等においては、自分自身の神性を悟りさえすれば、地上にいながら天国の住人たる霊なる存在として復活するのに対して、自分自身の神性に無知であることは死の罪であり、これがまさに唯一の罪であり、それが地獄であることの意味であるとされるが、自己の神性が存在即肯定のことであるとすれば、自己の神性を悟ろうと悟らまいと、存在即肯定として在ることには変わりはないのである。さらにいえば、彼らが絶対服従から始まる修行を経て初めて自己神格化に達するというそのこと自体が、存在即肯定の否定であろう。また、現世の問題に対しても、神格化した魂はもっぱら深い無関心しか示さないが、コーンによればそれと同時に、そのような魂は自己自身の目的のためには一切の被造物を用いることも自由である。ただ、存在即肯定からいえば、ある被造物を用いないことも自由であるし、総ての被造物を用いることは自由だということを否定することも自由であり、現世の問題に関心を持つことも自由である。すなわち、存在即肯定においては自由らか自由になることも自由である。そして、「自由から自由になることも自由である」とは矛盾的であるが、存在即肯定においてはそれは矛盾ではない。何故なら、存在即肯定においては自我はただ存在しているだけだからである。また、彼らは文字通り自分が全能であると思いこんでいたともいわれるが、存在即肯定における肯定性は、勿論全能性とはまったく関係ないし、全能である必要性もないのであるから、その意味でも彼等の自己神格化は存在即肯定に反しているといえる。存在即肯定は存在のみを肯定の条件とするのであるから、それは選ばれた者のみに解放されているのではなく、総ての人間に解放されているのであり、またそうでなければそれは存在即肯定とはいえない。それに対して、彼等にとっては自分の神性は潜在的で開発されなければならないのであり、未だ開発できない霊的に未熟な大多数の者と、神性を開発された霊的に繊細な自分達がいるのである。
自由心霊派が必ずしも存在即肯定的立場に徹していなかったことは、彼等の教理からもいえる。彼等はプロティノス的汎神論に立ったわけであるが、彼等の「神は存在するすべてのものである」というような言い方は、「存在するすべてのものは神である」という言い方とは少し違う。前者では主語は神であるが後者では存在する個々のものが主語なのである。すなわち、その意味でも自由心霊派では神は総ての存在物の外部に存在するのであり、そこには存在即肯定の外化としての神が維持されている。そのことは、「神は聖餐のパンの中にいますように、すべての石ころの中にも、人間の体のひとつひとつの手足の中にも確かにいます」とか「創造されたものは全て神性を宿している」といった彼等の主張によりはっきりと表れているといえよう。また、真の神とは物の永遠的本質のことであって、時間の中におけるその存在のことではなく、ばらばらで一時的な存在でしかないものは、かつて神から流出したものであっても、もはや神ではない、というプロティノスの解釈を継承したことからもいえる。真の神が存在即肯定のことであるとすれば、それは永遠の本質といったものとは関係なく、現に今存在していることのみを条件とする肯定なのである。もちろん、存在即肯定の外化としての神については、それが永遠的な本質といったものと結びついても不思議ではないであろう。また、存在即肯定は総ての存在物について言えるのではなく、人間にだけいえることであり、それ故存在即肯定が外化した時にのみ人間という拘束から自由になり、源初の肯定性の外化としての神はすべての存在物に宿ることができる、あるいはすべての存在物は神であるということを可能とするのである。それ故、彼等が存在するものは何であろうとも、自分の「神的始源」を思慕し、その「始源」へ戻ろうとするように運命づけられているのであり、時間の終りのときに、すべてのものは確実に神の中に再び吸収され、その時にはいかなる流出体も残存せず、ばらばらに存在するものは何ひとつなく、認識したり欲求したり行動したりすることの可能なものはもはや何ひとつなくなり、後に残されるものはすべて、唯一の、不変・不動の「本質」、一切を抱擁する唯一の「至福」となるであろうといった彼等らの主張も、存在即肯定とは矛盾するのである。もっとも、それは彼等もまた自己放棄者であり、彼岸的理念からもまったく自由ではなかったことを示しているだけともいえるし、すべての存在が「始源」に戻ろうとするのは、存在即肯定を求める彼等自身の姿ともいえるわけである。そこにも、中世後期の中に源初の肯定性・存在即肯定への希求という動きがあったことを示しているとも考えることができる。彼らが存在即肯定に接近したとしても、その極限値は過渡期における源初の肯定性としての存在即肯定てはなく、過渡期における自己放棄、即ち自己放棄の第一段階における源初の肯定性であり存在即肯定であったといえる。
さらにいえば、彼等の中には此岸的理念を求める要素が見られるとしても、あくまでもキリスト教的な枠組の中にいたことは、彼らが基本的にはキリスト教的な存在だったことからもいえよう。コーンによれば、この異端の核心は、実際は、哲学的観念論などではなく、ひたすら神を思慕する心であった。この異端の徒をよく観察した聖職者はその点に関してなんら疑問を抱かなかったのであり、彼らが不満として訴えた点は、これらの異端の男女は自らを聖徒や天使や歳暮より上位に、そしてキリスト自身よりも上位に置くことすらあったからである。
彼等の自己神格化は存在即肯定に通じているるかもしれないが、しかしそれはあくまでも個人的経験の範囲内に収まる可能性はないのであろうか。意識変容による個人的体験としての自己神格化というようなことは、いつの時代にもあることなのかもしれない。教会でも、以上のような経験を「神秘的合一」(ウニオ・ミスティカ)と称して承認し、是認していた。コーンによれば、彼の実態は自分一個の救済を願うグノーシス派であり、彼等の到達した霊的認識は、あらる種類の制約と限界を全面否定するに至る、向う見ずでむ無拘束な、自由な肯定という、疑似神秘主義的アナーキズム、バクーニンやニーチェ、あるいはその思想に従って生きてきたインテリ・ボヘミアンの遠い先輩であったともいう。
彼等の神秘的な自己神格化の体験が個人的な範囲に収まるものであるかどうかは別にして、コーンによれば彼らはカトリック側の神秘家とは異なる点があった。『シュヴェスター・カトライ』と呼ばれている自由心霊派の冊子の中で、シスター・キャサリン(シュヴェスター・カトライ)は一連のエクスタシー体験の中で、彼女の魂は高揚するが、しばらくしてまた落下する。こうした全過程を経た後、彼女は人間存在のもつ限界からすっかり解脱せしめられる一大エクスタシーを経験する。そこで彼女は神となったと思い、その状態から立ち戻ったとき、確信をもって「わたしは永遠の幸福につつまれながら、永遠の存在になりました。キリストはわたしを彼と対等の存在とされたのです。わたしはあの状態を失うことは決してありません」と語る。そして、以上のような経験は、教会が「神秘的合一」(ウニオ・ミスティカ)と称して承認し、是認していたものとは著しく異なっているという。何故なら「ウニオ・ミスティカ」とは、ごく稀れに授けられる、恐らくは生涯に唯一度だけ与えられる、束の間の啓示を意味していたからであり、それを体験した人間が自分の人間としての条件をそれによって脱ぎ棄てるというものではなかった。それにひきかえ自由心霊派の先達は自分が全く変質してしまったと感じた。彼は単に神と結合したばかりでなく、神と同一となり、永遠にその状態を保つのだと考えのである。コーンによれば、カトリック側の神秘家が大きな組織体としての教会に承認され、恒久化された伝統の枠内に、彼等の経験を押さえて生活していたのにひきかえ、自由心霊派の先達は自分自身の経験以外には一切の権威をも認めようとはしなかったし、教会とは彼らの結社が取って代わらなければならない存在だった。自由心霊派とは少なくとも教会という枠組みからはみ出た存在であり、はみ出ようとする存在だったといえる。
このように、自由心霊派の体験が教会的な限界を超えていくことができたのは、中心理念のキリスト教が崩壊する中で、新しい此岸的理念を求めだしていたという彼らの時代と無関係ではないかもしれない。時に自分は神より上である、あるいは神は必要としないという発言があるということは、依然として自己の肯定性は神を媒介として表現されている、また明確に神を否定の対象としていないとはいえ、彼等の中に此岸的な基本理念としての源初の肯定性へと向かう傾向を見ることはできるのではないだろうか。自由心霊派は終末論や千年王国主義が近い未来に設定した始原の状態を、さらに先鋭化して今現在において実現しようとしたのだともいえる。そこに見えるのは、中世後期における存在即肯定の希求の発生ということではないだろうか。自由心霊派では源初の肯定性の中でも存在即肯定に焦点が当てられているともいえる。もっとも、彼らが求めたのが存在即肯定そのものだったかといえば、彼等の考えには存在即肯定と対立するものあった。この存在即肯定的に見た彼等の不十分性は、彼等は存在即肯定と源初の肯定性を希求したかもしれないが、それは新しい此岸的理念の希求と中心理念の創出には直接的に結びつくものでは無かったということを示しているのかもしれない。一方、彼らがまったくの自分達の内部にまとまっているだけの社会から孤立した存在だったかといえば、それもまた違う。
コーンによれば、カタリ派に関しては、膨大な著作がなされてきたのに対して、自由心霊派もしくは霊的自由派の異端に関する文献は乏しいのは、由心霊派の先達たちの物語が例えばカタリ派に比べそれほど目立って劇的ではないからであるが、西ヨーロッパの社会史の中ではカタリ派以上に重要な役割を演じているのであり、その分布地域は中世の標準からすれば広域にわたるものであった。その活動時期については、西欧キリスト教国圏内において十三世紀初頭以前に存在していたということは確信を持って言明は出来ないが、自由心霊派異端は十一世紀以降西ヨーロッパ・キリスト教圏内を大いに風靡した変則形態の神秘主義と見なすことができ、イギリスのビューリタン革命期のランターズに至るまで辿ることができる。自由心霊派は世代から世代へと継承される、唯一の基本的教理をもっていたが、ベヌのアモリを哲学的指導者として自由心霊派の教理が整備されて一つの包括的な神学・哲学体系にまで高められたのは十三世紀初頭であった。そして、この教理がはじめて全貌を現すのは十四世紀に入ってであり、その時示された特徴は、この運動の歴史全体を通じて殆ど変わることなく存続することになったという。自分一個の救済を願うグノーシス派であるといっても、それは個人的信仰や小さな信仰集団の範囲に留まっていたわけではなく、その活動は一般民衆から必ずしも遊離したものとしてあったわけではなかった。コーンによれば、ブリュッセルの町は自由心霊派兄弟団を保護し続けていたが、1410年にカンブレの司教は二人の宗教裁判官を任命して弾圧しようとしたが、しかしこの裁判官たちは一般民衆の熱狂ぶりを前にして、お手上げになってしまったという。自由心霊派は一定の社会的影響力を持った存在だったのである。また、彼等が単に自分個人の救済を考えていたのではないことは、その初期のアモリ派信者が彼等のみが地上における唯一の生ける神々たらんとしたのではなく、全人類を完全なものへと導くことを期待していたことからも言えるであろう。もっとも、それは総ての人間を完全なものへ導くということでもなかった。
第五項 魔術
自由心霊派は神を媒介にして、すなわち人間=神を主張することによって、原初の肯定性・存在即肯定を表現するものとなっていたといえるが、ルネサンス期における魔術も人間=神を主張することによって源初の肯定性の表現となっていたといえる。ただ、自由心霊派は終末論的千年王国とも結びつくことによって、源初の肯定性の表現となるために必ずしも神を媒介にする必要はなかったが、源初の肯定性の表現としての魔術は神を媒介とすることにのみ依存していたといえる。
ヘルメス思想は新プラトン主義と同じように太陽を一者(神)とする太陽崇拝であるとされる。ヘルメス文書の一つである『エメラルド板』は 錬金術の基本原理と「ポイマンドレス」の世界生成説とを、極めて簡潔な形で述べたものとされ、そののランテ語のテクストは、すでに十三世紀に確定できるものを含めて、それよりも前に存在していたという。十五世紀の魔術の流行以前からヨーロッパ世界で知られていたということは、魔術に関心のある人の多くが知っていたということであり、魔術者にとっての基礎的な文献であったといえよう。その最初の部分は、澤井繁男『魔術の復権』では「一、これは真実にして偽りなく、確実にしてきわめて神聖なり。唯一者の奇跡の成就に当りては、下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如し。二、万物が一者より来たり存するが如く、万物はこの唯一者より変容によりて生ぜしなり。」と訳されている。
ここで、「唯一者の奇跡の成就に当りては」という言葉をどう理解するかであるが、それは唯一者の奇蹟の成就の結果「下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如し」ということが生じるとも解釈できるし、「下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如し」ということが、唯一者の奇跡をもたらす根本的な要因だといっているようにも解釈できる。「下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如し」という言葉を神と人間に置き換えるなら、それは人間は神だといっていることになるであろう。前者の解釈では人間が神に成れるということを主張しているということになり、後者の解釈では人間は神であるから奇蹟を起こすことが出来るということになる。どちらにしても、神と人間の隔絶性の否定であるが、ただ、前者では神に成るということで中心理念としての進歩主義に通じ、後者ではすでに人間は神なのであるから存在即肯定的基本理念に通じるといえる。ここでは、中心理念としての進歩主義が創出される以前の時期における魔術を問題にしているのであるから、『エメラルド板』の趣旨が「人間は神である」というところにあるのかどうなのか、その時期の魔術が此岸的基本理念に通じるものであったかどうかが問題になる。『エメラルド板』では「万物が一者より来たり存するが如く、万物はこの唯一者より変容によりて生ぜしなり。」とあるから、万物は一者と唯一者からもたらされたものということで、少なくとも一者(神)と唯一者が同じではないにしても同格の存在とされていることはいえるであろう。そして、同格という意味では一者(神)=唯一者と見なしてもいいであろう。ではこの唯一者とはどのような存在なのかといえば、『エメラルド板』では「そ(そのうえに点が記されている)」と訳されている存在と「汝」という存在が出てくる。澤井繁男は「そ」(「汝」)として、「そ」と「汝」を同一視しているが、「『汝』は、火と大地を、精と粗を、静かに巧みに分解すべし。」と「汝」は魔術の実践を語りかけられる存在であり、「そ」の力を使って魔術を行う魔術者、すなわち唯一者とも解釈できるであろう。「そ」とはプネウマ(生命の息吹き)と呼ばれ、卑金属を金や銀に変えるという「賢者の石」はそれが凝固したものであるという。火と大地を、精と粗を、静かに巧みに分解すると、「『そ』は大地より天に昇り、たちまち降りて、優と劣の力を取り集む。かくて『汝』は全世界の栄光を己がものとして、闇はすべて汝より離れ去らん。」ということになる。そして、『エメラルド板』は「八、かく、世界は創造せられたり。九、かくの如きが、示されし驚異の変容の源なり。」と結ぶから、やはり『汝』は唯一者のことと理解すべきであろう。そして、『エメラルド板』は人間の魔術者は唯一者と同じことを行う存在であり、その意味で人間の魔術者は唯一者なのだと言っているとも解釈できる。すなわち、人間の魔術者=唯一者、唯一者=神、人間の魔術者=神ということになる。さらに、人間の魔術者=神ということは、魔術者と神の隔絶性の否定という意味があるとすれば、その趣旨からいえば魔術者と一般人間の区別の否定ということにもなるであろうから、人間=神と言っているということになる。
村上陽一郎『科学史の逆遠近法』では『エメラルド板』の冒頭部分は「上なるものは下なるものに等しく、下なるものは上なるものと等しく、それゆえに一なるものの奇跡を成就すべきことは、偽りなき真である、確固たる至高の現実である」と訳されている。その訳では、「上なるものは下なるものに等しく、下なるものは上なるものと等しい」ということが、すなわち人間=神ということが「一なるもの」すなわち唯一者の奇蹟の根底にある要因、基礎的事実としてあるということが、より明確に示されているといえよう。カンバネッラは「トリスメギストスがいうには、人間は世界の奇蹟であり、神々よりも高貴あるいは同等である。」と述べているというから、ルネッサンス期の人びとの中にもヘルメス主義の主張をそのようなものとして捉えていた人々もいたといえる。少なくとも、魔術に関心のある人の多くにとって、明確にあるいは漠然と、魔術とは人間が神であるという主張、あるいは人間が神に成れるという主張と捉えられており、それゆえに魔術に惹かれたのではないだろうか。
『エメラルド板』では、世界の創造と世界の変容とが同列に扱われているともいえるが、世界の創造と、その創造された世界の中の変容では、その意味する重要性には違いがあるのではないだろうか。しかし、それは神を中心におく視点から見ればそう見えるということであり、過渡期におる源初の肯定性の視点から見れば、『エメラルド板』の主張にもそれなりの根拠があるともいえるのである。まず、前本質期あるいは過渡期の人間にとって、世界あるいは自然は創造されたものというより、単に存在しているものであっただろう。原初の肯定性が外化され、神が創出されたことによって、神による世界の創造という観念も生じてきたのである。そして、技術を考えると、前本質期において石器制作の技術は肯定的な価値を持つものであり、過渡期においては前本質における肯定的なものの肯定として、石器製作技術は源初の肯定性を帯びることになる。すなわち、神による世界創造は、源初の肯定性の外化としての神がもたらす、存在するものから作り出されたものへの、世界あるいは自然の地位の転倒にすぎないとすれば、技術による自然の変容と神による創造は、共に源初の肯定性に結びつくものとして同格・同質なものであるともいえるし、それ故、魔術による世界の変容は神による世界の創造と同格の力であり、それもまた一つの世界の創造であり、魔術者=唯一者=神ということにもなるわけである。
魔術における人間は神であるという主張は、「大宇宙」と「小宇宙」の照応という占星術にもいえるかもしれない。村上陽一郎によれば、パラケルススの思想の基本の第一は「大宇宙」と「小宇宙」の対応という考え方であるが、パラケルススがヘルメス主義的な世界観のなかに身を浸していたことは確実であり、パラケルススによれば「人間のなかに天空があり、その天空には身体的な惑星や星辰の偉大な運動が付随しており、その結果、それらは最高星位、合、衝など、そうした現象に貴下らが名付け、かつ理解しているような現象を呈する。」のであり、 人体を論ずる場合と、天空を論ずる場合とが、まったく同じ理論体系でよい、という発想が、ここに鮮明に見て取れるという。そして、パラケルススにおいては、「天体はその性質を通じて人体を支配するとか、人体の性質をつくるとかいった占星術の主張は、軽率な理解どころか事実に反するのであり、パラケルススは、天体の世界の人間に対する直接的かつ一方的な影響を否定していることは確実であって、パラケルススは遥かに積極的な意味において、天体と人体との間の関係を主張しているのであり、パラケルススにとって天体と人体とは双生児のように似ているが、その相似は決して一方が他方に影響をあたえたためではなく、一方において生起することはまた、他方においても生起するのであり、天体と人体とは、言わば言葉の最も本質的な意味で「並行関係」にあると考えてよかろう。」という。パラケルススにおいてある意味「大宇宙」と「小宇宙」は同じものといえるわけである。もっともその言い方は正確ではなく、パラケルススにおいて両者をつなぐための原理が存在し、それは「空気」であり、創造において神は「空気」を創り、そのなかに、「大宇宙」と「小宇宙」とを創ったのであり、神に直接由来するこの空気を共有することによって、「大宇宙」も「小宇宙」も生きていることになり、天体と人体との間の間接的な影響関係が保証される。パラケルススにおいて「大宇宙」は神ではないわけであるが、しかしルネサンス期の新プラトン主義的・魔術的・占星術的世界においては太陽に対する極めて特徴的な崇敬がみられ、ケプラーに至っては、太陽が「被造物のなかでは、ほとんど神御自身に近い」とさえ言われているが、もともとヘルメス思想や新プラトン主義は太陽を一者(神)とする太陽崇拝であり、ルネサンス期の新プラトン主義的・魔術的・占星術的世界からキリスト教の影響を排除すると、「大宇宙」とは神なのだと看做してもいいであろう。それは、オリュンポスの神々は十五世紀に極めて強い関心を集め始めていたというから、ルネサンス期にはキリスト教の神とは違う神々が再び復活してきたという流れからいっても、太陽や「大宇宙」は神と看做してもいいのではないだろうか。宇宙が無限とされだしたのも、無限が神の属性だとすれば、宇宙が神とされたといえるであろう。
パラケルススは「大宇宙」と「小宇宙」に共通するものとして「空気」を考えるわけであるが、大宇宙=小宇宙=神とするなら、「空気」という存在は無くなる。そして、「大宇宙」と「小宇宙」とは神を別の方向から見たものとでも言うべきでものであろう。神に起こったことを、裏表別々の方向から見ているだけであるから、そこには当然対応関係があることになるし、一方が他方を支配しているということも言えないわけである。ただ、ルネサンス期の人間はキリスト教の影響下に生きていたのであるから、大多数の人間にとって人間が神であるとか、大宇宙と小宇宙が等しくそれらは神である、という考えは直接的には受け入れ難いものがあるであろう。それは間接的な形、変形された形で受け入れられて行かざるを得ないともいえる。魔術を通じて人間は神に近づくとか完全な知を獲得していくとかいう主張にもなるし、魔術とは隠された秘密に至るものとされたりするであろうし、人間が星の影響を受ける存在ともされたりするわけである。
ヘルメス文書が人間は神であると主張しているとすると、それが地中海世界が此岸的理念から彼岸的理念へ向う時期に登場してきたことは、理解に苦しむことだともいえる。考えらることは、此岸的理念の崩壊の中で、此岸的理念を再強化しようとする動きがあったとして、その場合、中心理念としての国家共同体主義の再強化とは別に、基本理念の再強化的な動きもあり、ヘルメス文書はそのような動きのひとつではなかったかということである。国家共同体主義は最高権威者を神とし、その最高権威者と一般国家共同体成員との同質性から一般成員が神であるということを導き出す、いわば間接的な方法で人間を神とするものであった。それに対して、より基本的理念的な表現は、直接人間を神とするものであろう。勿論、人間と神とは区別される存在であるから、いくら直接神にするといっても、そこには何らかの間接性が入り込んでくる。その間接性がより直接性を含んでいるかどうかの違いということになる。またその場合、その神が創造神でなければならないとするなら、人間を創造神とすることはできない。何故なら、最初から人間は自然・世界の中に存在しているのであり、人間によって創造されとされるべき被創造物がすでに創造前に存在しているからである。既に存在している被創造物を前に、人間を創造神とするためには、その創造とは被創造物を第二の創造として変容させるということであろう。そこには、魔術者と一般人間の区別があるかもしれない。しかし、国家共同体主義における最高権威者は王が一人しかいないように、誰もがなれるものではないのに対して、魔術者は誰もがなろうとすればなれるのであり、その意味でそれは直接的に人間を神にしているのである。
第六項 宇宙と無限
ルネサンス期において原初の肯定性を表現するものとして神と楽園あるいは始源の時が在ったとしたが、それはそれ以前から原初の肯定性の表現として在ったものである。それに対して、ルネサンス期になって無限の宇宙、あるいは数学的無限が源初の肯定性の表現として新しく登場してきた。形而上学的無限はすでに古代ギリシャやキリスト教において神や神的な存在と結びつけられてきたが、古代ギリシャにおいては一般的に無限の広がりをもった宇宙や空間、あるいは数学的無限は否定的な存在として扱われてきたのであり、それを逆に肯定的な存在とする途を拓いたのはニコラウス・クザーヌスであった。
アレクサンドル・コレイによれば、十六、七世紀の科学思想と哲学思想の歴史を研究するなかで認めざるをえなかったのは、この時代に人間の精神、少なくともヨーロッパ人の精神が思考の枠組とパターンを一変させる深刻な革命を経験したこと、近代科学と近代哲学はこの革命の根でもあり果実てもあるということだった。そして、十七世紀革命がもたらしたさまざまな変化を規定しようとすると、これらの変化はコスモスの崩壊と空間の幾何学化という密接に関連しあう基本的な二つの作用に還元できるといい、中世的なコスモス概念を初めて斥け、宇宙の無限を主張したのはクザータスであった。コスモスの崩壊は、天上界と月下界というアリストテレスの区別を崩壊させ、天上界と月下界を同質なものとして人間の地位を天上界の方向へ格上げするものであったが、無限の宇宙は、数学的無限の持つ矛盾性によって原初の肯定性を表現するものとなって行く一方、無限の宇宙として宇宙が神と同じように原初の肯定性を表現するものになっていったのである。
形而上学的無限と数学的無限
A・W・ムーアは無限を形而上学的無限と数学的無限に分け、さらに数学的無限を現実的無限と可能的無限に分けるが、古代ギリシャにおける無限は、初期においてはアナクシマンドロスの「ト・アペイロン」にみられるように、それが数学的なものか形而上学的的なものかはっきりしないものでり、数学的無限が問題になってきたのはアリストテレスからであるという。形而上学的無限には完結性、全体性、統一性、普遍性、絶対性、完全性、自足性、自律性などの概念が含まれ、数学的無限には、境界の欠如、終りの無さ、無制限性、計測不可能性、永遠などの概念、つまりその無限の一定の部分が与えられたとき、そこには常にそれ以上のものが存在する、あるいは、指定可能な任意のいかなる量よりも大きい、といった類の概念が含まれる。。もつとも、永遠については神の属性とされるとき、それは時間の超越、時間の無存在という意味でも使われるから、その意味での永遠性は形而上学的無限に属するともいえる。「ト・アペイロン」についていえば、それは境界が無く、不滅で、存在するものすべての究極の源泉であるようなものであるが、単にそれだけには止まらず、何かしら神的なものであり、より深遠な意味を持つ何かであった。
源初の肯定性は矛盾・対立・両極性などによって表現されてきたが、数学的無限はその矛盾性によって源初の肯定性の表現となり得るといえるが、形而上学的無限については、完結性、全体性、統一性、普遍性、絶対性、完全性、自足性、自律性といった属性が存在即肯定についてもいえる。自足性については、肯定の条件が存在しているというこだけであるから、存在している者にとって存在即肯定における肯定は自足的であろう。同じように、そこにおける存在はどのようにしてその存在がもたらされたかというような問題はどうでもよく、ただ存在しているということだけを問題にしているのであるから、ある意味自律的ともいえよう。完全性についていえば、存在即肯定における肯定とは創造の情熱の充足ということであり、存在のみを肯定の条件とし、存在者はその条件を満たしているから、存在即肯定は創造の情熱の完全な充足ということになり、その肯定は完全であろう。存在即肯定は創造の情熱の完全な充足であるということは、創造の情熱とは自我の本質とされるのであるから、その意味でその肯定は絶対的であるといえる。普遍性については、存在即肯定が存在していることのみを条件にするということは、存在者は誰でも存在しているのであるから、その意味で普遍的であろう。完結性については、存在即肯定は存在のみを問題にするのであり、存在者は存在しているのであるから、その肯定は完結しているといえる。全体性・統一性については、存在しているということは自我のあれやこれやの部分を問題にしているのではなく、自我全体を問題にしているという意味では全体的であり、自我そのものを問題にしているという意味では統一的といえる。時間の無化という意味での永遠性については、存在即肯定は時間を無化するわけではないが、永遠性を時間そのものではないが時間の流れを無化するものとすれば、存在即肯定は肯定を得るために時間の流れを必要とするわけではないから、その意味では永遠的ともいえる。
現実的無限と可能的無限
アリストテレスは現実的無限と可能的無限を区別した。アリストトテレスによれば現実的無限とは時間の一点で実存する、ないし与えられるような無限であるのに対して、可能的無限とは時間全体にわたって実存する、ないしは与えられ無限であり、全体として現在するものではありえないとされる。ムーアによれば、アリストテレスは空間的には加算によって有限であるが、時間は加算によって無限であると確信していたという。現実的無限と可能的無限の違いは、今石が積まれた山があり、その石の山から石を一個づつ他の場所に移して積んでいく場合を考えると分かりやすいかもしれない。元々積まれていた山は現存する石の山であり、積まれていく山はこれからどんどん石が積まれていくという意味で可能的な石の山である。ここで、この現存する石の山とこれから積まれていく石の山に、ムーアが取り上げるアリストテレスが無限について述べた二つの言葉をそれぞれ対応させてみる。すなわち、元々の石の山を述べる言葉としては「あるものからどれほど多くの量を取り去っていっても、その外部になおそれ以上の取り去られ得る何ものかが常に存在するとすれば、そのものは無限である。」を、積まれていく石の山には「一般に、無限なるものは、あるものの後にさらにまた別のものを取り去っていくという仕方で存在する。取り去られるものは、個々には有限であが、常にもう一つ、また一つというように、際限のない仕方で。」という言葉を対応させるのである。つまり、積まれている石の山からいくら石を取り去っても、元の石の山には必ず石が残っているということであり、石を積み上げる山には、どんなに石を積み上げても、元の山から石を持ってきてさらに積み上げることができるということである。すなわち、元々の石の山が現実的無限であり、積み上げられる石の山が可能的無限ということになる。ここで、取り去られるということと積み上げられるということは、一つのことを裏表から見ているようなもので、現実的無限といい可能的無限といっても、そこにおける無限については同じことであって、ある石を「取り去られる=取って来てくる」としても、次にさらに「取り去られる=取ってくる」石が在るということにあるわけである。もっとも、元々の山では、どれほど多くの量を取り去っていってもといっても、そこから取り除く石の量次第では、何時までも残りがあるとは限らない。例えば、元々の山全体をそっく他へ移せば、残りはゼロになるわけであり、全体の二分の一を取り除いても、二回で残りはなくなる。それ故、一回で取り除く量は例えば有限量というように限定化しなければならないが、アリストテレスでは一回に取り除かれ積まれていく石は一個づつとされているから、ここでは問題はないであろう。では、どのぐらいの量までなら現実的無限かいえるのかという問題があるが、まず一回に取り除く量は確定されたものでなければならないといえる。といって、全体量の何分の一といった量では、結局何回か運んでいるうちに残りは無くなってしまう。
では、有限でもなく、全体を使って示された量でもないもので、確定的な量というものはあるのかという問題もあるが、ここでは可能的無限は現実的無限になるのであろうかという問題を考えてみる。つまり、新しく積まれた石の山が現実的無限に達することがあるのかということである。今、新しく積まれた石の山が現実的無限になるまで積み上げられたとする。しかし、今度はその石の山から石を取り去ることを考えると、その積み上げた回数だけ取り去ることが出来ると考えなければならないであろう。そうすると、結局その山から石はなくなり、それ以上は石を取り去ることが出来ないということになって、それはいくら取り去っても石が残されているという現実的無限とは違うということになる。可能的無限は積み上げた分だけ取り去ることが出来るということを含意しているから、現実的無限にはなり得ないということである。一方、現実的無限からいくら石を取り去っても、残された石の山は現実的無限である。何故なら、残された石を全て取り去ることが出来るということは、元々の石の山の石を全て取り去ることが出来るということになるからである。このことからはまた、現実的無限にも大小があると考えるべきではないだろうか。すくなくとも、ある現実的無限とそこから石を取り除いた後の現実的無限では、前者は後者より大きいと考えるべきであろう。ここでは、大きさの比較するための一対一対応というような方法は使えない。何故なら、その方法自体が可能的無限的だから現実的無限に適用するには問題があるからである。すなわち、単純にここではそこから取り去られたものがあるのであるから、前者は後者より大きいと考えるべきなのである。
最大有限数性
ムーアは取り上げていないが、現実的無限と可能的無限だけでなく、無限との関係で有限についても考えなければならない点がある。いま、自然数を考え、その自然数を1から数えていくことを考える。その場合、数え終えることが出来る数が有限数なわけである。また、有限数とは数え終えることが出来る数なのであるから、有限数どうしで大小を確定することができるとしていいであろう。そうすると、全ての有限数の集合というものを確定でき、その全ての有限数の集合の中には最大有限数というものがあることになる。では、最大有限数をzとして、1から数えていってzまで数えあげたとき、どういうことが起こるのであろうか。zは確かに最大有限数なのであるが、我々はそのzが最大有限数であるということを知ることはできないであろう。何故なら、我々がそのzが最大有限数というためには、それ以上の有限数がないこと確認しなければならない。饅頭が十個入っている菓子折りに、饅頭が十個しか入っていないことを確認するためには、饅頭を十個取り出した後に、もう菓子折りには饅頭が無いことを確認しなければならない。もしそれを確認しなければ、ただ菓子折りには少なくとも饅頭が十個入っていたことを確認したにすぎないし、菓子折りにはもっと饅頭があるかもしれないわけである。では、最大有限数zに対して、もうそれ以上の有限数が無いことを確認できるであろうか。実をいうと、もうそれ以上の有限数が無いことを我々は確認できないのである。何故なら、今中の見えない箱にz個のボールが入っていたとして(すなわち、自然数の中の総ての有限数の集合)、レバーを引くと一個づつボールが出てくるとする。N個のボールが出てきて、もう箱の中にボールがないかどうか確認するためにはもう一回レバーを引かなければならない。しかし、それはz+1回レバーを引くということになる。しかし、zが最大有限数とすると、z+1回レバーを引くことが出来るということはz+1も有限数ということになるから、z+1回レバーを引くことができないのである。すなわち、箱にはもうボールが無いということを確認できないし、したがってNが最大有限数かどうかも分からないままに、z個のボールが出てきた段階ですべてが静止してしまうのである。このように、最大有限に達した時、それが最大有限と分からないまま静止してしまう状態を一般に何と云うのか知識がないので、本論ではとりあえず最大有限性あるいは最大有限数性ということにする。
最大有限性という視点から時の終りを考えると、それが時の終りであると知るためには、その先に時間が無いことを確認しなけれはならない。しかし、時の終りにいるということはそれを確認するための時間は何処にあるのであろうか。もし時間を使わずにその先に時間が無いことを確認できなければ、我々はそれが時の終わとも気が付かずに、時間は静かに終わるのかもしれない。では、時の始めはどうなのであろうか。時の始めを我々は時の始めとして知ることができるのであろうか。時間を遡るにも時間が必要だとすると、その時間をどこからもってくるかという問題がある。その時間とは過去へ遡ろうとするある時点から未来に流れていく時間なのだとすると、もしかすると時間を遡るということは下ってくるエスカレーターを昇ろうとするようなもので、一段昇ったつもりが元に戻っているということで、何時まで経っても時の始めにはたどり着けないということになるかもしれない。あるいは、そこで使える時間とは時の始めからその時点までの時間だとすると、ある意味それは最大有限性と同じようなことが起こるともいえる。すなわち、時の始めまでたどり着いたとして、そこが時の始めだと知るためには、その先にはもう時間が無いことを確認しなければならないが、使用可能な時間は時の始めにたどりつくことで使い果たしてしまい、その前に時間があるかないかを確認する時間がもう残されていないということになるだろうからである。そうだとすると、時の始めにまで到達したとしても、そこが時の始めだとは分からないままに静止してしまうということになる。そもそも時の始めに遡った時、その先にはもう時間はないということをどのようにして確認するのであろうか。その方法がなければ、時の始めに遡ってもその時が始めの時と知ることが出来ないことになり、その探索はそこで最大有限性と同じように静かに停止するしかないわけである。時の始めの時を考えると、その時の始めに立った人間は、今いる自分が時の始めにいることを分かるためには、それ以前に時間はなかったことを確認しなければならないが、時の始めにいいる人間はどのようにしてそれを確認するのであろうか。彼が持っている時間は、時の始めの時間だけであるが、それは自分がその時にいるというこの確認に使われてしまっているのである。時間はそれが時の始めと分からないままに始まり、それが時間の終りと分からないままに終わるのかもしれないわけである。
無限と矛盾
無限は矛盾と結びついている。古くからの無限と結びついたパラドックスで有名なのは、ゼノンのアキレスと亀のパラドックスであろう。ゼノンの逆理は無限と運動との間のパラドックスともいえるものであるが、しかしそこには純然たる無限内部の矛盾が運動という問題を通して語られているのだともいえる。アキレスと亀の速度とアキレスと亀の位置関係が与えられれば、アキレスが亀に追いつく時間が計算できる。しかし、アキレスと亀のパラドックスはそういうところにあるのではない。アキレスが最初に亀がいた地点に達したとき1と数え、次にそのときに亀が進んでいた地点に達したとき2と数え、というように数えていくとすると、アキレスは無限に数え続けなければならず、数え終わることがないからアキレスは亀に追いつけないということなのである。それに対して、アキレスが亀の居た場所に到達する時間はどんどん短くなるから、結局それを足していくと有限の時間内に収まるから、何も問題が無いという見解もある。しかし、お札を数えるとき、ゆっくりと数えていっても、急いで数えていっても、お札の枚数は同じであり、お札の枚数を数えるときその速さは何ら関係しないし、十万円はどう数えようと十万円であるが、この場合も時間がどんどん短くなるということは関係ないのである。このパラドックスの肝は、数え終わらないということなのであるが、しかしよく考えてみると、自然数についてはある自然数nが在ればn+1という自然数があるというようないわれかされ、そうすると自然数を数え終えることができないことになるが、自然数nが在ればn+1という自然数があるということは確認されたことなのであろうか。というより、その確認されるべもの自体が確認されたことを否定しているともいえる。自然数が数え終えることが出来ない以上、その自然数全体について何かを確認することはできないわけである。それはまだ終わっていないのに結論をだすようなものであり、玉入れ競争で、紅組と白組の籠から一個づつ玉を取り出して数えている途中で、両方から次から次へと玉が出てくる様子を見て「引き分けだね」というようなものともいえるわけである。最大有限数性からいえば、最大有限数zまで数えたとき、zの次の自然数が在るか無いかというような判断ができないままにそこですべてが静止してしまい、zの次の自然数が在るか無いかというような判断もまた停止してしまうわけであるが、それとは別に無限そのものが自己の主張を否定するという、無限の自己否定という矛盾があるわけである。
ムーアは「『集合』という言葉によって、我々は、区別された知覚ないし思考の対象を全体として集めたものを意味する。」「集合とは、自分自身を一つのものと考えることを許すような多数のものである。」というカントールの集合についての言葉をあげ、この基礎にある直観のもっとも重要な帰結は、集合がその要素によって定義されるという点にあり、「要素は、典型的には、次の二つのどちらかの方法で特定される。それらの要素が、しかもそれらの要素のみが、満足させる何らかの条件を示すことによってか、それらの要素を単純に数え挙げるかすることによってである。」(『無限』)という。すなわち、自然数を定義すると、その要素を全て特定したことになるから自然数全体を語ることが出来るということになり、一方数えあげるという方法からは全ての自然数を特定することができないから自然数全体を語ることが出来ないということになるわけであり、両者の間に矛盾が生ずることになる。さらに自然数においては、ある自然数nがあるなら、nの次の自然数即ち自然数n+1が存在するというような定義をすることによって、条件による特定と数えあげることによる特定が一体となっているともいえる。分かりやすく自然数を1から始めてそれに1を足していくことによって得られる数と定義するなら、その定義は同時に数えあげていくことにもなっているわけであり、その定義自体が自然数全体を語ることができることを否定しているのに、自然数nが在ればn+1が存在するという自然数全体の定義になっているということで、矛盾しているわけである。ムーアは、自然数は十分に定義された数学的実体であり、それについて様々な一般化を行い得る一つの全体を構成している。したがって、自然数の集合を考えることには何らの反対もなし得ず、その集合は無限でなくてはならないことは確かである。しかし他方では、ある与えられた種に属する要素が無限にたくさん存在するということは、取りも直さず、それらの要素がこのような形で一つにまとめられてしまうことに「抵抗する」ということを意味するようにも思われるという。しかし、自然数の定義自体が、自然数の集合が無限であると確定することを否定しているともいえるわけである。もっともペアノの公理系では「記号1は1つと読む。aがある数であるとき、a+(分かりやすくいえばa+1)はaの次の数と読む。」(『数の概念について』)というような形になっていて、そこでは必ずしも自然数nには次の自然数すなわちn+1が存在するという形にはなっていない。ペアノの公理系ではあくまでもaという自然数に対しa+1という数があれば、a+1は自然数であると言っているだけのようにもとれるからである。もっとも、もしa+1という数が無ければ「aがある数であるときa+1は自然数である」という言い方はそもそも意味のないことであるから、ペアノの公理系では自然数nがあるならn+1という自然数が存在するということは言外の前提となっているのだともいえる。
カントールの集合論からは、有名なラッセルのパラドックスなどが出てきたが、これも集合における全体、さらにいえばその全体の確定の問題ともいえる。ラッセルのパラドックスは、「それ自身を要素として含まない集合の全体をTとすると、T自身はTにふくまれるか」という問いから生じるものである。TがTに含まれるならTの定義からTはTに含まれないということになり、逆にTがTに含まれないとすればTの定義からTはTに含まれるということになる。ではそこでの議論は、そもそもそれ自身を要素として含まない集合の全体Tの要素を確定した上で議論を進めているのであろうか。Tが確定できていないとすれば、そもそもT自身はTにふくまれるかどうかというような議論は成立しないであろう。それをあたかも議論として成立していると看做してパラドックスを導きだしたとしても、そのようなパラドックスには何の意味もないわけである。それ故、真の問題はそのような確定できていないTについて議論すること自体にあるともいえるのである。では、ラッセルのパラドックスではTの要素をすべて確定した上で議論しているのであろうか。今、ここにその要素をすべて確認できる集合全体があるとする。ではその中にTも含まれているのであろうか。もし含まれているとしたら、Tのすべての要素を確認できるし、その中にT自身が含まれているかどうかも確認できるはずである。しかし、T自身が含まれているということが確認できたとすると、ラッセルのパラドックスからTが含まれていないといことが導き出されてしまうし、含まれていないとすると含まれているということが導き出されてしまう。これはそもそも、Tのすべての要素を確認できるとしたことから生ずるパラドックスということであり、そのパラドックスの意味することは、Tのすべての要素を確認することはできないということになるであろう。また、一つでもその要素の総ての確認ができない集合があれば、その集合は自分自身を要素としてふくんでいるかどうか分からないのであるから、その集合の中に自分自身を要素として含まない集合の全体から成る集合というTの定義も、意味を持たなくなるであろう。そして、何故Tのすべての要素を確認することはできなできないのかといえば、それ自身を要素として含まない集合は、無限に作り出していけるからということになるであろう。今ある一つの要素からなる集合を考える。その集合は自分自身を要素として含んでいないであろう。そして、最初の要素とその要素からなる集合を要素とする集合を考えると、その集合もまた自分自身を要素して含んでいない。そして、その新しい集合をさらに要素として加えた集合もまた自分自身を要素として含んでいない。このようにして、無限に新しい自分自身を要素として含まない集合を作り出していくことができる。その要素が無限になっていく以上、その要素の総てを確認できないのである。確認していないものを確認した、確認できないものを確認できるものとすることは、それ自身が矛盾であろう。そして自然数が絡む場合、そこには最大有限数性という壁もあるわけである。H・ポアンカレはパラドックスが非述語的な定義、即ち集合Mの要素mがM自身に依存しているような集合から生じているとしたが、そのような集合とはいわば集合の要素を定義して、「その集合の要素をその集合の要素とする」といっているようなものであり、その定義は同義反復的であり空回りするだけで、その集合の確定した要素を一つでも示すことはできないわけである。
ムーアは無限におけるパラドックスを、①無限小のパラドックス、②無限大のパラドックス、?一と多のパラドックス、④無限に関する思考のパラドックス、の四つに分類している。このうちの一と多のパラドックスについて、たくさんのものを一つの集合体として考える時に生ずるパラドックスであり、それは集合論の中心に位置する考え方であり、それゆえにまた、多くの人が云うように、数学の中心に、そして無限に関する現代の形式主義的な研究の中心に鎮座している思想であるというが、この自然数の自己確認をめぐる矛盾はムーアのいう一と多のパラドックスに属するといえる。①無限小のパラドックス、②無限大のパラドックスであるが、ムーアによれば、それはアリストテレスが「分割(除算)による無限」と「加算(付加)による無限」と名づけた、数学的無限の内部の二つの重要な区別を反映しているといい、①の無限小のパラドックスとしては、例えばゼノンの逆理で有名なアキレスと亀のパラドックスなどがあげられ、②の無限大のパラドックスは自然数と偶数のパラドックス、即ち偶数は自然数の一部なのに、一方では自然数と偶数の間には一対一の対応が付けられ、自然数全体と偶数全体の要素の数が等しくなってしまうというようなものが含まる。無限小のパラドックス、無限大のパラドックス、一と多のパラドックスは、無限には終わりがないということと密接に関係している矛盾といえよう。
ゼノンの逆理
ゼノンのアキレスと亀のパラドックスは、無限によって運動を否定するというものであったが、そこでは自然数全体の代わりとして運動があるといえる。そして、自然数全体を我々は経験することができないが、運動は経験しているものである。このパラドックスは、白石早出雄『数と連続の哲学』を見ると、離散性によって解決するしかないようである。連続性のもとで運動を考えるから終わりのない無限分割が生じるのであるから、無限分割を生じさせないためには空間を離散的なものと考えればいいわけである。もっとも、運動は空間と時間によって成り立つとすれば、離散性は空間か時間のどちらかにいえればいいということになり、時間に離散性を考えれば空間は連続的でもいいということになり、微分積分のような連続的空間における数学というものも数学の一部門として維持できることになる。しかし、ムーアによればゼノンの逆理は四つあり、そのうちの一つは時間と空間の離散的な概念を批判しようとするパラドックスであったと思われるとする。そのパラドックスはあまり明瞭ではないというが、いま、三つの物体A、B、Cがあり、後二者は、最初のものに対し、同じスピードで、しかし互いに逆向きに動いている、そうした場合に生ずるパラドックスであり、Bが、Cに対して、Aに対してよりも2倍の速さで運動するという点に係わるものであるが、離散的な概念においては、すべての運動が、相対的運動をも含めて、次の瞬間には次の地点に存在しなければならず、それゆえ同一の速度を持つはずだというのである。より単純化すれば、それは離散性においてはCに対するA、Bの速度は同じものでしかありえず、違った速度となることは無いと云っているということになる。離散性において、今距離と時間は最小の距離・時間の整数倍であると考えると、AとBの速度が違えば、例えばAが最小単位時間で最小単位距離を進むとすれば、Bは最小単位時間で最小単位距離の何倍かを進むということになる。そうすると、Bが最小単位距離を進む時間が考えられ、それは最小単位時間より短い時間となるはずであり、それは最小単位時間より短い時間が存在しないということと矛盾するということになるわけである。
この離散性の否定とされるパラドックスは、離散性と深く関係する運動の跳躍性を考えると、離散性の否定とはならない。アキレスと亀でいうと、離散性とは亀の後ろにいたアキレスが、次の瞬間には亀の前にいるということである。その場合、その間にアキレスが亀に追いつく瞬間は存在せず、また追いつく場所もない。連続的に考えれば亀に追いつく瞬間・場所をついつい考えてしまうが、離散的に考えるとそのような場所・瞬間はそもそも存在しなくてもいいのであり、その場合には亀に追いつく地点・瞬間を通過するのではなく飛び越えてしまうわけであり、亀は自分の頭上を跨いでいくアキレスを見上げることができるわけではない。アキレスが亀を一挙に追い抜く瞬間、そこには跳躍があるわけである。そして、離散性のもとでの運動とは跳躍性であるとすると、そもそもBが最小単位距離の場所を通過することは無いということになり、矛盾が回避され、したがってそのパラドックスは離散性の否定にはなっていないわけである。ただ、離散性を認めると速度も離散的な値しかとれないということである。
ゼノンの残りのパラドックスは走者のパラドックスと矢のパラドックスである。走者のパラドックスとは、アキレスがA地点からB地点まで真っすぐ走ろうとすると、まず彼は、両者の中間地点を走らねばならない。次に、四分の三の地点を走らねばならない。これが、無限に続くとすれば、アキレスは、B地点に達することができないというものである。これはアキレスと亀のパラドックスと同類であるが、違いがあるとすれば、走者のパラドックスでは、単に走者は離散的に或る地点に足を着けるということであって、それに対してアキレスと亀のパラドックスでは、自分を追い抜くアキレスを亀は見上げることができるのかというような、離散的なある地点からある地点までの跳躍がどのようなものであるかを考えさせる契機がよりあるともいえるわけである。矢のパラドックスとは、何であれ、ある時間にある場所を占めるものは、その時間において静止している。それゆえ、飛ぶ矢はあらゆる瞬間において静止しているが、しかしこのことは、矢が運動できないと云っているに等しいというものである。この矢のパラドックスも、跳躍を考えると解決できる。あらゆる瞬間に矢は停止しているかもしれないが、瞬間と瞬間の間に跳躍があり、その跳躍が運動を可能とするのである。
この跳躍性は離散性だけでなく、連続性においても運動を考える場合存在するものであるともいえる。直線を点の連続として考えその直線上の運動を考えた場合、直線を点の連続と考えるということはある点があるとすればその隣の点がありその隣接する二点間には何もないといということになるが、しかし隣接する点どうしはあくまでも異なる点であるから、ある点からその隣の点への移動は跳躍ともいえるわけである。もっともその場合、離散性と連続性の違いはどこにあるのかという問題が生ずる。距離ということで考えると、離散性では隣り合う点の距離がある有限の値をとるのに対して、連続性では隣り合う点の距離がゼロということなのであろうか。あるいは離散性では二点間に必ず距離があるが、連続して隣り合う二点にはそもそも距離というものがないということなのかもしれない。どちらにしても、連続性において隣り合う二点間の距離はゼロであるとすると、点を一つ挟んだ二点の距離も0+0でゼロとなり、点を二つ挟んだ二点間の距離もゼロということで、一体どこから有限な値をもった二点間が出現するのかという問題が生じ、一方隣り合う二点間には距離がない言う場合も一体どこらか距離が生じだすのかという問題が生じ、また距離を生じさせるものは何なのかという問題も生じる。
連続性とは隣接する点があるということではなく、相互の距離がゼロである三点以上の点があるということなのかもしれない。その場合、それらの点の順序といったものは考えられないであろう。有限な距離を相互に持つ三点ABCが直線状に並んでいるとすれば、二点間の距離abcについては例えばa+b=cのように固定化されるから、三点の順序も固定される。しかし相互の距離がゼロの場合、0+0はゼロなのであるから、例えばABCでもありBACでもあるともいえるわけである。隣接する二点という考えをそもそもしてはいけないのかもしないし、Cから見ればAとBは位置関係を変えており、そこに自動的に運動あるいは流動性かあるともいえるわけであり、運動を跳躍に結びつける必要もないということにもなる。ただ、その場合でも、どこから有限の距離が生ずるかという問題は残る。隣り合う二点間の距離がゼロという場合、有限な距離を生じさせるのは単純に点の個数とはいえないであろう。何故なら、ある有限な値の半径を持つ円周の点と中心点を結ぶ直線は無限個であろう。そしてそのそれぞれの直線には中心点と隣接する点がある。その無限個の隣接点を結ぶ一種の円周を考えると、その円周の長さはゼロということになるであろう。しかし、元々の円周では同じ個数の点が作る円周の長さはある有限の値になるのである。もっとも、これはそこにおける無限を可能的無限として考えているのであり、もし現実的無限を考えるなら、そして現実的無限にも大小があるとするなら、中心点付近の円周の長さがゼロの点の集まりと、元々の円周上の点の集まりでは、共に現実的無限であるが、その大きさが違い、それが長さがゼロか有限かの違いとなっているのだともいえるかもしれない。
無限に関する思考のパラドックス
ムーアによれば、一と多のパラドックスは、無限の多様性の中に統一性を見い出そうとする営みが存在するときには常に必ず発生するパラドックスである。彼によれば精神の力とは、抽象すること、一つにまとめあげることである以上、精神はいつも、そうしたこと、つまり無限の多様性の中に統一性を認識することが可能であるかに考える。しかしまた、精神は、無限の本性からすれば、そのようなことが可能であるとは考えない。おそらくここには、無限に関して、なぜ数学的な概念と形而上学的な概念の二つの概念が生じなければならないかについ考える最初の手掛かりが潜んでいるのであり、形而上学的概念は、右の誘惑の最初のものに対する反応であり、数学的概念は、その第二のものに対する反応であって、したがって両者の間にはある種の葛藤が存在するという。確かに、形而上学的無限とは全体性、統一性といったものとされるのであるから、それは無限の多様性の中に統一性を求めることに通じるともいえる。ただ、その場合の形而上学的無限とは存在即肯定と結びつくものではない。何故なら、存在即肯定と全体性、統一性といったものを結びつけるとき、それは部分に対する全体性、多様性に対する統一性といったものではないからである。存在即肯定といった時の自我、そこにおいて自我に求められるのは単に存在していることだけであり、単に存在している自我とは、あれやこれやの部分が意味を持たない、あるいは無化された全体的・統一的な自我であるという意味で、すなわち全的単一性としての全体性、統一性と結びつくのであって、部分に対する全体性、多様性に対する統一性といったものではない。ただ、自我そのものを問題にした時には、自我とは様々な部分を持つが、自我はそれらの部分が統合され、統一された全体、全的統一体であるということはいえる。そういう意味では、人間には多様性の中に統一性を求めようという傾向があるとすることもできるかもしれない。
それはまた、ムーアの第四の無限に関する思考のパラドックスとも関係する。ムーアはこの第四のパラドッククスは、これまでの三つの種類よりもなおさらはっきりと示すことのできないものであるが、それだけに一層基本的なパラドックスであるといい、二つのパラドックスを取り上げる。最初のパラドックスとは、従前のパラドックスのすべてに対する根本的な解決策は、無限の概念を首尾一貫したものとしては断念するというものであり、実際それらのパラドックスは我々にそれを強いる。しかし他方では、我々には「否、無限の概念を維持せよ」という、同じように強い圧力が他のどこからか掛かってくるのが感じられるのであり、無限を思考することのパラドックスの一つは、無限を否定することにも、また肯定することにも、両方ともに然るべき理由があるというパラドックスである。
無限の概念を維持せよという圧力があるとすれば、無限には何か肯定的な側面があるということなのではないだろうか。そして無限の概念を断念するのは無限が持つ矛盾性によってなのだとすると、無限の概念を維持せよという圧力は矛盾が持つ肯定的な側面からくると言い換えることができるかもしれない。神の全能性は矛盾をもたらすが(すべての盾を貫く矛もすべての矛を防げる盾も作れるというように)、だからといって全能性は神を貶めるというより、神の偉大さを示すものであろう。また、その矛盾は全能の神が存在しないことを意味するとも限らない――本論では神とは源初の肯定性の外化であり、人間の創作物という扱いである。しかし神が実在したとしても、人間がその神に勝手にある属性を加えたとすれば、その属性を加えられた神とはある意味人間が作り出した神ともいえ、そのように人間が作り出した神が人間にとって重要だとすれば、神とは源初の肯定性の外化であるとすることもできるわけである。全能の神は矛盾するにもかかわらず、そのような矛盾を超越して実際に存在しているかもしれないのである。矛盾することが存在の否定であり、存在しないということなら、そもそも矛盾した言葉は存在しないであろう。本論的には無限の概念を維持せよという圧力の一つは、無限が源初の肯定性の表現になっていることからくるのだといえる。そして、何故無限が源初の肯定性の表現となり得るかといえば、その矛盾性によってである。自己放棄が無限を求めさせるのだともいえる。また、無限が矛盾するのはその全体を考えたときだともいえる。そうすると、矛盾を維持する為には、全体としての無限というものが必要ということになり、無限に対する全体性・統一性を求めさせるということにもなる。
ムーア自身によれば、例えば自然数は単一の集合にまとめることができるのか否かについて、確かに我々は自然数が無限にたくさんあることを望むが、その「無限の概念を維持せよ」という圧力は、曖昧な、しかし強力な感覚、すなわち、我々が有限であるという感覚から生じているのである。この感覚は、自分が死すべき運命にあり、サイズとしても限られており、様々な仕方で制限され、しかもそのようなことに無知である(その無知はこれらすべてに関わっているが)ということに対する自覚以上に、もっと深い何かである。我々からは独立に存在し、その多くは我々にとって疎疎しい、我々とは別な何ものかであるような世界、外部から我々に侵入し我々を限界づけるような世界、そうした世界の中に放り投げられた存在の感覚である。そしてこのことは、我々にある対象の観念を刻み込む。すなわち、全体としての世界、つまり宇宙は、その自己充足的な全体性においては、それを越える何ものかによって、我々と同様に限界づけられることはないという観念であり、それはすべてを呑み込むものなのだから、それこそが無限でなければならないという。
我々にとって外部でしかない世界に投げ出されている感覚とは、別の言い方をすれば、それは世界の中で無力な自分という感覚ともいえるのではないだろうか。そうすると、有限な自分が無限を求めるとは、創造的無の中で創造の情熱の充足を求めるということであるともいえる。ただ創造的無における創造の情熱は、無だから創造を求めるのではなく、先ず創造の情熱があって、その創造の情熱が現在的に創造的無という状態にあるということにすぎない。すなわち、有限だから無限を求めるのではないということになる。無に拘るのは自己放棄においてである。そうすると、有限性が無限を求めさせるというのは、自己放棄の中で考えなければならないということになる。創造的無の中での創造の情熱においては、有限な自我が有限なままに創造の情熱を充足するのであってもかまわない。逆に、創造の情熱が無限と結びつくとそれが充足不可能ということになってしまう可能性があるのであるから、創造の情熱は無限よりは有限をこそ求めるともいえる。その意味でも、無限は自己放棄の世界で求められるということになる。我々から独立した世界、そのような外部世界は自己放棄の体系の中では彼岸であろう。彼岸は確かに我々とは隔たった世界であり、その意味では疎疎しい世界である。しかし、それは必ずしも我々を限界づけるような世界ではない。国家共同体主義においては、神は彼岸的存在であると同時に人間は神なのであり、神は此岸的存在でもある。ムーアの言う外部世界に対する感覚は、彼岸的理念における感覚といえよう。そうすると、無限は自己放棄と結びつき、更に言えば彼岸的理念と結びつくということであり、外化した源初の肯定性と無限は結びつき、源初の肯定性の外化としての神と結びつくということになる。また、我々が有限であということが不完全性と結びついていたなら、そして我々が完全性を求める存在なら、形而上学的無限(完全性)への希求が生じてくるのは当然ともいえる。ムーアが宇宙の自己充足性と無限を結びつけるとき、その自己充足性とは形而上学的無限における自足性と結びつくであろう。では、数学的無限については我々が有限であることが、数学的無限を求めさせるということがいえるのであろうか。いえることは、我々が有限であるにもかかわらず、数学的無限を考えることができるということである。有限である我々には考えられる事柄には限界がある。しかし、その限界性の中で考えることができるものについて思考を巡らしたいという欲求があるなら、数学的無限の概念を維持して、それについて考えてみたいという欲求は当然あることになる。
また、ムーアは時間空間について、無限であるとする仮定は、たとえ間違った仮定であるにせよ、少なくともそれらが数学的には完全に有意味であると思われ、そして、無限の概念が無矛盾であることにとっては、この事実だけで十分であるという。ただ、それは無限の概念が無矛盾というより、無限の概念が矛盾していても有意味なことがあるとすべきかもしれない。ムーアが無限の概念が無矛盾としたのは、矛盾を含む概念は無意味である、数学的には時間・空間が無限であるということは完全に有意味である、故に無限の概念は無矛盾である、ということであろう。しかし、矛盾を含むものも存在し得えるとすれば、例えば全能の神は存在するかもしれないとしたが、矛盾を含む概念は一概に無意味とは言えないのではないだろうか。そうすると、無限の概念は無矛盾であるということも言えなくなる。
ムーアによるこの最初のパラドックスに対する可能な解答は、無限の概念を認め、しかし、我々はそれに関係することができないと承認することである。つまり、我々は、我々の精神を無限の辺りまで届かせ、それを議論したり、定義したり、その何かについて知ったり、それについて首尾一貫したことを云ったりすることはできないということであり、もしそうしたことを試みるなら、自動的に(我々の有限性によって)、その無限性を破棄していることになり、矛盾に巻き込まれることになるという。例えば、無限を定義しようとする企ては全て、我々の概念的把握の中でそれを行おうとする試みであるが、しかし、我々が限界を持つものである以上、我々は、自らにふさわしい有限な概念的把握の中でしか、それを行い得ないのである。すなわち、矛盾するものは破棄しなければならないし、従って無限性は破棄しなければならないということになるから、定義から矛盾が生ずるその手前で議論を停止すれば、矛盾が問題になることもないし、無限性は維持されるということであろう。しかし、これはムーアによれば第二のパラドックスをもたらし、それは、恐らくすべてのパラドックスの中でも、もっとも深刻なパラドックスであろうとする。そのパラドックスとは、そのような思考の連鎖と(この場合の「思考の連鎖」とは、「思考の連鎖がもたらす結果」と解すべきであろう)、そのような思考を実際に行ったことを和解させることができない、というものである。
思考の連鎖がそのような思考の連鎖を否定するものに到るとすれば、それはそのような思考を実際に行ったこととの間にパラドックスを生じさせるであろう。そして、ムーアの思考の連鎖は、無限の概念についてそれが矛盾をもたらす手前で思考を停止することを求めるわけであるが、しかしその結論は無限が矛盾したものであること、そしてその無限の矛盾を思考する中で出て来きた結論なわけである。このムーアの第二のパラドックスについては、まず無限についての思考の連鎖が無限に矛盾をもたらしたからといって、必ずしもその結果が思考の連鎖を実際に行うことの否定になるとはかぎらないということがいえる。矛盾の概念を維持せよという圧力が、無限の持つ矛盾性が関係する源初の肯定性の表現としての無限にあるのだとすれば、無限についての思考を矛盾の手前で停止する必要はないし、むしろ無限の矛盾性にまで進むべきということにもなるわけである。その意味では、ムーアの第二のパラドックスは矛盾に否定的、消極的な価値しかない場合に成り立つものといえよう。また、今ある命題があり、そしてその命題が矛盾していることが証明された場合を考える。その証明の結果が矛盾をもたらすとしても、それはその証明過程が否定的なものであるということではないし、その証明を途中で止めるべきであるということでもないであろう。その命題は矛盾しているが、その矛盾しているという証明は無矛盾であろう。思考の連鎖の結果が矛盾をもたらすからといって、必ずしもその結果がその思考の連鎖の否定になるとはかぎらないわけである。
思考の連鎖がそのような思考の連鎖を否定するものに到る、無限についての思考の連鎖がどのようなものなのか、ムーアは具体的に述べていないともいえるが、そのことに関係するものとしてムーアは二つの設問をしている。二番目の設問から取り上げると、「もし我々が、無限について、矛盾することなしには何ごとも言明できないとするなら、とりわけ、無限について無矛盾には何ごとも言明できないということ自体を、無矛盾に言明することはできないのではないか。」というものである。証明によってその命題が矛盾していることが証明される命題の例を考えたが、その命題についていえば、それは矛盾しているが、命題そのものは言明できる。もしそれが明確に語ることができなものであるなら、そもそも証明という作業自体が不可能であろう。そして、その命題は明言されているが、それは矛盾するものとして明言されているわけではない。矛盾していることは、証明されて初めて言える事だからである。ムーアの設問における無限を、ここで取り上げた命題と同じようなものとして考えることが出来るのではないだろうか。例えば、「自然数は無限であるから数え終えることが出来ない」という言明から、「数え終えることが出来ないのに、どうして数え終えることが出来ないと分かるのか」と問い返すことによって、最初の言明が矛盾を含むことが分かるのである。この場合、最初の「自然数は無限であるから数え終えることが出来ない」という言明は、それが矛盾していることは後から分かることであるから、その言明自体は必ずしも矛盾しているとはいえないであろう。ムーアの二番目の設問は最初の仮定が間違っているから、その設問自体が無意味な設問ということになる。もっとも、ムーアが「何ごとも」ということを問題にしているとすれば、無限には終りが無いことから、無限についての言明にも終わりがない、その全てについて何かを言うことは出来ないということ言えるとすれば、当然「無限について無矛盾には何ごとも言明できない」ということも出来ないし、それを「無矛盾に言明することはできない」ということにもなるが、しかしそれは最初の「無限について、矛盾することなしには何ごとも言明できない」という仮定も間違っているということで、やはり意味のない設問ということになる。また、「もし我々が、無限について、矛盾することなしには何ごとも言明できないとするなら」という仮定は、「無限についての言明は矛盾することが証明できるとするなら」と言い直すことができるかもしれない。それに対して、「無限について無矛盾には何ごとも言明できない」は「無限について無矛盾が証明できる言明はない」と言い直されるであろう。そして、そのこと自体を「無矛盾に言明することはできない」ということは、そのことを「無矛盾に証明できない」ということになるであろう。すなわち、「無限についての言明は矛盾することが証明できる」ということから、「無限について無矛盾が証明できる言明はない」ということが無矛盾に導き出されることはないということになるが、しかし「無限についての言明は矛盾することが証明できる」ということは、当然「無限について無矛盾が証明できる言明はない」ということであり、それはまた同時に無矛盾に導き出しているし、「無矛盾に証明」していることになるであろう。すなわちムーアは「無矛盾に言明すること」は出来ないのではないかというが、そのムーアの予想は間違っていて出来るということになる。
最初の設問は、「考えてもみられたい。もし我々が、無限について何も知ることができないのならば、無限について何も知ることができないということについても、とりわけ知ることができないのではないか。」というものである。この設問の「無限について何も知ることができないのならば」という仮定については、無限について何も知ることが出来ないならそもそも無限という概念さえ我々は持つことがないのではないかという疑問が生じるのではないだろうか。その疑問が正しければ、この設問も最初の仮定が無意味だから設問自体も無意味な設問ということになる。無限についての概念を持っているということは、無限について何かを知っているということなのではないだろうか。あるいは、「無限について何も知ることができない」ということが証明という形で導き出されたものであるとすれば、考えるべきことはその証明であり、もしその証明が正しいものであるとすれば、我々は「無限について何も知ることができない」とすべきであって、「無限について何も知ることができないということについても、とりわけ知ることができない」ということは否定されければならない。もしその証明が間違った結論を導き出していたとするなら、そもそも「無限の全体について何も知ることができない」という仮定自体が間違った仮定ということになるわけである。そして最初の仮定は、「無限の全体について何かを知ることができる」ということになるか、「無限の全体について何も知ることができないか、無限の全体について何かを知ることができるか、どちらか分からない」ということになるわけであるが、この二つの仮定のどちらにしても、「無限の全体について何も知ることができない」とは仮定していなわけであり、何かを知っているということを意味する。どちらにしても、ムーアの最初の設問も最初の仮定に問題がある以上、その設問自体が無意味な設問ということになる。
ムーアの最初の設問は、無限における確認の問題として理解するとき、その設問も意味をもってくるであろう。すなわち「全てを確認していないのに、どうして無限についてはその全てについて確認できないと確認できるのか」と言い直すわけである。しかし、これは無限に関する「思考のパラドックス」ではなく、「一と多のパラドックス」に関する問題といえる。自然数でいえば、実際に数えあげていくことによって無限という概念を得たわけではない。単に数えあげている途中においては無限という概念をもつことはないであろう。数えあげている途中で、「自然数nがあるなら、自然数n+1がある」とすることによって、無限の概念をもつわけである。その場合、自然数の無限性について何も知ることが出来ないということはいえないであろう。少なくとも無限性の一つとして、自然数nがあるなら、自然数n+1があるということは知っているし、さらにそれから自然数を数え終わることはできないということも導き出すことが出来るであろう。では、「次の自然数n+1がないような自然数nがある」という命題はどうなのであろうか。それもまた、全ての自然数を調べなければいえないことであろう。しかし、最大有限性によって我々は全ての自然数についてそのことを調べることはできないわけである。つまり、我々は「自然数nには次の自然数n+1がある」とも「次の自然数n+1がないような自然数nがある」とも言えないままに、思考を静止しなければならないわけである。「自然数nには次の自然数n+1がある」というような命題は、ある程度のそのような体験を重ねると同時に、最大有限数まで達しないその途中で考えることが出来ることであろう。そしてその命題が我々を無限に導くのだとすると、無限という概念は中間有限において導き出される概念であり、ある意味無限とは中間有限の事だといえるのではないだろうか。中間有限においては「自然数nには次の自然数n+1がある」という命題は正しいのである。そして、無限とは中間有限のことだとすると、それは有限なのであるから無限について全てを知ることが出来るといえるし、そのようなものとして無限を扱うことが出来るということになるかもしれない。
無限の宇宙
ニコラウス・クザーヌスは宇宙が無限であることを主張した。もっとも、彼は慎重に無限という言葉は神にのみ使い、それに対して宇宙は限界されないものであった。それは拡がりに限度がなく、外殻によって限られないものであり、その意味では数学的無限といえる。クザーヌスにとって、宇宙と世界は神の展開であり、神が無限である以上宇宙も無限でなければならないし、それ故宇宙は空間的に無限でなければならなかったのである。ただ、彼にとって限界されないということは、その構成要素においても「限界され」ないこと、つまり厳密性をも正確な規定性をもまったく欠いていることでもあった。この宇宙はけっして「限界」には達しないし、無限定なのであり、したがって全面的で厳密な認識の対象とはなりえず、部分的・推測的な認識の対象たりうるにすぎない。
当時、神はそれ以上に大きなものがないようなもの、すなわち「極大者」であったが、クザーヌスにとって神は「絶対的な極大者」であるに対して、宇宙は、「限定された極大者」であるという違いがあった。ただ、そのような違いはあるものの、神はあらゆる対立を超えたものであり、すべての対立、矛盾も反対も差別も、神において一つであるという「対立(反対)の一致」であるように、クザーヌスにとって宇宙もまた「対立(反対)の一致」という性格をもつのであった。 コレイによれば、クザータスの形而上学や認識論上の考え方、対立物がそれらを超える絶対者の内で一致するという思想、またそれと関連して、推論的・理性的思考を超えるこの関係を把握する知解行為としての「知ある無知」の概念といったものは、有限な対象に当てはまる或る種の関係を無限化した時に起こる数学的な逆説のパターンを受けついで、それを発展させたものである。そして、ニコラウス・クザーヌスの宇宙論的着想の大胆さ、深さには驚嘆せざるをえないし、その頂点は、「中心がいたるところにあり、周がどこにもないような球」というヘルメス偽書がした神の特徴づけを宇宙に移しかえた驚くべき考えであるという。クザーヌスの「対立(反対)の一致」は対立の超越ともいえるが、対立物が重なり合っている状態ともいえ、過渡期において創造的無と前本質が重なり合うことによって源初の肯定性がもたらされることから、「対立(反対)の一致」とは源初の肯定性の表現であり、それ故、神とも結びつくことが出来るし、「対立(反対)の一致」としての無限の宇宙もまた源初の肯定性の表現であるといえるわけである。クザーヌスは無限の宇宙を神の展開と結びつけて語っているが、無限の宇宙の肯定性が無限の持つ矛盾性にあるとすれば、無限の宇宙の源初の肯定性は神とは関係なしに保証されているといえる。
無限の宇宙は神の展開であり、神が無限であるのに対して宇宙は限界されないものとされるとき、神は現実的無限で宇宙は可能的無限ともいえる。一方、宇宙はある瞬間に宇宙全体として存在しているとすれば、宇宙もまた現実的無限ともいえる。宇宙は可能的無限であり現実的無限ということになるが、それに対して神は現実的無限であり形而上学的無限であるということになるのかもしれない。完結性、全体性、統一性、普遍性、絶対性、完全性、自足性、自律性などという形而上学的無限に含まれる概念は神に相応しいであろう。
ト・アペイロン
歴史的にいうと、無限をめぐる議論は、数学的無限と形而上学的無限の間を振り子のように揺れる形で形成されてきたと思われるとムーアは言い、最初にアナクシマンドロスの「ト・アペイロン」を取り上げる。「ト・アペイロン」は、限界あるいは境界という意味の「ペラス」が無いもの、つまり無限を意味するとされる。ただムーアによれば、それは空間的なものであるか否かでさえはっきりしないのであるから、それが数学的な無限であるか否かも確言できないし、アナクシマンドロスが形而上学的無限と数学的無限どちらの領域で議論していたのかは、叙上の点が曖昧である以上、確定的には答えられないという。アナクシマンドロスの「ト・アペイロン」とは、中立的で、境界が無く、不滅で、存在するものすべての究極の源泉であるようなものであり、根本的に無規定なものなのであり、それ自身が、一切の種別化に抵抗するのである。それは、何かしら神的ものであり、より深遠な意味を持つ何かである。
ムーアによれば、「ト・アペイロン」は、当時起こった(そして今でも続いている)ある根本的な知的変革、すなわち、万物がそこから作られた材料(質料)を同定しようとする試みに対する回答として導入されたのであり、それは、すべてのものがそこから作り出される第一の実在である。アナクシマンドロスは我々の世界では、熱さと寒さや光と闇といったように、対立者が相互に闘争・侵犯し合い、常に互いに対して不正を働いているのであり、その罪滅ぼしのために、それらは早晩、「ト・アペイロン」に回帰しなければならない。そしてペラスなきところでは対立も存在しないのであり、一切の闘争は超克され、そこではそれぞれの自己同一性は失われる。ムーアによれば、アナクシマンドロスの関心は同時に科学的・哲学的・倫理的でもあり、世界の物理的本性に関する経験的仮説と、万物はいかに存在すべきか、しなければならないかについての近代的区別は知るところではなく、単純に、もっとも一般的な意味で、世界がどのようなものであるかを知ることに関心があっただけであった。その結果、万物の「原理」はターレスにとっては水であったが、アナクシマンドロスの「ト・アペイロン」については、それが果たして物質的なものであるのか、どの程度物質的なものなのか曖昧であるという。
アナクシマンドロスの「ト・アペイロン」は何かしら神的ものであり、源初の肯定性に結びつく要素があるといえる。また、矛盾・対立とその止揚・超越として考えられているということは、それもまた源初の肯定性に結びつくといえよう。特にアナクシマンドロスが「ト・アペイロン」に与えた属性は、形而上学的無限に通じるものが在り、存在即肯定と結びつくともいえる。境界が無いということは、存在即肯定においては単に存在していることだけが肯定の条件とされるのであるから、それ以外の要素は無意味化され、それはある意味それぞれの存在を区別する境界は存在しなくなるということに結びつくともいえるし、総てがその肯定に必要な条件である存在を有しているのであるから、相互に対立する必要もないといえよう。また、存在即肯定において存在以外の要素が無意味化されるということを極端化すれば、それぞれは単に存在するものとして在るということになり、無規定なものともいえ、そこに相互を区別するものは無くなって、それ自身が一切の種別化に抵抗するともいえるし、ある意味自己同一性を失うということもできるであろう。特に自己放棄と結びついた存在即肯定にはそのことがいえるであろう。また、総ての源泉を総てに共通するものと解釈すれば、存在即肯定においては存在するということだけが重要であり、総ては存在しているのであるから、存在すなわち存在即肯定は総ての源泉ともいえるであろう。また、アナクシマンドロスにとって「ト・アペイロン」は世界の原理・根底にあるものであったが、自己放棄において源初の肯定性が人間の価値の根源にあるとすれば、源初の肯定性と結びつく「ト・アペイロン」が世界の根底を成すものとして理解されることは十分あり得ることであろう。
アナクシマンドロスの時代のギリシアは国家共同体主義の崩壊がかなり進み、彼岸的な中心理念の創出が模索されていた時代といえる。そのような中でゼウス神の天空神的な性格への変化もあったわけであるが、オリュンポスの神々は、人間と同様に形而上学的に見てもまた道徳的に見ても完全なものではなく、前六世紀以前にはそのようなオリュンポスの神々に対する信仰に対し不満が増してきて、それと同時に、無限なるもの、永遠なるもの、不変なるものに関する新しい観念が現れてきた。その最初の現われがアナクシマンドロスの「ト・アペイロン」であった。では矛盾・対立がそこにおいて解消されるとされる「ト・アペイロン」の止揚・超越性は、源初の肯定性の外化なのであろうか。源初の肯定性は矛盾・対立であり、矛盾・対立の止揚・統一・超越であった。アナクシマンドロスの「ト・アペイロン」が矛盾・対立の統一・超越だからといって、それだけでは源初の肯定性の外化とはいえないわけである。しかし、国家共同体主義において地上的なものであった神が、国家共同体主義の崩壊により再び天上化し、彼岸化していく中で、神の本質をなす源初の肯定性が改めて対象化されていったものがアナクシマンドロスの「ト・アペイロン」であるとすれば、その対象化の次に来るのは彼岸的理念へと向かう中でのその外化ということも十分考えられる。ムーアによれば、アナクシマンドロスの「ト・アペイロン」は、単にギリシア思想だけでなく、それ以降のほとんどの哲学に普遍的な特徴となった考え方、実在と現象を根本的に区別する思想の登場を示すのかもしれないという。現象とは、我々が現実的に出会う一切のものを含むのに対し、実在は、現象の基底に存在し、それに意味を与えるとされる。過渡期における源初の肯定性は現象の中にある源初の肯定性といえよう。アナクシマンドロスにおいて、源初の肯定性と結びつく「ト・アペイロン」が現象と区別される実在とされるなら、「ト・アペイロン」は源初の肯定性の外化ともいえるわけである。国家共同体主義の中で生きている人間にとって、ありのままの世界の中で生きていることが肯定的なことだとすれば、その世界が根元的に何から出来ており、世界がその物によって形成されていると考える動機などないであろう。その意味からも、原子論者を含め、世界の根元的に形成する物を考えて、世界をその物に還元するということ自体が、一種の世界の外化なのだといえよう。もっともムーアによれば、現象と実在の区別に関しても、アナクシマンドロスには曖昧性がある。しかし、アナクシマンドロスの生きていた時代が、此岸的理念である国家共同体主義が崩壊しつつ、他方で新しい彼岸的理念の創出へ向けての動きが始まってもいる時代だとすると、実在と現象との根本的な区別は彼岸的中心理念の創出の過程で明確化されるであろうし、アナクシマンドロスが曖昧な立場にいたということも理解できるわけである。
アナクシマンドロスにおいて「ト・アペイロン」は実在であり、世界の原理であり、何か神的なものであり、形而上学的無限であったが、ムーアによれば、ビタゴラス学派において、「ト・アペイロン」は疑問の余地なく、空間的な何ものかとして考えられていた。そういう意味では、ビュタゴラス学派において「ト・アペイロン」は数学的無限といえるが、それはさらに、この目に見える世界を越えた暗く境界の無い空虚であった。「ト・アペイロン」は、限界(ペラス)の意味での末端を持たないがゆえに、目的(テロス)や意図といった意味での終末をも持たない、と彼らは信じた。それは、意味を欠き、混沌とし、無規定で、構造を持たず、ひたすらペラスがその上に課せられるのを待っている。それに対し、「ペラス」を持つことと善であることが同一化され、「ペラス」の種が「ト・アペイロン」の空虚に蒔かれることによって、まさにそれが限定された有限であるがゆえに、その諸部分が統一された世界が生じ、その世界は美しく構造化された調和的な全体とされた。世界は、空虚の中に打ち立てられた諸構造の体系であり、それぞれの構造は数によって規定され、諸構造は一緒になって光輝く音楽的‐数学的全体を構成するのである。実在と現象世界という区別でいえば、ピタゴラス学派においては現象世界が肯定化されていたといえよう。ただ、国家共同体主義においては人間が神であることによって、人間に源初の肯定性がもたらされるのに対して、ビュタゴラス学派にとって世界の肯定化をもたらすのは自然数であった。当時のギリシアが国家共同体主義の崩壊期にあったことを考えるなら、国家共同体主義の崩壊の中でピタゴラス学派は再度此岸的理念、源初の肯定性を人間に取り戻そうと努力したのだともいえる。しかしそれは国家共同体主義によってではなく、音楽と数学によってであった。ピタゴラス学派において数学的無限は、創造的無の固定化としての無限として捉えられていたのだともいえる。そして、有限の世界の外に拡がる無限の宇宙が空虚なものでしかないとされるとき、未だ地上的な性格を残した神しか知らない者にとっては、そこには何もないのであるから神さえ存在しないということになり、それは此岸的源初の肯定性であれ外化された源初の肯定性であれ、源初の肯定性そのものが存在しない場所として否定的な存在ともなるであろう。ただ、彼岸的理念からいえば、有限な世界から区別された、その外に拡がる無限の宇宙は彼岸的な存在ともいえ、逆に神の居場所として相応しい場所になっても不思議ではないということにもなる。
ムーアによれば、クザーヌスは、プラトン主義というよりはエレア派の見解に立ち戻って、無限の形而上学的概念を強力に蘇生させたのであり、その成果は、何か非常にプロティノスを思わせるものがあるという。エレア派の始祖パルメニデスはビタゴラス学派であったが、ムーアによればピタゴラス学派の考えをさらに徹底していった結果、アナクシマンドロスへの回帰のような形になってしまったのであり、ピタゴラス学派は有限な現象の世界を肯定的なものとしたといえるが、パルメニデスも肯定的なものを有限なものとした。ただその有限なものを現象世界とするのではなく、アナクシマンドロスと同じように実在としたのである。パルメニデスは「ト・アペイロン」を否定的な存在というより、ビタゴラス学派的な「ト・アペイロン」についてその存在さえ否定したわけである。すなわち、ピタゴラス学派に当てはめれば、「ト・アペイロン」が存在しなくなった世界は、有限で肯定的な現象の世界だけが残るということになるが、パルメニデスはそのうちの有限で肯定的な世界のみを引き継ぎ、現象世界を実在の世界に換えてしまったわけである。ムーアによれば、パルメニデスは世界を空虚の内部に存在する諸構造の体系として捉えるビュタゴラスの考えに満足できなかったといい、パルメニデスがビュタゴラス学派に納得できなかった理由は、空虚(存在しないもの)を必要とする議論が一貫性をもつ議論ではあり得ないと思われたからである。それはパルメニデスにとって、存在しないもの(空虚は、「ある」意味で、存在しないものである)について参照を求めない限り成立しない議論であった。何物もその中に存在しないという空虚を徹底化していけば、空虚さえも存在しないということになるであろう。そして、残るのは有限で肯定的な現象世界ということになるが、パルメニデスはそれを実在としたわけである。
パルメニデスにとって実在(一者)は有限なものであった。そこには最終的な境界があり、力強い必然性が鎖のように境界の内部に実在を縛りつけている。実在は完全な球体をした塊りのようにあらゆる方向において閉じており、中心からの距離はすべての方向において同一である。また、ムーアによれば、限界は、いつも外部から、他の何ものかによって刻印されるとは限らないのであり、内部から、それ自身の本性によって課せられることもあることがひとたび認められるなら、形而上学的無限は、形而上学的有限同様、それ自身限界づけられたものとならざるを得ない。そして、パルメニデスが実在は数学的無限ではなく形而上学的な無限でなければならないと考えたことは、無限の歴史において極めて重要であるといい、エレア派のサモスのメリッソスに至って、一者は無限であると宣言されることになったが、それはパルメニデスの考えをごく簡潔な形で表現するものであったという。
パルメニデスにおいて実在(「一者」)は、自足的なものでなければならず、それ自身の用語で説明できる、完全に統一的な自存的な全体でなければならなかった。自足性・全体性・統一性は存在即肯定と結びつくとしたが、存在即肯定における存在は、そのもの自身によって存在しようと、他のものによって存在が与えられようと、どのような形であれ存在しているということがその肯定の条件だとすれば、存在即肯定における存在とは自存的ともいえる。またアナクシマンドロスの「ト・アペイロン」と同じように、相互の区別は無くなり、その肯定性は存在することにのみ依拠し、外部も存在しないとなると、存在しているものにとって存在していることはそれ以外にあり得ないという意味で必然なのであるから、力強い必然性が、それ(実在)を取り巻く境界の内部へとそれを鎖に縛りつけてしまう、という言い方にもなるであろう。また、内部だけが問題になり、そしてその内部における内容は存在しないということを、存在することを条件とする肯定にとってはその内部の内容の差別化は無意味化されると解釈するなら、即ちすべての内部の内容は同じであるとするなら、それは、完全な球体をした塊りのように、中心からの距離はすべての方向において同一である、というような言い方にもなるであろう。空虚との関係でいえば、実在をピタゴラス学派のペラスのように空虚の中に存在するもの、それが存在するためには空虚が必要とするとすれば、実在は自足的なもとのとはいえなくなるし、その説明に空虚が必要とすれば、それ自身の用語で説明できる、完全に統一的な自存的な全体ではないということになるわけである。もっとも、存在即肯定における存在とは、それ自身で存在しようと他からその存在が与えられようと、存在していることが重要という意味で自存的であるとするなら、その存在のために空虚が必要ということから空虚を否定する必要もないともいえる。
パルメニデスは空虚を存在しないものと捉え、パルメニデスが存在しないものを存在しないものとすることにこだわったことは、実在に変化を認めなかったことからもいえるかもしれない。パルメニデスにとって変化は、存在するものから存在しないものへの移行を含むから、存在しないものは存在しないとすれば変化はありえないことになるわけである。ムーアによれば、存在しないものに対しては、究極的にはいかなる訴及も行われてはならなかったのである。また、実在は、とりわけ生成や消滅を、全体においても部分においても、蒙るものであってはならない。というのも、生成や消滅は、空虚に訴えることなくして、つまり存在しないものとの比較によってのみ与えられ得るような対照性に訴えることなくして識別されることはないのである。そしてまた、実在は、分割不可能で、同質で、時間を欠いているという意味で永遠である。なぜなら、変化が存在することなくして、時間は可能ではないからである(ムーアp80)。そして、ビタゴラス学派において「ト・アペイロン」が空間的なものと捉えられていたとすれば、空間における変化である運動を否定したのがエレア派のゼノンであったわけである。離散性を持ちこむことによってゼノンによる運動が存在しないことの証明は回避されるが、連続が無限に通じ、離散性が有限に通じるとすれば、運動を通じて有限性が持ちこまれるのだといえる。あれやこれやの存在の仕方が問題ではなく、またその内部に部分を持たない、単なる存在が重要なのであるから、その場合の存在にとって変化というものは存在しないであろう。その意味で「実在は変化を蒙るものであってはならない」ということができる。
こうした見解の帰結として、パルメニデスはアナクシマンドロスと同じように、実在と外見(現象)との根底的な区別を受け入れざるを得なかったという。我々が、その変化や移行において現実に出会うすべてのものは一種の幻想だと見なされ、それは、実在の我々に対する現れ方にすぎない(ムーアp80)。過渡期における源初の肯定性は現実に存在している人間が現実に存在しているそのことについていえる肯定性であり、そこに実在と現象の区別などないから、パルメニデスにおけるその実在(一者)は源初の肯定性の外化といえよう。
ムーアによれば、アリストテレスは形而上学的無限を拒否したのであったが、プロティノスは形而上学的無限の復権を図ったのであり、その根本的な実在を、「一者」と呼び、「善」と呼び、またあるときは「神」と呼んだが、「無限」とも呼んだ。そしてそれを、自己充足的、完全、万能、完結した純粋な統一、我々の有限な経験をきっぱりと超えたものと呼び、それが「至高の適切さを持ち、自律的で、完全に超越的で、いかなる欠如も伴わない」と形而上学的無限であることを明示するような仕方で説明している(ムーアp126)。ただ、プロティノスにとって、それについて何かを語り、それを定義しようとすることは厳密には不可避的に不適切にならざるを得ないのであり、本当を云えば、それは、「神」とか「善」とかいった表現すら超越しているのである。彼にとってその「曰く謂い難さ(言表不能性)」は、それを神秘的に直観することによってのみしか満たされないということを意味した。にもかかわらず、彼は、それをできる限り言語的な表現にもたらそうと努める中から、神と無限とを同一視する表現が生み出されたのであり、また彼においてもはや無限は否定的なものではなく、彼以後は、全く逆の状態になったのである。
ムーアはプロティノスに非常によく似た考えはアウグスティヌスにも見ることができるといい、彼にとって、神は現実的に無限であり、かつ超越的である。そして、神は自然数の総体を認識することが可能であるほどに無限であったが、神は全体を知ることによって、それを有限化すると信じていたという。プロティノスとアウグスティヌスもまた、時間は無限であるが、その無限性は現実的な無限よりも小さい、なぜなら、それは決して「全てが同時に」現前することがないから、というアリストテレスの考えは取り入れた。それゆえ、神の「永遠性」とは、時間の全てが同時に現前することであったから、単に神があらゆる時間に実存しているという以上の、超越的な事柄でなければならなかった。アウグスティヌスの神は自然数の総体を認識することが可能であるほどに無限であったという言い方には、神に数学的無限が入り込んできたことをみることができるであろう。また、プロティノスとアウグスティヌスが神の「永遠性」とは、時間の全てが同時に現前することであったとすることにも、形而上学的無限における神にとって永遠性とは時間が無いことであったから、そこにも現実的無限として数学的無限が神の中に入り込んできているわけである。神が現実的無限と結びつき、現実的無限には大小があるとすると、神とは最初の手付かずの現実的無限、まだ一つも石が取り去れていない石の山としての現実的無限ということができるであろう。もし世界の創造がもはや神が手付かずの現実的無限ではなくなることだとすると、創造後の神はもはや神ではないということになる。といって、神が形而上学的無限であるとすると、創造が、神にとってその創造という変化が意味を持つということであるとすれば、あるいは創造の内容が意味を持つことであるとすれば、やはり創造後の神は神てはないということになる。すなわち、創造後も神は神であるためには、創造は神にとって何の意味もない行為でなければならず、諸々の被造物と神と関係、それぞれの人間と神との関係に違いを見出そうとすることは、そしてその違いが神のそれぞれの被造物・人間への行為の違いをもたらすと考えることは、例えば聖書における神と人間との関係は全く人間の妄想ということになる。人間が何らかの価値判断をもつとすると、それは神とは何の関係もないことであり、あくまでも人間内部でのみ意味を持つものといえるのであり、神と人間との関係に意味を見出したとすれば、その意味は神にとってどのような意味があるのかと考えるのではなく、人間自身にとってどういう意味があるのかを考えなければならないわけである。
プロティノスとアウグスティヌスの時代にすでにアリストテレスの見解と信仰とを統合しようとする試みがなされていたともいえるが、アリストテレスとキリスト教信仰の統合を図ったトマス・アクィナスは、アリストテレスが形而上学的無限に否定的であったのに対して、形而上学的無限、神の形而上学的無限性を信奉したのであり、神は自己充足的で完全なものであると考えた。そして、神が数学的無限であるということは、神が部分を持つことになり、それは神が不完全なものということであった。そして、アクィナスにとって我々も一種の無限の力があり、それは我々が無限に数をかぞえていけるという事実以上の何かであったという。アクィナスにとって神とは数学的無限と何ら関係のない存在だったといえるが、アンセルムスがその神の証明に「それより大なるものは考えられないようなもの」と神を定義した時、その「大きさ」とは数学的な意味合いを含むものといえるであろうし、ドゥンス・スコトゥスがアンセルムスの概念を無限ナモノという概念で置きかえたとき、その無限は数学的無限ともいえるであろう。クザーヌスにおいても、神は形而上学的無限であったが、 神とはそれ以上に大きなものがないようなもの、極大者でもあった。そして、現象の世界は、その基礎にある形而上学的無限性を、時間空間の中に広げたものであるとすれば、数学的無限としての宇宙にも「反対の一致」という神と同じ性格が与えられていくわけである。古代において巨大な神像や神殿が造られたことは、神が数学的大きさと結びついていたことは古代ギリシアやキリスト教以前からのことといえ、キリスト教においても巨大な教会が造られたことは、キリスト教においても神が数学的大きさと結びついていたことと無関係ではないであろう。
ジョルダーノ・ブルーノ
宇宙に源初の肯定性をみることは、ジョルダーノ・ブルーノにおいてもいえるであろう。ブルーノも、超越的で、自己充足的で、曰く云い難い神性を信じた。その神性は、自己自身の中に矛盾を含み込み、自己自身を時間空間的で物質的な宇宙に表現する。彼は、我々自身を適切な仕方で拡張させれば、この神性と、すなわち真なる無限とグノーシス的な融合を遂げられると信じたという。コレイによれば、無限で、住む者も限りなく多い、中心が不在の宇宙という説の主唱者はやはりジョルダーノ・ブルーノと見るべきである。実際、空間の本質的な無限性をこれほど率直、明確、かつ意識的に主張した者はかつていなかったのであり、クザーヌスは世界に限界を設けられないと記述しているにすぎないが、ブルーノは世界は無限だと断言し、しかも無限であることを喜んでいるという。神はなぜ無限の世界を創らなかったのか、という古来の有名な討論問題に、中世のスコラ学者は被造物が無限であることはありえないという答え方をしたが、ブルーノの答は神は無限の世界を創った、創るほかなかったのだというものであり、そう答えたのは彼が最初だった。もっとも、無限者のなかからは、新しい多量の物質がたえず生まれてくるというブルーノにおいて、神は現実的無限であり、宇宙は可能的無限でもあったといえる。実際コレイによれば、クザーヌスの包含された無限性をいささか誤解してできたブルーノの神は、限りなく豊かで限りなく拡がる無限の世界の内に自己を展開し表示するほかなかったのである。このようにしてはじめて、神の卓越性は讃えられ、その王国の雄大さは示されるのであり、ただ一つの太陽ではなく、無数の太陽のなかで、ただ一つの地球、世界ではなく、何万という、いや無数の世界において、讃えられる。宇宙は広々とした王国の自由へとおしすすめられることによって、空しいものではなくなり、こうして、妄想の産みだした貧しい狭い場所から脱け出て、広々とした肥沃な野の、豊かに開拓された世界の、数限りない富を楽しむことができるとされる。また、無限という概念が当てはまるのは純粋に霊的で非物体的な存在である神だけだ、という古くからの反対論に対して、ブルーノは内包的でまったく単純な神の無限性と、外延的で多からなる世界の無限性とはぜんぜん違うことを否定するものではなく、神にくらべれば世界はただの点であり、無に等しいが、世界とそれを構成する全物体のこの「無きにも等しい」ものが、まさに無限を内包すると答える。また、無限なるものは近づくことも理解することもできないという古くからの反対論に対しても、ブルーノにとってその逆が真実であり、無限なるものこそ必然的で、おのずから知性によって得られる最初のものでもあったったという。「質料」もまた第一質料としては永遠不変なものであり、形相と同じく積極的な原理であって、十二世紀の異端的汎神論者ディナンのダヴィッドは質料も「優れた神的なもの」と言ったと伝えられているが、それはブルーノの考えでもあったのである。
もっとも、ブルーノの宇宙は存在即肯定的ともいえない。コレイによれば、クザーヌスは不変性は全宇宙のいかなる場所にも見いだしえないと記述しているにすぎないが、ブルーノは単なる記述だけでは満足せず、彼に言わせれば、運動と変化は完全性のしるしであって、完全性の欠如の印ではない。不変の宇宙とは死んだ宇宙であって、生きた宇宙は運動し変化しえねばならないのだという。しかし、存在即肯定において肯定に必要な条件は存在していることだけだとすると、肯定化のために運動や変化は必要ないし、存在即肯定としての宇宙には運動や変化は存在しないともいえるわけである。ブルーノの世界観は実は活力論的・魔術的なものだったともいわれるが、進歩主義の兆しが見られるともいえる。ブルーノは楽園の平和無為の生活より労働に高い価値をあたえる。人間が理性と手とをあたえられているのは、労してさまざまの善きものを作り出すためであって、閑暇をたのしむためではないし、働いてものを作ることによって人間は獣に優る品位をうるのである。そして、我々自身を適切な仕方で拡張させれば、宇宙の神性すなわち真なる無限との融合も可能になるわけである。
コペルニクス
クザーヌスやブルーノと違って、コペルニクスの宇宙は有限なものであった。コペルニクスの宇宙は恒星天球を限りとする有限なものであり、中心にある太陽と恒星天球の間の空間を地球を含めた惑星が動きまわるのである。ある意味、その宇宙はクザーヌス以前の宇宙の中で、地球と太陽を入れ替えただけともいえる。もっとも、コレイはコペルニクスの宇宙が有限か無限かは、曖昧なようであるともいう。コペルニクスは目に見える宇宙である恒星天は確かに広大無辺ではあるが、無限だとは一度も言ってはいないというが、クザーヌスも宇宙は限界されないものであるとはいうが無限とはいっていない。しかし、コペルニクスの宇宙はクザーヌスの宇宙とは区別されるべきであり、コペルニクスは、天の外には物体もなく場所もなく真空もなく絶対に何もないといい、恒星天球という物質的な球に囲まれていることは認めざるをえず、コレイはその意味で有限の世界というふうにしか解釈できないという。
コペルニクスの宇宙はクザータスと違い有限と看做すべきであったが、しかしクザーヌスの宇宙と同じように肯定性を帯びた存在であった。クザーヌスの無限の宇宙は反対の一致としてそれ自身が源初の肯定性を帯びるともいえるが、もう一ついえることは、それが宇宙における地球の特別な地位を奪い、他の天体との違いを無くし、同質的なものとしたことであろう。それは人間が住む月下の否定的な世界と神々が住む肯定的な天上界を区別するアリストテレス的宇宙観の破壊であった。天上界と地上が同質化されるということは、天上界も地上と同じ否定的な世界になるか、地上も天上界と同じ肯定的な世界になるかであるが、キリスト教的の彼岸的な神と人間を隔別し、人間を否定的な存在に固定化する社会においては、天上界と地上が同質化されるということは、同時に地上を肯定的な天上世界と同じ世界にするということになる。この地球を宇宙の中心とし、その周りに星々が在る天上界を配置するアリストテレス的宇宙の破壊は、コペルニクスの地動説にもいえた。すなわち、地動説では地球は太陽の周りを回る他の惑星と同質化・同格化され、他の惑星が天上界に属するなら、地球もまたそれらの惑星と同じように天上界に属する肯定的な世界となるわけである。コペルニクスは教会法の博士号をもつカトリックの聖職者であったが、彼にとって創造者である神の崇高な作品である宇宙は完全なものでなければならなかったといわれる。その中には、当然地球や他の惑星も含まれなければならないであろう。ただ、その肯定性は限定的なものでもあり、彼が地動説を採用したのは、不動という状態は変化・不定の状態よりも一層高貴で神聖であるから、その地位を地球から取り上げて、最高の完全性と価値をもつ太陽にその地位を与えたのである。ただ、その中心こそ最上で最重要な位置だという考えは、アリストテレスや中世の価値階梯を完全に逆転させたものであり、その意味で中世的な価値観の否定であり、また地球はその中心という最高の地位は失ったが、それでも太陽と恒星天球という不動の完全性の両極の中間を動きまわる他の惑星と同じものとして、アリストテレスや中世の価値観から見れば格上げだったのである。コレイによれば、アリストテレス的宇宙観を破壊することにおいては、この世界秩序の形而上学的な基盤に対するクザーヌスの深刻な批判にくらべると、コペルニクス革命はいささか及び腰でさほどラディカルでないように見えるかもしれないが、ただ有効性という点ではコペルニクスの方がずっと上だったのである。
コペルニクスにおいて太陽神の復活を見てとることも出来るかもしれないし、実在を不変性と結びつけたパルメニデスに通じるともいえるかもしれない。存在即肯定は肯定化のために何かをしなければならないということではないから、その意味では、不動性・不変性は存在即肯定に結び付けることも出来た。不動性と結びつけられた太陽に対して、キリスト教の神は創造神であることが強調されているといえるであろう。その意味で、キリスト教の神は不動の存在というより動的な存在であり、コペルニクスの太陽の方がキリスト教の神より、より存在即肯定的であるともいえる。もっとも、それ以前の宇宙観では地球が不動の宇宙中心であったが、その地球は肯定性とも無縁の否定的存在であった。これは天空神と地上の人間の関係がそのまま星々が東から昇り西に沈むという見た目の宇宙と結びつけられたということであり、地球の不動性は余り意味を持っていなかったともいえるわけである。言わば、地球が不動なのは上から圧し潰されて一番下の者が身動きが取れなくなるという意味での不動性とでもいえよう。
ケプラーも宇宙を有限としたが、ケプラーの宇宙もピタゴラス学派の宇宙がそうであったように、やはり肯定性を帯びた宇宙であった。ケプラーにおいても、 彼は世界を神の表現、つまり三位一体を象徴しその構造の内に数学的な秩序と調和を具現したものと見ていたのである。コレイによれば彼は無限の宇宙、無限であるがゆえにまったく形のない宇宙を考えると、何かしらひそかな恐怖をともなって広大無辺なもののなかをさまよっているような気がしたのである。このケブラーの感覚はピタゴラス学派のト・アペイロンに対する感情に通じるものがあるといえよう。そして、物質宇宙の外に拡がる空間の存在を否定したことではパルメニデスに通じるが、パルメニデスにとってその有限な宇宙が一者として実在的・形而上学的存在として肯定的な物であったのに対して、ケプラーではあくまでそれは現象世界に属する物として肯定的な物であった。
コペルニクスの宇宙は閉じた球形であり、その意味で有限であったが、コペルニクス学徒のトマス・ディッグスの本の挿絵では、恒星がコペルニクスの球形の宇宙の外にも散らばっており、開かれた無限の宇宙として描かれているという。ディックスによれば、宇宙は不動の天であり、太陽をはるかに凌ぐ、無数の輝かしい光を持った至福の宮殿であり、神の創造物であるが同時に神の宮居でもある。ただ、コレイによるとディックスの宇宙では、太陽と惑星の世界と神や天使や聖者の住む天界との分離はそのまま温存されているという。それに対し、やはり宇宙を無限とし、コペルニクスの地動説を熱烈に唱導して地球中心の宇宙像の破壊に最も貢献したとされるブルーノにおいては、恒星の世界と太陽や惑星さらには地球の区別は無くなり、一つの無限の宇宙の中でそれらは肯定的な存在とされているといえるわけである。ギルバートもディックスの影響を受けていることは大いにあり得るとされ、宇宙は無限であったが、彼においては天体が神学的な天のなかにつかっているとは考えなかった。コレイによれば恒星天球はティコ・ブラーエの手で破壊されていたから、ギルバートはそれな無しですませることができたのである。
デカルトとヘンリ・モア
デカルトは延長と物質を同一化したが、延長については無限ではなくクザーヌスが宇宙に言ったと同じように無際限という言い方をした。デカルトとクザーヌスの違いは、クザーヌスにおいては無際限も神と同じ反対の一致という性質をもつものであったのにたいして、デカルトは無限という言葉を神だけ取っておくのであり、神には延長などないし、神は物質世界となんの共通点を持たなかった。コレイによればデカルトの神は純粋・無限の精神であり、己自身ノ原因となり自己自身の存在を自己に与えることができる神である。その無限自体も他に類のない非量的、非寸法的なもので、空間的延長はその似像でもないし象徴ですらなかった。デカルトの神は形而上学的無限の神といえよう。また、デカルトは神の全能を強調し、それが倫理学や数学の規則に制約されたり縛られたりしないとした。もっとも、デカルトは全能の神も、嘘をついたり欺いたりするような、それをすること自体完全性をそこなったり不完全性を含んだりするため、またはそのことが意味をなさないため、神にもなしえないことがあるとしたが、存在即肯定の外化という人間が作り出した神でさえ、肯定のためには存在することだけを条件とする以上、嘘をついたり欺いたりすることは何ら神を傷つけることではないのだから、実在する全能の神も自身の絶対的肯定性から、デカルトがなし得ないとすることも為すことが出来るであろう。もっともそうすると、デカルトの欺くことのない、われわれの明晰判明な観念の真実性を保証してくれる神という神観は成立しないことになるともいえる。デカルトにおいては神が明晰判明な観念の真実性を保証してくれるのであるから、矛盾を含むとわれわれにはっきりわかるものが実在することは、われわれの考え方に反するのみならず不可能なのであり、この世界には矛盾したものはないことになるが、そうするとデカルトにおいて神は矛盾・対立によって表現されることは無いし、源初の肯定性が矛盾・対立によって表現されるものであるとすれば、そもそも源初の肯定性など存在しないことになる。存在即肯定の外化としての神が嘘や欺くことを出来るのだから、実在する神も当然できるはずだということも、存在即肯定性が自己放棄と結びつく以上、それはあくまでも自己放棄と結びついて出てくる主張ともいえ、実在する神が嘘や欺くことが可能かどうかは自己放棄者を離れれば分からないことになるともいえる。ただ、実在する神が存在即肯定の外化の神ではないとすると、神は自己の肯定性について単に存在することだけではなくその他にも肯定性のための条件があるということになり、その条件とは何なのかという問題があることになるが、神が自己の肯定性のためにあれやこれやの条件を必要とするということは、神の絶対性からいえば神に相応しくないようにも思える。創造の情熱においては自己放棄は自己崩壊するのであるから、創造の情熱としての自我においては嘘や欺きを続けることは出来ないともいえ、その意味からは創造の情熱としての自我の立場からは、実在する神は嘘をつくことも欺くことも出来ないということになるかもしれない。しかし、それもまた人間を基準に神を考えているということには変わりはないから、神が人間と隔絶した存在であるなら結局その問題は分からないということになる。デカルトにおいても、この世界は、神が純粋な意志により創造したもので、そうする何かの理由が神にあったとしても、それは神自身にしか分からないのであり、それからいっても人間には実在する神が嘘をついたり欺いたりすることはあり得ないということは分からないことといえる。同様に、神が明晰判明な観念の真実性を保証してくれているかどうかも分からないことになる。
デカルトは神の無限と延長の無際限を区別したが、クザーヌスおいて無限と無際限は同一視できるものであったのに対して、デカルにおいては無限と無際限はまったく異なるものであった。コレイは デカルトがした無限と無際限の区別は、現実的無限と可能的無限という伝統的な区別と一致するかに見え、したがって、デカルトの世界も単に可能的に無限であるにすぎないかに見えるが、デカルトにおいて限界が見いだせないのは単に限界がないからということではなく、それらの事物に何ら限界をもっていないと思われるような特性を認めることがあっても、それは我々の悟性の欠陥からくるのであって、それらの事物の本性からくるものではなかったという。すなわち、デカルトにおいて延長が無際限とは、事物が限界をもっていても、我々にはそれらの限界が見出されえないだけだということにすぎなかった。もっともコレイは、空間の限界を考えられないということが、延長的な実体そのものの本性に対する洞察の結果ではなく、われわれの悟性の欠陥から来るものと理解さるべきであるなどとは認めがたいし、デカルト自身が本心からこの説を採用しえたなどとは、つまり、有限な世界を考えあるいは想像することが彼にできないという事実がこういう仕方で説明されうると彼が本当に考えたなどとは、ますますもって信じがたいという。何故なら、『哲学原理』の今少しあと、第三部の冒頭で、誤謬を避けるためには、「とりわけ二つのことが守られねばならぬ。その第一は、神の無限な力と善性とに注目するならば、神の働きをどれほど広大に、美しく、また絶対的に考えても、考えすぎるおそれはないということである。反対に、われわれにははっきり知ることのできない何らかの限界を神の働きの中に仮定することによって、創造主の力を十分偉大なものに感じていないと思われるようなことがないように注意せねばならない。」、「その第二は、われわれ自身をあまりにも高く買いかぶることのないよう、注意することである。理性によっても認識されず、神の啓示によっても知らされない何らかの限界をこの世界に設けようとすることは、神によって現に造られているものを超えてわれわれの思考の力がおよびうるかのように考えることであり、一つの思い上がりである。」とデカルトは語っているからであり、この文章は、我々の理性の制約は世界に限界を置くことに現れるのであって、この限界の存在をはっきり否定することに現れるのではない、と教えているかに見えるという。だから、デカルトには神の「無限」を世界の「無際限」と対比する立派な理由が現にあったけれども、これは神学者をなだめるためのまやかしの区別だというのが当時の一般的な通説だったといい、有名なケンブリッジ・プラトン派の哲学者でニュートンの友人だったヘンリ・モアが語ったのも、多かれ少なかれそのことなのである。
もしデカルトが延長の無際限性をクザーヌス的な意味で、即ち可能的無限的に使い、さらにその無際限性に神と共通する性質を認めるなら、デカルトにとって延長とは物質であったから、物質世界そのものが神性を帯びるということになるわけである。ただ、デカルトは神と延長即ち物質世界を厳格に区別し、物質世界に神性を認めなかったという意味で、未だ彼岸的理念の下に生きていたともいえる。ただ、その点についてはデカルトには曖昧な面もあったかもしれない。デカルトは人間を心身二元論的に捉えたが、心と身体はまったく分離している一方、心と身体との間に関係性もあるというデカルトの立場は当時の多くの人に理解困難なものであったようである。そして、人間は心を通じて神とも繋がっていた。コレイによれば、デカルトの神は、それまでの大方の神とは違い自己が創造した事物によって象徴されないし、神と世界のあいだにはなんの類似もない。唯一の例外はわれわれの魂であり、それは神つまり無限なものの観念をとらえられる知性と、意志つまり無限の自由をそなえているのである。人間の心と身体の間に関係性があるという面を取り上げれば、神と人間の心に関係性があることから、神と身体の間にも関係性があるともいえるわけである。ただ、神と身体の関係でいえば、デカルトにとって心と身体はまったく分離していたということになる。人間の心が真理に至る能力を持っているとしても、その物質に関する真理については、神と物質は完全に隔絶しているのであるから、その真理は人間を神に近づけるものではないし、神が源初の肯定性の表現であるとすれば、此岸的なものが人間に源初の肯定性をもたらすものではないということにもなる。物質世界の真理探究が人間の源初の肯定性獲得に結び付くには、デカルトと違う立場に立たなければならないともいえるわけであり、心身二元論でいえば、デカルトのように心身を厳格に分離するのではなく、心身の関係が曖昧になり、心がより身体に近づいていかなければならないであろう。そして、延長すなわち物質世界が無限であり、物質世界そのものが神と同じ性質をもつなら、物質世界内部で人間は源初の肯定性を獲得できるということにもなり、人間でいえば心は身体に融合していき、身体としての人間が源初の肯定性を手に入れることが出来るということにもなるわけである。
物質世界を無限と区別して無際限とすることに納得できなかったヘンリ・モアは、デカルトの言う無際限は無限ではないかとデカルトに執拗に迫った。モアにとっては世界は有限か無限かどちらかで、第三の道はなく、中間の無際限というものはなかったのであり、無際限とは無限のことでなければならなかったのである。モアは宇宙を無際限とするデカルトに納得できなかったが、同時に宇宙をまったくの物質世界とすることにも納得できなかった。宇宙は空間と物質からなっているのである。そして空間は空虚ではなく、ブルーノの無限の空間のようにエーテルで充たされているのでもなく、神に充たされているのであり、コレイによれば、モアにとって或る意味では空間が神そのものなのであった。空間が神そのものであるとすれば、空間はモアにとって無限でなければならなかったわけであり、デカルトの無際限は無限のことでなけれはならなかったわけである。そして、神が無限でいたるところに臨在することを認めるならば、その「いたるところ」とは無限の空間をしか意味しえないし、とすると、物質もいたるところにあるべきで、無限か有限かしかない以上、コレイによればモアにとって物質世界もまた無限でなければならないのである。モアにとって空間が神であったとすれば、空間の中でやはり無限に拡がる物質世界も、神とは言わないかもしれないが、神のような世界だったことになる。
それに対し、コレイによれば、デカルトにとってこの無際限を否定し無限を主張するモアは、延長の向うに、物体の延長よりも遠く拡がる神の延長なるものを想像しているように思われたのであり、デカルトは延長の世界の向うにある空間など、ありうるもの、想像しうるものとして認めたことはなかったし、世界がわれわれにはわからぬ限界を持っていたとしても、その向こうには何もないにきまっていた。コレイによれば、デカルトの宇宙論は有限な世界とも折り合いがつくものであり、世界の端に座って境の壁ごしに剣を突き出したらどうなるのかという問題は、抵抗するものはないのだから剣を突き出すことはたやすく見えるが、デカルトにおいてはそもそも剣を突き出せる場所はないはずだから それは不可能なのである。あるいは、コレイによれば、デカルトはモアに押されて、世界が有限だということ、つまり限られているという最初の立場から、世界が有限だということは私の考えに反すると言うことによって、最初の立場から若干動いたが、ただデカルトによれば世界が有限だということは矛盾を含むことによって有限性は否定されるとしても、それは意味のない矛盾だったのである。何故なら、世界の境から剣を突き出せるかという問いでいえば、確かにその外側に空間を考えざるをえないが、デカルトに言わせればその空間も正真正銘の物体であることに変わりがないから、剣を突き出した外側の空間を考えることは無意味なものなのである。
モアは宇宙の無限、空間と物質世界の無限を主張していたが、コレイによれば、あらゆる限界を排除するばかりか、多や分割や数をも排除する神の「内包的」な無限性と、多や分割や数を含み、かつそれを前提とする空間や級数の単なる果てしなさ、限りなさの区別(すなわち形而上学的無限と数学的無限の区別)を、モアも少なくとも完全には否定していなかったという。そういう意味では、空間が神であるというのも割り引いて考えなければならないであろうし、ましてや物質世界が神のようだということは、さらに割り引いて受け取るべきであろう。ただ、神の無限即ち形而上学的無限と無際限という数学的無限の区別はニコラウス・クザーヌスやブルーノも主張していたとすれば、彼らのようにモアにとっても、空間や物質的世界は神のような肯定的世界であった事には変わりはなかったともいえるのではないだろうか。コレイによれば、モアはデカルトの機械論を部分的に受け容れつつも、デカルトにとって機械論の形而上学的な背景、土台をなしていた精神と物質との根元的な二元論を拒否したというから、空間と物質世界も厳格に分離したものではなく、それはある意味融合する物でもあったともいえ、そうすると空間にいえる事は物質世界にもいえるということにもなる。もっとも、コレイによれば、魂や天使、いや神にまで延長を与えようとしているモアは、デカルトから見ると、精神と延長の本質的な対立という自分の大発見を明らかに会得していないのである。
モアのこの空間と物質世界の無限性は、少なくとも物質世界については後退していったようである。コレイによれば、モアは空間つまり神の延長が無限であることは疑いないが、物質世界はもしかすると有限かもしれないと、時には彼自身疑惑にさいなまれているように見えるという。モアはますます無限の空間の非物質性を明確に主張するようになったし、若い頃、世界の無限という説にあれほど感激し熱狂したモアも、その後しだいに反対の態度を固めていき、無限の空間のなかに有限な世界があるという「ストア派的」な考え方にできれば戻り、少なくとも半デカルト派に合流して、物質世界の無限化を斥けたいと思ったらしいという。モアは今や、デカルトがした世界の無際限と神の無限との区別を賛意をこめて引くまでになったが、それは世界の現実的な有限性と空間の無限性との対比を意味するものとしてであった。モアのこの後退は、その文脈からいえば物質世界の源初の肯定性に対する疑念が生じてきたということであろう。デカルトに対してモアはある意味物質世界の源初の肯定性を直接的に主張したのだともいえるが、そう主張すればするほど、源初の肯定性は幻想なのであるから、その幻想性と直面し、幻想の自己崩壊性の中でその主張を後退させざるを得ないともいえるわけである。モアにおいて空間の無限性すなちわその神性はますます確固たる信念になっていったが、空間と物質世界の違いもますます拡大し、絶対的な違いに近づいていったといえる。モアにとって延長の実体は空間であって、デカルトのように物質ではなかった。モアは物質と空間を切り離し、空間を神が自己の世界を創造し維持する機関にまで高めたが、その結果物質的世界とは有限の世界ということになったのである。無限からますます離れ、有限にさえなったモアの物質世界は、源初の肯定性が無限と結びつくとするなら、そしてモアが宇宙の無限性に熱狂したのがそれがまた此岸的存在である宇宙の源初の肯定性を意味することであったとすると、モアにとって物質世界はもはや源初の肯定性との結びつきを失っていったともいえるであろう。しかし、空間の無限性が維持されることは、かろうじて宇宙の存在即肯定性が維持されるともいえる。ただ、モアにおいて空間は、いわば此岸的理念における基本理念に対する中心理念的な位置にあったともいえるが、中心理念が基本理念を実現するものだとすれば、空間と物質世界が空間から切り離されればされるほど、空間は物質世界を源初の肯定性の世界にする力とは無縁なものになっていくわけである。
引用・参考文献
『進歩の思想』 シドニー・ポラード
『ルネサンスの思想』 パウル・オスカー・クリステラー
『近代科学の源流』 伊東俊太郎
『魔術の復権』 澤井繁男
『中世における個人と社会』 ウォルタ・ウルマン
『科学史の逆遠近法』 村上陽一郎
『進歩とユートピア』 E・R・トッズ、M・ギンズバーグ、A・O・オルドリッジ、J・パスモア、R・L・エマソン 「人間の完成可能性」 ジョン・パスモア
『ルネサンスの思想家たち』 野田又夫
『千年王国の追求』 ノーマン・コーン
『西ヨーロッパ世界の形成』 佐藤彰一、池上俊一
『失楽園』 ジョン・ミルトン
『コスモスの崩壊』 アレクサンドル・コレイ
『無限』 A・W・ムーア
『数の概念について』 G・ペアノ
『ゲーデルの世界』 廣瀬健・横田一正
『数と連続の哲学』 白石早出雄
『科学の社会史』 古川安
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第一項 進歩主義
此岸的中心理念はその前の彼岸的理念の否定と、此岸的基本理念即ち源初の肯定性の希求・実現という二つの要素を持たなければならない。進歩主義が此岸的中心理念になるためには、単にある部門における進歩だけでなく、生活全体、社会全体、あるいは人間存在そのもの進歩だけでも駄目で、進歩の観念にその二つの要素をつけ加えなければならないわけである。さらにいえば、此岸的中心理念は此岸的基本理念の幻想性とそれがもたらす自己崩壊性への対策でもあるのであるから、そこには中心理念と基本理念の間に矛盾・対立性があるということでもあり、中心理念においては直接的な基本理念の実現は否定されているということである。十八世紀の進歩主義が此岸的基本理念即ち源初の肯定性の希求であったことは、神は源初の肯定性の表現でもあり、コンドルセ以前に進歩史観の最初の本格的な祖述者とされるテュルゴーにおいては、進歩は神と結びつけて考えられていたことからいえるかもしれない。彼において進歩は神の摂理と密接に結びついており、神の摂理の御手はある法則にしたがって人類史に介入しているのである。ただ、テュルゴーにおける、個々の人間の意識や意図がどうあろうと、また反社会的な情熱が暫時どのように発揮されようと、それらが因となり果となりあって、かならず全人類の完全可能性が現実化する方向へ作用するという確信は、摂理の神の目的論を彼が信じていることを前提にしてはじめて了解されるような性質のものであり、人間史の必然的進歩を主張しえた論理的根拠は、全知全能の善なる神の「合目的性」、つまり絶対神の目的論を信じるという一点を除けば、まるで無根拠に等しいものであったとされるが、進歩が源初の肯定性をもたらすということ自体が幻想であるから必然的進歩の論理的根拠として絶対神の目点論しかないということは重要なことではなく、ここで重要なことは進歩が神と結びついているということなのである。また、進歩が反社会的な情熱までが、それを発揮する諸個人の意図とは無関係に、結果として社会を進歩させる方向へ帰結を引き出してゆくという考え方は、カントの「社会的非社会性」という言葉にも見られるともいわれるが、存在即肯定を考えれば、反社会的なものが肯定をもたらさないということではいから、裏を返せれは反社会的な情熱も社会を進歩させるという言い方になっていくであろう。また、存在のみを条件とする存在即肯定においては、存在者にとって肯定性は自動的なものといえるが、その自動性は進歩においては進歩の必然性ということになるであろう。コンドルセにとって世界は発見しうる自然の法則によって支配されているのであり、そのうちの一つが進歩の不可避性であった。
中心理念としての進歩主義はキリスト教を否定しなければならないから、テュルゴーの問題点は、彼の神がキリスト教の神であるということであろう。進歩主義における源初の肯定性の表現としては神はあまり相応しいものとはいえないわけである。源初の肯定性の表現としては神の他に楽園もあった。ベーコンにとって科学的進歩は人間が失った楽園を再び取り戻すことであったが、コンドルセにおいても人類は自らの力で神の手で失われた楽園を地上に再建しようとしているのであり、啓蒙主義とその政治的な具体化であるアメリカ建国およびフランス大革命こそは、来るべき「救いの日」を予見させるものであり、神聖なる人類史というキリスト教的な歴史観が、その構造だけを残しつつ、人間の理性による、人間の手による「救済」という、完全に世俗的な進歩史観と置き代わったといわれる。プリーストリは神が人間の幸福を意図したことを確信していたが、進歩の原動力は科学であって、この世のはじまりがなんであろうと、その終りは栄光にみちた楽園であった。
十八世紀の進歩主義者にとって、進歩は完成可能性と結びついていた。形而上学的無限における完全性は、進歩においては完成となるであろう。進歩主義における完成可能性もある種の源初の肯定性の表現なのだといえる。ディドロは個々の人間の完成可能性を確信していたし、ルソーにとっても人類の進歩は人間の完成可能性と結びついていた。ゴドウィンにとっても、人間は完全になることができたが、それは永久の改良、進歩によってであった。百科全書の序文でダランベールは、ベーコン、デカルト、ニュートン、ロックという流れに、近代の輝かしい理性の勝利を見ているが、ヴォルテールやダランベールはニュートン以上に「生得観念の否定」、「感覚一元論」的ロックの「認識論」を評価していたともいわれる。ロックは生得的な原罪と堕落を取り除き、人間は性質の柔軟さで、人間を取り巻く調和的な自然の世界と調和するように仕向けられうるという観念を提示し、悪は神によって認められ、自然な存在であるという問題も、世界はまだ仕上がっていないが完成され得るという思想によって解決されたのである。
第二項 科学と魔術
フランスの百科全書の第一巻の扉絵では、一番上の中央に光に包まれながらベールに半分被われた真理の女神が立っている。その左手側から冠を戴く理性が真理の女神を被うベールを取り去ろうとし、理性の下には幾何学、天文学、物理学が並んでおり、その下では記憶、古代史、近代史が時間に助けられて記録をつけており、時間とともに真理のベールが剥がされていくという進歩の観念が示されている。その下には諸学があり、下端では職人たちがそれらを見上げている。また、真理の女神の右手側からは想像力が花冠を差し出しており、想像力の足許にはいろいろなジャンルの詩がある。キリスト教の伝統的な構図では、真理の女神の立っている場所には、神あるいはキリストが描かれているであろう。真理が神やキリストに替わっているのであり、それはキリスト教の否定であると同時に、真理が源初の肯定性の表現としての神を引き継いだことを示している。その扉絵は此岸的中心理念としての進歩主義を象徴的に描いているのだといえよう。そして、進歩の推進力として進歩主義の中心にあるのは理性と科学であり、その科学の力を彼らは万有引力の法則を発見したニュートンに見たわけである。ダランベールにとってニュートン評価の最大の力点は、万有引力の論証にあり、また力学法則によって、惑星運動を完全に説明する道を用意したことにあった。ダランベールの『動力学論考』は、その後のラグランジュ、ラプラスに到る一連の解析的、力学的な世界観の展開への第一歩であったといわれ、物理学の基本法則が、学問の最も基底に存在し、そこから、諸法則が、演繹的に導出される、という世界観において、ニュートン力学がまさしく、その基底的かつ根源的な役割を果たしていると信じられていくことになったのである。また同時に詩が描かれているということは、百科全書派にとって進歩とは芸術をも含んだ人間全般の進歩であることを示している。
ただ、その百科全書の扉絵には問題もある。そこで描かれているのは真理であるが、真理そのものは必ずしも源初の肯定性と結びつくものではない。単に何かについて正しいか間違っているかということだけでは、正しいことはそのまま源初の肯定性と結びつくということにはならないのである。その何かが源初の肯定性と関係するものであることが必要であり、すなわち百科全書の扉絵でいえば、科学における真理が源初の肯定性と結びつくには、科学が源初の肯定性と結びつけられていなければならないのである。
科学と源初の肯定性の結びつけるものとして魔術と無限の宇宙が考えられる。村上陽一郎によれば、アウグスティヌスは、『ソクラステの神々について』の著者であるアプレイウスを直接の批判の対象にしたが、魔術が自然探求において、神と繋がる神聖な業であり、術であるという発想が、アプレイウスの基本的な了解であり、実をいうと、中世から近代において、魔術が展開される文脈、そして、あえてさらに付け加えれば、科学が展開される文脈は、根本的には、まさしくその発想の中にあったという。エリザベス朝時代に勃興しつつあったイギリスの「科学」とは、イタリアにおけるネオプラトニズム主義的、ヘルメス主義的な占星術、錬金術、魔術などと一体化していた「科学」と同じであったが、十七世紀は非科学的要素、魔術的ヘルメス主義的な要素を整理し、それらを剥ぎ落とし行くための時代としてではなく、むしろ融合の時代として捉えることができ、そのことはコペルニクス、ケプラー、ブルーノ(場合によってはガリレオ)、ハーヴィ、そしてニュートンらが、占星術や錬金術や、今日の眼から見れば極めて非科学的に見える神秘主義的シンボリズムなどに没頭していたこと、そして、そうした姿勢のなかから、近代科学の成果が生まれてきた、という事実を、これまでのようにいやいや認めるのではなく、当然のこととして受け取ることができるようになるのではないかとする。
此岸的中心理念はその前の彼岸的理念の否定と、此岸的理念即ち源初の肯定性の希求・実現という二つの要素を持たなければならなかった。科学は魔術を通して源初の肯定性すなわち此岸的基本理念と結びつくが、彼岸的中心理念としてのキリスト教の否定については、魔術自身がキリスト教とは対立関係にあった。基本的にキリスト教は魔術を否定していたし、魔術の人間は神である、あるいは神に成れるという主張は、彼岸的中心理念であるキリスト教と正面から衝突するであろう。また、魔術における神は基本的にキリスト教の神ではなく異教的な神であり、その意味でもキリスト教と対立するものであった。一方、此岸的中心理念と此岸的基本理念の関係でいえば、魔術は基本理念的すぎて魔術がそのまま中心理念となることは難しかったといえよう。魔術そのものには、「人間は神である」のか「魔術を通じて神になる」のかについては曖昧なところもある。人間は神であるから魔術が可能であるともいえるし、魔術を通じて人間は神に成ることが出来ると主張しているようにも見えるからである。ただ、魔術によって神に成るのだとしても、それは徐々に神性を増して神になっていくというより、突発的な出来事であり、ある瞬間に一瞬の飛躍で神に成るのだといえる。それはある意味基本理念的であるといえよう。何故なら、一瞬の飛躍性と切迫性はそれぞれ、一瞬の飛躍性は限りなく少ない肯定化への条件ということに通じ、それは存在のみを条件とする存在即肯定に限りなく近いといえるし、切迫性は存在即肯定は今この瞬間に肯定的ということであるが、肯定化の切迫性はそれがすぐ起これば起こるほど限りなく存在即肯定に近いからである。魔術を人間を神にする術と考えても、それは基本理念的すぎたのであり、その幻想性が露呈しやすいものであったわけである。
科学が魔術と密接な関係があるとしても、科学が中心理念的なものになるためには基本理念的世界に属する魔術とは別のものとして区別する必要があるともいえる。十六から十七世紀にかけては科学革命の時代だともいわれ、その時代にあって、フランシス・ベーコンは魔術を否定して科学的立場というものを確立したとされている。彼は自然研究の目標が人間の技術的自然支配であると考え、伝統文化の非生産性と技術の進歩的本質を対比し、技術はつねに努力し、進歩し、人間の要求に敏感でなければならないとして、彼に続く科学者に目標とその為の方法を与えたのである。啓蒙主義者たちにとって、ベーコンは神学の支配する闇の時代に光明を準備した人々の筆頭であった。
ベーコンの自然に対する基本姿勢は、主体(人間)―客体(自然)の分離と、そのような人間と自然との関係における自然支配、自然改造とされるが、それらはキリスト教における人間と自然の関係と同じであって、キリスト教おいては、人間だけが神に似せてつくられた特別の被造物であり、その他の被造物(自然)は神が人間のために与えたものとされる。したがって、人間は自然の一部というよりも、自然から独立した存在であった。ベーコンによればこの人間の特別な地位は、人間が神から自然の支配権を与えられたということであり、また同時に、人間が他の被造物を客観的に調べて、研究の対象にするという、主体(人間)と客体(自然)の分離が可能となる。そして、神の綿密な計画のもとにつくられたこの世界には一定不変の秩序、法則が賦与されているのであり、特別の地位を与えられた人間だけが、世界を調べてその法則を見出すことができる。そしてそれは創造主の存在の必然性を明らかにし、神の計画の偉大さの認識を深めることであった。ベーコンにおける科学論の基礎に在るのはキリスト教的自然観であったとされるわけである。
ただ、ベーコンの自然観にはキリスト教には収まらない部分もあった。ベイコンは魔術を批判して近代的科学観の基礎を築いたとされるが、若い頃にはルネサンス魔術思想から強い感化をうけており、パオロ・ロッシは歴史家がそれまで無視してきたルネサンスの魔術とベイコンとの深いかかかわりを明らかにしたとされる。ルネサンス魔術思想から、彼は自然の技術的支配の観念、すなわち自然の力を知ることにより世界を支配する技術を獲得しようとする観念を汲み取り、それをキリスト教的世界観に組み入れて新しい科学観・自然観に転換したとされわけであるが、その際、ベーコンから魔術的要素が完全に払拭されたわけでもない。ロッシによれば、ルネサンスの「生気論」はその根底によこたわる魔術的理念を承認する第一歩であり、ベーコン研究家の直面する主要な困難の一つは、ベーコン自然学における機械論的にしてまた力本説的、生気論的実在概念の存在ということであったし、ベーコンの機械的技術の評価と、科学の概念は、ルネサンスの魔術的、錬金術的伝統に対する彼の態度という光のもとで考えなければならないのであり、彼は魔術を認めたりまた同時に否定したりしたのである。ベーコンが魔術から自然の技術的支配という観念を取り入れた際、その場合の魔術とは自然魔術であった。ロッシによれば、ベーコンはアグリッパを読んで考えをめぐらしたのであり、魔術の奇跡とは、聖者の奇跡とか、自然法則の違反のようなものではなくて、自然力の発展の結果であることをあきらかに示しているアグリッパの自然的魔術の定義と、技術とは忠実に自然の足跡にしたがうものであって、人間的限界をもつ人間的技術であるから、奇蹟は不可能であるという、ベーコンの技術概念には親近性があるのである。
ロッシによれば、ベーコンは魔術から自然の下僕としてその操作を援助し、ひそかに巧妙に、人間の支配に服せしめるという科学の観念、そしてまた力としての知識の観念を借りたのであり、ベーコンと魔術には自然の支配という共通点があったわけであるが、しかしベーコンから見ると自然を支配するための魔術の方法には問題があった。魔術者の多くが実験の重要性を強調したが、その成果を個人的努力の結果、例外的な天才の特権、啓示をうけた者の秘密の共同作業に求めたのであり、魔術における目的を達成するための工夫と方法は、理論においても実際においても、誤りと徒労だらけなのである。さらに、魔術が学問を人類のためでなく個人の野心を満たすことを目的とすることも問題であった。魔術者は彼らの成果に偽装をあたえて、奇跡的なものにみせようとするのであり、それに対し科学とは自然の事物を飾りたてたり、誇張したりして示すことなく、純粋にありのままにこれを示して、ものめずらしさをてらうようなこはしてはならないのである。ロッシによれば、ベーコンの魔術的、錬金術的伝統に対する留保と非難は、この一点にのみかかっているのであり、ベーコンにとって科学研究の目的は、名声を得ることや、奇跡をつくりだすことではなく、人間存在の諸条件を改造することであって、これは、共同研究、適切な研究所の設立、研究成果の簡潔正確な用語での公表によってのみ可能となることであった。ただ村上陽一郎によると、ベーコンの共同研究とアグリッパの個人的で秘密主義的研究を対比するロッシの主張は一面的で、『隠秘哲学』におけるアグリッパの雄弁と懇切丁寧な語法とは、彼が「隠秘的」な知識をごく限られた人間の特殊な知識として隠しておく意図のなかったことを示していると言えるかもしれないという。
ベーコンにとって自分の科学と自然魔術との違いは、その方法論の違いの一点であったロッシは言うが、単に手段の違いというだけでなく、ベーコンの科学と自然魔術との間には自然の支配という共通項があったが、その自然の支配を通じて達成する、その目的ともいえる部分においても大きな違いがあるかもしれないのである。ロッシによれば、ベーコンにおいて「自然の要約的法則」を理解することはたぶん人間の能力を超えているとされたのであるが、それは自然の探究を通して人間が神になれないということでもあろう。自然魔術もアグリッパによれば、自然的、天体的事物の力を熟慮し、その秩序を注意ぶかく研究することによって自然の秘かな隠れた力を知るようにするものであるが、ただそれは自然から帰結し、それと調和しているから、魔術の作用が自然を超越するとか、対立するとか思う人は間違っているとされる。しかし、自然魔術はカンパネッラにみられるように人間を神と同格あるいはそれ以上のものにするものであった。『隠秘哲学』におけるアグリッパについても、魔術を、宇宙の理解に到らしめてくれる媒介として把握したのみならず、神についての理解をも可能にしてくれる媒介として、二重の意味で把握していたことは明らかであり、それはまた人間が宇宙に対して神のようにその権能を揮うことを許すものとして理解されていたことにも明らかであるとして、村上陽一郎は「よく考えてみると、このような理論は完全な異端を示している。なるほど最終的には神の全能性は否定されてはいない。しかしながら人間の全能性がそれに等置されているのである。」というミュラー=ヤーケンの言葉を引用する。『エメラルド板』から魔術の根底は人間を神と見なすことであるとしたが、それはアグリッパにもいえるわけである。
しかし、ベーコンが魔術的目的とはまったく無縁だったともいえないのである。勿論、ベーコンは直接神に成ろうなどとは考えてはいなかったかもしれない。しかし、原初の肯定性を人間に再現しようとは考えていたともいえる。ベーコンによれば、アダムは楽園喪失により人類に与えられるべき被造物の世界に対する支配権を失ったが、それでも人間が努力すればその支配権を取り戻して自然界を活用することができるのであり、そして人間による自然支配が救済と、原罪の贖いの道なのである。ロッシによれば、ベーコンの基本的著作に与えた「大革新(インスタウラチオ・マグナ)」という表題そのものが、イナスタウラチオは、再生、くりかえし、復興の意であり、過去の再生に対する欲求を示しているのである。再発掘されるべきものは、遥かなほとんど忘却された知恵と至福の時代であり、彼の改造というのは、人間の原罪を贖い、すべての被造物に対する原罪以前の支配力を回復するということであり、ロッシはここでデカルトからの一節を思い起こすことは適切なことであろうという。そこには、粗野で単純な原始人類の真にして確固たる知恵への信念、この真の知恵からの「堕落」、この知恵が抑圧され、隠蔽されたこと、フランシス・ベーコンのように、その復活をはかった人たちに対する尊敬、といったことが表明されているのである。
ただベーコンによれば、人間の知性は、神の秘跡と、自然の究極的法則をきわめることは決してできないとされ、これらは啓示と信仰の事柄であったが、しかし科学がキリスト教から離れ、キリスト教から独立した時、自然の支配とは楽園の回復であり、それは神に成るということになるのではないだろうか。ベーコンが魔術を非難したのはその方法論やその個人的目的であったというロッシの言葉に戻るなら、若い頃ベーコンが魔術に感化を受けていたとすれば、ベーコンはその科学的方法でもって、魔術が目指した目的、源初の肯定性を実現しようとしたものだったかもしれないわけである。ベーコンにおいて原子の運動はなにかの原因から生みだされたのではなく、神につづいて、「諸原因の原因、それ自体は無原因」であった。原子が神と同じ無限因とされることは、神の被造物である限り原因としての神を持つことであるから、神の被造物であることを否定しているともいえるわけであり、ある意味原子は神と同格の存在ということになる。ということは、ベーコンは「自然の要約的法則」を理解することは人間にはできないとしているが、もし人間が「自然の要約的法則」を理解することができるとすれば、自然の探究を通じて人間が神と同格の存在になることもできるかもしれないということにもなるわけである。
ベーコンにとって、工芸や機械的技術は人類にとって無限の価値をもつものであった。ベーコンにとって、人間はあらゆる被造物のうちもっとも複雑であって、古代人によって正しくも「小宇宙」とよばれている存在であり、人間能力の特別の富は、疑いもなく人間の無限の複雑さから由来している。この人間の無限の複雑性は、無限は神の特性なのであるから、ベーコンにとってもはや人間が単なる被造物ではないことを意味してるのではないだろうか。またベーコンにとって自然の制御と探求における発見はいわば一つの新しい「創造」であり、「神の御業の模倣」であるというから、工芸や機械的技術が無限の価値を持つということは、それは『エメラルド板』の唯一者の創造と同じく、人間を神とするということなのではないだろうか。ただ、ベーコンと魔術の違いは、魔術が人間は神である、あるいは突発的な一瞬の技で一挙に神に成ろうとするのにたいして、ベーコンは進歩によってそれを実現しようとするところにあるといえる。ただ、ベーコンも一挙になされる変化といったものと無縁ではなかった。シドニー・ホラードによれば「ベーコンさえも、社会的進歩そのものを信じてはいなかった。そしておそらく、かれもまた、宇宙の科学的秘密をきっぱりと暴露するような一つの最終発見を期待していたので、一回かぎりの立法制定者が理想社会をつくりあげることを、プラトンとおなじくねがっていた。」のである。またロッシによれば、 ベーコンの全展望は、人類史における新時代がいまや足下に来ているという信念にもとづいていたのであり、公共的、民主的、共同研究的性格をもつも科学によって人類が楽園の回復へと向かう新しい時代の到来は、ベーコンにとって今や切迫していたのである。
第三項 科学と無限の宇宙
宇宙は科学の研究対象であるし、コペルニクスの地動説が科学革命の端緒となったことからいっても科学はそもそも宇宙と深く関係していたし、科学の頂点ともいえるニュートンの万有引力の法則はケプラーの法則との関係からいっても宇宙と結びつくものであったし、また絶対空間と密接不可分なものという意味でも宇宙と深く関係していた。その宇宙が、無限の宇宙として源初の肯定性と結びつくなら、その宇宙を研究対象とする科学も源初の肯定性と関係することになる。
宇宙はクザーヌスやブルーノによって無限の宇宙となったが、コペルニクス・ケプラー・デカルトにおいては有限なものであり、ヘンリー・モアも無限の宇宙から有限の宇宙へと立場を変えていった。しかし、ニュートンとライプニッツにおいて宇宙は再び無限の宇宙となっていく。ただ、ライプニッツにとって無限の宇宙とはデカルトと同じように物質からなるのに対して、ニュートンにおいては宇宙は物質と絶対空間からなり、絶対空間を巡って両者は論争を繰り広げるわけである。ニュートンにとって無限の宇宙とは基本的に物質の拡がりではなく絶対空間のことであった。もっとも、ニュートンにとって物質的宇宙の広がりが有限であったかというと、曖昧でもある。ニュートンの代理人としてライプニッツと論争したクラークは、物質的宇宙については有限かもしれない、たぶん有限だろうという信念を持っていたという。空間内でこれほど小さな部分しか占めぬ物質がどうして無限なのか、むしろ逆に、神はこの世界を創造した際の目的を達するために必要なだけの一定量の物質を創ったと認めるべきと思われたのである。しかし、ニュートン自身は物質的宇宙が必ずしも有限ではない考えていたとコレイはいい、相互引力により物質が全部世界の中心に集まらないのは、神が恒星が自分の場所から離れるのを防ぎ、それを静止状態に保つからだとしたリチャード・ベントリに対して、ニュートンは、君の論理は世界が有限であることを含意しているが、世界が無限かもしれないことを拒否するいわれはないと諭したという。
宇宙が無限であり物質からなっていることは、コレイによればライプニッツにとって同じ理由から導き出されるのであり、ライプニッツの神は、自己の最高の知恵に従って、絶対的に最良の宇宙であると自分が間違いなく認識したものを実現する神であり、そして、物質が多いということは、神が知恵の力を発揮する機会もそれだけ多いということだから、空間はどこでも物質で充たされていなければならないし、宇宙は物質に充たされているだけでなく無限でなければならないのである。コレイによれば、ライプニッツの神は同時にこの上なく合理的な存在であり、最大限の完全性と充実を生みだすためにしか行動できないのであり、したがってこの神は有限な宇宙を作ることも、世界の内側ないし外側に空虚な空間を許容することもできなかったのである。宇宙と世界は神の展開であり、神が無限である以上宇宙も無限でなければならないと考えたクザーヌスと同じような理由で、ライプニッツは宇宙を無限としたのであり、ブルーノの神が無限の世界を創った、創るほかなかったのと同じように、ライプニッツの神も無限の宇宙を創るしかなかったのである。その無限性とは神がなしえた最大限の完全性の現れを意味しており、クザーヌスと同じように宇宙は神と同質の肯定性を持っていた。クザーヌスやブルーノにおけると同じように、宇宙の無限、無限の宇宙はライプニッツにおいて我々の世界が肯定的世界であることを意味したといえよう。さらに言えば、ライプニッツにとって神が創造した宇宙は、神の如き完全性ではなかったかもしれないが、神の創造した宇宙はコペルニクスと同様、ある意味で完全だったのである。デカルトにおいて人間が心身に分離し、両者の間に隔絶があるように、デカルトの物質のみからなる宇宙と神もまた隔絶したものであったとすれば、ライプニッツの物質のみからなる宇宙はそうではなかった。そういう意味では、ヘンリ・モアの宇宙と同じであった。ただ、ヘンリ・モアにおいて神が充満していたのが物質世界ではなく空間であったのに対して、ライプニッツでは神が充満しているのは物質世界そのものであり、物質世界が神の如き存在だったのである。その意味ではライプニッツの無限の宇宙はより此岸的なものといえるが、その肯定性が神と結びついているという点では彼岸的なものであった。
一方、ニュートンが絶対空間を必要としたのは彼の物理学から来ているともいえる。ニュートンにとって物質の絶対運動は絶対空間に対する運動であり、その数学的法則にとっては絶対空間が座標軸を与えるものであった。絶対空間はユークリッド空間でもあったのである。宇宙は無限であり物質によって充たされているというライプニッツの形而上学からきた主張は、同時にニュートンの物理学の否定ということになってしまうわけである。それに対して、ニュートンからみれば、もし宇宙が物質で充たされていたとするなら、そもそも運動というものが不可能であった。物質が動きまわれる空間が必要なのである。そして、ニュートンの絶対空間は、物質と区別されどちらかといえば神に属するという意味では彼岸的なものであった。コレイによれば、クラークにとって、無限で永遠の世界は創造など許容しがたいし、創られるまでもなく、この無限性自体によって存在するのであるが、それは絶対空間が神の一部になることによって神による創造の対象から外れるということであって、神が絶対空間から排除されるということではなかった。ニュートンの絶対空間は単なる神の被造物ではなく、それは神に属する物であり、神は自己の内に在る空間を通じて物質世界に介入するのである。コレイによれば、慎重なニュートンは引力の原因についての解答を自分では言わず、読者に残しておいたが、その答えとは、重力をひき起こす動因が物質的なものではありえないこと、霊体でなければなないこと、つまりヘンリ・モアが言う自然の霊か、もっと端的に神であった。
第四項 聖俗革命
村上陽一郎によれば十六世紀末から十七世紀へかけてのヨーロッパ大陸の錬金術は、あらゆる要素の融合が目指されており、この時代がとりわけ錬金術の世界において、スコラ学と新プラトン主義ないしヘルメス主義の伝統の間の衝突、軋轢を乗り超えて、完全な綜合の段階に入っていたということができ、そして十七世紀はその融合の完結の時代だという。それに対して十八世紀は、村上陽一郎によれば科学に「神の棚上げ現象」が起こった聖俗革命の時代であり、その過程で「神―自然―人間」の構造が崩壊し、「自然―人間」の構造に置き代わっていったといい、「聖俗革命」とは「全知の存在者の心の中に」ある真理という考え方から、「人間の心の中に」ある真理という考え方への転換であり、「信仰」から「理性」へ、「教会」から「実験室」への転換であり、真理の聖俗革命、真理の世俗化、知識の世俗化であった。「聖俗革命」には二つの段階があり、第一段階は、知識を共有する人間の側の世俗化がそれであり、神の恩寵に照らされた人間だけが知識を担い得るという原理から、すべての人間が等しく知識を担い得るという原理への転換であり、フランシス・ベーコンにその最も典型的な発想を見ることができるという。そして、「神―自然―人間」の構造が崩壊し、「自然―人間」の構造に置き代わっていったのが第二段階段階であり、村上陽一郎のいう神の棚上げ現象としての「聖俗革命」はこの第二段階で起こったことといえる。ルネサンス期の人間が此岸的理念としての源初の肯定性を求めだしており、そして「聖俗革命」はキリスト教からの自立化であり、さらにはキリスト教の否定であったとすれば、この十八世紀に進歩主義という此岸的中心理念が創出されたといえるわけである。
この聖俗革命の触媒の役割を果たしたのが理神論といえる。理神論では、もはやヤハウェという人格神は認めなかったかもしれないが、自然の知の神聖さを否定することはできないかった)。また、神は創造という仕事をした後には、何の仕事も残っていなかった。自然の創造には神は必要であったが、一度創造されしまえば自然に取って神は居ても居なくてもいい存在であり、自然は全能の神が創り出したものではあるが、自然の知の神聖視は、自然=神という考えへの契機となっていくのである。同時にそれは、キリスト教との対立を作り出していく。自然と神とが一致するという考え方の「危険」は、それが、自然の秩序の外に、神が出られないことを論理的に導くからであり、神の全能性に対する制限となるからであるとされるが、それがさらに神の廃棄、無神論への傾向をもっているとすると、よりキリスト教にとっては否定しなければならないものということになるであろう。一方では、進歩主義を此岸的中心理念として創出しようとする動きはキリスト教否定と結びつかざるをえないから、理神論から無神論へ、「神―自然―人間」という構造から「自然―人間」という構造への変化は必然ではないかもしれないが、起こり得ることであった。
無限の宇宙も無神論への契機を孕むものであった。魔術も無限の宇宙も共に科学が源初の肯定性と結びつく契機となるものであったが、魔術の神がキリスト教から見れば否定されるべき神であったのに対して、無限の宇宙と結びつく神はニュートンにおいてもライプニッツにおいてもキリスト教の神であり、その意味では無限の宇宙とキリスト教が対立すべき理由は無いともいえる。ただ、魔術がその源初の肯定性を表現するとき神を必要としたのに対して、無限の宇宙は無限そのものが源初の肯定性の表現となるので、神との結びつきは必ずしも必要なものではなかった。ルネサンス期の人間か魔術に留まる限りにおいて、キリスト教との対立はそれぞれの神を巡る戦にしかならなかったかもしれないが、無限の宇宙を対象とする科学は、無神論的なものになる要素がその中にあり、無神論としてキリスト教と対する可能性を持っていたわけである。
さらに興味深いことは、ニュートン派とライプニッツはそれぞれ自分こそ神を擁護する者であるとして、神の性格を巡って対立したが、その対立はそれぞれの神が此岸的な性格を持つこと、あるいは無神論に通じる神であることを浮き彫りにしていったのである。ニュートンの神は絶えず物質世界に介入して、宇宙の維持を図る神であった。ニュートンには、物理的に宇宙を動かす力はほおっておけば減退して最後には消滅するように思われたのであり、それ故、神は絶えず宇宙に働きかけ、運動と宇宙を維持しなければならないのである。そして、その介入は絶対空間を通して行われるのであり、ニュートンの神は宇宙の一部である絶対空間を被造物ではなく自己内部のその属性とするという点で、キリスト教の彼岸的な神に対してより此岸的な神なのである。さらに、ライプニッツに言わせれば、神が不完全な宇宙を創造したということであり、そのような神は神とはいえない存在であった。ライプニッツにとって神はそれ以上の完全性は不可能な完全性として宇宙を創造したのであり、神が絶えず介入しなくてもいいように、神は立派な対策を講ずることが出来たし、したのである。ライプニッツによれば、ニュートンの神は時々その時計を巻き直す必要があり、それをしないと時計の動きが止まってしまうというが、それでは神は時計に恒久的運動を与えるだけの洞察を持ち合わせていなかったことになり、それに対して自分においては、この機械には何時でも同一の力と作用が存続し、その力と作用は自然の法則と予定された美しい秩序に従ってただ物質から物資へと移って行くのである。
ライプニッツから見ればこの絶えず宇宙に介入する神は不完全な神ばかりでなく、絶対空間を神と一体視するようなニュートンの考えは、ライプニッツには矛盾しているように思えた。ライプニッツにとって神とは、伝統的な考えと同じく形而上学的無限であり、その考えからいえば、神は一者であり、部分を持たないものである。しかし、絶対空間が数学的法則の座標軸となるということは、部分を持つということである。そのような部分を持つ絶対空間が被造物ではなく、神の内に在り神と同じ性質を持つということは、ライプニッツにとっては矛盾であり認めることができなかったのである。それに対するクラークの反論は、部分を持つということと分割可能ということを区別して、絶対空間は部分は持つが分割不可能とすることであった。我々は無限の空間の部分を意識することは出来るが、しかしこれらの部分は本質的には切断できるものでなく、相互に移動し得るものでもなく、従って空間はそれ自体本質的に一であり、絶対に不可分なのである。ただ、そう言うためにはニュートン派も神と絶対空間を分ける必要があったのであり、空間は永遠・無限の存在者ではなく、その性質であり、神の存在の直接的・必然的帰結であり、無限の空間は不可計量性ではあるが、不可計量性は神ではないし、したがって無限の空間は神ではないとする。ただ、絶対空間は神の内に在るのであり、神と同質の肯定性を持つものといえよう。神の肯定性が源初の肯定性であるとすれば、絶対空間の肯定性も源初の肯定性なのである。しかも、神が彼岸的であるのに対して、絶対空間は物質と密接不可分なものとして此岸的であった。
一方、クラークによれば、ライプニッツの創造しただけで後は何もしない神と自然の必然的な自己充足という考えは、無神論に直行するものなのである。それはライプニッツの世界を必然性の世界にし、機械的なものとする。精神と物体に関するデカルトやライプニッツの厳格な二元論は、両者のあいだの中間的な存在物をすべて否定し、その結果、物質的自然を自ら存立し自ら永続する純然たる機械装置にしてしまうのである。コレイによれば、クラークにとって機械的な考えは、空虚な空間を斥け、物質の無限と永遠を意味するから、単に誤りであるのみならず、世界内での神の働きを否定して、神を世界からはじきだしてしまう無神論であった。しかし、神がライプニッツのいうように完全な宇宙を創ったとしたら、絶対空間を通じて介入する必要がないということは、絶対空間は神から切り離されるのであり、物質的宇宙と一体化する方向に向かうであろう。そして、ニュートンの物理学は絶対空間を必要とするのであるから、その物理学を成り立たせる物質的宇宙と一体化した絶対空間は神を必要としなくなるし、無神論へ向かうともいえるわけである。
ライプニッツにおいて主語が神であったとすれば、ニュートンにおいて主語は物理学であったといえよう。伝統的なキリスト教からいえば、時間と空間を被造物ではなく神に結びつけ、神の永遠と広大無辺を長時間性や空間的な無限性と対立させず、それと同一化したニュートン達は、自分たちの物理学に合わせて神の性質を変えており、主語は神ではなく物理学になっているともいえる。神を論じているが、今や神より物理学の方が重要なのである。主語である物理学がそれを補完するために神を求めたのであり、あるいは主語である物理学に神を組み込んだのである。コレイによれば、十八世紀を通じてニュートン物理学はますます地歩を拡大し、それと対抗したデカルト派とライプニッツ派は片隅に追いやられていった。その過程は同時に、ラプラスに象徴されるように物理学から神が排除されていくことでもあったが、その素地は物理学を主語とするニュートン物理学に既にあったといえよう。万有引力について、ニュートンには二つの考え方があった。その一つは、万有引力の原因を考え、その原因を神に求めるものである。もう一つは、コレイによれば自分は哲学に「隠れた性質」や魔術的原因を持ちこむわけではなく、逆に、観察できる明白な現象の研究と分析だけに探求を限り、経験的・実験的に明らかにされた法則の因果論的な説明は少なくとも当面放棄しているのだという立場であった。この科学的立場では、特殊な命題が現象から推論され、後に帰納によって一般化される。かくて物体の不可透入性、可動性ならびに衝突力および運動と重力の法則が発見されたのである。そしてわれわれにとっては、重力が実際に存在し、われわれが説明してきた法則に従って作用し、かつ天体の、及びわれわれの海のすべての運動を説明するに十分に役立つことで満足するのである。後者の線で、その後のニュートン物理学は発展していったといえる。そして、ニュートンにとっては純然たる機械装置では不十分な証拠であり、もっと高度な非機械的力がある左証であり、世界内で神の臨在と働きを明示するものだった引力が、いつのまにかそうではなくなり、純自然的力、物質の一特性となって、機械装置にとって代わるどころかその一財産と化してしまったのである。そればかりでなく、コレイによれば、ニュートン派がはじめ絶対空間の現実的な無限と対比した物質的宇宙の大きさも、結局は空間自体とおなじ拡がりを持つようになり、物質世界はライプニッツの宇宙と同じようなもの、即ち無限になった。さらに、宇宙の運動力、活力(エネルギー)は減らない、世界という時計には神による巻きなおしや修繕の必要はないというライプニッツの主張に、ニュートン科学の一つ一つの進歩が新手の証拠を与えていったのである。引力を非機械的な霊的力の働きで説明することは、ライプニッツにいわせればデカルト以前に逆もどりして、科学を捨て魔術を採用することであった。
ニュートンにもライプニッツにも無神論的科学に向かう契機があったといえよう。そして、ライプニッツとニュートンの争いは、無神論的科学に吸収されていった。実際十八世紀の科学における宇宙は、創造神を取り除いたライプニッツの宇宙ともいえる。それは自己充足的で、自らの力で永遠に動き続ける機械的世界なのである。世界に介入するニュートンの神は、何もせぬ神になり、ニュートンの万有引力の法則だけが残った。そしてコレイによれば、神という仮説をもう必要としなかったのはラプラスの『体系』ではなく、そこに描かれた世界だったのであり、その世界とは永遠の物質が永遠の必然的法則に従って永遠の空間のなかを終りも目的もなしに動いている、持続の面でも延長の面でも無限な、新しい宇宙論による無限の宇宙であった。そして、それは神の存在論的属性をのこらず踏襲したものだった。だが、これはあくまで存在論的属性だけに限られていた。しかし、この神の存在論的属性を踏襲した宇宙、無限の宇宙は、それが無限であることによって源初の肯定性を帯びるのであり、もはや神が存在しないことによってその源初の肯定性は此岸的なものとなるのである。
ブルーノについてコレイは、ブルーノの思想が近代科学と近代哲学に及ぼした深い影響を見れば、人間精神の歴史のなかでブルーノに特大の地位を与えないわけにはいかないというが、その思想が当時の人に影響があったかどうか疑問で、その影響はあとから初めて現れてきたと考えられるのてあり、ブルーノの教えが受け容れられ、十七世紀の世界観の一つの重要なフィクターになったのは、望遠鏡によるガリレオの大発見のあとであるという。科学の進展がブルーノを受け入れさせ、またブルーノの無限の宇宙という思想の中で「聖俗革命」が進んでいったということができるであろう。
近代西欧科学を大きく特徴づける二つの性格とは、自然の機械論的非人間化と自然の操作的支配であり、前者はデカルトによって、後者はフランシス・ベイコンの「神の贈与により人類のものとなっている自然の支配権」という考えに最も典型的に見られるといわれる。そして、この二つの性格はギリシア的な自然と人間を同質的なものとする考えではなく、神は自然を人間の為に創造ししたというキリスト教的自然観に結びついているとされた。近代の機械論的自然観についていえば、デモクリトス的な原子論のルネサンスにおける復活と、自然の非人間化というキリスト教的なエートスが結びついたものである。自然の操作的支配も、人間と自然の区別と、人間による非人間的な自然の支配ということになるわけであるが、ベイコンの神によって与えられれた人間による自然の支配権という考えには問題がある。そこでは、キリスト教において神は人間に自然の支配権を与えたとされるが、しかしキリスト教ではアダムとイヴの原罪によってその支配権は神によって人間から奪われたのである。ブルーノは楽園の平和無為の生活より労働に高い価値を与えるが、キリスト教においては労働は神が人間に与えた罰なのである。人間は神によって与えられそして奪われた自然の支配権を自らの力で取り戻さなければならないのである。ベイコンは簡単に神が人間に自然の支配権を与えたというが、どのようにして人間はその自然の支配権を再び取り戻すことができるのであろうか。神はそれを許すのであろうか。神が許そうと許すまいと、人間は自然の支配権を獲得するために努力し、その努力は必ず報われるのだとするなら、その考えはキリスト教の枠を超えているであろう。そうすると、そもそも神によって与えられた自然の支配権という考えが意味を持たないということにもなる。さらにいえば、そもそも楽園におけるアダムとイヴに自然の支配権といったものは相応しいのであろうか。アダムとイヴはただ与えられた自然を享受していただけなのではないだろうか。
中心理念である進歩主義の十八世紀における中核としての科学において、自然の機械論的非人間化と自然の操作的支配という近代西欧科学の二つの性格はどういう関係にあるのであろうか。また、それらは聖俗革命における「神―自然―人間」から「自然―人間」という構造への変化とどう関係するのであろうか。科学における自然の操作的支配という性格は、ベーコンにおいてはキリスト教的自然観と結びついているとされた。キリスト教的自然観では「神―自然―人間」は神>人間>自然ということであった。そこから神が脱落して「自然―人間」という構造になっても、科学が自然の操作的支配という観念の下にあるとすれば、キリスト教的自然観を脱却していないということであり、「自然―人間」は人間>自然ということになる。では、人間>自然から人間が源初の肯定性状態になるということが導き出せるのであろうか。すなわち、人間=源初の肯定性が導きだせるかということであるが、科学がキリスト教的自然観を脱却していないとすれば人間=神と言い換えることもできる。キリスト教的自然観では神>自然でもあるから、人間>自然かつ神>自然から人間=神を導き出せるかということである。人間>自然かつ神>自然からいえることは、神>人間、神=人間、人間>神のどれかであって、確実に神=人間が導き出されるわけではないということである。しかし、中心理念である進歩主義の中核である科学には確実に神=人間が導き出されることが求められる。その為には、自然の操作的支配という科学の性格を維持しようとすれば、キリスト教的自然観から外れて別の自然観に立脚しなければならないということになる。しかし、どのような自然観であれ、それが「聖俗革命」における「自然―人間」という構造に立脚しているとすれば、人間>自然である限り自然の操作的支配としての科学から人間=源初の肯定性は道引き出されないであろう。それを導き出すためには、自然=源初の肯定性でなければならない。すなわち、自然=源初の肯定かつ自然=人間から人間=源初の肯定性が導き出されるのである。しかし、自然=人間ということは、科学のもう一つの性格である自然の機械論的非人間化と対立するであろう。すなわち、聖俗革命の中で科学が自然の機械論的非人間化と自然の操作的支配という二つの性格をもつことと、かつ科学が源初の肯定性すなわち此岸的基本理念を実現するということは両立しないということになる。もっとも、この議論は基本理念的な次元での議論であり、中心理念としての議論ではないともいえる。基本理念の次元でいえば、自然≠人間とすれば自然の機械論的非人間化はいえるが、人間が自然の操作的支配によって源初の肯定性状態になるためには、何らかの飛躍が必要であろう。それは存在即肯定としての源初の肯定性と対立することになる。しかし、中心理念としての進歩主義は存在のみを肯定の条件とする存在即肯定と対立する考えであるから、その意味では科学が中心理念である進歩主義の中核であることと整合性をとれているともいえる。別の見方をすれば、科学が中心理念である進歩主義と結び付く限りにおいて、科学は自然の機械論的非人間化と結びつかざるを得ないともいえるわけである。
自然=源初の肯定性ということは、神=源初の肯定性とすれば自然=神ということになる。そして、キリスト教的自然観では人間>自然なのであるから、人間>神ということになる。近代科学がキリスト教的自然観に立脚しているとすれば、近代科学は暗に人間>神、人間が神以上の存在であることを暗に主張しているということである。それはまた科学によって人間が源初の肯定性以上の存在になることを科学は主張しているのだということにもなる。しかし、自己放棄の弁証法的展開の中での此岸理念は人間に源初の肯定性を取り戻す以上の事は求めていないのであるから、人間が源初の肯定性以上の存在になるということは、一種の過剰性ということになる。此岸的基本理念はあくまでも源初の肯定性とむすびついているのであるから、この過剰性は此岸的基本理念を実現するものとしての中心理念としての進歩主義と結びついていることになる。そして、源初の肯定性は幻想なのであるか、その幻想である源初の肯定性を実現しようとする主張には過剰性が必要だともいえる。ここで過剰性を避けようとすれば、人間=自然としなけれはならない。それもまた、キリスト教的自然観の否定となるわけである。自然=神、人間=自然、故に人間=神となるわけである。そもそも楽園におけるアダムとイヴに自然の支配権といったものは相応しいのであろうか。アダムとイヴはただ与えられた自然を享受していただけなのではないだろうか。人間=自然は科学における自然の機械論的非人間化と対立する。し、キリスト教的自然観ではなく自然と人間を同質的なものとするギリシア的な自然観ともいえる。基本理念における自然観が人間=自然であり、中心理念としての進歩主義における自然観が人間>自然なのだとすれば、ヨーロッパにおける自己放棄の第五段階は自然に対する二つの見方が並存するのだともしえる。基本理念を重視すれば人間=自然、自然の中の人間が強調されることになり、中心理念を重視すれば人間>自然、人間による自然の操作的支配が強調されるということになるわけである。
過剰性については、自分は神であるというばかりか神以上の存在であると主張した自由心霊派にもみられたし、トリスメギストスが「人間は世界の奇蹟であり、神々よりも高貴あるいは同等である。」と述べていると言ったというカンバネッラにもみられるものである。ただ、それらの過剰性は、そこにおける神が源初の肯定性の表現としての神ではなく、あくまでも源初の肯定性の外化としての神、彼岸的な源初の肯定性の象徴であるとするなら、その過剰性は彼岸的な源初の肯定性が再び此岸的な源初の肯定性となるということを、人間による神の超越として感じられたというように理解できる。そこにおける神は、あくまでも源初の肯定性の外化としての神、彼岸的な存在としての神であるといえる。しかし、中心理念としての進歩主義における過剰性は、人間>源初の肯定性とすれば、そこにおいては源初の肯定性の外化が作用している様には見えないが、進歩ということと源初の肯定性の関係がそこには横たわっているということを示唆しているのかもしれない。
第五項 無限の進歩
キリスト教否定が無神論として現れるなら、進歩主義において源初の肯定性が神によって表現されるということはありえないであろう。魔術では人間は神であるという形で、源初の肯定性が神を媒介にして表現されている。ルネサンス期において神を必ずしも媒介としない源初の肯定性の表現としては、始源の時と結びつく楽園と終末論的千年王国論、それに無限の宇宙があった。そのうちの終末論的千年王国論はそれが一挙に突然実現されるものとしてあるという点で、さらにその緊迫性という性格において進歩主義とは相性が悪いといえよう。同じような理由で、無限の宇宙も進歩主義から見ると問題がある。無限の宇宙における無限は現実的無限であり、無限の宇宙は現在的に存在しているものであり、そして人間はその無限の宇宙の中に現在的に存在するわけである。すなわち、無限の宇宙が源初の肯定性と結びついているなら、その宇宙の中に現在的に存在している人間もまた源初の肯定性状態に在るということになるわけである。楽園が残されるが、楽園の実現を未来の理想とすることはできるし、楽園の実現に向けての継続的な努力ということも成立する。楽園は不死の世界ともいえるが、不死が進歩の結果得られるとすれば、それは長い不断の進歩がもたらすものであろう。
無限の宇宙は基本理念的であり、中心理念である進歩主義とは対立する部分があるということであるが、近代科学の性格の一つが自然の機械論的非人間化であるとすると、源初の肯定性は人間と結びついているのであるから、それは宇宙から源初の肯定性を排除していくということを意味するであろう。では、この無限の宇宙において宇宙と結びついていた源初の肯定性は、宇宙からどこへ行ったのであろうか。宇宙に源初の肯定性をもたらすものが宇宙の無限性であるとすると、宇宙の無限性が他の無限性に移行していったということである。進歩主義ではしばしば無限の進歩が強調される。 シドニー・ポラードによれば、ゴドウィン、ロバート・オーエン、コンドルセは無限の進歩の偉大な提唱者であり、コンドルセによれば人間の完成可能性はほんとうに無限であり、しかもこの完成可能性の進歩はそれを停止させようとするどんな力からも独立しており、自然は我々の願望の実現になんの制限もおかない。また、サン‐ピエールも無限の社会的政治的進歩を信じていた。それは無限の進歩、進歩の無限性が宇宙の無限性に取って代わった、あるいは無限の宇宙から無限を引き継いだということであろう。進歩が無限の進歩であることによって、進歩主義は中心理念になりえるともいえるわけである。無限の宇宙は人間の源初の肯定性を直接主張しており、中心理念としての進歩主義が基本理念の間接化であるとすれば、その直接性が進歩主義と衝突してしまう。無限の宇宙の源初の肯定性が宇宙ではなく無限にあるとすれば、問題になっているのは無限の宇宙における無限が現実的無限であるということである。無限が現実的無限であるから進歩主義と衝突してくるのであり、可能的無限であるならそこに問題は生じないといえる。進歩主義における無限は無限を可能的無限とするということであり、無限の宇宙において無限が空間と結びついているのに対して、時間と結び付けることによって可能的無限にするということである。すなわち無限の進歩ということになり、無限の宇宙が進歩主義の中で無限の進歩へと変換されていくのだといえる。
ニュートンやライプニッツの時代まで、無限の宇宙は源初の肯定性を表現するものであったといえよう。しかし今日、物質は無機的で没価値的なものとされ、宇宙もその物質が作り出す世界でしかない。宇宙も機械論的非人間化されるわけであるが、それは進歩主義の中で、宇宙の無限から進歩の無限へと無限が移し替えられた結果なのだともいえる。ただ、現在でも自然の神秘や宇宙への夢も語られるのであり、それは宇宙にまだ無限の宇宙が持っていた源初の肯定性の名残が残っているのだといえよう。また、一般相対性理論によって無限の宇宙は破壊されてしまった。しかし、それも問題ではない。何故なら、無限の宇宙の源初の肯定性はその無限性にあるが、無限の源初の肯定性は無限のもつ矛盾性にあるのであり、相対性理論にせよ量子論にせよ、無限の宇宙は失われたかもしれないが、自然はより矛盾性に溢れたものになり、その意味では宇宙の源初の肯定性は維持されているともいえるからである。単に広さとしての無限の宇宙から、無限の深さをもった宇宙へと代わって行っただけともいえる。
進歩主義が無限の宇宙というものを後退させ、それが宇宙や物質の没価値性をもたらすとしても、物質自身が没価値的なものであることは、進歩主義にとって問題にはならないともいえる。物質によって作り出されるものが重要であるとすれば、例えば技術の無限の進歩ということもいえるからである。人間が単なる機械であるとしても、それが改良される機械であるなら、そこに改良という目的をもった機械として、目的を持つ存在にもなりえるわけである。ただ、しばしば物質の没価値性が人間の無目的性の主張にまで行ってしまうのは何故なのであろうか。本論的には人間の無目的性の主張は自己放棄である。進歩主義が根本的には自己放棄を目指すものである以上、それが人間の無目的性と結びついても不思議ではない。
デカルトの動物を機械とする考えが、此岸的理念と結びつくと、そこに人間を単なる機械とみなす契機が生じるともいえる。源初の肯定性とは前本質の肯定でもあった。それは、人間はいまだ前本質期の状態にあるといってもいいであろう。デカルトは動物を機械とし、人間を体と心を持つものとした。しかし、人間が前本質状態にあるとすれば、結局人間も動物と同じ機械ということになるであろう。機械としての動物に目的といったものがないとすれば、人間にも目的は存在しないということになるわけである。逆にいえば、人間を無目的な存在とすることは、前本質の肯定という意味での源初の肯定性を人間が充足していることを、即ち進歩主義が目的とする目的を充足していることを意味するという、逆説的な状態がいえるわけであり、人間に目的などないという主張は人間が源初の肯定性状態にあるということを逆説的に主張していることにもなるわけである。
無限の進歩と基本理念の問題にかえるなら、無限の進歩となることによって、進歩主義は一つの矛盾に陥る。無限の進歩ということは、進歩に終わりがないということであり、無限の進歩は源初の肯定性をもたらさないということになる。これは特に存在即肯定と対立することであろう。この矛盾は直接的な源初の肯定性との対立であるから、この矛盾が進歩主義に源初の肯定性をもたらすといった類の矛盾ではなく、自己否定、自己崩壊をもたらす矛盾なのである。それは、進歩主義が此岸的中心理念であるにもかかわらず、その性質が彼岸的であるということでもある。進歩が此岸的基本理念の実現を目指しながら、源初の肯定性が実現しないとすれば、それは煎じ詰めれば創造的無への固定ということで彼岸的理念と結びつくともいえるわけである。単純に考えても、存在即肯定からいえば存在即肯定を現在ではなく未来の状態とすることは、一種の存在即肯定の外化であろう。
源初の肯定性の表現としての無限の宇宙には、その肯定性は無限の矛盾性からくるのであって神には依存しなくてもいいという性質があった。無限の進歩もその意味では神を必要としないといえる。しかし、進歩主義が彼岸的性格をも持っているということは、進歩主義が此岸的中心理念である為には何らかの対処を必要とすることであろう。国家共同体主義が神的なものを通じて源初の肯定性を表現していたことを考えると、此岸的な中心理念だからといって、まったく本来彼岸的な理念である神を排除するのではなく、逆に利用する場合もあるわけである。此岸的な中心理念が必ずしも神を排除しないとすれば、彼岸的な中心理念としてのキリスト教が崩壊し、新しい此岸的な中心理念が創出されるとして、その新しい中心理念が神を利用するということは十分あり得る話であったといえる。その場合、天空的神から地上的な神へというように、その神はキリスト教の神から交代した神、さらにいえば直接的にキリスト教の神を否定する神か、あるいは彼岸的ではなく此岸的性格を強めた神というように、その性格を大きく変えるかする必要があるであろう。近代の機械論的世界像はその初期においては無神論とはならなかったともされる。しかし、進歩主義が彼岸的性質を持つということは、そこにおいて此岸性を維持あるいは強調しようとすれば、それは神そのものの否定、無神論の強調となっていくのではないだろうか。
また、中心理念としての進歩主義は普遍性を強調するであろう。中心理念としての進歩主義の目的は此岸的基本理念の実現であり、源初の肯定性であるとすれば、その肯定性はすべての人間にとって肯定的なものであり、進歩主義の目的は普遍的なものであるということである。しかし、源初の肯定性が存在即肯定でもあるということは、進歩主義は直接源初の肯定性を目的とすることはできないということでもある。何故なら、存在即肯定を目的とすること自体が、存在即肯定によって否定されることだからである。それは、目的とされるものではなく、実現されているものとされなければならない。それに対して、進歩主義は自己の性格からあるものを実現すべき目的として持たなければならないし、存在即肯定の代わりとしてその目的を目的にしなければならない。存在即肯定は普遍的な目的であるから、その目的も普遍的なものとされなければならないし、存在即肯定そのものではない分、その普遍性を過剰に強調することによって、あたかもそれが存在即肯定であるかのように見せ掛けなければならない。しかし、その目的Xはある特定のものを以て目的とされているのであるから、条件付けられた肯定ということになり、存在即肯定と矛盾・対立することになる。また、進歩を出来るだけ存在即肯定に近づけようとすると、進歩を必然的なものとし、何らかの法則性と結びつけることにもなるであろう。進歩が必然的な過程、法則に従った過程を通るなら、その過程は誰にも同じものになるであろうし、その意味でも進歩は普遍的なものとなり、進歩の目ざすものは普遍的なものということになる。進歩主義の中での普遍性とはあくまでも自己放棄であり、ヨーロッパにおける自己放棄の第五段階における普遍性、ヨーロッパ自己放棄共同体内部における普遍性である。特にその普遍性が自我の内部のこととしてではなく社会的なものとして主張される時、自己放棄性を強め、シュテイルナー的に言えば固定観念となり、自我に対する外から働く一種の強制力となって、唯一者との対立を深める。
第六項 科学への熱狂
十八世紀には、科学への熱狂とでもいえる現象が起こったとされる。十六世紀末から十七世紀初めには、科学という営みはまだ社会で「市民権」すらもっていなかったといって過言ではないが、大衆のレベルでも十八世紀になると、科学はいわば彼らの新しい「宗教」になり始め、科学は一般大衆の眼前に以前とは比較にならぬほどくっきりとその姿を現し、彼らに憧憬と驚異の念を抱かせ、熱狂をもたらしたという。科学の大衆化は啓蒙主義の時代の一つの特徴的な現象であり、イングランドや、啓蒙主義が際立って開花したスコットランドでも、科学の愛好家たちが公開講座の場で、あるいは家庭で実験に打ち興じ、自然の神秘を好奇の目で観察したり、啓蒙講演を通じて大衆が科学を学ぶ光景がしばしば見られるようになった。また、イギリスにおける科学の啓蒙運動は、同世紀後半から起こった産業革命の文脈とも切り離せず、産業都市には科学にかかわる地方学会が生まれ、1780年代から十九世紀前半にかけて、マンチェスターをはじめとする諸都市に乱立した文学・哲学協会は広い層に科学を滲透させる役割を演じたが、これらの動きは経済力をつけた地元の企業家や製造業者たちにより支えられていたとみられ、中産階級として彼らは、自らの存在意義を社会に示し、新興産業都市の秩序を生みだすべく、協会での活動を通して地方文化の充実をはかったという。
ただ、この科学への熱狂は産業革命が引き起こした現象ともいえないようである。古川安によれば、フランスでは1808年までに地方都市の王立科学・文芸アカデミーの数は約40にも達していたというが、すでに十八世紀前半から地方都市に王立科学・文芸アカデミーが誕生していたというから、一般市民の科学への関心を産業革命が作り出したともいえないわけである。同国では、とりわけ大革命前夜の10年間に大衆の間に熱狂的な科学ブームが生まれたという。その背景には科学および技術自体が顕著な成長を遂げつつあったこともあるが、啓蒙主義者にによる啓蒙活動と相まって、科学者自らがさまざまな形で人々に科学を普及し、「科学の驚異」に眼を見晴らせる役割を演じたのである。また、それを支援する文人や名士や慈善団体があり、それを報じる新聞というメディアがあったという。ある風俗批評家は、科学に対する当時のパリ市民の熱狂ぶりを目撃して、どの集会でもどの夕食会でも、また御婦人方の化粧室においてすら、実験とか、大気、引火性ガスとかいった話題がもちきりになっている、とこう報告しているという。また、「大衆は群れをなして講義に行って教えを受ける。大衆は科学に関する本を読むことに熱中している。大衆は科学を想起させるすべての事柄を貧欲にかき集めている。」というような記録もあるという。1783年にモンゴルフィェ兄弟やピラートル・ド・ロジェが空中に浮上させた気球のニュースは、こうした熱狂をさらに煽り、フランス中をわきかえらせ、気球を目撃した人々は涙を流し、婦人の多くは失心し、みな名状しがたい興奮状態に陥り、婦人たちは気球帽をかぶり、子供たちは気球キャンディーをなめ、文人たちは人類初の空中飛行をさまざまな詩にして讃えたという。古川安によれば、この時代の大衆の眼に映った科学とは、驚異の力であり、未来を約束する抜きん出た技術であり、理解はできなくとも信頼すべき魔術であり、素晴らしい娯楽であり、カフェやサロンでの尽きない話題の種であり、時代の最先端を行くファッションであったといえるかもしれないものであり、こうした科学への民衆のイメージは、十八世紀における科学の民間普及の重要な要素であり、「科学」を名乗れば何でも注目され信用されるほどの「科学狂」の時代であったという。当時の科学に熱狂した民衆にとって、科学とは一種の魔術だったわけである。
引用・参考文献
『歴史の進歩とはなにか』 市井三郎
『進歩の思想』 シドニー・ホラード
『近代科学と聖俗革命』 村上陽一郎
『科学史の逆遠近法』 村上陽一郎
『科学の社会史』 古川安
『ルネサンスの思想家たち』 野田又夫
『魔術から科学へ』 パオロ・ロッシ
『コスモスの崩壊』 アレクサンドル・コレイ
『近代科学の源流』 伊東俊太郎
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第一項 進歩主義における基本理念と中心理念の矛盾
此岸的自己放棄の体系において、中心理念は基本理念を実現する手段ともいえる。基本理念は存在即肯定として今存在している自分を創造的有とするのであるが、しかし現実には創造的無として存在しているという自己矛盾の中にある。それ故、基本理念を実現する手段としての中心理念を必要とするわけである。しかし、中心理念は基本理念の自己矛盾を他の矛盾に転化するだけともいえる。中心理念は基本理念を実現する手段とされるが、基本理念としての存在即肯定からいえば、基本理念自身は何らそれを実現するための手段を必要としていないのである。基本理念の自己矛盾は、基本理念だけを考えるなら批判は基本理念に向けられるのに対し、基本理念と中心理念を考えるなら批判が中心理念に向けられるともいえる。その批判に対しては、中心理念にも自己の立場からの反論があることになる。創造的無の立場からいえば、そもそも基本理念が幻想なのであるから、それを実現するとする中心理念も幻想であり、基本理念の実現は不可能なことである。しかし、ここで問題にしている矛盾はあくまでも自己放棄内部での問題としてある。自己放棄の体系内では、彼岸的理念の自己崩壊の中でその否定の真理性をバネに此岸的な自己放棄の体系が創出されていくのであるから、基本理念の実現不可能性が創造的無の固定化としての彼岸的理念にすり替えられ、彼岸的理念の自己崩壊の中で基本理念を実現するものとしての中心理念が創出されるわけである。そのような自己放棄の体系の内部で考えても、存在のみを条件とする基本理念と手段としての中心理念という矛盾は残るわけであり、その矛盾の中で基本理念はその実現のための手段を必要とせず、その意味で手段としての中心理念を否定し、中心理念は存在のみを条件としながら存在即肯定を実現していないという中心理念からみた基本理念の幻想性から、基本理念を否定するという、此岸的中心理念と此岸的基本理念の間の対立も生じるわけである。ただ、そのような対立性があるにもかかわらず、基本理念と中心理念は協力し合いながら自己放棄の体系を成立されるという同盟関係にもあるわけである。そして、両者は単なる同盟関係というより、相手の存在なしには自己の存在、あるいは存在意義も存在しないという相互依存関係にあるともいえる。存在即肯定としての基本理念はその幻想性から中心理念による基本理念の実現を必要としているわけであり、中心理念の方はそもそも基本理念がなければその存在意義もないわけであるから、基本理念と中心理念は互いに相手を必要としているわけであり、相互対立・相互依存の関係にあるのだといえる。その対立と同盟、相互対立・相互依存の中で自己放棄の体系が形成されているわけである。
ややこしいことであるが、達成のために手段を必要としない基本理念と手段としての中心理念の間に矛盾があったとしても、それが基本理念を達成しようとする中心理念が基本理念を達成できないということを意味しているわけでもない。創造的無からいえば、中心理念が源初の肯定性を実現できるとすることが問題で、自己放棄ということになるが、自己放棄の体系の内部で考えているのであるから基本理念は実現できないのではなく存在できるものでなければならないということであり、従って中心理念は基本理念を実現できるということになるともいえるわけである。基本理念と中心理念の矛盾の根底には、存在即肯定と言いながら現実には何ら肯定的ではない、すなわち創造的有ではないという基本理念の自己矛盾があり、その基本理念の自己矛盾が自己放棄の中で中心理念の存在を可能にしており、そして中心理念の存在が可能だということは、自己放棄の中で中心理念による基本理念の実現も可能でなければならないということになるともいえる。その可能性を否定しようとするなら、自己放棄の論理構造のなかでもその実現が矛盾をもたらすことを導き出さなければならないということになるであろ。しかし、達成された基本理念の存在を考えるなら、その基本理念が存在即肯定として在ろうと、もはや手段としての中心理念は用無しになっているのであるから、一度基本理念が達成されれば、そこに基本理念と中心理念の対立は存在しないことになる。もし、基本理念の実現後にも矛盾が残るとすれば、そのことをもって基本理念は実現できないと結論できるかもしれないが、達成後に矛盾が無くなるとすれば、それは中心理念によって基本理念が実現できないとは必ずしも言えないということになるであろう。存在のみを条件とする存在即肯定をある手段をもって実現するということは、不思議な話ではあるが、矛盾ではないということであり、その話の内部では、それは実現された後の話であるから、そういう事が無いとは言えないとも言えるわけである。実際、源初の肯定性は過渡期という条件が出現することによって生じたのである。
中心理念としての進歩主義を考えると、進歩主義もまた基本理念、特に源初の肯定性の中の存在即肯定との間に矛盾を抱え込まざるをえないし、その矛盾は少し深刻なものだともいえる。中心理念としての進歩主義は、進歩による源初の肯定性、此岸的基本理念の実現である。それは確かに神によって与えられるものではなく、人間自身の力よって源初の肯定性を作り出す、作り出せるという意味では此岸的である。しかし進歩主義においては、人間が源初の肯定性を獲得するのは未来においてであり、その意味では彼岸性を帯びた中心理念ともいえた。国家共同体主義もその源初の肯定性は神との結合によってもたらされるという意味では彼岸性を払拭していないが、それは神として彼岸化された源初の肯定性を再び此岸へ取り戻すということでもあり、人間が神と同一視されるという意味では存在即肯定性の現存性は維持されている。しかし、進歩主義では今現存している人間自身は、何ら源初の肯定性・存在即肯定性そのものの中で生きているわけではなく、現在という時点とは区別された未来において源初の肯定性が存在するということであって、源初の肯定性が現存としての自己の外部に設定されてしまうという意味で彼岸的であり、その意味でも存在即肯定としての基本理念と対立・矛盾している。基本理念と進歩主義の矛盾は、単に目的の持つ直接的な性格に対して、手段としての中心理念が間接的な性格を持つというだけではなく、その手段の内容がもたらす此岸的な基本理念といわば彼岸的な中心理念という矛盾にもなっているわけである。彼岸性をめぐる基本理念と進歩主義の対立・矛盾の度合いは国家共同体主義よりも強いといわざるをえない。もちろん、進歩主義の内部ではその彼岸的な性格にもかかわらず、進歩は此岸的基本理念を達成するということになる。ただ実際には、創造的無の中で基本理念は幻想なのであるから、結局進歩による基本理念は実現しないということであり、進歩の過程のどこかに人間は存在することになるから、人間が進歩主義の彼岸性から解放されることはないわけである。ましてや、無限の進歩においては、進歩主義自身の中で人間が進歩主義の彼岸性から解放されることがないことがいえるわけである。進歩主義そのものの趣旨は人間を創造的無に固定しようするものではないが、進歩主義から一歩外に出てそれを眺めると、無限の進歩ということは基本理念が実現することは無いということでもあるから、創造的無への固定としてそれは立派な彼岸的な中心理念ということにもなる。進歩主義は自己自身の中に自己を彼岸的中心理念へと転化する契機を持ったものとして、矛盾を抱えた中心理念として存在することになるであろう。
基本理念が源初の肯定性を求め、その源初の肯定性は存在即肯定として、今現在の全的肯定性を求める以上、基本理念の実現を未来のこととする進歩主義の彼岸性は、重大な進歩主義の欠陥ともいえる。自己放棄の体系が前段階の否定とその否定の真理性を通じた新たな体系の創出であるとすれば、進歩主義の彼岸性が此岸的中心理念に重大な欠陥をもたらし、その此岸性を毀損するということは、彼岸的前理念の否定も弱いものにならざるを得ない。それは新しい理念の真理性のバネも弱くなるということであるから、基本理念と矛盾・対立するだけでなく、自己放棄の弁証法的展開にとっても問題があるわけである。前段階の基本理念・中心理念の極端な否定という形で、自己の脆弱性を補わなければならないということにもなる。それが近代の無神論・唯物論への傾斜を生み出すことにもなったといえよう。ヨーロッパ近代において無神論が拡がったのは、キリスト教の神があまりにも人間に対する絶対性・人間との隔絶性を強調する神であったということも影響しているかもしれない。彼岸的理念の下では神は人間から乖離した存在でなければならないが、それが行き過ぎ人間との結びつきがあまりにも薄くなれば、それは神と源初の肯定性との結びつきも弱くなっていくであろう。神自身が源初の肯定性との結びつきを弱めれば、その神が人間に源初の肯定性をもたらすとは考えづらくなるし、此岸的中心理念にとって用なき存在、前理念的存在として否定の対象としてのみ存在しているともいえることになる。
第二項 進歩主義と保守主義
マンハイムのいうユートピア的な意識の第三の形態としての保守的な観念とは、千年王国主義の無我夢中の狂乱的なエネルギーの中で、現実の千年王国主義がその理想と矛盾する時、そのすき間から、保守主義は「ここと今」への接近の過程を完成するのであり、保守的な観念においては重点は存在に置かれ、或るものが存在するという理由だけで、それはすでにかなり高い価値をもっているとされる。進歩主義においても、同じような保守主義的傾向が、フランス革命以前からすでにみられる。シドニー・ポラードによれば、ヴォルテールの時代には啓蒙主義はまだ全面的勝利を確実にしていなかったが、その旅程の大半はすんでいたし、勝利の達成は特に遠くはなかった。しかし、その瞬間にヴォルテールの思想の極限傾向である、あらゆる以前の発展がめざしてきた、そして一度到達するとそれ以上変化しない固定した体系の観念という、保守主義に到達するのであり、それはかならずしも未来にたいする楽観主義の否定ではないけれど、進歩の観念の否定であるという。さらに、ロックの社会契約は進歩する社会よりむしろ固定した社会を意味しており、はじめから啓蒙化された貴族や富裕な商人と製造業者のなかにその社会的基盤をもつ、完全な理性と正義に裏付けられた合理的な社会制度に、なんらかの改良の可能性をみることはしなかった保守派が発生していたという。
第三項 進歩的保守主義と質的完成・量的発展
ポラードによれば、啓蒙主義は向上進歩の要素と保守主義の要素をもっており、論理的にはどちらも啓蒙主義から発展させられることができたし、それぞれが変形された形で現実の住民層の現実の利害を代表していた。中心理念としての進歩主義を考えると、この十八世紀の啓蒙主義者における向上進歩の要素と保守主義の要素の存在は、中心理念としての進歩主義がもつ彼岸性と基本理念における此岸性との間の矛盾から導き出せる。進歩主義の源初の肯定性が現存としての自分の外部である未来に設定されているという彼岸性を考えると、進歩主義が彼岸的なものでなく此岸的な中心理念であろうとするなら、何らかの形で彼岸=未来にある存在即肯定を現在にもってくる必要があり、それが不可能なら、存在即肯定ではないにしても、何らかの形で現在に肯定性をもたせようということになるであろうから、それは進歩主義の中から保守主義が登場するということになる。それ故、進歩主義の中の保守主義の問題は、それぞれを代表する例えば階級間の対立といった次元を超えた問題としてあるのであり、それぞれの階級がそれぞれに自己内部に抱える問題なのである。
その現在の肯定性は、何らかの基本理念性、すなわち存在即肯定性を持たなければならない、あるいはそのような性格を与えられる。その意味で、現在の肯定性とは、マンハイムのいう保守的な観念と同じように、或るものが存在するという理由だけでそれはすでにかなり高い価値をもっているということにもなるであろうし、一度到達するとそれ以上変化しない固定した体系ということにもなるわけである。現在の肯定を質的完成とするなら、質的完成は進歩主義の彼岸性への対処であり、彼岸性がもたらす基本理念と進歩主義の対立性を弱めるものとしてあることになる。質的完成に疑似的存在即肯定性を持たせることにより、基本理念の実現を単に未来のこととする進歩主義に比べ、その分彼岸性も薄れ、存在即肯定という基本理念との矛盾も中和され弱まっていくわけである。そして、質的完成は進歩主義の彼岸性への対処であると同時に、基本理念そのもののではないが基本理念的であるというその二面性により、基本理念の幻想性=非実体性への対処でもある。すなわち、現在がすでに基本理念の実現であるとするなら、それは即座に基本理念の非実体性という幻想性に突き当たってしまうことになるが、基本理念ではないということによりその非実体性との正面衝突を避けると同時に、現在が基本理念ではないが基本理念的現在が実際に肯定状態であるということは、基本理念もまた実体的な肯定状態であろうということになり、その幻想を維持することが出来ることにもなるわけである。
しかし、他方ではその現在の肯定性は基本理念としての存在即肯定ではないから、そこには基本理念の実現に向けた進歩も必要となる。あくまでも中心理念としての進歩主義の内部の保守主義であるから、それは決して固定化を意味するものではない。すなわち、そこには進歩の要素もなければならないのであり、そのような意味で単なる現在の肯定、単なる保守主義ではなく、それは進歩的保守主義なのである。進歩的保守主義は、質的完成・量的発展という言葉で示されるような保守主義ということができよう。そこでは疑似的な存在即肯定が実現されているとされなければならないという意味で質的完成であり、その質的完成の中での進歩は量的進歩とでもいえる進歩ということになる。ひとたび社会が質的に完成するなら、後は半ば自動的な進歩によって源初の肯定性が実現するとされるわけである。基本理念の此岸性と進歩主義の彼岸性の矛盾は、進歩的保守主義では基本理念の実現は量的発展によってもたらされることになり、その意味では彼岸性は残るが、その彼岸性は質的完成によって中和され弱まされた彼岸性になっているわけである。また、進歩的保守主義は現実を限りなく肯定しようとするが、それは決して、ある決まった形の社会を固定的に求めるものではなく、ひとたび変化があればその変化した現在を肯定することになる。
啓蒙思想では人類の歴史は過去から未来への進歩の歴史として捉えられているが、彼らの生きている時代はその進歩の歴史の中でも、過去の時代と区別される特別な段階とみなされた。シドニー・ポラードによれば啓蒙主義者は彼ら自身の時代が以前すぎさったどの時代とも違っているという確信を以て出発したのであり、これは進歩の学説というかたちをした彼らの哲学の核心にせまるものであった。十八世紀は光明の世紀であり、無知蒙昧な暗黒の中世に対して、理性が支配する社会であり、知識や学問の絶え間ない発展・進歩が強調されることになる。市井三郎によれば、シャトリュは突如として進歩の始まる時代区分の起点を十六、七世紀においたが、その歴史解釈によれば、全人類を含めた普遍史において、闇の時代と光の時代との二大区分しかありえないのであり、奇蹟的にそのような転換を実現させたのは、F・ベーコンやデカルト、ニュートン、J・ロックといった西欧知識人の営為にほかならなかった。そのような意味では、十八世紀のヨーロッパは質的完成の社会ということができよう。ただ、より正確に言うなら、フランスとイギリスでは違いがある。
イギリス人にとっては、名誉革命を経た十八世紀のイギリスは質的完成社会であったといえよう。ウィリアム・ペイリにとって自我主義という卑しい気質を、慈悲心に変形するのを可能にしたのは、名誉革命によって決定ずみのブリテンの国家構造であり、プリーストリにとってもブリテンにおいては理想的な国家構造がウィリアム王のもとで、革命によってつくられたのである。ポラードによれば、ヒュームはヴォルテールと同様、過去の歴史の全てが、彼自身の時代の偉大さへの序曲としてのみ価値があるという暗黙の信念をもっていたが、特に1688年の革命は、かつて偉大な国家に発生したものよりも民衆的性質をもち、人類の自然権を確保するのにずっと適した政治を完成し実施にうつしたのであり、政治ばかりでなく商業と製造業も新しい様相を呈したのである。そして、そこにおける迅速な進歩は、社会の状態、人民の性格と風俗に無数の変化を産み出したのである。ポラードは、ヒュームを革命的力から保守的力への資本主義の転換の矛盾を現実に感じとった最初の人であったとするが、このイギリスにおける進歩的保守主義を単に資本主義の保守化として捉えるのは、問題の矮小化ともいえるであろう。アダム・スミスにおいては、ひとたび倫理性に裏打ちされた諸個人による市場社会が成立したなら、後は市場の見えない手による調和のなかで、限りない経済的発展が可能になるわけであり、カール・ポランニーによれば一八三四年のスピーナムランド法の廃止により、ようやくイギリスに競争的労働市場が確立されたというから、経済学的に言えばスミスか生きていた時代はまだ質的完成社会とはいえない。しかしそのアダム・スミスも、ポラードによれば、未来は新しいものをほとんど提示しないのであり、結局、ブリテンの政治的社会的構造と所有関係は固定的なものと受け取られていたのであり、現在では総体的な社会変化は停止していて、それ特有の法的政治的機構をもっている資本主義制度は、社会的進化の結末であるが、純粋に経済的変化は続いており、その内部の経済的進歩は続くかもしれないし、その進歩は質的というより量的であったという。 スミスも当時のイギリスを質的完成社会とみていたわけである。ポラードは「われわれがみてきたのは、ブリテンの政治経済学にある程度反映された停滞の哲学を、啓蒙主義の諸観念の集大成のうえに基礎づけることがどうして可能であったか、しかも両者とも根本的には満足している階級の利益につながっていたということであった。」というが、進歩主義が此岸的中心理念であるにもかかわらず、進歩主義を成り立たせる進歩の持つ彼岸性という矛盾を考えるなら、その矛盾への対処として進歩主義の中に保守主義を持ち込まざるをえなかったということであり、もし持ち込まれた保守主義に満足する階級があったとすれば、その満足とは進歩主義の矛盾がそれによって対処可能なものになったという満足なのであって、その階級にとってもはや基本理念が実現されたという意味での満足ではないのである。
イギリス人が十八世紀の中心理念としての進歩主義の創出と同時に、彼らの社会を質的完成社会と看做せたのに対して、フランスの啓蒙主義者にとってフランスの社会はそうではなかった。J・H・ブラムフィットによれば、進歩主義は十八世紀の前半は専ら破壊的であり、後半は建設的で、後半になって物心両面の進歩の基礎となり得る組織及び計画を発明しようと試みるようになったというが、それはフランスにおいて当てはまることだったのである。そして、フランスが質的完成社会になるのは遠い先のこととは思われていなかった。サン=ピエールによれば理性の光によって一世紀以内に黄金時代を開くための未解決の問題は解かれるはずであった。テュルゴーにおいても、ブルジョアジーの理想が実行にうつされるまでに、長い時間はかからないとされ、諸国民の利益とよい政治の成功は、身体の自由と労働の自由に対する神聖な尊敬に、所有権の不可侵の維持に、すべての人相互の公正さをもたらすのであり、諸改革はより大きな富ばかりでなく、より大きな幸福をもたらすのである。そして、コンドルセにおいては、彼の歴史の十段階の九段階目はデカルトからフランス共和国の創設であり、第十段階は未来のそれであった。彼にとってフランス革命はイギリス人にとっての名誉革命がそうであったように、フランス社会の質的完成をもたらすはずのものであったといえよう。
進歩的保守主義が進歩主義の彼岸性をめぐっての基本理念と進歩主義の対立を中和し弱めるものとしてある為には、進歩主義と進歩的保守主義は区別されたものとしてなければならない。何故なら、両者を区別しなければ進歩主義=進歩的保守主義ということになり、結局そこにあるのは基本理念と進歩主義ということになって、話は元に戻ってしまうことになるからである。進歩的保守主義を考えるということは、基本理念・進歩主義・進歩的保守主義という三極構造を考えることだともいえる。この三極構造の中で進歩的保守主義の役割を考えれば、基本理念と進歩主義の彼岸性の矛盾・対立を基本理念≠進歩主義で表すとすると、基本理念≒進し歩的保守主義、進歩主義≒進歩的保守主義から、基本理念≒進歩主義を導き出すことだともいえるかもしれない。その為には、基本理念≒進歩的保守主義、進歩主義≒進歩的保守主義が言えなければならないが、基本理念≒質的完成からさらに質的完成・量的発展の進歩的保守主義は質的完成を含むということで基本理念≒進歩的保守主義を導き出し、同様に進歩主義≒量的発展から進歩主義≒進歩的保守主義を導き出すわけである。この三極構造においては、基本理念・進歩主義・進歩的保守主義が協同的関係にあり、そのことによって基本理念とその中心理念としての進歩主義という、ヨーロッパにおける自己放棄の第五段階の自己放棄体系を安定化させているのだといえる。
第四項 保守的進歩主義と国家共同体主義
自己放棄の弁証法的体系からいえば、新しい中心理念は古い中心理念の否定という意味をもっている。中心理念としての進歩主義の創出にあたっては、直接的にはキリスト教が否定の対象だったということになるが、国家共同体主義も古い中心理念として否定の対象であった。一方、古い中心理念のキリスト教も国家共同体主義も再定立されるはずである。キリスト教については、唯物論や科学的精神からは胡散臭いものと見られながらも、現在においても根強い力を持ち続けているし、一定の敬意も払われている。近代理念との対立を含みながらも、現代ヨーロッパ社会に統合されているといえるであろう。国家共同体主義についても、国家は現在においても大きな力を持つ存在としてあるが、国家共同体主義と近代国家をまったく切り離されたものとすることはできないであろう。ただ、近代国家をそのまま国家共同体主義と結びつけることには問題があるかもしれない。自由と平等を理念とする近代国家は絶対王政に対抗するものとして希求されていったとされる。近代国家と国家共同体主義には対立性もあるわけである。もちろん、国家共同体主義=絶対王政ではない以上、近代国家と絶対王政の対立があったとしても、それが即近代国家と国家共同体主義の対立を意味するわけではない。ただ、絶対王政が国家共同体主義の再強化として登場してきたのだとすれば、近代国家と絶対王政の対立は近代国家と国家共同体主義の対立という側面が当然あるわけである。
自己放棄の弁証法的展開は、それ以前の基本理念や古い中心理念の否定という形ではあれ、古い自己放棄の体系に依拠する以上、継続的な社会の中で行われるのだといえる。一つの自己放棄共同体の中で自己放棄の弁証法的展開はあるということになる。そして、各段階の自己放棄共同体は、その中心理念に対応した独自性を帯びた自己放棄共同体として形成される訳である。この各段階の自己放棄共同体を中心理念共同体と呼ぶことにするなら、この中心理念共同体とは国家共同体主義においてはそれぞれの国家共同体であり、キリスト教においては理念としての教会ということになり、進歩主義においては市民社会ということになる。そして、各自己放棄の体系の段階ではそれ以前の中心理念が再定立されるのであるらか、それらの中心理念に対応した中心理念共同体も各段階の自己放棄共同体の中に再定立されるのだといえる。そしてその再定立された各中心理念共同体は社会の対立要因の一つでもあるが、大枠としては各段階の自己放棄共同体の中に統合されているといえよう。
ところで、進歩主義の彼岸性を考えると、進歩主義と国家共同体主義との関係は、単に古い中心理念の再定立にとどまらないものがあるかもしれない。進歩主義において基本理念の実現は未来のことであり、それが進歩主義の欠陥であった。それに対して、国家共同体主義における基本理念の実現は現存的なものである。その事から、国家共同体主義による進歩主義の補完ということが考えられる。より正確にいえば、進歩主義が補完されるというより、進歩主義を中心理念とする自己放棄の体系が補完されるのであって、その自己放棄の体系が此岸的でなければならないのに彼岸的要素が強いため、それを中和するために国家共同体主義が利用され、単なる再定立された存在以上の意味をもってくるのだといえる。三極構造でいえば、自己放棄の体系が国家共同体によって補完されるということは、基本理念・進歩主義・進歩的保守主義それぞれが国家共同体主義によって補完されるといえるが、特に質的完成社会は国家共同体主義と結びつくことによって、その質的完成に基本理念的な性格を帯びさせることができるであろう。基本理念は中心理念ではないから、中心理念である国家共同体主義と何か直接結びつくことはないであろうし、進歩主義も共通の要素というものは存在し得るかもしれないが中心理念としては別の中心理念と直接結びつくことはないであろう。それに対して、質的完成は基本理念でも中心理念でもないのであるから、国家共同体主義との直接的な結びつきも可能だといえる。現在性、あるいは存在に高い価値を置くために、質的完成社会と保守主義、そして国家共同体主義が一体となっていくだろうということである。
新しい中心理念を求める近代は、単なる古い中心理念の再強化版である絶対王政については否定的にならざるをえなかった。しかし、進歩主義が国家共同体主義によって補完されなければならないとすれば、絶対王政は否定されるだけの存在ではなく、飼いならされることが必要だったともいえる。国家共同体主義が進歩主義を補完するということは、国家共同体主義に跳ね返り、国家共同体の方も近代理念に近づかなければならないということである。それ故、国家共同体はその内在的な差別性・差異性をできる限り縮小し、全共同体成員の同質性・平等性がもたらす全共同体成員の肯定性のみを保持しようとする動きをその中にもつことになるであろう。すなわち、初期の国家共同体主義に戻ろうとするということである。国家共同体主義の自己放棄共同体が国家共同体であるのに対し、進歩主義の自己放棄共同体が市民社会であるとするなら、国家共同体と市民社会は対立しながらも一体化しなければならなかったということであり、その対立と一体化の統合が近代国家ともいえるわけである。近代ヨーロッパの自己放棄共同体は近代国家に分断されるということであるが、同時にそのような状態の中で一つの自己放棄共同体としてあるということである。また、近代ヨーロッパの自己放棄共同体の各近代国家による分断に対して、進歩主義というヨーロッパの第五段階の中心理念はその分断を統合して一つの市民社会を作ろうとすることにもなるであろうが、それは再び進歩主義の彼岸的であるという矛盾と直面するということである。また、近代国家内においても、国家共同体と市民社会の統合は止揚ではないから、統合の中で国家共同体と市民社会の対立は残ることになる。
第五項 進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義
十八世紀の啓蒙思想において、質的完成は近い将来のことであったが、フランス革命は、まさに人類は新たな社会出現の前夜にいるという心理状態のなかで生じたといわれる。ブラムフィットによれば、コンドルセにおいてデカルトに始まる歴史の第九期はフランス革命で絶頂をむかえ、それは当時の多くの人と同様、人類史の大転換点であり、封建的暴政と教会の策謀とが廃棄され、自由と功利主義原理とが科学的基礎の上に明らかに確立された以上、道は地上の新しい天国の創造に向かって開かれたのである。そうして、もうじき質的完成が達成されるという高揚はまた進歩主義そのものの高揚でもあろう。それは進歩主義の高揚であると同時に源初の肯定性の希求の高揚、此岸的基本理念の希求の高揚ともいえる。進歩主義の高揚、基本理念の高揚の中では、進歩主義と基本理念の矛盾も矛盾として意識されない。その端的な例をゴドウィンに見ることが出来よう。ゴドウィンにとって人間は完全になることができるが、それは別の言葉でいえば永久の改良が出来るということであった。ゴドウィンにおいて完成と永遠の進歩との間に在る矛盾は意識されていない。そして、無限の進歩の中で人間は完成に至るということこそが進歩主義だったわけである。
実際のフランス革命はジャコバンの独裁からナポレオンの皇帝即位、その後の王制復古と様々な問題を孕んでおり、フランス革命を不十分な革命と見なす人たちを出現させることにもなった。その人たちにとってフランス革命は質的完成への大きな希望で始まり失望で終わったといえる。質的完成への期待の高揚は、進歩主義の高揚であり、質的完成への失望は高揚に対する反動として進歩主義への失望をもたらすであろう。しかし、進歩主義は創出されたばかりの中心理念であり、まだ生命力に溢れているのであるから、それによって中心理念としての進歩主義も終わるわけではなく、その失敗の埋め合わせの為にも、質的完成を求めて新しい革命を目指す力も生ずるであろう。それは進歩主義を再強化する力ともいえる。
一方、自己放棄の弁証法的展開における前中心理念としてのキリスト教否定が、進歩主義においては中世否定と近世の肯定としてあらわれるとすれば、フランス革命の失敗にもかかわらずフランス近代は肯定的な社会であるということでもある。さらに、進歩主義がその彼岸性を中和するためにも現在への肯定性が求められるのであるから、フランス革命への失望の中でも、なし崩し的に現在を質的完成と考える進歩的保守主義もまた社会に根を張っていくことになるであろう。そもそも質的完成といっても、その基準は曖昧なものなのである。そして、その進歩的保守主義もまたフランス革命の失敗がもたらした進歩主義の弱化に対して、進歩主義を再強化する動きなのだといえる。特にブルジョアジーが基本的に進歩的保守主義を担う人々であるとすれば、フランスのブルジョアジーはフランス革命が失敗した革命かどうかに関係なく、彼らの生きているフランス社会を質的完成社会と看做していくことになるであろう。このフランス社会を質的完成社会と看做そうとする動きは別の面からも生じている。サン=シモンやその弟子のオーギュスト・コントに対して、市井三郎はフランス革命の一時的成功のあとに、恐怖政治が到来し、皇帝制の復帰までが実現し、七月革命、二月革命とつぎつぎにバラ色の期待が裏切られてゆく過程で、彼らはしだいに、理性的・科学的認識能力の覚醒がひろまる時代とは考えず、人間社会の進歩法則を明らかにする科学、社会科学が確立される時代こそが、本当に進歩の様相を画然と区切ることになる画期なのだと考えるようになったという。何故なら、人間は当の進歩の諸法則を意識的に社会実践へ適用することによって、進歩の過程を人道主義的なものに変えうるだろうと信じたからであるが、コントらはコンドルセの継承者らしく、彼らの生きている時代が、その進歩様相の時代画期であり、コントの『実証哲学論稿』などにより、科学的洞察によって進歩の諸法則を発見したと安易に信じ続けたという。ただ、そのような進歩的保守主義による現在の肯定に対しても、いわば失敗したフランス革命を質的完成と看做すようなものであるから、未来の革命を考える力はその現在肯定を否定し、それに対しての未来の質的完成を求めるようになるであろう。この質的完成を未来に求める力を革命的進歩主義と呼ぶことにすると、革命的進歩主義と進歩的保守主義は共に進歩主義を強化しようとしながら、質的完成の時期をめぐって対立するわけである。
質的完成への期待の高揚は、進歩主義への高揚をもたらし、さらに進歩主義による基本理念の希求の高揚でもあったと考えると、質的完成への失望は高揚に対する反動として進歩主義への失望をもたらすとともに、基本理念の希求が弱まるということにもなる。そして基本理念への希求は進歩主義の土台にあるものであるから、それが弱まるということはさらに進歩主義が弱まるということにもなる。すなわち、進歩主義を強化しようとする動きは、進歩主義の土台である基本理念の希求を再強化することにもなるであろう。そしてこの強化された基本理念の希求は、中心理念を媒介とするのではなく基本理念を直接求める力ともなっていくであろう。進歩主義における此岸的基本理念を求めつつ進歩による基本理念の実現は彼岸的であるという矛盾は、進歩主義が此岸的中心理念であるためには、進歩主義が此岸的中心理念であることが絶えず強調されなければならないということにもなる。それは進歩によって実現されるものがいかに基本理念的なものであるかということの強調であろう。そしてその為には、自分たちの求めるものが源初の肯定性であるということが強調されなければならない。自分たちの求めるものが源初の肯定性であることが強調されればされるほど、その彼岸性にもかかわらず源初の肯定性をもたらすものとしての進歩が此岸的基本理念を実現するものとして受け入れられて行くということになるだろうからである。中心理念としての進歩主義の創出の土台にあるのは此岸的基本理念の希求であるから、進歩主義の矛盾に対して進歩主義を維持する為には、その土台が強調されている必要があるということになるが、フランス革命の失敗の反動として、その基本理念の希求がさらに強まるわけである。それは進歩主義を強化する方向に作用する一方、基本理念の直接的希求が強ければ強いほど、即座の基本理念の実現を求めることにもなる。進歩主義の問題点であるその源初の肯定性の未来性と、進歩を源初の肯定性と結びつけるためにはその進歩は無限の進歩でなければならいということからくる源初の肯定性の非実現性、その問題点の直接的解決策は源初の肯定性の即座の実現であろう。基本理念を直接的希求する力を基本理念主義とよぶことにすると、基本理念主義には進歩主義を強化する面があるが、即座に基本理念を求めるという点では進歩主義を否定することになる。同時にそれはその幻想性が露わになるということでもある。
十九世には進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義という三つの力が存在することになる。そしてこれらの動きは、未だ質的完成に至っていないと自己を看做しているヨーロッパ諸国ばかりでなく、一応質的完成社会と看做されていたイギリスにも影響を与えたと思われる。フランス革命の衝撃はイギリスにも伝わったのであるから、フランス革命の失敗もイギリスに影響を与えたであろうし、それは少なからずイギリスが質的完成社会であるということに動揺をもたらしたであろうからである。
進歩的保守主義と革命的進歩主義は質的完成時期をめぐって対立する。一方、基本理念・進歩主義・進歩的保守主義の三極構造では質的完成は疑似基本理念という役割であったが、基本理念主義は純粋に基本理念を求めるのであるから、質的完成は基本理念とは異なるものとして否定されることになり、基本理念主義は質的完成をめぐって進歩的保守主義・革命的進歩主義と対立する。同時に、量的発展の彼岸性をめぐっても進歩的保守主義・革命的進歩主義と対立する。ある意味、基本理念主義と進歩的保守主義・革命的進歩主義の対立は基本理念と進歩主義の対立ともいえるわけである。基本理念・進歩主義・進歩的保守主義の三極構造が協同的であったとすれば、進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義の三極構造は対立的といえよう。
もっとも、単に対立的というだけではなく、そこには協同的側面もある。進歩的保守主義・革命的進歩主義と基本理念主義の対立は進歩主義と基本理念の対立と同じ構造を持つとしたが、そうすると基本理念主義に対して進歩的保守主義と革命的進歩主義は基本理念に対する中心理念的な協同性があるわけである。すなわち、両者は基本理念主義の持つ幻想性への批判を共有する。また、革命的進歩主義による進歩的保守主義否定を考えてみる。未来の質的完成が現在を質的完成とすることを否定する為には、未来の質的完成がより基本理念的でなければならないであろう。そうでなければ、現在の肯定性に対して未来の肯定性は何の意味も持たなくなるからである。この点において、革命的進歩主義と基本理念主義には基本理念をめぐる協同性があるともいえるわけである。その協同性により、反体制の運動において革命的進歩主義と基本理念主義が未分化な状態として混在するということもあるえるわけであるが、同時に革命的進歩主義と基本理念主義は対立関係にもあるのであるから、両者を分離しようとする力も働くことになる。一方、進歩的保守主義による革命的進歩主義否定について考えるなら、未来の質的完成には現在の肯定性という要素が無いことが問題になるであろう。そしてこの否定の根拠としては、存在即肯定としての基本理念の現在の肯定性があるということになり、やはり進歩的保守主義と基本理念主義の間にも協同性があるということになる。進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義の三極構造は対立と協同性の中で、進歩主義を中心理念とする自己放棄の体系を維持することになるともいえるわけである。
国家共同体主義が進歩的保守主義の現在肯定性を補完するものとしてあったとすれば、新しい三極構造と国家共同体主義の関係はどのようなものになるのであろうか。まず考えられることは、進歩的保守主義における質的完成への批判は国家共同体主義への批判にもなっていくであろうということである。しかし、革命的進歩主義と基本理念主義は進歩的保守主義の質的完成を批判するが、その国家共同体批判は同じものではない。基本理念主義は直接基本理念を希求するのであるから、それはあらゆる中心理念を拒否するということであり、従って国家共同体主義は完全に否定される。一方、革命的進歩主義においては進歩的保守主義と結びついている国家共同体主義、つまり体制としての国家は否定されるが、国家共同体主義そのものは否定されるわけではない。何故なら、彼らの未来の質的完成社会の肯定性を補完するものとして、国家共同体主義は必要だからである。ただ、彼らの未来の質的完成はより基本理念的でなければならないから、その意味での国家共同体主義批判もあることになる。しかし、革命的進歩主義者が権力を握った暁には、彼らは国家共同体主義の擁護者に転換してしまうことになるわけである。それに対して基本理念主義者は原理的には国家共同体主義そのものを否定することになるが、他方では進歩的保守主義との協同性の中にもあるのであり、自己放棄の体系の枠内にある限り国家共同体主義を受け入れる余地を残しているのだともいえる。
進歩的保守主義は単に過去の伝統を守ろうとするのではなく、あくまでも現に在る現実を肯定しようとするものであるから、立憲君主制でも共和制でもかまわないわけであるが、進歩的保守主義における質的完成社会が同時に国家共同体主義によっても補強されなければならないとするなら、王を処刑したフランス革命は、国家共同体主義との共存関係をうまく構築できなかったということであり、国家共同体主義との関係においてもその質的完成社会の実現ということについては問題があったということである。もっとも、フランスは最終的には共和制になったわけであるが、、共和制も国家であるということ、すなわちそこに何らかの国家共同体性を引き継いでいるのだとすれば、そこにも何らかの形で国家共同体主義は存在していると考えるべきであろう。ただ、王なき国家共同体主義が進歩的保守主義、つまりヨーロッパの第五段階の自己放棄の体系の補完という機能を十分に果たせるのかどうかは問われなければならないであろう。共和制に立脚した進歩的保守主義の現実肯定が、立憲君主制に比べて安定さに欠けるということになれば、その分革命的進歩主義・基本理念主義の力が強まるといえる。逆に質的完成の肯定性を国家共同体主義の現実肯定性に頼りすぎるようになったり、国家共同体主義の力が強まり、国家共同体主義が前面に出てくるようになれば、それは進歩主義そのものの弱体化であり、また国家共同体主義そのものはすでに自己崩壊した中心理念なのであるから、そこに不安定さが生まれるであろう。フランス革命がその質的完成社会と国家共同体主義の結合に失敗したことに対して、改めて国家共同体主義による補完を理念的に考えたのが、ルソーを高く評価し、フランス革命・市場社会という政治的・経済的現実に失望しながら、現在の肯定性を法の中の自由の実現を通して理性的なものが現実的となり、現実的なものとしての近代国家が理性的であるとして、近代国家に近代の肯定性を見ようとしたヘーゲルだったともいえる。リーデルによれば、ヘーゲルにおいて国家が最初のものであり、国家は弁証法的媒介の結果でもなければ、市民社会の内部にあらわれるもろもろの葛藤についての権威ある調停機関でもなくて、それ自身独立に存在しうる現実的なものの直接態であり、市民社会の真の根拠であるとされる。実際には、ヘーゲルにおける国家は中心理念と基本理念の乖離を埋めるための対処法の一つでしかないが、国家共同体主義によって現在に源初の肯定性を持ち込もうという以上、存在即肯定が現実肯定の直接態であるように、国家もまた自身独立に存在しうる現実的なものの直接態とせざるをえなかったわけである。
王がいなくても、国家自体が神性を帯び、国家と国民が一体化しているなら、国民もまた神性を帯びるわけであり、そこに国家共同体主義が成立するといえる。国家が源初の肯定性を帯びていればいいわけである。アメリカについていえば、コロンブスは自分が地上の楽園に近づきあると疑わなかったし、アメリカ大陸の発見の本当の真実はその終末論的意味合いにあったとエリアーデは言う。このような終末論的意味合いはその後の英国人による植民についてもいえる。彼等にとって植民地建設は宗教改革の幕開けとともに始まった、聖なる歴史の続きであるばかりでなく、その完成にほかならなかった。アメリカは地上のあらゆる国々のなかからキリストの第二の到来の地として選ばれた土地であり、その刷新は本質的に精神的なものであったが、外的完成としての地上の楽園への回帰が伴っていたのであり、開拓者のある者はアメリカのあちこちに実現された楽園そのものを見た。このような植民者の千年王国論は時代とともに進歩の観念に収束していったが、エリアーデによれば一つには楽園と姿を現しつつある地上での現実性との間にある関係が確立されたからであり、第二に終末論的緊張が最後の日に先立つと思われていた退廃と悲惨の時期を省くことによって、そして前に向かっての不断の改良という観念に達することによって和らげられたからであった。H・U・ヴェーラーによれば、アメリカの近代化理論のなかにさえ、「新しいエルサレム」という千年王国論的な十七・八世紀以来のアメリカ像が、根深い伝統の一つとして再び現れているという。少なくとも初期のアメリカは源初の肯定性と結びついていたのである。アメリカが独立して新しい国になっていく過程で、アメリカ国家は地上の楽園という性格を何らかの形で纏うことになるであろうし、その意味でアメリカ国家は源初の肯定性と結びついていたといえる。
引用・参考文献
『イデオロギーとユートピア』 カール・マンハイム
『進歩の思想』 シドニー・ホラード
『歴史の進歩とはなにか』 市井三郎
『大転換』 カール・ポランニー
『フランス啓蒙思想入門』 J・H・ブラムフィット
『ヘーゲルにおける市民社会と国家』 マンフレート・リーデル
『宗教の歴史と意味』 ミルチャ・エリアーデ
『近代化理論と歴史学』 H・U・ヴェーラー
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第一項 新しい進歩の推進力としての経済
フランス革命への失望は、新しい進歩の推進力として経済を意識する立場をもたらした。サン=シモンにおいて失敗したフランス革命の継続が問題であったが、彼はフランス革命の失敗以後、物質的生産へと関心を移していった。それは質的完成の問題とも絡んでいるといえる。フランス革命が質的完成をもたらしたとしても、それは主に政治的に質的完成社会が出現したということでしかないであろう。それに対しバブーフは単なる政治的・法律的平等ではなく所有権の廃止と富の平等を求め、富者と貧者との間の不平等を撲滅しないかぎり革命は終了しないと考えた。また、サン=シモンは軍事的体制から産業的体制へという構想を提出したが、プルードンはそこに経済的革命と政府の終焉を読みとり、その構想の精密化をめざしたとされる。プルードンの『十九世紀における革命の一般理念』によれば、革命の原因は1789年の革命があとに残した経済的な無政府状態であり、革命の動機は増大する系統的な貧困であり、政府はその推進者であり、支持者であり、政府より反革命なものは存在しないのであり、革命の目標は労働と賃金の保障による富と自由の無限の増大とされ、革命の使命は政府を産業組織の中へ分解することであり、そのために必要なのは政府についての諸理論ではなく経済的刷新の諸計画であり、革命の組織原理は相互性と契約とされる。プルードンは政府を否定することによって国家共同体主義を否定したといえるが、フランス革命に失望した人間達にとっても質的完成社会と国家共同体主義の結合への問題意識があったことはサン=シモンにみられる。サン=シモンは単に産業主義を唱えただけではなく、王を平和的に革命を完成させるための道具として考え産業君主制を主張したが、それは国家共同体主義による質的完成社会の補完を意味していたわけである。
フランス革命への失望の時期がイギリスでは産業革命と重なる。マルサスの『人口論』にみられる未来への悲観論を考えると、イギリスにおいてすべての人が産業革命と進歩主義を結びつけていたとは限らないかもしれないが、十九世紀の工業の発展は経済を進歩主義に結びつけていったといえよう。理性あるいは科学的発見といっても、それは社会の一部のエリートによってなされる仕事でしかなかったし、社会の大多数の人間にとっては、それは直接自分たちが参加するものというよりは、その結果を人類の進歩の印しとして受け入れるだけのものでしかなかったといえる。それに対し、経済活動は大多数の人間が日常的になんらかの形で関与するものであり、労働をとおして経済的発展に直接的に参与するものであった。経済活動においてはその意味では総ての人間が肯定的な存在だともいえるし、進歩主義は経済・生産と結び付くことによって、より中心理念としての力を獲得するのだともいえよう。しかし、それはまた経済的な質的完成社会は政治におけるような形式的・理念的なものが通用しないともいえるわけであり、進歩主義が生産・経済によって担われれば担われるほど、現実社会が質的完成社会といえるか改めて問われだすということでもある。
第二項 物質的財と進歩主義
狩猟民であるピグミー族のムブティが住むイトゥリの森に農耕民が移入を始めたのは、三〇〇年から四〇〇年前といわれ、その初期の農耕民の一つであるビラ族とムブティの関係は、「父―子」という親族用語によって呼び合う個人的な関係を結ぶというもので、ムブティは畑の手伝いをした労力や狩猟で得た肉と農作物を交換していた。ただ、この原則は必ずしも厳密に守られるわけではなく、ムブティはしばしば「借り」を踏み倒したり、畑から食料を失敬するが、ビラ族はそれを大目にみていた。そこに十九世紀になると道路建設、鉱山、プランテーションの労働力としてナンデ族が入り込んで来ることになり、鉱山が閉鎖された後、彼らは森を開いて焼畑耕作を始めるようになり、活動的な彼らは、二、三年後にはビラ族より広い畑を耕作するようになっていた。市川光雄によると、ムブティの女性は、農耕民の女性が川で衣類の洗濯をするのを、いつも憧れの目で見ていたという。ムブティの樹布を洗濯するわけにはゆかぬが、農耕民の布地は洗濯することが出来たのである。この市川の経験は、狩猟採集民も物質財に対する憧れや欲求と無縁ではなかったし、物質財への欲求というものが人間にとって根源的なものであることを示しているといえよう。ナンデ族は商売人でもあり、ビラ族がつまらぬことに得た金を使う浪費家であったのに対して、得た金を貯え、ある程度の額がたまると、それを元手にして塩やタバコなどの小さな商いをはじめるのである。ナンデ族の交易人はやがて、美しい布地やおいしそうな食物を持ってムブティのキャンプに赴くようになった。ナンデ族の交易人が着くと、ムブティは興味津々といったありさまでわっと集まり、そこでナンデ族の交易人はおもむろに荷物をひろげ、美しい布地やおいしそうな食物を取り出す。市川によると、その時ムブティは、その場にはいないビラからの「借り」や、ビラとの伝統的な絆を忘れ去ってしまい、彼らの頭の中は、目の前のものをいかにして手中におさめるかということでいっぱいなのだという。こうして現在ではムブティはビラ族よりもむしろ、ナンデ族の交易人の方により多くの肉を手渡している。ビラ族との関係では農作物を無償で手に入れることもあるが、しかし逆に肉をお返しなしで手渡さなければなないこともある、そういうあいまいな交換が伝統的な共生関係の中でつづけられてきたが、ナンデ族が相手だとそれはその都度、肉と布地あるいは食物との交換でけじめを付けてゆかなければならない商取引であった。市川によればムブティはこの新しい交換体系にいちはやく適応したのである。市川が五年後に再び訪れた一九八〇年頃には、ソコ(市場)が開かれるようにさえなっていたという。以前は、畑仕事の片手間に、塩やタバコや布地などの商いをする者が少数いただけだったのに、今では、毎週日曜日になると、ベニやブッテンボーからやってきたナンデ族の行商人が、塩、石けん、煙草、布地その他の衣類、鍋などのほか、ケニヤ製のビスケットやタンザニア製のラジオ、乾電池などを売っており、アルバート湖(モブツ湖)から運ばれてきたティラピアの干魚も並んでおり、ソコに来たムブティのを服装があまりに立派になっているのに驚いてしまったという。市川の計算では、彼らは一枚の布を得るために一〇日間余計に働かなければならないし、ときには、米飯やブガリなどのおいしいものも食べたいと思うと、それにはさらに何日も余計に狩猟しなければならないのである。三月に入るとふたたび雨が降りはじめ、森の花が咲き、ムブティの好物の蜂蜜がとれるようになると、ネット・ハンティングの活動は下火になる。このころまでに、彼らは一家族あたり三、四枚の布地と少々の古着を手に入れることができるが、しかしそれは、何カ月もの間働きつづけてやっと手に入れたものなのである。狩猟採集民の社会は長時間の労働をしているわけではなく、その意味で豊かな社会であった。しかし、交易人は、絶えずムブティの新しい欲望を刺激し、それを手に入れるためには、ムブティはそれこそ懸命に働かなければならない。それでもなおこの「衣」に対する彼の渇望をいやすことはできないだろうし、ムブティの社会は、交易が浸透するにつれて、徐々にプア・ソサエティーに変貌しつつあるといっても過言ではあるまいと市川はいう。狩猟採集民が積極的に物質的豊かさを求め、それを作り出そうと努力しているとはいえないであろう。しかし、物質財を見せられると、それに対して強い憧れや欲望は持つのである。
この狩猟採集民にさえ見られる物質財の力の源泉を辿れば、過渡期における源初の肯定性と道具との結びつきにあるといえよう。過渡期において前本質は創造の情熱にとって無であり有でもあった。それ故、源初の肯定性は幻想であり実体的でもあったわけであるが、源初の肯定性は前本質の肯定であり、それは前本質が創造的有とされることであり、前本質の拡大であった。すなわち、物質財の力の源泉は拡大された前本質、拡大された前本質の中の道具、というものにあるといえるわけである。この前本質の拡大は自立期になると、人間存在領域の拡大すなわちこの世+あの世、身体の拡大すなわち身体+身体装飾、道具の拡大すなわち実用品+過剰性(極端には非実用品)などとして現れたわけである。すなわち、道具でいえば道具の自立化として現れたわけであるが、少し詳しくいえば、源初の肯定性の外化、それは拡大された前本質の外化でもあり、その外化の中で道具も自立化していったということである。自立化が前本質の外化であるとすれば、道具の自立化とは単に非実用的な道具についていえるのではなく、実用品を含んだ道具全体が自立化したというなのであって、その自立化の中で非実利用的な道具も作られていくことになったということである。
道具自体は此岸的性を帯びていることを述べた。ある意味、これは進歩主義と重なるところがある。進歩主義では此岸的基本理念を求めながら、彼岸性を帯びていたから、どちらも此岸性と彼岸性の両方がいえるのである。そしてこのことは、進歩主義にとって自立化した道具が都合のいい存在ともいえる。今ではなく未来において源初の肯定性をもたらすものは、現在における源初の肯定性ではない。なぜなら、現在における源初の肯定性は未来ではなく今現在に源初の肯定性をもたらすだろうからである。すなわち、未来に源初の肯定性をもたらすものは、現在ではなく現在の外にある外化した源初の肯定性ということにもなるわけである。そして、自立化した道具の此岸性は、自立化した道具による進歩、未来の基本理念の実現を此岸的なものとするともいえ、進歩はその意味で此岸においてなされるものとなり、彼岸性を帯びた進歩に此岸性を与えるであろう。
十六世紀の終わりごろから、経済をめぐる書物の中に、金銀を富や権力と同一視する重金主義に対して、真の富を勤労によって生産される生活必需品としたり、労働によって作り出される価値を金銀よりはるかに重要であり、幸福は欲求・欲望が満たされることが必要であり、貨幣のために貨幣が求められるのではなく、諸物の獲得のために貨幣が需要されるといった、貨幣と真の富を厳然と区別する考え方が出てくるようになった。また、重金主義的ではあるが、金銀としての貨幣というよりは、あらゆるものを保有する手段、商工業を発展させる手段としての貨幣に注目する視点も出てくる。このような日常必需品の方が真の富であるという考えの登場は、キリスト教中世が崩壊し、新しく此岸的基本理念が希求される中で生じてきたわけであるが、生活必需品が此岸性と結びつく物質財ということはいえるであろう。自立化した道具が一種の源初の肯定性の外化であるとすれば、そのような外化としての物質的財の否定であり、彼岸性に対する此岸性の強調の一つの現われと考えられる。しかし、生活必需品が原初の肯定性をもたらすかといえば、それは過渡期においてはいえるかもしれないが新しい自立期においてはそれはすでに単なる幻想である。すなわち、生活必需品が原初の肯定性をもたらすという考えは、その幻想性によってすぐさま崩壊してしまうだけである。もし創出されるべき中心理念が物質財と結びつくものであるとすれば、その物質財は生活必需品そのものであってはならないということである。そして、拡大された前本質期とその外化の中で、道具は実利用的なものと非実用的なものとを区別されるわけではないから、その意味では必需品と金銀の区別は本質的意味を持つものではないといえる。創出される中心理念が物質財と結びつくとすれば、そのような物質財は旧石器時代の自立化した道具のように、生活必需品と金銀財宝が一体化したような物質財ということになる。ただ、その自立化した道具として一体化していたものが生活必需品と金銀財宝というように区別されていったとすれば、それは生活必需品から源初の肯定性が奪われていくということであり、新しい中心理念においては、生活必需品に外化した源初の肯定性を再び取り戻すことも必要であり、金銀より日常必需品の方を真の富とすることによって金銀と源初の肯定性との結びつきが否定されたというより、金銀より生活必需品がより重要だとすることにより、金銀が貴重物として保有していた源初の肯定性を、生活必需品の方へも再移転させる働きを果たしたと考えるべきかもしれない。さらに、生活必需品の此岸性により新しい中心理念と結びつく物質財に此岸性が与えられるわけである。
モーリス・ゴドリエによれば、モースは貨幣観念と呪術観念の結びつきに注目していたが、未開社会の研究から貨幣と貴重物、さらには聖物との共通性が明らかとなってきており、貨幣とは商品交換の中に滑り込んでいった貴重物にほかならないという。おそらく中世までの貨幣は、単に交換手段としての貨幣ではなく、聖物につながる貴重物であり、その意味で源初の肯定性の外化としての物質的財であると同時に、それを所有する人間を神の如き存在とする、国家共同体主義的な意味での物質財でもあったとみるべきであろう。新しい中心理念を創出するにあたって、その新しい中心理念は国家共同体主義とは違ったものなのであるから、その意味でも金銀を否定し生活必需品の価値を強調することは、新しい中心理念の創出を目指す動きとも呼応しているといえるかもしれない。 ただ、空気や水といった生活必需品の重要性・価値を改めて確認するような意識は、源初の肯定といっても前本質の肯定、前本質の肯定するものの肯定という、存在即肯定よりは前本質性に結びついた源初の肯定性ということができるであろう。生活必需品が存在即肯定より前本質の肯定や前本質の肯定するものの肯定と結びつくのだとすれば、現在の肯定ということにその分拘束されないということであるから、進歩主義とも結びつき易いともいえるわけである。一方、進歩の結果、最終的に源初の肯定性が回復されるとして、そのような状態を現在からみればきわめて抽象的な状態であろう。特に、その源初の肯定性の回復には存在即肯定も含まれるのであるから、存在即肯定とは存在のみを条件とするのであってそこに何か具体的で限定的な条件があるわけでなく、それからいえば存在即肯定をもたらす物質的財とは何か具体性を持ったものであってはならないということにもなる。さらに現在性と進歩の未来性の矛盾の中で、その矛盾は止揚され解消されるわけではないから、その矛盾の中での未来の状態とは明確なものとはなりえず、曖昧でより抽象的な状態になっていく。そうすると、物質的財に生活と結びついた具体性が求められる一方、進歩主義と結び付く物質的財には抽象性も求められるということにもなる。 ゴドリエ的にいえば、聖物・貴重物そして貨幣こそそのような抽象物ということになる。
第三項 進歩主義経済における平等
十九世紀になると経済が進歩の主要な推進力とみなされるようになるが、それはまた進歩主義が経済に対して何らかの規制力として働くということである。そのような規制力として、進歩主義は経済的平等を求めるであろう。進歩主義が経済に働かせる力とは、存在即肯定からくるもの、前本質的なものからくるもの、質的完成からくるものが考えられ、さらには国家共同体主義からくるものが考えられる。存在即肯定性に注目するなら、存在即肯定において肯定の条件としてあるのは存在しているということであり、すべての人間はその条件を満たしているということであるから、そのことからいえることは、想定される最終到達社会において、その未来の源初の肯定性をもたらす物品は総ての人間に分配されなければならないということである。また源初の肯定性を実現するのに必要な以上の富は不必要なのであるから、源初の肯定性が実現した未来社会は、同時に平等な社会であり、もはやそれ以上の物質的豊かさを必要としない社会である。それ故、進歩主義経済は平等性を指向することになり、進歩の過程は平等化の過程ともいえるわけである。前本質の肯定という側面からいっても、狩猟採集民の社会は前本質期の人類社会を反映していると考えられるから、狩猟採集民社会が平等社会であったということは、進歩主義は平等を指向するといえる。未来の物品によって源初の肯定性が得られるということ自体、存在即肯定と矛盾するが、その矛盾は進歩主義そのものにつきまとう矛盾であり、その矛盾は進歩主義を否定するというよりは、その矛盾によって初めて進歩主義を成立させることのできる矛盾であるのに対して、未来の源初の肯定性の社会における不平等は進歩主義そのものの否定ということができる。
進歩の最終段階が平等主義的でなければならないとすれば、進歩主義的経済構造は平等主義によって制約・規制されているといえる。ただ、所有に関しては、単純に私有財産を廃止して共有化を指向するとはいえない。進歩の方向性が前本質によっても規定されており、前本質期の社会を狩猟採集民を通してみるなら、狩猟採集民社会においても個人所有が見られるからである。そのことはブッシュマンにおいては他人の道具を借りて狩猟した場合、その獲物は狩をした人間の物ではなく道具の所有者の物となるとか、ピグミー族における網猟において、共同作業による狩猟であるにもかかわらず、獲物はそれが掛かった網の所有者のものとなることなどにみられる。もっとも、狩猟採集民における所有意識は複雑であり、その社会の平等主義的性格とも絡み合っている。ブッシュマンの場合は道具は誰でも作れるので、結果的には獲物に対する平等主義的な作用があり、ピグミー族においてもキャンプに戻れば結局獲物は皆に分配されることになるのである。所有物は気前よく他者に貸し出され、時には持ち主に断りもなく勝手に借りていく。所有どころか占有も成立していないともいえるわけである。あるいは、所有は肯定されているが占有は否定されているというべきかもしれない。しかし、その所有概念が平等規範によって完全に拘束されているかといえば、そうでもない。ブッシュマンの場合、彼らが居留地に追い出されると、現金収入が増大して馬が買いやすくなり、馬を使った集団による狩猟が盛んになる。馬による狩猟は伝統的な狩猟より効率的であり、その狩猟の獲物はブッシュマンの伝統で猟具すなわち馬の持ち主の物になるが、肉は乾燥肉に加工されて現金収入を得るために売却される。元々平等化の為の工夫であった獲物が猟具の持主の物になるという規範が、今度はブッシュマンの平等分配の原則の基盤を揺るがすことになってしまったわけであり、そこに不平等が生じるということは、ブッシュマンが完全な平等規範に拘束されてはいないことを示している。もっとも、ブッシュマンがこの不平等を受け入れたかというと、馬や布や砂糖などの現金その他で購入する本来ブッシュマン社会に存在しなかった物は、所有や分配にかかわる彼等の協同規範の体系から外れたものだという認識がある一方、あるものは独り占めせず、皆で分け合って消費すべきだという昔からの不文律が、所有者の側にも根強くあり、その葛藤が消費の過程で絶えず顔をのぞかせるという。ピクミー族の場合も、商業を生業とする人間との間で獲物との交換が多くなると、網猟で自分の物になった獲物が、他の人間に分配されるのではなく、その交換に回されるということが起こってきた。狩猟採集民に私有があるということは、完全な共有制は進歩主義経済にそぐわないかもしれないわけである。しかし、その私有制は基本的には平等性の範囲内での私有ということになるが、狩猟採集民の私有が時に不平等に通じるように、平等性を毀損する可能性を持ったものとして在らざるを得ないともいえるわけである。
平等の問題は、国家共同体主義の影響も考えなければならない。質的完成社会が国家共同体主義によって補完されるとすれば、国家共同体主義の持つ差別性・区別性が経済的不平等へと向かわせる可能性があり、実際の経済的不平等には国家共同体主義的意味合いがあるといえるであろう。ただ、理想的な国家共同体においてはその不平等は最高権威者と他の成員との間の不平等ということになり、一般成員どうしの間は平等であるから、質的完成の補完物としての国家共同体主義が理想的な国家共同体主義を目指すとすれば、その意味での平等化への契機ともなりえる。
一方、進歩主義には不平等への契機もある。源初の肯定性の実現は進歩主義において経済的生産物が実現しなければならないものであり、経済的生産物は何らかの前本質性を利用しながら源初の肯定性への幻想力を獲得するのかもしれない。進歩の過程においては、源初の肯定性への幻想力としてその生産物そのものの魅力が重要であり、それは諸個人においてはまずその生産物に対する自分の欲求として現れるであろう。諸個人がまず生産物による自分の欲求充足を考えるとすれば、次々と新しい生産物が現れる状況のものではそれも不平等に結びつく要素となっていくし、その利己主義は、中心理念が自己崩壊を繰り返していく中で、それをもたらす個が表面に出て来ることことによっても助長されるであろう。進歩主義における経済社会は、その内部に私有制を含みつつ、平等性の確保をめぐって絶えず揺れ動く社会とならざるをえない社会といえる。
第四項 現在と未来を繋ぐもの
進歩主義には存在即肯定との間に矛盾があった。それ故、進歩主義は未来を現在化しなければならないのであり、現在と基本理念の実現としての未来を繋ぐ何らかのものを必要としているといえよう。未来と現在を繋ぐものとしては、未来の物品もまた労働によって生産されるのであるから、労働などが考えられる。その場合、未来の労働生産物が未定である以上、労働は具体的な労働ではなく、抽象的な労働となり、抽象化された労働が価値化されることになる。マルクスは異なるしかし具体的使用価値の交換から抽象的人間労働の概念を導き出したが、進歩主義における現在と未来の交換は全く具体性を持たないものとの交換であり、それ故そこにある労働は抽象的労働になるわけである。さらにいえば、存在即肯定状態における労働は、その労働の具体的内容は無意味なだけでなく、労働そのものが無意味なのであって、そこでは抽象的人間労働も無意味な概念である。
貨幣も交換媒体であることから、現在の労働生産物と未来の労働生産物の交換の媒介物として、現在において未来を獲得する手段になる。進歩主義における貨幣は、源初の肯定性を実現した未来と現在を交換するものとしてあり、未来において存在するであろう物品を、現在的にお金という形で所有できるわけである。しかし、そのためには現実における交換手段としての貨幣に、交換の自由性・十全性とでもいえるものが保障されていなければならない。そのためには、交換の場としての市場が発達していなければならないし、現在的に価値あるものとされるあらゆるものが市場の中で交換可能なものとして商品化されなければならない。一方、貨幣の立場からいえば、進歩主義は未来における源初の肯定性に結びつく物品の形態を商品に限定しなければならないわけである。
モーリス・ゴドリエ的にいえば、富と力を具象化する貨幣は、日々の生存と生活行動では無用なものであったが、貨幣の日常生活における無用性は、進歩主義そのものからも導き出される。貨幣が抽象的な存在としてある未来の商品と交換されるべきものである以上、貨幣もまた抽象的な性格を帯びざるをえないし、そのような抽象物は日常生活にとっては無用なものであろう。貨幣によって日常生活に必要な物を手に入れることはできるが、貨幣そのものは日常生活にとって無用なものでなければならないということにもなる。貨幣は商品的具体性から離れ、その意味では抽象物にならなければならない。進歩主義経済においても貨幣は抽象的なもの、無用で役に立たないものでなければならないわけである。未開社会においては貨幣は貴重物であり貴重物は交換可能物であり、それに対して聖物は非交換性・不動性と結びつき、そして真に源初の肯定性と結びつくのは聖物であった。未来において源初の肯定性をもたらす物質的財とは、それ自身源初の肯定性と結びつき交換も不必要なものであろうから聖物的なものだといえる。未開社会においては貴重物と聖物は同時に存在するが、進歩主義においては通時的なものになって、現在と未来との区別になるわけである。そして、未開社会においては貴重物は貴重物として、聖物は聖物としてあるのであって、両者を媒介にするものが無いのに対して、進歩主義における貨幣は貴重物という性格を残しながら、現在と未来を媒介するものとして存在しているわけである。貨幣が単なる交換の媒介物であるなら、あるいは貨幣欲における貨幣がそのような単なる交換の媒介物としての貨幣であるなら、貨幣は貴重物である必要はないともいえる。しかし、貨幣が現在と未来の源初の肯定性を結びつけるものとしてあるなら、進歩主義における貨幣には貴重物的な性格が求められるのではないだろうか。現在と未来の源初の肯定性を結びつけるものとしては、そのもの自体に聖性すなわち源初の肯定性と結びつく性格があった方が、現在と未来の源初の肯定性とを結びつけるものであることにより説得性をもたせるであろう。お金が現在における未来の獲得であるとすれば、所有するお金が多ければ多いほど未来を手にするということであり、そこからできるだけお金を所有しようという欲求が出てくるであろうし、貨幣が貴重物であるとすれば貨幣をより多く所有することはより多く聖性に近づくということで、さらに貨幣欲は深まり、進歩主義的経済が基本的に平等主義的でなければならないにもかかわらず、貨幣によって進歩主義経済の中に不平等がもたらされるということにもなる。
自己放棄の弁証法的構造からいえば、進歩主義を中心理念とする社会も再定立された国家共同体主義を含まざるをえない。さらに、進歩主義は国家共同体主義による補強を必要としていた。そうすると、貨幣を多く所有することは現代の王侯貴族になるということでもあることからも、その意味でも貨幣欲が出てくるということになり、経済的不平等をもたらすことになる。一方、それは同時に貨幣欲とそれがもたらす不平等が、進歩主義に対する国家共同体主義による補強という点においても、再定立された国家共同体主義としても機能しているということであろう。十六世紀の終わりごろから金銀よりも日常生活の必需品が価値あるものとされ、貨幣のために貨幣を求められることに対する否定的な考えが生じてきたとすれば、進歩主義は再び貨幣のために貨幣を求める傾向を再び生じさせるともいえるわけである。もし進歩主義経済が進歩の最終段階、すなわち源初の肯定性から生じる諸傾向を実現していくとすれば、それは進歩主義がその幻想性により直面していくということでもあろう。進歩主義経済はその幻想性からくる自己崩壊を避けるために、源初の肯定性が要求する傾向から逸脱していかなければならないということでもある。そのような逸脱として貨幣の過剰な尊重ということになるかもしれない。
共産制のもとで生産物が総ての人間に分配されるのだとすると、共産制によって組織化された社会では未来の源初の肯定性をもたらす生産物が総ての人間に分配されることが保証されているということになる。その意味では、共産制という制度は未来における平等性をも保証するものとして、その意味で現在と未来を繋いでいるともいえる。貨幣を媒介とする市場社会と共産制社会との違いは、市場社会では現在的労働とその生産物が貨幣を媒介にして未来の生産物と交換可能なものとしてあるということであり、現在の生産物と未来の生産物は生産物どうし結ばれているのに対して、共産制社会では現在の生産物も未来の生産物も単にその時点で平等に分配されるだろうということであって、現在の生産物と未来の生産物を結びつけるものは存在していない。共産制社会では現在労働とその生産物が宙に浮いてしまうともいえる。進歩主義における未来の彼岸性がその分克服されていないわけである。基本理念主義ではそもそも進歩主義的未来は想定されていないのであるから、このような問題は生じない。ただ、現在の労働と生産物が原初の肯定性状態の中での労働であり生産物であるかどうかは問われることにはなる。もっとも、前本質の肯定という面からいえば基本理念主義にとって社会は共産制社会あるいは相互扶助的社会でなければならないともいえるが、存在即肯定からいえば物質的平等も関係ないから、その点からいえば基本理念主義にとってその社会が共産制であるかどうかはどうでもいいことともなる。
第五項 自由経済と計画経済
経済的には、質的完成はアダム・スミス以来、自由な市場社会の形成ということになる。一般に経済学は均衡性を重視しているようにみえるが、進歩の最終到達状態において経済は平等性を実現し、その意味で均衡状態であることを考えると、質的完成社会が何らかの均衡性を持ったものでなければならないであろうし、自由な市場は均衡をもたらすとされるわけである。もっとも近代経済学は質的完成社会を前提にしているというよりは、その構築が問題になっていったともいえる。消費者主権の原則のもとに、消費者の嗜好が合理的に実現できる経済社会システム構築が経済学の目標とされ、自由経済の体系は市場での資源の配分が究極的には消費者の嗜好に合ったかたちで実現されることを目指すとされる。ただ、消費者の行動は効用極大原理として、消費から受ける効用、または満足度を極大にしようと行動するものとされ、その意味で合理的であると考えるわけであるが、進歩主義においては現在は未来によって否定されるものとしてあるのであるから、そのような合理的判断そのものが否定され、消費者はたえずその選択に対して動揺する存在とみなされなければならないともいえる。今日の合理的判断が明日には非合理な判断となり、ある期間を通すと消費者の行動が合理的かどうか分からなくなるということもありえるわけである。
自由主義経済と計画経済を進歩主義的立場から考えてみる。進歩主義における経済を考える場合、未来に出現するであろう基本理念の実現をもたらす一群の労働生産物を想定することになるであろう。その未来の物品は、源初の肯定性をもたらすものであるとともに、創造の情熱を充足するものとされるわけである。それらの未来の労働生産物・物品の総体は幻想であり、当然それは未来の個々の生産物・物品も幻想であるということになる。また、基本理念の実現をもたらす未来の生産物・物品を想定するということは、現に存在する物品群は何ら源初の肯定性をもたらさないものとして、否定的に捉えられることにもなる。そのことから、進歩主義的経済においては、実際は幻想にすぎないかもしれないが、源初の肯定性をもたらす労働生産物を求めて、常に新しいものが求められ、作り出されなければならないということになる。既存の物品は陳腐化し、新しいものに取って代わられ、時には既存の生産手段もまったく転用の利かないものとして破棄される。進歩主義における経済構造は動的であり、非合理性を含み、計画性にもなじまない、どこか不安定なものとなるであろう。計画経済は基本的に我々が基本理念の実現に必要な生産物を知っている時に可能である。また、そのような生産物の全てをあげることはできないかもしれないが、その一部の生産物についてはそれを知っている場合、それらの生産については計画経済は可能であろう。そのような生産物としては、生存に必要な食料及びその生産に必要な物をあげることができるかもしれない。前本質期において食料はきわめて重要な存在だったと考えられるからでりあり、また、進歩主義おいては基本理念の実現は未来のこととされるのであるから、基本理念の実現には明日も生存しなければならないということになり、その意味でも食料は基本理念の実現にとって必要な生産物といえるであろう。しかし生活必需品については、それが絶対に必要な物か、未来においても必要とされるかどうかは曖昧なものがある。
一部の生産物についてはいえるかもしれないが、進歩主義において我々は基本理念の実現に必要な総ての生産物を知ることは無い。その意味では、進歩主義において全面的な計画経済は成り立たない。その時々において、あたかも基本理念の実現に結びつくようにみなされる生産物があるかもしれない。しかしその場合も、そのような生産物において計画経済がもっとも無駄の無い資源を有効に使う方法とは必ずしもいえないのではないだろうか。基本理念を実現するものと看做されて一度立てられた計画を、それが単なる幻想と分かっても、中止・修正することは難しいことであろう。さらに、平等を求める以上、その計画は総ての人間の欲求を充足させるものとして大規模なものとならざるをえない。そして結局生産を中止することになったとしても、膨大な無駄ともいえる設備が残りかねないわけである。もっとも、進歩主義を中心理念としない社会においては、計画経済は否定されないともいえる。
源初の肯定性の実現した未来における経済は、計画経済というよりは固定化され慣習化された経済というべきであろう。計画経済という時、そこには作為性があり、存在性とは馴染まないが、慣習化されたものはより存在性がいえる。また、進歩主義における基本理念の実現は、そのための条件を事前に知ることができないとすれば、基本理念の実現は気がついてみれば実現していたという形になるのではないだろうか。このような進歩主義の性格には自由経済の方が向いているかもしれない。自由経済においては、ある目的を設定してそれに進んでいるというよりは、各主体が自己判断のもとで行動し、さらにその自己判断を修正していくそれらの諸行動の結果があるだけであるからである。進歩主義には絶えず未知の部分があり、また未知の部分があることが必要であるとすれば、自由経済ではその未知の部分というものが入り込める余地があるといえるのではないだろうか。それに対して、近代経済学はその自由経済から未知の部分を意識的に排除しようとしているように見える。例えば、資源の効率的な分配が経済学の使命であるというが、基本理念を実現する生産物が未知である以上、資源の効率的な分配などありえないのである。目先の資源でさえ、それを使い切るべきなのか、未使用のまま明日に残しておくべきなのか決定などできないのである。もっとも、近代経済学が資源の効率的使用などの合理性を主張しようとするのは、社会を経済学的な意味でも質的完成社会とみなしたいのである。
第六項 進歩主義と資本主義
資本主義が語られる時、多くの人間は資本主義が近代ヨーロッパを規定している、近代社会は資本主義を土台として成立していると考えているように思われる。マルクスはそのことを前提にして、資本主義の矛盾を考え、その止揚としての未来を語るわけである。しかし、本論では進歩主義をヨーロッパ近代の中心理念とし、ヨーロッパ近代を規定するものとするのであるから、当然資本主義は進歩主義の下位に位置づけられ、進歩主義に規定されたものとなる。資本主義は巨大な生産力と多様な商品を作り出したが、それらは進歩主義と結びつくことによって資本主義に近代的な意味をもたせたのである。また、市場経済は貨幣を媒介として現在の労働とその生産物を未来の労働とその生産物に結びつけ、重ね合わせる場を提供していた。このような資本主義を進歩主義の下におく本論の立場は本当に問題がないのであろうか。資本主義が近代ヨーロッパを規定しているという場合、二つのことを分けて考えなければならない。一つは、進歩主義ではなく資本主義がヨーロッパの自己放棄の第五段階の中心理念であるかもしれないということであり、それは本論の枠内での話ということになる。もう一つは、それが進歩主義が中心理念であるということばかりでなく、中心理念という概念、自己放棄の弁証法的展開という本論の立場そのものを否定しているかもしれないということである。
資本主義は進歩主義の枠内にあるとすると、資本主義は源初の肯定性を目指しているということになり、源初の肯定性は平等性と結びついているのであるから資本主義も時間と共に平等を実現して行くのではないだろうか。もしそうでないなら、資本主義は進歩主義の枠内にあるとはいえないかもしれないわけである。例えば、資本主義においてマルクスのいうように労働者が絶対的窮乏化状態に追いやられるなら、資本主義が進歩主義の下にあるとはいえなくなる。では、資本主義において労働者の経済状態はどのように変化していったのであろうか。この場合、経済が進歩主義の中心推進力と見なされていくのは十九世紀になってからなので、十九世紀からの労働者の経済状態が問題になる。カール・ポランニーによれば、産業革命以後貧困と富裕の双方を説明すものとして搾取という考えが出てきたが、しかしそれは、工業スラムでの賃金が他のどの地域よりも高く、しかもその後一世紀にわたって全体として上昇しつづけた事実を説明することができなかった。平瀨巳之吉がマルクス経済学者のL・A・とメンデリソンとブルジョア経済学者のB・R・ミッチェルの研究からグラフ化した十九世紀の物価と賃金の図を見ると、十九世紀全体では物価下落、賃金上昇という傾向が読み取れる。それからいうと、十九世紀後半のイギリスの労働者は経済的に豊かになっていったことがいえる。メンデリソンのグラフではイギリスの名目賃金と実質賃金が載っており、実質賃金で見ると世紀の始め頃から下がっていた賃金が13年頃を底として十九世紀の間右肩上がりに上昇しており、特に半ば頃から上昇を速め、70年頃からさらに加速している。ミッチェルのグラフはイギリスの綿業労働者の賃金であるが、名目賃金なのか実質賃金なのかは記されていないが、賃金は31年を底に1906年頃まで右肩上がりにやはり上昇している。物価は14年まで二度の騰貴を含め高かったが、15年には急激に下がり、95年ごろまで下落基調であり、そこから上昇基調に転じている。それからみると、グラフに見られる賃金が名目賃金であるとしても、少なくとも31年ごろから95年頃まで実質賃金は上昇していたことになる。それ以後は賃金も物価も上昇しているので、実質賃金はほぼ横ばいだったかもしれない。メンデリソンとミッチェルの研究からは十九世紀中頃から世紀末にかけ、少なくともイギリスの労働者は経済的に豊かになっていたことが分かるが、トマ・ピケティによれば、20世紀の終わりには平均的な労働者の購買力は19世紀の終わり頃の10倍になっているというから、労働者の経済的豊かさの増大は20世紀にもいえるわけである。少なくとも、資本主義における経済発展の下で、労働者はマルクスのいうように絶対的窮乏化というような状態にあったわけではなく、それなりに豊かになっていったということはいえる。この事実は、少なくとも資本主義が中心理念としての進歩主義の枠内にあった可能性を示しているといえよう。
ただ、労働者が経済的に豊かになっていったのは、十九世紀よりも前からの可能性もある。十八世紀には進歩主義がすでに中心理念の座を占めていたとしても、経済が進歩の中心的推進力と社会的にみなされていなかったとすれば、十八世紀における労働者の経済状態の上昇には進歩主義の影響はほとんどなかったとすべきであって、もしそうなら、十九世紀における労働者の経済的改善も、進歩主義とは関係ない可能性が出てくるわけである。ミッチェルの研究をグラフ化したものには十八世紀のものもあり、それには物価とともに名目賃金と実質賃金が載っており、名目賃金は階段状に何段階にわたって急上昇しては安定化するということを繰り返しているが、実質賃金を見ても基本的趨勢は右肩上がりに上昇している。実質賃金の上昇は世紀末に物価が急上昇することにより下落するが、物価の急上昇はナポレオン戦争の影響ともみなされており、十九世紀の始め頃まで高い段階にとどまっている。もっともこの十八世紀の実質賃金の上昇が進歩主義に関係ないとしても、十九世もそうだともまたいえない。いえることは、十九世紀後半のイギリスの実質賃金の上昇は、中心理念としての進歩主義とも整合性を持つということである。
資本主義が進歩主義の枠内にあったということは別のことからもいえるかもしれない。進歩主義的経済においては新しい生産物の創出こそ重要だとすれば、単なる量的豊かさはあまり意味がなく、製品の多様化や革新的性能の向上こそ注目すべきともいえるが、資本主義における製品の多様化や技術的発展には中心理念としての進歩主義が大きな役割を果たしている可能性はある。ピケティによれば十九世紀の終わり頃までには映画・電球・蓄音機などの新しい発明が登場してきているが、それらをもたらしたものが単に資本家の利潤追求だったとはいえないであろう。その意味では進歩主義と資本主義の相乗効果で経済的発展があるともいえるし、その相乗効果による経済発展が中心理念としての進歩主義を強化してきたということもいえるわけである。自動車は現在欧米や日本では誰でも持てるものになっているが、20世紀の初めには自転車が同じようなことがいえ、1880年代のフランスのもっとも出来の悪い自転車でも平均的労働者の賃金六ヶ月分の値段であったのが、1910年頃までには賃金一ヶ月分に下がっており、そのような発展の中で労働者も進歩というものを実感できたともいえる。
絶対的貧困化ではなく相対的貧困を考えた場合はどうなのであろうか。確かに労働者が豊かになったとしても、資本主義における富の不平等についても考えなければならない。資本主義が進歩主義の枠内にあるなら、相対的貧困も是正されていくであろう。進歩主義の目指す基本理念が平等と結びつく以上、財産における平等化、すなわち資本主義においても資産の差異が縮小していく方向へと向かわなければならないはずである。ピケティの研究では、19世紀を含め資料が豊富なフランスの例をみると、1780~1810まで格差は縮小し、平等化へ向かっていおり、フランスにいえるならイギリスにもいえるのではないだろうか。
しかし、ピケティによれば二十世紀になるとその流れは逆転し、1910年まで格差は微増している。上位10%の国全体の富に対する割合は1810年には80%だったのが1910年には90%近くになっており、上位1%では45~50%だったのが60%に上昇している。より不完全な資料ながら、イギリスでも同じ傾向がみられ、スエーデンでも見られるという。もちろん、進歩主義が平等化を推進するとしてもそれは一直線上に進むのではなく、時には後退することもあるであろう。実際ピケティによれば、1910年前後をピークに1970年頃まで上位10%、上位1%とも占有率を急落させている。ピケティはそのような資産格差の縮小をもたらした原因の一つとして、20世紀中に政府が資本と所得に高い税率を課すようになったといういう構造的変化をあげている。1950~80年には富裕国では税率は約30%になったが、これはあらゆる資本形態からの所得に適応されるとすると、それだけで富の著しい分散の主要な原因になり、歴史データに見られる上位1%の占有率の減少とほぼ同じになるという。さらに20世紀には相続税もかけられるようになり、累進課税も行なわれるようになった。このような国家の税制による不平等の是正は、平等化を求める進歩主義の圧力の下で生じたと解釈することもできる。
ただ、ピケティは別の説明もしており、その説明を見ると、格差の縮小は必ずしも平等化へと向かう進歩主義と結びつけることが出来ないかもしれない。政府による税率の他に、彼は1910年ごろから1970年ごろまでの資産格差の縮小を、両大戦と大恐慌のショックによる資産価値の下落とその影響が残っていたことにも原因をもとめている。そうすると、二十世紀の資産格差の縮小は進歩主義とは関係ないともいえるわけである。さらに、この金持ちの占有率の減少は、富の分布の下位50%が所有しているのはまったくのゼロから微々たるものという状態は変わっていないから、中流階級の台頭があったということであり、それは富の格差は歴史的に見て多くの人が考えているほどは縮小してはいないことだとピケティはいう。そしてピケティによれば、1970年ごろから2010年まで格差は縮小から拡大へと動きが反転してさえいるのである。所得格差を見ると、フランスの上位10%の占める割合は1910年頃の45%強から一度下がり1930年代中頃に一度元の水準に戻るが、そこから1940年代中頃の30%弱まで急落し、1960年代半ば35%強まで再び広がるが、1980年代初め頃に再び30%に下がり、そこからゆっくりと再び格差を拡大させている。上位1%では1910年頃から1940年代まで20%強から8%弱までかなり大幅に一貫して占有率を落としており、1980年代初め頃よりは上位10%ほどではないが同じような波動を描いている。これを見ると第二次世界大戦後ほぼ横ばい状態ともみなせるが、アメリカでは1980年頃からの格差拡大は急であり、上位10%の総所得に占める占有率は、最高だった1920~30年頃を超えており、イギリスにおいて最高だった1900~10年ごろの占有率も超えている。イギリスでも20世紀初頭の水準までは達していないものの急上昇しており、ピケティによればアングロ・サクソン諸国において顕著であり、特に上位1%に顕著であって、所得階層の上に行けば行くほど、所得増大は顕著であり、この所得階層の上に行くほど占有率を増大とさせているのはフランスでも見られるという。当然、この動きは最終的に平等性を求める進歩主義の傾向と対立している。1910年頃まで資産格差が増大し、その後多少格差は縮小したかもしれないが、1970年頃から再び格差が増大しだしたという二十世紀全体の動きをみると、資産格差は増大しているともいえ、これは資本主義が進歩主義の枠内にあることを否定しているとも解釈できるわけである。
再び所得格差・資産格差が縮小に向かう可能性はどのぐらいあるのであろうか。一人あたりのGDP成長率を見ると、ピケティによれば1950~70年間に年平均北米では2.3%、西欧では4%強で最高であったが、それが1990~2012年では両方とも1.5%に低下させている。ピケティによると、低成長社会においては非常に大きな資本ストックを再構築する傾向があり、年間経済成長率が資本の年間収益率を下回る限り資産格差は拡大するといい、二十世紀は紀元後成長率が収益率を上回った特殊な時期であったが、二十一世紀以降は再び成長率が収益率を下回るとする。二十世紀は特殊な時代でこのままいくと、二十一世紀も資産格差が増大していくことになるわけである。しかし、中心理念はあくまで進歩主義であり、ヨーロッパやアメリカにおけるを規定しているのが資本主義ではなく進歩主義であるとすると、この資産格差の増大には何らかの反動が生まれるであろう。それは資本主義そのものの否定に向かうかもしれないし、あるいは資本主義を残しつつ何らかの工夫で平等化を追求することになるかもしれない。あるいは進歩主義が再び資本主義に経済成長をもたらし、資産の不平等も縮小していくということになるのかもしれない。あるいは、進歩の中心的な推進力としての経済的発展がその力を失ってきたということなのかもしれない。そうするとそれは進歩主義の自己崩壊が進みだしたということの現わなのかもしれないし、あるいは経済的発展に代わる新たな進歩の推進力が出現してくるということなのかもしれない。どちらにしても経済と進歩主義とのつながりが薄れるということは、経済的平等化もそれ程重要視されなくなるということであろう。また、進歩主義の自己崩壊についていえば、低成長下の格差拡大は、一般労働者に進歩からの疎外感をもたらすであろうから、それは中心理念としての進歩主義の自己崩壊を加速させるであろう。進歩主義が創出されたのが十八世紀とすると、三百年もたたないで自己崩壊が始まったということで、早すぎる気もするが、進歩主義には彼岸性という問題を抱えていたのであるから、その自己崩壊が始まるのも早いということも考えられることである。
あるいは、この急速な資産格差の増大に一番途惑うのは、当の金持達なのかもしれない。彼等が中心理念としての進歩主義の価値観の中にいるとすると、彼等の資産の増大はそれだけ進歩主義が目指す理想へと彼等を近づけることであるとともに、そのことがもたらす不平等の増大は社会が進歩主義的理想から逆に遠ざかっていることを意味するからである。すなわち、彼等はその資産を急速に増加させ、資産格差を広げることによって進歩主義を否定しているともいえるわけであり、彼等の価値観の根本にある進歩主義を彼ら自身が否定するという矛盾に陥ってしまうのである。この矛盾の中で彼等が進歩主義に代わる新しい価値観を持っている、作り出すことが出来るとは思えない。せいぜい新しいことが出来るといえば、古来からの資本主義に戻ることぐらいであろう。あるいは、彼等自身の進歩主義的価値観を維持する為に、進歩主義の理想を彼ら自身が語りだすということが起こるかもしれない。その場合、彼等はポラードが述べる伝統的な保守主義的な資本家ではもはやなく、革命的進歩主義者あるいは基本理念主義者でさえあるかもしれないわけである。しかしその意味することは、一般大衆には彼らが与える進歩主義的理想に満足することを求め、彼ら自身は彼等の富に満足する、満足しようとすることでしかないであろう。彼等が語りだす進歩主義的理想は大衆に満足を与える為には直ぐにも実現できるものでなければならないし、そのようものとして彼等は彼等の進歩主義的理想を作り出すであろう。その為には、もはや経済は発展すべきではないとさえされるかもしれない。進歩主義的理想状態においては進歩は必要ないからである。それは彼等自身が急激な進歩に恐怖を感じているということかもしれない。しかしその恐怖とは、彼等自身の資産の急激な増大がもたらす矛盾が引き起こしたものなのである。あるいは、源初の肯定性とは前本質の肯定であるから、生存が強調され、ある意味大衆は生存できていることだけで満足することを求められるということかもしれない。どちらにしても、力を持つ彼等が彼等の矛盾から逃れ出ようと足掻けば足掻く程、迷惑を蒙るのはそれに振り回される一般大衆ということであろう。
資本主義における利己主義と平等との関係は、利己主義が豊かさをもたらし、利己主義どうしは市場の見えない手によって調節されるというアダム・スミス的な考えによって調停されるのではないだろうか。確かに、質的完成という次元では、そのようなアダム・スミス的な考えが利己主義と平等との関係を調停できるかもしれない。しかし、基本理念の次元では最大多数の最大幸福といった功利主義的考えは通用しないのであり、求められるのは全ての人間に対する平等であるから、いくら利己性が社会に豊かさをもたらし、多くの人に豊かさをもたらすからといっても、資本主義的な利己主義が平等をもたらさないなら、それは資本主義が基本理念を否定しているということになるのである。資本主義の不平等が、資本主義が進歩主義の枠内に収まらないということを意味するとすれば、それは進歩主義が中心理念ではないということを示すと同時に、資本主義もまたヨーロッパにおける自己放棄の弁証法的展開の第五段階の中心理念ではないことを意味している。では、資本主義こそがヨーロッパにおける自己放棄の弁証法的展開の第五段階の中心理念なのであろうか。資本主義に不平等があっても、差別性は国家共同体主義にもあったのであるから、資本主義が中心理念でありえるともしえる。しかし、基本理念が自己放棄共同体の成員全員に源初の肯定性をもたらすことを要請している以上、資本主義はその不平等によってすべての人間に源初の肯定性をもたらさなければならない。この場合、国家共同体主義的構造は使えないであろう。国家共同体主義においては最高権威者と他の国家共同体成員との同質性がいえたが、資本主義は資本主義として全員の同質性をいえるのであろうか。資本家と労働者、あるいは金持ちと貧乏人の間にどのような同質性があると、資本主義は資本主義の枠内でいえるのであろうか。資本主義には資本主義独自の同質性の論理があるようには思えない。それよりも、資本主義の利潤をめぐる競争社会においては、自己の利益のみを考えるバラバラの諸個人がいるだけともいえるわけである。国民として資本家も労働者も、金持ちも貧乏人も同じ国民であるとしても、その同質性は資本主義そのものがもたらした同質性ではないのである。資本主義の不平等はその資本主義以外がもたらす同質性を利用するのだということであれば、それは国家共同体主義の一亜種でしかないかもしれないわけである。また、進歩主義とは未来における源初の肯定性の実現とすれば、資本主義は現在における源初の肯定性の実現を主張するものでなければならないであろう。もしそうではないとすると、資本主義とは経済的なものを進歩の推進力とする進歩主義の一種とみなすことができる。資本主義の何が現在に源初の肯定性をもたらすのであろうか。とくに、資本主義にとって重要なものされる物質的豊かさや利潤の蓄積において、実際に不平等があるのであるから、源初の肯定性と平等との関係からいって、資本主義が源初の肯定性を現在性として与えているとすることは極めて考えずらいことであろう。資本主義において不平等は結果としてもたらされるものであって、不平等は重要ではなく、結果として不平等をもたらすものが重要なのかもしれない。すなわち、利潤の追求によって得られるものではなく、利潤を追求すること自体が重要なのかもしれないが、しかしその結果ではなく利潤の追求そのものを源初の肯定性に結びつけるものは何なのであろうか。少なくとも、過渡期において利潤の追求というようなものはなかったであろう。こう考えてくると、進歩主義ではなく資本主義が中心理念ということはありそうにもないように思える。
あるいは、資本主義は中心理念ではないが、自己放棄の弁証法的展開を離れて資本主義は我々に自己放棄を与えているのかもしれない。もしそうなら、それはどのような自己放棄なのであろうか。考えられることは利潤の追求は創造の情熱のことであるとすることであるが、しかし結局それは自己放棄の弁証法的展開の中で利潤の追求は創造の情熱のこととすることが出来るということではないだろうか。過渡期において源初の肯定性は創造の情熱に対して幻想であるとともに実体的でもあった。源初の肯定性における肯定性は創造の情熱に対する肯定性だったのであり、この源初の肯定性以外に創造の情熱と結びつくものは無いようにも思えるし、そうすると利潤の追求を創造の情熱とするためには利潤の追求を源初の肯定性に結びつけるしかないことにもなるからである。
資本主義が進歩主義の枠内を超えているということは、資本主義が創造の情熱(創造的無)という人間の本質ではなく、新しい人間の本質の何らかの反映であるということであるかもしれない。資本主義が利己主義に立脚し、各人は他者より多くの資産を持つことを最終的な目標にしているように見える。そのような人間の姿が根底的な姿であるとするなら、人間は創造的無としてあるのではなく、また無目的な存在でもなく、経済的利潤を個人的に求めることを本質的な目的とする存在ということにもなるわけである。その場合、人間の本質が資本主義的なものになったのは、いつの頃からなのかという問題もある。あるいは、現在は資本主義的なものが人間の本質となる過渡期という可能性もある。現在が過渡期であるとすれば、それはまた一種の自己放棄をもたらすということであるかもしれない。資本主義が新しい人間の本質の反映であるというよりも、資本主義が新しい本質と古い創造の情熱(創造的無)との過渡期の反映とすれば、そこに新しい本質から見れば自己放棄が言えるかもしれないわけである。あるいは資本主義社会とは新しい本質の人間と古い創造の情熱(創造的無)を本質とする人間が一つの社会に混在している社会のことであるとすると、資本主義社会に問題があるとすれば、その根本原因はこの混在性にあるかもしれないわけである。経済的利潤の個人的追求が人間の本質なら、平等を理想とする傾向がどうして出てくるのかという疑問が逆に生じてくる。あるいは、資本主義的なものを本質とする人間と、平等的なものを本質とする人間という、人類が二つの種に分裂する過程にある可能性もあるわけである。
第七項 進歩主義・資本主義と利己主義
進歩主義にはその平等性志向とは別に、利己主義が生ずる要素があるのかもしれない。進歩主義は現在と未来を繋げなければいけない。すべての人に平等にいきわたる共産制社会も現在と未来を繋げているといえるが、ただ進歩主義の中での共産制社会を考えると、進歩主義における未来とは新しいものが出現するということであり、共産制社会においてもその新しいものが一挙に全員に分配されるとは限らないわけであり、そこに不平等があり、その不平等が利己主義を生む可能性があるわけである。その新しいものが決定的な事柄、例えば不死の技術であったとして、その技術の恩恵を受ける為には順番待ちをしなければならないとすると、自分の順番が来る前に死んでしまうという人も出てくるであろうから、出来るだけ早い順番になりたいと誰しも思うであろう。さらにいえば、進歩主義における利己性を考えるとき、創造の情熱の利己性も考えなけれはならない。自我が創造の情熱としてあるということは、自分の創造の情熱を充足するということであり、そこに利己性がある。自己放棄において源初の肯定性とは創造の情熱の充足であるとされるのであるから、此岸的基本理念とその中心理念はそもそもから利己性と結びついているともいえるわけである。
ただ、自己放棄において源初の肯定性は幻想であり、その幻想をあたかも実体的なものであるかのようにみなそうとすると、社会の力といったものを必要とすることになり、そこに平等性といったことも出てくることになる。また、創造的無状態では創造の情熱の利己性がそのまま利己主義として現れるわけではない。創造の情熱の充足がどのようにしてもたらされるかわからないからである。ホッブス的な言い方をすれば、直ちに万人の万人に対する戦いを意味するわけではなく、万人との戦いだけでなく、万人との協調・協力もまた創造への可能性をもつわけである。ただ、創造の情熱の充足の具体的な方法が与えられたら、各人は自己の創造の情熱の充足を求めるであろうし、そこにまったくの利己主義しか現れないということもありえるわけである。また自己放棄においては、それが此岸的中心理念であるかぎり、源初の肯定性を求めているのであるから、存在即肯定からいっても、また前本質においては相互扶助的であったと考えられることからいっても、此岸的中心理念は利己主義と対立する要素も含んでいることになる。すなわち、此岸的中心理念にいえることは、共同性・平等性と自己性・利己性の間を揺れ動くだろうということである。中心理念としての進歩主義についていうなら、そこにおける創造の情熱の充足は未来のことであり、存在即肯定とそもそも矛盾している。その矛盾の中で、共同性・平等性と自己性・利己性の間の揺れ動きが大きくなることも考えられ、未来の創造の情熱の充足を目指して、各人の利己性が剥き出しになっていくということも考えられることである。不平等性でいえば、存在即肯定ではその肯定に平等・不平等という条件はないということであり、平等・不平等という条件がないということは、存在即肯定の為には他人という要素は入ってこないということでもあり、主体としての自我が存在しているだけで、そこにあるのは自己性であり、他者との関係での利己主義は存在しない。
資本主義ではその進歩主義における利己性がさらに強く出て来るということなのかもしれない。貨幣も現在と未来を繋げるものであった。貨幣の所有とは現在における未来の所有であるとすれば、貨幣を所有する人間は未来を所有していることになり、そしてその未来の所有はその貨幣を所有している個人にいえることなわけである。その意味では、貨幣と貨幣と結びつく資本主義は人をより利己主義的にするともいえる。さらに国家共同体主義内における資本主義も利己主義的色彩の濃いものだったといえよう。
マックス・ウェーバーは資本主義は中国にも、インドにも、バビロンにも、古代にも中世にもが存在したが、それらの資本主義とヨーロッパの近代資本主義とは区別されるものであるとする。ただ、ヨーロッパの近代資本主義と古くからの資本主義はまったく別のものかといえば、そんなことはない。資本の投下による利潤の追求ということでは全く変わっていないといえよう。古くからの資本主義が進歩主義に組み込まれたのが近代資本主義といえる。国家共同体主義における資本主義はそれによって国家共同体主義が成立するものというより、国家共同体主義の影響を受けながら発生してきたものといえる。その意味で、国家共同体主義は国家共同体成員全員に源初の肯定性をもたらすものでなければならなかったが、国家共同体主義内部の資本主義にはそのような機能は求められていなかったし、実際そこにあったのは利己主義であったといえる。物質的財の所有がその所有者をいわば最高権威者に近づけるという意味で国家共同体主義的であったが、最高権威者に求められていた他の成員との同質性というものは求められていなかったし、物質的財の価値については他の人間と共有していたが、彼の物質的財の所有がその所有者に与える源初の肯定性を、その所有によって他の人間にも与えるということではなかった。古くからの資本主義が国家共同体主義の中に自己存在の根拠を持っていたということは、再定立された国家共同体主義、質的完成の補完としての国家共同体主義の中でも資本主義は自己の存在根拠を維持できたということである。近代における資本主義と国家共同体主義の強い結びつきは、たとえば十七世紀後半のオランダの広汎な市民層が貴族への昇進熱や爵位熱に浮かされたことからもいえよう。すなわち、資本主義はその利己主義性を変えることなく存続できたし、進歩主義に組み込まれた資本主義は古い資本主義の上に新しい意義を重ねたということであるから、やはりその利己主義を維持することになるわけである。
近代資本主義が進歩主義の下にあるのだとすると、近代資本主義と国家共同体主義の関係は複雑になる。資本主義が進歩主義と結びつく時、新しい中心理念はキリスト教の否定であるとともに、古い中心理念である国家共同体主義の否定でもあるから、資本主義が進歩主義と結合するとすると、資本主義に反国家共同体主義的傾向も現れるであろう。一方、進歩主義が国家共同体主義によって補完されなければならないとすれば、その点からは資本主義と国家共同体主義との新たな結びつきも考えられるわけである。近代資本主義と国家共同体主義の関係は結合する側面と分離・対立する側面の二面性が絡み合うわけである。当然、古い中心理念は再定立され、中心理念相互には対立と統合という関係が生じるから、近代資本主義と国家共同体主義の関係にはそのことも反映されていくであろう。
マックス・ウェーバーは、近代に資本主義における利己主義の問題をプロテスタンティズムとの関係で論じている。資本主義の「精神」をほとんど古典的と言いうるほど純粋に包含しており、しかも同時に宗教的なものとの直接の関係をまったく失っているために予断が入らないという長所をもっているために、近代資本主義の精神を示すものとして、ベンジャミン・フランクリンの言葉を引用している。そこでフランクリンは、時間は貨幣だということを忘れてはいけないし、貨幣は繁殖し子を産むのだということを忘れてはいけないと言い、そして信用によって世の中で成功することこそ重要であると述べている。ウェーバーはこの「吝嗇の哲学」に接してその顕著な特徴だと感じるものは、信用できる立派な人という理想、とりわけ、自分の資本を増加させることを自己目的と考えるのが各人の義務だという思想だとする。貨幣が現在と未来を繋ぐものであり、未来の源初の肯定性の所有だとすると、貨幣=資本の増加を追求するということは、源初の肯定性を追求するということであり、そして源初の肯定性追求は創造の情熱の充足を追求することだとされているのであるから、貨幣=資本の増加の追求は結局創造の情熱の充足の追究であり、彼岸的理念の下で創造の情熱の充足を求めることは否定されるが、此岸的理念の下ではそれは各人にとっては義務ということになるかもしれない。それに対しウェーバーは、このフランクリンに代表される資本主義の精神の基になっているのはプロテスタンティズムであるという。
ウェーバーによれば、カルヴィン主義の予定説がもたらした結果は、何よりもまず、個々人のかつてみない内面的孤独化の感情であり、さらに、永遠の昔から神によって予定された聖徒と永遠の昔から捨てられた残余の人類とのあいだにある越えがたい裂け目は、社会的感覚のありとあらゆる面に苛烈にもちこまれ、隣人の罪悪に対するばあい、選ばれた者、つまり聖徒たちが神の恩恵に応じてとるべきふさわしい態度は、自分の弱さを意識して寛大に救助の手をさし伸べるのではなく、永遠の滅亡への刻印を身におびた神の敵への憎悪と蔑視となったという。そして、自分は救われている人間なのかという「救いの確証」が、どうしてもこの上もなく重要なことになるほかはなく、「選ばれた者」に属しているか否かを知ることのできる確かな標識があるかどうかという問題が、無くてはすまされぬことになっていったし、各人が救われているか否かを確かめうるということが、十七世紀を通じて大きな役割を果たしたという。そして、「救いの確証」は世俗とその秩序のただなかで行われることになり、キスリスト者の救いをその職業労働と日常生活のなかで確証するというのが、カルヴィン主義がもたらした重要な思想であった。この「救いの確証」は極めて利己的なものだったといえるが、さらに、ウェーバーによれば、プロテスタンティズムの世俗内禁欲をもたらしたものは、予定説の他に神の栄光という考えであった。予定説において、神はその栄光を顕さんとし、また、被造物に対する主権に栄光をあらしめるために、みずからの決断によりある人々を永遠の生命に予定し、他の人々を永遠の死滅に予定したとされ、そのことから自分が救済された人間なのかどうか問題となり、それえの解答が世俗内禁欲としての労働であったが、それはまた神の栄光を増すものともされ、現世にとって定められたことは、神の自己栄化に役立つということただそれだけであり、選ばれたキリスト者が生存するのは、それぞれの持ち場にあって神の誡めを実行し、それによって現世において神の栄光を増すためであり、そのためだけなのであった。人間は委託された財産に対して義務を負ってた「営利機械」として、財産に奉仕する者とならなければならないのであり、財産が大きければ大きいほど、神の栄光のためにそれをどこまでも維持し、不断の労働によって増加しなければならないのである。それが資本主義の発展に対してどんな意義をもったかはきわめて明瞭だとウェーバーはいう。彼によればプロテスタンティズムの世俗内的禁欲は、所有物の無頓着な享楽に全力をあげて反対し、消費とりわけ奢侈的な消費を圧殺すると同時に、この禁欲は心理的効果として財の獲得を伝統主義的倫理の障害から解き放ち、利潤の追求を合法化したばかりでなく、まさしく神の意志に添うものと考えて、そうした伝統主義の桎梏を破砕してしまった。そうすると、資本主義における各人が自己の利益・利潤を追求するという要素の中には、カルヴィン主義的な自分だけは救われた人間でありたいという利己主義が流れ込んでいるばかりでなく、神の栄光とも結びついたより積極的な意味のある利己主義であるともいえるわけである。
世俗の中で「救いの確証」が得られるということになって行ったことを考えると、ウェーバーの説からいえることは、カルヴィン主義の予定説はキリスト教の終末論の中にあるということであり、キリスト教の終末論が中世の終りごろから此岸的なものになって行ったとすれば、「救いの確証」が世俗的なものに求められたのはその流れの中でのことであるということになる。此岸的理念に向かう中での「救い」とは此岸的基本理念であり、キリスト教の終末論が此岸的基本理念と結びついていったとすれば、当然その確証は世俗的なものでなくてはならないことになるであろう。さらに、十七世紀は中心理念の創出が問題になっていたのであるから、その中での「救いの確証」は中心理念としての進歩主義の創出の中で、進歩主義の中に求められることになるであろう。さらに、此岸的理念に向かう中での「救いの確証」が個々人のかつてみない内面的孤独化の感情と結びついているとすれば、その内面的孤独化の感情は進歩主義の中に持ち込まれるであろうし、資本主義が進歩主義の枠内にあるなら、とりわけ資本主義の利己性と結び付き易いであろう。また、進歩主義の彼岸性を考えるなら、そこに於ける未来の源初の肯定性の実現に対する今存在している人間の関係と、この「神の栄光」に対する人々の関係は全く同じものであろう。共に彼岸の栄光であるとすると、人間はその彼岸的栄光に対して役立つ存在にしかなりえないわけである。「神の栄光」とは神とは源初の肯定性の外化であったから、此岸的理念においては「源初の肯定性の栄光」であり、神の栄光が未来における源初の肯定性の実現となったとき、人びとが「神の栄光」に対してとったと同じ態度をとったとしてもしても、それは自然な流れともいえるわけである。
第八項 質的完成と自己調整的市場
アダム・スミスの見えざる手が利己心をもって他者に恩恵を与え、人類に経済的調和をもたらすとすれば、それは市場を必要とした。産業革命以後の自由主義経済学者にとって自由で自己調整的市場の成立は経済的な意味での質的完成といえる。カール・ポランニーによれば、精巧な機械設備は高価であり、大量の財が生産されるのでなければ引き合わないが、その為には財の捌け口が十分に保証されなければならないし、また原材料も支払う用意のいる人には誰にでも必要なだけそれが手に入らなければならないので、市場の存在が求められることになる。自己調整的市場は経済発展に必要不可欠なものであり、単なる質的完成ではなく量的発展をもたらす場でもあるといえる。質的完成は基本理念の実現ではないから、その基本理念性といっても明確な基準があるわけではないが、自己調整的市場は少なくとも総ての人間に豊かさをもたらすものでなければならないであろう。ただ、さらにその豊かさの中で経済的平等を実現できる見通しを自己調整的市場が持っているかといえば、そうはいえない。質的完成の後には量的発展としての進歩が続くのであり、進歩とは常に新しいものを必要としているとすれば、その新しいものについて即座の平等を実現することは不可能であり、そこに不平等が生じ、その不平等状態が常態ということになるからである。
ポランニーによれば、経済的自由主義は市場システムを創造しようとした社会の組織原理であり、それは当初は単に非官僚主義的政策の指向という域を出るものではなかったが、やがて自己調整的市場による現世的人間救済というまぎれもない信仰にまで成長したのであり、イギリスでは十八世紀の中葉以降全国的市場が発展しつつあったが、精巧な機械設備がひとたび商業社会で生産に用いられるや、自己調整的市場の観念が姿を現し、一八二〇年代になって、経済的自由主義は労働市場、貨幣の創造は自動的メカニズムによるべきという金本位制、自由貿易の三つを表わすものとなったといい、自己調節的市場は産業革命の後、一九世紀前半のイギリスにおいて完成し、約五〇年後にはヨーロッパ大陸とアメリカに達したという。現在的にみれば市場経済がヨーロッパの人々を豊かにしたということはいえるであろうし、進歩主義がヨーロッパにおける自己放棄の体系の中心理念であることを考えると、そこに求められている豊かさとか平等とは、進歩主義という中心理念の下にあるヨーロッパの人々についての状態であり、他の世界の人間の状態は関係ないともいえる。ただ、資本主義と自己調整的市場が自動的に人びとに豊かさをもたらすなら――そしてそれが進歩主義におけるヨーロッパ人の見解であったが――それらを導入したヨーロッパやアメリカ以外の人びとにも豊かさをもたらすはずのものであろう。一方、市場経済がヨーロッパの人々に経済的平等をもたらすことは、進歩主義の下では不可能なことであったが、ポランニーによれば、自由放任の擁護者たちはその原理の不完全な適用こそがこの原理への非難のもととなったいっさいの困難について責任を問われるべきだと主張できたし、問題の責任は競争的システムや自己調整的市場に在るのではなく、その制度と市場に対する妨害・干渉にあるというのが経済的自由主義者の最後の論法であるという。その妨害・干渉の最大のものが国家ということになる。しかし、資本主義は国家を完全に排除することはできないであろう。ピケティもいうように近代的成長、あるいは市場経済の本質に富の格差を減少させ、調和のとれた安定をもたらす力があるというのは幻想なのかもしれないとすれば、経済的自由主義と自己調整的市場は進歩的保守主義と国家共同体主義を必要不可欠なものとしているともいえるわけである。いえることは、進歩が基本理念を実現するとされるなら、順調に進歩している時期には基本理念の実現への明るい見通しが感じられ、進歩が順調ではないときには基本理念の実現への疑念が生じるだろうということである。前者の場合、順調な進歩の下では現状への肯定的な気分が広がり、進歩的保守主義を強化すると同時に、基本理念の実現への明るい見通しがさらなる早急な基本理念の実現を求めるようにもなるともいえ、基本理念主義、革命的進歩主義をもまた活性化することが考えられる。進歩主義がまだ生命力をもっているなら、基本理念への新たな希求として基本理念主義を活性化させることが考えられるし、基本理念と進歩主義の矛盾の中でそれはまた進歩的保守主義の必要をもたらし、進歩的保守主義と基本理念主義の対立は、新しい質的完成を求める革命的進歩主義をも活性化させるであろう。どちらにしても、進歩的保守主義と基本理念主義・革命的進歩主義との対立が激化する契機を孕んでいるわけである。
一方、質的完成量的発展の場としての自己調整的市場において、質的完成における基本理念性に問題があるとすれば、それは量的発展にも問題が生じるということかもしれない。資産格差の拡大は経済成長における悪循環をもたらす可能性があるからである。低成長率の中で資産格差が進み、大多数の人間の所得の増加が望めない状況においては、経済成長率の上昇も望めず、それが平等化を求める力を弱めるように作用するとすれば、ますます資産の格差が拡大し、それがまたさらなる経済の低成長をもたらすということになるかもしれないわけである。
逆に言えば、経済的成長と平等の両方を追求できるということでもあるが、歴史的経緯を見ると、イギリスにおける自己調整的市場の形成過程は経済的成長という意味では前進であったかもしれないが、ポランニーによればそれは重層化した矛盾を抱えたものであった。一つは大衆の半飢餓状況とそれに並行する生産の驚異的上昇という一見して明らかな矛盾であり、もう一つの矛盾とは、総ての国民に一定の経済水準を保証する政策が経済的発展の低下をもたらしたというものであった。ポランニーによれば、イギリスに貧民が最初に現れたのは一六世紀の前半であった。一七世紀を通じて貧民についての言及はあまりみあたらなかったが、一七世紀末以降、貧困に関する見解はかつての神学的問題と同様、哲学的世界観の様相を呈し始めた。一六九六年には貧民救済のための救貧税は約四〇万ポンドであったのが、百年後の一七九六年には二〇〇万ポンドを超え、それから約20年しか経っていない一八一八年には八〇〇万ポンドに近づいており、その間イギリスの人口は三倍になっていたが、救貧税は二〇倍に増えていた。一八世紀の思想家たちのあいだでは、進歩と貧民とを切り離すことはできない、すなわち経済的進歩が貧民を生み出すという点で一般的に意見の一致がみられたという。そして経済的発展が貧民の増大をもたらすのであれば、その増大する貧民に対する救済政策も必要と考えられたわけである。しかし、一八世紀の終わり頃には貧民に対する救済策が労働力の低下をもたらしていることが意識されだした。生存権が公的に保障されている結果、雇い主はその賃金で雇った労働者の生存を保障する必要はないわけであり、労働者も生存のための費用を賃金で賄う必要がないことから、定住法で居住を固定化されていた農村では、雇い主はいくらでも安い賃金で労働者を雇うことができた。その意味することは、救貧法で救済されていない労働者、自己努力で生活しようとする労働者は、その労働では生活できないということであり、結局貧民になって生存を保障してもらうしかないということになるわけである。そして、働いても働かなくても生存が保障されている以上、たとえ労働に従事したとしてもその労働はおざなりなものになってしまうであろうし、ポランニーによれば、長期的にみれば、そうした非経済的な制度は、労働生産性に影響を及ぼさざるをえないし、標準賃金を低下させ、ついには貧民救済のための給付額さえも引き下げざるをえなくなった。貧民税負担はイングランド南部で税収の三・三%にもならなかったし、貧民税はその後次第に低落し、一八二六年には六〇〇万ポンドまで減ったのに対し、国民所得は急速に上昇したにもかかわらず、貧民救済政策への批判が激しくなったのは、問題の根源にあったのは負担自体より労働生産性におよぼす経済的影響であり、産業それ自体のエネルギーを抑圧し始めたことにあったとみるべきであろうという。
ポランニーによれば、アダム・スミスの見解の中には道徳律や政治的義務の源泉になるような経済領域が社会のなかに存在することを示すものなどいささかもみられないが、人間世界の経済領域を支配する法則は、人間の運命と調和するものだという楽観主義が支配していた。しかし、『国富論』から十年後のタウンゼンドの『救貧法論』では、貧民を刺戟し労働に駆りたてるのは飢餓をおいてないとされた。タウンゼンドにおいて生存権の保障という貧民救済政策が否定されたわけであるが、それが直ちに廃止され、労働市場が形成されていったわけではない。ポランニーはイギリスでは土地と貨幣の流動化が先行し、労働については一六六二年の定住法が人の移動を制限していたが、一七九五年にそれがようやく緩和され、もし同年に貧民の個々の所得に関係なく最低所得が保証されるべきだとする、スピーナムランド法もしくは「給付金制度」が導入されなかったら、それは全国的な労働市場の確立を可能にしていたことであろういう。スピーナムランド法は一八三四年に廃止され、ようやくイギリスに競争的労働市場が確立されたのであり、ポランニーはそれゆえ社会システムとしての産業資本主義はそれ以前には存在していたとはいえないというが、彼によればそれは要するにスピーナムランドが不働性から生ずる腐敗を意味していたとするなら、いまや危険は生身をさらすことから生ずる死の危険となったのである。
そこには、進歩主義と基本理念との対立性が、基本理念性が量的発展を妨げるという、質的完成量的発展という進歩的保守主義によっては緩和されない、ある意味絶対的な対立の中で質的完成としての自己調整的市場が形成されたともいえる。経済的進歩が貧民を生み出すだけでなく、貧民を救済しようとすれば経済期進歩が低下するということで、そこには経済的発展か貧民の救済かという二者択一の中で自己調整的市場の形成による経済的発展が選択されたわけである。そのような歴史経緯を考えると、自己調整的市場の形成と産業資本主義の成立は、進歩的保守主義は現在性の肯定ということからそれを肯定するかもしれないが、基本理念主義・革命的進歩主義からの批判を引き起こさざるをえないであろう。ただここで問題になるのは、労働者が自分の生存を保障されれば、それで満足する存在だったということであろう。そして、進歩主義においてはそれは解決される問題でもあるといえる。中心理念としての進歩主義が創出されていたとしても、経済が進歩の中心的推進力とは看做されていなかったとしたら、当然一般民衆には経済的豊かさへの欲求は強くないであろうし、生存できていることで満足することにもなる。しかし、ピグミー族のムブティは強制されなくても物質的欲望を満たすために労働を強化したが、人々が労働によって経済的豊かさを手に入れられ、それが進歩であり、源初の肯定性を得る道であると考えるなら、当然人々は労働に励むだろうからである。しかし、資本主義が平等的な豊かさを人々に実感させることができないなら、基本理念主義・革命的進歩主義ばかりでなく進歩的保守主義との対立を深めるか、人々が進歩主義への希望を失い、中心理念としての進歩主義が崩壊していくということになる。
引用・参考文献
『プルードン』 河野健二編 解説
『十九世紀における革命の一般理念』 プルードン
『最後の狩猟採集民』 田中二郎
『森の狩猟民』 市川光雄
『講座 経済学史 Ⅰ 経済学の黎明』 遊部久蔵・小林昇・杉原四郎・古沢友吉編
『贈与の謎』 モーリス・ゴドリエ
『大転換』 カール・ポランニー
『経済学四つの未決問題』 平瀨巳之吉
『21世紀の資本』 トマ・ピケティ
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 マックス・ウェーバー
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第一項 存在即肯定と自由
存在即肯定における肯定化の必要十分条件は単に存在しているということであるから、肯定化に必要な十分条件は、すでに存在している総ての人間が平等にその条件を満たしているということになる。このことから、存在即肯定を実現する中心理念は平等と結びついていなければならないということになる。もし、肯定化の条件において不平等があるとすれば、その肯定は存在即肯定ではないということになってしまうわけである。国家共同体主義においては差別性があり、その意味では不平等的であったが、その差別性はあくまでも総ての人間が神と等しくなり、存在即肯定として存在するための媒介としてあるのであって、その差別性によって、ある共同体成員は存在即肯定としてあり、他の共同体成員はそうではないということではない。その差別性はもちろん平等性と矛盾するが、その実体性が失われ、幻想としてしか実現できない存在即肯定性をもたらすためには、なんらかの矛盾が必要であり、此岸的基本理念を実現するための方策である。国家共同体主義は成員間の平等性=同質性を前提としており、前提とすることによってのみ成立するわけである。
此岸的基本理念においては平等でなければならないということであったが、自由とも結びつくものであることがいえる。存在即肯定において人間は真に自由でもある。彼は存在していればいいのであり、その存在の在り方は問題にならない。また、何らかの限界を持っていることが自己肯定において何ら障害にならないし、自己の有限性が自己の肯定性を否定するものではないという意味で自由である。彼は単に存在していればいいのであるから何をしてもいいのであり、その意味で自由であり、自在とは心のままであることという意味があるから自在である。逆に、こうしなければならないという命令・こうでなければならないという拘束は、存在即肯定の否定である。存在即肯定における肯定は無条件の肯定であり、ある特定の条件によって肯定化するというのは存在即肯定の否定であり、存在即肯定的な自由の否定である。
此岸的基本理念は源初の肯定性を求めるものであるから、単に存在即肯定だけでなく源初の肯定性の中でこの平等と自由を考えてみなければならない。すなわち、源初の肯定性の三重性である存在即肯定、前本質の肯定、前本質が肯定するものの肯定の中の、存在即肯定以外の前本質との関わり合いでの平等と自由である。前本質の肯定においては、前本質が肯定するものか否定するものかは問題にならないが、前本質か前本質でないかは問題になり、その点で自由ではない。前本質が肯定するものか否定するものかでは、前本質が肯定するもののみが肯定されることになり、いわば前本質の規範に拘束されることになって、そこにおいても自由ではない。その意味では存在即肯定からくる自由と前本質性は対立するといえるが、この存在即肯定からくる自由性と、前本質の肯定からくる非自由性の矛盾は、過渡期においては問題とはならないであろう。何故なら、過渡期においては前本質の肯定性が幻想であるとともに実体的でもあったからである。前本質の肯定性が実体的である以上、優先されるのは前本質性であり、前本質性の肯定からくるものだろうからである。存在即肯定はまず前本質をめぐる肯定があって、その肯定から導き出されものとしてあるわけである。しかし、新しいに自立期になると、前本質の実体性は失われるから、その分前本質の肯定性は重要性を失うし、存在即肯定は前本質の肯定性から離れて、独自の肯定性を獲得していくであろう。前本質の肯定性が実体性を失うとともに、その後の自立期において源初の肯定性が残るとすれば、それは抽象的なものになっていき、その分存在即肯定が前に出てくることが考えられるわけである。そのことは、例えば神概念の創出にいえる。神=前本質というより、神はもっと抽象的なものであり、それは源初の肯定性の外化のなかでも存在即肯定の外化といってもいいものだからである。存在即肯定性が前本質の肯定性から離れて独自性を出してくれば、当然前本質の源初の肯定性における力は弱まり、存在即肯定からくる自由と前本質からくる拘束性の対立性が意味をもってくる。もっとも、存在即肯定からくる自由と前本質からくる拘束性の対立性といっても、存在即肯定からくる自由からみれば、前本質からくる拘束は否定されるものであるとともに、その存在自身は肯定されているという二重性のもとにある。存在即肯定においては存在していればいいのであって、どのように存在していてもいいからである。
狩猟採集民などをみると平等性とともに自由性もその特徴となっているといえるから、自由は前本質にとっても肯定的なものといえるかもしれない。ただ存在即肯定における自由の特殊性を考えると、源初の肯定性の二重性、三重性が問題になるわけである。平等には、このような源初の肯定性の二重性、三重性は問題にはならない。狩猟採集民をみてもそこには平等性があり、それは前本質期の人間にもいえるであろうから、存在即肯定という意味でも、前本質の肯定という意味でも、前本質の肯定するものの肯定という意味でも、源初の肯定性は平等性と結びついているといえる。自由・平等・友愛といわれるが、最後の友愛も此岸的基本理念と結びついているといえる。源初の肯定性はまた前本質の肯定であり、人類が相互扶助を強化する中で進化してきたとすれば、相互扶助は前本質において重要な価値を持つものといえ、相互扶助=友愛もまた、此岸的基本理念と密接に結びついている。
自由はまた、創造的無における創造の情熱についても根本的なものであり、自由の否定は自己放棄的でもある。創造的無と存在即肯定は同じような二重性的性格をもっている。創造的無からみれば自己放棄は自己崩壊していかざるをえないし、その意味では否定的なものとなるが、一方では自己放棄も創造への可能性として在り、その意味では肯定的なものとなる。存在即肯定においても、特定の条件のもとでの肯定という考えは否定されるものとしてあるが、一方ではそのような考えをもって存在しているからといって肯定性を失うわけではなく、その意味では肯定される。存在即肯定か特定条件での肯定かは自己放棄内部の問題であるから、創造的無における二重性、さらに創造的無における選択の一つとしての自己放棄における二重性という、入れ子状態で同じことが繰り返えされているともいえるわけである。ただ、自己放棄から創造的無、特定条件での肯定から存在即肯定をみると、同じことが繰り返されるとはいえない。自己放棄からみると、創造的有であれ無への固定であれ、創造的無は否定されるだけであるが、特定条件での肯定から存在即肯定をみると、それはやはり否定と肯定の二重性としてあるのである。肯定的になるためにはある条件が必要であるとするなら、当然存在するだけでは肯定的にはならないわけであり、存在即肯定は否定される。しかし、ある条件でなる肯定的状態とは源初の肯定性であり、源初の肯定性は存在即肯定・前本質の肯定・前本質の肯定するものの肯定という三重の肯定であるが、それは過渡期という一つの状態によって引き起こされるのであから、三重の肯定であると同時に一つの肯定であるともいえ、ある条件でなる肯定的状態である源初の肯定性は同時に存在即肯定を含む一つの源初の肯定性でもあり、その意味では存在即肯定もまた肯定されているといえるわけである。
存在即肯定からみて特定条件による肯定化は否定かつ肯定され、特定条件による肯定化からみても存在即肯定は否定かつ肯定される。しかし、この両者の否定かつ肯定は同じものではない。前者においては存在即肯定からみる特定条件による肯定化は、そもそも存在即肯定において特定の条件は何の意味も持つものではないから無化され、特定の条件で肯定されるものは特定の条件が無くても存在即肯定では肯定されているのであるからその肯定は無意味なものになるのに対して、後者においては特定条件による存在即肯定の肯定化は、他方では存在即肯定は否定されているのであるから、矛盾として在るのである。一方、自己放棄による創造の情熱の否定は自己放棄の幻想性を意味する。このような違いはあるが、創造的無と自己放棄、存在即肯定と特定条件による肯定化にはそれぞれ相互否定的側面があることになり、前者は唯一者と自己放棄者の対立ということになる。後者については、ヨーロッパにおける自己放棄の第五段階で考えると、特定条件による肯定化とは進歩主義に当てはまり、それに対して基本理念は存在即肯定を含むから、基本理念主義者と進歩的保守主義者や革命的進歩主義者などの進歩主義諸勢力の対立ということになる。また、この場合の進歩主義と対立する基本理念主義における基本理念とは、進歩主義は特定条件による肯定なのであるから、存在即肯定のことと看做していいであろう。
第二項 基本理念主義と純正無政府主義
ヨーロッパにおける自己放棄の弁証法的展開の第五段階での此岸的基本理念と中心理念としての進歩主義が、十九世紀になって進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義という三極構造を取ることを述べた。本論の立場はアナーキズムとは基本理念主義であるとするものである。それゆえ、アナーキズムが何か普遍的な思想であるとは考えない。あくまでも、ヨーロッパにおける自己放棄の弁証法的展開の第五段階で生じた思想なのである。ただ、これまでアナーキストとされる人間の総てが基本理念主義の立場に立ったいてわけではないし、特に初期の代表的なアナーキストにその傾向が見られる。しかし、次第にアナーキズムはその基本理念主義的立場を明確にしていったといえよう。一方、三極構造における三極は相互に協同と対立の関係にあった。その意味することは、三極間には流動性があるということであり、その三極間の揺れ動きの中で、人は他の極の要素をも持ちながら、ある立場に立つということである。各人は進歩的保守主義、革命的進歩主義、基本理念主義のそれぞれの要素を量的違いはあるが持つということであり、その量の違いの組み合わせで、立場の違いが生じてくるわけである。進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義という三極が作り出す三角形のどこかに位置するということである。アナーキズムとは基本理念主義であるといっても、各アナーキストにおいて基本理念主義の占める割合には濃淡があり、また進歩的保守主義、革命的進歩主義が占める割合にも違いがある。そこから、様々なアナーキズムが生じてくる。純正無政府主義とは、より基本理念主義に沿ったアナーキズム、基本理念主義に純化しようとするアナーキズムのことであり、そして基本理念主義への純化はこれまでのアナーキズムがたどった傾向でもあるということである。少なくも、それはアナーキズムがたどってきた重要な傾向の一つ、あるいは最も重要な傾向ともいえるものである。あるいは、アナーキズムとは基本理念主義を担おうとする思想であるとすると、その役割を忠実に果たそうとするアナーキズムが純正無政府主義だともいえる。
アナーキズムの歴史書では、一般に最初に取り上げられるのはゴドウィンであるが、彼を基本理念主義者とすることはできないであろう。フランス革命の興奮の中で、進歩がもたらす最終的ともいえる未来の姿を情熱的に語るゴドウィンは、フランス革命への失望とも無縁であり、その意味では純粋な進歩主義者、あるいは単線的進歩主義者というべきである。純粋進歩主義あるいは単線的進歩主義というようなものを考えれば、それは真直ぐに基本理念を求めることでは基本理念主義に通じるものがあるが、長い時間ある意味無限ともいえる時間の中で基本理念を求めるのであって、それは基本理念の存在即肯定と矛盾することであった。それ故、基本理念主義としての純正無政府主義は、真直ぐに基本理念を求めようとするばかりでなく、直ちにそれが実現することを求めるということになる。
ゴドウィンの進歩主義、すなわち進歩によってもたらされる基本理念は、平等によって象徴されているといえる。ゴドウィンによれば、その平等は自由意志を持った主体的個人が、それぞれ全体の利益を考えながら判断・行動するなら、その行動がまったく各人の自由意志にまかされていたとしても、平等な社会へと収束していくのである。このゴドウィンの考えは、プルードンの各人による各人の統治というアナーキーを肉付けするものといえる。各人による各人の統治というアナーキー社会が調和ある社会であるとすれば、各人が広い視野を持つことは必要なことであろう。また各人の行動が調和に向かうためにはある枠内に収まっている必要もあるであろし、理性がその枠を与えるということは無視されるべき考えではないであろう。ゴドウィンによれば平等へと向かう過程は、個人の内的な変化をともなう。何故なら、そのような過程を支えるのが理性と各人の内部に存在している自然的正義であるが、理性的であり、自然的正義の状態に環境の影響で人間は必ずしもあるわけではないからであり、人間は理性的であり、自然的正義の状態に変っていかなければならない。ゴドウィンのいう自然的正義の状態とは源初の肯定性に置き換えることができるであろう。一方、理性を強調するところに進歩主義者としてのゴドウィンが見ることができる。
人間を自然的正義から遠ざける最大の環境は政府の存在である。アナーキズムを反国家・反権力という視点から見る立場からいえば、ゴドウィンはアナーキストということになる。そして、ゴドウィンがアナーキストに含められるのは、主にその政府や国家を否定する見解によってである。しかし、アナーキズムが基本理念主義であるなら、反国家・反権力としてのアナーキズムは二次的なものでしかない。ゴドウィン自身においても、国家や政府のない社会が質的完成を意味する、あるいは進歩の目的というよりそれを可能にする一つの条件でしかないとすれば、ゴドウィンの進歩においても二次的な問題ということになるであろう。もっとも、政府に対置される自然的正義を源初の肯定性とするなら、ゴドウィンは政府の否定によって中心理念としての国家共同体主義を否定したのだともいえる。それは国家共同体主義に対して新しい此岸的中心理念としての進歩主義を対置したともいえるが、自然的正義の状態の強調という意味では、全ての此岸的中心理念の否定という意味合いも含まれた国家共同体主義の否定だったともいえる。
アナーキズムを純正無政府主義的に基本理念主義とするなら、ゴドウィンの進歩主義的性格を問題にしなければならない。進歩主義も基本理念の実現を未来において主張する以上、その理想社会像においてアナーキズムと一致することは当然なことなのであり、ゴドウィンの頭の中を占めていたのは進歩がもたらす究極状態であり、それは源初の肯定性の実現として捉え直すことは可能であろう。その意味では、ゴドウィンは基本理念主義者と同じであるが、それを遠い未来に置くところに基本理念主義者との違いがあるわけである。ただちに理想社会を実現するのか遠い未来において実現されるものとするのか、その違いこそが基本理念主義と進歩主義の決定的な違いであった。ゴドウィンは基本理念主義者ということはできないかもしれないが、進歩の最終的未来、進歩のユートピアを語ることによって、ゴドウィンは基本理念に強く惹かれたのだとということでできるであろう。
もっとも、進歩主義の高揚期にゴドウィンは思索したのであり、ゴドウィンは進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義という三極構造が現れる以前の思想家であって、その進歩主義と基本理念主義の対立性はあまり強調されるべきものではないかもしれない。進歩主義が登場するとすぐに保守的傾向が現れ、それが質的完成量的発展という進歩的保守主義へと結びついていくのだとすると、ゴドウィンの単線的進歩主義は、質的完成量的発展という進歩の二段階主義の否定という意味あいを持たざるをえない。そしてその否定はゴドウィンの単線的進歩主義に質的完成に対する進歩の最終局面、すなわち源初の肯定性を対置させることになるであろう。その源初の肯定性の強調は、ゴドウィンを基本理念主義に近づけことになるともいえる。しかし、ゴドウィンにおいて最初の基本理念への高揚もやがて後退していく。ゴドウィンの『政治的正義』は第一版と二・三版では変化が見られるといわれる。ウッドコックによれば、人間の完成可能性についての有名な言明「完成可能性は人類が持つ最も明白な特性の一つであり、従って人間の知的状態同様、政治的状態も前進的な改善の過程にあると考えられよう。」という立場は、後にそのようなユートピア的考えを否定せざるをえず、単に人間は無限に進歩しうるといったのだと主張することになる。もっとも、ここにおいてさえも、その進歩主義は通例のビィクトリア時代の型とは異なっていて、彼の進歩主義は、第一に道徳的であり、その主要な目標として、政治制度に服従したため忘れられていた自然的正義の状態へ連れ戻すであろう個人の内的な変化を想定していたという。ゴドウィンは基本理念主義者ではなかったかもしれないが、その進歩がもたらす自然的正義の強調は前本質と結びついた源初の肯定性の強調ともいえ、基本理念主義を準備することになったともいえる。その意味では、ゴドウィンをアナーキストの一人とみなすこともできるののかもしれない
ただ、進歩主義である以上、アナーキズムではなくマルクスをゴドウィンの中に見ることも可能なのである。白井厚によれば、ゴドウィンのユートピアは、資本主義批判、生産力と人知の飛躍的発展、新しい平等な社会組織の形成という点で、近代ユートピアの基礎をつくるものであり、人々が欲望に応じて消費し,分業の下における個々人の奴隷的依存、それと共に肉体労働と精神労働の対立が消滅し、人々の素質が全面的に発達し、共同社会の根本法則の尊守に十分習熟し、全体の利益のために能力に応じて随意に労働し、ブルジョア的権利の狭隘な地平線を去った、マルクスの共産主義第二段階の構想は、疑いもなくゴドウィンのヴィジョンを継承するものであった。ゴドウィンの進歩主義的性格を考えると、この白井厚の見解もあながち否定できないであろう。
『十九世紀における革命の一般理念』を読むと、プルードンは進化あるいは進歩が、革命を通じてではなく、いつとはなしに静かに達成される社会を求めていたことが分かる。このことからいえることは、プルードンは必ずしも進歩主義を否定していたわけではないということである。その進歩主義は、いつとはなしに達成されるということからは、量的発展としての進歩のようにもみえる。ただ、プルードンは質的完成量的発展という進歩的保守主義の立場に立っていたわけではない。何故なら、ブルードンにはフランス革命への失望があったからである。その意味では、プルードンにおいては社会の質的完成が改めて問題になっていたともいえる。しかし、その静かに達成される進歩という考えには、革命的進歩主義という色合いも薄いといえるであろう。どちらかといえば、ゴドウィンと同じようにプルードンにも単線的進歩主義者的側面があったとも考えられなくもないのである。ただ、革命を語るプルードンもいるわけである。また、いつとはなしに静かに達成される基本理念という感覚には、どこか存在即肯定に通じるものがある。プルードンの立ち位置は複雑であり、単線的進歩主義者、革命的進歩主義者、基本理念者という三重の性格を見て取ることができるであろう。
プルードンの『十九世紀における革命の一般理念』において、十九世紀における革命の原因と動機は、1789年の革命が後に残した経済的な無政府状態であるとし、増大する貧困であるとされた。そして、政府はいや応なしにその推進者であり支持者であるから、革命の組織原理は相互性でなければならず、国民経済と諸利益の均衡の組織化であり、革命の目標は労働と賃金の保障であり、したがって富と自由の無限の増大とされている。革命後には法律の体制にかわって、政治的にも経済的にも契約の体制になり、契約はその根本的・精神的な本質において平等であり、友愛であり、秩序であるとされる。革命はアナルシーを実現し、そのもとで富と自由が無限に増大するわけである。ここには、革命的進歩主義的な考えが見られ、アナルシーとは質的完成ともいえる。自由は、プルードンにおいて革命後の真実の社会において富と同じように無限に増大していくものとして捉えられていた。『革命と教会における正義』によれば、自由によって、人間は物質としても生命としても精神としても、あらゆる物質的、感性的、知的な運命から自己を開放し、崇高なものと美しいものとによって事物を自らに従わせ、現実と理念の制約を超えて自らを高め、自分を自然の法と同様、理性の法の機関にし、自分に似せて世界を変形するという目標を自分の活動に割り当て、自分の栄光を最終目的として自己に与えるという。このような自由の定義に従えば、有機的な存在において、あるいは単に集合的な全存在においても、結果を生み出す力は存在の自由性にあり、したがって植物的、動物的存在が人間のタイプに近づけば近づくほど、その自由はますます大きくなり、自由裁量の範囲はますます大きくなり、人間自身においても、その集合によって人間を生み出した諸要素、哲学、科学、産業、経済、法律などが力として発展すればするほど、それだけ一層自由意志は力強い姿を現すのであり、このためにこそ、宿命としての側面からみれば、一つの体系に還元される歴史は、自由裁量の側面からは、進歩的で理想主義的であり、工芸理論や歴史哲学といったあらゆる理論に優越するものとして現れる。このように無限に増大していく自由とは、存在即肯定における自由自在としての自由ではないであろう。進歩の結果、最終的に人間は完全な自由を手に入れるのである。
一方、その革命にによる質的完成として考えられるはアナルシーは、真実の社会ともされる。『手帖』でプルードンは社会を公認の社会と真実の社会に分けている。社会にあるのは公認の社会と真実の社会であり、公認の社会とはわれわれに見えるとおりの世界であり、真実の社会とは生きた社会であり、絶対的で不変の法に従って発展する社会である。そして、公認の社会はますます消滅しつつあり、そのむきだしの裂け目の中に真実の社会が見えてきつつあるのであって、この古い仮装の消滅が進歩に見えるのだが、プルードンによれば根本的にはこれは破壊なのである。ここにもプルードンの両義的な姿勢がある。公認の社会が消滅していき、真実の社会が徐々に現れてくるということは、進歩を単線的に考えているといえるが、一方で破壊という言葉が使われるとすれば、そこには質的完成的意味合いが生じてくるともいえるであろう。真実の社会とは質的完成社会であり、その真実の社会における進歩をプルードンは考えているともいえるわけである。しかし、プルードンの真実の社会には過渡期の源初の肯定性の社会を見ることもできる。公認の社会とは国家や教会や資本であり、それは瘡蓋のように真実の社会の表面に存在するような物であり、公認の社会は真実の社会によって支えられるものでしかなく、真実の社会を疎外・外在化したものである。この真実の社会とは、その上層に乗っかった国家や教会や資本を剥ぎ取った社会ということができる。すなわち、真実の社会とは自己放棄の第二段階以後のものが総て取り除かれ、純粋に過渡期の社会に立ち戻った社会、源初の肯定性と結びついた社会といえるのである。そうすると、革命後の真実の社会とは源初の肯定性の実現した社会であり、それは質的完成というより進歩の最終目的そのものということになる。革命とは瘡蓋である国家や教会や資本という公認の社会を破壊によって取り除くことだとすれば、プルードンにおいて革命後ただちにアナルシーは実現するのであり、アナルシーとは質的完成ではなくて源初の肯定性・基本理念の実現社会ともいえるわけである。革命を源初の肯定性の実現と直接的に結びつけるプルードンは基本理念主義的でもあるわけである。
プルードンの進歩主義者であり基本理念主義者でもあるという二面性は、彼における自由と平等の違いにも表われている。プルードンにとって自由とは進歩によって勝ち取られるものであった。その実現には哲学、科学、産業、経済、法律などの諸要素が必要なのである。その自由は存在即肯定からくる自由とは違うものといえよう。それに対して、プルードンにおいて平等とは、次々に神の前の平等、法の前の平等、理性の前の平等、労働の前の平等が確立されるのを見るが、そして、これを進歩と考えるが、しかし、決してそうではなく、出現するのは平等であり、常に生命に溢れているが覆い隠されていた永遠の平等が、産着を脱ぎ、最初の覆いを捨てて、現れてくるのであるとされる。プルードンにおけるこのもともとから存在し、ただ覆い隠されていただけの平等とは、存在即肯定と結びついた平等のことなのだといえる。
フランス革命の質的完成の不十分さを批判するということは、質的完成社会が基本理念的性格も持たなければならないということから、基本理念的立場からの批判とならざるをえない。一方、質的完成量的発展では、量的発展こそが最終的に基本理念を実現するのである。いつとはなしに静かに達成される進歩を求めていたプルードンは、質的完成社会における量的発展を考えるというよりは、量的発展をする社会を質的完成と見なしていたといえる。質的完成量的発展においては、必ずしも量的発展が質的完成の条件ではない。質的完成とはなによりも基本理念の代用品なのであり、先ず代用品が考えられ、それから本当の基本理念の実現である量的発展としての進歩が考えられるわけである。それ故、量的発展を質的完成の条件とする考えは一種の転倒であろう。そして、プルードンにおける一種の質的完成量的発展の転倒状態は、プルードンを二重の意味で基本理念に近づける。一つは、社会の質的完成性に対する批判者として、もう一つは質的完成社会を量的発展によって規定することが、量的発展=質的完成、量的発展=基本理念の実現、ゆえに質的完成=基本理念の実現となって、量的進歩=質的完成=基本理念の実現となることによってである。
プルードンにおいて、革命は平等という点では基本理念の実現であり、自由という点では質的完成である。すなわち、基本理念が実現しているにもかかわらず、基本理念が未来において実現するという、二重構造の議論になっているのである。基本理念主義において、革命とは一挙に基本理念を実現するものであり、革命とは基本理念主義そのものが必要とするものであった。それに対して、プルードンにおいては革命は必ずしも必要な条件とはされていないといえよう。プルードンにおいて革命はあくまで反動による進歩の停滞と、その停滞がもたらす進歩の圧殺と圧殺された進歩の解放なのである。プルードンにおいて進歩は絶対的ものとしてあり、それを一時停滞させるものはあるかもしれないが、それを押し留めるものは存在しない。しかし、絶対的なものは基本理念とすべきであって、中心理念としての進歩ではない。ただ、ブルードンはマルクスのように生産力の絶対化というように転化した形で進歩の絶対性を強調するのではなく、単純に進歩そのものを強調しているともいえるのであり、その意味ではより直接性を持った形で基本理念の絶対性に接近しているのだともいえる。
バクーニンにおいてもまたプルードンと同じように人間は徐々に自由になっていくのであり、それは社会の懐に抱かれながれであった。ただ、バクーニンにおいてはプルードンよりも自由が強調されているようにみえる。自己の自由、各人の真実にして完全なる解放こそが歴史における真に偉大なる目標であり、最高の目的とされるのである。バクーニンが人間の自由を徐々に獲得されていくものと考えている点では、プルードンと同じく進歩主義的だといえるし、集産主義者としてのバクーニンには特に言えることかもしれない。ただ絶対自由を主張した時、彼は基本理念主義的だったといえる。バクーニンが自由は全的な自由でなければならず、たとえ一つでも抑圧があればそれは自由の全否定であると考えたとき、そこにあるのは自由か自由の否定かという二者択一しかないことになり、自由の無限の増大という考えの入り込む余地はなくなる。バクーニンが絶対自由、全的自由を主張した時、その自由は存在即肯定と結びついた自由、存在即肯定を意味する自由なのである。プルードンが真実の社会において基本理念を平等の視点から語ったのに対して、バクーニンは基本理念を絶対自由という言葉で、自由の観点から語っているといえよう。純正無政府主義が基本理念主義であるということは、純正無政府主義における自由と平等と相互扶助が存在即肯定・源初の肯定性と直接結びついたものとして捉えられなければならないということである。存在即肯定と自由・平等は密接不可分なものであった。ただ、存在即肯定において平等が問題になるのは存在即肯定が何らかの条件と結び付けられるときであり、純粋に存在を問題にする場合には平等は存在即肯定において不必要なものである。基本理念における平等とは源初の肯定性の実現をある要件の充足に結びつけるときに問題になるのに対して、存在そのものを問題にする存在即肯定は、自由自在性として自由とは結びつくが平等とは結びつかない。進歩主義においては無から基本理念の実現までの間に序列がなければ進歩もないということになるから、進歩主義は必然的に基本理念の実現との関係において物事に序列を付ける。それゆえ、進歩主義において基本理念の実現とは何より平等の実現ということにもなるわけであり、革命的進歩主義は質的完成における平等に敏感にならざるをえず、質的完成として平等性がもとめられ、そのような平等性の中での量的発展が考えられることになる。それに対して自由とは自由自在として存在即肯定そのものの姿であり、自由は存在即肯定と不可分であり、存在即肯定はそのまま絶対的自由ともいえるから、基本理念主義として存在即肯定を直接求める純正無政府主義は、平等にはこだわらない、平等よりは自由に敏感になるということになる。その意味で平等より自由を重視したバクーニンはより基本理念主義的であったといえる。プルードンは彼のいう真実の社会の出現を破壊と結びつけているが、バクーニンが破壊の情熱は創造の情熱でもあると語った時、それは革命後の社会をプルードンの真実の社会の実現として捉えているばかりでなく、革命後の社会が基本理念の実現社会であることをより積極的に表現しているのである。革命と暴動を求めて絶えず行動したバクーニンにおいて、革命が千年王国主義的色彩を帯びていたとしても不思議ではないが、彼の創造の情熱における創造とは、革命が絶対自由をもたらすものでなければならない以上、破壊の後に実現するのは存在即肯定としての源初の肯定性にほかならない。破壊主義において、バクーニンは基本理念主義者だったとみなすべきなのである。もっとも、絶対自由において拡大する自由、進歩の中の自由を否定することになるといっても、バクーニンにおいて存在即肯定性が直接的に表現されているわけではない。
また、バクーニンは社会を人間の人格と自由がはぐくまれる唯一の環境というが、非自由から絶対的自由への飛躍は漸次的なものではない以上、絶対自由の獲得に社会の果たす役割は無いということになるであろう。絶対自由と結びつく真実の社会は、社会そのものが否定されている社会、社会そのものが破壊されている社会ということもいえる。そのような絶対的自由の下での人間は、バクーニン(『神と国家』)において社会契約説における人間観と結びついて語られている。即ち、理論の出発点や基盤として個人の自由の観念を採用する自由主義的で、人間が社会によって創られるのではなく、逆に人間こそ社会を創り出すという人間観において、個人は全き存在であり絶対的存在であり、自立して存在し自身だけで自由な存在である。そのような自立し自由な人間における自由とは、存在即肯定における自由にきわめて近い。ただ、バクーニンはそのような自由は社会の外にいるときの本来の姿の人間にいえるという条件をつける。しかし、存在即肯定においては人間が社会の内にいるのか外にいるのかということは何ら関係ないことである。バクーニンは社会の外にあってこそ人間は自由で全き存在であり絶対的存在であるという人間観を、霊魂の不死を心から信じて社会的つながりを断ち、独居の中に完全さや徳や神を求めるキリスト教的聖人にもみる。バクーニンによれば社会の否定は霊魂の不死のもとで可能である。霊魂が不死で本質的に無限であり、それが自由で自足的である以上、自分一人で事足りるはずなのである。一人で事足りる無限な存在に対し、有限な存在は補足しあう存在である。しかし、存在即肯定において人間が無限な存在か有限な存在かということも何ら問題にならない。唯一者は無限を求める存在ではなく、自己充足を求める存在なのである。ただ、バクーニンは無限者としての不死の魂と無限者としての神の間には不条理があり、ある無限者は自分より優越する無限者の存在を認めることができないし、自分の外に存在する無限者はすべて彼に制限を課すのであり、彼を有限で終わりある存在たらしめてしまうといい、彼はこれは不死の魂は神そのものさえなしですませることができるということであり、自立して、自身だけで自由な存在、無限の絶対的存在、自足的で神の助けを必要としない、人間自身が神であるということであるとする。不死の魂、無限の存在としての人間という条件を外せば、それは存在即肯定とみなすこともできるであろう。
プルードンが進歩の中においた富と自由のうち、バクーニンは自由を考えたのに対し、クロポトキンは富を考えたのだといえよう。ただ、バクーニンが自由を進歩主義的にも考えたのに対して、クロポトキンの無政府共産主義において富は進歩主義的色彩がかなり後退している。無政府共産主義はプルードンの労働券やバクーニン的集産主義の賃金制に代わって、各人の欲求に従った分配を主張する。ある財貨の消費が基本理念を実現するとすると、基本理念とは存在即肯定の実現でもあるから、その財貨の消費は無条件に総ての人において可能でなければならない。クロポトキンも過渡期的に集産主義が必要かもしれないと考えたが、しかしそれをもってクロポトキンを革命的進歩主義者ということはできないであろう。マルクス主義における共産主義においても分配は各人の欲求に基づくものであったが、その共産主義社会は生産力がさらに増大した豊かな社会であるのに対して、クロポトキンにおいて過渡期的集産主義を通って実現される無政府共産主義社会とは、『近代科学とアナーキズム』において語られたように、生活が単純化された社会なのである。そこにあるのは、大工場や分業による物質的な豊かさではなく、小さな地域が自給自足的に生活する、農工合体の自然により近い簡素な社会と生活であり、質的完成量的発展とは結びつかない思想なのである。クロポトキンにおいては生産力の増大が重要なのではなく、進歩があったとしても、それはいわば節度のある進歩でなければならないのであり、重要なことは各人の欲求が充足されているということである。もし欲求の充足が存在即肯定の充足でもあるとすると、そういうことになるであろう。プルードンの相互主義やバクーニンの集産主義からクロポトキンの無政府共産主義への進展は、アナーキズムがより基本理念主義へ純化されることであるともいえるわけである。勝田吉太郎は「そこで問題は、結局のところ、文明の進歩の成果をどう評価するか、にかかっていると言えよう。アナーキストは、大工場と分業の体制にくみするよりは、自然により近い簡素な生活――『単純化された生活』のほうを選びとる。人間は経済の奴隷であってはならないからであり、たとえ生産力の飛躍的増大を犠牲にしても、単純素朴な自然生活のうちにこそ、真に自由かつ幸福な人間が住むに値する世界がある、と彼らは信じたからである。アナーキストによるマルクス主義批判は、ここにいたって、現代工業文明一般に対する批判と結びつくであろう。」(中央公論社『世界の名著 プルードン・バクーニン・クロポトキン』解説)と述べる。このアナーキズムによる現代工業文明一般に対する批判は、現代工業文明一般が立脚する進歩主義が持つ矛盾、その中でアナーキズムが基本理念主義的立場に立つことから生じてくる批判なのである。
クロポトキンは革命後の行動について、極端にいえばバンさえ確保すれば後はうまく行くと言っているだけのようにもみえる。しかしそのようなクロポトキンの考えは、基本理念主義の立場に立たなければよく理解できないのである。アナーキズム革命とは存在即肯定の実現であるとするなら、革命後にすべき何事があるであろうか。革命後に何かすべきことがあるという立場は、存在即肯定の条件は単に存在するということであったから基本理念主義の否定なのである。クロポトキンはその単なる存在を少し拡張して、生存するために最少限必要なパンを加えたのに過ぎない。クロポトキンは基本理念主義の立場から各人の欲求に従った分配を考えたのであり、その為に生産力の増大を求めない生き方、すなわち進歩主義的な生き方を拒否することをアナーキストに求めたのである。クロポトキンの能天気さに不満・不安を感じるなら、無政府共産主義者からいえばアナーキストをやめて革命的進歩主義者・左翼あるいは進歩的保守主義者になるべきということになる。近代における此岸的基本理念の実現とは源初の肯定性の再現であり、源初の肯定性とは前本質の肯定であり存在即肯定であったが、どちらにしてもそれは単純な世界といえる。
無政府共産主義はクロポトキンが最初に言い出したわけではないらしい。しかし、重要なことはクロポトキンがその思想に触れたとたん即座にそれに反応し、その最大の宣伝者になったということである。クロポトキンの心性の根底が基本理念主義的であったからこそ、無政府共産主義に即座に反応したのであり、また短期間のうちに多くのアナーキストが無政府共産主義を受け入れたという事実が、アナーキズムの核心が基本理念主義であることを示しているのである。アナーキズムの基本理念主義的性格は、アンダルシアの農民アナーキストがもっとも素朴な形で示しているともいえる。アンダルシアのアナーキズムの主な特徴は、その素朴な至福千年説であり、新しい運動やストライキはすべて豊かな新しい時代がただちにやってくるという前ぶれで、その時にはすべての人が治安警備隊や地主さえも自由で幸福になるであろう考えられていたが、どうしたらそうなるかは誰にもわからなかったし、土地の没収や教区教会の焼き打ちのほかに、なんら積極的な提案もなかった、というジェラルド・ブレナンの文章を引用しながら、ウッドコックは「素朴ではあったかもしれないけれど、純粋に至福千年説的なこのアンダルシアの農民の革命主義は、アナキストの教義をねじまげるものではなかった。事実、独自の純粋で素朴な方法で、その革命主義は、世間ずれした主唱者たちが軽くあしらいがちなアナキズムの原理の一つをはっきりと打ち出していた。それは特に道徳的な点に重きをおき、そして進歩を超越し、物質的誘惑から自由になって、永遠の世界へ精神的に転身することが、真のアナキスとになるために必要な信仰の飛躍であるとしている。」(『アナキズム』)というが、その進歩を超越し、一挙に理想社会を実現しようとする性格、その理想社会では治安警備隊や地主さえも自由で幸福になるとされていることなどに、基本理念主義的立場がよく現れているといえよう。アンダルシアの農民アナーキストが基本理念主義者であるとするなら、彼らが土地の没収や教区教会の焼き打ちしか提案できなかったとしても、幻想であり、非現実的なものでしかない源初の肯定性を実現しようとするのであるから、彼らが具体的なそのための手段があるわけがないのが当然なのであり、そのことによって否定的に捉えられるいわれもないのである。何故なら、基本理念主義が立脚する此岸的基本理念は、進歩主義もまた立脚するものでもあるからであり、進歩主義の彼岸性が基本理念主義を必要としているからである。
第三項 アナーキズムの揺動性
進歩とアナーキズムの関係について、ウッドコックは「時が永遠の緑に休んだかの長い夏の午後における黄金色の陽光は、またアナキストたちの心をもしばしば把えた。明らかに、十九世紀のたいていの左翼に属する人間と同じく、彼らはしばしば進歩について語った。ゴドウィンは、無限に進歩する人間を夢み、クロポトキンは、入念にアナキズムと進化を結びつけ、そしてプルドンは、現実に『進歩の哲学』を書いた。しかしながら、アナキズムが、普通のヴィクトリア時代の意味において進歩として、あるいは、さらに複雑な形態――この場合には社会形態――への発達を願うという普通に理解されている意味において発展的として見なされうるのは、ただ条件をつけたときだけである。事実、マルクス主義者たちは、常にアナキズムにおける進歩的な要素の存在を否定してきたし、反動的傾向についてアナキストたちを非難さえしてきた。彼ら自身の見地からすれば、彼らは全く誤っているわけではない。というのは、社会の発達に対するその態度において、アナキズムは、しばしば、理想化された未来と、理想化された過去の、天然磁石のあいだにつるされたマホメットの棺のごとく浮いているように見える。」(『アナキズム』)と述べている。ウッドコックのいう理想化された未来とは進歩主義における未来において実現される源初の肯定性であり、理想化された過去とは源初の肯定性が過渡期という過去にその基盤を持ことを考えるなら、基本理念主義における源初の肯定性のことといえる。アナーキズムは基本理念主義と進歩主義の間に浮かんでいるということになるが、正確には単に浮かんでいるというより、その間を揺れ動く思想だというべきであろう。なお、クロポトキンの進化論は進歩とは区別すべきかもしれない。現在進化論の立場からいえば、遺伝子と結びついていないクロポトキンの進化論は時代遅れの議論ということになる。しかし、人間は遺伝子に還元できるのであろうか。もし遺伝子に還元できない存在であり、なおかつ人間の進化について語れるとすれば、クロポトキンの進化論はそのような進化論ということになる。そして、その相互扶助論は前本質と関係するものとして理解すべきであろう。相互扶助が人間進化の重要な推進力であるとすれば、相互扶助は前本質との関係で重要な意味を持つともいえるのである。
何故アナーキズムは基本理念主義と進歩主義の間を揺れ動くのであろうか。ひとつは、アナーキズムの基本理念主義が進歩主義の中から出てきたものである以上、基本理念主義と進歩主義の間を揺れ動くのは当然ともいえる。それをアナーキズムの基本理念主義の視点からみれば、アナーキズムが此岸的基本理念の幻想性・非現実性と直面しなが、それでも此岸的基本理念を求める思想、すなわち幻想性から逃げるのではなく、此岸的基本理念を基本理念そのものとしてあくまで求める思想であるから、そのギリギリの状態の中で逆に基本理念主義と進歩主義との間を揺れ動いてしまうということになってしまうわけである。そうすると、アナーキズムが基本理念主義と進歩主義との間を揺れ動くのは、アナーキズムの根底が基本理念主義であるからともいえるわけである。ウッドコックはアナーキズムの揺動性を強調しているが、進歩主義の三極構造が進歩主義の解消・止揚できない矛盾から生じることを考えるなら、アナーキズムだけでなく進歩主義的な他の思想についても三極間の揺れ動きは大なり小なりいえるわけである。ただ、そもそも基本理念が幻想であるから中心理念が創出されるのであり、中心理念において基本理念の幻想性が間接化されているのに対して、アナーキズムは基本理念主義として自己の幻想性・非現実性と直面せざるを得ない分だけ、基本理念と中心理念の間を激しく揺れ動くということにもなるわけである。アナーキズムには揺動性が極端な形で現れるということである。
進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義は相互に対立的であると同時に協同的でもあった。これは三極の間に流動性があるということであり、この流動性は進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義がそれぞれ濃淡を持って内在している思想・立場を生み出すであろう。いわば色々な思想・立場が、進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義を頂点とする三角形の内部に分布することになるし、現実の進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義はそれらの極の周辺に展開する思想・立場によって形成されるのだともいえる。また、対立と協同性がそれぞれの二極間にいえるのであるから、中間的思想・立場がそれぞれの二極が作る線上周辺に分布することになるであろう。そうすると、進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義の三極の周辺に他の二極的な傾向が形成され、三極がそれぞれさらに入れ子状にその周辺に三極構造を持つということが考えられる。もっとも、これは原則論であって、どのような分布状態になるのかは、進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義のそれぞれの性質を見なければならない。また、進歩主義が国家共同体主義によって補完されるのだとすれば、国家共同体主義がそれらの中間部分に対してどういう作用を及ぼすのかも考慮しなければならない。
進歩的保守主義と革命的進歩主義の間には、質的完成社会の考え方によって中間領域が存在しえるであろう。その場合、中間領域は革新あるいは改良主義的諸傾向として現れるといえる。では、基本理念主義と進歩的保守主義、基本理念主義と革命的進歩主義の間ではどうであろうか。基本理念と未来の間を揺れ動かざるをえないとするなら、基本理念主義に革命的進歩主義的傾向が入り込んでくることは考えられるし、革命的進歩主義についていえばその未来における質的完成の基本理念性をめぐって異なる立場が生じてくるであろう。基本理念主義と進歩的保守主義ではどうであろうか。基本理念主義はその幻想性により、現在を基本理念の実現とするのではなく、限りなく現在に近い未来における基本理念の実現を志向するとすれば、極限的には次の瞬間、基本理念主義においては基本理念が実現しているということであり、その未来の基本理念の実現と進歩的保守主義における質的完成社会としての現在肯定との間は原理的に中間領域が成立する余地は無いともいえる。ただ、基本理念主義も現在の肯定性を求める以上、進歩的保守主義の現在肯定性に惹かれる心性が生じる可能性はあるし、進歩的保守主義も質的完成により基本理念的なものを求めればそれは革命的進歩主義になっていくだけであるが、その補強としての国家共同体主義についていえば、より理想的な国家共同体主義を求めることによって基本理念に近づいていくことはありえるであろう。また、この理想的な国家共同体主義という考えは、基本理念主義の内部にもその幻想性を国家共同体主義によって埋めようとする立場が生じる可能性を示している。アナーキズムでいえば石川三四郎の天皇制アナーキズムであろう。それはアナーキズムである限り権力と結びついた天皇制ではなく、最高権威者としての天皇、一切の余計なものを削ぎ落した国家共同体主義ということになるであろうし、天皇とはただ現人神としての天皇ということになる。進歩的保守主義については、進歩的という言葉が外れた単なる保守主義にも通じているとすると、この保守主義は進歩主義とは別にその現在肯定性により基本理念的なものを求める立場というものも成立するであろう。
国家共同体主義との関係を考えるということは、国家共同体主義の再定立と国家共同体主義による補完を考えるということである。三極構造でみると、少なくとも三極それぞれが再定立した国家共同体主義を許容しているということになるはずである。ただ、基本理念主義による国家共同体主義の許容には問題がある。基本理念主義においては、すべての中心理念が否定されているからである。また、質的完成と国家共同体主義の関係からいって、進歩的保守主義・革命的進歩主義は国家共同体主義を許容するが、基本理念主義は質的完成ということを認めないから、その意味でも国家共同体主義を許容できない。進歩的保守主義・革命的進歩主義を底辺とする三角形を考えるなら、基本理念主義の頂点に向かって国家共同体主義的要素が薄れていくということになる。
進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義の三極構造と国家共同体主義との関係で、基本理念主義において国家共同体主義的要素は存在しないとしたが、国家共同体主義が進歩主義を補完するとは、現在に源初の肯定性を付与する為に国家共同体主義が必要とされるということであった。それはある意味、基本理念主義の代わりに国家共同体主義があるということであるから、国家共同体主義と結合している進歩的保守主義・革命的進歩主義を底辺として、国家共同体主義を頂点とするもうひとつの三角形が考えられる。その場合、近代社会は進歩的保守主義・革命的進歩主義・基本理念主義・国家共同体主義という四極構造をとるともいえる。ただ、国家共同体主義は崩壊した過去の中心理念であることを考えるなら、それ独自の極をつくることには困難性が伴うはずであり、その内部に近代そのものの要素を取り込むことによって、すなわち進歩的保守主義・革命的進歩主義的部分を含む小三極構造をとることによって、それは一つの頂点・極となることが可能だとみるべきであろう。そのような第四極がファシズムであり、またファシズムの曖昧な性格を説明するともいえる。右翼的でもあれば左翼的でもあるというファシズムの曖昧な性格は、ファシズムが第四極としての国家共同体主義なのだと考えれば納得がいく。また、本来極となりえないものが第四極になろうとすれば、それは他を激しく攻撃しなければ成立しないともいえ、それがファシズムと攻撃性の結合を必然化するともいえる。イタリアの場合、ファシズムが台頭したのはその後進国性のせいだともいえるかもしれない。進歩主義において後進国とはそれだけ基本理念から離れているということであるから、国家共同体主義によって補完される必要性がそれだけ強いともいえる。ドイツの場合、第一次世界大戦を引き起こす以前のドイツはヨーロッパ大陸の覇権国家ともいえる立場であったから、必ずしも後進国性をいうことはできないかもしれないが、敗戦後のドイツの状態は進歩的保守主義における質的完成を語るには否定的な状況だったといえるし、革命的進歩主義的に革命を求めるか、そこに肯定性をもたらそうとすれば国家共同体主義による補完によって肯定性を求めるかしかない状態だったともいえよう。そのような状態でドイツでは皇帝が追放されてワイマール共和国になって、さらに国家共同体主義の基盤は弱体化していたわけであり、国家共同体主義の基盤そのものを強化する必要があったともいえるわけである。また、ドイツやイタリアは分裂国家が統一されてそんなに時間が経っていないのであるから、その国家共同体としての共同性は十分なものではなかったといえるから、その意味でもより統一され強化された国家共同体の形成という課題もあったといえ、それがファシズムにおける有機体的国家の強調、全体主義として現れたということであろう。
第四項 反国家・反権力と純正無政府主義
アナーキズムはこれまで国家の否定・政府の否定、すなわち反国家・反権力という立場から捉えられてきた。純正無政府主義も当然国家や権力というものは否定する。純正無政府主義が基本理念主義として過渡期における源初の肯定性を求める時、過渡期における源初の肯定性とは基本理念そのものでありそこには中心理念というもは存在しないし、従って中心理念と結びつく国家・権力というものもそこには存在しないからであり、前本質期という意味での基本理念の実現社会においてそれらの要素は存在しないものだからである。近代国家は国家共同体主義における国家共同体とは区別されるものかもしれない。しかし、国家共同体を土台としてその上に構築されているということはいえるであろう。そして、アナーキズムはこの土台ごと国家を否定するのであり、そういう意味では、国家や権力だけでなく、純正無政府主義は中心理念的なもの総てを否定するのだといえる。ただ、基本理念主義的にいうと、純正無政府主義を反権力・反国家の思想として規定することには問題があることになる。国家共同体主義は近代においては再定立された過去の中心理念であるばかりでなく、現在の中心理念である進歩主義の未来性・彼岸性を補完するものであるとしても、国家共同体主義に反対・対立するということは、近代において二次的な問題にすぎないからである。すなわち、純正無政府主義を反国家・反権力思想と規定することは、純正無政府主義を近代における二次的な思想とすることに他ならないことになってしまうわけである。もう一つの問題は、国家共同体主義は進歩主義の欠陥を補強するものとしてもあるとしたが、進歩的保守主義・革命的進歩主義という質的完成派が国家共同体主義との結合を強化するとすれば、純正無政府主義が反国家・反権力主義に重点をおくということは、本来進歩的保守主義・革命的進歩主義への批判であるべきものが、国家・権力批判に転化していまうということにもなってしまうことである。それは、純正無政府主義の反国家・反権力主義が、基本理念主義の持つ幻想性・非現実性に純正無政府主義者を正面から向かわせるというより、目を逸らさせる意味をもってくるということでもある。基本理念主義が進歩主義を否定するということは、直ちに自己の幻想性・非現実性として跳ね返ってくるが、過去の国家共同体主義に結びつく国家・権力を否定している分には、それが直ちに基本理念に対する純正無政府主義の幻想性・非現実性として跳ね返ってくるわけではない。社会的にも純正無政府主義の反権力・反国家主義に対しては、せいぜい国家や権力を無くしたら秩序安寧は保たれるのかという批判を引き起こすぐらいである。もちろん、純正無政府主義が基本理念主義ではなく反国家・反権力主義を語ることは、純正無政府主義が自ら基本理念主義的側面を弱めるということであるから、それだけ他の進歩的保守主義や未来的進歩主にとっても、自分たちの矛盾が目立たなくなるということであるから、彼らにとっても都合がいいことであろう。その結果、自己放棄の体系そのものが維持されるともいえ、純正無政府主義者が自己放棄者でもあるなら、純正無政府主義は反国家・反権力主義をこそ前面に出すべきだということにもなる。
アナーキズムは反国家・反権力の思想であるとされるが、アナーキストは国家や権力を解体・廃棄できるのであろうか。アナーキストも自己放棄者であり、自己放棄の弁証法的展開の中に自己の基盤を持つ以上、自己放棄の体系から逃れることはできず、国家共同体主義が自己放棄の体系の中で再定立されるものである以上、国家共同体主義から完全に自己を解放することはできないといえる。いくら反権力・反国家を叫んでも、アナーキストは自己放棄者である限り、国家共同体主義を解体することは出来ないのである。アナーキストは自己内部に隠された形で権力主義・国家主義を内在させ続けるかもしれないし(バクーニンの見えざる独裁を考えよ)、アナーキズム革命後にも国家・権力を完全に解体・廃棄できないだろうということである。唯一者的立場からいえば、アナーキストがいくら反権力・反国家を叫ぼうと、自己放棄者であるかぎり、決して権力や国家を解体できないし、ましてや一般大衆ができるはずのないものなのである。国家や権力を解体・廃絶することが可能なのは、自己放棄とは無縁な唯一者ということになる。
第五項 純正無政府主義と純化
アナーキズム思想の展開をプルードン・バクーニン・クロポトキンという流れでみると、基本理念主義へと向かう傾向が見て取れ、純正無政府主義はその傾向をさらに進めてアナーキズムを基本理念主義に純化していこうというものであるとした。純正無政府主義が無政府共産主義と結びついたのも、無政府共産主義によって基本理念主義としてのアナーキズムが一応形を整えたからなのである。ただ、純正無政府主義が純粋な基本理念主義としてアナーキズムを追求していこうとすれば、無政府共産主義にとどまっているわけにはいかず、その先にまで進まなければならないということである。純正無政府主義とは、純粋な基本理念主義のことであり、単純に存在即肯定を求めるアナーキズムのことである。
無政府共産主義をさらに基本理念主義的に純化するとき、もはや欲求の充足ということが問題になることはないであろうし、純粋に存在そのものを問題にすることであるといってもいい。そこで重要になるのは自由である。純正無政府主義における基本理念主義が存在即肯定という側面では絶対的自由への希求ということになり、前本質性の肯定という側面では相互扶助と平等と個々人の自由ということになる。純正無政府主義における自由とは存在即肯定からくる自由自在性と前本質からくる狩猟採集民などにみられる個々人の自由性があり、それが結合しているといえる。どちらにしても、その自由は個人を主体としており、プルードンの各人による各人の統治というアナーキーの定義は、この主体としての個人の理念化であり、主体としての個人と社会の関係のアナーキズム的な理念化であるといえる。
三極構造において三極が三極として存在するためには相互の違いが前提となるわけであり、その為には相互の違いが明確化されていなければならない。一方三極間には流動性があるから、その立場が曖昧化されていくという力が働くであろう。その曖昧化に対して、三極相互の違いが明確化されていなければならないのだとすると、そこに純化という力がさらに加わるということになる。純正無政府主義が基本理念主義に純化するとは、そのような曖昧化に対して基本理念主義を明確化するという意味もあるわけである。さらに基本理念主義の幻想性を考えるなら、そこにはその幻想性にもかかわらず純正無政府主義を追求するという意識の先鋭化もまた必要だということになる。そして、三極は対立と同時に協同の関係にあるわけであり、そこにあるのは相互依存であるが、存在即肯定においては単に存在していればいいのであり、そこには他者への依存という要素は存在しないのであるから、意識の先鋭化は基本理念主義への純化と純正無政府主義の自立化とを結びつけることにもなるであろう。
これまでの運動における純正無政府主義はクロポトキンの無政府共産主義と結びつき、またアナーキズム内部におけるマルクス主義的なものの徹底的な否定と結びついて語られてきた。そのうちの反マルクス主義は反国家・反権力と同じように否定する相手に逆に依存するものであり、主体的・自立的思想としての純正無政府主義の核心とはなりえない。また、アナーキズムとマルクス主義の相違点としては自由か平等かといった問題や、革命後も権力を存続させるのかどうなのかといった視点から語られてきたが、その対立は革命的進歩主義と基本理念主義の対立として見るべきものである。
社会勢力的にいえば、三極構造においては基本理念の幻想性・非現実性に対して中心理念としての進歩主義が創出されるということであるから、基本理念主義よりは革命的進歩主義の方が大きな勢力を持つであろうし、進歩主義の彼岸的な性格への対応が質的完成量的発展であるとすれば、質的完成を未来に置くことは何の意味もないことだから、同じく革命的進歩主義より進歩的保守主義の方が大きな勢力を持つであろう。さらに、アナーキズムが基本理念主義であり、純正無政府主義として純化されていかなければならないとするなら、さらにアナーキズムの勢力は小さいものとなっていくであろう。実際二十世紀を通じてアナーキズムはその勢力を失っていったわけである。
二十世紀は進歩的保守主義と革命的進歩主義の二極構造であったともいえる。そして、二十世紀の終わりのソ連の崩壊とともに、二極構造は崩壊し、中国が一党独裁下の資本主義であることを考えると、二十一世紀は進歩的保守主義の一極構造として始まったともいえる。では、二十一世紀を通じてその進歩的保守主義一極構造も崩壊していくのであろうか。もしそうなら、それは自己放棄の第五段階としての近代が崩壊していくということである。そうではなく、進歩主義にはまだまだ力が残っているのであろうか。もし力が残っているのだとすれば、再び進歩的保守主義に対して基本理念主義・革命的進歩主義が力を持ってくるであろう。また、理性や経済にかわる新たな進歩の推進力とみなされるものが登場してくるかもしれない。どちらにしても、再登場してくる基本理念主義は基本理念主義に純化された純正無政府主義が担うことになるであろう。そうすると純正無政府主義の核心は無政府共産主義というよりは自由ということになるのかもしれない。自由は存在即肯定から直接出てくるものだからであり、基本理念主義としての純正無政府主義において問題になるのは存在即肯定だからである。それに対して、進歩的保守主義への批判で意味を持つのは基本理念主義であり、ただ基本理念主義の非現実性が革命的進歩主義を生み出すのだともいえるが、新しい革命的進歩主義はマルクス主義にかわる思想が必要なのではないだろうか。あるいは依然としてマルクス主義に基礎をおく思想となるかもしれないが、どちらにしても失敗したマルクス主義を特徴づける多くの思想傾向が否定されていくであろう。マルクス主義が持つ権力主義的傾向が新たらしい思想によって否定されていくとすれば、アナーキズム内部の革命的進歩主義ともいえる左翼アナキズムと新しい思想とを分ける違いはなくなっていき、左翼アナキズムは新しい革命的進歩主義に吸収されていくのかもしれない。あるいは、逆に新しい革命的進歩主義もアナキズムの名で語られていく可能性もあるが、それは馬鹿らしい事態であろう。革命についていえば、それが革命的進歩主義である以上何らかの形で革命が語られるかもしれない。しかし、マルクス主義の経験からいってその革命が勝利することは革命的進歩主義にとって重要なことではないともいえる。革命を語りながら革命には勝利してはならないかもしれないということである。新しい革命的進歩主義もまた前衛意識のもとで展開されるとしても、その前衛組織は好い加減なものでなければならないということになる。鉄のような規律をもって革命に邁進する前衛党などというものは必要ないわけである。進歩的保守主義も進歩主義であることを考えるなら、進歩的保守主義に対する革命的進歩主義は、革命を語りつつ進歩の方向を示していくのがその役割といえる。その意味でも、改良主義は否定されるものではなくなり、進歩的保守主義から革命的進歩主義へは連続的であることが求められることにもなるかもしれない。
ソ連崩壊以後は進歩的保守主義の一極構造としたが、資産格差の急速な増大は進歩的保守主義と対立する意識を作り出すかもしれない。資産格差の急速な増大はあくなき利潤追求という資本主義の動機を刺激し、強化するであろう。今や過剰ともいえるような利己主義に支配された人間の心性はどこに向かうのであろうか。彼等がそれでも進歩主義の中で生きているのだとすると、彼等はもはやポラードが考えるような保守主義者としてのブルジョアではないかもしれない。何故なら、彼らが急速な不平等の拡大にもかかわらず利潤の増大を追求するのは、貨幣が未来の現在における所有だとすれば、それだけ自分は未来を所有したいという願望に支配されているということであり、彼らの関心は現在の肯定性ではなく未来の肯定性にあるのだということにもなるからである。その分、彼らは進歩的保守主義がもたらす現在の肯定性に対して否定的になるであろうし、彼らの心性は進歩的保守主義より革命的進歩主義に近づくかもしれないわけである。さらに、もともと資本主義は植民地主義としてヨーロッパの外にまで拡大する性格を持っていたが、彼らの利己主義は彼らに共同体性というものを無意味なものとさせ、彼らをヨーロッパ自己放棄共同体を越え出させ、ヨーロッパ自己放棄共同体を解体しようという力とさせていくかもしれない。それは同時に進歩的保守主義を補完していた国家共同体主義の国家共同体を解体されることでもあるわけである。しかしそれは、進歩主義と進歩主義の下にあって彼らがその活動の場としている近代資本主義がヨーロッパ自己放棄共同体にその存在根拠を持っているのであるから、彼らの利潤追求という価値観そのものを崩壊させていくことにもなるわけである。ということは、再び進歩的保守主義への揺り戻しがあるということかもしれない。あるいは、利潤追求と格差の増大を求める利己主義は、近代資本主義から古い資本主義に戻りながら、資本主義の存続を図るのかもしれない。そこにはもはや格差の増大を止める力は存在しないし、一部の人間の豊かさを求め、他の人間のことは顧みない資本主義があるということになる。同時に、そこにあるのは進歩主義中心理念としたヨーロッパの自己放棄の展開の第五段階の崩壊ということになる。
引用・参考文献
『アナキズム』 ジョージ・ウッドコック
『ウィリアム・ゴドウィン研究』 白井厚
『十九世紀における革命の一般理念』 ピエール=ジョゼフ・プルードン
『革命と教会における正義』 ピエール=ジョゼフ・プルードン
『プルードン』世界の思想家13 河野健二編
『神と国家』 ミハイル・バクーニン
『近代科学とアナーキズム』 ピョートル・クロポトキン
『世界の名著 プルードン・バクーニン・クロポトキン』中央公論社 「解説」 勝田吉太郎
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第一項 共産主義の曖昧性
革命的進歩主義であるが、革命的進歩主義も現在を質的完成社会とする進歩的保守主義を否定することにおいては基本理念主義と共通するし、源初の肯定性・存在即肯定の実現があくまでも未来的なものとする立場では、基本理念主義に対して進歩的保守主義と共通する。また、進歩的保守主義と基本理念主義では、今・此処でという肯定性の存在的性格を重視するのに対し、革命的進歩主義は直線的進歩主義と同じようにそれを無視することにより対立する。それ故、革命的進歩主義は進歩的保守主義に対しては基本理念的理想を対峙させ、基本理念主義に対してはその幻想性・非現実性を強調するということになるであろう。それはマルクス主義の特徴でもあり、革命勢力あるいは社会主義はマルクス主義に集約されていったが、それは革命的進歩主義が何よりもマルクス主義によって担われてきたということである。ただ、マルクス主義の立場は史的唯物論であり、その弁証法的運動は単純明快な革命的進歩主義とはいえない。生産力を基礎に置き、生産力の発展とそれから生じる生産諸関係との間の矛盾、そしてその矛盾の止揚という弁証法的運動を主張する唯物史観において、生産力は単に現在の進歩主義に結びつけられているのではなく、人類の全歴史の発展をもたらす根本的なものとされる。史的唯物論を本論的に理解するなら、十九世紀において進歩の推進力とされた経済が全人類史的なものに格上げされているということである。もっとも、人間の全歴史を経済史の反映とみるバクーニンにおいても経済は全人類史の根底に置かれているし、『鞭のドイツ帝国と社会革命』でバクーニンはブルードンも自分と同じ立場に立っていると理解している。
進歩が此岸的基本理念である源初の肯定性をもたらすとされ、一たび経済が進歩における決定的な推進力とされるなら、源初の肯定性は此岸的であれ彼岸的であれ自己放棄の体系の諸段階に共通するものとして在るのであるから、経済的なものが全人類史の基底にあるものと看做されるのは、ある意味当然なことであり、そのような立場は十九世紀の進歩主義によって生み出されるべくして生み出されたものといえる。ただ、マルクスの弁証法的に語られる史的唯物論を革命的進歩主義の視点から見ると、マルクス主義における質的完成・量的発展には曖昧性が伴う。すなわち、マルクス主義における生産力と生産諸関係の矛盾の止揚と質的完成の関係が明確ではないのである。もし止揚が一つの質的完成なのだとすると、質的完成は何度もあることになる。そうではなく質的完成は一度的なものなのだとすると、今度はその質的完成は生産力と生産諸関係の矛盾とは無関係かもしれないわけである。もちろん、ある決定的な生産力と生産諸関係の矛盾の止揚があり、その止揚が質的完成なのだということもありえる。しかし、その点に関してもマルクス主義は必ずしも明確ではない。
マルクス主義の解説書『マルクス主義50語』でピエール・マッセは、「共産主義は『歴史の謎が解かれたものであり、自分をこの解決として自覚している』(『草稿』)。共産主義が創始されると、プロレタリアたちは歴史全体の一般的意味と同時に彼らのかつての疎外の理由を発見するであろう。歴史の謎が解かれるであろう。というのは、『歴史の全運動』は共産主義を『生み出す行為』だからである(『草稿』)。しかし、共産主義が歴史の意義であるならば、それが歴史の最終目標であるならば(したがって、目標という意味での終り〔目的〕であるならば)、あたかも共産主義が歴史の運動の完了を示すことになっているかのように、それは言葉の年代学的意味での歴史の終焉であると言うことができるであろうか。マルクスがわれわれ人類はまだやっと前史の状態にあるのであって、共産主義革命だけが歴史の入口を示すことになるはずだと語っている文章を、どのように理解したらよいのだろうか。『共産主義はもっとも近い将来の必然的形態であり、エネルギッシュな原理である。しかし、共産主義はそのようなものとしては、人類の発展の到達目標、人間的な社会形態ではない』(『草稿』)という『経哲草稿』のテキストにどんな意味を与えたらよいのだろうか。共産主義は歴史のなかにあるのか、それとも歴史の終焉なのか。共産主義は前史でしかない今の歴史の終焉であり、真の歴史があらゆる歴史と同じく際限のない生成であるならば、なぜそれもまた新たな矛盾やさまざまな疎外の舞台ではないのであろうか。実際、そう考えないことはプロレタリア千年王国の夢に耽ることであるように思われる。しかし、そうだとすれば、共産主義は歴史の謎の解決でありうるのか。どうして歴史はその意味を、完成した全体性のなかではなく、ただ内在のなかに委ねることだけができるのであろうか。これらの問題にかんするマルクスの思想の曖昧さがマルクス主義者の理論家たちによって取り除かれたことはまだない。」と述べ、共産主義社会の実現とその後の人類の歴史の間に、マルクスにはある分裂があるとし、またある決定的な矛盾の止揚があることについてもマルクス主義には曖昧性があるとする。
その分裂とは、一方では「歴史の全運動」は共産主義を「生み出す行為」であり歴史の完了とされ、他方では共産主義は歴史の入り口であり、人類の発展の到達目標、人間的な社会形態ではないとされるところにある。この分裂は、革命的進歩主義から見れば、共産主義社会は基本的理念の完成社会なのか、質的完成社会なのかという問題に転換しえるともいえる。もしそれが質的完成であるとすれば、それは歴史の入り口ともいえ、共産主義社会における基本理念の実現に向けた経過こそが真の歴史ともいえるわけであるし、その先に待つのは人類の発展の到達目標である源初の肯定性の実現であり、人間的な社会形態の実現といえるわけである。
共産主義社会を基本理念の実現社会としても、そこには時間の経過というものは存在するであろう。しかし、それは進歩主義における進歩はすでに終了しているということであり、また基本理念の実現とは存在即肯定であるから、そこにおいて様々な存在のあり方はもはや問題にはならないし、したがって時間の流れはあるかもしれないが、変化そのものが意味を持つものとしての歴史は存在しないことになる。その場合は、共産主義社会が新たしい歴史の入口というような言い方は意味がないのである。それ故、共産主義社会以後の歴史を考えるということは、共産主義社会が基本理念の実現社会というよりは、質的完成社会であるということを意味することになる。また、その場合の共産主義社会を新たしい歴史の入口とする歴史とは量的発展としての進歩ということになる。共産主義社会以後の歴史を考える事は、共産主義社会を進歩主義の理想の実現、すなわちプロレタリア千年王国の実現とすることとは矛盾するわけである。
共産主義の実現は歴史の完了なのか新たな歴史の入口なのかという問題は、マルクス主義的に解釈するなら、それは史的唯物論というマルクス主義の唯物史観とプロレタリア千年王国の夢との間の分裂と理解できる。プロレタリア千年王国的に、すなわち源初の肯定性的に歴史の完了を考えるなら、共産主義社会は新しい歴史の入口とはならないが、史的唯物論的に一つの歴史の終了を考えると、旧来の生産様式と発展した生産力との間の矛盾とその止揚という弁証法的運動としての歴史の終了として共産主義社会を考える事もできる。しかしあくまでも終了するのは弁証法的運動であって、共産主義社会においても生産力は限りなく増大していくかもしれない。人類の歴史の原動力を経済に置く唯物史観のマルクスがそう考えてもおかしくはないだろう。そうすると、共産主義社会の実現は新しい歴史の始まりともいえるわけである。もはやいくら生産力が増大しても、生産力と生産諸関係の矛盾は生ぜず、どのような否定的な事態も生じないというわけである。そうすると、共産主義社会とは基本理念の実現というよりは質的完成ということになり、その後の生産力の増大が量的発展ということになる。たとえば、共産主義社会を各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける社会とするなら、そのような社会構造を維持したまま生産力を増大させるということが、可能性としては考えられないことはないし、その場合の共産主義社会とはある種の質的完成ともいえるであろう。そのような質的完成としての共産制社会に源初の肯定性的性格を与えるのは平等ということになるが、しかしその場合の平等とは未来における基本理念を実現する物質的条件の充足を全ての人間に保証するという意味での平等であり、進歩が前面に出ている平等ともいえ、質的完成に求められている源初の肯定性的、すなわち存在即肯定としての源初の肯定性としては不十分ともいえるわけである。
一方、基本理念の実現としての共産主義はまったく矛盾がないかといえば、そうともかぎらない。何故なら、存在即肯定においては存在していることのみが重要なのであるから、その存在の在り方が矛盾的であっても別にかまわないのであって、その意味では共産主義に矛盾が在ってもかまわないわけである。もし共産主義社会に矛盾が在ったとすれば、その矛盾の止揚もあるかもしれないし、マルクス主義的にいえば、その弁証法的運動も歴史ということになるかもしれない。ただ、その歴史は進歩主義的にいえば無意味なものということである。基本理念の実現社会に矛盾があるかもしれないとすれば、質的完成後の量的発展時期に矛盾が在っても不思議ではないということになる。中心理念は基本理念と矛盾しなければ存在しええないし、それは、矛盾することによって成立するものであり、それから矛盾を取り除こうとすることは、幻想による崩壊とは別の意味で中心理念を無化しようとすることである。少なくとも進歩の過程においては基本理念と中心理念の矛盾があるわけである。ただ、進歩の過程において何らかの矛盾があったとしても、その矛盾の止揚の幾つかは進歩をもたらすかもしれないが、進歩とは矛盾の止揚であるとはいえないわけである。
共産主義の実現を質的完成とすることは共産主義の実現をプロレタリア千年王国の夢の実現とすることと対立するわけであるが、もう一つマルクスの理論は社会主義と共産主義という二段階的構造を持つわけであり、素直に革命的進歩主義の立場で考えるなら、社会主義とは質的完成であり、共産主義とは社会主義社会における生産力の発展がもたらすものであり、基本理念の実現ということになるのではないだろうか。それはプロレタリア千年王国の夢の立場であるともいえる。もし共産主義社会が質的完成であるとすると、社会主義社会は質的完成ではなく、資本主義から社会主義への止揚も質的完成をもたらす決定的止揚ということではないことになる。社会主義社会にも生産力と生産諸関係の矛盾が在り、その止揚が共産主義社会をもたらすということである。しかし、社会主義社会が生み出す生産力と生産諸関係の矛盾とはどのようなものなのであろうか。その矛盾が明確でないとすれば、その矛盾の止揚が共産主義社会をもたらすということもいえないであろうし、階級闘争説からいっても社会主義社会にも階級が存在するということになってしまうわけであるが、マルクス主義においてその矛盾の内容が明確に示されている、あるいはその矛盾を矛盾として明確に意識されているとはいえないであろう。もちろん、その社会主義社会における矛盾が明確でないということをもって、マルクス主義では社会主義を質的完成、共産主義を基本理念の実現と考えていると看做してもいいのかもしれない。
共産主義と社会主義の違いについては、各人が能力に応じて働くという点ではおなじであるが、共産主義では必要に応じて分配を受けるのに対して、社会主義では働きに応じて分配を受けるという点で違っている。生産手段については生産手段の社会的共有という点では同じであるが、社会主義にはそこに管理という要素が入ってくるわけである。働きに応じて分配というが、分配するためにはその働き具合の違いを判断する必要があるであろう。単に労働時間で分配するなら、肉体重労働に従事する労働者は逆に不平等を感じることになる。何を重点的に生産するかという点でも管理が必要かもしれない。もっともこの点に関しては、社会主義を質的完成とする限りにおいて、マルクス主義では大した問題ではないともいえる。社会主義において生産力が不十分ということであれば、何を重点的に生産するかという問題は重要であるが、マルクス主義では生産力と生産諸関係の矛盾の止揚として社会主義が存在しそれが質的完成であるとすると、それは社会主義が実現できるだけの生産力を社会主義以前にすでに得ているということであるから、社会主義において生産力が不十分ということありえないことになるわけである。しかし、社会主義を実現できるだけの生産力とはどのようなものなのであろうか。分配の平等性については社会主義に根本的な解決策があるとは思えないし、分配の不平等をめぐって社会には不満が生じるということであり、その不満の解消は結局共産主義の実現を待つしかないということになるわけである。そうすると、社会主義社会においては如何に共産主義社会を実現するか、その為にどのように生産を組織化していかなければならないかという問題はあることになり、その点において生産の管理ということが重要な意味をもつことになる。では、どのようにして管理し、どのようにして決定がなされていくのであろうか。マルクス主義は管理し決定する人間達・分門が必要だとするであろう。ここで注意しなければならないのは、その管理・決定を例えば労働者の自主管理のように社会そのものに求める考えは、それが具体的にどのような形態をとるかは別にして、その考え自体が基本理念主義としてのアナーキズムとは何ら関係ないということである。何故なら、アナーキズムは進歩主義から派生してきたものであるが、基本理念を実現するとされる進歩そのものは否定するのであるから、基本理念の実現の為の生産の管理・決定ということは重要な事とはされないからである。
マルクス主義において社会主義を生産力と生産諸関係の矛盾の止揚としてとらえることと、社会主義とは働きに応じて分配を受け取ることだということの間には、理論的整合性が取れないわけである。もちろん、これは社会主義における矛盾の止揚を質的完成と捉えた場合に言える事だとすることは出来るかもしれない。しかし、矛盾の止揚が質的完成ではないとするる社会主義における矛盾の止揚とは何なのかということになるだろうし、生産力と生産諸関係の矛盾の止揚ではないとすれば、社会主義とは何なのであろうかということになる。マルクス主義において共産主義には曖昧なところがあったが、社会主義もまたマルクス主義の中で宙ぶらりんなものとしてあるわけである。生産力と生産諸関係の矛盾の止揚は共産主義なのだとすると、社会主義はすでに獲得している生産力とは関係ないものとなり、それは資本主義との関係でいえば、共産主義を実現するだけの生産力を産み出すのは資本主義か社会主義かという問題を、社会主義は抱えているということになる。質的完成との関係でいえば、共産主義であれ社会主義であれ、生産手段の私有を否定した上での平等ということは、例えばブッシュマン社会では生産手段の私有を認めた上での平等であることを考えると、果たしてその平等が前本質と結びついた源初の肯定性としてあるのか、質的完成に源初の肯定性的性格を与える平等としてあるのかという疑問もある。また、社会主義・共産主義という二段階をとり、かつ共産主義を質的完成とするなら、間に社会主義を挟むことはそれだけ質的完成を遠い未来のこととするということであり、それは質的完成を実現しようとする努力に対しマルクス主義は一種の反動勢力ということになるのではないだろうか。マルクス主義的にいえば、唯物史観という科学的な歴史理論をとるか、プロレタリア千年王国の夢をとるかという問題になるわけである。マルクス自身はその間を揺れ動いていたのだといえよう。マルクス自身が共産主義以後の歴史などということを言わなければ、マルクス主義者は唯物史観と共産主義を結びつけた科学的千年王国の夢に耽っていられたのに、マルクス自身がその夢を破ってしまったわけである。その意味では、マルクス自身はプロレタリア千年王国の夢よりは彼の科学的歴史観を選んだということでもあるが、その場合の問題は、まったくプロレタリア千年王国の夢を排除したマルクス主義が、果たして社会的に影響を持ちえたかということである。進歩主義が近代を規定しているのだとすれば、当然そのようなマルクス主義が社会においてこれまで得たような大きな影響力というものはありえなかったであろう。
進歩主義の観点から見ると、共産主義社会における歴史の終焉か新たな歴史の入口かという分裂は、進歩主義の幻想性のマルクス主義的表れなのかもしれない。進歩主義は進歩の結果基本理念を実現するとするのであるが、源初の肯定性は幻想としてしか存在しないのであるから、決して進歩主義がその理想を実現することはない。すなわち、進歩主義はその理想の実現を求めながら無限に進歩を続けるしかないわけである。そうなら、共産主義社会を理想の実現とする一方、共産主義社会においても進歩は無限に続くとしたとすれば、それはマルクスが進歩主義の幻想性に反応したのだともいえるわけである。進歩的保守主義が進歩主義の彼岸性への反応だとすれば、現実肯定性を否定した革命的進歩主義がより一歩踏み込んで進歩主義の幻想性へ反応しても不思議ではないともいえる。進歩主義的に共産主義を新たな歴史の入口とするマルクスの言葉を解釈するもう一つの考えは、マルクスは単に進歩を単に経済的発展として見るのではなく、多様なものでもあると感じ取っていたのではないかということである。そうなら、共産主義は単に経済的進歩の到達点でしかなく、そこからさらに別の進歩が考えられるわけであり、そうするとその進歩は共産主義社会から始まる新たな歴史ともいえるわけである。十九世紀になって進歩主義に経済的発展が大きな意味をもったとしても、十八世紀には進歩は理性や科学と結びついていたと同時に『百科全書』の扉絵に見られるように人間存在全体に係わるものと考えられていたのであり、そのことを考えるとマルクスが経済的発展を超えた進歩というものもまた感じていたということはあり得ることであろう。しかしそうすると、マルクスにとって経済とは何だったのかという問題が改めて問われることになる。マルクスにとって経済が決定的に重要なものではないとすれば、歴史を生産力と生産諸関係の矛盾の止揚として捉える史的唯物論もまた成り立たないのではないだろうか。
共産主義社会を基本理念の実現としても、源初の肯定性は幻想なのであるから、一方では無限の進歩というものを考えざるを得ないわけであるが、それ以外にもそもそも自己放棄の体系の弁証法的展開においては、いつかは進歩主義を中心理念とする自己放棄の体系は自己崩壊するわけであるから、その意味でも共産主義を此岸的基本理念の実現とみなしても、その先に自己放棄の体系の弁証法的展開という新しい歴史を見なければいけないわけであり、あるいはマルクスはそのことさえ予感していたのかもしれない。さらにいえば、人間の本質でいえば、創造の情熱から人間は別の本質へ移行する可能性もあるわけであり、マルクスはその可能性に反応したのかもしれない。ただ、どちらにしてもそれらは共産主義の実現とは無関係に生じてくるものであり、マルクスのように共産主義社会の後に生じてくるものではないともいえる。あるいはそもそもマルクスは理想としての共産主義を語りながら、実は共産主義に何の価値も認めていなかったのかもしれない。それ故、共産主義とは別の世界を語りたかったのかもしれない。すなわち、マルクスにとって共産主義は理想であったが、もう一人のマルクスには共産主義を理想とする、理想としなければならない必要性がそもそもなかったのかもしれない。マルクスは完全にヨーロッパ自己放棄共同体に属する人間だったのであろうか。それとも、半ば属し、半ば属さない人間だったのであろうか。マルクス家は代々ユダヤ教のラビであった。中世のヨーロッパのユダヤ人は、ユダヤ教徒としてキリスト教を中心理念とするヨーロッパ自己放棄共同体の外部にいた人間といえよう。その後、ヨーロッパ自己放棄共同体に同化していったとしても、完全に同化し切ったとまではいえないかもしれないわけである。
共産主義社会は歴史の完了か新しい歴史の入口かというマルクス主義の曖昧性は、共産主義が基本理念の実現なのか質的完成なのかという問題であり、さらには社会主義は質的完成なのかという問題であった。このマルクス主義の曖昧性は必ずしもマルクス主義に不利な状況をもたらすとは限らないかも知れない。質的完成・量的発展における質的完成の曖昧性が弱点ではなく有効性を持つのであれば、マルクス主義における共産主義の曖昧性もマルクス主義の弱点と言うよりは強みになっているかもしれないわけである。革命的進歩主義としてマルクス主義を考えるなら、特に基本理念主義からの批判に対してそのことがいえる。進歩的保守主義であれ革命的進歩主義であれ基本理念主義による質的完成批判は、質的完成における基本理念の不存在に向けられるわけであるが、特に革命的進歩主義は進歩的保守主義の現在肯定としての質的完成を基本理念に依拠しつつ批判するわけであるから、逆に革命的進歩主義における質的完成は進歩的保守主義における質的完成以上に基本理念的様相を持たなければならないということであったし、革命的進歩主義は基本理念主義からの批判には敏感にならざるをえないであろう。しかし、共産主義の曖昧性は、二枚舌的使い分けをすることにより、基本理念主義からの批判を巧妙に逸らすことができる。質的完成が基本理念性を持っていることを強調しなければならない場面では、社会主義より共産主義社会が質的完成であることを匂わせればいいのであり、そうすると共産主義の曖昧性からマルクス主義における質的完成は基本理念の実現であるということにもなり、その基本理念性は十分だということなるであろう。一方、その未来における質的完成が基本理念性を濃密に持てば持つほど、基本理念の幻想性・非現実性からその未来の質的完成も非現実的なものとなっていってしまうことになるが、その場合は社会主義を質的完成にすればいいのである。共産主義が基本理念の実現であり質的完成であるという曖昧性の中で、社会主義が質的完成とされれば、社会主義は基本理念性の薄い質的完成となり、その非現実性も弱まるのである。ようするに、社会主義と共産主義という二段階性には、社会主義を質的完成とし共産主義を基本理念の実現とする考えと社会主義を低次の質的完成とし共産主義を高次の質的完成とする二重性があり、質的完成に基本理念性が求められる時には共産主義を強調し、基本理念の非現実性が問題になる時には社会主義を強調するという使い分けが出来るということである。進歩主義においては基本理念の幻想性・非現実性や進歩主義の彼岸性を明確にしないために曖昧性も必要であり、曖昧性の中で進んでいくことが重要だとすれば、マルクス主義が曖昧性を持つことは否定的なことではないわけである。さらにいえば、マルクス主義者自身が共産主義は理想の実現なのか新たな歴史の入口なのかという矛盾に悩むということは、この使い分けを巧妙に隠蔽することにもなるわけである。
さらに史的唯物論は、進歩主義の彼岸性と存在即肯定との矛盾を、存在性を必然性に置き換えることにより、矛盾の焦点をぼやかすことができる。存在即肯定の存在をのみ条件とする一種の無条件性と同じように、絶対的必然性も一種の無条件性ともいえるものであろう。存在性に対し必然性を持ち出すことにより、存在即肯定としての基本理念と進歩主義との矛盾があたかも解決されたように演出出来るわけである。それは、進歩主義そのものの内部においては有効な演出であろう。進歩主義において進歩の結果としての基本理念の実現が必然であるなら、それは存在即肯定と同じ意味なのである。そうでなければ、中心理念としての進歩主義そのものが成り立たない。そして経済的な弁証法的発展としての史的唯物論を科学的理論とし、物質的な自然法則同様の絶対的必然過程とすることにより、その絶対的必然性をさらに高めることができるであろう。史的唯物論は経済において労働生産物としての物質が重要な要素となることからそれを物質の運動を語る理論であるとし、自然科学に対比できるような科学的理論とする。唯物論的弁証法が自然法則的な必然性であり、それ故資本主義の崩壊と社会主義の必然性を主張することができる。進歩的保守主義を資本主義として捉え、その現状を単に批判するばかりでなく、それが悲惨な未来に向かうであろうという理論を、科学的法則性という進歩主義的に正統な立場に立つ姿勢を強調しながら示し、その結論として進歩的保守主義の肯定する現社会を質的完成社会としていかに失格かということを描き出したし、それに対し未来において実現するだろう質的完成社会としての社会主義社会と、そこらかさらに発展した共産主義社会がいかに素晴らしいかということを対比的に強調することができた。さらにユートピア社会主義批判という形で、他の社会主義が幻想的であるということを強調することにより、あたかもマルクスの社会主義自身は幻想性から逃れていると人々に錯覚させることもできた。また、進歩的保守主義においては基本理念の実現の必然性は、社会が質的に完成した後にいえることであるが、マルクスは社会主義の実現という質的完成以前に、すでに質的完成と基本理念の実現の必然性を主張することにより、より強く基本理念の未来における必然性を印象付けることに成功しているともいえる。マルクス主義を革命的進歩主義の主要な位置に置くのに力を発揮するものがあるとすれば、なにより唯物史観とその現在的現れとしての資本主義に対する分析の結果として、それが正しいかどうかは別にして資本主義の崩壊を理論的形をとって提示しえたことであり、さらに、資本主義の崩壊の後の共産主義社会の必然性をも理論的形をとって示したことであろう。マルクスの頃までの進歩の二大推進力とみなされた理性・科学的なものと経済・生産的なものを同時に含んだ理論をマルクスは史的唯物論を通じて組み上げたことが重要な意味をもつわけである。市井三郎によればマルクスは、人間史の進歩を主張するにしても、庶民としての歴史の現状にペシミズムしか見出しえない現実的諸理由と、しかもなお遠い未来のことであろうが結局は人間史は進歩するのだ、と信じたい庶民の願望・幻想とをうまく宥和させるような歴史観を創造したのである。それは、マルクスの理論が正しかったか間違っていたかという、理論の妥当性を超えた次元の話しである。
史的唯物論は進歩的保守主義の質的完成社会の持つ矛盾の問題を資本主義の矛盾に転化することによって、進歩的保守主義批判が革命的進歩主義としてのマルクス主義自身に向けられるであろうことから身を護ることにもなる。マルクス主義はさらに基本理念と中心理念としての進歩主義の矛盾を、質的完成と資本主義が結びついたことから資本主義の矛盾に転化し、その資本主義の矛盾をブルジョアジーとプロレタリアートの階級対立に集約する。ブルジョアジーとプロレタリアートの対立が基本理念と進歩主義の矛盾でもあるとするなら、プロレタリアートの勝利はその矛盾の解決・止揚ということになる。マルクス主義は中心理念としての進歩主義が何ら基本理念との矛盾を含まない、完全な中心理念であることを証明したということになるわけである。また、革命的進歩主義としてのマルクス主義は、進歩的保守主義として資本主義を批判するだけでなく、資本主義を最大限利用した革命的進歩主義ともいえる。マルクス主義は資本主義こそ近代ヨーロッパを規定するものとしているといえよう。それは進歩主義が近代ヨーロッパの中心理念であることから目をそらさせ、基本理念と進歩主義の矛盾から目をそらさせるばかりでなく、基本理念と進歩主義の矛盾という問題が解決されることでもあるとされるわけである。それは実践の場でもマルクス主義を強力な思想とする。資本主義は進歩的保守主義を支える場であると同時に経済という進歩の推進力の現場であり、同時にそれは国家とも結びつくことによって国家共同体主義的でもあるという総合的な現場でもある。本論の立場からいえばそれは近代ヨーロッパの根底となるものではないが、人々が日常的に生きる場であり、資本主義が近代ヨーロッパを規定しているという転倒した意識が生じても不思議ではないし、資本主義批判はより身近で現実的なものと感じられるであろう。その資本主義の現場での階級闘争が基本理念と進歩主義の矛盾の解決をもたらすのであるとすれば、そのことを直接意識していなくても階級闘争にそれだけ力が入り、階級闘争を戦う者に勇気を与えるであろう。実践的な場においても、マルクス主義が強力な思想になることができるということである。さらに、進歩主義が国家共同体主義によって補完されることがその強化になるなら、当然その内部に国家共同体主義的なものを含んだ革命的進歩主義の方が人々に訴えるものがあるであろうし、マルクス主義は共産党により指導されたプロレタリアート独裁という形で、その社会主義に国家共同体主義を取り込んでいる。アナーキストの批判にかかわらず、共産党の指導のもとでのプロレタリアート独裁を語るマルクス主義は、逆にそのことによって多くの支持を集めることになるわけである。進歩主義が此岸的な中心理念でありながら彼岸的でもあるという矛盾を抱え、革命的進歩主義では未来が強調される分その矛盾もまた深刻になるということであるから、革命的進歩主義はマルクス主義のようにその矛盾を曖昧化するような、いわば二枚舌的な思想をこそ求めているともいえる。
第二項 マルクス主義における革命と独裁
基本理念主義にとって革命とは基本理念の実現であり、革命的進歩主義にとっては質的完成である。基本理念主義にとって革命の成功は基本理念の幻想性・非現実性と直面するということであるが、では革命的進歩主義は革命の成功によって何と直面するのであろうか。革命的進歩主義は基本理念をもって現在の質的完成、現在肯定を否定するのであるから、革命的進歩主義においては、当然現在より基本理念的要素が強化された社会が質的完成社会として想定される。しかも、質的完成社会が未来に設定されるということは、現在の肯定化についての進歩主義の矛盾への対応として考えられた質的完成・量的発展社会の本来の機能を失うことでもあるから、未来における質的完成社会を強調すればするほど、その質的完成社会は未来において基本理念を実現するという本来の進歩主義的性格を帯びざるをえない。ようするに、革命的進歩主義における未来の質的完成社会は、単に現在より基本理念的要素が強化された社会としてあるのではなく、それはある意味基本理念の実現社会に限りなく近い社会として希求されてしまうということである。単なる質的完成社会でありながら、基本理念の実現した社会でもあるという矛盾の中に革命的進歩主義はあるともいえる。当然、革命的進歩主義が革命に成功した時、その社会は彼らが否定した旧社会より基本理念的でなければならないし、出来る限りそうでなければならないということになる。革命後の社会は、基本理念的強迫性を帯びざるを得ないということである。ある意味、基本理念主義が直面しなければならない状況と似たような状況に直面するということになる。
革命的進歩主義という視点から見て、マルクス主義に失敗があったとすれば、革命に成功したことであろう。彼らが体制としての進歩的保守主義への批判者である限りは、よく出来た思想であるかもしれないが、革命に勝利し彼らが体制側になると、革命的進歩主義の問題点が浮上してくる。革命的進歩主義は基本的理念の立場から進歩的保守主義の質的完成社会を批判し、他方では進歩的保守主義とおなじように質的完成社会というものを中間に設定することにより、基本理念主義が直面する基本理念の非現実性・幻想性という問題と直接対峙することを避けることができた。基本理念の非現実性・幻想性を質的完成社会を未来のこととすることによって曖昧化することができたし、それ故マルクス主義はアナーキズムの非現実性・幻想性を批判することもできたのである。しかし、未来のこととしていた質的完成が革命により現実化すると、革命的進歩主義における質的完成は、進歩的保守主義の質的完成より基本理念性が強いものとされなければならなかったから、マルクス主義はある意味で基本理念の持つ非現実性・幻想性と直接対峙せざるを得ないことになる。すなわち、革命後のマルクス主義者は基本理念の非現実性・幻想性の中で、より基本理念的要素を持った社会を現実的に形成しなければならないことになる。しかし、それは非現実的なものを現実化しようということでもあるから、基本理念的要素を弱めれば進歩的保守主義の質的完成社会と違いがなくなってしまい、といって基本理念的要素を高めようとすれば非現実性・幻想性の壁にぶち当たるということで、進歩的保守主義者の質的完成社会以上に不安定な社会になってしまうということである。
この問題を解決する方法の一つは、マルクス主義者が革命的進歩主義的要素をすべて振り捨てて、完全な進歩的保守主義へ転身していまうことである。革命的進歩主義者が革命に成功するというとは、未来に設定していた質的完成が現実化するということであるから、革命の成功とは革命的進歩主義者か進歩的保守主義者に転換することだともしえる。しかしこの解決法には二つの困難な問題がある。一つは、もともと革命的進歩主義者であったマルクス主義者が革命的進歩主義的要素をすべて振り捨てることは簡単なことではないであろうし、革命後の社会が基本理念的強迫性を帯びるなら、彼等の中に革命的進歩主義的気分は残ることになるであろう。彼等内部に進歩的保守主義に対する革命的進歩主義的立場からの批判が起こることにより、彼等内部に分裂をもたらす可能性があり、その場合もともと独裁指向なのであるから、その対立は権力闘争に転化してしまうだろうということである。さらに、進歩的保守主義は現実の肯定なのであるから、今や現実の体制となった彼らの進歩的保守主義に旧来の進歩的保守主義者が吸収される可能性はあるが、マルクス主義者が革命的進歩主義的要素を持ち続ける限り、旧来の進歩的保守主義者の中には、マルクス主義的進歩的保守主義に拒否反応を持ちその批判分子になる人間もいるであろうし、そのような批判分子への弾圧もしなければならないであろう。もう一つは、ロシア革命のように一国の革命であって世界革命でない場合、既存の進歩的保守主義社会すなわち資本主義社会も並存することになってしまうということである。資本主義社会との対抗上、彼等の実現した質的完成社会は資本主義社会以上に基本理念的でなければならないわけであり、その結果マルクス主義者は革命的進歩主義的気質を保持することになってしまうであろう。どちらにしても、マルクス主義者自身が決してその質的完成社会に満足できない、あるいは基本理念主義的立場からの批判に敏感にならざるをえないということである。それでも、進歩的保守主義者として彼らは実現した質的完成社会を肯定しようとするであろう。その肯定化の姿勢は、彼等自身が基本的理念的立場から進歩的保守主義を批判してきたこと、それにもかかわらず実現した質的完成社会が進歩的保守主義の質的完成社会以上に不安定なものであることから、彼らを進歩的保守主義者以上に批判者に対して非寛容なものにするであろう。
基本理念主義・革命的進歩主義ともに革命の成功により基本理念の幻想性・非現実と直面する。ただ、基本理念主義においてはそれは直ちに破壊的に作用するのに対して、革命的進歩主義では必ずしもそうではない。革命的進歩主義は進歩主義なのであるから、基本理念の実現を未来のこととすることも出来るからである。彼等の実現した質的完成社会における基本理念的非現実性・幻想性の問題のもう一つの解決法は、進歩主義は基本理念の非現実性・幻想性に対して創出されてきた中心理念なのであるから、再び進歩主義的方法によって解決するということである。すなわち、質的完成量的発展における量的発展がより進歩を実感させるものになるということである。その社会は絶えず進歩を実感させる新しい製品を生み出さなければならない。未来における質的完成は単なる質的完成ではなく、その後の量的発展においても進歩的保守主義における量的発展とは質的に違う量的発展をもたらす質的完成でなければならないわけである。しかし、未来の質的完成が基本理念性を強調せざるをえない分、基本理念が実現すれば進歩そのものは不必要ということになるから、その未来の質的完成が実現した革命後の社会では進歩そのものに対する熱意は削がれ、新しいものを作り出そうという意欲にも欠けることになり、動的ではなく静的な、進歩という意味では停滞的社会にならざるをえない。また、基本理念は自由と平等と結びついている。そのうち、マルクス主義は平等指向が強いと言わざるをえないであろう。平等性によって革命後の社会の基本理念性を主張しようとすれば、新しい生産物は平等性に都合の悪い存在ともいえる。何故なら、その新しい生産物を一時にすべての人間に行き渡らせるだけの生産設備を持てなければ、その新しい生産物を手に入れることのできる人間とできない人間が生じてきて、平等性からみて問題が生じるからである。特に、その新しい製品が進歩を感じざるものであればあるほど、その不平等性が際立つことになる。平等性という点からは新しい製品はあまり歓迎されないともいえるわけである。また、もし既存の生産物に不平等があるなら、平等性を実現するために既存の生産物の増産に向かうことの方が重要ということになり、新しい製品の開発は後回しになるということになる。計画経済そのものがすでに存在している生産物に対してこそ有効な方法であって、新しい商品あるいは生産物の創出に不向きであり、その硬直性も豊かさを感じさせる多様な生産物の創出を制限してしまう。さらに平等性を追求すればするほど、ある生産品の生産に必要な設備への短期間での集中的投資と稼動が必要であるとすれば、その後には、他の生産に転用できる部分はあるにしても、多くの生産設備の休眠化という、資本主義の不経済性を批判していた彼らに、それ以上の不経済性をもたらすことになるであろう。進歩主義は豊かさの増大とともに絶えず新しい物を創出していくことによって、未来における源初の肯定性の実現という幻想を維持していくのであり、質的完成量的発展という場合の量的発展には質的要素もなければならない。しかし、革命後の社会の基本理念の実現性を主張しようとすれば、後に残るのは文字通りの量的発展、単なる量的発展ということであり、その量的発展も質的要素がなければ、基本理念との結びつきが薄れ、無意味なものになっていくだけであるから、その単なる量的発展への意欲さえも萎えていくということにもなるわけである。特に、資本主義社会と併存しているなら進歩の推進力としての新しい技術革新と製品の創出という場で、資本主義との競争に晒されることになるわけであるが、その競争の中で負けざるをえないであろう。より基本理念的でなければないないということが、進歩を疎外するという矛盾、さらにそれが資本主義との間の競争においても劣位をもたらすということは、進歩主義を強化するという方法が逆に革命後の社会を不安定にし、実現した体制を維持するためには、その内部矛盾による混乱に対し強権的にならざるをえないともいえるわけである。
実現した質的社会がより基本理念でなければないということがもたらす問題への、第三の解決法は国家共同体主義により強く依存して、その社会に源初の肯定性をもたらそうとすることであろう。進歩的保守主義・基本理念主義・革命的進歩主義と国家共同体主義の関係を考えるなら、基本理念主義は中心理念である進歩主義と対立的であるばかりでなく、それは中心理念そのものと対立するのであるから、過去の中心理念である国家共同体主義も受け入れることはできない。それに対し、進歩的保守主義は当然国家共同体主義と結合し、自己の弱点を補強する。革命的進歩主義については二つの側面が考えられ、現在の質的完成社会を否定するのであるから、それと結合し補強する国家共同体主義に対してもその限りでは批判的にならざるをえないが、未来における質的完成社会については国家共同体主義との結合を否定するものではない。さらに、革命後の社会主義体制も一つの自己放棄の体系であるとすれば、それは再創出された国家共同体主義を含まざるをえず、その意味でも社会主義のもとで国家が死滅していくということはありえないことになるし、自ら一国社会主義的にならざるを得ないということである。それは、世界革命と矛盾するし、競争相手としての資本主義諸国との並存が継続していく可能性が強くなるということである。同時にプロレタリアート独裁・共産党独裁がブルジョア勢力の弾圧のために必要とされるのであるから、国家権力が温存されるということでもあり、さらに革命後の質的完成社会が直面するだろう失望・批判に彼ら自身が敏感にならざるを得ないという強迫性の中で、革命勝利後のマルクス主義が抑圧的・強権的になっていくことは必然的ともいえる。彼らは権力にしがみ付かざるをえないということであるし、アナーキズム的視点からいえば、マルクス主義はプロレタリアート独裁・党独裁という国家共同体主義を取り入れることによってより安定した体系となり、勢力を獲得してきたのであり、その意味からも彼らは権力にしがみ付くであろう。
第四の解決法は、実現した社会主義社会の内実に関係なく、現実化した社会主義社会を理想的なあるいは何ら問題を含まない質的完成社会と看做してしまうということである。一種の教条主義的立場に立つということであり、後は現実に関係なくその教条主義的見解を押しつければいいだけとなる。押しつけるためには力が必要であり、その公式見解と現実の乖離が大きければ大きいほど強権的になるであろう。実際、教条主義的になればなるほど、その質的完成としての社会主義は基本理念的になるということであり、現実との乖離が広がるであろうし、革命の高揚が過ぎれば現実を醒めた目で見ざるを得なくもなるであろう。時間の経過とともに失望も広がり、異議申し立ても出てくるであろう。しかし、教条主義者は彼等の立脚点が脆弱になればなるほど批判への許容範囲は狭まり、異議申し立てには強権的に対応することしかできないであろう。さらに進めば、彼等の権力装置を維持するために反革命勢力は存在していなければならず、彼ら自身が反革命勢力を意識的に作り出すということにさえなるかもしれない。また、教条主義自体が彼等の理論的混乱を深刻化するともいえる。社会主義自体が質的完成として宙ぶらりんなものであったのに、それを理想的な質的完成として強弁することは、ただ理論的な混乱を引き起こすだけであろう。マルクス主義の弁証法的理論は、革命を生産力と生産諸関係の矛盾の止揚とせざるをえない。その場合、理論的には社会主義とは質的には基本理念に必要な生産物はすでに獲得されている社会ということになり、後はその量的解決が残るが、その解決が共産主義社会ということになるであろう。そこには、新しい生産物の創出という契機は何ら存在しないし、その意味で停滞した社会となる。そして、教条主義はその停滞した社会をそのままに肯定し、維持しようとするであろう。そこに進歩はなく、進歩主義が機能しないことになるわけである。しかし、基本理念の幻想性・非現実性に直面してマルクス主義者が進歩主義によってその問題を回避しようとすれば、教条主義と対立することになる。根本的には革命の成功がマルクス主義理論の破綻をもたらすわけであるが、教条主義は理論の破綻をさらに深刻なものにする。
実現した質的社会がより基本理念でなければないということがもたらす問題への第五の解決法は、革命の意義の格下げであろう。革命がもはや質的完成ではないとすれば、それだけ基本理念の幻想性・非現実性から革命後の社会を切り離すことができる。といって、革命の意義を格下げして、もはやそれを生産力と生産諸関係の矛盾の止揚とみなさないとすれば、革命後の社会において改めて生産力を増大し、生産力と生産諸関係の矛盾の止揚としての社会主義・共産主義を目指さなければならないということになる。もちろん、マルクス主義理論からいえば革命後の生産力の増大は当然のことである。生産力の増大により、生産力と生産諸関係の矛盾が表面化し、その止揚として新しい生産諸関係が形成され、その新しい生産諸関係の下で生産力のさらなる増大が生ずるというその理論からいえば、革命後の社会主義ではないが社会主義的といえる社会における生産諸関係が生産力の増大をもたらすことは必然であると、彼等の理論内では結論付けることはできる。しかしそれはあくまでも彼等の理論から導き出される話であって、現実にそうであるとは限らない。一方では社会主義が停滞した経済をもたらすなら、社会主義的ともいえる社会においてもそうであろうともいえるわけである。そして、後者の方が現実であったともいえる。何とか革命後の社会において生産力の増大を図ろうとしても、マルクス主義にその為の有効な理論があるとはいえないであろう。計画経済こそがその生産力の増大をもたらすとされたのであるが、それは有効な方法ではなかった。革命の格下げは、革命後の社会の正統性を弱めることでもあり、マルクス主義のプロレタリアート独裁・共産党独裁の正統性が失われていくということでもある。それにもかかわらず、彼等の独裁を維持しようとすればより強権的にならざるを得ないであろう。
引用・参考文献
『鞭のドイツ帝国と社会革命』 ミハイル・バクーニン
『マルクス主義50語』 ピエール・マッセ
『歴史の進歩とはなにか』 市井三郎
(頁先頭)
第一項 純正無政府主義とアナーキスト独立
ウッドコックは「もしあなたが役に立つ何かを生産することが絶対的にできないのなら、または生産することを拒絶するのなら、そのときは孤立した人間か病人のように生きたまえ。もしわれわれがあなたに生活必需品を与えるに十分富んでいるなら、われわれは喜んでそれをあなたに与えるだろう。……あなたは人間であり、生きる権利をもっている。しかしあなたが特別の条件で生活したいと望み、列を離れる時には、そのためにあなたが他の市民との日常の関係において苦しむだろうということは当然だ。あなたは、ブルジョア社会の幽霊とみなされるだろう。もしもあなたの友人たちが、あなたに有能な才を見いだし、あなたの代わりに必要なすべての労働をすることによって、親切にもあらゆる道徳的義務からあなたを解放しないならば。」という『パンの略取』の言葉を引用しながら、クロポトキン自身は、実際に利己的な人たちが、自由な社会において労働が提供しうる魅力にさからうかもしれないということを、やむをえず認めるという。クロポトキンはその無政府共産制社会においても働かない人間がいることを認ていたわけである。そしてウッドコックは、社会は道徳的圧力をかける権利を持つとクロポトキンは主張し、その結果、『パンの略取』において考え出された自由のエデンの園に、オーウェルがアナーキズムの楽園に住みつくものとして見いだした世論という蛇が入り込み、この点において、クロポトキンが役にたたない人間に呼びかける訓戒を、人は不安な思いで聴くのであり、局外者、つまり「列の中に」いない人びとが、隣人の道徳的非難に服従する自由な社会とは、自己矛盾に見えるという。ウッドコックがいうクロポトキンの言葉に感じる人びとの不安は、単なる道徳的圧力に対するだけではなく、たとえ道徳的圧力であろうとひとたび社会による圧力というものを認めたら、その社会は抑圧社会へと変化していくことになるのではないかということへの不安ともいえるし、ウッドコックは自由な社会であるはずのアナーキズム社会における抑圧という自己矛盾を問題にしているともいえるわけである。この場合、ウッドコックもクロポトキンも社会が一つであることを前提にしているといえ、全体主義的アナーキズムを問題にしているといえよう。当然、全体主義的アナーキズムは非アナーキズム的なものを認めないであろうし、そういう意味で社会内における多様性を認めないし、そこには抑圧があるということになる。一つの社会において多様性を認めるという考えには、矛盾あるいは限界性が付きまとうといえるが、アナーキズムが各人の自由を求める以上、社会におけ多様性の問題を考える思想であるともいえるし、アナーキスト独立はその問題に対する一つの回答ともいえる。抑圧をもたらすほどの多様性が社会にあるなら、分離して各々の社会に抑圧をなくすればいいと考えるわけである。
これまでのアナーキズムにおいてアナーキズム社会、本論的にいえば基本理念の実現をもたらすのはアナーキズム革命であった。革命こそが存在即肯定とそれが未来に生じるということの間にある矛盾の深淵を飛び越させる魔法の杖であったともいえる。それ故、必要なのは革命そのものであり、その革命の具体的内容や革命後のなすべき計画ではなかったともいえる。存在即肯定というその目標そのものが、何らかの条件というものを否定するからである。アナーキズム革命の無計画性や破壊主義との結合は必然的ともいえる。存在即肯定性と計画性は相反するし、存在即肯定は作り出されるものではなく、その意味で存在しているものであり、それは覆い隠されており、その包み隠しているものを破壊により剥ぎ取ってしまえば、おのずと人間の源初の肯定性が顕われ出てくるということのほうがその実現の形式としては相応しいからである。また、その革命は暴力革命でなければならないであろう。暴力には短期間あるいは一瞬で決着をつけてくれるという性格があるから、源初の肯定性・存在即肯定への瞬間的飛躍をもたらすものとして暴力革命はその手段として相応しいわけである。また、瞬間的飛躍をもたらす手段は、日常的な手段ではなく非日常的な手段でしかないだろうし、暴力は非日常性と結びつくであろう。これはある程度革命的進歩主義にもあてはまる。未来に実現されるであろう質的完成が基本理念性を強めれば強めるほど、その実現にはやはり何らかの飛躍が必要であり、飛躍をもたらすものとしての革命と結びつくことになるであろうし、さらに飛躍をもたらすものしての暴力革命が問題になっていくことになる。当然それに対して進歩的保守主義は、すでに質的完成は終了しており、後は量的発展を考えるだけであるから、量的発展とは飛躍ではなく長時間続く日常的なものともいえ、そこに暴力は必要ないし、暴力に対して否定的になるであろう。
アナーキズムにとってその実現には飛躍が必要であり、それが革命を必然的なもにするかもしれないとして、一方では、アナーキズム革命の幻想性・非現実性を考えるなら、革命と革命後の混乱、特に暴力革命がもたらすであろう被害・悲惨さについて、アナーキストは再考しなければならないのではないだろうか。革命が暴力と結びついても、結局革命が基本理念を実現することは出来ないのであるから、残るのは混迷だけといえる。革命の混乱の中で、アナーキストはマルキストのように権力を握り、その革命が暴力革命であったとすれば、その権力も暴力的になるであろうし、アナーキスト自身が自由への抑圧者となっていくかもしれない。唯一者的立場からみれば、アナーキストは自己放棄者であり、自己放棄者として自己放棄の体系の内部に在り、そうである以上国家共同体主義を完全に排除できないのであり、よほど自己の思想性を高めていない限り自分たちが抑圧者になる可能性が高いと自戒すべきであろう。革命あるいは暴力革命に代わる基本理念主義の実現方法を、アナーキズムは考え出さなければならないかもしれないわけであり、基本理念主義を純化しようとする純正無政府主義こそその事を考えるべきかもしれないわけである。それは単に暴力に対し非暴力を主張すればいいという次元の問題ではない。また、それは基本理念の実現方法というより、基本理念は幻想であり非現実的なのであるから基本理念の表現方法というべきかもしれない。
革命が基本理念主義と結びつくことには、別の視点からも問題がある。これまでのアナーキストにとって、革命とは全世界がアナーキズム社会になることを求めるということであったといえよう。アナーキズム革命が基本理念の実現であるとすれば、それは全世界がアナーキズム社会になることを求めざるを得ないともいえる。もしある人間が存在即肯定状態にあるとするなら、存在即肯定である為の条件を充たしているということになる。そしてその条件とは単に存在しているということだけであるから、存在する総ての人間がその条件を充たしており、従って総ての人間が存在即肯定状態にあるということになるであろう。逆にもし革命後に存在即肯定的でない人間も存在するとするなら、それはある人間は存在即肯定の為の条件を満たし他の人間は満たしていないということになるから、それは存在のみを条件とする存在即肯定と矛盾することになり、総ての人間が存在即肯定状態にはないということになってしまうかもしれないわけであり、それはアナーキズム革命の失敗ということになる。それ故、アナーキズム革命の論理からいえばアナーキズム革命とは全世界がアナーキズム社会になるということになる。もちろん、アナーキズム革命は基本理念の実現の条件であり、それ故存在即肯定は単に存在するだけではなくアナーキズム革命をも条件としているわけであり、最初からアナーキズム革命は矛盾しているわけであるが、しかしその矛盾を最小限のものにしようとすれば、アナーキズム社会の実現は全世界がアナーキズム社会になるということであり、アナーキズム革命は全世界がアナーキズム社会になることを求めているのだということにもなるわけである。
しかし、この全体主義が、そもそも基本理念主義が三極構造の中の一極として意味を持つということと矛盾するのである。近代社会におけるアナーキズムの意義は基本理念主義を強調することにあるのであり、それは他にも進歩的保守主義や革命的進歩主義の存在を前提にしているのだとすると、アナーキズムは社会の一部分を占めている存在でしかないということになり、そのような存在としてしか存在できないし、そのような存在として存在することを求めるべきということになる。それ故、アナーキズムは社会全体をアナーキズム社会化することを求めるべきではなく、社会の一部分にアナーキズム社会が存在すればいいということになる。さらに、全体をアナーキズム社会化するということは、その社会に自己放棄の体系を丸ごと含むということであり、その結果アナーキストは前中心理念の一つである国家共同体主義を再定立しなければならないことになり、その内部で権力や国家を解体できないということにもなる。しかし、アナーキスト社会が世界の一部分であるとすれば、その社会は自己放棄の体系を丸ごと担わなければならないということではないから、一種の特異点として政府や国家の無い社会として存在し得るかもしれない。
漠然とした社会への一体感、全体主義的社会は国家共同体を支えるものであり、自己放棄共同体を支えるものであるといえる。そして、アナーキスト独立という分離は、自己放棄共同体の分解なのではないだろうか。もしそうなら、アナーキストも含めた自己放棄者がアナーキスト独立に不安を感じ、拒否反応を示すのは当然だといえる。しかし、アナーキスト独立が自己放棄共同体の分解なのかは考えてみなければならない。三極構造でいえば、三極は対立と協同という関係にあり、対立しながら統合されることによって自己放棄の体系を成立・機能させているといえるが、アナーキスト独立はそのうちの対立だけを取り出しているとすれば、それは三極構造の分解であろう。しかし、三極はその違いは明確でなくてはならず、違いが曖昧化されればそれはそれで機能しないということでもある。アナーキスト独立はその違いの明確化なのだともいえる。三極構造の中で人々は三極の間を揺れ動くということになる。すなわち、三極構造とは流動的でもあるということであり、アナーキスト独立がその流動性に固定化を持ち込むことだとすれば、それは三極構造の分解を意味するといえるかもしれない。しかし、アナーキスト独立はその社会から別の社会に移動することを禁止するものではないし、入ってくることを拒むものでもない。それは、アナーキズムが求める自由に反することであろう。また、独立分離するといっても、それは他の社会と争いを引き起こし、ひたすら対立を煽ろうということでもない。違いは違いとして認めあいながら、共存こそ求めるものである。アナーキスト独立は三極の違いを明確化することでもあるが、一方ではこの流動性・共存への積極的な姿勢、対立しながら相手の存在を積極的に認めるという姿勢が、三極間の対立と協同、三極の統合を意味するのである。対立する三極の統合の為には、一つの社会の中で存在しなければならないということではないであろう。
革命ではなくアナーキスト独立こそアナーキストが求めるべきものということになる。しかし、アナーキスト独立には二つの問題点がある。独立は革命のように基本理念の実現ということと存在即肯定の存在性の矛盾を上手く飛び越えることが出来るのであろうかという問題と、そもそも基本理念としての存在即肯定からは全体主義でなければならなかったのではないかという問題である。
飛躍の問題であるが、存在即肯定に移行するためには飛躍としての革命が必要だったが、アナーキスト独立もそのような飛躍なのであろうか。革命の前のアナーキストと独立前のアナーキストでは大きな違いがあるようにも思える。革命前のアナーキストは存在即肯定状態にはないといえる。それに対して、アナーキスト独立前のアナーキストはすでに存在即肯定状態にあると看做そうと思えば看做せるともいえる。それは存在即肯定状態にあるアナーキストが集まって、一つの社会を作るという感じであろう。それは飛躍というより、潜在していたものが顕在化してくるということであって、無から有が生じてくるということではない。アナーキスト独立には飛躍性は必要ないともいえるわけである。
もしアナーキスト独立にとって飛躍があるとすれば、アナーキストになるということが飛躍ともいえるかもしれない。社会一般の感覚からいってアナーキストとは特殊な人間であり、アナーキストになるということにはそこに一種の飛躍性があるともいえるが、アナーキストになるということが自己を存在即肯定状態に置くのだとすれば、アナーキストになるということは一つの飛躍であろう。ただそれはアナーキストになるために何か特別な条件が必要ということではない。アナーキストになるということが存在即肯定状態になるのだとすると、求められるのはアナーキストであること、アナーキストを自称することだけといえる。
全体主義の問題であるが、独立したアナーキスト社会は当然基本理念の実現した社会ということになるが、あるいはそれが建前ということになるが、そこにおける肯定が存在即肯定であるとすれば、基本理念の実現していない社会が他にあるという矛盾を抱えることになり、その事が、アナーキスト独立社会が基本理念の実現社会でないことを意味してしまうということであった。ただ、アナーキズムの全体主義を次のように考えることもできる。ここで改めてアナーキズム社会が存在即肯定の社会であるとはどういうことなのかを考えると、存在即肯定とは自由自在な状態であり、そこでは様々な社会が認められるということではないだろうか。世界全体がアナーキズム社会になるということは、基本理念主義の純化としての純正無政府主義にとっては、世界がそのような多様な社会が存在できる世界になるということともいえる。そして、そのような多様な社会が存在できるということが、ある意味基本理念を表現しているともいえるわけである。
あるいは、プルードンの公認の社会と真実の社会の一種の応用として次のようにも考えることができるかもしれない。革命を考えるアナーキストはこれから存在即肯定になる存在であるが、独立を考えるアナーキストはすでに存在即肯定状態にある存在といえるかもしれないとしたが、我々に見える公認の社会の下に真実の社会が存在し続けていたとすれば、真実の社会とは基本理念の社会とするなら、アナーキズムはすでに総ての社会に存在していたし、そういう意味でアナーキズムの全体主義を受け入れることはできるかもしれないということである。少なくとも、自己放棄の体系の中で生きる人間は、自己放棄の体系の基礎となっている源初の肯定性を否定することはできないのであるから、このアナーキズムの全体主義を完全に拒否することはできないであろう。しかし、アナーキスト自身にはこの真実の社会の幻想性・非現実性が直接自分に跳ね返ってくる。それに対しては、アナーキズム独立社会を公認の社会の下に隠れている真実の社会のように実体的に考えるのではなく、あくまでも主観的な問題として考えるということもあり得ることかもしれない。すなわち、アナーキズム独立社会とは基本理念が表面に露出した社会としてではなく、自分たちが露出した社会と考える社会のことだとすることである。すなわち、基本理念の実現ではなく、基本理念の表現方法が問題ということになる。もちろんそれによって基本理念の幻想性・非現実性が無くなるわけではないが、少なくともアナーキスト自身が自分を相対化することは出来るであろう。そもそも基本理念の実現といっても、それが幻想であり非現実的なものである以上、それは形式的・外形的なものでしかありえない。形式としての絶対自由、形式としての平等、等々。そして、形式的手段としての革命あるいは暴力。
基本理念は幻想としてしか存在しええず、幻想でしかないものを現実化するという立場は矛盾なしにはありえないのであるから、アナーキスト独立が矛盾を含むからといって、否定されなければならないということでもない。しかし、その矛盾に耐えながら、アナーキスト独立社会は基本理念主義を表現する社会として存続できるのであろうか。アナーキスト独立社会もたちまち崩壊してしまうのかもしれないが、だからこそ革命ではなく独立なのだともいえる。革命後における混乱とは、形式・外形としての絶対自由・平等さえも維持できないであろうということであるが、アナーキスト独立においてはそのような混乱はアナーキストのみによって社会は構成されているのであるから、アナーキストのみがその結果を甘受するだけであり、またその混乱によるアナーキスト独立社会・独立共同体そのものの崩壊は、アナーキスト独立社会をアナーキストの主観によって成立している社会だと看做せば、アナーキストの思想性の高さによっては避けることが可能かもしれない。アナーキズム自身の考えからいえば、各アナーキストがアナーキズムを堅持すればアナーキストの独立社会は可能なはずであり、各アナーキストがアナーキズムを堅持できるかその思想性が問題なのだともいえる。アナーキストを自称するだけでいいとなれば、アナーキストに高い思想性を求めることと矛盾するが、アナーキストはその矛盾の中で生きなければならないということである。すなわち、アナーキストはアナーキストを自称することでアナーキストであるが、ひとたびアナーキスト独立派となったら自己の思想性を高めなければならないということになる。
アナーキズムは自由を求める思想ではなかっただろうか。それは、様々な立場や考えを認めるということであり、アナーキズムは異なる価値観・考えを持つ人がそれぞれ自分の立場に立脚した社会を作り、住むことを認めるであろうし、そのような世界を積極的に求めるのがアナーキズムなのではないだろうか。アナーキズムにとってアナーキズムとはそのような立場・考えの一つでしかないとすれば、アナーキズムが目指すべきことは自分たちの社会を世界の一部に作り出し、その社会で生活するということでなければならない。革命ではなく独立ということになる。そして可能なら、アナーキスト独立社会がその一部であるような多様な社会が共存できる世界であってほしいと願うであろう。
アナーキズム革命の場合、革命後の社会を考える事はある意味どうでもいいこととしたが、アナーキスト独立共同体を作る場合にはそうはいかない。アナーキズムが揺動性によって特徴づけられるとすれば、アナーキスト独立共同体といっても多様な在り方が考えられ、多様性の中で、各アナーキストもどのような共同体が自分にしっくりくるかを最初から分かっているとは限らないから、試行錯誤の中でアナーキスト独立共同体は作られていくことになる。そしてアナーキスト独立社会は多様なアナーキスト独立共同体の連合社会ということになる。ただ、それがアナーキスト独立社会である以上、独立共同体内部においても、その連合体においても、自由と相互扶助が貫徹していなければならないであろう。平等については、不平等への許容範囲の違いが独立共同体の分離の契機になるかもしれない。相互扶助が平等化へと向かう力を作り出すともいえるが、それだけでは物足りないと感じるアナーキストもいるかもしれないし、彼等だけで完全な平等が実現している共同体を作ろうとするアナーキストもいるかもしれない。ただ、存在即肯定からいえば存在のみが肯定の条件なのであるから、それ以外の要素における平等性はどうでもいいともいえる。私有財産についても、その許容範囲は各アナーキストで違うであろうし、その許容範囲に従って多様なアナーキスト共同体が作られることになるであろう。ただ、狩猟採集民をみても私有財産がまったく否定されているということではないし、認められている者には生産道具も含まれるので、一切の私有財産を否定するということはおそらく前本質期とはそぐわない考えといえるであろう。
アナーキズムの揺動性の中で一番問題になるのは、基本理念主義と進歩主義との間の揺動性かもしれない。少なくとも、純正無政府主義は進歩主義は否定することになるが、それは進歩そのものを否定するということではない。前本質期も緩やかすぎて保守的社会に見えたかもしれないが、進歩は否定されていなかったであろう。アナーキストの中でも進歩に対する姿勢は大きな幅をもつであろうし、前本質期の生活に出来るかぎり近づこうとする者、あるいは存在即肯定にこだわる者は現在的進歩の多くを否定するかもしれない。他方では、進歩による源初の肯定性の実現という考えは否定するが、最大限の進歩を追求するアナーキストもいるかもしれない。進歩をめぐっても多様なアナーキスト独立共同体が作られるであろう。それら多様なアナーキスト独立共同体への新たな参加は、それが大きな問題を引き起こさない限り、自由ということうこからも、相互扶助ということからも、アナーキズムの揺動性ということからも、その独立共同体への参加が拒絶されるということは、アナーキズム的ではないであろう。
全体主義の問題としては、全体主義者との関係も問題になる。全体主義者は当然アナーキスト独立といった分離主義を認めないであろう。具体的にいえば、国家は全体主義的であり、分離を基本的に認めないであろう。そして、アナーキスト独立派は国家の中で分離を要求するということになる。アナーキスト独立派としては出来れば話し合いで独立を認めさせたいところである。しかし、独立戦争によって独立するしかないということになるかもしれない。話し合いによる独立が可能になる為には、国家についての国民の意識の変化が必要かもしれない。国家共同体主義的にいえば、国家共同体には成員の同質性が必要であるが、アナーキストのような異質な存在を含むことはその同質性が失われるということであるから、国家共同体主義的にもアナーキストのような異質な存在は分離していってくれた方がいいということにもなるかもしれないわけである。また、進歩主義の中での国家においては、自由も無視できないから、自由の観点から分離ということを認めていくようになるかもしれない。問題は、もっと根源的なところから人間には社会の一体性を求めるところがあり、社会が分裂することに本能的ともいえるような不安、あるいは恐怖を感じてしまうところがあるのではないかということである。一つの社会を求める全体主義者はとにかく社会は一つでなければならないのかもしれない。当然、そのような人間にはアナーキスト独立というような考えには拒否感を持ってしまうであろうし、それはアナーキストの中にもそのような人間がいるということであろう。そのようなアナーキストは全体主義的アナーキストになっていくということにもなる。人間の祖先にとって群れの分裂は出来る限り避けなければならないことであったとすれば、人々は分離による分裂ということに対して不安を感じるであろう。一つの集団を維持しようという集団への帰属意識は、前本質期間の人類に存在していたものかもしれないし、もしそうならその不安は源初の肯定性とも結びつくことになり、源初の肯定性を希求するアナーキストもまたその帰属意識から逃れられないともいえる。もっとも、狩猟採集民にはキャンプで諍いや気まずいことが起これば、キャンプから自発的に離れるという行為がとられる。もっとも、その分離は短期間のもので、キャンプに戻ってくると関係はすでに修復されており、その場合、自発的離脱は集団を維持するための方法となっているとさえいえる。諍いがより深刻な場合、やはり一方が自発的に離脱して遠くへ行ってしまうということになる。この場合はある意味永遠の分離いうことにもなるが、それも諍いをそれ以上に深刻化しないための方法として受け止められているといえよう。前本質期の人類では誰もが自分はその集団で暮らせるのが当たり前と思っていたとしても、分離がその集団をや人々の生活を維持する為の方法の一つとして組み込まれていたことも考えなければならない。アナーキスト独立の場合は他の集団へ移動するのではなく、新しく集団を作るということであるが、狩猟採集民の集団や生活維持のための分離の発展したものと捉えることもできる。
アナーキストが独立した場合、国を名乗るのか共同体あるいは独立共同体といった名称を使うのかといったことは、国という言葉を使うことには抵抗感もあるが、基本的にはこだわるべきではないであろう。独立は基本的に他の人間との話し合いによって了承される中でなされるのが一番いいのであるから、相手が国を名乗ってくれたほうが何かと都合がいいということであれば一つの国として存在すればいいわけである。一応ここでは国ではなく独立共同体という名称を使うことにするが、他の社会とアナーキスト独立共同体との関係は完全に分離したものとしてあるという訳にもいかない事情もある。もしアナーキスト独立共同体がつくられ、その中で子供が生まれ育っていくとして、その子等から大きくなってアナーキスト独立共同体を選ぶとは限らない。そうすると、その子供たちが他の社会に出ていくことが出来る体制を作ることや、子供たちがその社会で生活できるように事前に準備することもアナーキスト独立共同体の責務ということになる。その意味では、他の社会の要素が何らかの形でアナーキスト独立共同体内部にも存在するということになるであろう。他の社会との関係は基本的に共存であるから、相互の内部に友好協会のようなものも組織されている必要があるかもしれない。また、あくまでも友好的雰囲気の中であるべきだと思うが、相互が相手の社会で自己の社会への勧誘を計るような行為は認められるべきであろう。友好協会はそのような場の役割も果たすかもしれない。もちろんそれとは別に、ある種の正規の外交関係の場というものも作られる必要があるかもしれない。
第二項 アナーキスト独立共同体における排斥
全体主義者とアナーキスト独立派の関係を考える場合、全体主義的アナーキストとアナーキスト独立派の関係には独自の問題があるともいえよう。どちらもアナーキズム社会を求めるのであり、三極構造でいえば全体主義的アナーキストとアナーキスト独立派の間にはその違いを明確化しなければならない違いは存在しない。アナーキスト独立の基本的な考えは、それぞれがそれぞれの思想信条・価値観の下で独自の社会を作るということである。これはアナーキズムの原則から逸脱した考えとはいえないであろう。クロポトキンの考える無政府共産制社会とは、基本的に契約によって成立する社会である。その意味では総ての人間を包摂しようとする全体主義的社会ではない。クロポトキンにおいても無政府共産制社会は考え・信念を同じくする者どうしでつくられるのである。各人による各人の統治というプルードンのアナーキーの定義からいえば、契約に基礎を置く考えは当然ともいえるであろう。クロポトキンにおいて、無政府共産制社会とはそのような自由で自立した個人の契約社会なわけであり、また他の人間も自立した個人なのであるから、その人間に対して契約を結ぶことを拒否もできるわけである。存在即肯定において各人は、その肯定性において他者にまったく依存することを必要としないし、その意味で自立した存在である。また、存在即肯定において各人は自由自在な存在である。それ故、基本理念主義としてのアナーキズムにおいて、各人は基本的に自由で自立した存在であり、そのことがアナーキズム内部での議論の出発点となる。もっとも、ウッドコックのいう人々の不安であるが、その一つはアナーキズムの契約社会が持つ拒絶性・排他性に対する不安かもしれない。契約社会は自立した人間によって成立する社会とすれば、その自立した人間というのが、創造の情熱としての主体的自我をも感じさせ、契約社会がいわば唯一者達からなる社会として、自己放棄の為の社会の否定として不安を以て受け取られるのかもしれない。
同じアナーキストといっても、一つの社会を求める全体主義的アナーキストとアナーキスト独立派は分離して別々の社会に住むべきなのであろうか、それとも同じアナーキストとして一つの社会を作るべきなのであろうか。後者の場合、そのアナーキスト社会は他の社会と区別される一つの独立社会となるが、全体主義的アナーキストは、そのアナーキスト社会を拡大してやがては地球を覆い尽くそうとするであろうし、その為の現在的拠点としてしかアナーキスト独立社会を考えないであろう。この場合、社会の方向性が違う以上、アナーキスト独立派は全体主義的アナーキストとの分離を望むであろうし、アナーキズムの原則からいって全体主義的アナーキストはそれに同意することになるであろう。しかし、全体主義的アナーキストからみれば分離はあってはならないことなのであるから、この分離はアナーキスト独立派による全体主義的アナーキストの一方的排除といえなくもない。しかし、全体主義的アナーキストがアナーキスト独立派との分離を認めず一つの社会を作ろうとすればそれは強制であろう。排除か強制かという二者択一の中で、アナーキズムとして優先しなけれはならないことは各人による各人の統治ということであり、各人の同意によって社会は作られるということである。そのようなアナーキズムの原則に従う限り、全体主義的アナーキストもその分離は彼等の排除とはみなさないであろう。
一つの社会を求める全体主義的アナーキストはアナーキズムによって否定される存在なのであろうか。自己放棄の体系は対立を統合する一つの自己放棄共同体の中で成立していくとするなら、やはり一つの自己放棄共同体というものを求めることになるであろうし、アナーキストもその自己放棄の体系の内部の人間なわけである。そうすると、アナーキストが一つの社会を求めるのも自然な事ともいえる。また、一つの集団を維持しようという意識が前本質期間の人類に存在していたとするなら、源初の肯定性を希求するアナーキストもまたその帰属意識から逃れられないということでは、一つの社会を求めるアナーキストもアナーキズム的に必ずしも否定されないわけである。
ウッドコックはアナーキズム社会における世論という名の抑圧を問題にしたが、勝田吉太郎も「クロポトキンはその『相互扶助論』のなかで、アフリカその他の未開の土人たちの美しくも調和的な相互扶助の友愛的共同生活を描いている。しかしながら、未開部族の慣習にしばりつけられたこれらの土人たちや、村八分の影におびえていたであろう農村共同体の農民たちよりも、『自由』誌に現代国家と資本主義制度とに対する激しい批判論文を寄稿し、発表することのできたイギリスに亡命中のクロポトキンのほうが、どれほど自由の恩恵に浴していたかを、彼は思ってみようともしないのである。」という。勝田吉太郎が言いたいのは、アナーキズム社会にも単なる世論以上の村八分のような排斥があるのではないかということであろう。アナーキスト独立派にとって勝田の指摘には考えさせられることが二つある。一つは、当然アナーキスト独立共同体内部においても排斥があるかもしれないということであり、もう一つは、全体主義者がアナーキスト独立というものに不安を感じるのは、もしかするとこの排斥への不安を分離独立という言葉が?き立てるからではないかということである。
勝田の指摘でいえば、未開部族民や農村共同体の農民たちに、クロポトキンが感じたような自分たちの生きている社会に対する激しい批判があったかは疑問である。それに、未開部族や農村共同体の村八分に対応するのは、イギリスにおいては監獄であろう。村八分にされるほうがいいか、監獄に入れられるほうがいいかは、人それぞれであろうが、どちらかといえば村八分のほうが監獄に入るよりも自由だともいえるのではないだろうか。もっとも、監獄では少なくとも生存は保証されているともいえるが、それに対して未開社会では社会から追放されることは、すぐさま生存に関わることである。その意味では、排除への恐怖は生存とも関係しているし、その意味でもその恐怖は強いものであろう。あるいは、全体主義者がアナーキスト独立派に不安を感じるとすれば、生存の危機に結びつく排除への恐怖を分離という言葉が呼び起こすのかもしれない。ただ、未開民族ではしばしば、彼等の集団にとって手に負えない問題を引き起こす人間を排除したり、さらには殺してしまうことがみられる。自分たちが排除する分にはいいが、自分が排除されるのは嫌だということかもしれない。そして、アナーキスト独立派が分離を叫ぶことは、何か自分たちが排除される立場になっているように感じるのかもしれない。ただ、いくら一つの社会を求める全体主義者の不安が強いものであったとしても、現実に彼らが多数派である以上その不安についてアナーキスト独立派が考慮し、アナーキスト独立を諦めることは考え過ぎといえるのではないだろうか。もし分離が排除を意味するなら排除されるのはアナーキスト独立派ということになるかもしれない。もっとも、全体主義者からいえばアナーキスト独立派は勝手に分離していったのであって自分たちが排除したわけではないであろうし、自分たちがいくら少数でもアナーキスト独立派は別に排除されたとは思わなであろう。また、いくら分離と言葉が排除への恐怖を呼び起こすからといって、実際にアナーキスト独立派が独立したとしても、全体主義者も彼らが少数派でもない限り、アナーキスト独立派が独立したからといって自分たちが排除されたとは思わないであろうし、アナーキスト独立派は極めて少数派というのが現実的である。
アナーキスト独立共同体内部における排斥の問題を考える上で、先ず排斥対象が非アナーキストの場合と同じアナーキストの場合を分けて考えなければならないであろう。アナーキスト独立共同体の中に非アナーキストがいるのかといえば、そのような可能性がないわけではない。その場合、基本的には彼等は少数派として存在していることになるであろう。では、アナーキス独立共同体内に非アナーキストが存在するのはどういう場合なのであろうか。一つは、自分たち独自の社会を作ろうと思うほどの信念・価値観を持っていない人もいるだろうということである。そのような人間も、どこかの社会に属そうとするはずである。しかし、自分自身には拘りがないのであるから、アナーキスト独立共同体に住みたいと思う人もいるかもしれない。アナーキスト独立共同体はそのような人をアナーキストではないといって拒否すべきなのであろうか。この場合も、アナーキスト独立派といっても、純粋にアナーキストのみの社会を求める者もいれば、そのような非アナーキストを受け入れてもいいと考えるアナーキストもいるであろう。この両者を一つの社会で実現することはできないから、原則的にはその問題をめぐって、アナーキスト独立派は別々の社会をそれぞれ作るべきだということになる。非アナーキストを含むアナーキスト独立共同体も存在することになるわけである。そのようなアナーキスト独立共同体において非アナーキストが排除されるとすれば、彼等が何らかの大きな問題を引き起こした場合にはその可能性が生じることになる。アナーキスト独立派からみればそれは相互の分離であって排斥ではないということになるが、相手からみればそれは排除ということになるかもしれない。しかし、それは排斥かもしれないが、排斥される方にとっても大した問題ではないともいえる。アナーキスト独立共同体に対して、他の社会も存在しているだろうし、全体主義者による社会も存在しているわけであり、基本的には全体主義者の社会は彼等を拒絶する理由はないから、そのような人を受け入るであろう。そしてもともと拘りはないのであるから、排除されたと思う非アナーキストも別の社会に移動することにそれほど抵抗感はないとみなしてもいいのではないだろうか。もちろん、アナーキスト独立共同体において問題を起こすような人間は、その全体主義的社会においても問題を起こすかもしれない。しかし、彼等は村八分あるいは監獄に入れられるだけで、排除や分離を迫られることはないであろう。自分自身は住みたい社会に拘りはあるが、アナーキスト独立社会に住みたいと思う人間もいるかもしれない。この場合は、住みたいといってもアナーキスト独立社会がどういうものか見てみたいというものであろう。そうでなければ、拘りがあるのであるから、自分の住みたい社会に住もうとするであろうし、それはアナーキスト独立社会ではありえない。そのような人間を受け入れるかどうかについても、アナーキスト独立社会は分裂することになる。ただ、この場合は流動性という意味からも、アナーキスト独立派は出来る限りそのような人間を受け入れて、アナーキスト独立社会がどういうものか見てもらうように努めるべきであろう。そのような非アナーキストがアナーキスト独立共同体から排斥され、退去を迫られた場合、元々彼等が住みたいと思っている社会に帰るだけであり、その排斥に大きな問題があるとはいえないであろう。
アナーキスト独立共同体内部における同じアナーキストの排斥ということも考えなければならない。アナーキスト独立共同体内部で問題を引き起こす人間が同じアナーキストの場合、排除の問題は深刻なものになる。ただ、それは排斥というより分離の問題ともいえる。そのアナーキストと一つの社会を作るかどうかでアナーキスト独立共同体自身が分裂するかもしれないし、あるいはそのアナーキストと誰も一緒に住もうとは思わないかもしれない。後者の場合、それは相手もアナーキスト独立派である以上、アナーキスト独立社会は相互の同意に基づいているということは了承しているであろうから、排除された意識は残るかもしれないが、排除された方は排除した方を非難するということはないであろう。排除の理由が自分では納得できなくとも、相手の意志を尊重するということを前提にして、アナーキスト独立共同体は社会にとって問題であるアナーキストに対処することになる。相手の意志を尊重しない、相互契約でアナーキスト独立共同体が形成されるということを認めないアナーキストがいるとすれば、その人間はアナーキストを自称するかもしれないが、アナーキスト独立社会では非アナーキスト扱いをされることになるといえる。また、排除ということが前本質期においても必ずしも否定されていないとすれば、アナーキストにとっても必ずしも否定されないということにもなるであろう。
いわば一般に監獄に入れられるような社会の厄介者が問題になるということであるが、アナーキスト独立社会に監獄のようなものが在ったとしても、そこに入れられるような人間は少ないであろう。例えば盗みを考えても、基本理念の実現に必要なものはすべて無条件に与えられるのだとすれば、そもそも盗みをする必要はないということにもなるし、存在即肯定からいえばそもそも盗まなければならないものは何もないともいえる。それよりも、ブッシュマンにおいては自分の持ち物を気軽に人に貸そうとしない人間の方が問題になるように、自分の物を独占しようとする人間の方が問題にされるかもしれない。そもそも基本理念すなわち存在即肯定に結びつく事柄において諸個人に利害の対立が起こることはないであろう。もし、利害の対立が生じるとすれば、どちらかがもはや基本理念の実現から排除されてしまうということであり、それは存在即肯定に反することになってしまうからである。というよりも、その対立している事柄自体が存在即肯定とは何ら関係ない事柄であることを、その対立自身が示しているともいえるのである。それはまた、基本理念すなわち存在即肯定に結びつかない事柄においては、対立のようなものが生じるかもしれないということであるが、その対立はどうでもいい事についての対立なわけである。もちろんこういう言い方は、アナーキズムの理念に立脚した言い方であるが、アナーキストなら相互扶助を心掛けるであろうから、やはり盗みは必要ない社会といえよう。
では殺人といったことはどうなのであろう。殺人に限らず、犯罪的行為にはその行為に対する社会の許容度も問題になるであろう。アフリカの多くの部族では兄弟殺しは決して罰せられることはなく、儀礼的に償われるにすぎない。ルグバラ族では兄弟殺しは免罰されるだけでなく、浄化儀礼すらもありえなかった。さらにそれは家族内のことだけではなく、タレンシ族では村落内の殺人は報復を受けないままにされたし、ルグバラ族でも外婚単位である分節内部での殺人は兄弟殺しとみなされ、告訴されることはなかったが、家族を超えたある範囲内での殺人が懲罰の対象にならないことは他の多くの部族でもみられるものである。アナーキスト独立共同体における人間関係が親密であればあるほど、犯罪的行為への許容度は増すということが考えられるわけであり、その親密度を無視して、アナーキスト独立共同体が例えば殺人者にどう対応するのかということは言えないわけである。一般に、アナーキスト独立共同体は例えば相互扶助などを通じて内部的親密度が高いといえるのではないだろうか。アナーキストがアナーキストであるだけでお互いに連帯意識をもつことが出来ればできるほど、アナーキスト独立共同体が成立していく可能性も高まるといえるかもしれない。
存在即肯定の立場から考えると、殺人は殺す人間にとっては自身の存在即肯定性を損なう行為ではない。ただ、殺される方にとってはそういう問題ではなく、存在即肯定の前提条件である存在そのものが失なわれることが問題になる。ただ極限化していえば、あくまでも存在即肯定は存在している間の問題であり、存在そのものが無くなったのであるから、すべては無に帰ったのであり、何も問題にするものはないともいえる。勿論それは事件が起こった後での考え方であって、殺人を防止しなくてもいいとか、殺されようとしているものが自己防衛する必要はないということではない。暴力一般については、未開社会では手に負えなくなった者は殺すか追放ということになるが、アナーキスト独立共同体では分離ということになるであろう。彼を受け入れる他の共同体がない場合、分離より追放という意味合いが強くなってしまうが、分離・追放された者のその後の行動によって後の対応も違ってくる。もし、追放された者がどこか遠くへ行ったり、共同体にとって無害になったりするなら、それで終わりということになる。もし、追放後も共同体にとって問題が引き起こされるなら、最終的には殺してしまうということにもなるかもしれない。また、追放された者達が自分達の独立共同体を作ろうとする場合、その結果が戦争になるとしても、とりあえず独立共同体を作ることを妨害することもあってはならないであろう。その意味では、追放者を殺すことになったとしても、それは刑罰というより戦争である。
ウッドコックはアナーキズム社会における働かない人間を取り上げていた。アナーキズムの揺動性には源初の肯定性における存在即肯定と前本質において肯定されるものの肯定との間の揺動性もある。存在即肯定・前本質の肯定・前本質の肯定するものの肯定という源初の肯定性の三重性は無矛盾というわけではない。矛盾しながら、それらは三重の肯定としてあるわけである。源初の肯定性の揺動性は、例えば怠け者に対するクロポトキンの病人扱いをめぐって現れるかもれしない。前本質期においては、怠け者には悪評が立ったかもしれないし、その意味で怠け者を病人扱いするクロポトキンにも一理あるということになるかもしれないが、存在即肯定からいえば働き者か怠け者かはどうでもいいことであり、どちらにしても両者は肯定的な存在ということになる。アナーキストだからといって皆が働き者とは限らないであろう。中には自己の信念として労働を拒否するアナーキストもいるかもしれない。単なる怠け者であれ自己の信念で労働に関してはしないのであれ、働かなければ生きてはいけないし、信念で働かないアナーキストも生きることまで拒否しているとは限らないわけである。では、アナーキスト独立社会はそのような働かない人間にどう対応すればいいのであろうか。
働かない人間はすぐさま生存の問題に直面するのであるから、働き者のアナーキストとしては当然彼等に食糧を援助するということになるであろう。それ場合、どの程度の食糧援助かは、働かないアナーキストと同じアナーキスト独立共同体を作ろうとするのか、彼等と分離しようとするのか、あるいは信念で労働を拒絶するアナーキストが自分たちで独立した共同体を作った場合で違ってくる。働かないアナーキストとは分離して自分たちの独立共同体を作ろうとするアナーキストにおいては、余裕分の援助ということになるであろう。あるいは自分たちも多少ひもじい思いをするかもしれないが、できるだけ多くの食糧を渡そうとするかもしれない。ただ、共倒れだけは拒否することになるであろう。しかし、彼等と同じ共同体に住むことを選ぶ場合にはそうはならない。その場合、働きたくない者が働かないでいることに同意したのであるから、社会的圧力で彼らに労働させることはないばかりでなく、働く者も働かない者も同等の扱いを受けることになる。働かない者にも働く者と同じだけの食糧が無条件に分配されるということでなければならない。当然、働かない者が多い場合、全員を賄うだけの食糧を生産できないということも起こりえるわけであるが、働き者だけで作られたアナーキス社会としてはそういう状態に陥った共同体に対して、やはり余裕分の食糧支援を行なうということになるであろう。その援助だけでは足りないということもあるかもしれないが、その場合は自分たちで解決してもらうということになるし、働かない者と働く者が一緒の協同体もそれは当然のこととみなすであろう。信念で労働を拒絶するアナーキストが作った共同体に対する他の共同体の対応は、働き者だけで作られた共同体が働かないアナーキストに対する対応と同じものということになる。
働かないアナーキストと一緒に住もうと思うアナーキストがいない場合、彼等が単に怠け者であるとすれば、自分たちの共同体を作ろうという気もないのであるから、何処の社会にも属さない孤立した人間が生じことになり、そこにあるのは排除ということになる。もちろん、怠け者とはいえアナーキストなのであるから、怠け者のアナーキストもその排除を非難することはないであろう。あるいは、否応なしに彼等は彼等で一つの共同体を作らざるをえないかもしれない。その場合も、余裕の範囲で食糧援助が行われるであろう。怠け癖のせいであれ、自分の信念であれ、働かない人間だけで作る共同体のアナーキストが少数な場合、彼等への食料援助だけで彼らは生存できるであろうし、働き者のアナーキストがトロブリアンド諸島の人間のように必要な食糧の倍を生産しているなら、働き者と同数の働かないアナーキストの生存が保証されるわけである。もっともトロブリアンド諸島で畑仕事に高い価値がおかれているから、それだけの生産量があるのであって、怠け者が多くなれば社会的に労働することの価値が薄れ、生産量も減ってしまうということになるかもしれない。
しかし、働かないという理由で排除される方もその排除を当然のこととするとしても、はたしてその排除はアナーキズム的に許されることなのかという問題がある。原則論的にいえば、アナーキストにとって彼らも一個の自由で自立した人間であり、その意味では自立した人間である彼らと一つの社会を作る契約も出来るし、彼らとの契約を拒否する自由もあるということになる。しかし、もしその人間が働かないとしても、そのことが現実的に社会の維持に脅威となっていないにもかかわらず、働かないということをもって排除するということは行き過ぎなのではないだろうか。前本質期の人類社会において怠け者だからといって社会から排除されることがなかったとしたら、基本理念主義としてのアナーキズムにおいても働かないというだけで排除されることはあってはならないということにもなる。また、自ら働かないことを信念としているのでなければ、怠け者かどうかの判断基準は曖昧なものであろう。あるいは、この手の話は元々が曖昧なものなのかもしれない。狩猟採集民において、狩猟は運に左右される要素が大きいとすれば、狩人が長時間狩猟に時間を使うかあまり使わずぶらぶらしている方が多いということはあまり問題にはならないといえる。
源初の肯定性のなかの前本質期の肯定を考えるのではなく、存在即肯定を考えると話はまた違ってくる。働かない者がつくる社会も、存在即肯定からいえばその社会は働き者のアナーキストの社会より優れてもいなければ劣ってもいない社会であり、その人間の存在即肯定性にとって何か問題があるわけでもない。彼等は存在している限りにおいて全的に肯定的存在ということになる。働かない人間がどうやって生きていくのかという問題はあるが、逆に働かない人間がどうやって生活していくのかということを心配する人間は、人間の存在即肯定性を否定しているともいえるのである。生存していなければ存在もしていないし、存在しているということは生存しているということでもある。しかし、存在即肯定における存在においては、生存と生存の維持とは分けて考えるべきである。生存の維持を存在即肯定の存在に結びつけることは、存在即肯定の条件として存在すなわち生存にさらに生存の維持を加えることであり、それは存在即肯定の否定である。存在即肯定おける存在とは瞬間的なものであり、瞬間瞬間の存在である。もし存在即肯定の存在に生存の維持を結びつけ、アナーキストは存在即肯定を求めるのであるから働かない者に無条件で食糧を与えないならその目的の否定であるとするなら、逆に存在即肯定を目的とするアナーキストに働かいな者はいないということにもなるわけである。存在と生存が結びつき、それに前本質において生存の維持が求められるべきものであったとするなら、存在に生存が重なり、さらに生存に生存の維持が重なるともいえる。そうすると、クロポトキンがアナーキストは働けるもの誰もが働くべきだと考えたことも理解できる。そこでは、存在即肯定における肯定のための唯一の条件である存在が生存の維持ということにもなっているのであり、誰もが存在しているなら誰もが生存の為に働くということにもなるだろうからである。
おそらく前自立期の社会においても怠け者には悪評という社会の道徳的非難があったであろうし、その意味ではアナーキスト社会が道徳的非難という社会的圧力を否定するわけではないといえる。しかし、それは存在即肯定の持つ自由自在さと矛盾していることはいえるであろう。ただ、源初の肯定性とは前本質の肯定するものの肯定、前本質そのものの肯定、存在即肯定の三重の肯定であるとしたが、その三重の肯定性には矛盾があったとしても、源初の肯定性はその矛盾を矛盾とした上での肯定なわけである。すなわ、彼が道徳的に非難される存在であり、クロポトキンの言葉を不安な気持ちで聞いたとしても、存在即肯定の中で彼は全的に肯定的な存在なのであり、不安状態が彼を否定的な存在にするわけではない。アナーキスト社会では、道徳的非難に服従することを求めているわけではない。自由という点では、少なくとも自分を道徳的に非難する社会から出ていく自由が奪われているわけではないし、自分たちで自分たちの社会を作ろうとするなら、支援も期待できるのである。
役に立つ何かを生産することが絶対的にできない人間であるが、そのような人間としては、植物状態のような人間が考えられる。彼は働けないであろうし、その意味で生存もできないかもしれない。何らかの考え・信念によって労働を拒否するわけでもないし、といって怠け者のように彼は生きるために働き者と同じ社会に住みたいという願望もないであろう。相互契約という点からいえば、植物人間と相互契約のもと一つの社会を形成することは不可能であるともいえる。アナーキストとしては、自分たちを彼等に投影するしかないであろう。自分達が生存することを求めているとすれば彼等もそうだと看做されるであろうし、前本質期において生存が希求されていたとすれば彼等もそうだとみなされることになり、相互扶助の精神からして彼らへの援助がなされるであろう。また、植物人間も存在即肯定からいえば全的に肯定的存在である。彼等の肯定性については、ただ存在していればいいのであり、彼等の肯定性には存在しているということだけが重要なのである。創造的無からいえば、植物人間も自我であり、創造の情熱としての存在である。そして、創造的無である以上、人間に優劣はない。何か、植物状態にある人間を否定的に考える者がいるとすれば、それは創造的無の否定であり、自己放棄者であるということである。唯一者にとって、彼等への援助が行われるとすれば、あくまでも創造的無の中での創造への可能性の選択として行われるのである。
引用・参考文献
『アナキズム』 ジョージ・ウッドコック
『世界の名著 プルードン・バクーニン・クロポトキン』中央公論社 「解説」 勝田吉太郎
『支配の発生』 クリスチアン・ジークリスト
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